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<title>貞武布勢院の手記</title>
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<description>常に「北」の接頭辞を有する地に住まうタリバン</description>
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<title>移転申し上げました</title>
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<![CDATA[ <br>移転先の<a href="http://blog.livedoor.jp/sadam_arjabaly/" target="_blank">新生ブログ</a><br><br>こんな広告・スパムいいね・スパムコメントの多いブログなんて物騒なところでやってられるか、俺はここから離れるぞ。<br><br>それが彼の遺した最後の言葉であった。
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<link>https://ameblo.jp/lit-freaks/entry-12194926467.html</link>
<pubDate>Mon, 29 Aug 2016 22:26:57 +0900</pubDate>
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<title>ブログの移行いつ為されるだろうか</title>
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<![CDATA[ 帰省したは良いが、予想以上に蒸し暑いわ、自動車学校へ行かねばならぬということで自由なく、夏の風情を感じるいとまは存在しなかった。<br><br>＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿<br><br>ブログ自体、割と頻繁に書こうとはしているが、たいてい途中で書くのをやめて全部消してしまう。投稿されるのは、7回に2回くらいの確率だ。<br><br>退屈なときにふと「このテーマで書くのは良いかも知れない」と思いつき、その日の晩に書こうとするのだが、思ったより書くことが少なかったとか、逆に膨大な文量になりそうだとか、書いていくうちにそれが取り立てて書くようなテーマではないと気づくとか、書いていくうちに支離滅裂になって消去し、改めて脳内で考えてみたらやはり大した問題ではないと気づくとか、そういった理由だ。<br><br>そう考えてみると、私は普段から色々考えているつもりではあるが、何ら大したことを考えられない人間というわけだろうか。「人間は考える葦」とは言うが、しかし、もう少し良い思考ができてもよいのではないか。<br><br>否、7回に2回は（少ない）人に見せてもまぁ良いという考えができるという認識ができるだけマシだろうか。とはいえ、その価値判断は自分自身の主観に他ならないわけだが。（私は自分に超甘いので、人様に見せるのは本来恥ずかしい記事ばかりなのかも知れない。）<br><br>過去記事を見ても、今思えば何ら大したことは書いてない、もっと上手く書けるだろうと思えることがあるのは、この私にも成長がある証だと良いのだが。そう解釈することにしよう。<br><br>元々「手間とありがたみ」みたいな記事を書こうとしていたが、大したことでもないと思い、消してしまったが、改めて別のテーマで書くと、投稿するに値すると思える記事が書きあがった。
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<link>https://ameblo.jp/lit-freaks/entry-12192212140.html</link>
<pubDate>Sat, 20 Aug 2016 23:29:05 +0900</pubDate>
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<title>退廃的頽廃的</title>
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<![CDATA[ 夏の話でもするかと書いたが、あれは嘘だ<br><br>テスト期間だけど、誘惑が酷くまとわりついてきて作業できず敗北主義に陥り、さらには受験以来？の肋間神経痛が引き起こされる始末。<br><br>というのは置いといて、夏休みになったらブログを新しくしようと考えております。というのも、ｽﾏｯﾁｮﾌｫｲのブラウザでアメブロを見ると、広告が夏の夜の耳元で飛び交う蚊と同じくらいしつこく、鬱陶しいからであります。<br><br>広告と思わせない広告こそ、真価を発揮するとはよく言われるが、ネット上には劣悪で退廃的な広告が多すぎる。<br><br>画面下部に退廃的なしつこさを誇る様相の広告バーが、これまた退廃的な挙動を示す(跳ねる、回転する)、退廃的なCMが退廃的にも再生が強制されたり、興味もない退廃的なプロモツイート。<br><br>まあ、退廃的な広告の文句はこれくらいにしておきましょう。<br><br>そして、新設したらエッセイストごっこのような記事の改訂版のようなものでも書いていこうかと思います。随分と時間が置かれそうなものですが。<br><br>次にブログが更新されるのは、もしかしたら富山に帰省したときだと思います。<br><br>ブログの新生の報告記事を最後にこのブログは凍結ということで
