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<title>徒然なるままに</title>
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<description>2016年 初冬　主人の肺がんが見つかり　2年半の闘病生活の末　2019年のゴールデンウイーク最後の日に亡くなりました。主人の癌が　発覚してから今に至るまでの色々な思いを　とりとめもなく　綴ったブログです</description>
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<title>1年半たちました</title>
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<![CDATA[ <p>2020　11月　6日</p><p>1年の基準が変わった。</p><p>お正月でもない。　　誕生日でもない。</p><p>私にとっては　パパの命日の　5月6日が　1年の基準になった。</p><p>パパがいなくなって　丁度　1年半。</p><p>まわりの人は　多分　私を見て　前と変わらず　元気そうにやっているなと　思うだろう。</p><p>職場の人たちと　冗談を言って笑うし、ご飯も　いっぱい食べる。</p><p>旦那の話も　普通にする。</p><p>つい最近は　鬼滅の刃も　観に行った。</p><p>知らない人は　私を　未亡人だと思わないんじゃないだろうか。</p><p>　</p><p>私も　はたから見たら　一見　元気そうに見えるけど　いつも　パパのことが　頭から</p><p>離れない。</p><p>朝起きて　すぐパパのことを考えている。</p><p>車の中で　一人の時も。</p><p>人と話しているときと　寝ているとき以外は　いつも考えている。</p><p>元気な時のことも　思い出すけど　パパの淋しそうに笑った顔や　先生から説明を聞いているときの　後姿を　特に　思い出す。</p><p>会社を　休職して　家に一人でいるとき、　余命宣告されたとき　パパはどんな気持ち</p><p>だったんだろうと　想像する。</p><p>怖かっただろう　　つらかっただろう</p><p>元気になって　仕事に復帰したかっただろう</p><p>もっと　長生きしたかっただろう</p><p>私は　もっと　パパの気持ちに　寄り添ってやらなくてはいけなかったと　後悔する。</p><p>まさか　．．．．まさか　こんなに　急に　容態が悪くなるなんて　思ってなかった。</p><p>&nbsp;</p><p>もう一度　パパの声が　聞きたいなあ．．．．</p><p>また　話がしたいなあ．．．．</p><p>一緒に　テレビ見たり　家族そろって　夕ご飯食べたいなあ．．．．</p><p>パパの　笑った顔　見たいなあ．．．．</p><p>&nbsp;</p><p>最近　秋晴れのいい天気が続いている。</p><p>こんな気持ちのいい日は　どっか　行きたくなる。</p><p>ロッテを連れて　ドライブとか。</p><p>そんな　ささやかな幸せも　奪われてしまった。</p><p>パパに　このきれいな空と　いい天気を　味合わせてあげたかった。</p><p>&nbsp;</p><p>あっという間に　1年以上経ってしまったけれど　ほんの1年半前は　間違いなく　ここに</p><p>一緒にいたのに　今いないのが　信じられない気がする。</p><p>パパの　靴や服　．．．．何一つ　処分できない。</p><p>動画見るのも　まだちょっと　つらい。</p><p>少ししかつけていなかった　日誌も　まだ見る気になれない。</p><p>いつかは　ゆっくり見たいと思うけど　もうちょっと　時間がかかりそう。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/lotte0504/entry-12637872397.html</link>
<pubDate>Sat, 14 Nov 2020 05:54:30 +0900</pubDate>
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<title>花の思い出</title>
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<![CDATA[ <p>私が　花をもらったのは　結婚で会社を退職するときと　結婚式のブーケくらい。</p><p>人生で　花をもらうなんて　そうめったにない。　</p><p>何か特別な日。</p><p>でも　いつでも　どんな時でも　花はきれいだから　もらうと　やっぱり　嬉しい。</p><p>花には　いろんな　思い出があります。</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20201009/09/lotte0504/91/d4/j/o1108147814832066223.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20201009/09/lotte0504/91/d4/j/o1108147814832066223.jpg" width="0"></a></p><p>桜　</p><p>パパが　癌になってからは　今年も　桜を見ることができた　良かったー。</p><p>来年もこの桜　見られるだろうか？</p><p>あと　何回見ることができるんだろうか？</p><p>桜が咲くたびに　そんなことを　思っていました。</p><p>2019年　春　パパの体調は　あんまり　良くなかったけれど　今年もなんとか　桜の季節を</p><p>乗り越えることができて良かったと　桜を見ながら　思いました。</p><p>本当に　あの頃は　1年・・・・ワンシーズンが　綱渡りのようでした。</p><p>&nbsp;</p><p>彼岸花</p><p>随分　昔のことですが　丁度　彼岸花がたくさん咲いている時に　パパの実家に行きました。</p><p>”お袋　喜ぶから　もっていってやろう”　　と言って　そこらへんに咲いている　彼岸花を</p><p>持っていきました。</p><p>田舎育ちの私にとっては　子供のころ　〝へんびの花”　　なんて言って珍しくもない花だったので　彼岸花なんて　もらって　嬉しいのかなあ　なんて思いましたが　お義母さんは　喜んで花瓶に生けていました。</p><p>それが　意外ときれいだったので　私も彼岸花が咲くと　家に飾るようになりました。</p><p>&nbsp;</p><p>コスモス</p><p>結婚して間がない頃　パパが　仕事帰りに　コスモスを1輪取ってきてくれたことがありました。</p><p>私は結婚を機に　会社を退職して　アパートにいました。</p><p>お腹には　娘もいました。</p><p>コスモスの花を見ると　その頃のことを　思い出します。