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<title>曼荼羅（Man-dala）</title>
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<description>人生の生き方や考え方について、またちょっとした良いお話とかを、あまりジャンルにこだわることなく、思いつくまま書いてみたいと思っています。</description>
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<title>電話かメールか？</title>
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<![CDATA[ <p>　相手に何かを伝えたいと思ったとき、さて電話をするか？メールをするかで、迷ったことはありませんか？</p><br><p>　一般的には携帯電話代がかさむので、多くの場合はパソコンや携帯メールで用件を伝えているのではないでしょうか？</p><p>　最近では同じキャリアー同士では通信料（電話代）は無料が当たり前なので、すべて電話で伝えているという人も多いのでは？と思います。</p><br><p>　私は<font color="#ff0000"><font color="#000000">、</font><strong>「気持ち」を伝える時は口頭</strong></font>で、<font color="#ff0000"><strong>「考え」を伝える時は文章</strong></font>（絵、図）で、<strong><font color="#ff0000">複雑な内容の時は両方を併用</font></strong>することが望ましいのでは？と考えています。</p><br><p>　「メラビアンの法則」をご存知だろうか？</p><br><p>　人と人が対面してコミュニケーションをする場合、話の内容などの「<a title="言語" href="http://blog.ameba.jp/wiki/%E8%A8%80%E8%AA%9E"><font color="#002bb8">言語</font></a>情報」が７％、口調や話の早さなどの「<a title="聴覚" href="http://blog.ameba.jp/wiki/%E8%81%B4%E8%A6%9A"><font color="#002bb8">聴覚</font></a>情報」が３８％、見た目などの「<a title="視覚" href="http://blog.ameba.jp/wiki/%E8%A6%96%E8%A6%9A"><font color="#002bb8">視覚</font></a>情報」が５５％の割合ででるという法則です。</p><br><p>　これは、人との情報交換で伝わる情報は、「顔の表情が５５％」「声の質や大きさやテンポが３８％」「話す言葉の内容が７％」の割合になるというコミュニケーションの法則とも言えます。</p><br><p>　直接対面した場合ですら、話す言葉の内容はたった７％しか相手に伝わらないということを意味します。</p><p>　しかしながら、当たり前ですが、直接相手と話をしているのですから、相手の「気持ち」はわかりやすいと言えます。本当に気持ちを伝えたいときは電話ではなく「会って話しをする」のが大原則ですね。</p><br><p>　逆にメールだと、気持ちなどの感情的な要素は伝わりにくいものの、言いたいことはすべて書くことができるので、相手も何度も何度も読み返すことが可能となります。</p><br><p>　まあ、とても当たり前のことを書いていますけど・・・（笑）</p><br><p>　でも、この使い分けがなかなか上手にできていないのではないでしょうか？</p><br><p>　電話では正しく伝わらない、メールでは誤解生じると思って、それぞれを使い分けた方がいいでしょう。</p><br><p>　どうやら、愛の告白はメールではなく、直接会って伝えたほうがいいってことですねえ（爆笑）</p><p><br></p>
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<link>https://ameblo.jp/man-dala/entry-10519604793.html</link>
<pubDate>Tue, 27 Apr 2010 22:29:31 +0900</pubDate>
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<title>「気づき」の思考方法</title>
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<![CDATA[ <br><p>　私は、新しい生き方の１つとして、<strong>気づきの思考方法</strong>を提案したいと思っています。</p><p><br>　決して、特別目新しい思考方法でもありません。似たような啓蒙書が世の中にはたくさんあります。</p><p>　しかし、私はこの方法で「新しい生き方」に目覚めることができました。</p><p><br><strong><font color="#ff0000">□　『気づき』とは？</font></strong></p><br><p>　「気づき」とは、普段、何気なく目にする、あるいは耳にする事柄のうち、何に焦点をあてて、どのように思い、どのように発展させていくかの「考え方」の手法といえます。</p><p>　思考方法をニュートラル（自由で偏りの無い状態）にすると、いろいろと「気がつく」言葉とか、「目につく」物ごとが必ずや出てきます。