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<title>まりっぺのお気楽読書</title>
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<description>読書メモと妄想のブログゆる～い気持ちでお読みください</description>
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<title>『模造記憶』文系なものでね…</title>
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<![CDATA[ <img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250926/22/marifle1010/b2/5c/j/o0189025215683194777.jpg"><br>WE CAN REMEMBER IF YOU WHOLESALE AND 11 OTHER STORIES　<br>フィリップ・K・ディック<br><br>フィリップ・K・ディックは<a href="https://blog.goo.ne.jp/marifle1010/e/2f5fee8d4a26a3d6113727cfcef0f5d7">『ウォー・ゲーム』</a>、<a href="https://blog.goo.ne.jp/marifle1010/e/27c8ad8ba3628029e7bb839da3dd0e82">『人間狩り』</a>、<a href="https://blog.goo.ne.jp/marifle1010/e/75c64b4dfde5bbf9a41b80d8d77f512a">『地図にない町』</a>を<br>読んだことがあります。<br>SFが苦手なわたしでもとても楽しめたのですが、『模造記憶』はぜんぜんダメでした。<br><br>なぜか？<br>わたしは、科学と化学の違いもわからず数学もダメで、高校2年の時に<br>“ 私立文系 ” という進路を選んでから一切関わりを持たずに生きてきました。<br><br>これまでの三冊と違って『模造記憶』は、なんていうの？<br>“ 法則 ” とか “ 仮説 ” とか、そういう科学っぽい内容が多いのよ。<br>それが本当にある法則なのか嘘なのかもさっぱりわかりませんが、読んでいて<br>苦しかった科学・化学の授業が思い出され、感情移入するどころじゃありませんでした。<br><br>だから、わかる人が読んだらすごくおもしろいのかもしれません。<br>大爆笑ものの法則とか「あ〜、ありそう！」なんて現象があるのかもしれない…<br><br>あと、メンタルな病系の話しが多くて、ちょっとドンヨリしましたね。<br><br>そんなわたしでも楽しめたお話しをいくつか…<br><br>『あんな目はごめんだ（The Eyes Have It）／1953年』<br>ある日、誰かがバスの中に忘れて行ったペーパーバックを読んでいたわたしは<br>他の惑星の生物による地球侵略を知ることになった。<br>その生物は好き勝手にからだをバラバラにしたり顔のパーツを取り外したりできるらしい。<br><br>これは単純に笑える！！　これを読んで以来いろんな描写が気にかかる…<br><br>『囚われのマーケット（Captive Market）／1955年』<br>土曜日、バーセルスン夫人は、自分だけが商売できるその場所へオンボロトラックで出かけ<br>一方、放射能灰で侵されたキャンプ地では、夫人の荷物を心待ちにしていた。<br>今回の荷物が届けば、地球を脱出することができる。<br><br>夫人はたぶん、核戦争で荒廃した未来に商売をしに行ってるんだと思うんだけど<br>商魂逞しい人でなくて、未来のことを案ずる政治家なんかが行ってれば<br>状況は変わるんだろうか？　そうも思えない気がするんだけどね…<br><br>『ミスター・コンピューターが木から落ちた日<br>　　　　（The Day Mr.Computer Fell Out of its Tree）／1977年』<br>ジョー・コンテンプタブルが目覚めた時からコンピューターの具合がおかしく<br>出てくる朝食も揃えられた洋服もメチャクチャだった。<br>国中がそうなっていて、ミスター・コンピューターのイタズラをやめさせるため<br>地中深くで暮らしているミズ・シンプソンが呼び出された。<br><br>笑い話っぽいラストだけど… だからわたしはAIは恐ろしい！！ って思ってるわけよ！<br>人間よりはるかに知識量が多い物が、人間の操作を待たずに自分で行動しはじめたら<br>世の中はどうなっちゃうんだよぉぉ！<br><br>てなことを言ってる時点で科学弱すぎ！！ なんでしょうね。<br><br>
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<pubDate>Fri, 23 Aug 2019 17:29:03 +0900</pubDate>
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<title>フランス王シャルル7世愛妾　アントワネット</title>
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<![CDATA[ <img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250926/22/marifle1010/de/cb/j/o0184024915683194767.jpg"><br>　　　　　　　　　　　　　　<font size="1">肖像画がないので従姉のアニェス・ソレルを…</font><br><br><font size="3"><font color="deeppink">（地味だけど）華麗なる愛妾人生<br>寝室係アンドレ・ド・ヴェルキエ夫人　アントワネット・ド・マニェリ</font></font><br><br>1434〜1474／愛妾　1450〜1461<br><br>ものすごくご無沙汰しております。<br>いろいろあって長い間アップしていませんでした。<br><br>以前久々に自分のブログを見てみたら、海外の（たぶん薬か化粧品の広告）コメントが<br>大量に入っていたのでコメントをブロックしました。