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<title>popoのブログ</title>
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<title>Light Seeds</title>
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<![CDATA[ <font color="#0000FF">人は、真理という源泉を種子として芽生えた存在であり、その源泉に心の目を向けることは、極自然なことであり、その行為は、この世界で完全なる自由に目醒める道を啓く。<font></font></font>
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<pubDate>Thu, 01 Oct 2009 22:01:58 +0900</pubDate>
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<title>中国での話し</title>
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<![CDATA[ 私は、古い道教の寺を訪ねました。<br>長い石段を登ると、目の前に歴史を感じさせる門か現れました。<br>その門を潜ると、中庭を挟んで立派な本堂が建っていました。<br>その傍らに石碑があり、その前で若い夫婦が一心に石碑を磨いています。<br>何を磨いているのか・・・？<br>近寄っ見ると、石碑に道教のシンボル、タオが画かれています。<br>先程の夫婦は、その石碑に刻まれたシンボルを一生懸命に磨いていたのです。<br>「何をしているのですか？」そう尋ねると、女性の方が、少し悲しげな面持ちで「私達は子供を亡くしました。供養とお礼にお参りにと、ここへ参りました。」と答えました。<br>「それはさぞかしお寂しいことでしょう。」<br>そう言うと<br>「確かに悲しいです。でも、あの子は、今は全ての中に居ます。こうして目を閉じて感じれば、色々なものの中に居るのが感じられるのですよ。」<br>そう言うと、立位の禅、タントウをして見せた。<br>その時、私はハートに強い衝撃を覚え、感動に打たれました。<br>その深い感覚の中に、感謝と喜びに満ちたものを、一瞬に全てから受け取った気がしました。<br><br>すると本堂の方から一人の老師が現れました。<br>妙齢な老師は、私達の前まで来ると笑みを浮かべ深々とお辞儀をされました。<br>慌てて私も頭を下げました。<br>老師は、「私は寿量と申すこの寺の住職。そなたは遠くから来られたのじゃろう。ご苦労様。」<br>そう言うと、袂からいきなり何かを取り出し、徐にそれを私の胸の真ん中へ投げつけました。<br>途端に、胸の奥に光が燈りカッと熱くなるや、心の稼が外れて、ワッと涙が込み上げて来ました。<br>何が何だか分からず、号泣してしまいました。<br>老師は、「やっと一つに成れたな。」<br>そう一言呟くと、本堂へ消えて行きました。<br>訳も分からず、と言うのは、こう言う感覚を言うのでしょう。<br>何の感情も無く、ただただ涙が込み上げて来るのでした。
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<pubDate>Thu, 02 Jul 2009 16:59:26 +0900</pubDate>
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<title>気持で変わる</title>
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<![CDATA[ 雨の日<br>気持ちはネガティブに偏りがちになります。<br>でも、目線を変えれば全く違ったものが見えて来ます。<br>潤う緑に、躍動するパワーを観じることが出来ます。<br>自然、地球は本当に素晴らしい。<br>お陰で私も潤いました。<br>
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<link>https://ameblo.jp/light-seeds/entry-10355320655.html</link>
<pubDate>Wed, 24 Jun 2009 12:34:59 +0900</pubDate>
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<title>悠久</title>
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<![CDATA[ 一息、一息、大切に、薄紙を扱うように、とても静かに、大切に吐いてゆく・・・・・<br><br>静かに静かに吐く息・・・・<br><br>一瞬とも無限とも思えるその一瞬に、全てが集約されてゆく・・・・・<br><br>全ては霧が晴れるように消滅した・・・・・<br><br>その悠久の抱擁に、深い喜びだけが満ち溢れる・・・・・<br><br>嬉しい・・・・・<br><br>嬉しい・・・・・<br><br>ただ、ただ嬉しい・・・・・<br><br><br>
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<pubDate>Tue, 02 Jun 2009 23:10:30 +0900</pubDate>
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<title>自然</title>