</p><p>パパが亡くなる半年ほど前　近くの　コスモス畑に行きました。</p><p>ロッテを連れて　パパと私と　娘と3人で。</p><p>息子は　部活か　塾で　一緒には行けませんでした。</p><p>こんなことになるなら　4人で行けたら　良かったなと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>黄色い花</p><p>名前は知らないけれど　最近　堤防や道端でよく見る　春に咲く　コスモスに似た　黄色い花。</p><p>この花も　新婚の頃　パパが　“会社の駐車時に　きれいな花　咲いとったんやー”　　と</p><p>凄いもの見つけたように　1輪持ってきてくれたことがありました。</p><p>〝この花　最近勢力を増してきた　外来種だよな～”　　なんて思いながら　飾ったことを思い出します。</p><p>以前　私とパパは　同じ会社に勤めていました。</p><p>20年ほど前　パパは転職しましたが　私は8年ほど前からその会社に　アルバイトとして</p><p>再就職しました。</p><p>当時は　この黄色い花はなかったように思いますが　今は　駐車場の周りに　いっぱい咲きます。</p><p>ここで見つけて　取ってきてくれたんだなあ　と　いつもこの花を見て　思っていました。</p><p>&nbsp;</p><p>菜の花</p><p>テレビで菜の花畑を見たのか　忘れたけれど　司馬遼太郎の一番好きな花が　菜の花だと教えてくれました。</p><p>私はあまり詳しくなかったけれど　その時〝あー　なんとなく　らしいなー”　　と思いました。</p><p>パパが亡くなる前日　会社の若い人　数人がお見舞いに来てくれました。</p><p>パパが好きだった　司馬遼太郎と　藤沢周平の本を持ってきてくれました。</p><p>関が原を　もう一回読み直そうかなと思っているとか　最近の会社の様子とかも</p><p>話していました。</p><p>パパは　会社でこういう話をしていたんだなと思って聞いていました。</p><p>きっと　司馬遼太郎を　熱く語っていたんだと思います。</p><p>もらった本は　棺に一緒に入れました。</p><p>&nbsp;</p><p>バラの花</p><p>私の　一番好きな花は　バラ。</p><p>いつも行っていたドッグランに　小さなバラ園があります。</p><p>パパと息子が2人で　行ったとき　苗の販売をしていたので　1鉢買ってきてくれました。</p><p>500円の　赤に白の斑入りの　匂いのいいバラでした。</p><p>その年の夏は　すごく暑かったので　いつの間にか　消えてなくなりました。</p><p>&nbsp;</p><p>桐の花</p><p>私がまだ　3歳くらいの時だったと思います。</p><p>両親と　ばあちゃんと　少し離れたところにある畑に　たぶん　お茶の葉を摘みに行ったんだと思います。</p><p>うちでは　その畑のことを　原産地と呼んでいました。</p><p>遠くのほうに　桐の花が咲いていたので　私は父に　欲しいといったのですが</p><p>桐の花は　木の高いところに咲いているので　取れないと言われたのを覚えています。</p><p>桐の花は　巫女さんが持つ　鈴のような　青い花。</p><p>どうやってとったのか　拾ってきたのか　わかりませんが　しばらくたってから　父が</p><p>一枝持ってきてくれました。</p><p>父は　私が小学校2年生くらいの時　胃潰瘍の手術をしました。</p><p>失敗したらしく　翌日　麻酔なしで　もう一回お腹を開いて　やり直したそうです。</p><p>良くお風呂上りに　〝俺は　切腹しとるでなー”　　と言って　手術跡を見せていました。</p><p>その父も　その時の輸血で　C型肝炎に感染して　2003年　肝硬変で亡くなって　もういません。</p><p>72歳でした。</p><p>今ではC型肝炎も　飲み薬で治るようですが　父が感染したころは　その病気もわかっておらず　インターフェロンも　出始めたりしましたが　少し間に合いませんでした。</p><p>&nbsp;</p><p>私は　今までもらった花の中で　父が取ってきてくれた桐の花が　一番嬉しかった。</p><p>もらった時のうれしさ　50年以上たつけど　なんとなく　覚えています。</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20201009/08/lotte0504/f4/c1/j/o1108147814832051234.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20201009/08/lotte0504/f4/c1/j/o1108147814832051234.jpg" width="0"></a><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20201009/08/lotte0504/4e/ef/j/o1108147814832050600.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20201009/08/lotte0504/4e/ef/j/o1108147814832050600.jpg" width="0"></a>　</p><p>　</p>
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<pubDate>Fri, 09 Oct 2020 09:42:33 +0900</pubDate>
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<title>パパが　言ったこと</title>
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<![CDATA[ <p>泣きそうな声で　息子が　”お父さん　お父さん”　　と呼びかけたときに　パパが息子に</p><p>言いました。</p><p>　　　”こんなこと　娑婆の世界には　よくあることや　</p><p>　　　　　　こういうことを　1つ1つ　乗り越えていくのが　生きていくって　いうことや”　　と。</p><p>&nbsp;</p><p>私は　その時は　何を言っているんだ　他人事みたいに　と　思いました。</p><p>そんな　教科書に書いてあるみたいな　きれいごと言って。</p><p>たてまえどおり　割り切って　考えられない。</p><p>そんな風に　思えるほど　強くもないし　と。</p><p>&nbsp;</p><p>私には　人を　うらやむ気持ちが　あります。</p><p>本当なら　無事　定年を迎えて　70歳　80歳と　夫婦そろって　楽しい老後生活を</p><p>送るはずだったのに。</p><p>どうして　私は　それが　できないんだろう</p><p>同じ病気でも　治って　元気にしている人を見ると　いいなあと　うらやましく思ってしまいます。