<br>コメントをくださった方には申し訳ございませんでした。<br>こんなほったらかしブログに温かいお言葉を寄せていただきありがとうございました。<br><br>下書きにあった愛妾シリーズをアップいたします。<br><br>シャルル7世の愛妾といえば<a href="https://blog.goo.ne.jp/marifle1010/e/8f8132b7beba736568ac9e59bbbb1fce">アニェス・ソレル</a>が断然有名ですが<br>アニェスが志半ばにして倒れたのに比べて<br>アントワネット・マニェリは愛妾人生を全うしたようです。<br><br>アントワネットは父ジャン2・ド・マニェリを通じてアニェス・ソレルの従妹にあたります。<br><br>　　　　　　　　<img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250926/22/marifle1010/6a/a2/j/o0335010015683194771.jpg" border="0"><br><br>アニェス・ソレルのところでは、アニェスが死んじゃったから代わりに…<br>みたいな印象でしたが、どうやらそういうわけではなかったみたいです。<br><br>アントワネットがシャルル7世の愛妾になったのは1450年です。<br>アニェスが死に瀕してアントワネットに娘の世話を頼んだ時に目を惹いて…ではなく<br>シャルルはアントワネットが14歳だった1448年にはすでに目をつけていた様子。<br><br>アントワネットが14歳の時、アニェスだって十分若い27歳なのですが<br>フラフラ…と若い方に心が動いちゃったのかもしれませんね。<br>でもアニェスが恐くて抑えていたのかもしれません。<br><br>なんでも、ブルボン公家とマニェリ家が長年争っていたマニェリ領をアントワネットに<br>与えちゃったとか… もしかするとアニェスの口添えかもしれませんが。<br><br>アニェスが亡くなると、シャルルは自分の寝室係ヴェルキエとアントワネットを結婚させ<br>愛妾にいたしました。<br>（以前にも書きましたが、フランスでは愛妾は結婚してないとダメだったということで…）<br>シャルルはアントワネットに3つの小島を持参金として与え、どれぐらい莫大なのかは<br>わからないのですが、年に2000リーヴルの年金を与える約束をしています。<br><br>結婚から4年後にアントワネットの夫が亡くなるのと、シャルルはアントワネットのために<br>ゲルシュ城の建設にとりかかりました。<br>二十歳そこそこの娘さんに城だの年金だの… あまやかしすぎではないのか？<br><br>アントワネットはシャルル7世が亡くなる1461年まで愛妾の座におりました。<br>二人の娘さんがいましたが、シャルルが認知したのは長女だけでした。<br><br>シャルルが亡くなった時、アントワネットはまだ27歳です。<br>ブルターニュ公フランソワ2世の愛妾になりまして、13年後に亡くなるまで<br>平和にブルターニュ公の宮殿で暮らしていました。<br><br>パーソナリティがさっぱりわかりませんが、どちらとも長くお付き合いし<br>王妃や、アニェスには斬りつけたという王太子ルイとも特にぶつかった様子がないので<br>穏やかな人だったのかもしれませんね。<br>アニェスが長生きしていたら違った人生を歩んでいたかもしれません。<br><br>と思ったら… 川島ルミ子氏によると、アントワネットは前々からアニェスの座をねらってて<br>猛アタックしたという説も…　うーん、わかりませんね。<br>たしかに宮廷で国王の愛妾の座を手に入れるためには腹が据わっていないとダメかもね。<br><br>＊ 読んでいただきありがとうごさいました。<br>　 次はいつアップできることやら… ですが、いつかぼちぼち再開したいと思っています。<br><br>（参考文献　川島ルミ子氏『国王を虜にした女たち』　Wikipedia英語版）
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<pubDate>Sun, 30 Jun 2019 16:36:43 +0900</pubDate>
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<title>ボヘミア王イジー妃　クンフタ</title>
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<![CDATA[ <img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250926/22/marifle1010/26/76/j/o0164023615683194644.jpg"><br><font color="red"><font size="3">お若いのにしっかり者だったらしい<br>イジー妃　クンフタ・ゼ・シュテンベルカ</font></font><br><br>1425〜1449／在位せず<br><br>ラジスラフの後は「ハプスブルク家の王なんて許せるか！」ってなわけで<br>オーストリア軍を敗ったボヘミア貴族の中から王になったポジェブラト家のイジーです。<br>　　　　　　　<img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250926/22/marifle1010/bb/3d/j/o0369016815683194650.jpg" border="0"><br>即位前に結婚したのが、ボヘミア貴族のスミル・シュテンベルクの娘クンフタでした。<br>結婚から3年後の1444年に、19歳にしてポジェブラティに病院を設立。<br>20世紀初頭までクンフタの名がついていいました。<br>若者の教育や学校建設、囚人の社会復帰などに尽力し、システムを確立したらしい。<br><br>ものすごく立派なお妃様にみえますが、エピソードが少ないですね。<br>どこかの王家の王女じゃないからでしょうか？<br><br>1449年、24歳の誕生日の翌日、双子の出産の後亡くなりました。<br>お子様は6人で、次女<a href="https://blog.goo.ne.jp/marifle1010/e/1645d01ef110582683c2205b35e22a13">カテリーナ</a>はハンガリー王マーチャーシュの妃になりました。