<?xml version="1.0" encoding="utf-8" ?>
<rss version="2.0" xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom">
<channel>
<title>leekwildduckの日記帳</title>
<link>https://ameblo.jp/leekwildduck/</link>
<atom:link href="https://rssblog.ameba.jp/leekwildduck/rss20.xml" rel="self" type="application/rss+xml" />
<atom:link rel="hub" href="http://pubsubhubbub.appspot.com" />
<description>好き勝手書いてるので支離滅裂。日記帳とはいえ思ったことをただなんとなくぼんやりと。</description>
<language>ja</language>
<item>
<title>2026.8.27 昨日書き忘れた</title>
<description>
<![CDATA[ <p>　題名まま、一つ前の記事は一応エントリこそ昨日だが実際書いていたのは一昨日なのでノーカンとする。</p><p><br></p><p>　本日は休日なのでもう少ししたら趣味のBGM制作でもしようかと思う。</p><div><br></div><p><iframe class="youtube_iframe" width="469" height="263" src="https://www.youtube.com/embed/M84WQp6N5Vw" frameborder="0" allowfullscreen></iframe></p><div>　なぜかURL貼り付けだと上手くいかなかった。あくまで趣味程度だが、BGMを作るのが好きだ。</div><div><br></div><div>　私の好きをなにかの形に表現しようとすると、大半は人に説明しづらい物が生まれる。BGMもそうで、創作キャラをイメージしているのだがどうにも毎度暗くなりがちである。</div><div>　王道のコード進行を適用すると私の好みと乖離してしまうので、致し方なしに知ったコードを使い、結局同じ様な曲が爆誕する。</div><div><br></div><div>　その上、初期に制作した曲が好み一直線なのがいけない。このBGMは比較的最近のものだが、作り始めて一ヶ月程度の頃に制作したBGMのフレーズを引用していたりする。</div><div><br></div><div><p><iframe class="youtube_iframe" width="469" height="263" src="https://www.youtube.com/embed/dnOWV0LgjiQ" frameborder="0" allowfullscreen></iframe></p><div><br></div>　ループ音源を使用したBGMを制作することにハマっていたときですら、自分の好きな音を取り入れた結果似たような音になっていたりする。特定の誰かに刺さったら御の字、といったくらいか。</div><div><br></div><div>　私の好みはとことん世間一般での流行りに逆らい続けている。いつまでそれが持つかは分からないが、今はただひたすらに楽しい。</div><div>　どうせなら、やれるところまでやってみたい。</div><p></p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/leekwildduck/entry-12976932193.html</link>
<pubDate>Thu, 27 Aug 2026 12:00:09 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>砂上の城</title>
<description>
