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<title>自費出版のリブパブリのブログ</title>
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<title>大阪万博再び、対抗馬のロシア、エカチェリンブールクは血塗られた都市、勝ててよかった</title>
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<![CDATA[ <p>　２３日から１泊の小旅行をして、朝食のため２４日朝のテレビニュースを見なかった。したがって大変な遅ればせで、帰りの新幹線の車中のテロップで知った。</p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 1.4em;"><strong><font color="#ff0000">第１回投票で過半数</font></strong></span><br>　日本時間の２４日未明、２０２５年万博が大阪に決まったことだ。<br>　パリで開かれていた開催地を決める博覧会国際事務局（ＢＩＥ）総会で、当初から大阪はロシア・エカチェリンブールク、アゼルバイジャン・バクーに比べて優勢と見られいた。一時立候補していたパリが降りた時点で、一気に最有力になった。<br>　ただ第１回投票で決められる３分の２確保は困難と見られ、その場合、かつて同じ旧ソ連の国だったロシアとアゼルバイジャンの２、３位連合が懸念されていた。<br>　ＢＩＥ加盟国１７０カ国のうち、投票権は分担金を支払っている国に限られたので、総票数は１５６カ国。第１回投票では、大阪は過半数の８５票だった。ただ２位のロシア４８、３位のアゼルバイジャン２３は圧倒した。２、３位が連合を組んでも大阪に及ばないことから、この時点でほぼ大阪の当選が決まった。</p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 1.4em;"><strong><font color="#ff0000">エカチェリンブールクもバクーも欧米から遠い</font></strong></span><br>　最終結果は、大阪９２票、ロシア６１票だった。大阪は、７票しか上積みできなかったけれど、票差では圧勝、であった。<br>　ロシアのプーチン政権の強権支配や、汚職大国であることが嫌われたと見られる。また開催地のエカチェリンブールクは、ウラル山脈の東側に位置し、ヨーロッパから遠い。またアゼルバイジャンのバクーも、ザカフカースの先でさらにヨーロッパから遠い。<br>　対して大阪は、アジアの中心都市の東京の隣で、１９７０年万博の開催地でもあり、地の利はあった。</p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 1.4em;"><strong><font color="#ff0000">ロシア革命直後にここで５人の子どもを含む皇帝一家は殺された</font></strong></span><br>　ちなみにエカチェリンブールクは、ロシア史に関心を持つ僕に、ひときわ思い出深い。日本も日露戦争で戦ったニコライ二世が、１９１７年の革命後、妻子とともにボリシェヴィキ（後の共産党）に幽閉され、翌年７月１７日、ここで家族もろとも銃殺されたからだ（０８年６月２７日付日記：「ロシア皇帝一家の非業の死、最終確認：ニコライ二世、アナスタシア、エカチェリンブルク」を参照；<strong><font color="#0000bf">写真</font></strong>）。</p><p>&nbsp;</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20181126/04/libpubli/8b/8e/j/o1259102414309949007.jpg"><img alt="" height="504" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20181126/04/libpubli/8b/8e/j/o1259102414309949007.jpg" width="620"></a></p><p><br>　皇帝夫妻と共に虐殺された幼い皇太子アレクセイ、４人の皇女に深い哀惜の念を覚えるのが、エカチェリンブールクである。ここが開催地にならなくて良かった、と思う。</p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 1.4em;"><strong><font color="#ff0000">目標は７０年万博の半分以下、盛り上げて成功を</font></strong></span><br>　かねてから２０２０年の東京五輪後に景気後退が懸念されていたが、５年後に大阪で万博が開かれることで、この懸念はだいぶ薄らいだ。そのことだけでも、喜びたい。<br>　大阪府知事、大阪市長という維新の会の幹部２人がパリに乗り込んだのも、開催地が大阪に選ばれるのは、会場に予定される「不良資産」の人工島「夢洲」（<strong><font color="#0000bf">写真</font></strong>）復活に不可欠だったからだ。大阪が拠点の維新にとって、大阪万博は必達目標でもあった。