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<title>新宿メロドラマ。</title>
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<description>いよいよどうにもイヤになり、ついに酒をやめたが、なんと世界は消滅しなかった。それがただもう驚きで、その驚きの醒めやらぬうち、俺は筆を執る。</description>
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<title>どんなに打ちのめされても - ブログ移転の通告。</title>
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<![CDATA[ <object width="480" height="385"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/o7sNRwl1Mt4&amp;hl=ja_JP&amp;fs=1&amp;"><param name="allowFullScreen" value="true"><param name="allowscriptaccess" value="always"><embed src="https://www.youtube.com/v/o7sNRwl1Mt4&amp;hl=ja_JP&amp;fs=1&amp;" type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true" width="480" height="385"></object><br><br>「じゃあ、もうワンテイクいってみようか」そんな風にまるで軽いプロデューサーのような調子で、当ブログは「<a href="http://d.hatena.ne.jp/wild_pasta/" target="_blank">はてなダイアリー</a>」への移行が決定した。<br>のほほんとした日記帳のブログが毎日のように沸きあがり、まるで腫れ物にでも触るかのようにそっとペタがつく、そんなアメーバブログで安穏とするのではなく、はてブ民による地獄のような叩きに遭って揉まれてこいというわけだ。<br>PHP新書「<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4569635253?ie=UTF8&amp;tag=shinjukumelod-22&amp;linkCode=as2&amp;camp=247&amp;creative=7399&amp;creativeASIN=4569635253" target="_blank">パーソナリティ障害</a>」によれば、<br><br><span class="status-body"><span class="status-content"><span class="entry-content">・少しの回避性パーソナリティ障害<br>・強い演技性および自己愛性パーソナリティ障害<br>・強迫性</span></span></span>パーソナリティ障害<br><br>の傾向があるという私にとって、主の人格をへし折るかのようなはてブ民の物言いは、VIPなど問題にならないほど恐ろしい。だが叩かれもしなかったとすれば結果はもっと酷いことになるだろう。<br>まぁ「どんなに打ちのめされても」やってみるしかあるまい。<br>今朝起きるとすでにブログデータは移行が完了していた。<br>はてなへは移行しない唯一のエントリーをもって、アメーバブログ「新宿メロドラマ」の更新を終える。<br>この物語の続きは、<a href="http://d.hatena.ne.jp/wild_pasta/" target="_blank">はてなダイアリー・「新宿メロドラマ」</a>へ続く。<br>ブックマークあるいはRSSの変更をお願いしたい。<br>ありがとう、アメーバブログ。ありがとう、<a href="http://ameblo.jp/yuu006121961/" target="_blank">ランドルフィ</a>。<br><br><br>（動画はアルバム「どんなに打ちのめされても」（1993年）所収、橘いづみ「東京発」）
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<link>https://ameblo.jp/maria03/entry-10577983181.html</link>
<pubDate>Thu, 01 Jul 2010 00:08:53 +0900</pubDate>
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<title>ツキノウラガワ。</title>
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<![CDATA[ うさぎふらすこが「<a href="http://usagifrask.com/">株式会社うさぎふらすこ</a>」を名乗って1ヶ月が経った。<br>この間あったことといえば、人の悩みを顕微鏡でのぞくようにためつすがめつする「<a href="http://buzzoo.chiebukuro.usagifrask.com/">BUZZOO!知恵袋</a>」がリリースされたり、偽装になっているのかなっていないのか分からんTwitterクライアント「<a href="http://tweegle.usagifrask.com/">tweegle</a>」が上位でBUZZられてサーバが不安定になったり、「<a href="http://xls.usagifrask.com/">エクセル風2chビューワ</a>」で2chの書き込みをみた人が「消してくれ！」と云ってきたりと、まぁそれなりに多彩ではあった。<br>設立2日目で奇跡的なご招待に預かった「<a href="http://www.flat-network.co.jp/">異業種交流会FLAT</a>」では座長のプレゼンテーションが冴え渡り、会場を笑いと困惑の渦に巻き込んだことも付け加えねばならない。もっとも私は会場の参加者に、「・・・・宗教団体？」と尋ねられたのが一番の思い出になった。<br><br>ところで座長がうさぎふらすこ社の社是を「バカとエロで世界を再構築したい。」に定めた。<br>社是なんだから「したい。」ではなく「する。」と云い切ればよいのだろうが、そこは昔、よしもとばななが「私がこの世でいちばん好きな場所は台所だと思う」と書いて、「お前が好きなんだから『思う』じゃないだろ！」と激しい怒りを買ったのと同種のセンスなのだと「思う」。<br>さてインターネットがますますややこしい場所になってきて、ちょっと前なら「匿名性により凶暴化した個人の自我が暴力的な言葉で人の心を踏みにじり・・・・」などとえらくもてはやされた「匿名性」が実際問題、ファンタジーに過ぎないということが明らかになるとともに、ネットは公序良俗にまつわる自主規制の類によって整地されつつある。<br>「○○殺す」と書いたとたんに「通報した」「アウッ！アウアウッ！」「記念パピコ」などと囃され、実際問題プロバイダによる情報開示の果て、逮捕に至った例は枚挙に暇がないし、最近では風俗ブログなども削除されることがある（何故だ！？）ようだ。<br>しかしだいたいにおいて「自主規制」というやつは過剰だし、それはそもそも自主規制というのは見識や分別のないやつが云い出すことだからそうなるのだ。