<?xml version="1.0" encoding="utf-8" ?>
<rss version="2.0" xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom">
<channel>
<title>louiskellyのブログ</title>
<link>https://ameblo.jp/louiskelly/</link>
<atom:link href="https://rssblog.ameba.jp/louiskelly/rss20.xml" rel="self" type="application/rss+xml" />
<atom:link rel="hub" href="http://pubsubhubbub.appspot.com" />
<description>ブログの説明を入力します。</description>
<language>ja</language>
<item>
<title>あの頃の私へ</title>
<description>
<![CDATA[ <p>母を恨みながら、そして同時にまだ心のどこかで恐れながら何十年も生きて、子供の頃の私を傷つけた母より年上になった。私は訳のわからない空虚感に支配されてずっと苦しいまま生きてきた。子供の頃に経験した感情はいつか克服できるような簡単なものじゃない。それが私の人生そのものだったからだ。時間と共に薄れるどころか大人になるにつれて”何で？”という疑問がもっと強くなって苦しかった。だからいつの間にかマイナスの感情とうまくバランスをとりながら生きるようになった。いつも1日の大半を母に対して怒ったり、自分の生い立ちを悲しんで泣いたりしながら何十年も生きてきた。しかしここ1年、過去を考えない時間を少しずつ増やして少しでも暖かい気持ちでいられる時間が増やすようにした。私のように殴られて大きくなった人間は、普通の感情でいるのにも訓練がいるのだ。ずいぶん時間かかったけど、毎日顔を合わせる人に対して暖かい気持ちを持つようにしたら笑顔になる事が増えてきた。それでも自分以外の人や世界に心を閉じてしまう癖が出てしまう。でもそれは訓練だと割り切ってうまくいかない日があっても自分を責めないように工夫してみた。子供の頃に虐待を受けた人にとって一番厄介なのが、自分の心が意思とは無関係に閉じてしまう事だ。本当にスイッチオフされるみたいに周りへの関心が続かないのだ。自己評価が過剰に低いという自分の特徴もわかっているから、どうすれば少しでも自分を大切にできるか色んなブログを読んだり専門書を読んで調べてみたけどイマイチ上手にできなかった。何十年も四苦八苦してみて、最初は何も感じないかもしれないけど周りの人達に誠意を持って接する事でいつかは暖かい気持ちになる事ができるとわかった。笑顔になる事は自分にしてあげられる最高な事だと思う。私は自分が泣いた分だけ子供達に笑顔を沢山あげてきた。絶対私みたいな悲しい顔にさせたくなくて子供達に寄り添ったり変な顔をして笑わせたり沢山話をして毎日を過ごしていたら、子供達の背丈がいつの間にか私を追い越していた。でももう一人忘れてはいけない子供がいる。それは私自身だ。あそこに置いてきたままの自分。あの時は受け身で常にやられっぱなしだった。でも今は違う。時を経て沢山の経験をして生きてきた自分がいる。今の自分ならあの頃の自分を助けてあげられると思う。だから今実践したい。私がいるから大丈夫だと言ってあげたい。それでもちゃんと生きた自分がいて偉かったと言ってあげたい。一番愛して欲しかった母がしてくれなかったけど今私が代わりにしてあげるから大丈夫と言ってあげたい。</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/louiskelly/entry-12961447879.html</link>
<pubDate>Tue, 31 Mar 2026 00:51:39 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>祖母にそっくりになってきた母</title>
<description>
<![CDATA[ <p>先々週帰省したけれど母の家には泊まらずにホテルに滞在した。何度も母の家に滞在するように言われたにもかかわらずホテルを選んだ私は親不孝者なのかと罪悪感を感じたけれどその度に夫や子供達が励ましてくれた。もう50年も母に尽くしてきたのだから十分だと夫は言ってくれるし、子供達も自分の気持ちを優先するには遅すぎるくらいだと励ましてくれた。その言葉を聞いて思い切って母との問題を家族に打ち明けて良かったと思った。家族に半分背負ってもらったようで申し訳ないけれど、チームとして対策を練る事ができるようになった事で私の心はすごく救われた。母と会ったのは最終日の夜に食事をした一回きりで、兄や義姉と一緒だったおかげで母と深い会話をする事はなかった。なんとなく母が歳をとって小さくなったように見えたけれど食事の最中に50歳を過ぎた兄に細かく口出ししているのを見て、やはり今回ホテルに泊まる事にしてよかったと思った。母が兄や私の一挙一動を細かく見ていると同時に私も今まで母の表情や声のトーンに集中し過ぎていた。だから離れていると楽なんだと気がついた。それでも母の健康寿命があと10年は無い事は事実なので心のどこかが痛む。近付くと傷付くのに離れていると心のどこかが痛い。</p><p>&nbsp;</p><p>帰省して翌々日に京都に移動して家族水入らずの楽しい時間を過ごす事ができた。今まで私達の夏休みと冬休みは母が訪ねてきて２ヶ月間うちに滞在していたので子供達が父親とじっくり会話をするタイミングがなかった。この夏は親子で沢山話をして充実した２週間を過ごすことができて本当に良かった。私はあえて家族だけで撮った写真をラインで母に送った。母は夫より子供達の事を理解していると自負していたがそれが不自然な事だと気が付いてくれるといいなあと期待しながら写真を送った。”今回は家族水入らずという事で立ち入らないようにしましたが”、という変な前置きで母から返信が来て最終日にみんなでご飯を食べれて良かったとお礼を伝えてきた。</p><p>&nbsp;</p><p>そもそも家族水入らずの旅行だと何十回も説得しないと理解してもらえないというのはしんどい。母だって祖父母と車で1時間はかかるところに家を建てて住む事を祖母に伝えたら半狂乱になって猛反対された事とか祖母の色んな我儘に悩んでいたはずなのに、今では亡き祖母にそっくりだ。歳を取るにつれて見た目だけでなく全てが祖母のコピーのようになってきた。祖父母の長男である叔父が隣に住んでいたのだが叔父とお嫁さんも祖母の我儘が嫌になったので、祖父が亡くなった後は母が毎日1時間かけてご飯や掃除をしに行っていた。そうする事で祖母は父を亡くした母に生活費を渡したり貯金を残したので、我儘な祖母に我慢して付き合う事が母の生きる手段だったのだろう。</p><p>&nbsp;</p><p>周囲を尊重して自分で生きがいを持って生きれば皆んな笑顔で暮らせるのに、なぜ束縛して毒を吐いてお互いの首を絞めあいながら生きなければならないのか。家族の中で誰かが傷ついている事に気がつかず、依存して傷つけて依存させないと薄情者と罵しり本当に不健康だと思う。少なくとも母や母方の祖母にとって声をあげない事が家の誇りであり絆だった。悲しくても自分の声を殺してその家で生きる事が母達の務めだった。でも私は大事な子供達には心から笑っていて欲しいし、沢山話をしてお互いを好きでいたいと思う。</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/louiskelly/entry-12912513755.html</link>
<pubDate>Tue, 24 Jun 2025 23:41:15 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>あの時死ななくて本当に良かった</title>
<description>