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<link>https://ameblo.jp/lit-freaks/entry-12184216665.html</link>
<pubDate>Tue, 26 Jul 2016 01:45:46 +0900</pubDate>
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<title>炎節への移ろい</title>
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<![CDATA[ 札幌の夏は突然やってくる。つい先週には肌寒く、夜には手足が冷えるような気候だったのに、今は昼間の厚さに嫌気がするほどだ。しかし、夜の風は優しき清涼といった具合でとても気持ちが良い。湿気の多い富山では、これほど心地よい夜風はめったにない。<br><br>気温の変化は突然だが、日差しがそれを兆す。<br><br>小生はカーテンを開けて窓際に頭を向けて寝るのだが、いつしか強い日差しに叩き起こされるようになる。これは梅雨が始まった辺りから起こる。（札幌は梅雨がないと言われるが、雨の頻度は間違いなく上がる。気象学的に梅雨という現象に位置づけられないから、とかいうので「梅雨ではない」と言っているのか？）<br><br>はじめのうちは天然の目覚まし時計と言わんばかりに効果てきめんで遅刻はありえないのだが、日差しが強すぎると朝5時とかに起きることになり、しかも日差しが暑いのでカーテンを閉めてしまう。部屋が暗くなったので寝ぼけ眼をこする間もなく二度寝、遅刻しかけたこともあったかも知れない。<br><br>5時ですらそんな日差しというくらいだから日の昇りも早い。午前3時が過ぎたくらいから空が明るくなり始めてしまう。札幌は思った以上に高緯度なのだと感じさせられる現象だ。友人とSkypeで喋ってたり、急いでやっている課題を消化していたら日が昇り始めていた、というのはよくある話だ。<br><br>諸々の課題やら授業やらが片付いた際に、朝日に叩き起こされてから黄金の日の出を脇目に自転車で小樽へ行く挑戦をしてみるのも楽しいかも知れない。<br><br>しかし、早朝の旅はいつもと違った風景に見えるあの非日常感がよいのだが、小生の住むところは大きな道路に面しており、いつも車がやかましく走りまくっている。富山に住んでいたので、早朝の非日常感は車の少ない静けさによると思っている。無論、あの朝日に照らされて独特に彩られる街の風景も非日常的ではあるが、小生の場合は聴覚が先だ。早朝からの旅をする際には、是非裏切ってほしいものだ。<br><br>次もまた夏について思ったことを書くでしょう
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<link>https://ameblo.jp/lit-freaks/entry-12177322772.html</link>
<pubDate>Mon, 04 Jul 2016 20:53:39 +0900</pubDate>
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<title>近況報告</title>
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<![CDATA[ お久しぶりです、貞武でございます。生活の充実度とブログの更新頻度は反比例するようです。更新頻度が高かったらそれだけ生活の充実度が低く、精神的に参っているとお考えください。あと、多分文体も今のように充実した生活をしていれば丁寧語、そうでなければ断定の調子となります。<br><br>近況はと申しますと、進級してから専門科目というものを講義として新たに取ることとなり、また違った、わからないことだらけとなりまたまた不安にまみれております。<br><br>やれこの種類の授業は重いですとか、やれ「レジュメ」なる物体とは何ぞや、如何に作るべきか、といったようなことです。研究室に配属されまして、何とか先達の方々にご鞭撻願おうかといった次第で乗り切ろうかと思います。<br><br>そのような不安も次から次へと出てまいりますが、もっと専門的なことができると、反面、楽しみでもあります。同郷の先輩とも馴染み申し上げることもできましたし、出だしは概ね良好かと考えております。<br><br>大学では以上のようなことですが、生活の方は、と言いますと、まあまあといったところでしょうか。<br><br>新たにクレジットカードを作りまして、AmazonPrimeやNetflixに登録し、たいそう暇つぶしが容易になりましたが、優秀すぎてすべきことを為す時間を駆逐するのではないかと、注意を心がける必要があります。<br><br>まあ、去年のこの頃は飯を忘れるほどゲームに没頭しており、それを考えるとマシな状態かと思います。<br><br>それでは今回はここまでにさせていただきます。
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<link>https://ameblo.jp/lit-freaks/entry-12153652214.html</link>
<pubDate>Sun, 24 Apr 2016 23:38:37 +0900</pubDate>
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<title>浪費</title>
