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<title>流産して次は死産…　また会える日まで</title>
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<description>妊娠22週4日で次男を死産しました。158日一緒に過ごした次男の記録を残しておきたくて書き留めます。</description>
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<title>本</title>
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<![CDATA[ <br>死産してから読んだ本。<br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20160229/06/makoshiitake/9d/50/j/o0671071013579749211.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20160229/06/makoshiitake/9d/50/j/o0671071013579749211.jpg" width="100%"></a><br><br>真子斗が生きて産まれて来なかった理由は何だろう？<br>私に残したメッセージは何だろう？
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<pubDate>Mon, 29 Feb 2016 06:50:56 +0900</pubDate>
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<title>一週間</title>
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<![CDATA[ 死産から一週間経った。<br>悪露はだいぶ減ってきた。子宮の痛みは3,4日でなくなった。おっぱいの張りも少しでなくなった。体はもう元に戻ろうとしている。<br>心が全然追いつかない。頭痛が毎日ひどい。<br>真子斗を死産したすぐ後は１人で色々考えた。一週間前に健診行ったのに本当に異常がなかったのかな？とか張りがあるって何度も言ったのに何で薬を出すなり内診するなり先生はしてくれなかったのかな？何で私はもっと先生に訴えなかったのかな？真子斗からのメッセージに少しでも早く気づいてたら助かっていたんじゃないのかな？あの時ああしてればと思うことが頭の中をグルグルしていた。終わりのない答えの出ない問いを自分自身に何度もしていた。<br><br>家に戻ってからは上の子がいるからぼーっと考える時間がほとんどない。急に私が入院して初めて上の子と離れて数日過ごした。帰ってきてからは一段とベッタリ。夜中も私を探している。共倒れするわけにはいかない。この子をしっかり見てあげなきゃ。毎日毎日そう思う。<br>外にはあまり出たくない。いつもと同じ道だけど、この前通った時はまだお腹に真子斗がいた。真子斗が産まれたらと想像していた事が頭を駆け巡る。でも上の子とずっも家にいるのも辛い。お友達とはまだ会う勇気がないけど、外で遊ばせてあげたい。<br>今は真子斗におはようやおやすみ、お花の水を換えて今日も皆を見守っていてねと手を合わせる。それだけしか出来ない。私の中で2/19で時間が止まっている気がする。
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<pubDate>Sat, 27 Feb 2016 19:39:40 +0900</pubDate>
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<title>火葬</title>
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<![CDATA[ <br>真子斗を預けた後、最後の診察があった。また担当の先生だった。先生が「お別れに間に合わなくてごめんなさい」と言った。その一言が真子斗を１つの命としてちゃんと扱ってもらっている様でありがたかった。もちろん看護師さん達も部屋に来るたびに真子斗に話しかけてくれた。私の気持ちに寄り添おうとしてくれた。医療従事者として当たり前なんだろうけど、一つ一つの言葉や言動が本当にありがたかった。<br><br>火葬は13:40からだったので、退院の挨拶して病院を出た。外は雨だった。<br><br>葬祭場に着くとすぐ真子斗の所へ案内された。看護師さんの話では病院から出たらもう顔は見れないと聞いていたが、棺の蓋は開いていた。また真子斗の顔が見れた。でもこれで本当に最後のお別れ。また会おうね。ありがとうね。<br>真子斗を見送った。自分の子供を先に見送る日がくるなんて思わなかった。自分の子供の骨を拾う日がくるなんて思わなかった。<br>真子斗の骨は小さかった。けれどしっかり残っていた。指の骨まであった。旦那と私の両親と皆で拾った。<br>真子斗の遺骨を抱いて葬祭場を出た。
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<pubDate>Wed, 24 Feb 2016 22:31:21 +0900</pubDate>
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<title>お別れ</title>