</p><p>バーベキューをしている家族を　見かけると　私だって　前はそういうことを　したことも</p><p>あったのに</p><p>私　1人残して　いってしまって。</p><p>”私を　1人にしんといてよー”　　と言ったのに。</p><p>何で　こんなことになってしまったんだろう</p><p>どうして　私だけ</p><p>どうして　家族で1番若いパパが　1番先に　死ななくてはいけないんだろう</p><p>パパの笑った顔を　思い出すと　やりきれない気持ちになります。</p><p>&nbsp;</p><p>そういう時は　パパの言ったことを　思い出します。</p><p>今になって　その言葉の　意味がわかるようになりました。</p><p>&nbsp;</p><p>私やパパよりも　もっと　若いのに　同じように旦那さんを　亡くした人もいます。</p><p>旦那さんは　パパの親しい友人でした。</p><p>旦那さんが亡くなった　今も　その子は　同居しているので　私には　わからない苦労も</p><p>あると思います。</p><p>&nbsp;</p><p>パパの大学時代の　親友は　16歳で　母親を　亡くしています。</p><p>弟は　中学生。　お父さんと　3人で　交代して　家事をしたそうです。</p><p>パパは病院のベッドの上で　”あいつも　苦労しているからなあ”　　と言っていました。</p><p>&nbsp;</p><p>高校に　入ったばっかりの　子供を亡くした人もいます。</p><p>20代の子供を　突然亡くした人や　母親を　すい臓がんで亡くした人や</p><p>&nbsp;</p><p>本当に　娑婆の世界には　よくあることでした。</p><p>パパが亡くなって　あらためて　気が付いたように思います。</p><p>&nbsp;</p><p>どうしても　つらくなったときや　人をうらやましいなと　思ったときは　パパの言ったことを</p><p>思い出します。</p><p>私だけじゃない。</p><p>親や　子供や　旦那さんや　奥さんを亡くした人は　この世に　いっぱいいる。</p><p>みんな　それぞれ　痛みを抱えて　生きているんだ。</p><p>娑婆の世界には　よくあることなんだ。</p><p>それでも　残された　私たちは　生きていかなくてはいけない。</p><p>悲しい出来事や　つらいことや　いやなこと　1つ1つ乗り越えていくことが　生きていくということなんだ　と　しみじみ感じています。</p><p>&nbsp;</p><p>あの時　なに　他人事みたいなこと言ってるんだろうと思った　パパの言葉が</p><p>今の　わたしの　支えになっています。</p><p>この言葉を　自分に　言い聞かせて　私は　今　なんとか　やっています。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/lotte0504/entry-12625234626.html</link>
<pubDate>Wed, 16 Sep 2020 03:19:23 +0900</pubDate>
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<title>久しぶりの病院</title>
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<![CDATA[ <p>２０２０年　８月　３１日</p><p>　</p><p>今日　久しぶりに　パパの入院していた病院の近くに　行った。</p><p>免許を取って　間がない息子が　学校へ　レポートを出しに行くのに　車で行ってみたいけど</p><p>怖いし　道も教えてほしいから　隣に乗って　ついてきてほしいというので　ロッテの散歩もかねて　一緒に　行くことにした。</p><p>病院と　学校は　同じ　敷地内にあります。</p><p>&nbsp;</p><p>そうそう　この道　何回か　パパと一緒に　病院へ　行った道。</p><p>休みの日は　この道を通って　お見舞いに行った。</p><p>駐車場に　車を止めて　荷物をもって　エレベーターに乗って　パパのいる病室に行った。</p><p>待合室で　順番を待っているときのことや　清算を済ませるときのこと</p><p>正面玄関から　病室までの道順</p><p>病棟の窓から見た　大学の構内</p><p>こんな感じだったなあ　こんな景色だったなあ　と思い出す。</p><p>&nbsp;</p><p>パパの入院していた病院・・・　あんまり　見たくないなという思いと</p><p>もう１回　しっかり見て　あの頃を　思い出したいという思いと　複雑な気分</p><p>帰りに　近くの　コンビニで　飲み物とサンドイッチを買った。</p><p>このコンビニは　病院に泊まり込んだとき　夜　よく　コーヒーを買いに来ていた。</p><p>&nbsp;</p><p>懐かしいというような　穏やかな気分でもない。</p><p>かといって　つらくて　涙が出る訳でもない。</p><p>　</p><p>パパが　この病院に　転院したのが　今から丁度　２年前。</p><p>9ケ月ほど　通院して　　　ここで息を引き取ったのが　1年3ヶ月前。</p><p>まだ　1年ちょっとしか経っていないのに　ずいぶん前のことのように感じる。</p><p>なのに　まだ　元気に働いて　笑っていたのが　昨日のことのように思える。</p><p>不思議。</p><p>&nbsp;</p><p>ほんの少し前は　子供の前で　いつまでも　メソメソしているわけにもいかないので</p><p>通勤の　車の中で　よく　泣いていた。</p><p>会社では　腫れ物に触るみたいに　気を使わせたくなかったから</p><p>ご寿命だから仕方がないなんて　全然　思えないけど　”しょうがない”と言っていた。</p><p>&nbsp;</p><p>1年半近くたって　私は最近　ようやく少し　落ち着いてきたかなと　自分で感じる。</p><p>今迄と　同じように　パパのことが　頭から離れることはないけど　泣くことがなくなってきた。</p><p>&nbsp;</p><p>会社に　同じように　旦那さんを亡くした　友人がいて　私は　いつまでこんな思いが</p><p>続くんだろうと言ったら　</p><p>その子は　時間が　解決してくれる　と言っていた。</p><p>&nbsp;</p><p>すべて　時間が解決してくれる。</p><p>と　いうより　時間しか　解決できないんだな　と思った。</p><p>&nbsp;</p><p>同じ立場の人と　話すのも　慰めになると思う。</p><p>脳出血を　患った　母が　言っていた。</p><p>病気になったら　同じ病気の人と話すのが　一番。</p><p>やっぱり　同じ経験をして　立場が同じじゃないと　わからないことがある　と。</p><p>&nbsp;</p><p>パパの記憶や　つらい思い出でも　薄れていくのは　少し　淋しい気もする。</p><p>また　これから冬になって　夜が長くなると　どういう心境になるかわからない。</p><p>凄く感傷的になった時は　ちょっと長い出張に　行っていることにしようかな。</p><p>そう思えば　何のことはない。</p><p>少し　入院が長引いていることにすれば　今迄と　何も変わらない。</p><p>そんなこと考えながら　　すこしずつ　時間に　癒してもらおうと思っています。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/lotte0504/entry-12622088708.html</link>