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<![CDATA[ 私は小学校の頃から素潜りを覚えました。<br>水の中に入ると、重力という束縛から解放され、身も心も自由になります。<br>感覚も開放されて、自然に開放されて行く感じになれます。<br>素潜りの良さは、余計なものをあまり身につけていないという開放感です。<br>熟れればかなり潜れるようになりますし、そうなるとイルカになった気分にもなれます。<br>ですから、私にとっての海は、感覚の全てを自由に開放できる、宇宙に通じる素晴らしい存在です。<br><br>また、山歩きも好きです。<br>ハードな登山というよりも、里山と呼ばれる中山間部の林道や小道を散策するのが大好きです。<br>木々の間から降り注ぐ木漏れ日を全身に感じながら歩いていると、やはり感覚は開放されてきます。<br>自然と心は鎮まって、禅に近い感覚が啓けてきます。<br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20091002/10/light-seeds/2a/cb/j/o0120008010265793382.jpg" target="_blank"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20091002/10/light-seeds/2a/cb/j/o0120008010265793382.jpg" alt="ogawa01" border="0"></a><br><br>そんな時、その辺りに腰を下ろして、野山を吹き渡る風に耳を澄まし、また時に小川のせせらぎに耳を澄ますと、短い命を滾らせて鳴く蝉の音さえも、風と一つになっ私を吹き渡ってゆきます。<br>この感覚が実に堪らんのですね。<br>実に、実に、堪らんのです。<br>私は最早透明になって、自然の一部と化して、その辺りの石ころと何ら変わりない存在になります。<br>これ自然だと感じます。<br>自然な在りようです。<br>特別なものなど無く、ただある事を精一杯に愉しむ・・・・・。<br>これが宇宙が望んでいる最高の在り方だと感じるのですよね。<br>
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<pubDate>Fri, 20 Mar 2009 18:38:31 +0900</pubDate>
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<title>共振する感覚世界</title>
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<![CDATA[ 私たちの肉体は物質です。素粒子、原子、そして分子から成り立っています。<br>これは宇宙を構成するすべての要素と同じものです。<br>それらはすべて共振し、宇宙という同一の世界で変化しています。<br>心を鎮めて、禅の境地に入ってゆくと、感覚は次第に表面的な感覚を離れて、深い広がりの中に解放されてゆきます。<br>自然や宇宙と共鳴してゆく感覚の始まりです。<br>この世界に孤独な存在はありません。<br>孤独と感じているのは個我の心です。<br>個我の心を離れれば、理屈を超えてすべては結びあい、共鳴しています。<br>波動の世界です。<br>魚が海という空間に在るように、私たちは空気の満ちた空間に在ります。<br>同時に、すべての物質の元素である原子は、真空の空間に在ります。<br>宇宙の一切は、宇宙全体に満ちた、真空、虚空の宇宙に包まれてあります。<br>その真空宇宙にこそ実体があります。<br>真理あり、原理を司り、森羅万象の一切を司る真我です。<br>それは神や仏ではありません。<br>全ての本質である大いなる意識です。<br>その意識より生じる意志こそが全てを育んでいます。<br>私たちの存在は、それそのものの現れなのです。
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<pubDate>Sat, 17 Jan 2009 18:47:14 +0900</pubDate>
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<title>真我を隔てる憧れ</title>
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<![CDATA[ 人は色々なものに憧れます。<br>これは人のもつ性質の一つであり、特に他人に対する「憧れ」といったものに、<br>多く見て取ることが出来ます。<br>人並み外れた美貌や、超人的な能力と言った何かに憧れる思いがこれにあたります。<br>この憧れによって、人の気持ちを引き付ける力のある人をカリスマと言います。<br>これも先に挙げたように人に限りません、宗教に見られる神や仏と言ったものに対する強い信仰心も同様のものです。<br>この様に、人には、何かに憧れたり、すがったりといった、性質があるという事が理解できます。<br>しかしこの性質は、永い間、実相である真我と、仮の写し身である個我を分離する働きをしてきました。<br>本質から見れば、これまで必要にしてそうあったという事です。<br>宇宙意識そのものである本当の自分を、神や仏という形で自分自身から分離して、本来の自分「真我」を、日常の自分とはかけ離れた存在として自分の外に置き、物質的な次元で個我の意識が十分に成長するまで、その働きを眠らせていたのです。<br><br>仏教、特に釈迦が最も重要視した座禅（瞑想）の目的には、実相真我を生きる道があります。<br>仏教から派生した密教、如来という自己の本性を中心に世界を理解する構図にも、その真理を見る事が出来ます。<br>これは、自我煩悩の呪縛を解き、その内に目覚める道です。<br><br>一切を貫いた中心は「０＝ゼロ」ですが、０＝無、即ち、無我であり、この無我の意識には、個我を超えた本質、実相の意識があります。<br>これが真我です。<br>真我は、「梵」宇宙の原理と等体であり、一元太極「タオ」です。<br>これが存在の実体です。<br>これは知識ではなく感覚です。<br><br>この感覚に深く参入してゆく時、人は一切の迷い、縛りを離れて、本当の自由に目覚める事が出来ます。
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<link>https://ameblo.jp/light-seeds/entry-10355320636.html</link>