<![CDATA[ <p>小さい頃から自分と外の世界にすごく距離を感じていた。友達の笑い声がいつも遠くに聞こえ、私は広い世界の真ん中で息を殺して静かに潜んでいた感じだった。自分に近い人に対して私は嘘をついて笑って演じて本当の自分を見られない様にしていた。本当の自分を見たらきっと幻滅するだろうと思ったし弱点を握られそうで怖かった。本当の自分というのは泣いてる自分だ。あの頃のように母に殴られて腫れた体をさすりながら静かに泣いていた自分だ。そんな姿を誰にも見られたくなかったから私は中学生になっても高校生になってもひたすら自分ではない人間を演じ続けた。そのもう一人の人間は他人と愛想よく交流するものの、いつも演技で深く関わりそうになると逃げられるように身構えていた。何があっても絶対に傷ついていた自分を見せてはならないと頑なに思っていた。</p><p>&nbsp;</p><p>子供の頃、死にたいと思った瞬間が何度もあった。もう飛び降りて死んでしまおうとする自分と、いい事が一つだけ起きるまでは生きようと励ますもう一人の自分がいた。生きようとしていた方の自分は生きるために感情を捨てて演技をする事で生き延びようとしたんだと思う。</p><p>&nbsp;</p><p>私は中学高校に進むにつれて他人の痛みが分からない人間になっていた。自分の痛みすら無視していたから他人の痛みも気にしなかった。高校生になって母コにントロールされる毎日の他に兄の家庭内暴力がひどくなった頃には、さらに隠さなければならない事が増えて、いつのまにか演技の自分が本当の自分になってしまった。殴られてボクサーのような顔になった翌朝、私は自転車で家の近くの港まで行った。いろんな事を隠すのに疲れてしまい学校に行かなくてもいいかと思った。学校に行く前に心が押しつぶされそうになったらいつも港に行くようになった。暗くなるまで自転車で走り続けた事も何度もあった。夕方頃に港にいると東南アジアから来た船から沢山の労働者らしき外国人が降りてきた。現実に生きている彼らと比べてブラブラしている自分はいけないんじゃないかと思ったけれど、戦う事はもうできなくて逃げる方を選んだ。そのうち高校をやめる事になり、母は私を恥晒しと罵りいつまでも機嫌が悪かった。高校を辞める時に担任だった三住先生という先生が私の様子を見にくるついでに歴史の家庭教師をしてくれた。その先生が母に違和感を持ったからか母に何か意見を言ったようで、”あの先生は変わり者だって他の先生達はバカにしているのよ”と母は激怒して先生と距離をとるように私に言った。</p><p>&nbsp;</p><p>私は三住先生とも深い話をせず、先生が一方的に話をするだけだった。いつも先生の話が遠くの方で聞こえていた。それでも学生時代に私の人生に関わってくれようとした人はその先生だけだった。私が退学した直後、先生も退職して沖縄に移住してしまい6年前に癌で亡くなってしまった。そもそも私は誰とも深い話をした事はないし、母がいつも私の友達に苦情を言って遠ざけるので人間関係とはそんなものだと思っていた。私の10代の人生は空気のようにどこにも存在せずただ過ぎていった。クラスメートとは表面上の話をするだけで、悪い友達とは行動を共にしていても深い話をする事はなかった。空気になって生きるのが一番良かった。ただ本を沢山読んだ。自分の人生が無かったから小説を読んで主人公の人生を生きた気分になった。</p><p>&nbsp;</p><p>それでも私の人生は35年も続き自分の子供達があの頃の自分と同じくらいの年齢になるまで生きた。母のいないところで私を沢山笑わせてくれた友達に出会い、強くて優しい夫に出会い、子供達は明るく誠実に生きてくれている。そんな人達のために自分とちゃんと向き合って誰かが困った時に寄り添える人でありたいと心から思えるようになった。高校を辞める日に私が読んでいたのは太宰治の人間失格という本だった。上の子供が学年の最終プロジェクトでその本を読みレポートを書いた。本を読み始める前に私の子供時代の事を話した。本当は子供達には一番知られたくなくて、知る必要のない残酷な話だったけれど、ある事がきっかけで上の子に話をした。上の子はたとえ祖母の事を嫌いになっても、それは私の責任ではないので自分を責めないでほしいと言ってくれた。子供の心配事をまた増やしてしまった事を申し訳なかったと思うと同時に、誠実に優しい子に育ってくれた事を神様に感謝した。あの時死ななくて本当によかったと心から思った。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/louiskelly/entry-12905998935.html</link>
<pubDate>Sun, 25 May 2025 23:06:26 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>自己愛母が包囲網を張って待っている</title>
<description>
<![CDATA[ <p>自己愛親の対策法として距離を置く事以外にはないとあちこちの動画で言われている。それを参考にして、一度は自分に負けて電話をしてしまったものの３ヶ月母と距離を取ってわかった事がある。</p><p>&nbsp;</p><p>親からの洗脳がとける。</p><p>正しく怒る事ができる。</p><p>自分の目や耳が生き返る。</p><p>世界が変わる。</p><p>&nbsp;</p><p>ビクビクしなくていいから死んでいた自分の五感が少しずつ生き返る。</p><p>&nbsp;</p><p>しばらくすると味わった事のないワクワク感が感じられる。</p><p>小さな冒険、小さな発見、小さな挑戦をやってみようかなという健全な前向きな気持ちになる。</p><p>&nbsp;</p><p>私の心は小さい時から全然成長してこなかった。いつも母の機嫌を損なわない事や喜ばす事ばかりに神経を使って自分と向き合ってこなかった。そもそもは母が私の心は無いものとして踏みつけて歩いていたからだ。だから私も母とおなじように私の心を無視して生きてきた。自分の存在を認めなかった。本当は心の隅で悲しかったはずなのに無視してきた。母に自分の心を大事にしてもらわなかった事については諦めている。でも自分が自分を無視してきた事についてはなんてひどい事をしてしまったんだと思うようになった。それも50歳になるまで気がつかなっかたとは。</p><p>&nbsp;</p><p>母と距離を取ることで安全な小さな世界に逃げ込む事ができたけど、外の世界には母が包囲網を張って待っている。連絡を取らない私に悲しいアピールをしたり具合が悪いと同情をひいて、私がここから出るのをじっと待っている。正直まだ母の事が怖い。母を怒らせるのが怖い。でも今は自分を踏みつけたくない。迷わず母を選ぶ事はしたくない。</p><p>&nbsp;</p><p>母はなぜ私が連絡を取らないのか全然わかっていないと思う。母は自分がしてきた暴力も暴言も全く覚えていないのだ。そんな事絶対にするわけないじゃないと笑顔で否定される度にまた私の心が傷付く。だから夫を父親失格と言ったり息子を甘やかし過ぎだと注意してきたり得意げにアドバイスしてくる母が異常過ぎて辛い。母は見た目が華やかだから他人に好印象を与える。だからこそ内面とのギャップがひど過ぎてサイコパスなんじゃないかと思う。私の育った家や別荘は大きかったので近所の人達から見たらなんて恵まれているんだと思われていただろう。それがまさか屋内で母親がすごい形相で子供の髪を引っ掴んで引きずり回して怒鳴り散らしていたなんて誰も信じないだろう。</p><p>&nbsp;</p><p>サイコパスだから母に反省してもらおうとか期待してはいけないのだ。自分の残された貴重な時間やエネルギーをこの人に費やしてはいけないと思う。接するとまた傷つけられたりエネルギーを吸い取られるのでとにかく距離をとるしかない。こんな小さな事しかできないけれど踏ん張りたい。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/louiskelly/entry-12905699216.html</link>
<pubDate>Sat, 24 May 2025 23:27:41 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>私を絶対に手放さない母の執念</title>
