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<title>まどぎわロードショー</title>
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<description>寝て、起きて、聞いて、観る</description>
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<title>移民問題と「白黒つけよう」思考の危険さ</title>
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<![CDATA[ <br><br>物事に対して意見するとき、そこにあるのは賛成か、反対だけだ。<br><br>これは大きな間違いだ。多くの人は勘違いしている。何かに対して自分の意見を持つということは、白か黒かはっきりさせるということと必ずしもイコールではない。<br><br>「白黒つけなきゃ！」<br><br>この思い込みは、異なる意見がぶつかり合うとき、必要以上に攻撃的になったり、論点がかみ合わず話し合いが空回りする大きな原因になってしまう。これは、日本人の多くが自分の意見をはっきり示したがらない大きな原因になっていると思う。そして、この「勘違い」傾向は世界でも見うけられる。<br><br><br>ヨーロッパ連合(EU)は国境の撤廃と人の移動の自由化、また人道的概念の世界的リーダーシップ、といったことをポリシーに掲げてスタートした。しかしそんなヨーロッパでも、爆発的に押し寄せる移民の波は大きな混乱と議論を巻き起こした。<br><br>いまこの危機は、遠く離れた島国の日本でもだんだんと身近に感じられるようになってきた。経済大国としての衰退と人口減少が止まらない中、もはや、たくさんの移民を受け入れることが遠い未来ではなくなってきた。<br><br>移民問題と難民問題は表裏一体だ。難民をどう受け入れるかというその国の政策は、そのさきにある移民受け入れ体制に関する政策とつながりがっている。<br>ヨーロッパでもまた、難民危機と同時に、いままで行ってきた移民政策への注目が高まった。公然と難民排斥を訴える団体もあらわれ、ヨーロッパ全体が大きな混乱に揺れている。<br><br>そして、この混乱の根っこのひとつにさきほどの「勘違い」があるといえる。<br><br>欧州のメディアに目をやると、難民危機について、人々の意見を極端に切り取っているものが多い。新聞は大量の難民についてまるで、「受け入れるか」「受け入れないか」、白か黒か、ふたつしか選択肢がないかのように見出しを並べる。<br><br>この「白黒フィルター」に一度かかってしまうと厄介だ。人々は物事を極端にしか捉えられなくなってしまう。<br><br>「一度に難民を受け入れることには反対だ」という人は「難民受け入れに反対」というレッテルを貼られてしまう。<br>逆に「長期的には難民受け入れに賛成だ」という人には「賛成」のレッテルが貼られる。<br><br>こうして、物事を極端にとらえることしかできなくなった人から不要な非難を受けることになる。<br><br>これは難民問題だけに限ったことではない。多くのトピック、それこそ防衛問題から誰かの恋愛問題まで、人は無意識に白黒つけようとしている。<br><br>しかし、現実の世界はそんなに極端ではない。白とも黒ともつけず、グレーという選択肢がいちばんの近道であったりすることもある。<br><br>例えば、移民受け入れに賛成だとしても、無用な混乱は避けるため、期間を決めた数の制限や審査は必要だ、という人がいる。<br><br>そんな人を黒と決めつけてしまうのは早合点というものだ。<br><br>ひとつの問題を解決するのには選択肢がいくつもある。ときに白と黒とを混ぜ合わせることでベストな解決が望めることがある。そして、このことを知っておくことで無用な混乱が避けられることがある。<br><br>物事は必ずしも白か黒かに割り切れない。このことを踏まえた上で、ニュースに目をむけると、世界を見る目が変わってくるかもしれない。<br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/madogiwaroadshow/entry-12169930629.html</link>
<pubDate>Sun, 12 Jun 2016 17:00:00 +0900</pubDate>
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<title>イギリスEU脱退問題 イギリスという冷めた国の特殊さ</title>