浜田幸一先生も孫正義社長も、ただ面白がるだけで何も云わずに「<a href="http://twit-shirts.net/">Twit-tshirts</a>」<span style="font-style: italic;"><br></span>を買ってくれた。<br>大人というのは、「だいたいOK」かどうかが分かっているものなのだ。そうでない輩の手に、このままネット社会を引き渡してしまうのはあまりにも惜しい。<br>「カッパ発見！」をテレビで報道するのは問題だが東スポなら年中そんなことを云っているし、コンビニ売りのムック本の世界に至っては、ほぼそれで食っているような人もいたりするわけだが誰も気にしない。思うにネットなどは情報発信の容易さから云えば、それを更に3段ぐらい下品にしたメディアに過ぎない。公序良俗が聞いてあきれる。<br>「かあちゃん、パジャマで出歩くのやめてくれよ」<br>「いいじゃない、近所なんだから」<br>いいんである。<br>スーツでカバンを提げ、渋谷か六本木あたりをうろつけば「IT系」だと思いこんでいるような愚か者が、この「ご近所性」を圧殺しようとしている。<br>抵抗する気はない。だが頭の悪い奴は、痛い目にあわせてやらなければならない。<br>「バカとエロで世界を再構築したい。」<br>どうせバカでエロなんだから、別にいいじゃない。<br>せめてそちらへ向けて窓を開いておかなければ、我々は短い人生の間に「ウェブ」の次の段階を拝むことは叶わないだろう。<br>
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<link>https://ameblo.jp/maria03/entry-10570823199.html</link>
<pubDate>Fri, 25 Jun 2010 01:44:09 +0900</pubDate>
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<title>ゆくはかえるの橋。まず己の主であれと晴明は語った。</title>
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<![CDATA[ <br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20100622/23/maria03/5b/fb/j/o0800060010604436411.jpg"><img border="0" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20100622/23/maria03/5b/fb/j/t02200165_0800060010604436411.jpg" alt="新宿メロドラマ。-晴明神社" style="float: left; clear: both;"></a><br>列をなしてしゃがみ込んだ修学旅行生は野菜畑のようにコンコースを埋め尽くしていた。<br>京都はこの季節もまた修学旅行シーズンのようだ。若い娘が好きでたまらない銀河さんの視線を遮りながら、そそくさと駅を出る。<br>暑い。<br>梅雨が明けると京都の熱気はまるで霧か靄のように、手を伸ばせば触れるのではないかと思うほど濃い空気となってすべての街角にのしかかる。<br>いまはまだそれほどではないが、しかしこの肌にまとわりつくような暑さはやはり、京都だ。<br>駅前からタクシーに乗り、行き先を告げた。<br>「タバコは大丈夫ですか」と銀河さんがドライバーに尋ねると、驚いたことにオーケーだ。<br>東京ではタクシーが全面禁煙になって久しいが、大阪などへ行くと「ただでさえこの不景気やのに、そないなこと云うとったら乗る人なんかいやしませんがな」ということらしい。<br>それはわかるが、しかしそういうことを云っているからいつまで経っても「だから大阪は・・・」と云われ続けるのではないか。<br>まぁいい。それだけ大阪の景況には余裕がないということだ。何事も東京が基準だと思ってはいけない。<br><br>一条戻り橋は御所の東北、いわゆる鬼門にある。<br>安倍晴明はそれと告げることもなくこの近くに住まい、平安京に向けて口を開けんとする魔境に向かい合って暮らしていたのだ。<br>晴明が式神を封じ、通る人のことを晴明に知らせたり、あるいはこれを渡る人に晴明の言葉を伝えさせたりした一条戻り橋は「いくはかえるの橋」と呼ばわれ、いまでも婚礼や葬儀の列はこの橋を避けるのだと云う。行けば戻ってはならない世界が、ある。<br>タクシーを降りると、話に聞いた通り実に小さな石の鳥居が両隣を普通の街並みに挟まれて立っていた。<br>班行動中の修学旅行生がひっきりなしに出入りする境内は、まさに猫の額に匹敵するほどの狭さと感じられる。<br>しかし飄々と、華美とは無縁の日々を暮らした晴明のことを思えば、この神社こそ彼を祀るにふさわしいスポットはあるまい。<br>14時が近づき、陽の光はいっそう強さを増していた。だらだらと流れる汗が蒸発していくのすら感じられるようだ。<br>祈祷の予約がある旨を巫女に伝えて受付を済ませる。<br>時間になると宮司が境内の砂利へ出てきて名を呼ばわった。<br>本殿の脇にある木戸からなかへ入り、賽銭をあげては礼拝を済ませていく観光客に背を向けて靴を脱ぐと本殿にあがる。<br>本殿の床に敷かれたゴザは5人も座れば肩が触れるほどの幅しかなかったが、僕のほかには夫婦とおぼしき男女が一組来ただけで、この時間に祈祷をあげてもらうのはどうやらこれでみんなということらしかった。<br>ゴザの端に背筋を伸ばして正座する。反対側の端に座った夫婦もDQNな外見によらず、不慣れなりに身のこなしは神妙だ。我々三人はいいチームを組めそうだった。<br><br>本殿の造りは変わっている。<br>両脇は壁がなく庭に抜けており、建物のなかにいるというよりは祭壇に向かってのびる短い橋のうえにいるような、それこそホワイトベースの艦橋（ブリッジ）にいるかのような不思議なパノラマを視界の両端に感じる。<br>本殿を囲む庭は境内とは区切られた敷地の奥に位置しており、丁寧に植え込まれた数々の緑にはよく手が入っているのが素人目にも見て取れた。心がすっと落ち着いていく。<br>そして僕はゾーンに入った。<br><br>＊　　　　　＊　　　　　＊　　　　　＊　　　　　＊<br><br>梅雨を迎える直前のこの時期に、夕方の鴨川べりで時を過ごすのは何にも代え難い。<br>6時を回ると、あの鬱陶しい暑気は嘘のように引いていき、火照った身体に涼やかな風が吹き始める。夕暮れ、アジサイ色に染まった街が、完全に日が暮れるまでのたっぷり二時間、その姿を留めてくれるのがこの時期だ。<br>銀河さんと僕は鴨川沿いの先斗町に並ぶ店の一軒、その店の奥から河原へせり出した、いわゆる<a href="http://www.google.co.jp/images?q=%E9%B4%A8%E5%B7%9D%E3%80%80%E5%BA%8A&amp;oe=utf-8&amp;rls=org.mozilla:ja-JP-mac:official&amp;hl=ja&amp;client=firefox-a&amp;um=1&amp;ie=UTF-8&amp;source=og&amp;sa=N&amp;tab=wi">床</a>で鱧を待ちながら日本酒をやっていた。<br>「京都・・・・最高やなぁ」<br>一杯空けるごとに銀河さんがつぶやくのも無理はない。明日が梅雨入りなら、我々はまさに京都の、最高の季節に間に合ったわけだ。<br>もともと晴明神社に毎年詣でていたのは銀河さんだ。だが今回は僕に乞われて付き添ってくれただけで、祈祷の神殿にもあがっていない。週末を潰して付き合ってくれた銀河さんにお礼をするための一席であった。<br>もともと銀河さんと僕とは嫌というほど一緒に酒を飲んできた仲だったが、僕が身体を壊してからこっち、すっかりご無沙汰になってしまった。