</p><p>&nbsp;</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20181126/04/libpubli/fb/60/j/o0798049214309949028.jpg"><img alt="" height="382" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20181126/04/libpubli/fb/60/j/o0798049214309949028.jpg" width="620"></a></p><p><br>　ただ「人類の進歩と調和」を掲げた７０年万博が会期半年間で６４２１万人も集めたのに、「いのち輝く未来社会のデザイン」をテーマとする２５年万博の入場者目標が２８００万人とは寂しい。<br>　近年、ディズニーランドその他の大型テーマパークが世界中に整備され、大阪もＵＳＪがすぐ近くに位置するから、食い合いになる。<br>　２８００万人でも野心的な目標なのだという。実際、２０００年のハノーヴァー万博（ドイツ）は、来場者１８００万人と目標の半分にも満たなかった。<br>　インバウンド需要もさらに盛り上げる２０２５年大阪万博。ぜひ成功させたい。</p><p>&nbsp;</p><p><strong><font color="#ff7f00">昨年の今日の日記</font></strong>：「１１光年先と太陽系に２番目に近い地球型系外惑星がまた見つかる；赤色矮星には地球型惑星がほぼ存在するのか」</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/libpubli/entry-12421605018.html</link>
<pubDate>Mon, 26 Nov 2018 05:04:59 +0900</pubDate>
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<title>エチオピア紀行（１３４）：旅で初めてイスラムの気配</title>
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<![CDATA[ <p>　エチオピアのメケレの朝、ホテルの窓から外を観た。<br>　通りを往来する白布の男たちの他、遠くに珍しいものを見つけた。イスラムのモスクと思しき建物である（<strong><font color="#0000bf">写真</font></strong>）。</p><p>&nbsp;</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20180619/04/libpubli/c5/3a/j/o1120084014213715243.jpg"><img alt="" height="465" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20180619/04/libpubli/c5/3a/j/o1120084014213715243.jpg" width="620"></a></p><p>&nbsp;</p><p>　久しく休載していたエチオピア紀行を再開する。この間、１月末にニュージーランドのミルフォード・トラックを歩いたり、４月に福島に桜１０景の旅に出かけたり（肝心の桜はほぼ終わり、まだ満開だった会津では雨に降られたりと散々だった）、さらに宮古島の旅だとかソウルの旅だとかが挟まり、ずっと放置していた。<br>　振り返れば、エチオピアの旅はもう２年半前に近い。その後に行ったヨルダン、イスラエルの紀行文は、ずっと休載し放しだ。こちらは今少し、放置するしかない。</p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 1.4em;"><strong><font color="#ff0000">ティグレ州にはムスリムが約５％</font></strong></span><br>　さて、エチオピアである。旅の７日目（エチオピアでは６日目）の朝のメケレは、ティグレ州に属するが、エチオピア全体と同じ、キリスト教徒が大半だ。<br>　しかしイスラム教徒が多数の遊牧民の地の東部に近いせいか、人口比５％前後のイスラム教徒もいる。これが東部の低地になると、さらにイスラム教徒の比率が高まる。翌日に観ることになるダロール地溝帯のアサレ塩湖近くの岩塩採掘に従事するのは、アファール族イスラム教徒だ（僕らが訪れたのは金曜日で、イスラム教の安息日に当たったので、岩塩採掘はお休みだった）。<br>　それでも、ここでエチオピアで初めてのイスラムの気配だった。</p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 1.4em;"><strong><font color="#ff0000">耐震などどこふく風の柱の細さ</font></strong></span><br>　朝食後、外に出てみた。<br>　改めて泊まったプラネットホテルを外から観ると（<strong><font color="#0000bf">写真</font></strong>）、日本では絶対にお目にかかれないほどの柱の細さに驚く。隣の建設中の建物も、柱は細く、床は薄い。足場も、細い丸太だ。