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<![CDATA[ <p><a href="http://news.ameba.jp/20160605-538/" target="_blank"><b><i>離脱派、移民問題で反撃＝残留派と再び拮抗－英ＥＵ国民投票</i></b></a><br><i>　【ロンドン時事】２３日に実施される英国の欧州連合（ＥＵ）残留か離脱かを問う国民投票で、いったん優位..........</i><i><a href="http://news.ameba.jp/20160605-538/" target="_blank">≪続きを読む≫</a></i></p><div align="right"><a href="http://news.ameba.jp/" target="_blank"><i>[アメーバニュース]</i></a></div><p>こんなやりとりを想像してほしい。</p><p>&nbsp;</p><p>僕たち日本人に、「あなたのアイデンティティは？」と尋ねるとする。多くの人はきょとんとした顔で「日本人であること、ですかね。」と答える。さらに質問する。</p><p><br>「それから？」</p><p>&nbsp;</p><p>いっそう私たちはきょとんとする。</p><p>&nbsp;</p><p>「それから？」</p><p>&nbsp;</p><p>こんなやりとりを日本人の誰と行ったところで意味をなさない。</p><p>そんなわれわれがヨーロッパという地域について考えるとき、われわれはヨーロッパ人の心に根っこをはるアイデンティティを理解できず苦しむ。</p><p>&nbsp;</p><p>ヨーロッパという地域はとても特殊だ。こんなことを言うと怒られるかもしれないが、ヨーロッパは国によって違えど、一貫して似たような雰囲気を持っている。そのため時間をかけてヨーロッパ中を旅行すると後半の国にまわる頃には教会や聖堂を見飽きてへとへとになってしまうことがしばしばある。</p><p>「ローマ帝国」や「フランク王国」というひとつの国としての歴史、そして「キリスト教」という普遍的な価値観をもっているヨーロッパ。そんなヨーロッパの中でもイギリスという国はちょっと変わっている。</p><p>ひとつの大きな島の中に、ゲルマン人、ケルト人がいくつもの国を作り、対立の歴史を歩んできた「イギリス」というまとまりは、「ヨーロッパ」というまとまりに対してもいろんな意味で冷めているように見える。</p><p>&nbsp;</p><p>イギリスは今月、EUそのものから脱退するか否かを決める国民投票を行う。</p><p>2014年にはイギリスを構成する国のひとつ、スコットランドがイギリスそのものから抜けるかいなかの投票があった。結局スコットランドはイギリスの中にとどまった。しかし、賛成6割、反対4割だった投票結果は、イギリスという国自体のまとまりが強くない、というさみしい現実を写し出していた。</p><p>EUの通貨ユーロを取り入れず、未だにポンドを使って、経済的な統合は嫌がっているあたりもなんだか、冷めたイギリスらしさが表れている。そんなイギリスだからEUというまとまりに対しても、ときに完璧に信頼してないという態度が見え隠れすることがある。</p><p>難民危機の際も、「人道主義を世界に示す」というEUの理念のもと、あくまで理想をつきつめるドイツやフランスに対して、イギリスは最後まで難民受け入れに消極的だった。</p><p>ギリシャ危機の際も、EUの主要国全体が国をあげて肩の力を入れていたのとは対照的に、どこか対岸の火事を見つめている風であった。</p><p>&nbsp;</p><p>上記の難民問題やギリシャ問題を通しただでさえ、EUの存在意義自体が問われる中、今度はそんなイギリスの脱退危機である。経済的には完全に統合されてはいないものの、いわずとしれた大国イギリスが抜けてしまうとなればEUの存在自体の是非に関わってくるかもしれない。</p><p>いつも冷めたイギリスだけに、実際に脱退してしまったとしても飄々とした態度でEUと付き合い続けるだろう。残ったとしても、熱いドイツやフランスに対するときに冷ややかな目線は変わらないだろう。しかしそんなイギリスが、それでもEUの中に必要な気がする。</p><p><br>歴史が証明しているように、熱い理想ばかりでは、逆に共同体の運命を危うくする。ドイツやフランスが、「ひとつにまとまるヨーロッパ」としての理想ばかりを強く押し出した結果、難民問題の必要以上の混乱やギリシャ危機を長引かせてしまった感は否めない。</p><p>&nbsp;</p><p>熱い団結の中にも冷めた目線は必要だ。</p><p><br>そう考えると、冷めたキーマン、イギリスの役割はやっぱりEUというまとまりの中に必要に思えてくる。<br>たしかにEUの存在にはいろいろな意見があるかもしれない。そしてイギリスの、時に非情とも非難されるEUへの関わり方は批判を呼ぶことも少なくない。</p><p>もちろんイギリスがEUから離脱するかどうかは、イギリス人が決める問題だ。<br>しかし個人的には、冷めた目線で熱くまとまるヨーロッパが見てみたい。</p>
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<link>https://ameblo.jp/madogiwaroadshow/entry-12167744240.html</link>
<pubDate>Mon, 06 Jun 2016 17:00:00 +0900</pubDate>
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<title>あいさつのすすめ</title>