酒も久しぶりなら銀河さんとこうして話すのも久しぶりだった。<br><br>鱧しゃぶが終わり、床から見える景色もすっかり暗くなった頃、夢の話になった。<br>焼鳥屋がやりてぇなぁという僕に、やりましょうよと銀河さんはこたえてくれる。<br>やりたい仕事もあるし、焼鳥屋だってやってみたい。それからやっぱり小説を、僕は書けるようになりたいなぁ。ねぇ銀河さん、大人にだって夢があっていいじゃないですか、ね。<br>あったりまえじゃないですかと銀河さんが云う。十も歳の離れた銀河さんがあったりまえのことを教えてくれるのはいつものことだった。何か昔のことのように思い出した。<br>「京都に住みたいなぁ」<br>また銀河さんが云う。ええ、と僕も同意した。「なんだか高層ビルには疲れましたね」。<br>こんなにシンプルな言葉が自分の口から出たことに、僕は思わずほっとしていた。<br><br>＊　　　　　＊　　　　　＊　　　　　＊　　　　　＊<br><br>もはや仕えるという気持ちすらなくなった・・・・・仕えるとはそこにわずかだが自由意思があってこその言葉だ。<br>平安京に高まる不吉な空気がついに内裏の炎上という悲劇を生んだあと、新たな都を守護するため龍に自らの身体を奪うことを許した晴明はつぶやく。<br>だがその少しまえ、おぬしは死ぬのがこわくないのかと尋ねる親友・博雅に、晴明はこうも応えていた。<br><br>しかし覚悟はできているのだよ。つまり常にいつでも何事に立ち向かう時でもおれの準備はできているということなのだ・・・それがおれの礼儀なのだ・・・何へ対してのか・・・おれに生命を与えたものとおれの生命を奪いに来るものへの礼儀なのだ。<br><br>そう、礼儀もそうだ。礼儀もそう、奉仕もそう。<br>自由な意思をもたないものには礼儀も奉仕もない。そこには何の価値もない。<br>礼儀を尽くすこと、奉仕することは隷属とは違う。それは確かな自由意思をもった者だけに許される、誇り高い行為なのだ。そして、夢をみることも。<br>仕えるのもよい、従うのもよい。だが何よりもまず己の主であれと晴明が云っていた。それがいかなる力を身に秘めようと、身分は朝廷に仕える小役人に過ぎなかった陰陽師の気構えだったのだ。<br><br>ふらふらともつれ合って出た先斗町は夜の顔だった。<br>僕は身体ひとつ分しか幅のない路地へ銀河さんを導いた。木屋町へ抜ける手前の屋根裏に19年やっているバーがある。<br>「京都、ええなぁ」うしろを歩きながら銀河さんがうなるのが聞こえた。<br>
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<pubDate>Thu, 24 Jun 2010 10:05:12 +0900</pubDate>
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<title>MPとケツの穴。</title>
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<![CDATA[ 熱することなく、されど誠実であることには妥協せず。<br>三時間にわたり思いの丈を語り尽くしたあと、自分のMPがついに0になったのを感じた。<br>呪文が全部非アクティブになり、選択できない。<br>予兆はあった。二日後、かねて祈祷の予約をしてあった京都・晴明神社へ向け、定番の「鶏づくし」とお茶を一本さげて新幹線はのぞみ号へ乗り込んだ。<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20100622/23/maria03/8f/ea/j/o0100010010604436410.jpg"><img border="0" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20100622/23/maria03/8f/ea/j/t01000100_0100010010604436410.jpg" alt="新宿メロドラマ。-陰陽師" style="float: left; clear: both;"></a><br>映画「<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/B000063CU8?ie=UTF8&amp;tag=shinjukumelod-22&amp;linkCode=as2&amp;camp=247&amp;creative=7399&amp;creativeASIN=B000063CU8">陰陽師</a>」およびその続編でブームを呼んだ安倍晴明の物語は、<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4167528010?ie=UTF8&amp;tag=shinjukumelod-22&amp;linkCode=as2&amp;camp=247&amp;creative=7399&amp;creativeASIN=4167528010">夢枕獏による同名の小説</a>を土台にしており、それは岡野玲子のやはり同名のコミック「<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4592132114?ie=UTF8&amp;tag=shinjukumelod-22&amp;linkCode=as2&amp;camp=247&amp;creative=7399&amp;creativeASIN=4592132114">陰陽師</a>」もまた同様である。<br>小説を読んでいる時間はないため、ブックオフでコミック12冊を買い入れた。<br>安倍晴明は平安京の都に現れ政府・貴族御用達となった伝説的な呪術師である。これが念仏を唱えるだけの男であったならただの坊主で片付けられていたのであろうが、そうではなく、「陰陽寮」と呼ばれる役所に勤めるれっきとした技官であったというから、いとあやしである。<br>式神を思いのままにあやつり、都に災厄をもたらす数々の「鬼」に恐れもなさずこれを祓う彼は、藤原道長をはじめとする当時の権力者からも篤い信頼を集めた。幼い頃より非凡な才能をみせたと伝えられる晴明のイメージは、彼の力を疑う貴族に「そなたの式神をもちいてあの蟇蛙を殺してみよ」と挑発されて答えた有名な言葉に集約される。<br>「殺すことはできても生き返らせる術を知りませんので、罪なことをおっしゃるな」。<br> この非常にクールな、しかし自信に満ちた極めて厨二的な余裕、浮世離れした涼しげなキャラクターこそが彼を神がかり的なヒーローへ祭りあげたのに違いない。結局彼は近くにあった柳の葉をちぎりとると、蟇蛙に向けてすっと投げ出す。すると蟇蛙は突然襲いかかった柳の葉に押しつぶされて死んでしまうのだ。<br>また、式神をつかって家の戸口の上げ下ろしをさせていたなどという、「超能力」をなんとも思わない姿もまた憎らしいものである。<br>この何者も手を出せないアンタッチャブルな陰陽師の霊験にあやかり、憑きものを落として出直したいという藁をもすがるような思いが私に大判のコミックのページを繰らせた。私はヒーローを渇求していたのだ。<br><br>ここですでに認めておかなければならないが、私が購った「陰陽師」は白泉社のコミックであり、それが少女漫画界のトヨタかソニーみたいな大御所であることを私は知っていた。<br>冒頭から脇役の座をかため始めた源博雅と晴明の距離が妙に近いこと、博雅が晴明のもつ不思議な力に抱くイノセントな感動や、そんな博雅に晴明が抱いているらしい愛しさに目を瞑り、あらぬ展開が生まれぬ事ばかりを祈って私はストーリーを追い、伝記にもとづく晴明の所為に驚き、感銘を受けた。