<description>
<![CDATA[ <p>この１週間、怒りのコントロールが難しくなったので母の事を考えない様にした。限られた1日がほとんど怒りに支配されて終わってしまうのが単純にもったいないと思ったので自分の生活に集中してみた。私が50年間できなかった事。やってみたい事。それは自分を心を理解してあげる事だ。私は母の機嫌を損ねない様に、誰よりも素早く母の気持ちを察して動いてきた。自分の欲求は気付かないようにして無かった事にして生きてきた。考える前に体がそういう風に動くのが普通になっていた。50歳になって恥も外聞もなく母の事を他人に話すようになった。それは沢山調べる事で自分の感情を理解してあげれるようになったから自分は悪くないと思えるようになったので他人に話せるようになったのだと思う。</p><p>&nbsp;</p><p>子供は自分のされた事を小さい胸の中に絶対にバレないように必死で隠す。明日のご飯を食べるためとか生きる家を失いたくないから親を売らないというのは大人の想像で、子供は今起きている暴力を耐える事に精一杯なだけだ。たいてい暴力が終わるのは寝る時だから、痛い思いをした後は静かに目をつむるだけで何かを考える前に力尽きて寝てしまう。起きればまた恐怖が待っているからせめて寝ている間が人間らしく生きれる時間だ。それが生きるという事だった。親は殴る。”おまえのためを思って”と言い訳をしながら。小学生の頃はただ怖くて痛かった。中学生の頃は恐怖心はまだあったが、母を自分から切り離して見れるようになったから嫌いだと思えるようになった。高校生になったら母が死んでも構わないと思った。就職した頃は過去を否定してわざと忘れるようにしていた。現在は過去の全てを思い出し今更ながら怒りにコントロールされてどうにもできなくなっている。ようやく現実を理解して怒れるようになったのだと思う。私も年を取ったので今更喧嘩をするのが馬鹿馬鹿しい。だから母にはもう私に構わないでくれと思う。長かった。母がずっと手放してくれなかった私の人生。母の人生は私だった。今もそうだけど。そんなに私を手放したくないならなぜ私苦しめるのか。母はまるで痛めつける人形を手放さない幼児のようだ。自分の人形だから何をしてもよくて人形だからそばに置いておく。</p><p>&nbsp;</p><p>母はいつも言う。こんなにあなたのために尽くしてきたのに。あなたのために生きてきたのに。あなたが死んだらお母さんも生きてないわよ。と毎日繰り返し、もう怨念のようだった。自分の子供を育てる前まではこれが母の愛だと信じていた。本当に子供を愛している親は子供のために尽くしたとはわざわざ言ったりしない。子供を陰で支えて羽ばたきたい時に全力で応援するのが親だと思う。誰から教わるわけでもなく本能でそうするものだ。しかし私の母は子供を痛めつけて頑張らせ、子供が羽ばたく時も隣にぴったりくっついて手の届かない所まで行きそうになると潰す親だ。一撃で叩き落とすのではなく私の飛ぶエネルギーが無くなるように姑息な手段を使う。まだ私が子供の時は”あの子の母親は変わり者だから関わるな”といい、私が中高生の時は”あの子は育ちが悪いからあまり関わらない方がいい”といい、私が社会人になったら”あの人はあなたにとってためにならないから”と囁いて私の人間関係を作らせない様にしていた。常にあなたのためと言いながら。私が母親になったら私の周りの母親達をじっくりと批判して悪口が止まる時がない。まるで餌を得て食べるのが止まらない動物のようだ。</p><p>&nbsp;</p><p>母と関わる何人もの私の友達が母によって傷つけられ怒って私と夫に訴えてくる。母はとにかく私の周囲の人達を馬鹿にする。社会的地位があっても育ちが悪いとか、性格はいいのに見た目が悪いとか、裕福そうに振る舞っているけど大した事ないとか、生き生きと悪口を言う姿があまりに幼稚で情けなくなってくる。そんなに気に入らないなら関わらなければいいのに私の周辺を逐一知りたがる。だから最近は母にいっさい情報を明かさない。何も喋らない。そもそも母に連絡をしなくなった。そうしたら大腸のポリープを取ったとか、外に出かけて楽しむ気力はないとか、切ないとか、自分が可哀想な人アピールをしてくる。母の家を訪ねて行かないのは母がヒステリーを起こすからだと言うとそれはあなたが悪いからだと私を責めて会話が堂々巡りになってしまう。だから距離をとるしかないのだ。</p><p>&nbsp;</p><p>私にとって辛い幼少期や学生時代や社会人時代があり親になって今に至るまでの辛さを時系列で説明できるが、母の言っている事はブツ切れで何かが噛み合わない。生きる事は経験から学び自分を育てるという事だと思うけど母にはそういうのがない。母は自分の都合のいいように歪曲して物事を見るし、気に入らないとキレるだけで成長する事もない。でも母はガンジー級に世の中を悟ったかのように説教をするのだが周囲の人間が今話している内容と説教の内容がズレているので会話が成り立たず終了してしまう。結局母は自分の中に準備してあった不満を吐き出しているだけで人の話など最初から聞いていないからこうなってしまうのだ。こういう人と戦うのはそもそも無理なのでこのまま距離を取り続けるしかないのだろう。</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/louiskelly/entry-12902258448.html</link>
<pubDate>Mon, 12 May 2025 02:49:17 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>母からのリンチ</title>
<description>
<![CDATA[ <p>今年の母の日もピンクのバラを母の家に配送した。毎年母の日にバラを送るのは母の日を忘れて怒らせるのが怖いからだ。どうしてもありがとうという言葉が出てこないのでメッセージを書いた事はない。母は届いたバラを見て”ピンクのバラを見ていると切ないです。”と私の同情を引く様なラインメッセージを送ってきた。おそらくここ数日の母とのラインのメッセージのやり取りのせいで、私に虐められていると思い込んでいるのだろう。</p><p>&nbsp;</p><p>１週間前、母は私に夫と子供達を連れて帰省するように言ってきた。母の家に泊まりながら自分達で買い出しして好きな様に自炊すればいいので気楽に実家を使いなさいと。そんな事が可能なわけではない。母の領域に入ったら自由など絶対に存在しない。7年前に母の家に滞在した時に私は二度と母の家に来るものかと自分に誓ったくらい嫌な思いをした。夫が滞在したのは私達より短くて数日だったけれど、それでも母は、夜にエアコンの設定を変えるな、冷蔵庫のドアの開け閉めがうるさくて眠れない、子供達の足音が階下に響くから注意しろ、洗い物をする時は跳ね散らかすな、食洗機の入れ方違う、など夫に直接言わず私に細々と不満を言ってきた。それくらいなら大した事はないが病院の検診以外に私の外出を許さないし、自炊に疲れてもご飯のデリバリーやピックアップを頑なに拒否する。子供達を置いて出かけるなどしたら私を召使い代わりに使わないでちょうだいと不機嫌になる。そして自分のペースを守るのは大事な事だからと自分の部屋に閉じこもって昼寝をしてしまう。狭い部屋で母に束縛されながら過ごす時間がとにかくシンドい。</p><p>&nbsp;</p><p>そういうわけで今年の夏の帰省プランを細々と提案されたラインを見た時私の頭は真っ白になり、そのうち徐々に怒りと恐怖で手先が痺れてきた。もし３ヶ月前の母との喧嘩がなかったら我慢して帰省したかもしれない。でも今回はどうしても許せなかった。３ヶ月前に母からの暴力の話をしたら、”そんな事するわけないでしょう！あなたの妄想よ。私の名誉のために撤回しなさい！！”と怒鳴られたらだ。母の暴力は小学校5年の頃に激しくなった。小学生の低学年の頃にも悪い事をしたらベルトで鞭のように叩かれるという罰はあったけれど日常的になったのは小学校5年生になり中学受験の勉強がピークになった頃だった。