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<![CDATA[ <p><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20160605/22/madogiwaroadshow/6b/f5/j/o0800059713665291633.jpg"><img width="420" height="313" alt="" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20160605/22/madogiwaroadshow/6b/f5/j/o0800059713665291633.jpg"></a></p><p>「近頃の若者はあいさつができない」という言葉をしばしば耳にする。</p><p>&nbsp;</p><p>この話はなにも若者に限ったことではない。近所の大人どうしがすれ違いざまにあいさつする光景は都会ではあまり見られない。</p><p><br>物もサービスも豊かで便利な現代は人と関わらずともそれなりに生活が送ることができてしまう。</p><p>&nbsp;</p><p>あいさつは真心をあらわすもっとも手っ取り早い手段だ。しかしあまりに当たり前すぎるがために、あいさつは形式化している。しかし、そんな当たり前のことだからこそ意識して行うとちがった世界が見えてくる。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>留学していた頃、とにかく生活の不便が多く、自然に人と接する機会が多かった。ひとりで解決できないことが多かったため、否が応でも人とコミュニケーションを取らなければならない。<br>ある日、洗濯をしようと寮の共有スペースを訪れたとき。僕が洗濯所に入ると中東風の出で立ちの男が入れ違いで出て行くところだった。すれ違いざまに何気なく「やあ」とあいさつした。すると、彼は洗濯機の操作がわからず諦めて部屋に帰るところなんだが、君はわかるかと尋ねてきた。</p><p><br>それから数十分間、ぼくたちは話し込んだ。機会の操作の説明からはじまった僕たちの会話はお互いの故郷の話や、留学先での行きつけの店、交友関係をぐるぐると周り、しまいには好きな異性のタイプにまで行き着いた。</p><p>&nbsp;</p><p>この、ウクトゥという名のトルコ人とは後にキャンパスで再会した。それから数度彼の行きつけの安いトルコ料理屋に連れられ、いくつかのトルコ語を教わった。</p><p>帰国してしばらく経って、地元の近くのトルコ料理屋に友達と行く機会があった。ウクトゥのことを久しぶりに思い出したぼくは教わったトルコ語でトルコ人の店主にあいさつをした。店主は非常に喜んでくれた。</p><p>&nbsp;</p><p>店主と懇意になったぼくはよくこのトルコ料理屋に足を運んだ。そうして、このお店の常連の多くの移民たちと知り合った。移民の数が比較的少ない日本の郊外では、こういう外国料理屋が彼らの憩いの場になっていることを知った。彼らと話すうちにぼくはだんだんと日本の移民政策について興味を持ちはじめた。</p><p>&nbsp;</p><p>今、政治経済の資料に並ぶ文字を目で追いながらふと考える。自分がなぜ今この本を読んでいるのか、なぜ勉強しているのか。そのはじまりを辿るとあの寮の洗濯場でのウクトゥとのささいな会話、もっといえば「やあ」というあいさつに行き着く。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>「当たり前」のあいさつがなければ、ぼくは地元のトルコ料理の存在などつゆ知らず、まして移民などにも関心をよせず、政治には興味をもたずじまいだったかもしれない。たしかにこのことですら些細な運命かもしれない。しかし、ふと自分の辿ってきた紆余曲折を辿るとしばしばあいさつの役割の大きさに気付かされる。</p><p>&nbsp;</p><p>なんてことはない、「やあ」くらいの言葉。こんな些細な言葉が、もう一生関わることなく記憶の奥に消えていくはずだった人々と強くつながるきっかけとなった。</p><p>&nbsp;</p><p>「たかがあいさつくらい」と思うかもしれない。しかし、もしあなたが、些細なつながりしか持たない人に偶然会ったとき。あいさつするかしないか迷うくらいの仲の人とすれ違ったとき。その人が笑顔ですすんであいさつをしてくれたらどう思うだろうか。誰もが単純にうれしいはずだ。</p><p>&nbsp;</p><p>たかがあいさつ、されどあいさつ。当たり前すぎるからこそ、あらためて意識すると、当たり前の習慣があなたの世界を広げるきっかけになるかもしれない。</p><p>&nbsp;</p><p>あいさつは、あなたのもっとも身近にある、冒険の世界への鍵になるはずだ。</p>
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<link>https://ameblo.jp/madogiwaroadshow/entry-12166454754.html</link>
<pubDate>Sat, 04 Jun 2016 17:00:00 +0900</pubDate>
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<title>映画『アンダーグラウンド』</title>