</p><p>&nbsp;</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20180619/04/libpubli/97/6c/j/o1120084014213715257.jpg"><img alt="" height="465" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20180619/04/libpubli/97/6c/j/o1120084014213715257.jpg" width="620"></a></p><p>&nbsp;</p><p>　メケレは、まさに日本のインバウンド需要と同じで、外国からの観光需要を当て込んでホテルラッシュである。泊まっている僕たちは分かり難いが、毎度のことながらエチオピアに来て高層建築の貧弱さに薄ら寒さを覚える（<strong><font color="#0000bf">写真</font></strong>）。</p><p>&nbsp;</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20180619/04/libpubli/40/69/j/o0960072014213715268.jpg"><img alt="" height="465" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20180619/04/libpubli/40/69/j/o0960072014213715268.jpg" width="620"></a></p><p>&nbsp;</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20180619/04/libpubli/8e/7d/j/o0960072014213715284.jpg"><img alt="" height="465" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20180619/04/libpubli/8e/7d/j/o0960072014213715284.jpg" width="620"></a></p><p>&nbsp;</p><p>　万一、エチオピアで大地震に見舞われれば大被害の出るのは必至と思える。<br>　だから僕は、旅が終わるまでエチオピアで地震が起こらないことをずっと望んでいた。（昨日朝、大阪北部を襲ったＭ６．１の地震で交通機関がストップし、京都・大阪を訪れていた多数の外国人旅行者の脚も奪われた。地震国日本の１つのリスクだが、エチオピアの都市の建築中ビルを思い出すにつけ、味わった不安さをいかばかりだったかと同情をする。）</p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 1.4em;"><strong><font color="#ff0000">日本の明治時代的風景も</font></strong></span><br>　そして建物の頑丈さには疑問符が付くけれど、ともかくモダンな建物が建築中である。その足元で、日本の明治時代さながらの光景が目に入る。<br>　例えば、馬車である（<strong><font color="#0000bf">写真</font></strong>）。これはいまだにエチオピアの主要運搬手段のように見える。</p><p>&nbsp;</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20180619/04/libpubli/5f/25/j/o0960069614213715275.jpg"><img alt="" height="450" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20180619/04/libpubli/5f/25/j/o0960069614213715275.jpg" width="620"></a></p><p>&nbsp;</p><p>　さらに建設中のビルの囲い塀の傍らに、露店のような店が出る（<strong><font color="#0000bf">写真</font></strong>）。一部は、ここに寝泊まりしているのではないか、とも思える。</p><p>&nbsp;</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20180619/04/libpubli/40/6f/j/o0960064314213715294.jpg"><img alt="" height="415" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20180619/04/libpubli/40/6f/j/o0960064314213715294.jpg" width="620"></a></p><p>&nbsp;</p><p><strong><font color="#ff7f00">昨年の今日の日記</font></strong>：イスラエル・ヨルダン旅行のため休載</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/libpubli/entry-12384745762.html</link>