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<![CDATA[ 長らく記録というものを放置している。去年の4月から始めた日記の方も年末から書いていない。いつもと違う状況というものはルーチンを狂わせる。<br><br>最近はとりわけ何という出来事もないし、何か考えごとをしたというわけでもないので、備忘録的に近況でも書いていこうと思う。<br><br>2月に入り、次々と講義が終わり、あとは成績発表待ち、といった状況までは札幌雪祭りがあった。予想以上に規模が大きい。大通り公園の端から端まであり、巨大な雪像が３つほど、個人団体作成の小さな雪像がいくつもあった。大通公園の西の端まで行ったのはこれが初めてだった。<br><br>その後、帰省に備えて片付けや掃除をしていたが、途中でくしゃみを喫した際にやけに腰が痛んだ。どうやら、これは後のインフルエンザの予兆だったようだ。それを体に潜在させていた折にスープカレー屋へ行ったが、周りの客にうつってはいなかっただろうか。<br><br>そうこうしているうちに富山に帰省し、ちょうど帰った夜に発症した。1週間弱無駄にしてしまった。ワクチンを打たなかったからであろうか。今では楽だが、別に苦しいわけではないが、長い時間を無駄にするのが、きまりが悪い。<br><br>そして、治った今、インフルエンザでなくとも1日1日を無駄にしている。雨でろくに外出できないのだ。
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<link>https://ameblo.jp/lit-freaks/entry-12129902427.html</link>
<pubDate>Wed, 17 Feb 2016 21:44:08 +0900</pubDate>
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<title>年末年始と</title>
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<![CDATA[ <br>特に考え事もなく、久しく更新を絶やしていた。あまり放置しておくのも面白くないので、珍しく近況でも書こうと思う。<br><br>11月が終わってから冬休みまでの間を、妙に短く感じていた。そうするうちに富山へ帰る。帰省した次の日に父とバーへ行った。屈指の名店のようで、ショバ代もあり、それなりの値段した模様だったが、何ら不満を抱くことなくバーを満喫した。<br><br>一度札幌でバーへ行ったことがあるが、バーというものを全く心得ていないときだったので、開店間もない時間に行き、しかも腹を満たそうと思ってそこへ向かったのであった。思い返せば、何とも恥ずかしくて仕方ない行為であった。<br><br>年末は風邪をこじらせていたので、クリスマス気分も、正月気分も味わえなかった。年末に体調を崩すのはこれで終わりにしたい。一体何年連続で苦痛を与えられるのか。<br><br>そんな折でも、ガキ使を見て、年の変わりが近づいた頃に家を出て、神社に向かう。年明けまで数十分というのに、神社には意外なほど人が少ない。そして、そのような時間に出るので一番楽しみにしているホラーパートを見逃すのだ。<br><br>それはそうと、初詣に行き、賽銭を投げ、御御籤を引く。いくつかの神社を回ることにしているが、新年の願いは神社ごとに違ったものにし、御御籤は1度しか引かない。そういえば、夏の楡原逍遥で見かけた妖しい社からの憑神は、小生の背後にいるのだろうか。<br><br>御御籤を引くと吉だった。久しく大吉を引いていないような気がする。とりあえず、神の思し召しということで、籤に書かれていたことはだいたい頭に入れておいた。<br><br>4日にシベリアに帰還し、9日にまた富山へ帰った。高校の同窓会、小学の成人式に出席した。同窓会では高校の先生も来て、なかなか収穫のあるものとなった。その後、友人を件のバーへ連れて行った。値段はしたが、やはり満足した様子だった。
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<link>https://ameblo.jp/lit-freaks/entry-12117139926.html</link>
<pubDate>Wed, 13 Jan 2016 22:53:13 +0900</pubDate>
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<title>間柄</title>
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<![CDATA[ 友人、家族、親戚、先輩後輩、先生、上司、彼氏彼女等、人間関係は少なくない。そして、この中にある彼氏彼女、アベックというものは、よく考えるとたいへんに奇妙なものである。<br><br>例えば、友人というものは、客観的でないにしろ、少なくとも間主観的な自然発生的な関係であるが、アベックというものは何かしらの契約関係によって保証される。言わば人為的人間関係なのだ。<br><br>人為的人間関係、というと、その典型は結婚なのだが、これは公的な手続きを経て夫婦関係が結ばれる。そこでアベックというと、公的に明文化する関係保証は無論、存在しない。<br><br>「自然⇔人為」とし、自然の端には「友人」が位置し、人為の端を「夫婦」とする。この場合、アベックはその間に位置することになろう。<br><br>以前書いたことに関連するが、それは「作る」関係と言える。人工物は風化によって崩れ、揺らぐものだ。<br><br>ここからは個人的な考えだが、やはり、アベックとは幻想としか思えない。<br><br>友人は特に契約関係もなく、間主観性のある保証によって暗黙のうちに認識されるが、アベックとは契約によってその関係を確認する必要がある。そして、アベックであるということは、その関係を風化から守り保つ必要がある。<br><br>小生が奇妙に思うのは、この維持の必要があるという点だ。維持というからには、この間柄におぼえる義務感から逃れられないだろう。そのような形式的な仲というのが、小生は嫌いだ。<br><br>友人が言ってたことだが、やはり、例え「アベック」に公的な保証があったとしても、「アベック未満」というような明文化されていない、揺らぎやすい間柄が生まれるのだろう。少なくとも、「アベック」が幻想ではなくなるが、新たに奇妙で不安定な間柄が生まれる。<br><br>信じられるのは百合だ。