<pubDate>Wed, 02 Sep 2020 21:59:28 +0900</pubDate>
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<title>パパがいないと・・・・</title>
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<![CDATA[ <p>パパが　元気なころは　”もう　うるさいなあ”　とおもうこともあった。</p><p>毎晩　ビールを飲んで　時々　お風呂にも入らず　グダグダ寝てしまうのも嫌だった。</p><p>また　そのビールの缶を　毎朝　洗って　捨てるのも　めんどくさかった。</p><p>でも　パパがいなくなって　困ることが　いっぱいある。</p><p>寂しいとか　心細いというのは　別として　現実的なことだけを言うと</p><p>&nbsp;</p><p>①　娘の　就職の相談に　のってもらいたかった。</p><p>　　パパが　亡くなる　少し前から　娘の　就職活動が始まった。</p><p>　　なかなか　就職が決まらず　自分でも何がしたいのか　わからなくなっていた時期が</p><p>　　あった。</p><p>　　こんな時　パパがいてくれたらと　思った。</p><p>　　何とか　就職が決まり　大阪に行くことになったけど　大阪に　不案内な娘と私は　今度は</p><p>　　アパート選びに　迷った。</p><p>　　地理的なこと　周りの環境など</p><p>　　パパは　３年ほど　大阪勤務だったので　生きていてくれたら　いいアドバイスしてくれただ</p><p>　　ろうに。</p><p>　　働いていれば　色々　行き詰まることもある。</p><p>　　今は　私が相談相手になっているけど　パパなら　なんて言っただろうと思う。</p><p>&nbsp;</p><p>②子供の学費</p><p>　　娘は　大学４年　　息子は　大学に入学したばかりだった。</p><p>　　娘の後期の　授業料は　生協の保険で　納めることができた。</p><p>　　息子は　学費免除の申請をして　とりあえず　１年間は　免除してもらえた。</p><p>　　パパがいなくなっても　なんとか　卒業させてやりたいと思っている。</p><p>&nbsp;</p><p>③車</p><p>　　車のことは　さっぱり　わからない。</p><p>　　タイヤの　交換時期　　　　もう　スタンドで見てもらうしかない。</p><p>　　冬用と　夏用の交換は　最後の春　パパに見ていてもらい　私と息子の２人で変えた。</p><p>　　体が　えらかったのもあるだろうけど　きっと　私たちに　教えておこうと思っていたと思う。</p><p>　　私も　パパがいなくなっても　変えられるようにしておかなくては　と　心の中で思っていた。</p><p>　　バッテリーの交換　ウォッシャー液の入れ方もわからない。</p><p>　　これも　スタンドで　やってもらうしかない。</p><p>　　車の　調子が悪くても　私にはわからないので　ディーラーで　定期点検のセットを</p><p>　　５万円払って　頼んだ。</p><p>　　この先　買いかえる時が来ても　どの車が　いいとか　悪いとか　よくわからない。</p><p>　　</p><p>④家</p><p>　　電化製品の　買い換え時期も　悩む。</p><p>　　パパが亡くなってすぐ　氷ができなくなっていたので　迷ったけど　冷蔵庫を　買いかえた。</p><p>　　家の　柵が　だいぶガタガタに　なっている。</p><p>　　今までは　少しずつ　なおしていたけれど　そろそろ　とりかえなくては。</p><p>　　下駄箱の　扉が　１枚はずれてしまった。</p><p>　　これも　なんとか　私が　直すしかない。　できるだろうか？</p><p>&nbsp;</p><p>⑤電気温水器</p><p>　　つい最近　エコキュートの　訪問販売で　バカ高いやつを　契約してしまった。</p><p>　　もう　交換時期ではあったけど　さすがに　まずいと考え直して　すぐ　クーリングオフした。</p><p>　　ところが　偶然にも　その日の夜　とうとう　電気温水器が　壊れた。</p><p>　　今　何とか　お湯は出るけど　結局　他のところで　交換することにした。</p><p>　　（これは　半分の　値段で済みそう）</p><p>　　クーリングオフしたから良かったものの　パパなら　訪問販売でなんか　</p><p>　　買わなかったと思う。</p><p>　　もう　この家も　２１年たつ。　あちこち　色々　ガタがきている。</p><p>&nbsp;</p><p>⑥仕事のグチ</p><p>　　私だって　働いていると　そりゃー　腹の立つこともある。</p><p>　　今までは　パパにグチをこぼして　スッキリしていたけど　これから　誰に　言えばいいの？</p><p>　　幸い　友人が　”私が聞く”　　と言ってくれるので　甘えようと思っている。</p><p>　　仕事で困ったり　悩んだりすることもある。</p><p>　　パパは　長く働いているので　私よりは　知識も　経験もある。</p><p>　　技術的なこととか　改善のこととか　それなりに　会社で　教育も受けているので</p><p>　　教えてもらうことも　多かった。</p><p>　　これからは　一人で　乗り越えていくしかない。</p><p>&nbsp;</p><p>⑦生活費　　</p><p>　　今は　遺族年金を　もらっている。</p><p>　　当面の　生活ができるくらいは　パパが命を削って　残してくれた。</p><p>　　でも　今迄みたいに　ボーナスは　もうない。</p><p>　　私も　非正規なので　お給料は　しれている。</p><p>　　もちろん　ボーナスなんてない。</p><p>　　私も　この先　元気でいられるか　いつまで生きるか　わからない。</p><p>　　老後のことを　考えると　不安になる。</p><p>&nbsp;</p><p>今迄は　町内会のこと　子供の学校のこと　家事　お付き合い事は　私。</p><p>パパは　働いて　私たちを　食べさせてくれた。</p><p>それぞれ　役割分担があったけれど　これからは　私　１人でやっていかなくてはならない。</p><p>息子の就職も　まだ　これから　　いずれは　子供たちの結婚ということもある。</p><p>大事な決断をするときや　大きなお金がいるときは　やっぱり　パパにいてもらいたかった。</p><p>私は　これからも　いっぱい　失敗することがあると思う。</p><p>でも　何とか　１人で　乗り切っていくしかないな。</p><p>&nbsp;</p><p>　　</p><p>　　</p><p>&nbsp;</p><p>　　</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<pubDate>Thu, 27 Aug 2020 01:50:26 +0900</pubDate>