<pubDate>Tue, 19 Jun 2018 05:00:37 +0900</pubDate>
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<title>ソウル街歩き（５月27日）；清国からの独立を助けた日本に感謝し、凱旋門のような独立門を建てた</title>
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<![CDATA[ <p>　２泊３日のソウル行の最終日となった。午後の便で帰国するまで多少の時間はある。博物館に入ったりする時間はないけれど、街歩きはできる。それに、ぜひ訪れたい所があった。</p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 1.4em;"><strong><font color="#ff0000">早朝にホテルを出たが腹の調子が</font></strong></span><br>　早朝にホテルをいったん外出した。<br>　ところがホテルを出て、２ブロックほど歩いて、腹の調子がおかしくなった。急いでホテルに戻ってトイレに入った。<br>　下痢した理由は、２つ、思い当たる。１つは、６月８日付日記：「韓国、ドボンサン登攀記（６）；下山路を間違えて出た望月寺は森の中、水も豊かで喉を潤す」で記したドボンサンからの下山中に望月寺の山門近くで補給した水、である。流れている水で、しかも冷たかったから、湧き出したものであることは確かだが、雑菌では入っていたのか。<br>　もう１つは、前夜、南大門市場の一角の魚屋の２階で食べた刺身が原因の可能性である。<br>　ヒラメ、ソイなど、白身の魚が刺身が、大きな皿に隙間無く敷き詰められていた豪華版である。活きは良く、コリコリした歯ごたえがたまらなかった。</p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 1.4em;"><strong><font color="#ff0000">魚は新鮮だったが</font></strong></span><br>　店は、お世辞にも清潔そうに見えなかった。それでも安いからなのか、土曜日夜ということもあり、満席だった。予約を受け付けない所なので、行って席が空くまで１０分ほど立って待っていた。それほどの繁盛している店で、新鮮な魚で悪いものが出るか。<br>　幸い下痢は軽く、あと、トイレに駆け込む場面は訪れなかった。<br>　ただしばらく、ベッドで横になっていた。</p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 1.4em;"><strong><font color="#ff0000">西大門（ソデムン）独立公園へ</font></strong></span><br>　１時間半は、そのまま横たわっていて、１１時半チェックアウトまで、１時間半というタイミングで起き出した。<br>　ホテルは、鐘閣（チョンガク）駅近くにあったから、「西大門（ソデムン）独立公園」までは、地下鉄１号線で２駅先である。<br>　早朝出た時は、歩くつもりだったが、歩いていては間に合わないかもしれない。地下鉄に乗った。<br>　西大門独立公園の場所柄、日本人の僕が尋ねたら意地悪されるか、とも懸念したが、ソデモン駅で中年男性に出口を尋ねたら、親切に教えてくれた。韓国の「反日感情」に、どうも僕は過剰に自己反応をしているようだ。<br>　４番出口で地上に出ると、すぐに「３・１独立宣言記念塔」が見えた（<strong><font color="#0000bf">写真</font></strong>）。</p><p>&nbsp;</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20180618/05/libpubli/ab/c7/j/o1600120014213154433.jpg"><img alt="" height="465" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20180618/05/libpubli/ab/c7/j/o1600120014213154433.jpg" width="620"></a></p><p>&nbsp;</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20180618/05/libpubli/9f/76/j/o1277107814213154452.jpg"><img alt="" height="523" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20180618/05/libpubli/9f/76/j/o1277107814213154452.jpg" width="620"></a></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 1.4em;"><strong><font color="#ff0000">歴史館はパス</font></strong></span><br>　この公園（<strong><font color="#0000bf">写真</font></strong>）の一角には、「西大門刑務所歴史館」がある。