<br>　そして「それってどうして？」って思うものが必ずや出てきます。</p><p>　それを私は「気づき」と呼んでいます。</p><br><p>　今まで、見ても（聞いても）気にも留めたかった（気がつかなかった）ことがあることにあらためて「気づく」こともあるでしょう。</p><p>　「気づきの思考」とは、そのちょっとした「気づき」をきっかけにして、更にいろいろと思考を巡らせていく方法です。<br>　良い「気づき」を起こすには以下のような観点で「日々の思考パターンを変えていくこと」です。</p><p><br><font color="#ff0000"><strong>□　常に肯定的な思考を行う</strong></font></p><p><strong><font color="#ff0000"><br></font></strong></p><p>　肯定的な思考方法こそ、すべてうまくいくための最良の方法です。<br>　何かにぶち当たったときに、それがあるから「出来ない」って考えるのではなく、「それをクリアーすれば出来る」と考えるように意図的に仕向けます。</p><p>　（この考え方は既にブログで述べました）</p><p><br>　否定的は思考は絶対にダメです。<br>　物事を考えるときにまずはそれを「肯定」して考えてみるようにします。「否定」した時点で「思考停止」に陥ることになります。（後から述べますが、この思考停止ってとても怖いのです）</p><p>　肯定的な思考って意外と簡単なようで、それを続けるのは難しいかもしれません。</p><br><p>　とりあえず、以下の２点だけを意識的に励行してみてはいかがでしょうか。</p><br><p>　「○○しなければならない」という考え方を止め、「○○したいからそうする」という考え方に改めましょう（義務ではなく、権利と思って行動する）<br>　相手の話を決して否定はしない。まずは同意してあげる。意見を述べるとき、肯定型あるいは提案型で話をする。（否定型、命令型ではいけません）</p><br><p>　愚痴や不満を口にするのはやめましょう。<br>　愚痴や不満って「否定的な思考」であり、きっと思考停止状態に陥っていると思います。</p><br><p>　簡単な例を１つ挙げると、仮に自分の職場（周囲）にどうしても嫌な上司（部下）がいたとします。</p><br><p>・<strong><u>否定的な思考：</u></strong><br></p><p>あの上司（部下）の性格は絶対に嫌、どうしようもない性格だし、あの人が職場にいるからみんな不幸になるんだから、早く辞めてくれたらいいのに。</p><br><p><strong><u>・肯定的な思考：</u></strong><br></p><p>なんとかしてあの上司の性格を変えてあげれないかなあ。あの人の性格がいいように変わったら、職場のみんなが幸せになれるのに。</p><br><p>　どちらの文章も解決方法として最後に「～～ならいいのに」という願いの言葉が書いています。</p><br><p>　仮に、この否定的な解決方法を実際に行って成功したとします。でも、その時はその嫌な性格の人たちの中にあなたも「仲間入り」していることでしょう。</p><p><br>　この次に職場を辞めるのは「あなた」ってことになります。</p><br>
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<link>https://ameblo.jp/man-dala/entry-10518686508.html</link>
<pubDate>Mon, 26 Apr 2010 21:44:52 +0900</pubDate>
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<title>幸運の女神には後ろ髪が無い</title>
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<![CDATA[ <p>　少し前にたまたま同じ時期に複数の人から聞いた言葉なのですが<strong><font color="#ff0000">「幸運の女神には後ろ髪が無い」</font></strong>という言葉をふと思い出したので、本日のブログのネタにしたいと思います。</p><br><p>　私のイメージでは、幸運（幸運の神様）は頻繁に自分の周りに現れて、その多くは単純にすれ違っていっているのだと考えています。</p><p>　すれ違ってから気づいて、それをつかもうとしても「幸運の女神には後ろ髪が無い」ので、つかむことができない。これは<strong><font color="#ff0000">「どんな幸運（チャンス）もその時にしかつかむことができない</font><font color="#ff0000">」</font></strong>ことの比喩だと思っています。</p><p>　「後の祭り」ってことでしょうねえ。</p><br><p>　では、幸運の女神の前髪をしっかりつかむにはどうしたらいいのでしょうか？</p><br><p>　まず大事なのは、いかにして「幸運の女神に寄ってきてもらうか？」ということだと思います。</p><p>　世の中「成功の法則」とか「引き寄せの法則」みたいな自己啓発本が氾濫していますが、たぶん、この本にも似たようなことが書いてあるのでは？と思います。</p><p>　それは自分自身の前向きな生き方や、感謝の行き方などの「プラス思考」があげられているのではないでしょうか？</p><p>　（私自身、そういった本は読んだことが無いのでよくわかりませんが）</p><br><p>　きっと、おそらくは、そのような生き方をしていると、幸運の女神が寄ってくるのだと思います。