<![CDATA[ <p>　自己表現がとても苦手だ。</p><p>　百四十文字で何かを伝えなさい、も口語で感情を表しなさい、も昔からお世辞にも及第点とは呼べない出来だろう。</p><p>　その上私は私自身に直接触れられる事がそれ以上に苦手で、創作を隠れ蓑として巣篭もり生活を送り続けている。</p><p><br></p><p>　良く言えば天邪鬼。悪く言えば我儘。社会では通用しない薄っぺらい防御壁。</p><p><br></p><p>　それでも困ったことに私の心の支えは自分自身だし、創作が無ければ社会で立っていることさえままならないだろう。</p><p>　だからふとした瞬間に私自身を突かれる事には弱い。</p><p><br></p><p>　今はこうして頭を捻りながら・首も捻りつつではあるが、文を書き連ねる事ができている──しかしそれが対人となった瞬間、途端に雨曝し。脳を回転させる余裕もないので、反射的に言葉を返しては後悔の種を自ら振り撒く羽目になる。</p><p>　デリートもコピーペーストも出来ない現実社会において、私の教養の無さは隙を生む。言ってしまえば縁を切る事は容易ではあるのだが、禍根を残すのも事実だろう。</p><p><br></p><p>　学びを得る事自体は幾つ歳を重ねても遅くない。だが単に学ぶだけでは気付きようのない事もまた多く、生きながらに学び続けるのが人間だろう。勿論、それで後退する者もいれば停滞する者も多くいるし、決してそればかりが良いとは言い切れないのだが。</p><p><br></p><p>　──これが私の悪い癖だ。何かを悪いと切り捨てられない。</p><p>　勿論私は善人である！　と主張したい訳ではなく、むしろ善にも悪にもなりきれないから中途半端なのだろう。せめてコンプレックスだなんだと開き直る事が出来たなら、拍手くらいは貰えたかもしれない。</p><p>　ところがそれを自身の致し方ない部分、として受け入れてしまっている。全くもってやるせない話だが……</p><p>　人との縁を切った事は数多もあり、それをいっそのこと全てあいつが悪いと言えたなら。それはどんなに良かった事だろう。他責思考が無いわけではないし、どちらかというとかなり強いと思うのだが、どんなにあいつが悪いと思おうとしても後になって「あれは私に非があるな」と考えることも決して少なくはない。</p><p>　そもそもの話、一言余計だったり逆に少なかったりするのがいけない。そういった点から交流が難しいと勘違いして、勝手に距離を取っては交流の幅を狭め自身の首を絞めている。</p><p>　良心の呵責でもないのだが──断ずる立場にあったのかと、全てがもう遅い段階になってから自問自答するのだ。</p><p><br></p><p>　虚しくないか、と私自身が問いかけてくる事がある。いつも私を糾弾するのは他者ではなく自分自身だと言うに、寄り添ってくる事がある。</p><p>　──当然、虚しいに決まっている。私自身がどう在りたいのかを分からないまま、他人と触れ合うのなんて当たり前に恐ろしいものだ。</p><p>　それでも時間は止まってはくれやしないし、私も世間一般で分類するとしたら〝良い大人〟に仲間入りを果たしている。同年代で結婚する人間も、もっと言えば子供がいる家庭もあるだろう。</p><p>　いつまでも、十年も二十年も前の感性のまま取り残されていく。身体は徐々に年相応に脆さを見せてくるようになったし、実際歳を重ねることで出来ること自体は増えているのだ。</p><p>　それでも、いつまでも精神は発達していない。内なる自身がいつの日も責め立ててくるし、駄目なやつというレッテルを私の表面だけを汲み取って私自身が貼り付けてくるのだ。</p><p><br></p><p>　私には、私というものが全く理解できない。</p><p>　自分自身のことで、いわゆる人格が変わるなどといった事柄もない。正真正銘、常にひとりの私自身が現実を生きている。</p><p>　それがどうだ。歳を重ねる度にどうしてその行動に至ったという私自身からの問いに、私が答えられなくなっていく感覚。</p><p>　まさに私そのものが崩れていくような、基礎から落ちていくような──この感情をいざ言葉で伝えようとすると、言葉に詰まる。私自身をどうか見ないでくれ、と内なる私が叫ぶ。</p><p><br></p><p>　止めどなく変わり進化する世界の中で、私は天井を眺め続けている。</p><p>　冷風扇から送られる生温い風を仰向けでただ浴び続けたまま、ぼやけた視界で天井にある溝を思考を止めて睨むのだ。</p><p>　熱の籠った部屋の中、湿気で髪が広がっていく。頭の先から聞こえてくる機械の稼働音に外から聞こえる虫の鳴き声が混じり、頭痛さえも引き起こされる。</p><p><br></p><p>　それが今の私の全てだと、白く発光する画面が映し出す。現実を嫌でも教え込まされる。</p><p>　真横に一直線の唇が乾燥して、上がらない頬に少しでも力を込めれば己の怠惰が浮き彫りとなる。明日も仕事で、こんなことをしている場合ではないとまた私が急かしてきた。