日本統治下の抗日独立運動の闘士たちが収容された監獄や死刑場、塀や見張り台などが残されているという。独立運動家で、逮捕後に官憲の拷問を受け、獄中死したことで名高い柳寛順の地下女子房も残されているそうだ。</p><p>&nbsp;</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20180618/05/libpubli/06/c3/j/o0960072014213154470.jpg"><img alt="" height="465" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20180618/05/libpubli/06/c3/j/o0960072014213154470.jpg" width="620"></a></p><p>&nbsp;</p><p>　時間もなかったし、反日宣伝の場ともなっているので、今回はパスする。</p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 1.4em;"><strong><font color="#ff0000">親日の記念碑「独立門」</font></strong></span><br>　僕が観たかったのは、「独立門」である。公園南端に立つ、パリのエトワール凱旋門を模して１８９７年に造られた（<strong><font color="#0000bf">写真</font></strong>）。</p><p>&nbsp;</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20180618/05/libpubli/49/e7/j/o0890068514213154499.jpg"><img alt="" height="477" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20180618/05/libpubli/49/e7/j/o0890068514213154499.jpg" width="620"></a></p><p><br>　創建年からして、３・１独立宣言記念塔とは性格を異にする。<br>　つまり日清戦争で、日本が清国に勝利したことにより、下関条約で清の冊封体制から李氏朝鮮が解放され、独立を認められたことを記念して建てられたのだ。<br>　日本が韓国を併合したのは、１９１０年だ。３．１独立運動蜂起が起こったのは、１９１９年３月１日である。<br>　すなわち１９世紀末、日清戦争直後は、朝鮮は清国から解放してくれた日本に感謝する立ち位置だったことを示す。</p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 1.4em;"><strong><font color="#ff0000">元の位置から移され、南側隅っこに</font></strong></span><br>　ところが反日一辺倒の現在の韓国では、独立門は「日本からの独立」を記念する門であると誤解・勘違いしている人が多い（！）のだという。時代認識も大間違いだし、正しい歴史が教えられておらず、歪んだ歴史観のもとで反日教育一辺倒で育った世代ばかりになったから、そういうことになる。<br>　かつて日本に感謝しつつ創建された独立記念の一時代が忘れられている。そのせいか、独立門は本来の位置から大きく南側、すなわち片隅に移されている。<br>　これを観られたのは、収穫だった。<strong><font color="#0000bf">写真</font></strong>は、漢字表記されている南側から見た独立門と北側から見たハングル表記の独立門。</p><p>&nbsp;</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20180618/05/libpubli/66/1d/j/o0960072014213154547.jpg"><img alt="" height="465" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20180618/05/libpubli/66/1d/j/o0960072014213154547.jpg" width="620"></a></p><p>&nbsp;</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20180618/05/libpubli/8e/51/j/o0960072014213154533.jpg"><img alt="" height="465" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20180618/05/libpubli/8e/51/j/o0960072014213154533.jpg" width="620"></a></p><p>&nbsp;</p><p>（ソウル訪問記はこれで終わります）</p><p>&nbsp;</p><p><strong><font color="#ff7f00">昨年の今日の日記</font></strong>：イスラエル・ヨルダン旅行のため休載</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/libpubli/entry-12384511148.html</link>