</p><br><p>　では、今度はその幸運の女神の前髪をどうやってつかむのか？です。</p><br><p>　最低限、大事なのは「とりあえずはつかんでみる」ということではないでしょうか？</p><p>　ただし、幸運の女神ばかりとは限らず、貧乏神もその中には含まれているかも？（笑）</p><br><p>　冗談はさておき、結局のところ私達「凡人」には、何が幸運の女神なのかはわからないのかもしれません。</p><p>　そもそも、幸運の女神はどうも「シャイ」なところがあるのか、露骨に「これが幸運ですよ！」とは言ってくれないみたいです。</p><br><p>　結局は「気づくか気づかないか？」は「あなたの運次第」とも言えるのかもしれませんが（爆笑）</p><br><p>　１つだけ、私が「この方法ならば・・・」と思う方法があるので、ご紹介します。</p><br><p>　それは<font color="#ff0000"><strong>「常識、先入観、思い込みといったものを捨てる」</strong></font>ことだと思います。</p><br><p>　以前のブログで「常識とは何なのか？」といったテーマで記事を書いてますので、参考にしてください。</p><br><p>　人間、ある物事を判断する場合、必ずしも物事の本質を見ず、常識や先入観、思い込みで判断してしまってはいないでしょうか？</p><p>　例えば、ある男性が「食事に誘ってくれた」・・・、しかし、このことを「どうせ、何か下心があるんだろう？」って判断して、断るのも自由、また、「いや、これも何かの縁・・・」って考えて、食事に応じるのも又自由。</p><p>　必ずしも、どちらかが正しい選択だとは言い切れませんが。</p><br><p>　きっとその男性は過去にも同様に下心でデートを申し込んできたことがあったのでしょう。</p><p>　だから、「また今回も同じであろう」という<strong>「思い込み」</strong>、「また今回も何か下心があるんだろう？」という<strong>「先入観」</strong>、「どうせ、こんな男はろくでもない男に違いない」という<strong>「常識」</strong>・・・・</p><br><p>　だけど、もしかしたら、その男性があなたの将来の伴侶になる男性なのかもしれません。</p><br><p>　結局のところ、幸運か不運かを判断するのは「直感」なのかもしれませんが・・・・</p><br><p>　あと、もう１つあります。</p><p>　それは、「幸運の芽」を出すために「たくさん、種まきをすること」、「時々、水をやること」「肥料をやること」でしょうね。</p><p>　水は心配り、肥料はお金と言えるかも？</p><br><p>　まあ、今日のブログのネタは正直なところ「説得力には乏しい」し、「根拠もあやふや」と思っています。</p><p>　</p><p>　だけど、「私は幸運に恵まれています」</p><br><p>　そうそう、畑に幸運の種を蒔くには、最初に畑を耕す必要があります。</p><p>　もちろん、それには<strong><font color="#ff1493">「幸運機」</font></strong>を使ってください。（爆笑）</p><br><p><strong>追伸：</strong></p><p>　実は、私は「前髪は少ない」のですが、なぜか「後ろ髪」は多いです。</p><p>　さて、私は幸運の女神にはなりえないのか・・・はたまた、新種の幸運の女神なのか・・・？（爆笑）</p><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/man-dala/entry-10517782579.html</link>
<pubDate>Sun, 25 Apr 2010 20:36:01 +0900</pubDate>
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<title>起きて半畳、寝て一畳</title>
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<![CDATA[ 今、仕事で出張中です。<br>ブログはお休みの予定でしたが、ふと、この言葉が頭をよぎったので、携帯電話から書くことにしました。<br><br>起きて半畳、寝て一畳という言葉は亡くなった父親がよく例え話に使っていたようです。<br><br>意味は、人間、起きて座っている時は、畳にしたら半畳あれば十分、寝ている時でさえ、畳一畳あれば十分という意味です。<br><br>これは、物資重視のライフスタイルに対する、ある種の警告とも捉えることができます。<br><br>私事ですが、先日、引越しをしました。新居はいわゆる二世帯住宅なのでキッチンは２つあります。<br>一般的な一戸建て住宅と較べると広いほうに属するかと思います。<br><br>我が家はとにかく物が多い家で、三人住まいなのですが、引越しの荷物は２トンロングのトラックで５台ありました。<br>引越し直後は荷物で溢れかえり、寝るスペースもないあり様でした。<br>唯一空いていたスペースはキッチンで、引越し当時は真冬で寒かった事もあり、母親のアイディアで余っていた畳を一枚敷いて、キャンプ用のミニテーブルを置いて、家族三人が食事をしていました。<br><br>起きて半畳とはよく言ったものです。<br>我が家のリビングは一畳あればなんとかなります。<br><br>以前より、広い家を授かったと感謝していますが、その広い家から、狭いスペースでも人間生きていけることを、教えられました。<br><br>物にこだわった生き方ではなく、生き方そのものにこだわりたいものです。<br><br>商売半畳！<br>このブログが読む人の心に、一畳の光を照らす事を願っています。笑<br><br><br><br><br>iPhoneからの投稿