母の出した問題に応えられないと母の目の光がかわり、いきない髪を引っ掴んで引きずり回すか、部屋にある武器になりそうな物を咄嗟につかんでそれで私を滅多打ちにした。だからいつも部屋には定規やハサミを本箱の後ろに隠したりして武器になるものが無いように気をつけていた。しかし母は何もないとわかったらハードカバーの大辞典を振り上げて私の頭に振り落としたのだ。何度も何度も。その時母の爪があたったのかわからないが頭がら血が流れた。急いでテイッシュで私の頭を拭いていた母を見て、兄がちょうどその時帰宅した父に言いつけたのだが母は適当な言い訳をして誤魔化していた。私は何も期待していなかった。反抗すればもっとやられるし恐怖と痛い思いに耐える事が精一杯だった。母は証拠が残るような顔は決して叩かない。半袖でも隠れる上腕や肩を狙ってきた。何度も何度も叩かれ続けると痣の下にゴロゴロした小さいコブのようなものができる。私はそのゴロゴロした部分をいつもさすっていたのでその感触は今でもはっきりと憶えている。痛みと恐怖に耐えて夜布団に入ると涙がでてきた。母への憎しみではなく悲しさと孤独の涙だったが、泣いているのに気付かれるとまた怒られそうで静かに声を出さずに泣いた。</p><p>&nbsp;</p><p>中学生になり私の方が背が高くなった頃から母の暴力は減ったが、母からの監視とキレる癖は同じだった。ある日私の成績にキレた母は座っている私の髪を掴んで力の限り振り回し、机の上にあったハサミで急に根本からザクザク切り始めた。私は恐怖とショックでされるままだった。翌日も学校だったのでいつも行く近所の美容院で治してくるように母に言われた。夕暮れに美容院に歩いて行く時、惨めで涙がとまらなかった。頭皮がヒリヒリしたし明日友達に短くなった髪についてなんて言い訳をしたらいいか色々と考えて惨めだった。母がキレると怒りでどうにもならなってその度に力尽きるまで暴力をふるい続けたり私の部屋中のものを破壊するのは母が異常だったからなのかもしれないが、その時は母を怒らせる自分が悪いんだと思っていた。</p><p>&nbsp;</p><p>私が海外留学してからは母は私に優しくなった。口うるさいのは変わらなかったが優しくされた事が嬉しくて昔の暴力のことを考えなくなった。なぜあんなにすざまじい暴力を忘れる事を忘れてしまったのか、私がお人好しでバカなのか本当に忘れていった。むしろ否定したかったのだと思う。本当は母は優しくてキレる病気が治ってやっと私を愛してくれるようになったんだと。卒業して就職して夫と出会い結婚式が済んだ後も母は定期的にアメリカに会いに来た。夫は母の事が苦手なようだったけど私は母の良い面だけを見て悪い面は見ない様にしていた。母が夫を下に見て小馬鹿にするような発言をして怒らせた時も、結婚式に駆けつけてくれた夫の親友を小馬鹿にしてこき下ろして怒らせた時も、夫は私に母の異常性を訴えてきたけれど私はそんなトラブルメーカーの母を持つ事への羞恥心を感じたもののできる事なら波風を立てたくないと思っていた。全ては母が私を守ろうとしてくれているからこそ母は私の周りの人と喧嘩をしてしまうのだと思い込もうとしていた。</p><p>&nbsp;</p><p>私の結婚式仲人をしてくれた母と同じくらいの年齢の女性が結婚式の後にそっと新聞の切り抜き記事を渡してくれた。その女性と母は結婚式の前後で何回か一緒にご飯を食べただけだったけれど、母の兄への態度に疑問を感じて毒親の記事を渡してきた。それを読んだ瞬間、私はその女性への怒りと母が毒親であるはずはないという打ち消したい気持ちで混乱した。私の中で封じ込めていた昔の母の暴力の記憶が少しずつ蘇ってきた。絶対に認めたくない惨めな記憶を封じ込めるために私はもっと頑張った。つい３ヶ月前まで17年間ずっと頑張った。でも自分の気持ちや過去を否定して蓋をしても必ず爆発すると17年経った今わかった。無理矢理蓋をすればするほどその反動はすざまじい。母はなんで私にそんな暴力をふるったのかを聞きたくて、声が枯れるまで怒鳴って怒鳴って怒鳴り尽くした。1時間近く怒鳴って母から返ってきた言葉は”そんな事するわけないでしょ、あなたの妄想よ。”だった。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/louiskelly/entry-12902114996.html</link>
<pubDate>Sun, 11 May 2025 05:31:18 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>グズでウスノロと叫ぶ母に叩かれ続けた私</title>
<description>
<![CDATA[ <p>&nbsp;</p><h2 class="pop05_heading" data-entrydesign-alignment="center" data-entrydesign-count-input="part" data-entrydesign-part="pop05_heading" data-entrydesign-tag="h2" data-entrydesign-type="heading" data-entrydesign-ver="1.54.1" style="background: url(&quot;https://stat100.ameba.jp/ameblo/entry_designs/v1/sources/assets/pop05_heading_underline_v2.png&quot;) center bottom / 141px 10px no-repeat; padding-bottom: 26px; margin: 8px 0px; font-weight: bold; color: rgb(51, 51, 51); letter-spacing: 0.01em; text-align: left;"><span style="display:block"><span data-entrydesign-content="" style="display:block;font-size:20px;line-height:1.4;min-height:28px;line-break:anywhere"><span style="font-size:1em;">母を殴りたい。</span></span><span data-entrydesign-content="" style="display:block;font-size:20px;line-height:1.4;min-height:28px;line-break:anywhere"><span style="font-size:1em;">そう思う事は犯罪ですか？</span></span><span data-entrydesign-content="" style="display:block;font-size:20px;line-height:1.4;min-height:28px;line-break:anywhere"><span style="font-size:1em;">息ができないくらい怒りをコントロールできない時、どうしたらいいの？</span></span><span data-entrydesign-content="" style="display:block;font-size:20px;line-height:1.4;min-height:28px;line-break:anywhere"><span style="font-size: 1em; font-family: -apple-system, BlinkMacSystemFont, sans-serif;">誰か助けて。</span></span><br><span data-entrydesign-content="" style="display:block;font-size:20px;line-height:1.4;min-height:28px;line-break:anywhere"><span style="font-size: 1em; font-family: -apple-system, BlinkMacSystemFont, sans-serif;">毎日毎日そんな終わりのない独り言が</span><span style="font-size: 1em; font-family: -apple-system, BlinkMacSystemFont, sans-serif;">頭の中をぐるぐるまわる。