<pubDate>Mon, 18 Jun 2018 05:32:12 +0900</pubDate>
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<title>韓国哨戒艦、北朝鮮軍の魚雷で沈没、国際調査団が報告書：「天安」、金ジョンウン、金正日</title>
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<![CDATA[ <h1 class="title"><a href="http://is2.storage.gree.jp/album/43/03/264303/e3987340_640.jpg" target="_blank"><img alt="kawanobu日記/韓国哨戒艦、北朝鮮軍の魚雷で沈没、国際調査団が報告書：「天安」、金ジョンウン、金正日 画像1" src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fis2.storage.gree.jp%2Falbum%2F43%2F03%2F264303%2Fe3987340_240.jpg"></a></h1><div class="content"><p class="photolist"></p><p><a href="http://is2.storage.gree.jp/album/43/03/264303/7aff6f70_640.jpg" target="_blank"><img alt="kawanobu日記/韓国哨戒艦、北朝鮮軍の魚雷で沈没、国際調査団が報告書：「天安」、金ジョンウン、金正日 画像2" src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fis2.storage.gree.jp%2Falbum%2F43%2F03%2F264303%2F7aff6f70_240.jpg"></a></p><br><div class="body">　韓国軍哨戒艦「天安」（１２２０トン）の沈没事件で、国際軍民合同調査団（韓国<wbr>軍のほか、アメリカ、イギリス、オーストラリア、スウェーデンも参加）は２０日午<wbr>前１０時、最終報告書を発表し、「北朝鮮製の魚雷による水中爆発」によるものと断<wbr>定した（<font color="#0000ff">写真上</font>＝引き揚げられ韓国の港に運ばれた「天安」）。<br><br><font color="#ff0000">現場海底土中から魚雷のスクリューなど回収に成功<br></font>　国内ばかりでなく世界中のメディアを集めての発表で、同調査団は「北朝鮮の小型<wbr>潜水艦・艇による魚雷の発射以外に説明がつかない」と指摘した。<br>　報告によると、「天安」の切断面や目撃証言、当時観測された地震波や空中音波な<wbr>どを基にシミュレーションを実施して、「天安」のタービン室中央から左舷側３メー<wbr>トル、水深６～９メートルで、高性能火薬２００～３００キロ相当の水中爆発があり<wbr>、その際に生じた強力な水流「バブルジェット」で船体が切断され、沈没したとみら<wbr>れるという。まさに命中しなくても敵艦を撃沈できる魚雷、それも北朝鮮の魚雷に違<wbr>いないのである。<br>　シミュレーションによる状況証拠以外に、同調査団はいくつかの決定的物証を公開<wbr>した。それは、まぎれもない魚雷の残骸である。<br>　調査団は魚雷の後部にある推進装置は魚雷が爆発しても完全に破壊されないという<wbr>点に着眼し、底引き網漁船を動員して現場海域での回収作業に注力、その結果、今月<wbr>１５日、事件海域の海底の砂中に埋まっていた魚雷のスクリューや推進モーター、操<wbr>縦装置の一部の回収についに成功した。そして、これが決め手になった。<br><br><font color="#ff0000">北朝鮮製の魚雷であることを確認</font><br>　これらの部品は、０７年に北朝鮮が海外輸出用に作り、南米の国に配布されたカタ<wbr>ログに掲載されている感応型の「ＣＨＴ―０２Ｄ」重魚雷（重量１．７トン、弾頭火<wbr>薬２５０キロ）の設計図面と合致した。<br>　また部品にはハングルで「１番」と記されており、韓国が０３年に回収した北朝鮮<wbr>軍の魚雷の表記方法とも一致した（<font color="#0000ff">写真下</font>）。ちなみに「１番」と書かれているのは<wbr>、北朝鮮が独自に開発した魚雷という意味だとされる。 <br>　こうした事実から、調査団は「北朝鮮で製造された魚雷と確認された」と断定した<wbr>。 <br>　さらに調査団は、北朝鮮の軍による攻撃だったかについても検討。現場海域の水深<wbr>などから小型潜水艦・艇による攻撃と判断すると同時に、黄海にある北朝鮮海軍基地<wbr>から事件のあった３月２６日晩の２～３日前に一部の小型潜水艦・艇と支援母船が出<wbr>港し、事件２～３日後に基地に帰投した事実を確認した。<br>　こうしたことから報告書は「魚雷は、北朝鮮の小型潜水艦・艇から発射されたとす<wbr>る以外、説明がつかない」と結論づけたわけである。