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<title>休職　そして　　再々発</title>
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<![CDATA[ <p>抗癌剤治療を続けているパパは　副作用で　眉毛が無くなった。</p><p>手と　足の爪が　黄色くなって　変形してきた。</p><p>食欲も　あまりない。　　お茶碗に　軽く１杯。</p><p>元気なころは　毎晩　350ｍｍｌの　安いビールを２本は飲んでいたのに　それも　飲まなくなった。</p><p>髪の毛も　白髪になってきた。</p><p>病院を変わってから　抗癌剤の点滴の日にちが変わったので　京都へ　御霊気を入れてもいに行くタイミングが合わず　行けなくなってしまった。</p><p>&nbsp;</p><p>倦怠感とか　吐き気とかで　以前からあまり　仕事にも行けなくなっていたけど</p><p>　とうとう　１０月には　休職扱いになってしまった。</p><p>会社から支給されていた　パソコンと　携帯も　返却した。</p><p>休職中は　いっさい　仕事をしては　いけないらしい。</p><p>娘は　大学２年生　　　息子は　高校３年生。</p><p>&nbsp;</p><p>パパは　”休職期間は　最長２年。どうしても　定年まで　足りないなー。　無理して行こうと</p><p>思えば　行けた日もあったかもしれないけど　こんなことになって　申し訳ない。”　と言った。</p><p>体が　つらいのはもちろんだけど　多分　気力ももたなかったんだと　思う。</p><p>宣告された　１年半まで　あと数ヶ月。</p><p>この先　どうなるんだろう。　とか　あと　どれくらい　生きられるんだろう　と考えたら</p><p>自暴自棄に　なってしまうと思う。</p><p>私なら　そう思ってしまう。</p><p>何も　やる気がしなくなる　と思う。</p><p>元気なころは　休日が　楽しみだったり　　早く定年になって　悠々自適になりたいなあ　なんて</p><p>思っただろうけど　　　いざ　休職となると　社会から　疎外された気分になったと思う。</p><p>パパも　”休職と言われたときは　さすがに　頭が　真っ白になった”　と言っていた。</p><p>今まで　技術職一筋で　やってきたパパ。</p><p>もっと　仕事したかっただろうな。</p><p>また　会社に　行きたかっただろうな。</p><p>悔しいなー　　　腹立たしいなー　ほっんとうに　癌ていうやつは.．．．．</p><p>&nbsp;</p><p>会社の若い子たちが　来てくれた。</p><p>仕事残しておくから　早く治して　出てきてください　と言ってくれた。</p><p>ありがとう. ．．．</p><p>&nbsp;</p><p>再発してから　１年後の検査</p><p>１年前　再発した脳の　同じ場所に　再再発。</p><p>同じ場所というのは　あまり　良くないらしい。</p><p>癌に　耐性ができている。</p><p>どうして　こう　悪いほうばっかりにしか　いかないんだろう。</p><p>まだ　小さいので　今回も　ノバリスで　焼いた。</p><p>3～4回やった人もいるらしいけど　水が溜まって　頭が痛くなるので　何回もできないらしい。</p><p>できるのは　これが　最後だと思ってください　ということ.．．．．</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<pubDate>Sat, 08 Aug 2020 10:15:28 +0900</pubDate>
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<title>お医者さん選びと　転院</title>
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<![CDATA[ <p>お医者さんには　色々な　タイプの人がいるみたいで</p><p>内科とか　外科の違いがあるのかもしれませんが　たっぷり　時間をとって　丁寧すぎるほど</p><p>説明をしてくれる先生もいれば　言葉足らずで　こちらから聞かない限りは　</p><p>”はい　順調です。”と　ところてん方式で　2～３分で　問診が終わってしまう先生もいる。</p><p>残念ながら　パパの担当の先生は後者のほうで　あまり　信頼関係が　築けませんでした。</p><p>&nbsp;</p><p>患者は　ナイーブになっていて　お医者さんの　表情や　声のトーンで　検査結果が良いとか</p><p>悪いとか　感じとるみたいです。</p><p>パパも　再発したとき　先生の表情が暗かったので　おかしいなと　思ったらしいです。</p><p>&nbsp;</p><p>大きな病院では　当たり前なんでしょうが　朝早く行って　採血　レントゲンなど　色々検査して</p><p>順番を待って　問診では　”順調です。次の予約は”で　終わってしまう。</p><p>パパは　マーカーの値も　高くなって　癌も大きくなっているのに　何をもって　順調と言えるんだろう？と　言っていました。</p><p>私は　”うーん　順調に　大きくなっていますって事なんやわ。”と冗談めかして　言っていましたが、　この頃から　担当医を変えてもらうとか　転院も　考えるようになりました。</p><p>&nbsp;</p><p>転院ということも考え　大学病院へ　セカンドオピニオンに行きました。</p><p>色々話した後、　今のうちに　やっておいたほうが良い検査とか　お手紙を書いておきます。と言われました。それから　2～3週間後くらいだったか　診察の時　パパが</p><p>”手紙が来ているはずですが”と言ったら　”あー”と言って　その場で　封を開けられたらしいです。</p><p>”こっちから言うまで　封もあけて　なかったぞ”と言っていました。</p><p>&nbsp;</p><p>最近読んだ　パパの日誌に　</p><p>　治療に積極性が無くなったように感じた</p><p>　あと　１年は生きられますよ　と　笑って言われた　と書いてありました。</p><p>それを読んだとき　なんだか　涙がこぼれた。</p><p>パパ　かわいそう。　　そんな　思いして。</p><p>&nbsp;</p><p>余命　１年のところを　１年半とか２年に伸ばしたんだから　良かっただろうとかでは困る。</p><p>風邪や　下痢で　病院に来てるわけじゃないんだから　笑って１年と言われても。