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<link>https://ameblo.jp/man-dala/entry-10515533972.html</link>
<pubDate>Fri, 23 Apr 2010 06:08:04 +0900</pubDate>
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<title>手作り巣箱</title>
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<![CDATA[ <p>　私の家ですが、ウッドデッキが里山に面しており、朝は小鳥の鳴き声で目が覚めます。</p><p>　（なんて、書いていますが、まあ、実際は「目覚まし時計の音」で目が覚めます。笑）</p><br><p>　まだ、この家に引っ越してきて数ヶ月なのですが、ウグイスの鳴き声がこんなにきれいだとは思ってもみませんでした。</p><p>　ウグイスの鳴き方にも上手、下手があるんですよねえ。</p><p>　ふと気づくと、<font color="#ff0000">無意識に「小鳥と対話している自分」</font>がそこにありました。</p><br><p>　「この鳥を捕獲して、鳥篭で飼ったら・・・」なんて、あるまじき発想が心をよぎりましたが、改めて心を入れ換え、「小鳥のために、何かしてあげられることはないかな？」って思うようになりました。</p><br><p>　そこで、思いついたのは「巣箱」でした。</p><br><p>　インターネットでいろいろと調べたら、巣箱を利用する鳥は概ね以下の種類の鳥に限られているようでした。</p><br><p><strong><u><font color="#fa8072">■巣箱を利用する鳥：</font></u></strong></p><p><strong><u><br></u></strong></p><p>　シジュウカラ、ヤマガラ、スズメ、ムクドリ、ブッポウソウ</p><br><p>　巣箱の作り方（サイズ）も紹介されていたので、早速DIYに・・・</p><br><p>　こんな風に仕上がりました。</p><p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20100421/00/man-dala/f1/aa/j/o0480064010505048993.jpg"><img border="0" alt="曼荼羅（Man-dala）" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20100421/00/man-dala/f1/aa/j/t02200293_0480064010505048993.jpg"></a> <br></p><br><p>　実は、引越しに伴って廃材などが余っており、全て「家にあったもの」ばかりなので制作費はゼロです。</p><br><p>　画面が小さいので、見づらいかもしれませんが、巣箱の屋根は蝶つがいになっているので、蓋が開いて中を見ることが出来、またお掃除もできます。<br>　屋根についている黒いものは雨よけです（このままでは雨が中にしみていくと思ったので）</p><br><p>　ちなみに、材料ですが元は親父が手作りした<font color="#ff1493"><strong>「仏壇」</strong></font>です。<br>　仏壇といっても家具調の仏壇なので、パインの集成材ですが。</p><br><p>　引越しに伴い、仏壇を新しく新調し、古い仏壇をどうしようか？と思っていましたが、思わぬところでリサイクルができました。</p><br><p>　巣箱もいろいろとサイズがあるようで、とりあえずシジュウカラと、ヤマガラにサイズを合わせています。<br>　さて、どんな鳥が来るやら・・・・</p><br><p>　まあ、材料が元は仏壇だったのできっと、<strong><u><font color="#ff1493">『ブッポウソウ（仏法僧）』</font></u></strong>、が来るような気がします。（爆笑）</p><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/man-dala/entry-10513766032.html</link>
<pubDate>Wed, 21 Apr 2010 00:22:50 +0900</pubDate>
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<title>ある回転すし店での物語</title>
