たまゆら https://ameblo.jp/luv-u-better/ たまゆらゆめみる。                                                                                                 夏がまだ。 ja-jp 引越し先 https://ameblo.jp/luv-u-better/entry-12701154622.html  今はJUGEMブログに引っ越ししました。 こちらに戻ってくることは、もうありません。nothing but a headachenbh.jugem.jp 2021-09-30T23:36:29+09:00 https://ameblo.jp/luv-u-better/entry-10254811625.html  またこの店に来ている。この店に来るとき、私がいつだってひとりなのは何故だろう。懐かしい問い。前も同じことを考えたことがある。ひとり用の店、友人の欠如、ただの偶然――、すべてがこじつけ以上の意味を持ったことがない。  空がまだすこし赤い。ソケットから出したばかりのシガーライターの色。ひょっとすると、この店の入口が狭いからなのかも知れない、などと、今日の私は変なことを考え始めている。考えるが先か、茶室の躙口の大きさ、それが自動ドアになっている。この店には、それが七つある。ガラスドアを割る人、うまく 2009-05-05T03:16:34+09:00 お好み焼き https://ameblo.jp/luv-u-better/entry-10177454117.html  別れた恋人に会った。 2008-12-13T13:15:14+09:00 12月のカレンダーを赤く染めてみたい https://ameblo.jp/luv-u-better/entry-10173688691.html  久々に復帰しました、たまゆらです。 「壁」から「雨音が欠けている」までは、一連の作品になっています。 別に普通の書き方に飽きたわけじゃないんですが、文体にしろ、話題にしろ、風呂敷にしろ、広げられるものは広げておきたいと私は考えます。 詩と小説の間隙を縫うような書き方をしていますが、この書き方はけっこうに危うくて、ストーリーを忘れてしまいそうになります。 このブログでも、以前には何度か実験的な手法を試していたりするんですが、こうして前衛に向かうたび、思うことはいつも同じです。――もっと普通の書き 2008-12-05T00:09:07+09:00 雨音が欠けている https://ameblo.jp/luv-u-better/entry-10173294085.html  春の終わり、鳴き声が聞こえる。 これはあの日だろうか、何度も夢に見た、あの景色に似ている。 あなたが三毛猫を見つけたあの日、 風が吹いて、窓の揺れた、あの日にとてもよく似ている。 あれは夢だったのか、それともこれが夢なのか。 どちらでもいい、あなたならそう言うだろう。 わたしは何も言わないだろう。 どちらにせよ、ここにはあなたがいない。 息を止めて、耳をすませば聞こえた、あなたの寝息が今は聞こえない。 わたしは立ち上がり、電気をつける。 光が部屋を作る。 日記には日付がつきものだけれど、今日の 2008-12-04T00:54:31+09:00 春の終わり、傘の花 https://ameblo.jp/luv-u-better/entry-10172835228.html  「みけこ」がこの家にやってきたときのことを、わたしは直接は知らない。 ずっと前からこの家にいたような気もすれば、ある日突然に、ふらっとやってきて、何食わぬ顔で居ついてしまったような気もする。日記を書かなくなったわたしにはもう分からない。 ただ、「みけこ」は、妻よりもわたしによくなついた。 エサをやるのは妻の役目だが、遊ぶのはわたしの役目だったから。 妻はそれを口惜しがるでもなく、ただ淡々と日々をやり過ごしていた。何に興味を持つでもない。何に興味を持たないでもない。何枚ものチラシを二つ折りにする 2008-12-03T00:41:13+09:00 色のついたボール https://ameblo.jp/luv-u-better/entry-10172366924.html  「なあ」と、わたしは隣で眠るみけねこにめくばせをする。 こんな話は、退屈じゃないかい。 さっきみたいに、色のついたボールを使って遊ぶかい。 わたしがそう言っても、みけねこの「みけこ」は、首をふわふわと振ったり、小さな口であくびをしたりと、どちらに解釈をしても許されそうな、逆に言えば、どちらかに決めたならその選択が誤りになるような、そうしたどちらつかずの様子で、今では、前足を使ってシーツの上をなでている。 シーツからは、シャラシャラと気持ちのいい音がした。 日記を書くことをやめたせいで、わたした 2008-12-02T00:01:17+09:00 礼子と礼奈 https://ameblo.jp/luv-u-better/entry-10171921774.html ――何処へゆくの? 懐かしい声が聞こえて、咄嗟に私は両耳をふさぐ。懐かしさは、悲しみや切なさとだけではなくて、時に後ろめたさともつながっている。けれども、それは普通懐かしさとは呼ばれずに、懐疑や後悔などと呼ばれ、胸とは別の、どこか暗いところに閉じ込められている。 その場所は、押入れというよりは、墓場に似ている。何故だか人は、そうした記憶は「墓場まで持っていく」ものだから。 その声の持ち主なら、私には分かっていた。私を生み、捨て、それでも私を育ててくれた人。その名残としてなのか、私の名前とその人の 2008-12-01T00:30:00+09:00 僕たちの手によって https://ameblo.jp/luv-u-better/entry-10142206743.html  中学生だったわたしたちは、日記を書いて、それを毎日提出しなければならなかった。 それが、どこの学校でも行われている儀式なのかは分からない。 わたしの数少ない友人たち(パン屋の「ドン」、寝てばかりいる「小太郎」、犬を飼っている「まさこ」、文学部の准教授をしている「介三」、いま思い浮かぶのはそれだけだ)、彼らは、「日記の提出なんて、小学生までだよ」とか、「いまじゃあ日記はmixiの手に渡ったね」とか、「日記文学はメモにすぎぬ」とか、「小中学校のころは、みんな、担任と交換日記してたってわけかあ」とか 2008-09-21T23:53:52+09:00 集合論 https://ameblo.jp/luv-u-better/entry-10141820101.html  彼女と出会ったとき、彼女はまだ中学生で、わたしもまた中学生だった。 そしてまた、ふたりはクラスメイトだった。 ただ、ふたりはクラスメイトだったが、そのクラスには、覚えている限りでも四十人はいたから、ふたりはクラスメイトだったが、クラスメイトは四十人だった。 「2=クラスメイト=40」 つまり、日本語にすると、何ら無矛盾なのだが、ひとたび公式的に書き直すと、途端にそれは矛盾的になるのだった。 嘘つきのパラドックス……。つまり、意味論的パラドックス。 あるいは、集合論のパラドックス……。つまり、論 2008-09-21T01:51:40+09:00