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<title>conanのブログ</title>
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<title>読書推薦文手伝ってみた</title>
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<![CDATA[ <div>筒井康隆『残像に口紅を』</div><div><br></div><div>　もし、この世界から「言葉」が消えたら、どのような世界になるだろうか。私は筒井康隆著の「残像に口紅を」を推薦する。本書では、「あ」から「ん」までの文字が物語を進めるごとにランダムに消えていき、同時にその言語の持つ存在も消えていく。例えば、「あ」が消えると「あなた」も「愛」も消えてしまう。主人公の三人の娘も妻も名前の一文字を失ったことで、少しの間おぼろげな残像だけが残るだけで存在そのものが消滅してしまう。世界から、「ぷ」が消えると分の概念が消え、時間が曖昧になり、「ほ」が消えるとホテルが旅館に変わる。閑散とした自宅、正確さを放棄した時間、残された音を拾って恍惚に溺れる感覚を綴る。言葉が消えてもイメージが残る。その残像に思いを馳せる切ないシーンが本書のタイトルになっている。丁寧で優しい言葉はしだいに乱暴な言葉に変わり、世界から豊かさが消え、語彙が少なくなると人間は凶暴になっていく。そして、残りの文字数が少なくなるほど世界の解析度は落ち、詩的で抽象的になっていく。本書では言語が消滅し、徐々に不自由に陥っていく中で、執筆し、飲食し、講演し、交情する小説家が描かれている。</div><div>　本書はメタ構造で前衛的な実験的要素を強く含む。限られた文字で表現していくその表現技法もさることながら、小説を書く者とそれを読む者の間の壁をいとも簡単に取り払ったような作品であり、ページをめくるたびに、作者と文字越しに目が合うような感覚に陥る。映像化も翻訳も不可能な、他では表せない、活字の面白さや可能性が詰まった一冊である。(本文649字)</div>
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<link>https://ameblo.jp/maeqwitwm/entry-12769923158.html</link>
<pubDate>Mon, 17 Oct 2022 22:30:57 +0900</pubDate>
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<title>小学生の読書感想文の課題手伝ってみた</title>
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<![CDATA[ <div>「工場制労働の隆興と時間概念の変化に伴うヒューマニティの変容『ルラルさんのだいくしごと』を読んで」</div><div><br></div><div>　我々の銀河系から遥か離れた宇宙の最遠部においては時間の感覚すら地球と異なるのだという。「24時間タタカエマスカ？」と時任三郎が日本人へ問うた狂乱のバブル期でさえ、自然全体で見ると時とは相対的であった。本書「ルラルさんのだいくしごと」において作者が批判的に論じたのも、そういった時間の概念をあまりにも絶対的なものとして解釈し、無批判に隷属する現代の精神性である。主人公ルラルさんは禿頭の老人であり、日曜大工を日々の慰めとしている。雨露滴る東屋にて、人ならざるものを伴侶として生きる彼は、屋根の修理中にハシゴを落とす過誤を起こす。彼の眷属に助けを求めるも、それらにとってハシゴは一時の手遊びの具に過ぎず、それは持ち去られてしまう。ルラル氏はその日の予定を想起し、途方に暮れ、ふと、自らを覆う蒼穹に目を遣った。氏は次第に泰然とうごめくこの地球に包まれゆく。彼我の境目が消え、時の息吹に抱かれた夕べ、眷属たちもまた大地を巡り帰還し、1日という時間が終わった。あくせくした時をより相対的に捉え返すという体験を通し、近代化を批判した作者の意匠は細部にも宿る。氏が二次産業的な労働に日曜まで従事しているという様は産業革命期のイギリスにおける労働と、その労働を管理するツールとして教育され誕生した「近代的時間」の概念を意識したものに他ならない。動物たちがハシゴを汽車になぞらえて遊ぶ様も、当然、同時期の蒸気機関の発明とパラレルな構造を成すものである。また、作者の独自性は一見不要である動物の登場や、氏の禿頭にも凝らされている。戦後「エコノミックアニマル」と評された我々日本人へ向けられた現代版ポストモダン宣言だ。トルストイはかつて「書かざるべきものだけを書くべき」と唱えた。一見平板な絵と最小限の文章の中に、これだけの寸鉄を込めた作者の精神性に感服であろう。(本文771文字)</div>
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<link>https://ameblo.jp/maeqwitwm/entry-12769922700.html</link>
<pubDate>Mon, 17 Oct 2022 22:28:23 +0900</pubDate>
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