<br><br><br><br>　　　　　　　　　　　　　　<img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250926/22/marifle1010/f5/28/j/o0189024215683194653.jpg" border="0"><br><font color="red"><font size="3">いよいよ最終回<br>イジー妃　ヨハナ・ズ・ロジェミタール</font></font><br><br>1430〜1475／在位　1458〜1471<br><br>クンフタを亡くしたイジーは翌年、ヨハナと再婚しました。<br>　　　　　　　<img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250926/22/marifle1010/f5/46/j/o0379022615683194658.jpg" border="0"><br>20歳のヨハナは、イジーをものすごくサポートし、国事にも打ち込みました。<br>けれども子供が生まれてからは母親の役割を優先したようです。<br><br>1470年、義理の娘カテリーナの嫁ぎ先だったハンガリーのマーチャーシュが攻めてきました。<br>ヨハナはチェコ軍を率いたそうですよ！<br>たぶんイジーも戦いに明け暮れていたと思うので、夫が不在の時はわたくしが！と<br>奮闘していたのでしょうね。<br><br>1971年、イジーが死去しました。<br>ヨハナは、ボヘミア王の未亡人が代々隠遁してきたムニェルニークに移り<br>1475年に亡くなりました。<br><br>死後は、庶民の教会に葬ってほしい、あるいは、聖ヴィトゥス教会のイジーの隣がいい…と<br>希望していたそうですが、どこに埋葬されたんでしょうね？<br><br>ヨハナの葬儀の喪主は息子のザクセン公ヴィルヘルム3世ではなくて<br>次の王になるハンガリー王ウラースロー2世でした。<br>一応イジー支持派から選ばれて王になったようなのですが、他所者なので点数稼がねばね！<br><br>　　　　　　　　　　　　　<img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250926/22/marifle1010/da/48/j/o0160027415683194659.jpg" border="0"><br>　　　　　　　　　　　　<font size="1"></font><strong>Jarmily Haldové</strong><font size="1">さん作ヨハナ</font><br><br>この後ボヘミア王位は<a href="https://blog.goo.ne.jp/marifle1010/e/138c6fe56cc8ab07cc6cced4e7c08f78">ヤゲロン家</a>、そしていよいよ<a href="https://blog.goo.ne.jp/marifle1010/e/47528c8f52cd1c19d1e55f0bd1a10aa8">ハプスブルク家</a>へ…<br>続きはそちらからどうぞ<br><br>（参考文献　Wikipedia英語版）
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<pubDate>Wed, 23 May 2018 20:44:03 +0900</pubDate>
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<title>ボヘミア王ヴァーツラフ4世妃　ゾフィエ</title>
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<![CDATA[ <img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250926/22/marifle1010/fc/6f/j/o0164021715683194318.jpg"><br><font color="red"><font size="3">未亡人になってからEnjoy？<br>ヴァーツラフ4世妃　ゾフィエ・ヴァボルスカー</font></font><br><br>1376〜1428／在位　1389〜1419<br><br>前妃ヨハナを飼い犬に殺されちゃった（らしい）ヴァーツラフ4世は<br>ヨハナの従妹にあたるゾフィエと再婚しました。<br>従姉にフランス王シャルル6世妃<a href="https://blog.goo.ne.jp/marifle1010/e/b52f82d46edd2ccf5053aa58b5113955">イザボー・ド・バヴィエール</a>がいます。<br>　　　　　　　　<img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250926/22/marifle1010/cd/b3/j/o0326017915683194322.jpg" border="0"><br>ヨハナの死から2年後、育ての親バイエルン公フリードリヒ1世に連れられて<br>プラハに向かい、翌年結婚しました。<br><br>ゾフィエは狩猟が大好きで、夫婦共通の趣味があったせいか仲は良かったそうです。<br>ヴァーツラフ4世は愚王として名高かったそうなのですが<br>一方ゾフィエは経済方面で有能だったらしいです。<br>もしかしたら影で夫を操っていたかもしれませんね。<br><br>1419年、ヴァーツラフ4世が亡くなりました。<br>相変わらず継承者をねらう人が多数いる中、お子様がいなかったゾフィエは摂政をしながら<br>義弟ジグムントを支持することでボヘミアからの保護を得ることにしました。<br><br>ゾフィエも43歳、故国に返されてもねぇ… <br>それとも他にボヘミアに残りたい理由でもあったのでしょうか？<br><br>めでたく王になったジグムントとゾフィエは契約を交わしました。<br>ゾフィエは権力は手放しましたが、なぜかジグムントと二人で領地を仕切っていました。<br>二人はお付き合いしている… というもっぱらのうわさでした。<br>ジグムントは「ゾフィエはポーランド王ヴワディスワフ2世と再婚する予定だから！」と<br>言い訳していたようですが、再婚することなく1428年に亡くなりました。