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<title>読書余録</title>
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<description>本・城・ドラマなどについて書きます。</description>
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<title>ラヴクラフトの『アウトサイダー』</title>
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<![CDATA[ 今回は、南條竹則氏による編訳ラヴクラフトの「クトゥルー神話傑作選」の３冊目、『アウトサイダー』(新潮文庫、2022年8月、pp.312.)を読みました。<div><br></div><div>　本冊に収録されているのは、20世紀前半のアメリカ合衆国で、幻想小説・恐怖小説・科学小説・評論・詩などを「ウィアード・テイルズ」誌などの雑誌に発表していた作家ハワード・フィリップス・ラヴクラフト(1890～1937)の作品のうち以下の１５編です。</div><div><br></div><div>①アウトサイダー(1926)</div><div>②無名都市(1921)</div><div>③ヒュプノス(1923)</div><div>④セレファイス(1922)</div><div>⑤アザトホート(1938)</div><div>⑥ポラリス(1920)</div><div>⑦ウルタルの猫(1920)</div><div>⑧べつの神々(1933)</div><div>⑨恐ろしき老人(1921)&nbsp;</div><div>⑩霧の高見の奇妙な家(1931)</div><div>⑪銀の鍵(1929)</div><div>⑫名状しがたいもの(1925)</div><div>⑬家の中の絵(1921)</div><div>⑭忌まれた家(1928)</div><div>⑮魔女屋敷で見た夢(1933)</div><div><br></div><div>1920年から1938年にかけて発表されたこれらの作品を「クトウルー神話傑作選」という言葉で括ること妥当なのかどうかどうかについては疑問の余地が残りますし、「ランドルフ・カーターもの」とよばれる作品群のうち、1926年から1927年にかけて執筆されたものの没後の1948年になって発表された「未知なるカダスを夢に求めて」が収録されていないことには物足りなさが残るように思えます。しかし、「科学は最高に発達した時、魔術と区別になくなる」という言葉を地でいくようなラヴクラフトの作品群を明快な日本語による新訳で読むことができることを私たちは喜ぶべきだと思えます。ポー・ダンセイニ卿・ウェルズなどの影響を考えるのにも、この訳は役立つように思えます。</div><div>　なお、初出誌とそこでの挿絵などの書誌的なことについては、大瀧啓裕氏による訳が創元推理文庫に収められている作品はそちらが役に立ちます。</div><div><br></div><div>今回は、ここまで！</div><div><br></div><div><br></div><div><br></div>
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<link>https://ameblo.jp/lordurboros/entry-12769267444.html</link>
<pubDate>Thu, 13 Oct 2022 23:47:00 +0900</pubDate>
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<title>E・H・カーの『歴史とは何か　新版』</title>
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<![CDATA[ <div>　今回、読んだのは、ソヴィエト・ロシア史などの研究者であった歴史家のカーが1961年にイギリスのケンブリッジ大学でおこなった６回の連続講義に入念に手を入れて1961年に英語で出版した『歴史とは何か』の近藤和彦氏による新訳『歴史とは何か　新版』(岩波書店、2022年５月、371＋17pp.)です。<br></div><div>　このカーの『歴史とは何か』は、連続講義が行われた当時から、「歴史とは何か」ということを考える上で避けて通ることができない名著とみなされていました。そして、社会学者である清水幾太郎氏による日本語版も1962年に早くも岩波新書の一冊として刊行されています。この清水氏による訳は、60年に渡って版を重ね続けている岩波新書の中でも息の長いロングセラーとなっています。また、この清水氏の訳は、『歴史とは何か』を歴史哲学について語った書物と捉える観点からの翻訳としては優れたものであると評価され続けています。その一方で、イギリス史の細部から採られた事例などについての理解が不十分であることから不適切な訳になっているなどの問題点があることも早くから指摘されていました。また、1982年に90歳で亡くなるまで、カーは新版の刊行に向けて『歴史とは何か』に手をいれ続けていたのですが、第二版が生前に出版されることはありませんでした。その第二版のために書かれた序文や文書を加え新版が1986年に出版されたのですが、清水氏が1988年に亡くなったためか、岩波書店が訳を差し替えることはないまま岩波新書版は版を重ね続けています。</div><div>　しかし、ロングセラーになっているものの、読んだはずの人は多いものの、読み通すことができた人、全体が理解できたつもりになれた人は多くはないことでも有名になっているよしです。そこで、近藤和彦氏が日本語で読んで、きちんと理解できる歴史の本として訳し直したものが本書です。</div><div>　本書には、1961年の序文・第二版のための序文、本文、1986年版に納められた文書、カーが1980年に語った自伝の翻訳に、近藤氏による補注、訳者解説、カーの略年譜、索引が収録されています。近藤氏は1961年のケンブリッジ大学でのカーの講義のアトモスフィアをさまざまな工夫を行うことで再現することを試みられています。注の配置や(笑)の挿入はその一例ということになります。</div><div>　第１・２章と第３・４章の間でカーが仕掛けた記述の落差を日本語でも越えることができるようにしたことは、この新訳の大きな功績であると思います。また、カーにとってのアクトン卿、ギボン、ブルクハルト、マイネッケといった歴史家たちの持った意味について考える手がかりであるように思えます。</div><div>　内容について深入りすることは避けますが、お薦めです！</div>