<br><br><font color="#ff0000">火薬の化学成分も北朝鮮の魚雷の火薬と一致</font><br>　戦時でもない時に、他国領海内に忍び込み海底から不意打ちをくらわせ、韓国軍乗<wbr>員に４６人もの死者・行方不明者を出させたことは、金正日の直接の指令によるもの<wbr>か、後継に決まったと見られる３男金ジョンウンに忠誠を誓おうとする北朝鮮軍の一<wbr>部跳ねっ返り分子の妄動によるものか判然としないが、いずれにしろ金正日は結果責<wbr>任を負わねばならないのは明白だ。<br>　ちなみに犠牲者４６人は、１９５３年の朝鮮戦争休戦後、８７年の北朝鮮工作員に<wbr>よる大韓航空機爆破事件で１１５人の死者が出たのに次ぐ惨事である。<br>　なおこの日の発表に先立つ４月２５日、韓国政府が外部爆発が沈没原因との見解を<wbr>発表した際、金泰栄・韓国国防相は大型魚雷による攻撃の可能性にすでに言及してい<wbr>たが、その後、船体切断部から魚雷の弾頭に使用される高性能爆薬ＲＤＸ（ヘキソー<wbr>ゲン）を検出し、魚雷の一部とみられるアルミニウム片も見つけていた。なおこの火<wbr>薬の化学成分も、０３年に韓国が回収した北朝鮮の魚雷のものと一致した。<br>　そして今回の決定的物証で、北朝鮮の犯行が明確になったことにより、韓国は攻撃<wbr>事件を国連安保理に持ち込むことになる。<br><br><font color="#ff0000">テロ支援国・中国の動向に注目<br></font>　手回しよく韓国外交通商省は１８日、６カ国協議に参加する日本、中国、ロシアの<wbr>駐韓大使館に調査結果を説明し、さらに１９日にもヨーロッパ諸国など約３０カ国の<wbr>大使にも説明し、また２０日には、李明博大統領が、ラッド・オーストラリア首相と<wbr>の電話会談で「北の軍事挑発であることが明確になった。断固たる対応措置を取る」<wbr>と語り、国際的な協力を要請し、北朝鮮包囲網の形成に力を入れている。<br>　これに対し、北朝鮮は韓国によるでっち上げという声明を出したが、動揺は隠しよ<wbr>うもない。ラングーン事件でも大韓機爆破事件でも、北朝鮮は犯行を認めておらず、<wbr>韓国の自作自演という稚拙なデマを流している。北朝鮮の唯一の庇護者の中国も、調<wbr>査団の示した物証を前にすれば、国連安保理で擁護し切れまい。<br>　アメリカの国務省内には、北朝鮮を再びテロ支援国家に指定する機運が起こってい<wbr>る。もっとも今回の蛮行（愚行）で、北朝鮮はテロ支援国ではなく、テロ国家そのも<wbr>のであることがまたしても満天のもとに明白化されたわけで、北朝鮮庇護国である中<wbr>国こそさしずめテロ支援国と呼ぶのにふさわしいに違いない。<br><br><font color="#ff0000">日本も制裁のいっそうの強化を</font><br>　日本でも拉致被害者家族会から、新たな制裁強化を求める声が上がっている。loo<wbr>pyクロ鳩には期待できないが、中井洽拉致問題担当相には議員会館に水商売女性を引<wbr>っ張り込んだ脇の甘さを挽回する意味でも制裁強化に内閣のねじを巻いて欲しい。<br>　それにしても、今さらながら情報閉鎖の独裁国の恐ろしさを実感する。<br>　他国艦船に魚雷攻撃を加えたら大きな惨事となり、それがどのような結果を招くか<wbr>は、子どもでも考えれば分かることだ。それを考えられほど国際情勢の認識能力を失<wbr>った白稚的金正日政権。自ら孤立化への道をまっしぐらに突き進む野蛮な馬賊集団は<wbr>、またしても自滅への道を１歩進んだと言えよう。<br><br>昨年の今日の日記：「漢字能力検定協会を私物化した大久保父子の摘発、発端はクリ<wbr>ーンだったか：漢検、公益法人」</div></div>
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<link>https://ameblo.jp/libpubli/entry-10540514037.html</link>
<pubDate>Fri, 21 May 2010 05:02:07 +0900</pubDate>
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<title>Libpuli発進</title>
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<![CDATA[ <p>　本日よりブログ開設。</p><p>　ちなみにLibpubilｉとは、フランス語の「自由」を意味するlibreと、英語の出版を意味するpublishingの語頭を組み合わせた造語。</p><p>　カタカナでは、上から読んでも「リブパブリ」、下から読んでも「リブパブリ」。</p><p>　自分で本を出したいと希望する方は、ご相談下さい。</p><br><p>自費出版のリブパブリ</p>
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<link>https://ameblo.jp/libpubli/entry-10435572911.html</link>
<pubDate>Sat, 16 Jan 2010 14:55:09 +0900</pubDate>
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