<br><br>しかし全13巻の話もなかばを過ぎた頃、突然晴明は兄弟子に犯されたのであった。<br>アンタッチャブルな私のヒーローはこうして、文字通りケツの穴までタッチャブルな男になってしまった。<br>「殺すことはできても生き返らせる術を知りませんので、罪なことをおっしゃるな」などと粋なセリフを吐きながら、それでも自分の力にできることはすべて過たず、やる。そんな私のヒーローは「これも修行だと思って・・・」と唇を噛みながら、二流の兄弟子にケツを差し出していた。<br><br>悲しすぎた。<br>これは当然漫画家・岡野氏による創作であり、（おそらく）原作にすら登場しなかった設定であると信じたいが、しかしいまから安倍晴明の力に頼ろうとしている私へのはなむけとしてはあんまりであった。<br>まだ独り立ちするまえの若かりし頃のことであるとか、世の無常を理として受け容れた晴明が、自分自身の運命とは闘うのではなく、向き合うのだと決めていたからだとか、いろいろ慰め方はあろうが、それにしてもあまりにわかりやすい隷属のポーズで描かれた晴明の姿は、ただただショックであった。<br><br>昼前の東京駅で落ち合った銀河さんはもう5年も前から晴明神社に詣でているくせに、かねてから「祈祷」と「亀頭」をかけて喜んでいるような人なので、私のこの傷心に、<br>「しかしオンナっちゅうのは、エロいですね～」<br>としか答えず、まったくとりあってくれる様子がなかった。<br><br>明日は京都も雨だという。<br>梅雨入り前最後の暑気がのしかかる都に向けて、我々はのぞみ号へ乗り込んだのである。<br>
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<pubDate>Wed, 23 Jun 2010 00:20:46 +0900</pubDate>
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<title>糾弾。</title>
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<![CDATA[ いわゆるところの通勤ラッシュを受けて、JR赤羽駅は夕方の6時から7時半のわずか1時間半を限りに、これでもかというほどの人混みにあふれかえる。<br>ひょっとしたら埼玉かと思われがちなへんぴな土地に果たしてこれほどの大都会が存在したのかと、初めて訪れた人をあざむく赤羽の、これがハイライトだ。<br>そんな赤羽にとある部長を、私とPさんは迎えた。<br><br>梅雨入りだと云われているのにしぶといほどの、うだるような暑さの一日だった。<br>駅前通から路地を入るとそこに<a href="http://gourmet.livedoor.com/restaurant/332647/">真味亭</a>がある。<br>雀荘にあがるような暗い階段の先に半開きの扉があった。低い天井の下、6卓40席ほどの広めのテーブルがひしめきあっている。<br>「チャプチェ、まずいですよ」昨日下見に訪れた私が忠告を発したが、それでも我々はチャプチェをとった。<br><br>ビールが終わるのを待ちきれず取り寄せたチャミスルをグラスに盛り始めると、部長が悲嘆の声を挙げた。<br>部長の勤務先では半期に一度、社員の手によって上司の評価がくだされる。<br>このたびの評価において部長のランクは、いわばDマイナス。「氏ね」と云われているぞと知らされて、もはややりきれぬと部長はうなだれた。<br><br>その評価、つまりアンケートというのは記名か、あるいは匿名かと私は問うた。<br>曰く記名であるということであった。<br>それは部長、と私は云う。部下の誠意と真摯さをこそ誇るべきではありませんかと。<br><br>言葉は名を持たねばならない。<br>言葉は常に、ある人格の手によりなされ、その舌によって語られねばならぬ。<br>名を匿い、主たるべき人格から離れた言葉は、即ち「魔」となり、ひとりでに人を呪いはじめる。<br>そうなるとそれを発した人間ももはや主ではないから、誰にも止めることができなくなるのだ。<br>高潔で、何かを破壊し、何かを創造することができるのは、それを発した人間が名をしたためた言葉だけだ。<br>「あなたの部下は高潔だ。そしてあなたの組織は、いまもまだ生きていますよ」<br><br>気がつくと、最近始めたというサムギョプサルをテーブルのうえでやっている。<br>タレのない焼肉みたいでどうにも気に入らないのだが、「タレがないので煙が少なく、排煙装置が要らない」のだとPさんに教えられ、それはそれはと感心する。<br><br>「<a href="http://r.gnavi.co.jp/e956900/">韓国伝統家庭料理・韓楽</a>」は押しも押されぬ赤羽の目抜き通り、大「LaLaガーデン」アーケード街を左に折れた先の、小さなオフィスビルやらワンルームマンションやらが建て込んだ一角にあった。<br>LaLaガーデンからはほんの50mばかり入っただけだが、そこは元々にぎわっているというほどでもない赤羽だ。周辺の灯りはすっかり消え、人通りも途絶えたなかぽつりと営業しているのだから、さてはノーゲストかと疑いながら店へ入ると、それでも3組の客がテーブルについて小さなテレビでW杯の韓国戦を観ながら野球の話をしていた。<br><br>店内はあたかも九十九里あたりのシーサイド・カフェ。<br>海が好きで仕方のない旦那に引っ張られて海沿いに住んではみたがやることもなく、旦那は旦那で仕事なんだか遊びなんだが毎日マリンショップの手伝いにでかけていないものだから、一念発起で実家に泣きつき、やってみました喫茶店、といった風情のやたらブラックとシルバーが映える内装だ。<br>綺麗だが年齢不詳でカネのためなら何でもやりそうなママが注文をとると、カーナビほどのテレビ画面にかじりついていた赤いシャツのおじさんがそそくさとビールをテーブルに並べ、またテレビの前へ戻っていった。<br>チャプチェはゴマ油に塩こしょうが随分正直に効いている、ただの春雨であった。<br>韓国は前半を終えて2-1とアルゼンチンを相手に善戦している。<br>酒にあまり強くない部長は、連れてきた部下の男にフェラチオしろと迫り始めた。さきほどは深刻な話の流れでなまじ忠誠を誓った部下は本気で困っている。彼は部長の評価をいったい何としたのだろうか。<br>チャミスルを空け、勘定を済ませる。<br>真っ暗な路地に出ると後ろから「カムサハムニダ！」と呼ぶママの声がした。<br><br>その路地を一本駅の方へ戻ると雑居ビルの１階に「<a href="http://www.yuiyui.net/~yonji-gonji/">韓国料理　ヨンジゴンジ</a>」がある。<br>ドアを開けるとその瞬間にわかるのは、ここがもともとカウンター6席、テーブル2卓の典型的なカラオケスナックだったことだ。<br>いまはカウンターのスツールをとっぱらい、鰻の寝床のような店内に無理矢理テーブルを5つ入れているが、天井が高く照明も屈託がないため、その狭苦しさはむしろ馴染みになったような親近感を持たせてくれる、たとえば都心の沖縄料理屋みたいな雰囲気だ。<br>いきなり韓国語で話しかけてきた若いママをPさんが何か云っていなしている。<br>「なんて云ったの？」と訊くと「2対1、2対1って云ってます」とPさんが苦笑する。<br>カウンターのなかだけの狭い厨房のうえでテレビがまたサッカーの中継をやっていて、こちらではどの客もみなそれに釘付けであった。<br><br>店は狭いが使い方にはまるで無駄がなく、狭くて丸見えの厨房さえ気にしなければ賃料との戦いはたやすいであろう。<br>「こりゃいいんじゃないのか？」とつぶやく僕に「個人でやるならこの店は鉄板ですよ」とPさんも同意した。<br>「個人でやるなら」という言葉の意味がよくわからない。