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<link>https://ameblo.jp/lordurboros/entry-12747778325.html</link>
<pubDate>Sat, 24 Sep 2022 13:48:00 +0900</pubDate>
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<title>長谷川如是隙の『倫敦！倫敦？』(1912年)</title>
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<![CDATA[ 20世紀を代表する日本のジャーナリストの一人、長谷川如是閑(1875～1969年)の1910年のロンドン滞在記の1996の岩波文庫版を読みました。<div>　100年前の好奇心いっぱいのジャーナリストによるこの見聞録は、如是閑の目を通して、ロンドンとイギリスの姿を描いたもので、文明批評の傑作の一つとされています。「自由なるべきはずの下院が、かえって上院よりも万事不自由なのは訳のわからない事で。」と評していたり、「セントポールの大伽藍をロンドンのシンボールとすると、ウエストミンスター寺はイギリスそのもののシンボールかもしれない」と表現していたりするだけでなく、如是閑の下宿の細君の人となりが如是閑の筆で活き活きと描かれているのは、読んでいて、楽しい！</div><div>　そして、如是閑がロンドン滞在中の1910年５月７日の朝、イギリス国王エドワード７世の崩御と新王ジョージ５世の御即位が報道されてから、５月２０日の大葬までのロンドンとそこに生きる人たちの姿が活写されているのも、読んでいると感慨深い。1901年にヴィクトリア女王陛下が崩御されたことにより御即位になられた時、エドワード陛下は既に６０歳になられていて、わずか１０年のご在位で崩御されてしまい、ジョージ５世のご在位も長くはなく、ご大葬のためにロンドンに集まられた方々も、この後の世界史の激動の中で、少なからずが非命に倒れていることを思うと、歴史というものの残酷さを突きつけられたような気がします。丁度、エリザベス二世陛下のご大葬が、天皇・皇后両陛下やアメリカのバイデン大統領も参列された上で、執り行われたところですので、如是閑の記述は心に刺さるように思えます。</div><div>　なお、この岩波文庫版には、原著から多数の図版が鮮明な形で天才されていて、嬉しく思えるのですが、現在のロンドンの地図も添えられていた方が良いように思えるのは蛇足だろうか･･･如是閑の下宿の側にあった貴族の館の見本、ホーランド邸が一部を残して第二次世界大戦の折のドイツ軍によるロンドン空爆で失われたりもしているので。</div><div>　エリザベス二世陛下のご大葬関連で、君主や文明について考えようとするならお役立ちの一冊のように思えます！</div><div><br></div>
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<pubDate>Thu, 22 Sep 2022 19:17:44 +0900</pubDate>
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<title>英国女王エリザベス２世陛下の崩御&amp;チャールズ３世陛下の御即位</title>
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<![CDATA[ 大英帝国女王であったエリザベス２世陛下が長い治世を終えられ、その第１子チャールズ３世が御即位になられましたので、女王陛下を悼みつつ一言。<div>　エリザベス２世陛下は、1926年にジョージ８世陛下の第１子としてお生まれになり、1952年にジョージ８世陛下の崩御に伴い御即位になられ、96歳で長い治世を終えられました。イギリスは、多くの君主制の国と異なり、女性の王位継承権を認めている国です。性別に関わりなく現在の国王の第1子が継承権を持つ国です。ですので、チャールズ３世は、73歳で新しい国王として御即位になられたことになります。なお、歴史的には廃王チャールズ２世の孫の「ヤング・プリテンダー」も「チャールズ３世」を名乗っているのですが、今日、御即位になられた国王の方が優先されることになります。</div><div>　エリザベス２世陛下の治世は、世界史の中でイギリスの地位の大きな変動を経験した歳月なのですが、確認できるイギリスの王の中で最も長い治世となった女王陛下の治世と現代における君主制というものが果たす役割について考えてみるよい機会のように思えます。</div><div>　日付の変わる前に、簡単に書いておきます。</div><div><br></div><div>　なお、イギリスがエリザベス２世女王陛下のご葬儀にどれほどの経費をかけるのかが、安倍元首相の国葬との比較の対象になってしまうのは･･･と思えますね。</div>
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<pubDate>Fri, 09 Sep 2022 23:04:27 +0900</pubDate>