</span><span style="font-size: 1em; font-family: -apple-system, BlinkMacSystemFont, sans-serif;">母の日のお花の配送を手配した。以前、義姉からの母の日のプレゼントがなかったと散々文句を言ってたので文句を言われないために送った。メッセージは毎年つけない。ありがとうと言いたくないから。配送日と時間を知らせるために母にラインを送ったら速攻で返信が二度きたので３ヶ月ぶりに電話してみたけど後悔した。やっぱりかけなきゃよかった。</span><span style="font-size: 1em; font-family: -apple-system, BlinkMacSystemFont, sans-serif;">夏に日本に帰省すると聞いて母は自分の家に集まってご飯を食べなさいと提案してきた。日本に帰省中のスケジュールは夫や子供達に聞いてからじゃないと何も決められないと言うと、母は実家に子供達を集まらせる事がどれだけ教育にいいかとかをしつこく説明してきた。何が教育だ。子供だった兄と私を散々殴っておいて今になって何で教育の仕方を指図するのか。あんたは子育てに失敗しただろうが。と頭の中で悪態をついた。私が子供達をとても大事にしているのを知っているので、最近よく”子供達のためにも”という殺し文句を使うようになった。母は策士だ。しかしバレている。頭は悪くないと思うのだがなぜバレやすい作戦を立てるのか理解できない。きっと人の心がないから人の心をつかむことができないのだと思う。母の実家集合の提案に対して私の独断じゃ何も決められないと何度も抵抗したが、怒りで震えたせいかつい吃ってしまった。友達と会話する時は吃らないのだが母を目の前にすると吃ってしまう。失敗した。その瞬間、母が”ハアーッ”と息をはいた。母がイラッとした時に吐く相手への軽蔑感を含んだ癖のある溜息。子供の頃に年中吐かれたので電話越しであってもすぐに私の耳が反応した。ハアーッとカアーッの間みたいな喉の痰を取るときの音に似たやつ。　”なんでそうやってすぐキレるわけ？”と言い返すと”携帯の画面が見えずらいからメガネにハア〜ッと息を吹きかけたのよ！”と嘘っぱちを言ってきた。そもそも今は電話で話しているんだから画面を読むはずはいないだろうって思ったけど簡単につかれた母の嘘がバカバカしくて以上追求するのはやめた。しかしよくもそう瞬間的に嘘がつけるものだと感心する。母は周りを自分の思い通りに動かそうとしてあちこちで小さい嘘をつく。昔だったら母は私に迷わずこう言っただろう。”あんたがグズでウスノロだからイライラするのよ！”。母はノロいターゲットを見つけて小突くのが大好きだ。”このウスノロが！”と叫んで私を叩き続けた母の表情はネジがとれてコントロールがきかなくなったような何とも言えない表情をしていた。私はその顔をはっきりと覚えている。おっとりした義姉の事も”あの人はグズでイライラするのよ。”と10年前まではよく私に言ってきた。しかし自分が老いていずれは義姉の手をかりなければいけないとわかってきた母は義姉に気をつかうようになった。義姉の両親は亡くなっているので優しくする事で心をつかみ自分の手元に置いておいた方が得策だと考えていて、それを隠さずに得意げに自分の作戦を私にバラしてくる。でも義姉は心から優しいので母を心から信頼していてどうにもならない。ただ私は義姉が大好きなので傷付けない方法で守ってあげたい。</span></span><br><span data-entrydesign-content="" style="display:block;font-size:20px;line-height:1.4;min-height:28px;line-break:anywhere"><span style="font-size: 1em; font-family: -apple-system, BlinkMacSystemFont, sans-serif;">8年前に母の家に集まった時、夫が革靴を忘れたので4歳と5歳の子供達をおいて夕食の前に買いに行った。その時すでに嫌な予感がしていたのだがやっぱり当たった。普段激務な夫とは会話をする時間がないので母の家に帰る途中ゆっくり歩いて色んな話をした。そのせいで約束の時間に２、３０分遅れたら母の機嫌が悪かった。私達を待っていたせいでパックの鰻のタレが煮詰まってしまったとネチネチ言われた。</span><span style="font-size: 1em; font-family: -apple-system, BlinkMacSystemFont, sans-serif; letter-spacing: 0.01em;">せっかく来てくれた夫にも申し訳なくて情けなくて涙がでた。子供達に泣いた顔を見せたくなかったのでバスルームに行き泣き顔が元に戻るまでの間、母の家には今後二度とくるものかと固く誓った。母は周りが自分の指揮通りに秒刻みで動かないとキレる人なのでまた母の希望通りに動けなくてキレられたら嫌だから母の実家に集まりたくないと言うと、”あの時は子供を優先にせず買い物に行ったあなた達が悪いんでしょ！”と言われた。”たまに家族旅行するなら子供達のスケジュールに合わせなさい！”と鬼の首をとったかのように説教された。こんな時私は言い返す言葉がスラスラ出てこない。</span></span><br><span data-entrydesign-content="" style="display:block;font-size:20px;line-height:1.4;min-height:28px;line-break:anywhere"><span style="font-size: 1em; font-family: -apple-system, BlinkMacSystemFont, sans-serif; letter-spacing: 0.01em;">母は私の弱点を知っている。押しまくれば私が折れると思っている。しかし母は説教をし始めるとまるでステージに上がったかの様に自分の言葉に酔い暴走してしまうのだ。そして滑るのだが自分では気付かない。”ちゃんとした親なら”とか”子供にちゃんとした躾を”とか母が最もつかうべきでない言葉を滑らかに使い始める。その度に呆れて”キレまくって暴力三昧をしたお前が言うな！”と喉まで出てきた言葉を飲み込む。これは</span><span style="font-size: 1em; font-family: -apple-system, BlinkMacSystemFont, sans-serif; letter-spacing: 0.01em;">私の最終兵器だ。落ち着いて全部紙に書いてから読ませてみよう。母はさっぱり覚えていないと言うに違いない。私の妄想だとキレるだろう。くだらないと怒鳴るだろう。それでもいい。私の中で決着がつけばいい。母の頭の中で私はいまだに虐めたくなる”ウスノロ”だ。だけど自己愛母に50年間耐えた私をなめんなよ、と今は思える。母が私の弱点を知っているとしても私にも母の弱点が見えている。共倒れだっていい。自分のためにもう一度立ち上がりたい。</span></span></span></h2><p>&nbsp;</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/louiskelly/entry-12900336453.html</link>
<pubDate>Mon, 05 May 2025 00:50:50 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>私の一挙一動に全神経を集中させる母</title>
<description>
