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<title>りょうのブログ</title>
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<title>生者の視点、死者の視点</title>
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<![CDATA[ 先日、Twitterで面白いつぶやきを見た。<br><br>韓国人の整形ブームについて友人が<br>「今しか考えていない」<br>とつぶやいたことについてだ。<br><br>日本人は謝ることを躊躇わない民族だ。<br>韓国に失礼なことをされようと、中国が毒入り餃子を輸出しようとも謝罪を要求されれば素直に従う民族である。<br>めんどくさいのか、恐らくそんな安直な理由ではない。今でこそ反論をするようになったがそれも時代の、つまり視点の変化が関係している。<br><br>大宰府には菅原道真が祀られている。<br>「左遷で怒っているに違いない、天満天神様として崇めよう」<br>左遷を決めた人々ではなくその子孫が謝る、やはり今の構図に似ている。<br>悪いのは先祖様だけど、私達が謝ろう。<br>靖国神社にはA級戦犯が祀られている。実際は国のために尽くした人々だから大切に崇めよう。<br>死者は大切に扱わなければならない、これが死者の視点である。<br><br>日本が中韓に謝り続けていたのもここに原因がある。何かは知らないけど、御先祖様の悪行は子孫の私達が謝ろう。<br><br>一方の中韓はどうなのか。歴代王朝の墓を暴き、文化大革命で過去を否定し、整形に夢中になる。だから先祖様のした悪行も未来も知ったこっちゃない。 彼らにとって大切なのは「今」である。<br><br>中韓の留学生に<br>「謝罪させてばかりでうんざりだ」<br>と言うと彼らに<br>「そんなの無視すりゃいいんだ」<br>と返された、なるほど、さすが「今」を生きる者だ。<br><br>日本と中韓、真逆に見えている視点だが実はベクトルの向きが違うだけである。内容は変わらない。<br><br>日本は死者を重視し、中韓は生者を重視する。それぞれ問題の解決方法が違うのだ。これをお互いに認識しない限り、中韓との溝は一向に埋まらないに違いない。<br><br>とは言え日本も最近は生者の視点が濃くなりつつある。中韓の謝罪に素直に応じないあたりにそれが伺える。しかし、良いことばかりではない。「今」を重視する余りに捏造や偽装が増えた気がする。過去と未来を慮る死者の視点も大事にしなければならない。<br><br>年の瀬が近付いてきた。今年は体調を崩すことが多かったので、お祓いにでも行っておこう、その前にまだ行ってない祖父のお墓参りに行かなくては。<br>
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<link>https://ameblo.jp/lilly180/entry-11670132588.html</link>
<pubDate>Tue, 05 Nov 2013 07:20:00 +0900</pubDate>
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<title>もう疲れたし普通のタイトルで勘弁してよ</title>
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<![CDATA[ ずっと続いていた英語のタイトルは<br>シドニィ・シェルダンの小説の原題である。<br><br>僕にとっては馴染みの深い小説だ。<br><span style="line-height: 1.5;">父は国文科、母は英文科卒の家で育った。<br></span>僕にとって文学部に行くという選択は<br>思えば必然的なものだったのかもしれない。<br><br>手の届く範囲には古典か英語の本しかなく<br>意味もわからないままに触れ続ける日々。<br>そして小学校では毎日日記を書くのが宿題だった。<br><br>そして今は国文科で日本語学を専門に<br>稚拙ながらに研究を進めている。<br><br>就活が近づいている。怖いなあ、全く<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/lilly180/entry-11661869216.html</link>
<pubDate>Fri, 01 Nov 2013 02:18:38 +0900</pubDate>
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<title>Bloodline</title>
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<![CDATA[ 初めて世間一般の大学生らしい忙しさを体感している。<br><br>まず10月の初めに飲み会で意識を失った。詳しくは前の記事にあるのでまた見ておいて欲しい。<br><br>インターンシップに行った。通っていた上に現在アルバイトしているアップ教育企画の研伸館へ行った。京大国語と阪神現代文、高2国語の見学をした。とても得るものの多い濃密な時間だった。同時に、自分が到達すべき場所を改めて遠く感じた。まだまだ努力が足りない。<br><br>恩師と食事にも行った。予備校業界の厳しさを教えてくれた。安直に勧めないあたりに、恩師の優しさを感じた。こんな先生になりたいと、より感じさせてくれた時間だった。<br><br>明後日はゼミ飲み会だ。同じ失敗を繰り返さないようにお酒はほどほどにしておこうと思うんだけど、教授が一番の酒飲みだったりする。なんたってゼミで勉強合宿へ行った際にいの一番に酒盛りを提案した人だ。ペースを乱されないようにしないと…<br><br>20日には淀川だーつとーなめんとに出場する。違う店の全く知らない人とダブルスで出場するから、気合入れて練習しないといけない。3回生のうちに出られる最後の大会になるだろうし結果を残したい。<br><br>来週からは介護体験に行く。あまり気乗りはしていない。教員免許取得のためにはやむを得ないんだけど…<br><br>それでは！
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<link>https://ameblo.jp/lilly180/entry-11640327634.html</link>