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<title>静岡古城研究会の『静岡県の城跡　中世縄張り図集成(西部・遠江国版)』(静岡古城研究会、2022)</title>
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<![CDATA[ 静岡古城研究会編纂『静岡県の城跡　中世縄張り図集成(西部・遠江国版)』(静岡古城研究会、2022年、383pp.)を入手しました。静岡古城研究会による静岡県の地域にある城跡についての現地調査の記録をまとめたもので、2012日に刊行された『静岡県の城跡　中世縄張り図集成(東部・駿河国版)』の続編で、静岡県の西部に存在する城跡が対象とされています。<div><br><div>　静岡古城研究会は、1972年の設立以来、50年の歴史を積み重ねている城についての愛好者・研究者による団体で、城跡の現地調査会を定期的に開いたり、機関誌『古城』も継続的に刊行している団体です。その静岡古城研究会による静岡県の地域にある城跡の悉皆調査の記録を静岡県を構成しているかつての駿河国・遠江国・伊豆国の三国それぞれごとにまとめ出版するという構想の２冊目がこの本です。</div><div>　静岡県にあった城跡についての調査・研究は、戦前に沼館愛三氏によって始められたと言っていいと思えます。日本陸軍の兵站・輜重部門の専門家を陸軍少佐で予備役に退き、旧制静岡中学の教員となったあと、沼館愛三氏は静岡県の城跡についての現地調査をおこない数々の論文としてその成果を発表されているのですが、静岡県の城跡についての単著としてまとめられることはありませんでした。敗戦後、故郷に帰られ、東北地方の城跡についての現地調査と研究をおこなわれた沼館愛三氏は、東北地方の城跡についての本を５冊残されておりますので、静岡県の城跡についての本を残されていないのは、残念です。</div><div>　現在の静岡県の城跡についての知見の基礎となっているのは、静岡県教育委員会による城跡についての悉皆調査の成果をまとめた『静岡県の中世城館』(1981年)です。実は、沼館氏が中世の城跡と認識されていた場所が中世の城跡ではない事例は、この『静岡県の中世城館』でも指摘されています。近代日本陸軍の専門家の視点での沼館氏の研究が必ずしも適切なものとは言えなかったことは、城跡とは何か？ということについての問いを新たに発することになりました。そして、『静岡県の中世城館』での中世城館についての認識も問い直しアップデートすることが必要であると捉えられる時期を迎えています。自治体史の編纂・出版や開発に伴う発掘調査が増大していることも、新たな悉皆調査とその成果の出版公開を必要性を示すものとなっています。その一方で、発掘調査の報告書の出版が主に財政上の理由から先送りにされていたり、発掘調査の後、保存されることになった遺跡がただの空き地として放置されていることも増えているように思えます。</div><div><br></div><div>　さて、『静岡県の城跡　中世縄張り図集成』の西部版には、静岡古城研究よる調査の結果、静岡県西部地域で城跡とみなすことができる409城が取り上げられています。同じ地域で『静岡県の城跡』で取り上げられていたのが307城ですから、100城以上増えていることになります。静岡県西部地域の険しい山々の中での現地調査をおこない、現状の確認や縄張り図の作成を行われた方々の努力対しては頭が下がるばかりです。「中世縄張り図集成」とはなっていますが、相良城・横須賀城・掛川城・浜松城・新居関所などの近世の遺跡や大鐘氏屋敷・黒田代官屋敷・中村氏屋敷といった近世の屋敷についても取り上げられています。とはいえ、南北朝の争乱から、今川・武田・徳川の戦いまでに生まれた城跡が取り上げられているものの大部分を占めています。一方で、このことは、「高田の大屋敷」こと「内田氏屋敷」や「浅羽館」についての個別の記述と矛盾する「現地調査からは、平安・鎌倉期に相当する城館跡は皆無」(p.4)という冒頭の記述を導いてしまっているように思えます。駿河国や伊豆国に平安から鎌倉に遡ることができる城館跡が多数残されている一方で遠江国には「皆無」というのは、奇妙と思う方が自然と思いますが･･･</div></div><div>　ところで、この本を読んで改めて気がついたのは、山間部の集落の荒廃が近年、急速に進み、戦後の開発の跡すら無惨なものとなっていることの恐ろしさです。城館の跡どころか人々が生活していた痕跡すら急激に失われようとしていることです。城館跡について考えることは、日本の国土のこれからについて考えることでもあると思います。</div><div><br></div><div>　楽しいだけでなく、いろいろ考えさせられるこの一冊。この後の伊豆国版が楽しみです！</div>
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<pubDate>Thu, 18 Aug 2022 20:19:00 +0900</pubDate>
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<title>シュミッツの『人新世の科学、ニュー・エコロジーが開く地平』</title>