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<link>https://ameblo.jp/lit-freaks/entry-12104581122.html</link>
<pubDate>Wed, 09 Dec 2015 23:48:32 +0900</pubDate>
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<title>強いる</title>
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<![CDATA[ 相手に要求の意図が見えるとき、その要求に従うのを厭う。上司とか、先輩、先生のような人を除いて。<br><br>色々あるが、例えば、CDに握手券をランダムにつけて売る手法は、金稼ぎという意図がよく透けて見えるとか、何というべきか、身もふたもないやり方だ。（それでも利害が一致すれば買ってしまう）（小生もサイン入りということでCDを2種類2組買ったことがある）<br><br>他にも、あからさまな例としては、親が子供に勉強するよう命令するということがある。当然、素直に従う者は少ないだろう。最近あったのは、初対面の者がたいそうフレンドリーにため口を以て話しかけてきたことである。別に、友達が増えることに期待するのはよいが、そこには、少し大げさな言い方だが「友達になれよ」といった意図を見出した。<br><br>個人的な解釈や感じ方ということはあるが、少なくとも自分の目に欲望や命令が透けて見えたとき、というものには拒否反応を示すものである。<br><br>ちなみに、友人というものだが、少なくとも友人とは作るものではないと思っている。自ずとできるものであろう。友人を作ろう、などと言う魂胆は倨傲も甚だしい。自分ならわかってやれる、自分のモノにできるという心が根底にあるに違いない。彼女・彼氏を作る、というのも同様だ。したがって、「友達/彼女/彼氏を作れよ」などと申し上げる輩は一切信用しない。
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<link>https://ameblo.jp/lit-freaks/entry-12103510266.html</link>
<pubDate>Sun, 06 Dec 2015 22:58:16 +0900</pubDate>
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<title>珍妙の背後の普遍</title>
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<![CDATA[ 以前にも同じようなことを書いたかも知れない。<br>＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿<br><br>気まぐれにて、小生が風情を感じるものを考えてみた。<br><br>・高速道路<br>・田舎の寂れたラブホ<br>・錆ついた配管巡る大きな工場<br>・自転車にて行く見知らぬ土地<br>・自然<br><br>と、これらがすぐに浮かんだ。どれも人に話をしたことがあるが、理解されたのはせいぜい工場以下の３つである。それも、滅多なことだった。なるほど、人は十人十色というわけだ。特に田舎の寂れたラブホに関しては、常に眉間に皴が寄せられたものである。<br><br>このラブホの風情というのは、何も壁に近寄ると嬌声が聞こえてきておもしろいとか、内部でコトが行われているという奥ゆかしさというわけではない。風情とは、往々にして言葉にするのが難いことだが、一応己のためにも、その難きをなすことにしてみる。<br><br>まず目に留まるのは、その妙竹林な建物の形である。あるものは高い塀のあるアパートめいていたり、城のようであったりするが、やはり田舎のものはあまりにも独特な形をしていることが多い。色使いもどこか下品で悪趣味だ。一目見てラブホだとアイデンティファイできる。<br><br>それと、もう一つ欠かせないのがそのボロさ、否、歴史というスパイスだ。小生が殊更に風情を感じていたラブホが、あるとき看板を新しくしたのだ。それ以来、風情は半減した。このことや、新しいラブホに風情を感じ難いことから、歳月とは無くてはならぬ風情の要因として間違いないのである。<br><br>風情を感じるラブホの特徴を考えてみたが、それでは何が良いのか、ということになる。恐らく、小生は自然による汚れや風化のような、可視の「過去性」に風情を見出す傾向が強く、そして、非日常性を強く感じるからだと推し量る。<br><br>人から珍妙だと言われるものだが、最初に挙げた５つの風情には共通点がある。それは、小生の日常からかけ離れた存在なのである。この非日常の情緒は、きっと、多くの人の風情に共通する最も重要な要因なのであろう。
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<link>https://ameblo.jp/lit-freaks/entry-12101721906.html</link>
<pubDate>Tue, 01 Dec 2015 22:51:00 +0900</pubDate>
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