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<![CDATA[ <p>　今から、　２つの創作話をします。</p><br><p>　２つとも、回転すし店でお寿司を食べている家族のお話です。</p><br><p><strong><u><font color="#99ccff" size="3">■創作話【１】　：　『子沢山の家族』</font></u></strong></p><p><br>　年末のある日、少ないがボーナスをもらった子沢山の家族の物語です。<br></p><p>　４０歳を迎えた夫婦と、８人の子供のいる家庭のお話です。当然、生活は苦しいはず。</p><p>　その家族が回転すし店に行きました。</p><br><p>　<strong><font color="#ff6600">父親</font></strong>：今日は腹いっぱい食べていいぞ！<br>　<strong><font color="#ff6600">子供１</font></strong>：お母さん、ホントにいいの？<br>　<strong><font color="#ff6600">母親</font></strong>：いいよ、お父さんが一生懸命働いてボーナスをもらったから、今日はお腹いっぱい好きなものを食べてもいいよ。<br>　<strong><font color="#ff6600">子供２</font></strong>：僕、サーモン！<br>　<strong><font color="#ff6600">子供３</font></strong>：私、マグロのトロ！<br>　<strong><font color="#ff6600">子供４</font></strong>：僕、ウニとイクラ・・・・</p><br><p>　<strong><font color="#ff6600">父親</font></strong>：絶句！（汗）<br>　<strong><font color="#ff6600">母親</font></strong>：無言・・・<br></p><p>　<strong><font color="#ff6600">子供３</font></strong>：なんか、これ高そう・・・まあ、普通のマグロでいいや・・・うん、おいしい！<br>　<strong><font color="#ff6600">母親</font></strong>：安堵・・・・<br>　<strong><font color="#ff6600">子供４</font></strong>：僕も、玉子巻でいいっか・・・</p><br><p>　<strong><font color="#ff6600">子供全て</font></strong>：ワイワイ！</p><br><br><p><strong><u><font color="#99ccff" size="3">■創作話【２】　：　『ある老夫婦』</font></u></strong></p><p><br>　身なりはそれなりに立派だが、老夫婦がカウンターに二人で座っている。表情に笑顔はない。</p><br><p>　<strong><font color="#ff6600">老人（男）</font></strong>：このマグロ、一応はトロって書いてあるが、まずいのう。<br>　<strong><font color="#ff6600">老人（女）</font></strong>：そうですねえ、あなた。昔は一緒に江戸前すしで、大トロを食べたけど、やっぱりそっちのほうがおいしいですね。</p><p><br>　<strong><font color="#ff6600">老人（男）</font></strong>：わしは最近、何を食べてもおいしくないわ・・・・<br>　<strong><font color="#ff6600">老人（女）</font></strong>：どうして、こんな風になったんでしょうねえ。たまにはあんな孫の顔が見たいですねえ。近頃は寄り付きもしなくなりました。やっぱりお小遣いを上げないとだめなのでしょうかねえ。</p><p><br></p><p>　<strong><font color="#ff6600">老人（男）</font></strong>：金の切れめが、縁の切れ目かあ・・・・</p><br><p>--------</p><br><p>　さて、この２つの物語を読んで、何を感じましたか？</p><p>　２つとも、私の創作話です。</p><p>　でも、ありそうな話だと思いませんか？</p><br><p>　どちらの家族も、同じ回転すしを食べているのだけど、片方は普通の安いマグロを食べてワイワイやっていますが、片方は大トロを食べても不満足です。</p><p><br>　でも、どちらも食べているのは同じ回転すしです。</p><br><p>　どちらが「幸せ」か・・・・？<br>　これはあくまでもフィクションですが。</p><p><br>　私が思うのに<strong><font color="#ff0000">「幸福も不幸も実は大差ないのでは？」</font></strong>と考えています。</p><p><br>　全く同じことでも、それを<strong><font color="#ff0000">『幸福に感じる心』と、『不幸に感じる心』の違い</font></strong>だけのような気がします。</p><br><p>　雨の日に「じめじめして憂鬱になる」って思う心と、「雨が降って、緑が綺麗だな」って感じる心の差とも言えるかもしれません。</p><br><p>　このお話を、ある「賢者」にしたところ、次のようなコメントをいただきました。</p><br><p><strong>※コメント：</strong></p><br><p>　人間の動機付け理論で『お金』は幸福の要因では無いことになっています。<br>　逆に不幸の要因です。（衛生要因）<br>　つまり、ある程度ないと不幸になるけど、一定額を超えたらそれ以上は意味が無いのだそうです。</p><br><p>　ビルゲイツに向かって「逆立ちしたら100万円あげる」と言っても鼻で笑われるだけですよね？<br></p><p>　僕だったら喜んで逆立ち……出来ないんでした(;_;)　</p><br><p>--------</p><p>　彼はとても頭のいい人で、この世に出来ないことなど１つもないほどの「すごい人」なのですが、どうも「逆立ち」だけは苦手なようでした（爆笑）</p><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/man-dala/entry-10513730573.html</link>