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<![CDATA[ いつのまにやら、４月も10日を過ぎてしまっていますが、久しぶりで「人新世」に関連した本のレビューです。<br>　今回読んだのは、オズワルド・シュミッツ著、日浦勉訳『人新世の科学、ニュー・エコロジーが開く地平』(岩波新書、2022年3月出版、xiv　+211pp.+18pp.)です。原著は、Oswald J. Schmitz, The New Ecology ; Rethinking a Science for the Anthropocene, Princeton, Princeton UP, 2017.です。原題をより的確な日本語に直すと『ニュー・エコロジー、人新世のために科学を再考する』となるように思えます。ですので、原著日本語版でテーマが入れ替わってしまっているような印象が受けます。著者は、イエール大学環境学部教授で、群集生物学者、訳者の日浦氏は東京大学大学院農学生命学科教授で、シュミッツと同じく群集生物学者です。そして、日本語版のタイトルからは著者が人新世における科学のあり方について説明しようとしているような印象を受けるのですが、原著は「ニュー・エコロジー」が「人新世」を迎えた現代において科学として果たしうる役割についてポジティブな視点から語ることを、群集生物学者としての知見をもとに試みているように思えます。また、訳者の日浦氏も著者と同じ領域を専門とする立場からの共感に基づいた翻訳をなされているように思えます。<div><br></div><div>　さて、この本は、「ニュー・エコロジー(新しい生態学)」を通じて「持続可能な未来を考えるためには、私たちが自然という壮大な経済を支えている有限サイズの惑星に住んでいるということを根本的に理解する必要があり」、「地球の持続可能性を実現するためには、人間(社会)と自然(生態)が、それぞれの部分が他の部分に完全に依存している「社会―生態システム」として絡み合っていることを再認識する必要があり」、「生態系の資産管理(スチュワードシップ)という新たな倫理観が必要になっていること」を示すことを目指し、「持続可能な未来への道を切り開くための生態系スチュワードシップの指針となる、刺激的な科学的発見と理解を描いています」(ii-iii)。また、「私たち一人一人が日常の生活の中で自然界とどのように関わっているのかをより深く考え、自分の価値観や選択が持つ大局的な意味を考えるためのインスピレーションや理解を提供したい」(iv-v)とも著者は述べています。</div><div>　さらに、著者は、「ニュー・エコロジーとは、人間による地球支配の拡大に直面する、それゆえに人新世と呼ばれる新しい時代において、人間と自然の分裂を克服し、生態系の機能を維持することを問題に取り組むことを目的とする学問ある。生態科学は、人類のニーズや要求を支えている自然の生態系の機能ある脅かすことなく、急成長する人口のニーズや欲求を満たすために拡大している人類の事業を導く、指導的な役割を担う。･･･社会―生態システムと呼ばれる機能的なシステムを形成するように、いかに人間と自然とを結びつけるかを考え直し、人間の研究(経済学、人類学、政治・社会科学、宗教・倫理学)と自然の研究を統合するための創造的な方法を見出して社会―生態システムを持続可能なものにすることを意味する」(ix-x)とも説いています。その一方で、「確かなアイデイアの土台を築くためには歴史的な背景の解説が必要であるとはいえ」歴史に立ち入ることは避け、「人類が環境のより良い管財人になるための科学的な手段とやり方を提案する」(xi)とも主張しています。</div><div>　以上は「日本語版への序文」と「まえがき」から、本書の目的と｢ニュー・エコロジー」の位置付けについて説明していると思える部分を抜き出してみたものです。これらの部分から、著者が｢自然と人間」を対立的に捉えている一方で「ニュー・エコロジー」という科学がその対立を克服し、人類が「生態系の資産管理(スチュワードシップ)の管財人になることができ、それによって人類のとっての明るい未来を切り開くことが可能になると捉えていることは、窺われるものと思います。「ニュー・エコロジー」という視点から｢人新世」における科学のあり方を論じたものとしては妥当性を持つように思えます。気候変動や地球温暖化の問題とばかり関連付けられがちな｢人新世」について、異なる視点から捉え方を示しているという点ではこの本は興味深いように思えます。</div><div>　本書の本文そのものについてのネタバレは、新刊本ですので控えることにします。しかし、日本語のタイトルとされている｢人新世の科学」をめぐる観点からは、いくつかの疑問を感じずにはいられません。それらについて、簡単に述べておくことにします。</div><div><br></div><div>　まず、著者は、｢人新世」が20世紀半ばから人類の諸活動による地球環境の破壊の規模が急激に拡大し加速していることにより、地球と人類がともに存亡の危機に瀕しているという緊迫感から提唱されているものであり、地球の歴史の上での時代区分の言葉で表現されていることの意味を真剣には受け止めずに、楽観的な希望を述べているように思えます。</div><div>　次に、著者は人類の手が触れていない原生地域が地球上にはまだまだ存在しているものとしています。しかし、人類が農耕牧畜を始めた今から一万数千年前以来、人類の諸活動による土壌・植生・動物相の変容は続いており、人類・家畜・作物の呼吸による大気の成分組成の変化も続いているため、地球上に生きるすべての生物は、人類の諸活動の影響を受けて変容しているのであり、｢人類の手が触れていない原生地域」が残っていると捉えるのは、幻想に過ぎないとさえ言われています。</div><div>　また、著者は人類と自然を対立的に捉える一方で、自然を飼い慣らすことができると主張しています。自然を飼い慣らすことができるという主張が人類の驕りを象徴するものであることは、気候変動・地球温暖化・異常気象・そして数々の地震や津波を通じて、私たちは日々痛感させられているように思えます。人類と自然を対立的な捉えること自体が神から自然を支配する権限を委ねられたとするキリスト教の価値観に基づく偏見であるようにも思えます。自然を人類が一方的に支配し搾取する対象と捉えてきたのはヨーロッパやアメリカでの価値観での評価でしかないように思えます。自然と人間の二分法に基づくことなく、双方向での関係性として捉えることが否定されたのは、ヨーロッパ・アメリカの軍事力・生産力・経済力が地球を破壊することを正しいとする価値観の産物であるように思えます。</div><div>　そして、本書が、資本主義の発達とそれを科学が支えてきたことにより、地球の環境と人類の社会が破壊されてきたことにふれず、歴史を基礎がためのための背景を解説するものと位置付けていることにも違和感を感じます。