<?xml version="1.0" encoding="utf-8" ?>
<rss version="2.0" xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom">
<channel>
<title>Asakiの悶々日記</title>
<link>https://ameblo.jp/m-issha/</link>
<atom:link href="https://rssblog.ameba.jp/m-issha/rss20.xml" rel="self" type="application/rss+xml" />
<atom:link rel="hub" href="http://pubsubhubbub.appspot.com" />
<description>日々悶々と過ごすアラフォー・会社員。理想の生き方を目指すきっかけになればと始めたブログ。飽きっぽい性格なのでテーマやタイトルがいろいろ変わります。</description>
<language>ja</language>
<item>
<title>○○主義</title>
<description>
<![CDATA[ <p>自分の考えを主張しようとするとき。自分なりの切り口でコメントしたいと思うとき。</p><br><p>そんなとき、「自分は○○主義だ」と立ち位置を決めると、コメントしたり、考えを述べる時の軸を作ることができる。</p><br><p>で、自分は一体、何主義者だろうか。行動の基軸となっているものは何だろう。いつも、面倒くさいとか、いやだな、とか言っているので遁世主義、厭世主義、そんなところか。すべてを冷めてみている。ある意味、現実主義者。ニヒリストという言葉もあるな。冷徹主義…。</p><br><p>なんだか、そんな主義者のコメントなんか、冷めていて、斜に構えた感じを与えて、嫌われるんだろうな。「遁世主義者による恋愛観」…誰も聞きたくないだろう。「ニヒリストが見る地域経済」…夢も希望もなさそうだ。</p><br><p>まあ結局、自分の感じたことを正直に述べればいいわけであって。無理に「○○主義」という枠をはめてしまうと、かえって不自然になる気もする。そういう「奔放主義者」ということで…。</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/m-issha/entry-10781965813.html</link>
<pubDate>Fri, 28 Jan 2011 00:24:35 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>ドラマティックに？変わり始めた瞬間</title>
<description>
<![CDATA[ <p>勝間和代の著書「断る力」の帯に、「…私の世界はドラマティックに変わりはじめました」という言葉がある（記憶が曖昧だったので、いま調べました、ハイ）。</p><br><p>まさに今、自分にとってそんなときなのかな、と最近思う。「…ドラマティックに」というほどではないが、何かが変わり始めている。それは座っていて、立ち上がったときに視界が全然違うように、自分自身が意識を少し変えることで、周りが違って見え始めている、という感じだろうか。</p><br><p>変えた意識とは、自分が中心になるということ。これまでは自分は前面に出ることが苦手で、縁の下の力持ち、参謀タイプを自認してきた。だが会社で小さいながらひとつの組織を任されるようになると、その組織のトップ（＝自分）が周りから認められないと、会社としても認められないことに気づいたからだ。</p><br><p>自分から情報を発信し、いろいろ他社・団体と提携していこうと画策していると、周りからもいろいろな情報が入ってくるようになる。それを感じているのが、今だ。そのうちテレビや雑誌にも、どんどん出るようになっていきたい。会社の資産を使って自分のスキルを上げ、自分ブランディングし、その結果培った人脈と信頼をもとに独立する。そんな青写真を描いている。</p><br><br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/m-issha/entry-10779909423.html</link>
<pubDate>Wed, 26 Jan 2011 00:10:37 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>さらけだす</title>
<description>