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<![CDATA[ <p><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20160601/23/madogiwaroadshow/cc/3e/j/o0800113113661831214.jpg"><img width="420" height="594" alt="" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20160601/23/madogiwaroadshow/cc/3e/j/o0800113113661831214.jpg"></a></p><p>※微ネタバレ注意</p><p>&nbsp;</p><p>「かつてそこにひとつの国があった」</p><p>&nbsp;</p><p>これは劇中で、ある人物が語るセリフだ。そしてこのセリフはこの作品そのものを端的にあらわしている。</p><p>ひたすら軽快な音楽をバックに、ハイテンションなふたりの男が騒々しく街を駆け回るシーンから始まる本作。この映画が実は「戦争映画」であると聞かされても、誰もが信じられないだろう。</p><p>&nbsp;</p><p>たしかに三時間半に及ぶこの映画は全編を通して戦争がテーマとなっている。それは、チャプター形式に振り分けられた今作の全四章のうちの三章に「戦争」という副題が冠されていることからも明らかである。</p><p>しかし、戦争が生み出す悲愴さよりも、矛盾するような温かさ、ワクワク感、ノスタルジック感、そんな優しい雰囲気が作品を通して流れているのが本作の特徴だ。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>この作品の主人公となるのは、第二次世界大戦勃発と同時に首都ベオグラードの地下、巨大な基地「アンダーグラウンド」に潜り込み生活をはじめる住人たち。</p><p>そしてリーダーとなって彼らを束ねるのは、お調子者で臆病者だが切れ者のマルコ、強面で硬派だが優しさに溢れたクロの2人である。</p><p>そこに美しさと茶目っ気を兼ね備えた女優のナタリアが加わり、可愛くも切ないテイストをそえている。</p><p>彼らを軸にこの長編映画は進行していく。</p><p>&nbsp;</p><p>全編のほとんどを支配している陽気でおちゃらけた雰囲気。そしてユーゴスラビアの長く暗い戦争の歴史。一見矛盾するように見える２つの要素をあえて同じ作品の中にならべる。</p><p>そんな今作を見たときに我々なこころ打たれるのは、こんなにも陽気で明るい人々が暮らす国に戦争があったという事実である。</p><p><br>男も女も子供も若者も老人も、見境なく歌い踊り笑いながら暮らしていたアンダーグラウンドの住人たちは、地上に出てはじめて自分が何者であるのかを知ってしまう。<br>そして、クライマックスの数十分はしばし絶望的な雰囲気がこの映画を支配する。</p><p>&nbsp;</p><p><br>しかし、この映画は絶望では終わらない。絶望の中に希望を見出す方法を我々に教えてくれる。</p><p>三時間半という長旅を終えたあなたはラストシーンで、しばし忘れていたことを思い出すはずだ。</p><p>「かつてそこにひとつの国があった」と。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/madogiwaroadshow/entry-12166450153.html</link>
<pubDate>Thu, 02 Jun 2016 17:00:00 +0900</pubDate>
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<title>昨日の敵</title>
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<![CDATA[ <div><span style="font-size: 16.2333px; line-height: 24.35px;"><br></span></div><div><span style="font-size: 16.2333px; line-height: 24.35px;">日本語に「昨日の敵は今日の味方」という言葉がある。過去に激しく憎み合い、争いあった相手でも、その分互いを認め尊敬しあい、強い友情を築くことができる、というような意味だ。</span></div><div><span style="font-size: 16.2333px; line-height: 24.35px;"><br></span></div><div><span style="font-size: 16.2333px; line-height: 24.35px;"><br></span></div><div><span style="font-size: 16.2333px; line-height: 24.35px;">日本人の多くにとって、現在の同盟国アメリカと激しく憎み合い、争いあった事実は遠い過去の話に感じられるかもしれない。