チャクラバルテイが2009年の論文「４つのテーゼ」で｢人新世」の学問における人間の研究と自然の研究を統合することの必要性とそこでの歴史学が果たす役割の重要性を思い起こすと、不思議で思えます。そして、本書の記述が経済学の用語や概念に擦りより過ぎていることは、｢自然の研究」と「人間の研究」を統合することとは異質であるように、思えるのです。</div><div><br></div><div>　長くなってしまいましたが、以上のことから、本書は「人新世」における「ニュー・エコロジー」のあり方を考える上では示唆深い指摘がなされている一方で、｢人新世」そのものについての理解を深めるのにはあまり役立たないように思えるのが残念です。｢人新世」について、もっとも示唆深い入門書は、very short Intoroductionの一冊として出版されているErle EllisのAnthropocene(Oxford UP, 2018.)であるように思えます。「歴史的な視点」を取り入れることが｢人新世」について考える上では不可欠なされ言葉がよくわかります。また、｢人類の手がまだ触れていない原生地域」の存在が幻想でしかないと考えられるようになった理由も明らかにされております。日本語に訳されていないのが、残念です。</div><div><br></div><div>さて、次回は、あまり日を空けずに、｢人新世」を取り上げた３月に出た日本語のもう１冊の本を扱う予定です。</div><div><br></div><div>では、また！</div>
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<pubDate>Mon, 11 Apr 2022 20:27:00 +0900</pubDate>
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<title>ウォルター・ディーン・マイヤーズ著『サラの旅路』</title>
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<![CDATA[ ずいぶんご無沙汰してしまっていて、申し訳ありません。家の中で片付けものをしていて転んで、腰や膝を打ってしまって、家の中での移動にも悪戦苦闘をするようになったり、風邪をひいたりで、あたふたしているうちに、はや２月も終盤になってました。ようやく、今年、最初の記事です。<div>　今回、読んだのは、ウォルター・ディーン・マイヤーズ著、宮坂宏美訳『サラの旅路、ヴィクトリア時代を生きたアフリカの王女』(小峰書店、2000年、159pp.)です。原著はWalter Dean Myers, At Her Majestey's Request, 1999.で、原著の出版の翌年には、早くも日本語版が出版されたことになります。なお、原著も訳書も児童書扱いになっていて、私の手元にあるものも某中学図書館の蔵書が除籍されたものです。</div><div><br></div><div>　さて、この本で扱われている「サラ」とは、現在のナイジェリアにあったクニの「王」の娘として19世紀前半に生まれ、隣国ダホメ王国の軍隊の攻撃で、クニを滅ぼされ、両親をはじめとする親類縁者を皆殺しにされ、ダホメ王国のゲゾ王によって儀式で生贄として殺すための要員として２年ほど抑留された後、1850年に奴隷貿易の廃絶をゲゾ王に求めてダホメ王国を訪問したイギリス海軍のフォーブス艦長と、ゲゾ王の間の交渉の結果、「黒人の王から白人の女王への貢ぎ物」として、救出され、フォーブス艦長によってイギリスのロンドンに伴われ、ヴィクトリア女王に拝謁した後、ヴィクトリア女王の義理の娘として扱われることになった女性のことです。この女性が生まれたクニや家族のことは、全くわかっておらず、「王女」や「姫」と呼ぶことが適切であるのかどうかも明確ではなく、本来の名前もわかってはいません。「サラ」というのは、解放された後にフォーブス艦長によってフォーブス艦長の指揮するイギリス軍艦HMSボネッタ号に因んで付けられた「サラ・フォーブス・ボネッタ」という名前の最初の部分です。ただし、フォーブスをはじめとするボネッタ号の乗組員たちもヴィクトリア女王も「サリー」と愛称で呼ぶことを好んだそうです。女王のお気に入りとなったこの女性が、女王をはじめとする人たちの「善意」によって生き方を決められ辿ることになった数奇に運命を1880年まで追跡したものが、この本です。</div><div><br></div><div>　この本は、著者がロンドンの古書店から送られてきた目録からサラの50通ほどの手紙などの文書と出会ったことから、生まれたものです。そして、サラの「救出」に関する物語がフォーブス艦長の著書の中に記されていること、ヴィクトリア女王の日記にも「サラ」はしばしば登場すること、しかし、「サラ」の人生をめぐる「物語」はまだ誰にも書かれていないことに、著者は気づき、「サラ」の人生をめぐる「物語」を書くことを決意します。研究者を雇って史料調査を重ねた上で、「サラ」の手紙を核として紡ぎ出された一人の女性の人生についての物語、それが本書であるということになります。</div><div><br></div><div>　苛酷な運命に見まわれた後、遠い異国にたどり着いた「アフリカの王女」にヴィクトリア女王が注いだ愛情、女王からサラの養育を託された人たちとサラの間に生まれた心の交流などについてが、暖かく描かれる一方で、サラの思いにはお構いなく、サラの健康にはロンドンよりもアフリカの方が適しているはずだからとアフリカのシエラレオネのフリータウンにある女学校に1851年に強制的に入れられてしまったり、1855年に再びイギリスに戻った後も住む所や一緒に住む人たちを女王の計らいで決められてしまったり、結婚相手もアフリカ生まれでナイジェリアのラゴスで財を成した実業家で最初の妻と死別しているジェームズ・ピンソン・ラブロ・デイヴィスと周囲のお膳立てに抗いきれずに1862年に結婚することになってしまったりと、思い通りにはならない生き方を強いられたことも、クリティカルに描かれています。結婚後のことについては、ヴィクトリア女王と関わる部分を除けば、物語は薄くなります。