<pubDate>Thu, 17 Oct 2013 09:14:00 +0900</pubDate>
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<title>The Other Side Of Midnight</title>
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<![CDATA[ 本格的な秋を迎えた。<br><br>大学3回生の秋は就職活動前最後の自由な時間になる。<br>そのことを感じてなのかは分からないけど、飲み会がやたらと多い。<br><br>この前は梅田で意識が無くなるまで飲んだ挙句、難波の路上で寝ていた。距離感が分からない人はGoogle Mapでも見て欲しい。幸いにも財布も携帯も無事だった。<br><br>もちろん大学の研究も忙しい。研究テーマは「サ変動詞と助詞の関係」なかなかマニアックなところに行き着いたものだ。<br><br>インターンシップにも行った。研伸館の京大国語の授業を見学した。かなりハードな授業で気が抜けず久しぶりに授業で疲れた。明日は学園前校にインターンシップだ。<br><br>そして今日は僕を予備校業界に導いて下さった恩師とご飯を食べに行く。楽しみで仕方ない。
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<link>https://ameblo.jp/lilly180/entry-11636588989.html</link>
<pubDate>Mon, 14 Oct 2013 09:03:00 +0900</pubDate>
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<title>The Master Of The Game</title>
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<![CDATA[ 毎日がルーティンだと書くことも自ずと少なくなるもんなんですね。<br><br>月：塾講師<br>火：大学<br>水：塾講師<br>木：塾講師<br>金：大学<br>土：塾講師からのバーテンダー<br>日：バーテンダー<br><br>みたいな感じで僕の1週間は回っているので、その中から異質なものを見つけて記す…というのが凄く難しい。<br><br>とは言ってもゼミの発表さえ終えれば色々楽しいことが待ってるからきっちり残そうと思ってます。
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<link>https://ameblo.jp/lilly180/entry-11625318342.html</link>
<pubDate>Tue, 01 Oct 2013 04:20:00 +0900</pubDate>
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<title>If Tomorrow Comes</title>
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<![CDATA[ ブログって何書くものなのか。<br><br>毎日そんなに充実した生活を送っているわけでもない僕にとっては非常に難しい。<br><br>Twitterとの大きな違いはブログは文章だ。意味不明なつぶやきをしてそれが成立する場とはちがってブログは文章の構成を考えないといけないから難しい。<br><br>文章を書くとなるとレトリックについて考えざるをえない。<br>一つの出来事を確信めいた風に述べるのと、確信が無いかのように述べることには違う効果が…ある…と言えばある。<br><br>レトリック理論は伝統的に効果的な言語表現として存在しているにもかかわらず、レトリック研究者の論文を読み漁ると研究者の多くは物事を単純にあっさりと考えたがる人が多いようだ。<br>では「ためらうこと」と「ためらうふりをする」ことははっきりと分別できるものなのか。<br><br>極端な例を示すのであれば、「信じること」と「信じるふりをすること」は大いに違うし「真実を語ること」と「真実らしく語ること」も大きく違う。<br><br>しかしながら「ためらうこと」と「ためらうふりをすること」はどうもそう簡単に分別できない気がするのである。<br><br>言葉は周知の通り「思考」を表すツールである。<br>私達が思考をまとめようとするとき、確信めいたものにたどり着くことはめったにない。それは大学の課題であっても、男女間のいざこざであっても同様である。一方で、確信めいたものにたどり着いても不安に陥ってしまうことがある。<br><br>そうすると、自分の中での思考を「ためらい」ながら述べるのか、「ためらうふりをして」述べるのか、そのことによって得られるレトリックは自ずと見えてくるはずである。
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<link>https://ameblo.jp/lilly180/entry-11624287524.html</link>
<pubDate>Sun, 29 Sep 2013 18:23:44 +0900</pubDate>
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<title>風と共に去りぬ</title>
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<![CDATA[ ブログを始めた。<br><br>特に意味はないのだけれど、Twitterでは書ききれないことをこちらに書こうと思う。<br><br>わざわざこっちのアカウントで公開しているのはしがらみから逃れたいから。<br><br>気を許している人、理解のある人だけに公開することはある意味自分に都合が良いのかもしれないけれどそんな場所が一つくらいあっても構わないだろう。
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<link>https://ameblo.jp/lilly180/entry-11623213268.html</link>
<pubDate>Sat, 28 Sep 2013 04:03:00 +0900</pubDate>
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