<br>　　　　<img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250926/22/marifle1010/0f/03/j/o0436023115683194324.jpg" border="0"><br>旦那さんが亡くなってから、次の王様、例えば弟とか義理の息子なんかと<br>ウワサになる王妃って多いような気がする…　すぐには思い出せないけど。<br><br>まぁ、未亡人といってもお若いですからね…<br><br>　　　　　　　　　　　　 　　<img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250926/22/marifle1010/65/55/j/o0159027715683194328.jpg" border="0"><br>　　　　　　　　　　　　　　<font size="1"></font><strong>Jarmily Haldové</strong><font size="1">さん作ゾフィエ</font><br><br>で、噂のお相手ジグムント妃は<a href="https://blog.goo.ne.jp/marifle1010/e/8cbcf4d49e798b8c100d4ce99888f6f9">マリア・ウヘルスカ</a>と<a href="https://blog.goo.ne.jp/marifle1010/e/7d427c7f390bd9238f57c440b8c82c7b">バルボラ・チェリスカ</a>でした。　　　　　　　<br>　　　　　　　　　　　　　　　<img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250926/22/marifle1010/00/23/j/o0162027215683194334.jpg" border="0"><br>　　　　　　　　　　　　　　<font size="1"></font><strong>Jarmily Haldové</strong><font size="1">さん作バルボラ</font><br><br>その後はハプスブルク家のアルブレヒト、王妃は<a href="https://blog.goo.ne.jp/marifle1010/e/4a46634103dc9e03861afbcf369b162e">アルジェビェタ・ルクセンブルスカ</a><br>ラジスラフ（未婚）と続いていきます。<br><br>ボヘミア王妃編、もうすぐ最終回です。<br><br>（参考文献　Wikipedia英語版）
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<pubDate>Tue, 15 May 2018 20:14:11 +0900</pubDate>
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<title>ボヘミア王ヴァーツラフ4世妃　ヨハナ</title>
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<![CDATA[ <img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250926/22/marifle1010/e4/76/j/o0198023015683194308.jpg"><br><font color="red"><font size="3">死因はなんだって <br>ヴァーツラフ4世妃　ヨハナ・バヴォルスカー</font></font><br><br>1362〜1386／在位　1378〜1386<br><br>カレル1世の次男で後を継いだヴァーツラフ4世の妃は<br>下バイエルン公アルブレヒト1世の公女です。<br>母マルガレータはヴァーツラフ2世王女マルガリェタを祖母にもちます。<br>父方の祖父は神聖ローマ皇帝ルートヴィヒ6世です。<br>　　　　　　　<img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250926/22/marifle1010/f5/f1/j/o0357023315683194311.jpg" border="0"><br>8歳の時、結婚のためにハーグからプラハに旅立ちました。<br>ヴァーツラフは9歳でした。<br><br>ルクセンブルクとバイエルンの繋がりを強くするための結婚でしたが<br>ヴァーツラフの最初のお妃候補は、ホーエンツォレルン家の<br>エリーザベト・ニュルンベルクでした。<br>しかし、エリーザベトがプファルツ家のルパートと結婚したので<br>ヨハナと結婚することに。<br><br>ちなみに、ドイツ王というのは神聖ローマ皇帝候補みたいなもので<br>ヴァーツラフもドイツ王になります。<br>この時代、各名家が陣取り表みたいなものを広げて縁談を考えてたとしか思えないですよね。<br><br>二人の結婚生活は16年に及びましたがお子様はいませんでした。<br>一説によるとヴァーツラフはアルコール依存症気味で、不能だったらしいです。<br><br>ヨハナは23〜24歳で亡くなるのですが、言い伝えによると…<br>ヴァーツラフの猟犬に攻撃されたってことです。<br><br>でもさ、独りでフラフラと犬舎っていうの？ 猟犬がウロウロしてるところに行くわけないし<br>なんか臭いません？　猟犬放たれちゃったとかさ…<br><br>ヴァーツラフはジェブラーク城内で、それはそれは壮大な葬儀を行いました。<br>これは本当に悲しんでのことなのか隠蔽孝作か… 最近疑りぶかくなっちゃっていかんね。<br>葬儀後プラハ城に埋葬されました。<br>ヴァーツラフはその後、ヨハナの従姉妹のゾフィエと再婚します。<br><br>ヴァーツラフは、1400年にドイツ王を廃位されてプファルツ家のルパートにもってかれます。<br>お嫁さんも王位もとられちゃってね…<br><br>　　　　　　　　　　　　　　　　<img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250926/22/marifle1010/b7/d4/j/o0160027415683194315.jpg" border="0"><br>　　　　　　　　　　　　　　　　<font size="1"></font><strong>Jarmily Haldové</strong><font size="1">さん作ヨハナ</font><br><br>（参考文献　Wikipedia英語版）