女王と関わることを除けば、サラとその家族が何を考え、どのように生きていたのかを伝えるものは少ないということなのでしょうが。ただ、ヴィクトリア女王とサラがお互いのことを気遣い続けていたことは、サラが結婚を決めたきっかけの一つが夫君アルバート公の逝去後悲しみに暮れるヴィクトリア女王の心を励ますためであったことや、ヴィクトリア女王がサラの長女の名付親となったことから、確かなようです。</div><div>　この本は、奴隷制や奴隷貿易の問題や当時のロンドンの都市問題などに触れているものの、イギリスの植民地拡大や人種差別の問題とサラの「物語」を関連付けようとしていないので、現代の視点からすると、物足りない部分があるようにも思えます。</div><div>　しかし、「サラ」をめぐる「物語」を忘却から救い出し再構成を試みることを可能にした始まりの本であり、児童書扱いである本書に多くを期待し過ぎるのは適切ではないと思います。後に続く人たちのためにさまざまな問題提起をおこなっている好著と考えることの方が適切であると思えます。</div><div>　例えば、井野瀬久美惠さんの『大英帝国という経験』(講談社学術文庫、2017年)、David Olusoga, Black and British,(2016)、Tina Andrews, Princess Sarah; Queen Victoria's African Goddaughter, a novel, (2019)などが出版されていますが、この秋にも英文の新著が出版されるそうです。ちなみに、Tina Andrewsの本はフィクションであることを殊更、強調している点でも興味深く思えます。</div><div>　なお、「サラ」のもともとの名前は「アイナ」であったと、最近では考えられているようです。</div><div><br></div><div>では、今回は、ここまでとしておきます！</div>
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<pubDate>Mon, 21 Feb 2022 22:47:00 +0900</pubDate>
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<title>鈴木由美氏の『中先代の乱』</title>
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<![CDATA[ 鈴木由美氏の『中先代の乱、北条時行、鎌倉幕府再興の夢』(中公新書、2021年、225pp.)を読みました。<div>北条時行は、北条高時の息子で1333年の鎌倉での惨劇を生き延び、信濃の諏訪頼重に匿われた後、1335年に頼重らと共に鎌倉幕府再興を掛けて再起し、鎌倉を落としたものの、足利尊氏・直義兄弟の反撃により僅か20日で没落した、中先代の乱の中心人物です。中先代の乱も生き延び、後醍醐天皇と足利兄弟が決裂し、後醍醐天皇が吉野に移った後、後醍醐天皇の赦しを得て、1337年の北畠顕家の陸奥を出発した長征軍と合流して、足利兄弟の軍と戦うものの、1338年の北畠顕家の戦没以前に顕家と袂を分かっています。その後、1340年に信濃で挙兵したものの勝てず、1352年に、新田義興・宗良親王と連動して蜂起し、足利尊氏がいた鎌倉を攻略したものの敗れて逃れ、時行は1353年5月20日に、鎌倉で処刑されたとされています。</div><div>　『太平記』・『梅松論』などの物語だけでなく、様々に史料に登場するので、実在していたことは確かであるものの、よくわからない、人となりを伝えるものは何もない人物です。後醍醐天皇・光厳法皇・足利尊氏・直義・新田義貞・護良親王・懐良親王・北畠親房・高師直らに加えて足利直冬・上杉憲顕・楠正儀らについても新しい評伝が著されるようになった昨今、評伝が書かれることが期待されて待たれている魅力的な人物の一人が北条時行であると思えます。一方、松井優征氏は近年の歴史研究を踏まえた上で『逃げ上手の若君』を描いています。この魅力的で面白い伝奇(ロマン)は、史実を踏まえた上で、それとは別の道を決然として歩もうとしているように思えます。そして、それはかつてNHK大河ドラマ『太平記』で形成され私たちが刷り込まれてしまった後醍醐天皇や足利兄弟のヴィジュアルなイメージを覆そうとする挑戦であるようにも思えます。なお、『逃げ上手の若君』のヒットを受けて、NHKの『英雄たちの選択』でも北条時行が取り上げられたことがあります。</div><div>　さて、本書の著者、鈴木氏は、中学２年生の時以来、北条時行に魅了され続け、北条時行を研究するために中世史研究を志し、研究者となり、宿願がかなって、本書を著されたとのことです。ただし、『北条時行』ではなく、『中先代の乱』を表題に掲げ、主題に選んだことは、本書を明解にする一方で、本書に制約を課しているようにも思えます。</div><div>　本書は、鎌倉幕府とそこで北条氏が示していた地位と役割を明らかにすることから説き起こし、鎌倉幕府と北条氏の支配がどのように衰退し、鎌倉幕府の滅亡から建武政権の成立と崩壊に至るのかを、構造的に明らかにした上で、「中先代の乱」の説明を行っています。建武政権に不満を抱いた人々が北条氏で生き延びた人々を担いだ理由、「中先代の乱」の経過と乱に加わった人々や北条時行側の敗因についての丹念な分析がなされています。乱の後、北条時行らが南朝に帰順した経緯を明らかにした上で、20年に及ぶ時行の戦いの終焉についても言及されています。そして、「中先代の乱」の意義・影響について論じることで、本書は閉じられています。</div><div>　さて、本書を通じて「中先代の乱」にまつわる事実関係やそこで北条時行が果たした役割については、極めて丹念に論じられているように思えます。「中先代の乱」については、きっちり解明されているように思えます。しかし、北条時行という人については、あまりよくわからないままだという印象を受けることは否めないように思えます。時行をめぐる伝承に対しても、きわめて禁欲的な扱いがなされているように思えます。