集団で店をやろうとしているのだろうか。<br>チャプチェの味はまるっきりめんつゆか焼肉のタレで、部長とPさんがブーイングを挙げる。プルコギは完全にすき焼きだった。<br>しかしメニューはほんの20品ほどしかなく、それもまた身軽な経営スタイルを反映している。<br>こういう店だと思えばそれはたいした徹底ぶりだった。<br><br>こんなに狭い店なのにPさんの席の後ろには何故か二層式のでかい洗濯機が置かれている。<br>なんであんなものがと問うと、あれは洗濯機ではなくキムチ冷蔵庫だと教えてくれた。<br>そういえば真味亭でトイレに行くときにも同じようなものを見かけた。こういうことは足を使わないとわからない。<br>アルゼンチンが続けざまに2点を入れて試合を決める。<br>部長はまだフェラチオをしろと云っている。部下も限界が近くなってきて、妙なところを掻き始めたりしたので、潮時だと判断して勘定を頼んだ。気がつくと試合中にもかかわらずテレビはすでに消されてあった。<br><br>店を出た。<br>ようやく、らしき店に出会った。<br>だがまだまだ、たかが6店回っただけだ。<br>「次回は高円寺にしましょう」と云うと、部長が是非と叫んだ。Pさんは何かを深く考えている。<br><br>東京は明日からまた、雨になる。<br>
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<pubDate>Sun, 20 Jun 2010 23:40:42 +0900</pubDate>
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<title>脱南チャプチェと不穏な雨。</title>
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<![CDATA[ 降るのか降らないのか、よくわからない天気が続いており、気候は不穏である。<br>そのさなか、ゆえあって韓国料理屋を転々とす。<br><br>中野「<a href="http://r.gnavi.co.jp/e851800/">パッチギ</a>」は駅前から五丁目を早稲田通りまで抜ける夜のメインストリート入口に店を構えるポップな新店。<br>10坪ほどしかない店内は、ドラム缶を裏返して置いただけのテーブルを6卓もとっており、うちっぱなしの内装とあわせ、あたかもキャンプかバーベキューの様相だが「韓国料理屋」あるいは「焼肉屋」のイメージをかき消すような若者感を出している。なにせ備品・造作にカネがかかっていないのがいいが、その割にちゃんと韓国感を出しているあたり素人ではないとお見受けした。<br>平日の夜7時を過ぎて店内は満卓。4人のスタッフはやや多めかと思ったがフル回転だ。店長はオーナーか、と問うと、店長は厨房にいる彼、オーナーは私ですと流暢な日本語で答える女性がオーナーだそうだ。半年前に開店。<br>チャプチェを食う。昨今はやりというサムギョプサルを水晶板で焼き、味噌キャベツ、チジミとなんだかんだでテーブルが溢れた。ビール二杯。<br>「次へ行くぞ」と店を出ると、ガムの紙を剥きながら追いかけてきた店員が心配そうに訊く。<br>「ずいぶん残されているんですが、何か気持ちの悪いことでもありましたでしょうか？」<br>この行き届いた配慮、接客は満点以上のできばえであった。<br>「いえ、時間がないんです。ごめんなさい。おいしかったですよ、ごちそうさま」<br>薬師愛ロードを北上、新井薬師へ向かう。<br><br>新井薬師は記憶にまさる寂れようで、おちおち酒も飲めなそうな雰囲気であった。<br>タクシーを拾い、東中野「<a href="http://www.sonamu.jp/">ソナム</a>」へ向かう。<br>東中野銀座から一本逸れたこれもまた不穏な一帯。あたりは住宅街のはずだが暗がりでよく見えない。どの家のなかでも何か恐ろしいこと、非道なことが行われているような気配がある。<br>店は思いの外繁盛している。<br>こちらは二十坪近くの店に、テーブル20席、小上がりがさらに12席ほど。これを三人の店員が世話しているのだからたいしたものだ。<br>入口から店内にいたるまで、「TOKYO WALKER」ないし某の雑誌に載ったという、その掲載誌が貼り込まれ、歴史と定評を思わせる。<br>名物は「当店が初」と控えめに謳うカムジャタン。同行したPさんが「韓国焼肉のブームがくる更に前、韓国ではやったカムジャタンをその時代に持ち込んだ店に違いない」と看破した。豚の背骨とジャガイモを辛いスープで煮るカムジャタンは、キャバクラ帰りにアフターで嬢とダラダラつまむものだということであった。腹がいっぱいで食えない。<br>チャミスルを所望。ダラダラやるが、ほかの客もまた一向に帰る気配を見せない。とはいえ平日でこの入りなら文句はなかろう。歴史がモノを云う、地元の名店という趣で、iPhoneをガシガシ繰りながらたどり着いたような一見さんは明らかに我々だけであった。<br><br>ところで韓国料理屋では店内を流れるBGMに必ず韓国のポップスが使われるが、これが注意して聞かないとわからないほど日本のポップスに酷似しており、<br>「ヒット曲」の構造が両国において共有されていることを改めて思い知る。<br>「いい曲」を作ることはさほど難しい作業ではないのであろう。<br><br>テーブルの向かいでチャミスルをロックでやっていたデビリオンが次の店をヒットする。<br>東中野駅前「<a href="http://www.natural-art.jp/minzokumura/">民族村</a>」。ニッポンレンタカーの二階にあって、階段を上がると今度は先の二店舗をさらに倍するかのごとく広大な店内だが韓国感がない。観光地の参道脇などにありがちな、修学旅行生目当てのうどん屋を思わせる非常に無味な内装であった。<br>夫婦とおぼしき二人が厨房からうろんな目をこちらに向けた。<br>窓際の席に着き、チャミスルをとる。<br>「もう食えない」とデビリオンが泣き言を云い、やむなくチャプチェだけを注文した。味はマイルドで悪くない。キャベツの目立つチャプチェを指して、「この作りは本物だ」とPさんが云う。<br>チャプチェは祝い事があったときに家庭で作られる料理だという。「ちらし寿司みたいなもんか」と訊くと、「おそらくそうだ」ということだ。感心してつまむ。<br>私にとってチャプチェとは、「<a href="http://mognavi.jp/food/203972">モランボン　韓の食彩　チャプチェ</a>」とほぼ同義であって、店主の手になるマイルドな味は不思議な印象だが、Pさんは「これこそがチャプチェだ」と断言した。<br><br>あなたは韓国からきたのかと店主に問うた。<br>「そうです。三年前に」との答えにのけぞる。50がらみのその男はたった三年前に日本に渡ってきて、韓国料理屋を始めたというのだ。<br>「ご家族もご一緒に？」とさらに尋ねると、嬉しそうにテーブルの脇へきて話をしてくれた。<br>妹が13年前に韓国から日本に渡っており、彼女に招かれて娘を連れ、南を出たという。妹が東中野で切り盛りしている店が「<a href="http://minzokumura.kj-club.com/map/index.htm">マッコリハウス</a>」。文字通りの姉妹店というわけだ。<br><br>チャミスルの大瓶を二本空け、もうどうにもわけがわからなくなったため本日の業を終える。勘定を済ませると、店主がお土産だと云って、「辛ラーメン」を１人に1包ずつくれた。深く感謝しながら店を降りる。<br>「カムサハムニダ、アンニョンハセヨ、ありがとうございます、カムサハムニダ、おやすみなさい・・・」という店主の声は階段を降りて通りに出るまで続いていた。<br><br>雨はまだ、降るか降らぬかという神経戦を１人で続けていた。<br>さっさと駅へ向かうデビリオンはそこで消えた。Pさんと僕はタクシーをつかまえ、西へ向かう。<br><br>車中、Pさんが訊いた。<br>「夢は何ですか」<br>僕はハンドルを回してタクシーの窓を開けると、不穏な夜空を見上げながら答えた。<br>「幸せに生きること」。<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/maria03/entry-10558248950.html</link>