<![CDATA[ <p>&nbsp;</p><h2 class="pop05_heading" data-entrydesign-alignment="center" data-entrydesign-count-input="part" data-entrydesign-part="pop05_heading" data-entrydesign-tag="h2" data-entrydesign-type="heading" data-entrydesign-ver="1.54.1" style="background: url(&quot;https://stat100.ameba.jp/ameblo/entry_designs/v1/sources/assets/pop05_heading_underline_v2.png&quot;) center bottom / 141px 10px no-repeat; padding-bottom: 26px; margin: 8px 0px; font-weight: bold; color: rgb(51, 51, 51); letter-spacing: 0.01em; text-align: left;"><span style="display:block"><span data-entrydesign-content="" style="display:block;font-size:20px;line-height:1.4;min-height:28px;line-break:anywhere">私は昔から家で足音をたてないで歩く癖がある。他の家族から話しかけられるまで自分からは声を発しない。最低限の音しかたてないようにすごく気をつけている。それは母が私の一挙一動に全神経を集中させているからだ。どこに行くの？何をしてるの？どうしたの？誰と行くの？今日は何をしたの？明日何をしようとしてるの？今どんな人が周りにいるの？そう聞いてくれた方がまだマシだった。しかし母は私に聞くのではなく常に私の隣にいて監視する事で私を把握していた。そして私の外出先での出来事の報告を当然のように待っていた。報告しなくても留守中に私の日記を見たり部屋中を探索する事で私の全てを知ってみせるという執念すら感じたし私への執着は本当に恐怖だった。私は一人でできるからというメッセージを送っても母には通じない。</span><br><span data-entrydesign-content="" style="display:block;font-size:20px;line-height:1.4;min-height:28px;line-break:anywhere">18歳の時、家から徒歩で2０分のところにある塾からの帰り道、中間地点で私を毎日立って待っていた。私を見ると母は笑顔で”お帰り！”と言った。私を心配してくれている事に感謝した一方で母の待っている姿が私の心に重くのしかかった。母親のいない人だっているのだから母に心配してもらっている事を重く感じるのはいけないと思うようにしていた。しかしできれば母に仕事をするなり友達と遊びに行くなり自分の世界に集中してもらいたかった。そうすれば私の事を少しは放っておいてくれるだろうと思ったからだ。でも母は朝と晩の御飯とお弁当とおやつを完璧に用意して私に完食させる他に、私の1日のスケジュールを１分単位で把握し続けた。そのスケジュールの把握の仕方は私が50歳になった今でも変わらない。”まるで私ってあなたのマネージャーじゃないの！”と嬉しそうに母が言った時はなんとも言えないもやもやした気持ちになった。母はまさか私がここまで嫌がっているとは夢にも思っていないだろう。</span><br><span data-entrydesign-content="" style="display:block;font-size:20px;line-height:1.4;min-height:28px;line-break:anywhere">夏休みに留学先から帰宅すると毎年私のバイト先候補のリストが母によって用意されてあった。大抵はお中元時期に忙しくなる配送センターの事務仕事とかお弁当工場での段ボールの解体などの自給800円程度の仕事だったが、数時間でも私を監視する目を感じずに過ごせるので喜んでバイトに行った。休み時間に店長さんから数百円を預かり近所のコンビニまでジュースを買いに行くように頼まれた時はなぜかとても嬉しかった。子供のおつかい程度の仕事でも信用して任される事がすごく嬉しかったのだ。夕方にはバイト先の前で母が車で待っていて母と一緒に帰宅するとまた白黒の現実に戻された。私の自宅での毎日には色がない。強いて言うなら灰色だ。それは私の感情がなかったからだと思う。感情を持たない事でしか母と暮らす事はできなかった。母に対する負の感情を認めてしまえば母に耐えなければいけなくなる。でも感情そのものを持たなければ好きも嫌いもなく耐える事ができるのだ。それが私の見つけた唯一の生き延びる方法だった。バイトで稼いだ額も私の銀行口座を管理する母しかしらない。もちろん使い道も母が決めた。</span><br><span data-entrydesign-content="" style="display:block;font-size:20px;line-height:1.4;min-height:28px;line-break:anywhere">つい最近母は私の持っている銀行口座の番号を紙に書きなさいと言った。もし私に万が一のことがあった時のためと言うけれど、いくら母親でもアメリカでは成人した子供の口座を子供の死後にアクセスする事はできないので意味がない。それを言うと話が一歩先に行ってしまうので言わなかった。そもそも母とは会話が噛み合わないので具体的な話をしない事が一番楽なのだ。</span><br><span data-entrydesign-content="" style="display:block;font-size:20px;line-height:1.4;min-height:28px;line-break:anywhere">子供を産んでから母はまた私の隣にいるようになった。”あなたを守りたいのよ。”と言いながら私の友達や夫や義実家を見下し攻撃しまくった。母が滞在する夏と冬の合計４ヶ月間は友達に会いにでかける事もできず母と私のたった二人きりの生活になった。それは私が10代の頃とすっかり同じだった。昔と唯一違う点は私が10代の頃は母の気に入らないものを私が持っていると力ずくて取り上げられたが、今は”みんなあなたよりよっぽど幸せな生活をしているのに比べてあなたはなんて可哀想なの”と私を不幸だと信じ込ませようとしてくる事だ。気に入らないものを私から力ずくで奪う事はできないので、だったら私の人生はうまくいっていないと洗脳した方が楽だと思ったのだろう。母の激しい劣等感を垣間見て不気味に思った。３ヶ月前に母と大喧嘩をしたのもそのせいだった。母が私とよく比べる女性は母の親友の娘さんで私と同年代で２人子供がいる。旦那さんは地元で親の不動産業をついでいて自由時間が多いので子育てを率先してやっているらしい。超裕福で優しい義父母と小姑が住む同じ土地内に好きな様に新築を建てさせてくれて、みんなが育児を手伝ってくれるのでその娘さんは好きな仕事をゆるくやっているというストーリーを何万回も聞かされた。”あ、そう。”とだけ返答すると”それに比べてあなたは可哀想ねえ、義母も意地悪でワンオペ育児家事で大変だし。”とニヤニヤして言ってくる。”他人は幸せそうに見えても本当のところはどうかわからないものだよ。”と私の本心を言うと狂った様に怒って”あなたは本当にひねくれているわね”と意地でも私の人生はうまくいってないと認めさせようとしてきた。私が幸せか不幸かなんて私以外の誰がわかるというのか。そもそも人間の人生を比較するなんてできるわけがない。本当にアホらしい。75年生きてこんなくだらない考えしかできない母が情け無い。３ヶ月前に母と大喧嘩した時に母は私に言った。”ずっとあなたとは二人三脚でやってきたつもりよ！”と。子供と二人三脚で生きるという発想はどこから来たのか。そもそも二人三脚で一緒に歩くべきは配偶者であって子供じゃない。母に私の人生を逐一報告するのをやめて３ヶ月になる。最初の方が75歳の母を放っておく事に罪悪感をおぼえたが母の監視の目から解放された快適さの方が勝っているので、今では電話をするのをやめて本当に良かったと思っている。まだまだ母との縁は切れたわけではないが今の自分を大切にするためにやらなくてはいけない事をやっていきたいと思う。</span></span></h2><p>&nbsp;</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/louiskelly/entry-12900005752.html</link>