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<pubDate>Wed, 09 May 2018 21:38:10 +0900</pubDate>
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<title>ボヘミア王ヤン妃　ベアトリクス</title>
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<![CDATA[ <img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250926/22/marifle1010/8c/58/j/o0177022815683194261.jpg"><br><font color="red"><font size="3">国民に無視された王妃<br>ヤン妃　ベアトリクス・ブルボンスカー</font></font><br><br>1320〜1383／在位1334〜1346<br><br>1330年、ヤンの王妃<a href="https://blog.goo.ne.jp/marifle1010/e/c3406b9342a1dff569717522987a2507">エリシュカ</a>が結核で亡くなりました。<br>ヤンは、それはそれは悲しんだそうです、真偽はともかく。<br>自分はよそ者で亡くなったのはボヘミアの王女だから、まわりの目も気にしないとね。<br><br>ポーズだかどうだか、エリシュカの死後4年間再婚しなかったヤンですが<br>フランス王フィリプ6世が親交を深めようと再婚をおススメしてきました。<br>相手はブルボン公ルイ11世の末娘ベアトリクスです。<br><br>おススメはいいけど、ベアトリクスはすでに、ターラント公フィリッポと婚約してて<br>そちらは破棄されてしまいました。<br>　　　　　　　<img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250926/22/marifle1010/79/31/j/o0375019815683194267.jpg" border="0"><br>16歳で結婚したベアトリクスは、年上の継子カレルの妃<a href="http://blog.goo.ne.jp/marifle1010/e/6f478a5d8e1b6fee44fb74023f81bf7e">ブランカ</a>に<br>お世話してもらうことになりました。<br>出身が同じフランスだから心強いですね。　でもヴァロア家とブルボン家だけど…<br><br>ベアトリクスは、ブランカとやけに比べられちゃってつらかったみたいです。<br>ブランカ、エピソードがあまりないけど、できた人だったのでしょうか？<br><br>ベアトリクスはというと、冷たそうで傲慢で、チェコ語を嫌悪していたということで<br>国民には不人気でした。<br>ブランカはその逆だったのかしら？<br>たしかに、ボヘミア王女だった王妃の後妻というのは、キツい立場かもね。<br><br>それにしても肖像画、なんとかならなかったのでしょうか？<br>不人気でもしかたない雰囲気が充満していますね。<br>もう少し明るそうなお顔で描いてもらえばよかったものを…<br><br>1337年、王子ヴァーツラフが誕生し、その3ヶ月後豪華な戴冠式が行われましたが<br>市民たちに無視されたらしい…<br>そのせいか、ベアトリクスは息子を残してプラハを発ち<br>その後はめったにボヘミアにやって来ることはありませんでした。<br><br>1346年にヤンがクレシーの戦いで戦死しました。<br>ほとんど国にいなかった王妃でしたが、継子カレル1世はベアトリクスに年金を与えました。<br><br>ヤンの死後1年ぐらいしてグランシー卿ユーダス2世と再婚しました。<br>1383年、息子のヴァーツラフより15日長生きして亡くなりました。<br>パリのジャコバン派の修道院に葬られましたが、今は残っていません。<br>胸像がパリのサン＝ドニ大聖堂にあるそうです。<br><br>　　　　　　　　　　　　　　　　<img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250926/22/marifle1010/cd/8a/j/o0159027415683194272.jpg" border="0"><br>　　　　　　　　　　　　　　　<font size="1"></font><strong>Jarmily Haldové</strong><font size="1">さん作ベアトリクス</font><br><br>ヤンの後は長男カレル1世で、後に神聖ローマ皇帝カール4世にもなります。<br>王妃は、ブランカ・ヴァロア、アンナ・フラツカー、<a href="http://blog.goo.ne.jp/marifle1010/e/221781d31f1225a47ef8dba03840d5c2">アンナ・スヴィドニカ</a><br><a href="http://blog.goo.ne.jp/marifle1010/e/833eb06db0b2a95c3d6a10e2fb9b773e">エリシュカ・ポメランスカー</a>の四人です。<br><br><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20250926/22/marifle1010/eb/6c/j/o0053009015683194275.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250926/22/marifle1010/eb/6c/j/o0053009015683194275.jpg" border="0"></a>　<a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20250926/22/marifle1010/65/94/j/o0053009015683194278.