</p><p>患者も　家族も　藁にも縋る思いでここにきている。</p><p>こっちは　命がけなんだから。</p><p>パパも　私たち家族も　ステージ４でも　あきらめているわけじゃない。</p><p>&nbsp;</p><p>前の病院は　家のわりと近くで、私の通勤途中にあるので　入院しても毎日　寄ることができました。</p><p>大学病院は　ちょっと遠くになり　治療に通うのも　少し時間がかかるようになります。</p><p>入院しても　土日しか　行けなくなりますが　　転院することを決めました。</p><p>&nbsp;</p><p>大学病院での　パパの　新しい先生は　若くて　イケメンの先生でした。</p><p>私が　初めて　一緒に病院に行った帰り道　パパが　”あの先生　どう　思った？と聞きました。</p><p>私は　"若いね　カッコいい先生やん”　と言ったら　”ええ男やろー”　と笑って言いました。</p><p>私が　その先生の　一番気に入ったところは　（嘘や気休めではなく）　決して　希望を断ち切るような言い方をしなかったところです。</p><p>胸水がたまったとき　私が　水を抜くと体力が落ちると聞いたことがあるんですけど　と言ったら　”５回抜いた人もいます”　と。</p><p>パパが　”水がたまりだしたら　もうだめなのかなあ？”　といったとき　</p><p>”５回抜いた人もいるって　先生　言ってたやん”　とパパに言うことができたました。</p><p>心臓に水がたまったときは　そこから　心臓に浸潤していくことはないのか　と尋ねたら</p><p>”奥さんが　そんなこと聞いたら　旦那さん　不安になっちゃいますからね。　私が１２年間やってきて　そういう事例は　１人だけです。”　と言ってくれました。</p><p>心臓の水を抜くときは　外出先から戻って　手術室に入ってそばで　見ていてくれたそうです。</p><p>そういうものなのかどうかは　わかりませんが　後でパパが　先生手術室にいた　と言っていたので　心強かったんではないでしょうか。</p><p>&nbsp;</p><p>先生は　実家のクリニックを継ぐということで　病院を辞められ　後輩の先生に引き継がれたのですが、容態が　悪化して最後の説明の時　引き継いだ先生は　パパはまだ若いので</p><p>なんとか助けようとしたんですがと言われたので　見捨てずに　できる限りしてくれたんだろうと思い、病院を　変わって良かったと思っています。</p><p>　</p><p>前の病院に　友人が勤めていて　相談したときに言っていたのですが</p><p>例えば　薬が飲みにくかったら　まあ　無理しないで　でも　できるだけ　飲むようにしてください</p><p>という優しい先生もいれば</p><p>ちゃんと　飲まないと　治るものも治らないと　厳しく言う先生もいる。</p><p>どちらが良いとかではなく　それぞれ　合う　合わないがあるらしいです。</p><p>自分に合った　先生を見つけることは　とても　大切だと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>　</p><p>　</p>
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<link>https://ameblo.jp/lotte0504/entry-12614574935.html</link>
<pubDate>Fri, 31 Jul 2020 08:23:38 +0900</pubDate>
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<title>セカンドオピニオンで</title>
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<![CDATA[ <p>2018年　年明け早々の　1月８日に　セカンドオピニオンで　県立の癌センターに　2人で</p><p>行きました。</p><p>遠かった。　　雨も　ぱらついていて　あまり天気も良くなかったのを　覚えています。</p><p>車の中で　パパが私に　”どんなこと言われても　お前　気をしっかり持てよ”　と言いました。</p><p>私は　”うん　大丈夫　わかっとる”　というような　返事をしたと思います。</p><p>面談の前　センターのレストランで　カレーライスを食べました。</p><p>&nbsp;</p><p>面談では　今の治療方針で　問題ないということでした。</p><p>陽子線治療のこととか　新薬のことも　聞きました。</p><p>パパは　遺伝子標的薬は」陰性で　効果があまりないのは　わかっていましたし</p><p>陽子線も　ステージ４の人の治療に　使うものではないらしいです。</p><p>そして　パパが　”余命は　どれくらいですか？”　と聞きました。</p><p>先生は　淡々と　”１年半というところです”　と言われました。</p><p>多分　専門家は　何人もの患者を診て　沢山のデータから　大体わかるんだと思いますが</p><p>私は　”でも　それは　　あくまでも　統計的なものですよね”　と言いました。</p><p>先生は　癌患者で一番大切なのは　いかに　今まで通り　変わらない生活を送るか　ということだと言われました。</p><p>確かに　そうだ。　　癌になっても　今まで通り　仕事して　　ちゃんとご飯食べて体力をつけて</p><p>笑って　泣いて　怒って・・・・</p><p>ただ　そんな　当たり前の生活が　精神的にも　肉体的にも　すごく　むつかしい。</p><p>だからこそ　大切なんだと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>１年半というのは　パパも　かなりショックを受けたと思います。</p><p>帰りの車の中で　パパは　”はっきり　言うなー”　と　苦笑いしていました。</p><p>私は　”そんなの　統計上のことだから　決まったわけじゃない　　癌患者でも　老衰で</p><p>亡くなる人もいれば　　若くして亡くなる人もいる　　そういう人全部の平均だから。</p><p>多分　お医者さんは　一番　最悪な場合のことを言うと思うよ”　といいました。</p><p>パパは　子供たちに　どうすると言いました。</p><p>娘は　どんなこと言われても　絶対　本当のこと教えて　と言っていたので　言っても</p><p>大丈夫だと言いました。</p><p>息子は　まだ　高校生だったので　しばらくは　言いませんでした。</p><p>&nbsp;</p><p>通っている病院の　カウンセリングの看護師さんは　癌センターの先生は　どちらかというと</p><p>治療というよりは　研究者という感じ。</p><p>何か月か　研修に行っていたけど　あそこでは　私も働けないわ　と言ってみえました。