<pubDate>Sun, 04 May 2025 02:12:51 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>あなたの物は私の物と思っている母</title>
<description>
<![CDATA[ <p>&nbsp;</p><h2 class="pop05_heading" data-entrydesign-alignment="center" data-entrydesign-count-input="part" data-entrydesign-part="pop05_heading" data-entrydesign-tag="h2" data-entrydesign-type="heading" data-entrydesign-ver="1.54.1" style="background: url(&quot;https://stat100.ameba.jp/ameblo/entry_designs/v1/sources/assets/pop05_heading_underline_v2.png&quot;) center bottom / 141px 10px no-repeat; padding-bottom: 26px; margin: 8px 0px; font-weight: bold; color: rgb(51, 51, 51); letter-spacing: 0.01em; text-align: left;"><span style="display:block"><span data-entrydesign-content="" style="display:block;font-size:20px;line-height:1.4;min-height:28px;line-break:anywhere">”あのバスルームのシャワーカーテン（ビニールカーテンの外側につける布製のやつ）を切ったら私のテーブルクロスにちょうどいいわ。” と母が私の家に滞在している時に叫んだ。　”。。。。え？”　” 他人の家に来て勝手にシャワーカーテンを外して持っていく人っていないよね？”と思えるようになるまで数秒かかった。母はただでもらって得をしようと思ったのではなく素直にこれは使えると思ったから欲しがったのだ。欲しがったというより再利用してみようかと思ったわけでその段階でそのシャワーカーテンは母のものになっていた。ちゃんとすぐ断ればいいじゃないかと夫は言うけれど、あまりにも突拍子もない事を言われると頭が理解するのに時間がかかり返事が遅れるのだ。うちに来るお歳暮を見て”これ兄夫婦へのお土産に使えるわね。”と堂々とスーツケースにしまう。チョコレートなど大したものではないのだが私の夫をケチだと文句を言うわりには母もセコイと思う。義姉が欲しいものを買ってあげたらと提案するとそもそも子供達へのお年玉をもらうんだからあなた達が買うべきでしょ？”といきなり怒り出すから発言するのが面倒だ。私の家に到着して１週間は礼儀正しくしているのだがそれを過ぎると私達夫婦の行動の全てに意見するようになる。たとえば朝夫の書斎に私がコーヒーを持って行こうとすると”持っていく必要ないでしょ、そんな事するからなめられるのよ！”と言う。夫は怠け者なのではなく私の母が座っている食卓に来たくないだけなのだ。それは母が会話のキャッチボールができないからだ。それを分かっているので母の滞在を我慢してくれる夫にせめてものお詫びとしてコーヒーを持って行ってあげるのだ。母は自分の着なくなった衣料品や、100均で買ってきたお皿や小鉢や洗濯洗剤やアイロンの糊スプレーやファブリーズやガーデ二ング用の帽子から鎌など色々と持ってくる。うちの食器が少なくて不便だと言われると何も言えない。洗濯洗剤やファブリーズの匂いが付くと洗い直しをするくらい息子は人工的な香料が苦手だし、母が使うヘアスプレーの匂いで気持ち悪くなると言って冬でも雨でも車の窓を開けっぱなしにするくらいなので母が帰ると母の持ってきた洗剤一式は不要になる。うちは使わないからと何度も言っても”便利なのよ。”と繰り返し主張して絶対に諦めない。そもそも私の話は聞いていないのだ。持ってきた鎌で雑草を除去してくれたりのびた枝を落としてくれるのは助かるが植木を植え替えたり、こちら側にのびた近所の木の枝を勝手に切ってしまったり、お隣さんの庭まで行ってしゃがんで雑草を抜き始めるから過去に何度も近所さんとトラブルになった。以前後ろに住んでいた老夫婦が私の母が勝手にマグノリアの木の枝を切ったと言って大怒りして乗り込んできた。母が切った枝の量は数本ではなく軽トラックの荷台一杯分という量だった。私は後ろの住人にひた謝りしたけれど母は”陽がさすようになってきっと今頃私に感謝しているに違いないわ。”とドヤ顔をしていた。お隣さんはきっと知らないアジア人のおばさんが自分の庭にしゃがんでいて気味悪く思ったに違いない。そのせいかわからないけど挨拶もなく同じ地域の別な家に引っ越して行った。3年前に引っ越してきたここでは絶対にお隣さんの木に触らないように母に釘をさしたら”触るわけないでしょ、失礼ね！”と憤慨していたのできっと以前のトラブルは記憶に無いか或いは自分の誤りを認めたくなかったに違いない。とにかく母とは話が通じない。こんなふうに母は自分の領域と他人の領域の判別がつかないというおかしなところがあるのだ。２ヶ月の滞在が終わり帰る際には”私の部屋には絶対に誰も使わせないようにね。”と念をおしていくし日本からの電話でも誰も使っていないか確認される。ここは夫と私が所有する家でローンも私達が払っているのだから私達夫婦に決定権があるはずなのに”誰かと共有するのは嫌なのよ。”の一言を言われただけだ。”嫌だから”で済ませられたら世の中どんなに楽だろうと心から思う。小さい頃からいつも私のものは物であろうと時間であろうと母の好き嫌いでどうにでもなった。私の感情は無いものとされていたので私の中に嬉しさや悲しさが存在するかなんて知らないと思う。プライバシーなんて無い。小学生の頃に母に日記を勝手に読まれ内容に関して感想を言われた時は母に対して嫌悪感を感じた。内容が気に入らない時は日記は破られて捨てられていた。やっとゴムで縛れるくらい伸びた髪が嬉しくておさげをして帰宅すると速攻で短いおかっぱに切られた。嬉しい感情を見せると私の嬉しい時間は強制終了させられ、悲しい感情を見せるとあなたが悪いと得意気に責められる。ずっと今まで母の八つ当たりを発散する人形みたいに生きてきたけど50歳になった今、そんな人生はもうたくさんだ。母は私が小さい時からフリルやリボンがついた洋服を着る事や髪を伸ばす事を嫌い、海でずぶ濡れになった帰り道に父に赤いバレエシューズを買ってもらった時は嫌悪感に近い眼差しで私の靴を見て”品の悪い靴ね。”と言った。女らしさに通じるものに対して嫌悪感がすざまじく将来の仕事を決める時もフライトアテンダントや看護師や保育士など女性が主につく仕事は絶対に許さなかった。隣の運転席で母がよく”下手と思ったら運転しているのは女ね。”と軽蔑するように言うのだがそんな母の運転も下手くそだ。なぜ母は世の中の女性に敵対心を持つのか専門家に聞きたい。本当に謎だ。子育てをしながら頑張る女医さんは偉いと思うが母は”子育てに精一杯で勉強もしていない女医さんになんか見てもらいたくないわよ。”と言う。自宅を改装する際にいつも来るおじさんの代理で工務店から来た建築士の女性を”建築士なのに使えない女なのよね”と言う。マンションの管理組合員を一緒にやっているおばさんをパワハラがひどくデブで私に競争意識を持ち過ぎるのよと言い、百貨店の店員さんが私に嫉妬心を持っているとかゴルフのレディース会の人達が意地悪をしてくるとか言ったりして常に女性に対して戦闘モードなのだ。よくも他人に対してそこまで怒ったりさげすむ事ができるものだと呆れる。話がズレてしまったがとにかく私の人生は母の異様な性格に大きく影響された。たとえ距離があっても母にとってずっと私が最も心理的に近い人だったので私には何を言っても許されると思う様になってしまったのだろう。私の人生は母のものではない。どうせ母は自分の頭の中の理想に沿った行動を私が取った時のみ認めるだけなのだから、そんな条件付きの人生は手放したいと思う。</span></span></h2><p>&nbsp;</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/louiskelly/entry-12897917704.html</link>