<![CDATA[ <p>以前も書いたが、ツイッター、フェイスブックなど、実名を出してコミュニケーションを図る人が増えている。フェイスブックは世界的に見ると、日本ではまだまだ普及していないそうだが、それでも確実に増えている。</p><br><p>このブログにしてもツイッターにしても、ペンネームで書いている自分にとって、実名を名乗ってソーシャルメディアを使ってコミュニケーションをはかり、ネットワークを広げている人たちに、うらやましさを感じる。</p><br><p>企業に所属していると、どうしても赤裸々に語ることが難しい。世間との間をとりながら、言い方は悪いがごまかしながら生きている感じがする。これに対して、企業の看板に頼ることなく自分の腕一本で勝負しなければならないフリーの人たちは、実名から、仕事に対する考え方、日々起こっている出来事などを割りとさらけ出している感じがして、すべてをぶつけて生きているように思う。</p><br><p>企業人としての立場、個人の立場などを使い分けることなく、自分というものを一本化できれば、どんなにいいかと思う。そこには迷いがない。逃げ場がない。やるしかない。実にすっきりとしている。</p><br><p>こんなことを考えながら、悶々と過ごす日々が続く。</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/m-issha/entry-10777884670.html</link>
<pubDate>Tue, 25 Jan 2011 00:00:33 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>実名記載</title>
<description>
<![CDATA[ <p><span style="FONT-SIZE: 9pt">以前も書いたが、ツイッター、フェイスブックなど、実名を出してコミュニケーションを図る人が増えている。フェイスブックは世界的に見ると、日本ではまだまだ普及していないそうだが、それでも確実に増えている。<span lang="EN-US"><br></span></span></p><p><span style="FONT-SIZE: 9pt" lang="EN-US"> <br></span></p><p><span style="FONT-SIZE: 9pt">このブログにしてもツイッターにしても、ペンネームで書いている自分にとって、実名を名乗ってソーシャルメディアを使ってコミュニケーションをはかり、ネットワークを広げている人たちに、うらやましさを感じる。<span lang="EN-US"><br></span></span></p><p><span style="FONT-SIZE: 9pt" lang="EN-US"> <br></span></p><p><span style="FONT-SIZE: 9pt">企業に所属していると、どうしても赤裸々に語ることが難しい。世間との間をとりながら、言い方は悪いがごまかしながら生きている感じがする。これに対して、企業の看板に頼ることなく自分の腕一本で勝負しなければならないフリーの人たちは、実名から、仕事に対する考え方、日々起こっている出来事などを割りとさらけ出している感じがして、すべてをぶつけて生きているように思う。<span lang="EN-US"><br></span></span></p><p><span style="FONT-SIZE: 9pt" lang="EN-US"> <br></span></p><p><span style="FONT-SIZE: 9pt">企業人としての立場、個人の立場などを使い分けることなく、自分というものを一本化できれば、どんなにいいかと思う。そこには迷いがない。逃げ場がない。やるしかない。実にすっきりとしている。<span lang="EN-US"><br></span></span></p><p><span style="FONT-SIZE: 9pt" lang="EN-US"> <br></span></p><p><span style="FONT-SIZE: 9pt">こんなことを考えながら、悶々と過ごす日々が続く。<span lang="EN-US"><br></span></span></p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/m-issha/entry-10778856011.html</link>
<pubDate>Mon, 24 Jan 2011 23:56:15 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>親孝行と仕事</title>
<description>
<![CDATA[ <p>妹の結婚式があった。</p><p>６年前に長男である自分、４年前に末の妹、そして今日長女を嫁いでいった。３人兄妹を送り出すまで健在でいてくれた両親に感謝をしたい。</p><br><p>下の妹が生まれてから自分が結婚するまでの２６年間、家族５人で暮らしてきた。進学、就職、部活など自由にさせてもらい、それなりに幸せだったと思う。２人の妹もそう思っているはずだ。</p><br><p>気がつけば父が今年で７１歳、母が６４歳になる。特に父はもういつ亡くなってもおかしくない年代に差し掛かってきた。先日も風呂上りに血圧が急激に下がったせいで、しばらく動けなかったという。血圧が高く、晩酌を欠かさない父だけに心配である。</p><br><p>できるだけ孫を連れて遊びに行くようにしている。それが最大の親孝行だと思っている。だがもっと親との時間（妻の親も含めて）を、これからは取っていかなければならないと、つくづく思う。一緒にいられる時間は長くない。</p><br><p>今は仕事に忙殺されて日曜日、祝日しか自由になる時間がない。企業に所属し、その資産や看板をもとに事業を拡大することは魅力的ではあるが、組織に属している以上、時間的な拘束はついて回る。親孝行を考えるとき、時間の自由が利く仕事がしたいというのも、フリーライターを目指す理由である。親孝行だけでない。何かがあったとき、すぐに駆けつけることができるようにもしておきたい。</p><br><p>どこかで決断しなければならないのは分かっている。</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/m-issha/entry-10777873221.html</link>