<pubDate>Wed, 09 Jun 2010 14:19:36 +0900</pubDate>
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<title>もしどら。</title>
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<![CDATA[ <br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20100513/23/maria03/48/33/j/o0300030010540322524.jpg"><img border="0" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20100513/23/maria03/48/33/j/t02200220_0300030010540322524.jpg" alt="新宿メロドラマ。-もしドラ。" style="float: left; clear: both;"></a>どうしても通らねばならぬ道がある。<br>子供たちは「桃太郎」や「赤ずきん」を読んでおかなければ世の物語を貫く基本的な筋道を理解することができないし、バーテンダーになったって、せめて分数の足し算ぐらいはできないとどうにもならない時がくる。<br>どんなにつまらないと分かっていても、すでに結末を聞いていても、その意味するところを身にしみて理解していたとしても、観ておかなければならぬ映画があり、読んでおかなければならぬ書物がある。<br>ヴェンダースの「パリ、テキサス」やストーンズの「悲しみのアンジー」、三島由紀夫の小説（私は三島由紀夫を読んでいない）がそれだ。<br><br>「<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4478012032?ie=UTF8&amp;tag=shinjukumelod-22&amp;linkCode=as2&amp;camp=247&amp;creative=7399&amp;creativeASIN=4478012032">もしも高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら</a>」は私にとり、やむなく読む以外ない書であった。<br>「ドラッカーの『マネジメント』」が何を意味するかぐらいは知っている私が現代の古典と女子高校生の組合せに反応することを知って付けられたこれはタイトルであるし、そういう「私専用」のハニーポットにあえて落ちることは日常的なアイデンティティのメンテナンスによい。<br>ところで「専用」という言葉に優越感をおぼえるようになったのはシャアの影響だ。<br><br>普段経営書やビジネス書といった類のものを、私は一切読まない。一般にこれらは役に立たないと考えているからだ。<br>こうした書物は「どうすれば成功するか」「どうすれば物事がうまくいくか」を様々なかたちで論じている。だが読む前と読んだ後で、成功する確率はおそらく変わらないだろう。なぜか。<br>それはこれらがすべて成功者によって書かれているからだ。<br>成功者は自分が成功した道のりを、よかれと思って一般に知らしめ、その道をこいと誘っている。だが彼と同じように成功するためには、彼とおなじ時代に同じ環境で同じことをし、同じ幸運に恵まれなければならない。<br>長嶋茂雄も云っていた。<br>「長島」とは1人の野球選手のことを指すのではなく、高度経済成長に沸いたあの時代に大衆の期待と熱狂が作り出したキャラクターのことなのだと。<br>エジソンになるためにはまず19世紀に生まれ、難聴をわずらわねばならないと、そういうことだ。<br><br>だから私はビジネス書の類を読まない。<br>「出世するための10箇条」という本を読んで、10箇とも実行したって出世するわけではない。<br>他方「会社をクビになるための10箇条」という本があったとしたら、遅くとも3つ目を実行する頃には確実にクビになるであろう。<br>つまりこの茫漠たる世界に成功への道は数えるほどしかなく、失敗への道は無限にあるというわけだ。<br>「勝ちに不思議の勝ちあり。負けに不思議の負けなし」とは野村監督の格言だ。<br>勝者にしても、自分がなぜ勝者たりえたのかなど分からぬほどその道は細く、謙虚で現実的な者はそれを「幸運だったから」こられたのだと答える。ただ自分語りというのはいつも気持ちのいいものだから、自制のきかないやつが「出世するための10箇条」みたいな本を書いているだけで、たいていの場合、それはただの日記である。<br><br>その点ドラッカーは謙虚だ。<br>それは彼が経営者ではなく学者であったということにもよろうが、彼は「あれをこうしろ」などと指図するようなことは慎重に避ける。<br>ドラッカーはいかなるレイヤーであれ一度でもマネジメントに携わった経験のある者であれば必ず思い当たるような云い回しでもって問題に触れ、常に「本質」に迫る真摯な筆致で（本書を読んでもわかるが、結局のところ「真摯」というのがドラッカーの「マネジメント」において非常に重要なキーワードであって、それはドラッカーの語り口が誠に真摯であることからも伝わってくるのである）「重要なのは、こう考えることだ」と諭してくれる。<br>見事なのは誰もが自分の経験に置き換えることができるほど想像力に訴える言葉遣い（おそらくは、名訳！）で、高校野球の女子マネージャーにこれを読ませようという発想も荒唐無稽と云いきれぬほどに、その示唆するところはあまねく人の（組織の）営みに及ぶ。<br><br>ドラッカーは「人間は悲しいほど弱い」と云い、それでも人が生産的であろうとするとき、その弱さを補うために組織があり、マネジメントが必要とされるのだと語る。<br>それは一見「経営書」のはしりであるかのように見えて、しかし悲しいまでに真摯で深い人間に対する愛の告白である。<br>
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<link>https://ameblo.jp/maria03/entry-10521851089.html</link>
<pubDate>Mon, 17 May 2010 09:06:23 +0900</pubDate>
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<title>姉さん、ポップが死んだみたいだ・・・姉さん。</title>