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<![CDATA[ <br>葬祭場の人が真子斗を迎えにくるのが11時だったからそれまでは一緒に過ごせた。朝一で棺に入れるお花をまた旦那に買ってきてもらった。私の希望でガーベラにした。ピンクのガーベラの花言葉は、「感謝・思いやり」<br>ママの所にきてくれてありがとう、お顔を見せてくれてありがとう、元気に産んであげられなくてごめんね。やっぱり最後はごめんねになる。<br>看護師さんが真子斗が着れる洋服を準備してくれた。新生児の洋服よりもっともっと小さい洋服。旦那と一緒に着替えさせてあげた。昨日の夜と今日の朝とおっぱいを絞って真子斗の口に塗ってあげた。ママのおっぱいあげたかったな、いっぱい飲んで欲しかったな、ごめんね。<br>上の息子も大事なミニカーを棺に入れてくれた。お兄ちゃんと遊びたかったよね、ごめんね。<br>絵本、トミカのタオル、マタニティーマーク、絞ったおっぱいも一緒に添えた。<br>真子斗は32cm、棺は少し小さい28cm。<br><br>看護師長さんはじめ、何人かの看護師さんもお別れに立ち会ってくれた。<br>やっぱり泣いてしまった。昨日産んだ我が子との別れ。何でこんな事に。どうして。<br>ごめんね。こんなママでごめんね。
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<link>https://ameblo.jp/makoshiitake/entry-12132443999.html</link>
<pubDate>Wed, 24 Feb 2016 22:14:35 +0900</pubDate>
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<title>最初で最後の夜</title>
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<![CDATA[ <br>看護師さん達の助言もあり、真子斗の手形を残しておく事にした。旦那に近くの西松屋へ買いに行ってもらった。<br>その間に父が上の息子と来てくれた。真子斗を抱っこして、早く出て来すぎたなとか色々話しかけてくれた。父も母も悲しんでいた。元気な孫を抱かせてあげられなくて本当に申し訳なかった。<br>旦那がキットを買ってきてくれて、看護師さん達と一緒に手形、足形を残してくれた。本当は手形１つ用なのに両手両足の形が残せた。小さな手足。こんなに小さいのにもう爪が生えていた。<br><br>その途中で義父がやってきた。真子斗の顔をろくに見ないでソファーに座り疲れただの病院が遠いだの言っていた。そしてテレビが見たいだの全く関係のない話を永遠とされた。苦痛で苦痛で仕方なかった。作り笑顔も途中からやめた。２時間ぐらいでやっと帰った。本当に何をしに来たのか分からなかった。<br><br>その日は旦那にも泊まってもらい真子斗と３人で過ごした。明日火葬する事になったので棺に入れたいおもちゃや洋服、お菓子をまた旦那に買いに行ってもらったり、真子斗との写真を撮ったりして過ごした。夜はやっぱりウトウトするぐらいで寝れなかった。途中で真子斗をベッドに連れてきて添い寝してみたり抱っこしたり、一緒に過ごせるのが今日だけと思うと悲しくてこっそり泣いた。元気に産んであげられなかった事を何度も謝った。<br>そうしているうちに朝になった。<br>
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<link>https://ameblo.jp/makoshiitake/entry-12132436855.html</link>
<pubDate>Wed, 24 Feb 2016 21:55:45 +0900</pubDate>
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<title>対面</title>
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<![CDATA[ <br>産後の処置をされてる間、息子は体重など図られ先に旦那の元へ行った。私は看護師さんから体重を教えてもらい、週数の割に大きくてびっくりした。そして性別も初めて知った。産んだ達成感の方が強く、まだ、悲しみの感情はなかった。それより我が子の顔が早く見たかった。<br>処置が終わりやっと旦那と息子が来た。小さな体だった。顔は上の子供にそっくりで眉毛が濃いのが印象的だった。産まれてすぐは手足が動いていたり、心臓が少し反応していたらしい。膣に飛び出していた胎胞にちゃんとくるまって出てきてくれたので綺麗な顔、綺麗な体だった。<br>抱かせてもらった。可愛くて可愛くてたまらなかった。<br>少しして母が来た。母が泣いているのを見て私も泣いた。そこに担当の先生が来た。お産の時には不在だったけど入院してからよく顔を見に来てくれた。先生は「残念だっけどよく頑張りましたね」って言ってくれた。私は泣きながら先生に「受け入れて下さって本当にありがとうございました」と言った。助産師さんにも同じ事を伝えた。かかりつけの産婦人科に見放され、受入先が見つからなかった救急車の中での時間、あの時の恐怖を忘れる事はないと思う。<br><br>それからは明るく努めた。もちろん悲しかったけど部屋が暗い雰囲気になるのは嫌だった。まだ起き上がれない分、小さい我が子をずっと見つめていた。<br>名前はもう決まっていた。少し前に旦那と話していて、私の希望は男の子だったら、まー君って呼びたいのと上の息子と同じ斗をつけたい。ってのを踏まえてまことかなーって話していた。顔を見た瞬間に、うん、やっぱりまことだって思った。<br><br>旦那はどうせ義父の入れ知恵だろうけど、戸籍に残らないなら名前はいらないんじゃないとか言っていた。何て冷たい奴らだと本当に腹が立った。<br><br>そんなやり取りがありつつ、名前は真子斗とつけた。戸籍には残らないけど、私達にとっても本当の子供だよって意味も込めて…<br>