<pubDate>Wed, 31 Dec 2008 16:12:45 +0900</pubDate>
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<title>創造の種子</title>
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<![CDATA[ 世界的な経済恐慌による昨今のご時世で、多くの方が厳しい現実を突き付けられています。<br>この現象も宇宙が創造しているものです。<br>創造の種子である私達は、大いなる問いを自らに与え、そして困難から大いなる答えを導き、目覚めるチャンスを創り出しました。<br>それが今です。<br><br>この世界には、何故、喜怒哀楽があるのですか？<br>耐えきれない人は自殺を考え、時に高じて人を殺める事も・・・。<br>これは何故なのでしょう。<br>この苦難の世界から抜け出す道はあるのでしょうか？<br><br>そもそも、陰と陽、有と無、プラスとマイナス、がこの世の仕組みです。<br>故に、一切が縦と横、男と女と言うように、対になってバランスするように変化し続けています。<br>苦楽もセットです。<br>ですから、楽を求めれば、必然的に苦悩はついて来ます。<br>喜怒哀楽と言うスパチラルは、創造の真理であり、これを無くする事は出来ないのです。<br>しかし、私達は創造の種子でありますから、目の前の出来事に様々に意味を与え、自ら望んだ形の答えを受け取る力があります。<br>ですから、如何様にも受け取る現実をクリエーションする事が可能なのです。<br>そうです。<br>私達は創造の種子であり創造そのものなのですから、この世界の全てに、より良い意味を与え、より良い意味を受け取れば良いのです。<br><br>ある人は、あたなの与えた意味を解釈して、「なんと自分勝手な解釈」と言うかも知れません。<br>しかし、それがこの世界の仕組みなのです。<br>但し、より良い現実を創造的に愉しむように意味を与えるには、それ相応の事柄を理解しなくては、まさに身勝手で破壊的な現象を引き起こしかねません。<br>場合によっては、人を気付付け、その結果自分の人生を破壊しかねません。<br>では、どのようにしたら、より創造的にこの世界を愉しむことが出来るのでしょう。<br><br>まず大切なのは、自分の愉しみ方を知ることです。<br>その為にも、これまでの日常よりも、若干深く自分の肉体感覚に耳を澄ます意識が必要になります。<br>その方法が、日常そのものが味わいの境地にある事、つまり只管打坐(しかんたざ)」「日常そのものが禅にあること＝禅に遊ぶ」ことにあります。
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<link>https://ameblo.jp/light-seeds/entry-10355320677.html</link>
<pubDate>Wed, 17 Dec 2008 16:25:06 +0900</pubDate>
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<title>現象世界を知る</title>
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<![CDATA[ 宇宙意識は、想像し得る全てを創造しました。<br>地球も人間もその一つです。ですから、人間は宇宙意識が生み出した創造物です。<br>その創造物が創り出す全ても、宇宙の創造物です。<br>ですから、宇宙の創造物である人間が作り出すもの一切が、宇宙の創造物なのです。<br><br>愛も調和も、混乱と破壊も、その一切が、本質から見れば、宇宙の営みであり、必然です。<br>この真実から、私達は、より深い真理を悟る事ができます。<br><br>私達は存在として、完全に自由であると言うこと。<br>そして今日ある一切の状況が宇宙である本質から選択されたものであると言うことです<br><br>この真実を、自分の中心に深く受け止め、禅に遊ぶ時、真実の我、実相の真我は、自我の束縛を離れて自由になる事ができます。
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<link>https://ameblo.jp/light-seeds/entry-10355320784.html</link>
<pubDate>Fri, 12 Dec 2008 14:27:07 +0900</pubDate>
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<title>日常の一瞬</title>
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<![CDATA[ 真実はありふれた日常の中にあります。<br>ただそこに居て無心にある時、当たり前のものが当たり前事ではない、<br>大きな煌きを放って降りかかって来る時があります。<br>ひらりと舞い落ちる木の葉にさえ、気づきと悟りを得る一瞬はあります。<br><br>一生懸命に何かを求めている時には見えず、<br>諦め、手放した忘我の一瞬に真実が姿を現す。<br>この真実の一瞬が連続する所に、禅の醍醐味があります。<br><br>特別なものには何もなく・・・。<br>当たり前が転じて特別なものになる・・・。<br>特別も、転じて当たり前となれば、どうというものでもなし・・・。<br>一切は、諸法実相、真実は空にあり・・・。
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<link>https://ameblo.jp/light-seeds/entry-10355320716.html</link>
<pubDate>Sun, 30 Nov 2008 00:35:55 +0900</pubDate>
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