<pubDate>Mon, 28 Apr 2025 01:46:23 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>あなたが心配なのと繰り返す母</title>
<description>
<![CDATA[ <p>&nbsp;</p><h2 class="pop05_heading" data-entrydesign-alignment="center" data-entrydesign-count-input="part" data-entrydesign-part="pop05_heading" data-entrydesign-tag="h2" data-entrydesign-type="heading" data-entrydesign-ver="1.54.1" style="background: url(&quot;https://stat100.ameba.jp/ameblo/entry_designs/v1/sources/assets/pop05_heading_underline_v2.png&quot;) center bottom / 141px 10px no-repeat; padding-bottom: 26px; margin: 8px 0px; font-weight: bold; color: rgb(51, 51, 51); letter-spacing: 0.01em; text-align: left;"><span style="display:block"><span data-entrydesign-content="" style="display:block;font-size:20px;line-height:1.4;min-height:28px;line-break:anywhere">母は毎日毎日あなたが心配なのと言ってくる。健康にいい朝ごはんを食べているか心配、車の事故を起こさないか心配、時間通りに帰って来ないから何かあったんじゃないかと心配、無駄遣いしていないか心配、癌検査をしているか心配、どんな方法で貯蓄しているか心配、忙しくて脳梗塞を起こすんじゃないか心配、心配心配と常に言ってくるので母の不安が伝染して私も不安になってくる。</span><br><span data-entrydesign-content="" style="display:block;font-size:20px;line-height:1.4;min-height:28px;line-break:anywhere">子供が学校に行っている間、母と二人で昼食をとっていると必ず貯蓄の話になり心配心配と繰り返すので頭がおかしくなりそうになる。母は自分を安心させて欲しいんだと思う。親の期待通りに世間体よく食いっぱぐれる心配のない安定した人生を送って、親である自分を安心させて欲いのだと思う。だから私が家の改装工事をした時も、私と夫が別々な時期に車を買い替えた時も、私が自分の衣料品や化粧品を買った時も母は”やめなさい”と言った。　”やめなさい、そんなの必要ないでしょう、心配よ。”という母の言い方が私は大嫌いだ。そんなにうちの経済状況を心配するなら私を解放して日中の仕事に復帰させてくれと思うのだが、私が仕事に復帰したら育児家事がおろそかになるから心配だと言う。そして私の今のやるべき仕事は主婦として家族を支えることだと切々と語るので母が喋り終わるまであえて興味を持たないふりをして黙っている。母の毎度の説教はまるで不愉快な演劇のようだ。母に発言のタイミングをあげてしまうと自信満々に説教がはじまり母自身が自分の言葉に酔ってしまい私には耐えられない時間になるからだ。説教の最中の母の息継ぎが気持ち悪くてたまらない。私が子供を大事にしているのを知っているので”子供の教育のために”を殺し文句に使っているが、暴力で子供を支配したお前が言うなと言ってやりたい。あえて関心を示さないでいると論破できたと信じて満足してやっと地獄の待ち時間が終わる。黙っているのもすごいエネルギーを使うのだ。</span><br><span data-entrydesign-content="" style="display:block;font-size:20px;line-height:1.4;min-height:28px;line-break:anywhere">母の心配や愚痴や噂話に付き合うと母の機嫌はとれるけどそれに比例して私自身の家族が二の次になってしまっている。子供の学校行事や家族の誕生日の外食に母を連れていく事で子供が主役なのに母のためのイベントになってしまうのは毎回のことだ。母はお墓や介護の事で若い世代には絶対に迷惑はかけないと断言するけれど、自分を喜ばせて欲しいというような幼児の様な欲求を常に私にぶつけてくる。バレエ鑑賞等のイベントのチケットも外食もクリスマスプレゼント等も母の分だけでその都度最低２万円プラスの出費になるで収入のない私にはきつい。”どこも連れて行ってくれなくていいのよ。”と母は言うけれどどこも行かなければ不機嫌になってくるので連れて行かざるをえない。喜んでくれればこちらも頑張り甲斐もあるのだが母が満足した事はない。口では”何もいらないからね”と言うのに母を喜ばせる努力を怠ると態度が悪くなる。親孝行ってこんなに苦しいものなのかと思う。母に与えれば与えるほど無意識に会話の中で私をけなす回数が多くなる気がする。小さい時から私をけなし、笑い、何か言うと反射的に否定されるのには慣れている。だから私は本当に大事な話ほど母にはしない。私の子供はジェンダーが曖昧で本人もすごく悩んでいるのだが母には決して話さない。私にならともかく子供が一生懸命悩んでいる姿をもし母が笑ったりしたら、私は母を殴ってしまうかもしれないからだ。</span><br><span data-entrydesign-content="" style="display:block;font-size:20px;line-height:1.4;min-height:28px;line-break:anywhere">母の２ヶ月の滞在が目前に迫ってくると動悸がして悪夢をみることが多くなる。夢の中で母に首をしめられたり追いかけられたり、最近では母に力の限り怒鳴り続けたりして朝起きるとぐったりする。過去10年以上この状態だったが２ヶ月前に母と大喧嘩して音信不通にしたら悪夢をみなくなった。夢の中で見たのと同じ様に力の続く限り母に怒鳴り続けてしまったから、もし再び母と喧嘩になったら夢と同じ様に首を絞め合うのではないかと怖くなったりする。母が昔から心配心配と繰り返す事で私の罪悪感や義務感や恐怖心をうまく使ってきたようだけれど、私が失敗する事で自分が困る状況に陥るのが嫌なだけなんだとわかってきた。</span></span></h2><p>&nbsp;</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/louiskelly/entry-12896967473.html</link>
<pubDate>Fri, 25 Apr 2025 00:10:54 +0900</pubDate>
</item>
</channel>
</rss>