</div><div>　</div><div>　長野県の伊那谷に北条時行が中先代の乱の後、隠れ住んでいた屋敷と伝わる場所があることが紹介され、北条時行の墓と伝えられていたものの写真も載せられているのですが、載せられているだけで、それぞれの場所についての具体的な説明はなされておりません。実は、伊那谷の現在の長野県大鹿村には、後醍醐天皇の皇子で歌人としても知られる宗良親王が拠点としていた大河原地区と共に北条時行の子孫であるとの伝承を持つホウジョウを名乗る人々が暮らしていたとされる四徳地区もあります。北条時行の墓と伝わるものや四徳地区のその人たちが小渕ダムの建設なり、土砂崩落災害によって消えてしまったのか、現存しているのかについて、全くふれられていないのは不思議に思えます。北条時行は20年に及ぶ足利兄弟憎しの激闘の末に、1353年5月20日に妻子を残すことなく最期を迎えたという唯一の「史実」にしがみつき、北条時行が1353年5月20日に死ぬことはなく、その子孫が存在するという伝承の妥当性について検証することすら拒絶しているのは奇妙に思えてならないのです。本書が『北条時行』ではなく『中先代の乱』であることから北条時行についての伝承を突き詰めていくことには慎重になったということなのかもしれませんが･･･</div><div><br></div><div>　ところで、関東を支配するものが鎌倉北条氏の呪縛から逃れられなかったことは、伊豆国の守護所も堀越公方の御所も、伊勢宗瑞一門の伊豆での拠点も三島ではなく伊豆国北条の周辺に置かれ続けていたことにも示されていると思えます。さらに、江戸幕府も伊豆国での支配の拠点を三島ではなく韮山の江川邸にしたことも鎌倉北条氏の呪縛の一端であるように思えてなりません。また、北条時行の子孫でありつつ、足利幕府の高官伊勢氏の一門であるという矛盾した伝承を合理化することに江戸時代を通じて狭山藩北条家が苦慮し続けたこと、横井小楠が北条時行の子孫であることを信じ続けていたことも興味深く思えます。</div><div><br></div><div>　宗良親王・足利直冬・楠正儀と共に北条時行も逃げ上手であることに徹し、14世紀後半も生き延びることを果たせていてほしいと思ってしまうのは、『逃げ上手の若君』に影響されすぎでしょうか･･･</div><div><br></div><div>　では、また！</div>
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<link>https://ameblo.jp/lordurboros/entry-12714541365.html</link>
<pubDate>Wed, 08 Dec 2021 21:17:00 +0900</pubDate>
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<title>マルサスの『人口論』</title>
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<![CDATA[ 「人新世」について、とりわけ経済成長と地球環境をめぐる問題を考えようとする時、忘れてはいけない古典の一つが、ロバート・マルサス(1766～1834年)の『人口論』です。<div>　この『人口論』の初版をマルサスは、1798年に匿名で出版したのですが、評判になったのことから、1803年の第2版から著者名を明らかにし、増補を重ねながら生前に第6版まで出版しています。さまざまな日本語訳が出されているのですが、おおむね初版の翻訳で、ここでも『世界の名著』第34巻『バーク・マルサス』(中央公論社、1969年)の405～556pp.に収録されている永井義雄氏による初版の日本語訳で見てゆくことにします。</div><div>　さて、マルサスの『人口論』は、人口は、制限されなければ、等比数列的に増大するが、生活資料は等差数列的にしか増大しない、人口の力は、人間のための生活資料を生産する地球の力よりも、限りなく大きいという法則を発見し、公にした本として知られています。そして、人間が生存する上で食糧が必要であること、人間の男女の間に情念が存在する限り、人間は増え続けるのをやめないことの２つが前提として存在する以上、人口増加のペースが食糧増産のペースを上回り、人類は滅亡の危機を迎えることになるはずなのだが、そうはならず、人口増加と食糧増産の間でのバランスが取れているのは何故かということをマルサスは明らかにしようとしています。</div><div>　人間の社会が、狩猟社会→牧畜社会→農耕社会(文明社会)と進歩を重ねていくことにより、技術革新が起こり、食糧増産は実現されています。食糧の増産が実現されている一方、人口増加は等比数列的なペースにはならずに抑制されている。これをマルサスは、戦争・伝染病・飢饉や大規模災害の発生が人口増加を抑制する要因として働いているためと捉えています。そして、コンドルセやゴドウィンが、人間の精神や社会が進歩し完成に近づいていくに伴い、これらの要因が取り除かれていくと主張していることに対して、マルサスは反対します。コンドルセらは、現在の秩序を破壊する夢を見る一方で、それがもたらす破滅も幻視しているに過ぎないということに、マルサスの視点ではなります。現在の秩序を維持した上で、資本主義を発展させていくことは、食糧増産や富の増大をもたらす一方で、人口抑制要因も維持することになるので、破滅は訪れないとマルサスは考えているようです。そして、マルサスは、勤労意欲をそぎ、社会に破壊的な影響を及ぼすだけなので、救貧法を初めとする貧困対策なり社会政策なりを有害無益のものと捉えていたようです。</div><div>　貧困や悪徳を、神から人間に与えられた試練と捉えて、『聖書』に基づく善を薦めることで、この本は閉じられているのですが、人口増加を人為的に抑制するという観点からは、ありなのかもしれません。</div><div>　なお、マルサスの時点では、農耕に使用する土地を拡大し、食糧増産のためのさまざまな技術を投入することが、環境を破壊し、食糧生産が困難な星に地球を変えていくことを想定することは、できなかったようです。20世紀後半の急激な人口増加は、マルサスの人口増加は等比数列的に起こるが食糧増産は等差数列的にしか起こらないという法則を思い出させたものの、技術革新がマルサスの危惧を克服したとの認識をもたらしたのですが、その前提は、今、崩れさろうとしています。</div><div>　パンデミックも気候変動も、地球と人類が直面している危機の入口でしかありません。対応していく方法を考える上で、人類の叡智を結集していくことは必要であると思えます。マルサスの『人口論』も、そのために読み返す必要のある一冊という気がします。</div><div>　増えすぎた人口を宇宙に逃し･･･というガンダム的な設定は、もはや成立不能と思えますし･･･</div><div><br></div><div>　今回は、ここまで！</div>