<pubDate>Tue, 20 Apr 2010 23:45:52 +0900</pubDate>
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<title>「常識」とは何なのか？</title>
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<![CDATA[ <p>　世の中、「それって<font color="#ff0000">常識</font>でしょ？」って言って、問答無用にものごとを否定する人が多いと思います。</p><br><p>　私も無意識のうちに時々そういった表現を使ってしまっているかと思います。</p><br><p>　しかし、そもそも「<font color="#ff0000">常識</font>とは何なのか？」って思いませんか？</p><p><br>　私は「<font color="#ff0000">常識</font>≒固定観念」であると考えています。</p><p>　また「<font color="#ff0000">常識</font>≒９９％の人が正しいと思っていること」とも言えます。</p><br><p>　私の考えでは９９％の人が正しいと思ったことでも、<strong>「それが本当に正しいかどうかはわからない」</strong>と考えています。</p><br><p>　例えば、よくたとえ話にされますが、昔の人は「地球は平面である」と思っていたと思います。</p><p>　また「地球を中心にして天体が回っている」（天動説）とも。</p><p><br>　でも、実際のところは「地球は丸い」し、「地球が自転している」（地動説）のは、現代では明白なことです。</p><br><p>　また、戦国時代は、刀を持って戦をし、殺した相手の首を切断して持って帰った・・・。今では想像も出来ないことが「あたりまえ＝<font color="#ff0000">常識</font>」として通用していました。</p><br><p>　身近な例では、携帯電話などがそうかもしれません。</p><p>　今では、ほとんどの人があたりまえのように携帯電話を持っています。</p><p>　「社会人なら携帯電話くらい持っているのが<font color="#ff0000">常識</font>でしょ！」と言えなくもありません。</p><br><p>　しかし、１０年前はどうだったでしょうか？</p><p>　おもだった人はその当時でも携帯電話を持っていたと思います。</p><p>　では、２０年前はどうだったでしょうか？</p><p>　私の記憶では、タクシーなどに備え付けられていたように思います。</p><p>　では、３０年前はというと、おそらくは一家に一台『黒電話』があったくらいでしょう。</p><p>　４０年前はといえば、数軒に一台くらい電話があって、隣近所にかかってきた電話を取り次いだりしていたと思います。</p><br><p>　大昔は緊急の連絡は、電報で「チチキトクスグカエレ」（父が危篤なのですぐに帰って来い）でしたが、</p><p>　今は「父帰宅、すぐ帰れ」と母親が息子に携帯メールをしているのでしょうね（笑）<br></p><p>　時代や、環境、科学、条件、価値観などの変化によって、「<font color="#ff0000">常識</font>が<font color="#ff0000">常識</font>でなくなること」も多々あります。</p><br><p>　今、時代は大きく変化しています（これは<font color="#ff0000">常識</font>ですよねえ？笑）</p><br><p>　ほんの少し、条件が変わるだけで「<font color="#ff0000">常識</font>」というものは、意図も簡単に覆されるかもしれません。</p><p>　そういう意味では私は「<font color="#0000ff">非常識</font>」であることが悪いとは思ってはいません。</p><p>（もちろん、一般の社会通念や、公序良俗、法律に反さない範囲での<font color="#0000ff">非常識</font>ですけど・・・）</p><br><p>　私事ですが、我が家は二世帯住宅なのでお風呂が２つあります。</p><p>　つい、先日、オークションでジェットバスの浴槽を格安で落札しました。</p><p>　自宅のウッドデッキに手作りでジャグジーを作ろうかともくろんでいます。</p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20100419/22/man-dala/de/a8/j/o0600045010503609878.jpg"><img border="0" alt="曼荼羅（Man-dala）-ジェットバス" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20100419/22/man-dala/de/a8/j/t02200165_0600045010503609878.jpg"></a> <br><br><p>　ちなみに、我が家は３人家族であり、これで<font color="#fa8072"><strong>自宅にお風呂が３つ</strong></font>あることになります。</p><br><p>　家族には私は<font color="#0000ff">非常識</font>だと思われているようです。</p><p>　やっぱり、私って<font color="#0000ff">非常識</font>なのでしょうか？（爆笑）</p><br><p>　</p>