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250926/22/marifle1010/65/94/j/o0053009015683194278.jpg" border="0"></a>　<a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20250926/22/marifle1010/b5/f0/j/o0053009015683194281.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250926/22/marifle1010/b5/f0/j/o0053009015683194281.jpg" border="0"></a>　<a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20250926/22/marifle1010/19/84/j/o0053009015683194287.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250926/22/marifle1010/19/84/j/o0053009015683194287.jpg" border="0"></a>　<br><font size="1"></font><strong>Jarmily Haldové</strong><font size="1">さん作　左から、ブランカ・アンナ・アンナ・エリシュカ</font><br><br>（参考文献　Wikipedia英語版）
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<pubDate>Fri, 04 May 2018 18:55:54 +0900</pubDate>
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<title>ボヘミア王ヤン妃　エリシュカ</title>
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<![CDATA[ <img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250926/22/marifle1010/12/cf/j/o0171021215683194251.jpg"><br><font color="red"><font size="3">陰謀好きだったらしい<br>ヤン妃　エリシュカ・プシェミスロヴナ</font></font><br><br>1292〜1330／在位　1310〜1330<br><br>エリシュカは、ジンドリフ妃アンナ同様、ヴァーツラフ2世とグータの王女でした。<br>両親を早く亡くし、13歳の時には兄ヴァーツラフ3世も暗殺されて、残ったのは四姉妹だけ。<br><br>母を亡くしたエリシュカは、父方の伯母にあたるクンフタからすごく影響を受けていて<br>彼女とともにプラハ城近郊の女史修道院で過ごしました。<br>姉<a href="https://blog.goo.ne.jp/marifle1010/e/f3eedf232c29a11882891f7d458899b4">アンナ</a>、義母エリシュカ・レシュカ、義理の姉<a href="http://blog.goo.ne.jp/marifle1010/e/24f97331cb68ba9a54e7d44c03d76a58">ヴィオラ</a>も一緒でした。<br>　　　　　　　<img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250926/22/marifle1010/2b/8b/j/o0378017815683194254.jpg" border="0"><br>で、アンナの時にも書いたんだけど、ヴァーツラフ3世が暗殺された時<br>未婚だったのはエリシュカだけで、ボヘミア王位を狙う各国から熱い視線が注がれました。<br><br>ジンドリフとアンナは、自分たちに有利になる縁談をいくつか持ちかけましたが<br>エリシュカは、1310年、神聖ローマ皇帝ハインリヒ7世皇子ヨハン（ヤン）と結婚しました。<br>ヤンはボヘミアを制圧したばかりで、姉夫婦たちの痛いところをついたわけです。<br>18歳の若さで、姉夫婦のウラをかくとは…<br><br>王女は生まれましたが、王子が生まれずつらい思いもしたようですが<br>6年後、後の神聖ローマ皇帝カルロス（4世）も生まれて任務も果たしました。<br>慈善などに勤しみ大人しくすごしていれば、穏やかな人生が送れたと思うんだけど…<br><br>エリシュカは政治好きだったみたいなのね。<br>それで、ヤンとだんだん意見が食い違っていくようになります。<br>「わたくしのおかげで王になれたんじゃぁなくて？」なんて思ったのかしら？<br><br>1319年、ヤンを退位させてカルロスを即位させようという陰謀が噂されました。<br>ヤンは首謀者とされる人物を罰しましたが、エリシュカのことも疑っていたのか<br>子供たちの教育からエリシュカを遠ざけることにしました。<br><br>エリシュカはムニェルニーク城に移され、カルロスは投獄された後フランスへ送られました。<br>母子は二度と会うことはありませんでした。<br><br>ボヘミアの王女なのに政治からは遠ざけられ、味方も失ったエリシュカは<br>バイエルンに渡りました。<br>なぜバイエルンかしら？　長女マルケータがバイエルン公妃になりますけど、もっと後だし…<br>1323年に双子の女の子が生まれてるのよね！ これは誰の子？　ヤンの子？<br><br>ボヘミアを出たエリシュカを、ヤンは一切支援しませんでした。<br>エリシュカはヤンとボヘミア貴族たちへの恨みつらみを隠しませんでした。<br>もし、当時ネットがあったら、ブログとかTwitterで動画バンバンアップしたりして…<br>そして呆れられたりして…<br><br>1325年、エリシュカは結核にかかりボヘミアに戻りました。<br>5年間生き延び、1330年に亡くなりました。<br>離婚はしていなかったので、亡くなるまで王妃のタイトルは持っていました。<br><br>三男四女のお子様がいました。<br>次女<a href="http://blog.goo.ne.jp/marifle1010/e/272ddb913d03a1b40a48a2658b608dca">ジェトカ</a>は、フランス王ジャン2世の妃になっています。<br><br>　　　　　　　　　　　　　　　<img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250926/22/marifle1010/ae/bb/j/o0159027615683194257.jpg" border="0"><br>　　　　　　　　　　　　　　<font size="1"></font><strong>Jarmily Haldové</strong><font size="1">さん作エリシュカ</font><br><br>（参考文献　Wikipedia英語版）