</p><p>そして　励ましてもらったと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>この日から　１年半という言葉が　いつも　頭の片隅にありました。</p><p>&nbsp;</p><p>旦那さんが　急死した人もいます。</p><p>急だったから　もっと　大変だったと言っていました。</p><p>そうなんだろうなと　思います.。</p><p>信じられないという思いで　いっぱいだったと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>でも　余命宣告を受けて　病気と闘いながら生きていくのも　本当に　怖くて　つらいものです。</p><p>これは　経験した人にしか　わからないかもしれない。</p><p>検査を受けるたびに　ドキドキする。</p><p>パパは　よく　待合室で　フーーーと大きく　息を吐いていました。</p><p>それを見て　私は　怖いんだろうなー　と思っていました。</p><p>検査するたびに　症状は悪くなることのほうが多かった。</p><p>わー　良かったね　なんていうことは　あまりなかったように思います。</p><p>良くて　現状維持　　　たまには　喜ばせてくれてもいいのに。</p><p>&nbsp;</p><p>１年半と言ったら　春夏秋冬を　あと１回経験するだけ。　　あと１回だけです。</p><p>桜が咲けば　来年も　見られるだろうか？</p><p>犬の散歩に行けば　この景色　いつまで見られるんだろう？と　自分の家のほうを　見てみる。</p><p>　たぶん　パパも　同じことを思っていたと思います。</p><p>癌という言葉に　異常に反応してしまう。</p><p>テレビで癌の専門医が出ていたり　芸能人の誰かが癌だというと　家事の手を止めて</p><p>つい　見入ってしまいます。</p><p>眼科とか　鳥のがんでさえ　えっ？　と思って　ピリピりしていました。</p><p>マーカーの値は　あくまで　目安だといいますが　数値が上がったとか　下がったとか</p><p>１ミリ大きくなったとか　少し小さくなったとか。</p><p>抗癌剤治療も　つらいはず。</p><p>検査のたびに　怖くて　足が震える。</p><p>&nbsp;</p><p>いつも　　死を意識した　死と隣り合わせの　生活。</p><p>&nbsp;</p><p>真綿で首を絞められるようなって　こういうことなんだ　と思いました。</p><p>５年生存率とかいうけど　癌になったら　５年どころか　３年生きるのが　本当に大変なんだと</p><p>思いました。</p><p>&nbsp;</p><p>昔　実家に来てもらっていた　お坊さんが言ってみえました。</p><p>人間には　4つの　苦しみがあると。</p><p>　　1つは　生まれる　苦しみ</p><p>　　２つ目は　病気の苦しみ</p><p>　　３つ目は　老いる苦しみ</p><p>　　４つ目は　死ぬ苦しみ</p><p>&nbsp;</p><p>結局　急に死のうが　　じわじわ死のうが</p><p>若かろうが　年老いていようが</p><p>犬だろうが　猫だろうが</p><p>死ぬ人も　看取る人も　身近な人が亡くなるというのは　それぞれに　悲しみや　苦しみがあるのだと思います。</p><p>そして　いつかは　誰もが　経験しなくてはならないことなんだと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>初めて帰省した娘が　　私が　パソコンでポチポチやっているのを見て　”長いブログやなー</p><p>　小説家じゃないんやで”　といいました。　</p><p>　</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/lotte0504/entry-12612812715.html</link>
<pubDate>Thu, 23 Jul 2020 11:07:24 +0900</pubDate>
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<title>宗教</title>
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<![CDATA[ <p>私は　あまり　信心深くありません。</p><p>昔は　来世とか　生まれ変わりとか　輪廻転生のようなものを信じていたこともありましたが</p><p>今は　人も　植物と同じで　死んだらみんな土にかえると思っています。</p><p>&nbsp;</p><p>パパが病気になったとき　色々な人が色々な宗教的なものを　勧めてくれました。</p><p>本当に私たちのことを思って　勧めてくれているのは　よくわかっているのですが　中には</p><p>高額な費用の掛かるものもありました。</p><p>パパの実家でも　信仰している宗教があって　義理の父も母も　熱心な信者です。</p><p>朝晩の　1時間半つ”つのお経は当たり前　写経したり　護摩木を買って祈願したり　</p><p>その他にもいろいろ・・・・</p><p>義母は　パパの容態が悪くなった時も　頂いた手形に自分の手を合わせて　その手で</p><p>パパの　うっ血して　むくんだ足を　さすっていました。</p><p>&nbsp;</p><p>私たちも　パパが　まだ動けるときは　毎月　京都に通って　御霊気を入れてもらいに行っていました。</p><p>お弁当を作って　行ったこともありました。</p><p>ロッテも一緒に行ったので　帰りには　サービスエリアのドッグランで遊ばせたり　お土産を買ったりと　ちょっとした　行楽気分が味わえました。</p><p>以前は　パパの家族と1台の車に乗り合わせて　お参りだけをして帰ってくるというパターンだったので　少し　物足りなかったし　行けば行ったで　楽しいのですが　嫁の立場としては</p><p>少し　窮屈な面もありました。</p><p>あまり　家族で出かけることがなかったので　効き目があるかどうかは別として　ロッテと</p><p>一緒に家族で御霊気を入れてもらいに行くのは　私にとっては楽しみでした。</p><p>それに　これで　本当にパパの体調が良くなれば　そんな有難いことはないですから。</p><p>信じる者は救われるじゃないけど　御霊気入れてもらったから　大丈夫と　自分に　言い聞かせていました。</p><p>パパも　一生懸命　お参りしていましたが　結局　病に勝つことはできませんでした。</p><p>神様とか　仏さまって　本当にいるんでしょうか？</p><p>信仰心の深い人は　助かるんでしょうか？</p><p>本当に　そういう　能力のある人がいたら　教えてほしいくらいです。</p><p>こんな　私でも　仏壇の前では　死んだお父さんや　ばあちゃんや　実家で飼っていた　犬の</p><p>プクちゃんにさえ　パパを助けてください　とお願いしていました。</p><p>ご先祖様は　修行の身だから　お願いしてはいけないそうです。　</p><p>お願いは　仏さまにするそうです。