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<link>https://ameblo.jp/man-dala/entry-10512843298.html</link>
<pubDate>Mon, 19 Apr 2010 22:03:46 +0900</pubDate>
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<title>世界に１つだけの花</title>
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<![CDATA[ <p>　せっかく仏教的な観点で「曼荼羅」というブログ名を付けさせていただいたので、今日は仏教の教えを１つご紹介したいと思います。</p><br><p>　ＳＭＡＰのヒット曲で<font color="#ff1493">「世界に１つだけの花」</font>という曲をご存知でしょうか？</p><br><p>　歌詞に書かれてることの趣旨は<strong><font color="#0000ff">、「花にはいろいろ種類があるけれど、それぞれの花の種は違うので、それぞれの花を咲かせることに一生懸命がんばればいい」</font></strong>といったものです。</p><br><p>　ここで創作話を１つします。</p><p><br>----</p><p><br>　ある花屋の店先にある<font color="#ff0000"><strong>「赤いバラ」</strong></font>がこんなことを考えていました。</p><p><font color="#fa8072"><br></font></p><p><font color="#fa8072">　<strong>「私は数ある花の中でも一番鮮やかで高貴で美しいのだ！」</strong></font>と。<br><font color="#fa8072"><strong>　「だから、私を買いなさい！、明るい窓側に生けて飾ればいいのだ！」<br>　「そうすれば、そこはバラ色になる</strong></font>」と・・・</p><br><p>　そこへ、一人の女性がやってきて、赤いバラには見向きもせず、迷わず「菊」の花を買っていきました。<br></p><p>　その女性は今から「墓参り」に行く途中でした。</p><p><br>----</p><br><p>　もう１つ、創作話をします。</p><br><p>----<br></p><p>　ある花屋の店先にある<font color="#ff0000"><strong>「赤いバラ」</strong></font>がこんなことを考えていました。</p><br><p><font color="#fa8072"><strong>　「隣にある花たちさん！、みんなそれぞれ自分の持ち味を生かしてきれいな花を咲かせまんか？」<br>　「みんな一緒にがんばりましょう」</strong></font>・・・・と。</p><br><p>　そこへ、一人の男性がやってきて、色とりどりの花の中から「きれい」と思うものを何本か選んで、花束として買っていきました。（もちろん、その中には赤いバラも入ってます）<br></p><p>　その男性は今から病院に入院している彼女の「お見舞い」に行く途中でした。</p><p>　彼女はもうあまり長くはありません・・・・</p><br><p>　男性は病院に着いて、その女性に代って花瓶にその花束を生け、明るい窓側に置きました。</p><p>　女性はその花瓶の中からきれいだと思った花を１つ手に取りました。<br>　それは「赤いバラ」でした。</p><br><p>　その瞬間、女性の心の中は「明るくバラ色」に変わりました。</p><p>　女性はこう語りました。<br></p><p>　「私の人生は、とても短い人生だったけど、こんなバラのような美しい人生だった」と・・・</p><br><p>----</p><br><p>　これらは、あくまでも、単なる創作話です。</p><br><p>　バラはバラ、菊は菊、バラは菊にはなれない、バラにはバラの菊には菊の「使命」がある。<br>　大事なのは、バラはバラとして、菊は菊としての使命を「最大限まっとうすること」だと思います。<br></p><p>　これは、天台宗における「一隅を照らす」という考え方にも似ていますし、日蓮宗（法華経）における「桜梅桃李（おうばいとうり）」という考え方にも通じるものがあります。</p><br><p><strong>一隅を照らす：</strong><br>　「一隅」とは今自分のいる「その場所」のこと。<br>　一人ひとりがそれぞれの持ち場で全力を尽くすことによって、社会全体が明るく照らされていく。</p><br><p><strong>桜梅桃李：</strong><br>　桜は桜、梅は梅、桃は桃・・・・<br>　いずれも独自の美しい花を咲かせることから、桜は桜の、梅は梅の、桃は桃の、李は李の特徴を改めることなく、生かしていくとの意味</p><br><p>　私が昔から大事にしている「座右の銘」とも言える言葉があります。</p><br><p>　それは<strong><font color="#ff0000">「路傍の石でも磨けば光る」</font></strong>という言葉です。<br></p><p>　誰かが言った言葉ではありません。（自分の心の底から沸き出でたものです）</p><p>　意味は自明かと思いますが、道端に落ちているつまらない石でも「磨けば、それなりに光る」というような考え方です。</p><br><p>　みんな、生まれながらにして<strong>「生まれてきた意味、目的、使命」</strong>があると私は考えています。</p><br><p>　その使命をまっとうすることが、幸せに生きる秘訣だと考えています。</p><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/man-dala/entry-10512091489.html</link>