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<link>https://ameblo.jp/lordurboros/entry-12706224950.html</link>
<pubDate>Tue, 26 Oct 2021 10:51:00 +0900</pubDate>
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<title>明るい方へ･･･　『おかえり、モネ』ノート</title>
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<![CDATA[ 今回も朝ドラ『おかえりモネ』のネタバレありの感想です。<div>今回は、第23週「大人たちの決着』(111～115話)、ラストの前の週の感想になります。</div><div>今週は、亮がモネと未知に幸せになるためには決着をつけなければならないことがあると告げる一方、モネの父耕治はモネの祖父龍己に銀行を辞めて漁業を継ぎたいと願って一喝されるところから始まり、2020年1月12日(日)の永浦家で、亮の父新次が母美波の死亡届に判子をついた顛末と、永浦家の家族会議で耕治が漁師になることが認められったいきさつを描き、1月13日(月)、１日のモネのお仕事を亮や菅波先生とのやり取りを交えて描き、それぞれがそれまで縛ってきたものを解き、明るい方へと歩き出すことを決めるまでを描いた一週間でした。新次さんを演じた浅野忠信さん以下、皆さん上手いな～と改めて痛感させられた１週間だったと思います。</div><div>さて、美波さんの死亡届に判子をつくということに、永浦家の人々が関わる必然性は必ずしもありません。本来ならば新次さんと亮の二人だけで解決することであり永浦家の人々はいかに親しいとはいえ関わるべきことではないように思えます。でも、長い間決められずに悩んできたことに決着をつけるにあたり、誰かに想いを語りたいと思っていいし、口にしていいし、これまで寄り添い見守ってきてくれた人たちに対しては、言葉にしてきちんと伝えなければいけないというのは、このドラマの一貫したテーマであったと思います。もやっとしたヒロインらしからぬ主人公としてモネが設定されているのは、登場した人たちが想いを口にするためのきっかけとなる存在、触媒となることがモネに託されているからだと思います。もっとも登場人物が多すぎるので、モネがすっかり埋没してしまった感もありますが･･･</div><div>　さて、新次さんが永浦家で美波さんの死亡届に判子をつくことにしたのは、それによって見舞金や保険金といったお金が動くことになり、その使い道に銀行員である耕治さんに関わってもらう必要があるから、亮君が船を買う資金の足しにしたいからであり、その算段に耕治さんの手腕を必要とするからです。モネと未知で亮君をその場に立ち会わせることにし、結果的に永浦家一同でいることになったのは、きちんと新次さんの言葉を直接聞かなければ、永浦家の人たちも明日へと歩みだせないからです。永浦水産や未知のこれからにもリンクしているからです。新次さんが亮君の船が遭難の危機に瀕した時に、美波さんに祈ったことで踏ん切りをつけることができた一方で、もう船には乗らない、亮君と船に乗ることはしないと決めたのは、残念ではありますが･･･</div><div>　ところで、着々と伏線回収を進めつつある、このドラマ、115回が2020年1月13日(月)で、この日が成人の日の祝日で気仙沼市でも成人式が行われたことがモネの放送の場面で明確にされたことは、実は不安を誘います。2020年3月11日の東日本大震災追悼式の中止を気仙沼市が広報で告知するのは3月2日のことです。明るい方へと開けたはずの未来が靄の中に閉ざされてしまうまでの残された時間は、わずかにひと月余り。残り５回でどこまで描き、希望の物語であることができるのか、楽しみです。なお、予告を見る限り、未知は大学に合格し、その祝賀会を開くことができ、亮君は船を買えて、みんなに祝福されて船出することができるというところまでは、映像化されるようです。劇中時間1月ほどでそこまでいくとは、みんな頑張ったんだな･･･と感心してしまいます。</div><div>　それから、未知は、高校以来凄まじいスピードで頑張り過ぎてきたので、ここで一度、東京でふつうの大学生となって息を抜くことにするという展開のようです。東京の大学に任期付の研究員の待遇で招かれていたのだと思い込んでいたのは勘違いだったようです。飛び級などであれよあれよという間に永浦未知博士となり、学費も給付型奨学金で何とかなってしまうのかもしれませんが･･･</div><div>　ということで長くなりましたが、今回はここまでにしておきます。</div><div>　来週が楽しみです！</div>
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<link>https://ameblo.jp/lordurboros/entry-12705597261.html</link>
<pubDate>Sat, 23 Oct 2021 10:37:00 +0900</pubDate>
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