</p><p>困ったときの神頼みは　ダメだそうで　常日頃から　手を合わせないと　仏さまは願いを聞いてくれないそうです。</p><p>&nbsp;</p><p>信仰心が薄いからだと言われればそれまでですが　もし　医者もびっくりするくらい　よくなるようなことがあれば　仏様の存在も信じるし　ありがとうございますと　お布施もいっぱいする。</p><p>結局　パパは　死んでしまったし　安らかにいったというわけでもなかったので　</p><p>結構な　お金を払って　信者になる価値があるのか　今の私には　わかりません。</p><p>&nbsp;</p><p>お経を　いっぱい読むと　亡くなった人が喜ぶとか　あの世での修行が　楽になるとか</p><p>法名に院をつけると　位が高いとか</p><p>信仰心が深いと　極楽に行けるとかなんとか・・・・</p><p>　お経も　お墓も　葬式も　後に残された人のためにあるんだと思うのですが。</p><p>もし　私が死んだら　葬式や法事は　質素でいい。</p><p>何ならやらなくてもいいくらいだけど　ま&nbsp; 日本の文化と伝統という意味で子供達には　</p><p>身内だけで簡単に済ませてほしいと思っています。</p><p>それよりも　自分たちのこれからのために　少しでも　お金を残してもらいたい。</p><p>&nbsp;</p><p>やっぱり　私は　この世がすべて　　生きててなんぼと　思ってしまいます。</p><p>罰当たりなんでしょうかね。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<pubDate>Sat, 18 Jul 2020 03:52:57 +0900</pubDate>
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<title>延命治療</title>
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<![CDATA[ <p>脳に2ヶ所　前縦隔に1ヶ所の転移・・・・</p><p>ステージ2Aが　ステージ4の末期癌に。</p><p>&nbsp;</p><p>脳の2ヶ所は　放射線で焼きまた。</p><p>ノバリスという　素晴らしい機械らしい。</p><p>ベンツのSクラス級のようなものだと言われた。</p><p>1週間入院して　頭の形をとって　その人に合わせたヘルメットのようなものを作って</p><p>ピンポイントで放射線を当てるのだそうです。　　当てている間は絶対に動いてはいけないそうです。</p><p>1回当てるのに　600万とか700万とか（忘れたけど）　何しろ　高い治療。</p><p>でも　保険がきくから　大丈夫。</p><p>&nbsp;</p><p>以前　テレビで、　癌と宣告されて　頭が真っ白になって　すぐ会社を辞めてしまう人もいるけ</p><p>ど辞めてはいけない。</p><p>受けられる治療も　受けられない　　　色々な補償がなくなる　というようなことを見た覚えが</p><p>あります。</p><p>もし　今　仕事にも行けなくなり　落ち込んで気力もなくなり　会社のみんなにも迷惑かけるし</p><p>辞めようかな　と考えてる人がいたら　　休職してもいいから　会社は辞めないでと言いたいです。</p><p>うちも　休職扱いになっても続けてくれたおかげで　治療も続けられ、経済的にも私たちは</p><p>助けられましたから。</p><p>&nbsp;</p><p>前縦隔の癌は　どうにもできないので　痛みがなければ　マーカーとしてそのままにしておくということでした。</p><p>でも　体の中に　癌があるというのは　やっぱり　気になるもので、痛みとか自覚症状はなかったのですが、　後に　本人の希望もあり　、25日間　毎日通って　放射線治療をしました。</p><p>ひょっとしたら　それが　胸水の溜まる原因になったんじゃないだろうか？と思うこともありますが　　よくわかりません。</p><p>&nbsp;</p><p>私は　先生に　”脳に転移したら　もう手遅れということですか？”　と聞きました。</p><p>先生は　”そんなことはない　　癌で死ぬというのは　脊髄の中や全身に癌細胞が入りこんでいる状態だけど　今　そんなことないでしょ”と　言われました。</p><p>先生は　望みを捨てないように　そう言ってくれたのかもしれませんが</p><p>私は　よかった　まだ希望があると　その時は　思いました。</p><p>　　とは言うものの　心の奥には　いつも　不安とか　悩みの種みたいな暗くて　重苦しいモヤモヤしたものがあって　ちょっと　面白いことがあっても　すぐ　現実に引き戻されて</p><p>心底　手放しで　楽しいという気持ちになれなくなっていたように思います。</p><p>&nbsp;</p><p>このころ　私は　スマホで　5年生存率とか　症状とか　色々検索しまくっていたと思います。　どのサイトを見ても　肺癌のステージ4は　あんまり明るいものではありませんでした。</p><p>でも　癌の治療は　日進月歩でよくなっている。とか　　余命1年と宣告された人が　癌を克服したというのを見て　　何とかパパも　このまま癌と共存しながらも　ダラダラと3年・・5年・・10年と</p><p>持ちこたえてくれないかと　祈る思いでした。</p><p>&nbsp;</p><p>そして　定期的な抗癌剤の点滴。</p><p>点滴は　朝7：30頃　家を出て　血液検査などを済ませ　夕方近くまでかかりました。</p><p>もし　検査で　好中球が少ないと　また　1週間後に　という繰り返しでした。</p><p>点滴をすると　好中球が減って　点滴ができない　。</p><p>でも　点滴をしないと　癌を抑え込めない。　　変な焦りや不安がいつもありました。</p><p>パパから　家族ラインで　”できましたー”と連絡があると　みんなが　”やったね”とか</p><p>”がんばれー”と返信していました。</p><p>&nbsp;</p><p>しかし　抗癌剤を点滴すると　やはり　体力は落ちる。</p><p>昔より　ずいぶん良くなったとはいえ　吐き気と倦怠感はあるみたいです。</p><p>1週間に1回ずつくらいは　通院しなくてはならない。</p><p>だんだん　会社にも行けなくなってきました。</p><p>&nbsp;</p><p>癌治療って　やっぱり　肉体的にも　経済的にも　精神的にも　大変なんだと思いました。</p><p>今まで　平凡な　普通の家族が　ある日突然　普通じゃなくなってしまうのですから。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/lotte0504/entry-12610418665.html</link>
<pubDate>Sun, 12 Jul 2020 01:57:58 +0900</pubDate>
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