<pubDate>Sun, 18 Apr 2010 23:44:12 +0900</pubDate>
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<title>「出来ない」と嘆くのではなく、「出来る方法」を考えましょう</title>
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<![CDATA[ <p><strong>　「出来ないという理由」を１つ１つ見つけるより、「出来る方法」を１つ１つ考えるほうが楽しい。</strong></p><br><p>　多くの人が何か困難な状況に出会ったとき、ついつい、それが実現できない理由ばかりを考えてしまうのではないでしょうか？</p><p>　例えば、お金が無いから○○できない、時間が無いから○○できない、景気が悪いから、政治が悪いから○○できないなど。</p><br><p>　たぶんこれって「言い訳」のような気がします。</p><br><p>　できない理由を自分以外の何かに転嫁し、その理由を明確にすることによって、できない自分を正当化しているのかもしれません。</p><br><p>　できない理由を１つ１つ述べても、結局最後には「できない」という事実だけが残るだけだと私は思います。</p><br><p>　ここで、１つだけ前向きに考えて、できない理由を述べるのではなく、もう少しだけ前に進んで、では「できるようにするにはどうしたらいいのか？」を考えてみてはどうでしょうか？</p><br><p>　「○○できない」というところで思考を止めるのではなくて、「なので○○したらどうだろうか？」まで考えを進めればよいだけだと私は思います。</p><br><p>　その方が、楽しいじゃないですか！</p><p><br>　　<strong>「出来ない理由からは何も生まれない、出来る方法には可能性がある」</strong></p><br><p><strong>　</strong>と私は思います。</p><br><p>　思考を<strong>○○できない</strong>「で切る」のではなくて<strong>、○○すればできるのでは？</strong>というところまで、一歩進めましょう（笑）</p><br>
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<link>https://ameblo.jp/man-dala/entry-10510459960.html</link>
<pubDate>Sat, 17 Apr 2010 06:09:26 +0900</pubDate>
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<title>ブログ名の由来</title>
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<![CDATA[ <p>　このブログの名称「曼荼羅（Man-dala）」ですが、そもそも曼荼羅とは何なのでしょうか？</p><br><p>　Wikipedia で調べたら、次のように書かれていました。</p><br><p>　<strong>曼荼羅</strong>（まんだら、<a title="サンスクリット" href="http://blog.ameba.jp/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%88"><font color="#002bb8">梵語</font></a>：<b>मण्डल</b> <i><span class="Unicode">maṇḍala</span></i>）は<a title="仏教" href="http://blog.ameba.jp/wiki/%E4%BB%8F%E6%95%99"><font color="#002bb8">仏教</font></a>（特に<a title="密教" href="http://blog.ameba.jp/wiki/%E5%AF%86%E6%95%99"><font color="#002bb8">密教</font></a>）において聖域、仏の悟りの境地、世界観などを仏像、シンボル、文字などを用いて視覚的・象徴的に表わしたもの</p><br><br><p>　私の（拙い）理解としては、「ある考え方などの全体像をイメージして視覚化したもの」、あるいはそれを「忘れないようにするためのもの」、または「思い出すためのもの」という風に考えています。</p><br><p>　おそらくは私にとってはこのブログが、上記の曼荼羅のような意味あいを持つのではないかと思っています。</p><br><p>　「まんだら」悪くもないネーミングでしょ？（笑）</p>
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<link>https://ameblo.jp/man-dala/entry-10510455832.html</link>
<pubDate>Sat, 17 Apr 2010 05:55:06 +0900</pubDate>
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