</p><p>　今起きていても、仕事が終わり帰宅した瞬間にはソファの上で夢を見ているというのに。見る夢一つとっても、少しでも楽な方向に逃げ込もうとしていく。</p><p><br></p><p>　夢──私が見る夢には鮮明に色が付いている。現実と謙遜のない色調で、現実と乖離した世界を私の脳にこびりつかせてくる。</p><p>　よく、見る夢に色が付いているか？　と他者に尋ねる事がある。大半の人は覚えていないというし、中には自由に動けるという意見を聞いた事もある。</p><p>　私にとって夢は、逃げる事の出来ない世界だ。起きた時には疲れが蓄積されているし、早めの就寝を心掛けた日には大概悪夢を見る。</p><p>　結局私の心の安寧は、現実の私自身にしか存在しない。身体は疲れているのに、寝れば心が疲弊する。二者択一を迫られて、苦しいだけの時間を果たして誰が望むというのか。</p><p><br></p><p><br></p><p>　さて、長々と書いてみたが──ここまで飛ばした人もいるだろうし、そっと閉じた人もいるだろう。</p><p>　最初に書いた通りで、自己表現は苦手だ。これ程までに話を飛ばしながら何かを書く事自体久々なことで、私自身少し疲れそうになっていた。</p><p>　わざと話を飛躍させ、自分の事を肥大化させて書いてみたがいかがだったろうか。もう少し軽く書ければ良かったのだが、どうにも重くなり過ぎてしまった気がする。</p><p>　やはり、何かを伝える事は難しい。</p><p><br></p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/leekwildduck/entry-12976805185.html</link>
<pubDate>Wed, 26 Aug 2026 01:05:36 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>2026.8.25 すぐそばに</title>
<description>
<![CDATA[ <p>　蕎麦が好きだ。</p><p>　冷たくても温かくても構わない。薬味を添えて、最後には蕎麦湯を嗜むあの一連の時間は有意義に感じられる。</p><p><br></p><p>　私が在住している土地周辺の方々も、比較的蕎麦が好きな人が多い。</p><p>　老いも若きも厭わず、蕎麦はアレルギーなどの致し方ない事情を除いて万人を受け入れる。</p><p><br></p><p>　けれどうどんも好きだ。そうめんも好きだ。</p><p>　かろうじてにゅうめんは少し苦手なのだが(温かい麺が元々得意では無かったのだ)麺類はどれも等しく好きだ。</p><p>　店によっては同じメニューでもまるで異なる表情を見せる。昨今ではコンビニやスーパーなどといった店舗で販売されている出来合いの品どころか、冷凍食品も電子レンジのみで完結する品が増加していたりと進化してきている。</p><p><br></p><p>　まあ、そんな固い話はどうでも良い。私は好きな時に、自分の好きなように蕎麦を食べることが好きだ。</p><p>　とても幸せなことで、贅沢な話だ。人によってはたかだかその程度でも、今の私にとっては食事が摂れることそのものがありがたい。</p><p>　幼い頃は外に出るたび蕎麦を所望していた。今は好みの幅が広がり自分でも麺類を求めて様々な店に赴くようになったが、当時のあの時間そのものが美しくかけがえがなく──幼いながら、心の何処かではそれを当たり前のものと認識していた。</p><p>　それを悪と断じることはない。否定することは簡単に出来るが、否定した時間がそれで戻ってくることはない。誰かに分け与えることも出来なければ、過ぎた謙遜や傲慢は誰かを傷付ける刃となってしまう。</p><p><br></p><p>　ありふれた、説教臭い言葉は好きではない。真面目くさった顔で唸っている時間があるのであれば、私は時間蕎麦を食べる。</p><p>　ところで今は何時だったか。まあ、幾ら安かろうと高かろうと私は今後も蕎麦を食べ続けるだろう。</p><p>　いつでもそばにある。そんな当たり前ではない日々を噛み締めて。</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/leekwildduck/entry-12976756366.html</link>
<pubDate>Tue, 25 Aug 2026 14:48:13 +0900</pubDate>
</item>
</channel>
</rss>