<pubDate>Mon, 24 Jan 2011 00:26:21 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>胸が熱くなる瞬間</title>
<description>
<![CDATA[ <p>　ツイッターを始めて１週間ほど。自分の気持ちをストレートに出すツールとしていいかな、と思っていたが、早くも違和感が。思ったことをすぐに吐き出せるハードルが低くなったのはいいのだが、深く考えずに表面的な感情を、そのまま吐き出している気がする。言葉が熟成されていないというか…。まあ、そういうツールだよと言ってしまえば、それで終わりなのだが。あくまで、己のその時の感情を刻むという程度の使い方ならよいのだろう。</p><br><p>　さて昨日は、久々に胸が熱くなった日だった。山田氏の講義。特に拒食症の妹を持つ女子学生が、ワークショップで根本思想へのダイビングを繰り返した結果、「とにかく食べてくれ」というメッセージが、「家族はあなたが大切。愛している」に変わったという話。山田氏の話し方によるところも大きいのだろうが、じんときた。</p><br><p>　続いて受講生同士のワークショップ。受講生がたどたどしくも、自分の思ったことを発表する姿も印象的だったが、心に残る言葉も多かった。「（少し変わり者であることを自認する自分の言動が）みんなに引かれることがOKなら、自分の好きなことができると思った」（峰氏）、「私は仕事だけ（で生きていくことは）、というのはありえない」（松野氏）。自分の思いを、紆余曲折を経ながらも、吐き出せたとき、その言葉は胸に飛び込んでくる。</p><p>　そしてそんな彼らが何かのきっかけを掴もうとして、この講座を選んでくれたことに感謝と、いい加減なことはできないという責任感が芽生える。</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/m-issha/entry-10770672823.html</link>
<pubDate>Sun, 16 Jan 2011 22:33:28 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>個人力</title>
<description>
<![CDATA[ <p>ツイッターが盛んになって、割と多くの人が本名を名乗ってつぶやきを始めている。</p><p>ブログの時には、本名というケースはどちらかというと少数派だったように記憶しているので、コミュニケーションに対する考え方が変わってきているのだろう。</p><p>スマートフォンの普及が進む中、いよいよパーソナルメディアの時代に入ってきたと感じる。</p><br><p>極端な例かもしれないが、就職や転職、昇格などにフォロワーの数がものをいうようになる時代…。</p><p>部長という肩書きよりも、フォロワーを1000人持っている平社員の方が評価される時代…。</p><p>そんな時代の到来を予感させる。</p><br><p>フォロワーが多いということは、「この人の情報（発言）はチェックしておいた方がいい」と思う人が多いということだ。それはつまり、その人の普段からの考え方やものの見方が多くの人の支持を得ている、注目に値することにほかならない。</p><p>フォロワーが多ければ、当然その人の持つ影響力は大きくなるわけだから、　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　フリーで活躍している人はもちろん、企業に属して働く人たちも個人の発信力を高め、自分の存在を認めてもらえれば、いろんなチャンスが巡ってくる。</p><br><p>今からはこの「個人力」が大きくものをいう時代。そのためには「○○会社の営業部に所属する△△です」というビジネススタイルよりも、「△△です。普段こういうことを考えています。ちなみに勤め先は○○会社です」という方が強く、広くネットワークが広がると思う。</p><br><p>そのためには…俺も本名でツイッターを始めなければなるまいなあ。</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/m-issha/entry-10765716029.html</link>