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<link>https://ameblo.jp/makoshiitake/entry-12132427115.html</link>
<pubDate>Wed, 24 Feb 2016 21:16:19 +0900</pubDate>
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<title>出産</title>
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<![CDATA[ am10:00過ぎ　分娩室に移動する。<br>先生が来るまでに少し時間がかかり、痛みに耐え、逃しながら待つ。看護師さんが出産に向けての準備しながら私の背中やお尻をさすってくれた。<br>先生達が集まり、まずは尿道カテーテルを取って様子をみるとの事で、カテーテルが取られる。<br><br>am10:30頃　母から連絡を受けた旦那から職場から到着。上の息子の時に立ち会えなかった旦那はサポートの仕方を聞いて痛む背中やお尻をずっとさすってくれていた。<br>痛みは変わらずどんどん強く長くなっていった。先生の診断では、早ければ今日、遅くても明日には産まれるでしょうとの事。私は「そんなはずはない。もうこの痛みはもう陣痛MAXに近づいている。もうこの子はすぐ産まれてくる。」そう確信していた。たとえ産声をあげなくてもこの子をしっかり産んであげる。悲しい出産になってもこの子も頑張ってるから私も頑張る。母親として最後に出来ることはしっかり産んであげること。お腹が痛くなって病院に運ばれて延命治療の話が出て…お腹の痛みと闘いながら１日半。お腹の痛みが強くなる度にずっとそう思っていた。<br><br>またお腹の痛みがきた。旦那にさすってもらうも長く痛む。何か降りてきた気がして看護師さんに伝える。旦那は立ち会えないのでここで退室させられる。張り止めの点滴が中止されるとそこからはあっという間だった。助産師さんや看護師さん数人が側にいてくれて手を握ってくれて声をかけてくれてサポートしてくれた。<br>そしてpm12:13　632gの男の子を出産(死産)した。<br>やっぱり泣き声はしなかった。それでも看護師さん達はよく頑張ったね、上手なお産やったよと何度も声をかけてくれた。
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<link>https://ameblo.jp/makoshiitake/entry-12132378782.html</link>
<pubDate>Wed, 24 Feb 2016 11:39:30 +0900</pubDate>
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<title>入院２日目</title>
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<![CDATA[ am0:30頃　段々お腹の痛みが増してくる。またいきみたい様な感じ。比較的毎日お通じが出ていたので昨日トイレに行ってないし、少しは出るかなと思いナースコール。簡易便器を持ってきてもらい、寝たまま試みるもお腹に力は入れられないしやっぱり無理だった。やっぱり陣痛かなと思いつつ、何度か試みさせてもらうもだめ。その後はどんどんお腹の痛み、張りが強くなり時折いきみたくなるも呼吸法で必死に逃す。何度もナースコール押してしまう。その度モニターつけてくれて、赤ちゃんの心拍確認してくれる。そのモニター越しの音で頑張る気力を取り戻す。でも私の張りは相変わらず確認出来ないのでナースコールで訴える。張りの感覚も3分～5分になる。先生も2時間に一度エコーで確認してくれた。子宮口や赤ちゃんは相変わらず変化なし。あまりに私が痛がるので点滴量追加、MAXの一歩手前…痛みで寝れない夜が明けて朝になっていた。<br><br>am9:00過ぎ　朝ご飯持ってきてもらったけど痛みで食べる気力もない。旦那に電話して状況伝える。点滴量増やしても効かないからもう分からない。そう伝えたけど、点滴増やしても増やしても効かない深夜からの現状に、私はもう産まれてしまうと確信していた。<br>am9:30 母にも同じようにもう分からないとLINEを入れた。<br><br>その後ものすごい痛みがきた。逃しても逃しても続く長い痛み。もう体も心も限界だった私はナースコールして、駆けつけた看護師さんに「もういきみたいです」と伝えた。
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<link>https://ameblo.jp/makoshiitake/entry-12132243134.html</link>
<pubDate>Wed, 24 Feb 2016 11:09:52 +0900</pubDate>
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<title>入院１日目</title>