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<![CDATA[ <br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20100513/22/maria03/b4/7e/j/o0188026810540224746.jpg"><img border="0" style="float: left; clear: both;" alt="新宿メロドラマ。-エウレカセブン。" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20100513/22/maria03/b4/7e/j/t01880268_0188026810540224746.jpg"></a>最近楽天のロゴがでかでかと貼り出された「有料動画サイト」の<a href="http://www.showtime.jp/animation/b-ch/eurekaseven/">ShowTime</a>が「交響詩篇エウレカセブン」の冒頭7話を無料で配信している。<br>「後悔しないから是非観てくれ」と薦めたいところだが、終盤必ず後悔する作品なのでごり押しはよす。ただ中盤までは無理なく楽しめるドライブをもったポップなアニメである。<br><br>ところで「ポップ」であるとは、コピーによって製造された大量生産の産物であるか、または意図的にそれを装った（か、強調した）様子を指していうのだと思っている。<br>「エウレカ」は第一話から溢れんばかりの模倣と言及に満ちたアニメーションで、「王道である」「模倣である」とはどうしてかこんなにも楽しいのだろうと改めて考えさせられるところが、よい。<br>ポップであることそれ自体を好むことは「キッチュ」であると称され、よくすると小悪魔、打ち所が悪ければ「バカ」「痛いやつ」「貧乏くさい女」などとその評価は様々に分かれ、充分な注意が必要である。<br>（ちなみにShowTimeでの「エウレカセブン」のジャンルは「ロボット／メカ／青春／ドラマ／ラブ」）<br><br>しかしポップであるとは実にすがすがしい。<br>私は生き方（スタイルであって、道ではない。まして音楽の話ではない）としてロックを選んでいるし、音楽としてジャズを好む人もとりたてて嫌いではないが、しかしポップの味わいというのはそういった選好を超え、普遍である。<br>15年も前になるだろうか、おずおずと昼間、遊び始めた東京の街を埋め尽くしていた宇多田ヒカルのヒット・チューンに強烈な「ポップス」を感じたことをいまでも思い出す。カラオケに行けば男も唄っていた。<br>テレビを付ければ（あるいは付けなくても）全盛期の広末涼子や松浦亜弥が独創性などみじんもないフレームのなかに収まっていた。それは、いまや快楽は大量生産が可能であることを保証する資本主義の女神のほほえみだった。<br><br>その点で昨今、ポップを感じることはめっきり減ったように思う。<br>アニメも音楽もスポーツ選手も、みな相変わらず大量生産されているが、そこに「ありがちな、アレ」であることのニヤリは生まれない。<br>もちろん先日上梓された「<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4103534222?ie=UTF8&amp;tag=shinjukumelod-22&amp;linkCode=as2&amp;camp=247&amp;creative=7399&amp;creativeASIN=4103534222">1Q84</a>」などはその部類に入ろうが、村上春樹はその30年も前からポップであり続けているだけで、60歳を超えたジャズマニアのおっさんにポップの旗手を担われてはやはりたまらない。<br>大量生産の消費財というのは、たとえば子供の宝物になってしまうグリコの食玩のように悲しいぐらいチープな製造原価にもかかわらず人の心をつかんでしまう「まがい物」であることこそが価値の本質である。<br>歌や小説といった「作品」ではなく、「アーティスト」である（はずの）自分自身までもが大量生産の産物に過ぎず、際限なく消費されていくことに気付きもしないような若者の手によるポップの再興を願ってやまない。<br>
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<pubDate>Thu, 13 May 2010 23:10:56 +0900</pubDate>
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<title>Eのためのノート。</title>
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<![CDATA[ 僕は初めてEに出会った日のことを鮮明に覚えている。<br>まだ駆け出しの管理職だった僕に突然、僕が採用したわけでもなく、僕の部下になるわけでもない新入社員のオリエンテーションが回ってきたのだ。<br>「うちの会社はほら、いろいろ複雑だから、野良パスタさんがうまいこと説明しといてよね」と理由にならない説得でささやかな抵抗を押し切られ、僕は2人の女性にオリエンテーション、すなわち我が社の膨大なローカルルールを授ける儀式を承った。<br>2人のうちの1人が、Eだった。<br>直前に渡された履歴書を慌ただしく読み下すと、そこにはEが勤めた会社が2社続けてまもなく倒産した事実が記載されていた。幼い頃におぼえるちょっとした法則に従えば、うちが3社目になる可能性は否定できず、僕は禍々しい予感に身を震わせた。<br><br>結局僕は昼食のための休憩を挟み、3時間以上もしゃべり続けた。<br>ホワイトボードに様々な組織図やキーワードを書いては消し、事業概要から市場環境、社内にあまたある部署の職掌に、それぞれの部長がいかなる気質でどう対処すべきかにいたるまでを語り尽くした僕のオリエンテーションは、むしろ出していいものなら一冊本にして社員食堂の入口で売ろうかしらと思うほど壮大な叙事詩になった。<br>何度も汗をぬぐいながら話す僕とホワイトボードを、腕組みをしてメガネの奥からじっと見ていたEをいまでも思い出すことができる。<br><br>案の定、その後まもなくして会社は潰れた。<br>しかし多くの人の勇気によってそのすべてが失われることは妨げられ、僕たちは残った仲間とともに再出発することを許される。<br>そこにEはいた。<br>そして昨年まで、ついに5年半もの間、Eはそこにいたのだった。<br>その月日は僕からある種の無邪気さを奪い、Eが会社を去ることはEが会社へやってきたあの日のことほど僕を動揺させなかった。<br><br>Eは苦しみを生きている。<br>人にとって苦しみとは生きながら味わうものだが、また時として人は、苦しみそのものを生きなければならないことがある。<br><br>Eの「日記」と称されたあるウェブページに、僕はEのための短いノートを残す。<br><br>人間には、時間の止まった世界を想像することができない。 <br>同じように人間には、自分が他の人間に生まれ変わって生きているところを想像することができない。 「自分」はあまりにも細かいところまで自分であって、「自分」はまたあまりにも幅広く自分だからだ。 <br>平凡な人生を送ることだけはまっぴらだと思って生きてきたら、「死んだ方がマシだ」と思うような目にも何度か遭った。 <br>でも「最初から生まれてこなければよかった」と思ったことは一度もない。 <br>そんなことを考えるときはいつも、少なくともそれだけは親に感謝しなければならないと思うし、それ以外のことなら全部、誰のせいにするでもなく引き受けて生きていけると思うのだ。<br>どうもありがとう。<br><br>そこにはひとつだけ嘘が含まれている。だがそれは僕だけの秘密だ<br>人はみな頭蓋骨に守られた幻想のなかを生きている。<br>大切なことは、僕たちは誰かの記憶に残ることができるということなのだと思っている。<br><br>
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<pubDate>Tue, 20 Apr 2010 21:18:20 +0900</pubDate>
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<title>ダッカ2010：言葉は僕のものではない。</title>