<pubDate>Wed, 12 Jan 2011 00:29:06 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>思い出のGⅠレース①　1992年有馬記念</title>
<description>
<![CDATA[ <p>　今日から随時、「思い出のGⅠシリーズ」を掲載。</p><br><br><p>　最初に馬券を買ったレースのがこの年の有馬記念。高校時代の友人に馬券を買いに行こうと誘われたのがきっかけだった。当時は競馬が徐々に若者に広がり始めていた時期だったが、私は競馬の知識はゼロ。馬の名前すら知らなかった。</p><p><br>　だがら馬券も何を根拠に買ったわけでない。名前を見て、あるいは馬柱を見ながら適当に予想したのだろう。ジャパンカップで復活を果たしたトウカイテイオーやミホノブルボンの３冠を阻んだ菊花賞馬のライスシャワー、３歳馬（当時は４歳表記）ながらジャパンカップで５着と地力を見せたヒシマサルなどが売れていた。</p><p><br>　馬券を買った私たちは競馬場を離れ、百貨店の電化製品コーナーのテレビでスタートの時間を待った。初めて聴くファンファーレに胸の高鳴りを覚える。スタート直後から逃げた馬が、２周目のバックストレッチでかなり差を広げていた。その馬～メジロパーマー～が一度も先頭を譲ることなく中山の直線を懸命に逃げるのを見ながら、手に持っていた馬券に馬番３がないかを忙しく探した（当然ない）。馬券の中心に据えたトウカイテイオーは、一度も画面に姿を見せることはなかった。</p><p><br>　しばらく呆然としたあと、いつの間にか人だかりができていた電化製品売り場を友人と離れる。悔しかったのか、そうでもなかったのか…。記憶の糸をたぐっても思い出せない。<br>　だが、このレースが私を競馬の世界にいざなったことだけは、紛れもない事実だ。<br><br>　休むことなく走り続け、重賞で常に上位争いをしてきた３歳牝馬のサンエイサンキューが競走中止～安楽死処分になったのがこのレースだったことを知ったのは、ずっと後になってからのことである。<br></p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/m-issha/entry-10763595232.html</link>
<pubDate>Mon, 10 Jan 2011 00:26:52 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>取材をされるということ</title>
<description>
<![CDATA[ <p>これまで雑誌記者として、数多くの人を取材してきた。</p><p>取材をされることで、考えがまとまった、自分の考えを整理できた、などの感謝の言葉をいただくことが多かったが、昨夜そのことを実感した。</p><br><p>昨夜、西日本新聞の取材を受ける。尺八の本曲（虚無僧が托鉢などのときに吹いていた曲）を伝承する博多一朝軒での尺八修業について聞きたいということだった。</p><br><p>それまで尺八を吹くことについて、その理由や感想などを整理する機会がなかったが、いろいろと質問をされ、それに悩みながら、言葉を探しながら、何とか答えているうちに、尺八に対する思いが徐々に輪郭を表してきたように感じた。尺八修業への思いは、改めてゆっくりと書いてみたいテーマだ。</p><br><p>取材することは、コーチングの一種なのかもしれない。</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/m-issha/entry-10760582801.html</link>
<pubDate>Fri, 07 Jan 2011 01:43:46 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>今年の競馬</title>
<description>
<![CDATA[ <p>　独立に向けての必須事項として、当面仕事がなくても、食っていけるだけの資金をためることがある。そしてそれを投資によって増やしていくことが必要だ。それはある人にとっては株式投資であったり、不動産投資であったりするのだろうが、俺はそれを競馬に求め、ここ数年、いろいろな投資法（つまり馬券術）を研究してきた。</p><br><p>　そして今年はこれでいこう、というものが出てきた。簡単に記すと、馬券の種類は単勝１点買い。調教で動きの良い馬のうち、いくつかの条件（紛れの影響を受けやすい追込脚質でない、など）にあてはまるものを買う。</p><br><p>　で、本日は東西で金杯。京都金杯は該当馬が見当たらず、見送り。中山金杯は６番人気のケイアイドウソシンを10,000円購入、優勝したコスモファントムから１秒遅れの５着に終わった。まあ長い目で見ていきましょう。</p><br><p>　</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/m-issha/entry-10759497009.html</link>
<pubDate>Thu, 06 Jan 2011 00:24:26 +0900</pubDate>
</item>
</channel>
</rss>