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<![CDATA[ am8:00頃　点滴繋げられて、病室というか陣痛室に移動された。旦那は仕事のため寝ずに出勤していった。少しずつ点滴が効いてきたようで痛みが緩和されてきた。旦那と入れ替わりで一度家に戻った母と息子がいた為家に残っていた父が病院に来た。感染症予防の為、基本12歳までの子供は入れないらしく息子には会えなかった。朝ご飯が運ばれてきておにぎりを１つ食べた。痛みが緩和され私は安心していた。母とも少し話せて母は一度帰って行った。少しウトウトしながら過ごしていた。看護師長さんが様子を見に来てくれて少し話して、何かあれば言って下さいっと言われて、「息子に会いたいです」と泣きながら伝えた。深夜にお腹が痛くなってから初めて泣いた。病院に来るまでも来てからも、すごくすごく不安で何度も泣きたくなっていたけど泣いたら負けちゃう気がして我慢していた。看護師長さんは優しく対応してくれ、少しだけなら大丈夫だからと後で息子に会わせてくれる許可をくれた。旦那も母もいなくなり一人で本当に不安と恐怖に押しつぶされそうだった。<br>母がこまめに送ってくれる息子の写メが心の支えになった。<br><br>pm13:00頃　お昼ご飯が運ばれてきたのでおにぎりを食べているとまたお腹の痛みが強くなってきた。15分置きぐらい。ナースコールをして伝える。少しして診察してもらえる事になった。<br>その後診察してもらうが子宮口や赤ちゃんに変化はなし。様子を見る事になった。<br>お腹の痛みは相変わらず。時折いきみたくなる程の痛み。自分でお尻に圧をかけて痛みに耐える。耐える。耐える。<br><br>pm14:30頃　両親と息子が来てくれた。眠そうな息子は私の姿を見て怖いようで近づいては来てくれなかった。それでも顔を見れて私は嬉しかった。少しして両親と息子は帰って行った。<br>それからお腹の痛み、張りはずっと続いていった。強くはなってない分ひたすら一人で耐えた。たまにナースコールすると、モニターをつけてくれた。その度に赤ちゃんの元気な心拍が確認出来た。でも私の張りはモニターでは上手く確認出来ず、なかなか看護師さんに伝わらない。おなかを触って確認してくれる看護師さんも中にはいて痛いですね、張ってますねと腰やお尻をさすってくれた。それだけで本当に励まされた。<br><br>pm19:30頃　また両親が来てくれた。息子も連れてきてくれていた様だが車の中で寝てしまったらしく母だけ顔を見に来てくれた。痛みが強くなってきていたのでまた腰をさすってもらう。ゼリーを買ってきてもらって食べさせてもらった。面会時間は20時までなので母は帰って行った。<br><br>その後、少しずつお腹の痛みが増してきたので先生が点滴の量を増やしてくれた。<br>少しして効いてきてまたお腹の痛みが少しおさまったのでウトウトしながら過ごした。
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<link>https://ameblo.jp/makoshiitake/entry-12132210368.html</link>
<pubDate>Wed, 24 Feb 2016 08:46:15 +0900</pubDate>
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<title>入院</title>
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<![CDATA[ 救急車に乗って病院行くまでにも陣痛は続いていた。痛みがくる度に母に腰をさすってもらった。ただ陣痛がきてるだけ、おさまるはず、大丈夫大丈夫と何度も自分に言い聞かせる。病院到着すると看護師さん達が処置の準備していた。何からされたか覚えてないけど、病歴や家族構成など色々聞かれたり、採血されたり、内診されたり…<br>合間に自然と先生達の会話が耳に入ってくる。<br>胎胞が出てるとか子宮口全開だねとか…<br>少しして旦那が呼ばれて説明受けてるが、私は痛みを逃すので朦朧。<br>先生が言うには、子宮口が開いて胎胞が膣の中に出てしまっている、赤ちゃんはかろうじて子宮の中に留まっている、このまま産まれても重度の障害が残るし生きて産まれてくるかも分からない、延命治療はどうされますか？という話だったみたい。<br>その時、痛みと闘いながらあぁやっぱりもうダメなのかなと思った自分がいた。このまま産まれてしまうのだと覚悟した。そして私達は迷わず延命治療はしないという決断をした。<br><br>しばらくしてエコーをされた。もう一度説明を受ける。胎胞が出ているが赤ちゃんは子宮内に留まっている点は同じ、しかし子宮口は3cmとの事。１日でも長くお腹にいた方が赤ちゃんの為なので張り止めの点滴をして様子を見るとの事。さっきと違う診断。張り止めの点滴…これをしてもらえればこのお腹の痛みがおさまって助かるかもしれない。早く点滴してほしい。早くこの痛み、陣痛を止めてほしいと私は心底そう思った。それから尿道カテーテルの処置をされ点滴がやっと開始された。
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<link>https://ameblo.jp/makoshiitake/entry-12131952579.html</link>
<pubDate>Tue, 23 Feb 2016 14:16:55 +0900</pubDate>
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