</span></div><div><span style="font-size: 16.2333px; line-height: 24.35px;"><br></span></div><div><span style="font-size: 16.2333px; line-height: 24.35px;"><br></span></div><div><span style="font-size: 16.2333px; line-height: 24.35px;">しかし71年前のあの晴れた夏の日、たしかにそこに人間がいた。一瞬にして、すべてが変わってしまったあの日、あの場所にいた人たちが生きていたのは遠い過去ではない。彼らはわれわれと同じように「今」を生きていた。</span></div><div><span style="font-size: 16.2333px; line-height: 24.35px;"><br></span></div><div><span style="font-size: 16.2333px; line-height: 24.35px;"><br></span></div><div><span style="font-size: 16.2333px; line-height: 24.35px;">現在83歳となる笹森恵子さんは爆風によって顔には火傷による重度の後遺症が残った。あの日から約70年もの間、彼女は赤く燃える街と人々の泣き叫ぶ声に苦しみ生きてきた。彼女にとって71年は遠い過去だろうか？</span></div><div><span style="font-size: 16.2333px; line-height: 24.35px;"><br></span></div><div><span style="font-size: 16.2333px; line-height: 24.35px;"><br></span></div><div><span style="font-size: 16.2333px; line-height: 24.35px;">それでも笹本さんは未来へと目を向ける。世界から戦争は消えない。国と国同士の和解ですらこれほどの時間がかかる。かつての敵が手を取り合い、核のない未来を実現させることなどできるのか。一人の力ではかなわない。しかしすべての人が望めばそれは必ず実現できるのだと。</span></div><div><span style="font-size: 16.2333px; line-height: 24.35px;"><br></span></div><div><span style="font-size: 16.2333px; line-height: 24.35px;"><br></span></div><div><span style="font-size: 16.2333px; line-height: 24.35px;">ある人たちはこういう。「オバマ大統領は謝罪をすべきではないか。」と。</span></div><div><span style="font-size: 16.2333px; line-height: 24.35px;"><br></span></div><div><span style="font-size: 16.2333px; line-height: 24.35px;"><br></span></div><div><span style="font-size: 16.2333px; line-height: 24.35px;">しかしそんなとき私は笹森さんが言ったこの言葉が頭に浮かぶ。</span></div><div><span style="font-size: 16.2333px; line-height: 24.35px;">「謝れというよりもっと大事なことがある。」</span></div><div><span style="font-size: 16.2333px; line-height: 24.35px;"><br></span></div><div><span style="font-size: 16.2333px; line-height: 24.35px;"><br></span></div><div><span style="font-size: 16.2333px; line-height: 24.35px;">痛ましい過去を忘れては歩き出す意味がない。しかし互いの過ちを赦し、真の尊敬を通い合わせてこそ過去は私たちの背中を押してくれるのである。</span></div><div><span style="font-size: 16.2333px; line-height: 24.35px;">そう心に刻み、われわれは「昨日の敵」とともに未来を歩いていきたい。</span></div><div><br></div>
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<pubDate>Tue, 31 May 2016 18:20:21 +0900</pubDate>
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