<?xml version="1.0" encoding="utf-8" ?>
<rss version="2.0" xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom">
<channel>
<title>赤ちゃんと肝臓とわたし</title>
<link>https://ameblo.jp/marbow1018/</link>
<atom:link href="https://rssblog.ameba.jp/marbow1018/rss20.xml" rel="self" type="application/rss+xml" />
<atom:link rel="hub" href="http://pubsubhubbub.appspot.com" />
<description>劇症肝炎の発症から二人目の出産までの回顧録</description>
<language>ja</language>
<item>
<title>EICUへ  そして肝性脳症</title>
<description>
<![CDATA[ Ｎ病院に救急搬送されたまいーこ。<br>先ずは入ってすすぐの部屋で処置を受ける。<br><br>服を着替え、尿管に管を通す。<br>胸部に何ヵ所もモニターのパッドを貼る。<br>あれよあれよと言うまにどんどん進められていく。私はそばの看護師に聞いた。<br><br>「CTUにはどのくらい居るんですか？」<br>「…。あ、ICUですか。まだいろいろ検査してみないとなんとも言えません。」<br>恥ずかしい。<br>今思えばあのときもう、脳が炎症してると思われたかもしれない。<br><br>尿管を通されてもまだ明日の授業が気になり、早く出たい、早く出たいとそればかり考えていた。<br><br>その後EICUという、より緊急性の高い集中治療室に運ばれる。<br><br>難しい書類にサインをする。<br>血漿交換による治療の承諾書。<br><br>血液データを見てもウィルスは見つからず、食べ物による中毒とも違うが、何かの原因によりものすごいスピードで肝細胞が壊されていて、肝機能が働きにくくなっている。<br>このままでは肝不全により、多臓器に影響が及び命が危ないという。<br>手段としては血液中にある、肝臓で分解されなかった毒素を浄化するために２つの処置をする。人工透析と血漿交換だ。血液を浄化して各機能に影響を及ばすのを防ぎ、肝臓が自己修復するのを待つ。<br><br>お腹の赤ちゃんのことが一番の心配。<br>先生に聞いても、最善を尽くすとしか返答がなく、不安なまま夜を明かす。<br><br>それにしてもこの病院に来てから何度も何度も名前と住所、生年月日などを聞かれる。3度目くらいから情報が伝わってないのか、といらいらしてくる。<br>寝ながら両手を天井に向かって開き、かざすしぐさもさせられる。「羽ばたき震戦」という、肝炎の段階のテストだという。<br><br>わかりきった質問と、簡単なしぐさの要求も入院二日目のある時を境に難しくなる。<br>自分の名前は分かるが、住所や年齢がわからなくなってきたのだ。<br>同じことばかりさせられることにも無性に腹が立ち、相手に文句を言う。<br>「あー、もう、分からない！」しまいには怒り出す。<br><br>それがまいーこの記憶の中では最後の質問。<br>どうやら肝性脳症が始まり、ステージが進んでいったようだ。<br><br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/marbow1018/entry-11714078654.html</link>
<pubDate>Thu, 28 Nov 2013 20:25:00 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>赤ちゃんと肝臓とわたし</title>
<description>
<![CDATA[ <p>３年前、わたしは劇症肝炎を発症し、生体肝移植を受けました。</p><p>お腹にいたわが子を亡くし、病気を繰り返し、第２子を無事出産するまでの回顧録を記します。</p><br><p>このブログは私の記録のためと、同じような経験をした方々との情報や気持ちの共有ができればという思いで開設しました。</p><br><p>時系列に沿って書いていくつもりですが、３年前のことなので多少前後することもあるかと思います。</p><br><p>２０１０年、平成２２年６月。</p><p>第２子をお腹に宿し、妊娠１７週を迎えていた。長男が１歳になる直前から教員として勤め始めて３年目。仕事と育児・家事をこなしきれず、いつもいっぱいいっぱいいな生活を送っていた。</p><p>それに加えて今年度は区の研究で授業をすることになり、６月１５日の研究授業に向けて準備に忙しかった。</p><p>そんな生活の中で自分の体の変化には気づかなかった。後から思えば症状は出ていた。慢性的な疲れと倦怠感、色の濃い尿、食欲減退など。つわりのないわたしだが、妊娠中の症状だろうと思っていた。</p><p>入院の２日前には高熱も出たが、医師には風邪と診断され、薬ももらわず帰ってきた。一晩で解熱。</p><br><p>ところが研究授業の前日、６月１５日、黄疸が発症。学校で翌日の準備をしているところ、事務と養護の先生が変化に気付き、受診を促した。よく見れば白目が真っ黄色。</p><br><p>産婦人科に行くと、先生が一目見るなり言った。</p><p>「肝炎だね。これはすぐには治らないよ。紹介状を書くから○大病院に行きなさい」</p><p>○大病院での採血データは大変なものだったらしい。ALT,ASTともに正常値４０が限界のところ、４０００近くの高値。エコーでは多少の肥大が認められた。</p><p>救急外来の部屋ににわかに大勢の医者が集合し、なにやら話しているのを見たが、まさか自分のことだとは思わなかった。</p><br><p>ただ事ではないことに気付き、母親に電話。保育園の息子を連れて来るようにお願いした。</p><p>あとは明日の研究授業のことが気になって仕方ない。まずは管理職に伝えるが、この先どうなるのか全く分からないので不安が高まる。</p><br><p>しばらく待たされた挙句、医師から転院を伝えられる。</p><p>○大病院にはこの症状に対応する設備が整っていないらしい。</p><br><p>転院先は渋谷にあるN病院。救急車で行くという。</p><p>え？別に歩けるし、元気なんですけど？と思いながらも担架に寝かせられ、乗車。</p><p>板橋から渋谷までの長距離をピーポー言いながら移動した。</p><br><p>わたし、どーなるのー？</p><p>研究授業は？</p><p>おなかの赤ちゃんは？</p><p>不安を抱えたままのまいーこ。</p><br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/marbow1018/entry-11713854733.html</link>
<pubDate>Thu, 28 Nov 2013 13:50:07 +0900</pubDate>
</item>
</channel>
</rss>