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<![CDATA[ 暑い／寒い、辛い／甘い、高い／低い、尊い／醜い、清い／汚いと、言葉は一見自由だ。<br>あるいは言葉は組み合わせによってさらに多次元的なスペースを飛び回ることができる。「ドブネズミみたいに美しく」というやつだ。こうすれば言葉はもう美しい／汚いというベクトルを脱線する自由を獲得している。<br>しかしバングラデシュで見たものについて、僕の云いたいのはそういうことではなかった。<br>そこで僕が見てきたことのなかで重要なものは1つしかないと云ってもいい。それは<br>「農村地域のあの人たちは、あれは動物だ」<br>というその事実、その他すべての震源たるその認識である。<br>だがこのフレーズは果たして「生きている」のであろうか、表現たりうるのだろうかと僕は恐れる。<br><br>人間のことを動物と同じだと言い捨てたひとを、かつて僕は知らない。<br>わかったような口を利いて「いやぁ、我々人間もみな動物だよ」などと云う者はいても、たとえば障害のある人を指して「あれは壊れた人間だ」と云ったり「欠陥のある人間だ」と云ったりするのと同じ意味で、ひとを動物だと云ったことのある人を僕は知らない。なぜか。<br>それは貧しくても、障害があっても、教育を受けていなくても「人は同じ」で「平等」だという仮説を支持する社会に我々が生きているからだ。<br><br>いやな思い出がある。<br>小学校には特殊学級があった。<br>あるとき特殊学級の教師がプレゼンテーションを企画し、それが行われた。<br>特殊学級の生徒たち自らも壇上に立って、その活動やカリキュラムについての紹介が行われたあと、我々にアンケート用紙が配られた。設問1を鮮明に覚えている。<br><br>あなたは特殊学級のひとたちのことをどう思いますか？<br>　1: ばかだと思う。<br>　2: かわいそうだと思う。<br>　3: みんなおなじだと思う。<br><br>「正解」は3だと読み取った僕はそつなくそのように回答した（僕は僕でそういうタイプの子供だった）が、それにしてもと今でも思う。<br>このアンケートを用意した教師はその立場を利用して、いったい何をしようとしていたのだろうか。<br>特殊学級を必要とする生徒たちに対しては特殊学級でもってしか平等な教育を担保できないから特殊学級が存在するのであって、そんなことはそれこそ「ばか」な小学生にも明らかなのだ。<br>それを「みんなおなじだと思う」などと、事実はおろか生徒たち自身のストレートな（そして正しい）事実認識や感覚までをも否定するかのような誘導尋問を行い、どのような世界を作ろうとこの教師は企図したのだろうか。<br><br>人は生まれながらにしては平等でない。<br>だが平等ではないことを悲しむ心を持って生まれている。<br>だから平等であれと願って様々な努力をするのだ。障害のある者も、ない者も。<br>よってお前たちにもと教師は語りかけるべきであった。努力を求めたいのだと。<br>しかしこの教師は馬鹿であったからそうはしなかった。<br>そうではなく、「障害のある者は、障害のない者とは違う」というシンプルな事実を指摘する言論を封殺したのである。<br>言葉を殺したのである。<br><br>こうした言葉の圧殺は今日にいたるまでありとあらゆるところで行われている。<br>「裸の王様」という童話を読み聞かせ、「真実を恐れない心」を鍛えなさいと子供に言い聞かせる一方で、真実を告げる手段を刈り取るのが僕の知る「戦後民主主義教育」である。<br>だいたい民主主義などこの国では一度も実現したことがないにもかかわらず、そんなことがバレるとまた原爆を落とされかねないからと、「日本は民主主義国家だ」「日本は民主主義国家だ」と言いつのる大人たちが言葉を粗末にした挙げ句、「日本は集団的自衛権を有しているが、行使することは禁じられている」などとわけの分からない言葉遊びで憲法解釈をして、それがなんと「政府見解」としてまかり通ってきたのが、この国だ。<br><br>理想は、理想だ。それでいい。理想が理想に過ぎないからと云って何恥じることがあろうか。<br>他方、現実は現実なのだ。何かをなそうとしてこの手が触れるのは理想ではない。現実に触れるのである。その現実がいかなるものか直視する勇気を、この国の教育は損なっている。理想を語る言葉ばかりは教えられて、現実との対決姿勢を表明する言葉は簒奪される。<br><br>結果、僕の言葉は僕のものではなくなってしまう。<br>「あのひとたちは動物となんら変わるところがない」という言葉で僕は自分の見てきたものをあなたに伝えたいと思う。<br>だがそれを口にするとき、僕はすでに恐れている。<br>あなたと僕が共有している「日本語」の言語体系が、このフレーズを受けとめ、あなたに正しく伝えてくれないのではないかということを。<br>現実についての表現を、思想でもって裁かれてしまうのではないかということを。<br><br>メディアでそれが起こる。<br>ニュースキャスターがこんなことを口にすれば、彼／彼女はその日で降板となるだろう。それどころかCMが明けたらいなくなっている可能性すらある。<br>学校でそれが起こることはすでに述べた。<br>家庭でもおそらくそれは起こる。<br>なぜならかような教育を野放しにしたのは我々の親にあたる世代の人々だからだ。<br>言葉はツールではない。<br>それはあなたと話す相手のふたりを包む社会が許す共通理解のひとつの「現れ」でしかないのだ。<br><br>異国での数日間を過ごした後、成田へ向かう機上の人となって僕は謙虚であった。<br>僕は日本の社会でしか満足に生きていくことができない人間だ。日本の社会の限界と境界には注意深くあらねば生きる場所を失ってしまう。<br>「あのひとたちは動物となんら変わるところがない」。<br>僕がバングラデシュで発見してきた事実はおそらくこうだ。だがこの言葉を平然と口にして、おののくことをしなくなってしまったとき、僕は日本人として生きていくために必要な精神構造を失ってしまうだろう。それは言葉の通じない異国でパスポートを失ってさまよい歩くことに等しい。<br>みぞおちのあたりに何か重たいものが詰まっていて、じんじんとうずき続けていた。<br><br>成田は寒かったがTシャツにジャケットをはおっただけの格好でも平気でいられるのが不思議だった。<br>バックパックを背負い、税関でパスポートを示して質問を待つ。税吏は礼儀正しい男で、滞在先についていくつか尋ねたあと、最後に何か申告すべきことはあるかと訊いた。<br><br>バングラデシュでは人と動物に大きな違いがありません。<br>しかし日本語にはそれを伝える言葉がありません。<br><br>僕は差し出されたパスポートを受け取り、答えた。「いえ、なにも」<br>ではどうぞ、お疲れ様でしたと税吏は云った。次の方。<br><br>少なくとも、と僕は到着ロビーの外へ出るとタバコを一服吸いながら考えた。<br>2010年のバングラデシュから言葉を持ち帰るというのは簡単なことではなかった。<br>5日前、文房具ではち切れそうになっていたバックパックの中身はほんのちょっとのお土産品にとってかわり、僕は身体のまんなかに何か静かな熱をもった真実を感じていた。<br>
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<link>https://ameblo.jp/maria03/entry-10487971982.html</link>
<pubDate>Tue, 06 Apr 2010 00:27:11 +0900</pubDate>
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