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<pubDate>Mon, 30 Apr 2018 18:59:00 +0900</pubDate>
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<title>ボヘミア王ジンドリフ妃　アンナ</title>
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<![CDATA[ <img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250926/22/marifle1010/02/12/j/o0159027115683194243.jpg"><br>　　　　　　　　　　　　　　　　<font size="1"></font><strong>Jarmily Haldové</strong><font size="1">さん作</font><br><br><font color="red"><font size="3">思い通りにならない妹にイラつく<br>ジンドリフ妃　アンナ・プシェミスロヴナ</font></font><br><br>1290〜1313／在位　1307〜1310<br><br>ヴァーツラフ3世は若くして亡くなり、王妃<a href="http://blog.goo.ne.jp/marifle1010/e/24f97331cb68ba9a54e7d44c03d76a58">ヴィオラ</a>との間に嫡子はいませんでした。<br><br>そこでボヘミア王には、ヴァーツラフ2世王女アンナの夫ジンドリフが<br>選挙で選ばれました。<br>ジンドリフは、ケンテルン公でオーストリア名はハインリヒです。<br>1306年にアンナと結婚していました。<br><br>もちろん、父王や祖父同様ポーランドの王座もほしいところですよね？<br>しかし、ポーランドはピアスト家のヴワディスワフ1世が王座を奪い返しました。<br><br>そればかりか、ボヘミアの実質的な権力も、ヴァーツラフ2世王妃<a href="http://blog.goo.ne.jp/marifle1010/e/e5d0e539b802f45cfac4f7e00fdf907f">エリシュカ・レシュカ</a>が<br>再婚した、ハプスブルク家のルドルフにもっていかれてしまいます。<br>　　　　　　　　<img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250926/22/marifle1010/f7/b5/j/o0494023715683194247.jpg" border="0"><br>この、ハプスブルク家が囲い込んじゃってる感、すごいよね！！<br><br>アンナとジンドリフは、ひとまずケンテルンに逃れてチャンスをうかがいます。<br>ルドルフはボヘミア王になるんですが、1年足らずで亡くなり<br>ジンドリフは再びボヘミア王になりました。<br><br>でも安泰じゃないですよね、なんとかせねば！<br>そこで二人が目をつけたのは、未婚の妹エリシュカです。<br>彼女の婚姻で味方を作ろう、というわけでいくつか縁談をもちかけました。<br><br>ところが、エリシュカったら言うことを聞きやしない！！<br>それどころか、名家ルクセンブルク家のヤン（ヨハン）と結婚しました。<br>ヤンは1310年にボヘミアを占拠し、ボヘミア王になりました。<br>ジンドリフとアンナはまたまたケンテルンに逃げ帰り、姉妹は訣別しました。<br>アンナはもともと美しいエリシュカに嫉妬していたみたです。<br><br>妹の仕打ちにうちひしがれたのか、アンナは23歳の若さで亡くなりました。<br>ジンドリフはその後、ブラウンシュヴァイク＝リューネブルク家のアデレードと再婚、<br>サヴォイ家のヴェトリーチェと再々婚しました。<br><br>ちなみに短命だったルドルフ1世ですが、エリシュカ・レシュカと結婚する前に<br>フランス王フィリプ3世王女<a href="http://blog.goo.ne.jp/marifle1010/e/9912af03476bd20963f227adfe690e89">ブランカ</a>と結婚していました。<br><br>（参考文献　Wikipedia英語版）
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<pubDate>Sun, 15 Apr 2018 19:06:26 +0900</pubDate>
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<title>ボヘミア王オタカル2世妃　クンフタ</title>
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<![CDATA[ <img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250926/22/marifle1010/2f/15/j/o0185024815683194219.jpg"><br><font color="red"><font size="3">再婚のミステリー<br>オタカル2世妃　クンフタ・ウヘルスカー</font></font><br><br>1245〜1285／在位　1261〜1278<br><br>1260年に、マルケータとの結婚を無効にしたオタカル2世は<br>翌年の1261年にとっとと再婚しました。<br>お相手は、マチョー公ロスチスラフの公女クンフタです。<br>マルケータより41歳若い花嫁でした。<br>　　　　　　　　<img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250926/22/marifle1010/e8/94/j/o0334020715683194222.jpg" border="0"><br>クンフタのお母様は、ハンガリー王ベーラ4世王女アンナで、父方の祖父は<br>最後のキエフ大公ミハイル2世でした。<br><br>ミハイル2世の死後ハンガリーに移りました。<br>1261年、祖父ベーラ4世とオタカル2世が同盟を結び嫁ぐことになりました。<br><br>けれども、この同盟は10年後に破られて、クンフタの叔父イシュトヴァーン（5世）に<br>攻め込まれました。<br><br>オタカル2世は1278年にマルヒフェルトの戦いでドイツ王ルドルフ1世に敗れ亡くなります。<br>これは、前妃マルケータとの結婚で手に入れた公領をめぐる争いですかね？<br>その上、ボヘミア王の支配下にあったモラヴィア公領は、ルドルフ1世に制圧されました。<br><br>幼王ヴァーツラフ2世の摂政になったクンフタでしたが、コントロールできるのは<br>プラハ近郊ぐらい… 行く末が不安ですね。<br><br>でも大丈夫！<br>ヴァーツラフは、ルドルフ1世の王女<a href="http://blog.goo.ne.jp/marifle1010/e/26a89bd0ec21d3b8596cfb5c3e2c4192">グータ</a>との結婚が決まりましたよ〜<br>迫りくるハプスブルク家の影…<br><br>クンフタは、ヴァーツラフの結婚で肩の荷が降りたのか<br>同年、ボヘミアの大物政治家ファルケンシュティン卿ザーヴィシュと再婚しました。<br>ところがですよ、クンフタは数週間後に急死してしまいます。<br><br>ザーヴィシュは3年後にハンガリー王イシュトヴァーン5世王女エルジェーベトと<br>再婚するんだけど… なにか勘ぐりたくなりますよね。<br><br>　　　　　　　　　　　　　　　　<img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250926/22/marifle1010/68/12/j/o0164026615683194226.jpg" border="0"><br>　　　　　　　　　　　　　　　<font size="1"></font><strong>Jarmily Haldové</strong><font size="1">さん作クンフタ</font><br><br>危なげに見えたヴァーツラフ2世の治世でしたが、ボヘミア王国を維持したばかりか<br>選挙でポーランド王になり、さらに祖母の系統からハンガリー王にもなりました。<br><br>ヴァーツラフ2世は、グータの死後、ポーランド王プシェミスゥ2世王女<br><a href="http://blog.goo.ne.jp/marifle1010/e/e5d0e539b802f45cfac4f7e00fdf907f">エリシュカ・レシュカ</a>と再婚しました。<br><br>　　　　　　　　<img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250926/22/marifle1010/a6/fd/j/o0162027315683194230.jpg" border="0">　　　<img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250926/22/marifle1010/c4/78/j/o0159027315683194233.jpg" border="0"><br>　　　　　　　<font size="1"></font><strong>Jarmily Haldové</strong><font size="1">さん作グータ</font>　　<font size="1"></font><strong>Jarmily Haldové</strong><font size="1">さん作エリシュカ</font><br><br>その後を継いだのは、ヴァーツラフ2世王子ヴァーツラフ3世で、王妃は<a href="http://blog.goo.ne.jp/marifle1010/e/24f97331cb68ba9a54e7d44c03d76a58">ヴィオラ</a>です。<br><br>　　　　　　　　　　　　　　　　　<img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250926/22/marifle1010/3e/31/j/o0159027115683194237.jpg" border="0"><br>　　　　　　　　　　　　　　　　<font size="1"></font><strong>Jarmily Haldové</strong><font size="1">さん作ヴィオラ</font><br><br>（参考文献　Wikipedia英語版）
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<pubDate>Sat, 07 Apr 2018 19:22:05 +0900</pubDate>
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<title>ボヘミア王オタカル2世妃　マルケータ</title>
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<![CDATA[ <img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250926/22/marifle1010/2c/9c/j/o0193024715683194198.jpg"><br><font color="red"><font size="3">継承のためなら！の歳の差婚<br>オタカル2世妃　マルケータ・バーベンベルスカー</font></font><br><br>1204〜1266／在位　1253〜1260<br><br>父王ヴァーツラフに対して反乱をおこし、投獄されたオタカルでしたが<br>1253年にめでたく王に就くことができました… 5年ぐらい待てばよかったのにね。<br><br>結婚は2回しているのですが、1回目のお相手は26歳年上 の<br>オーストリア公レオポルト6世公女マルケータでした。<br>すごいね！ 26歳年下…　見てるだけでいいや。<br><br>実は21歳ぐらいで、ドイツ王ハインリヒ7世と結婚していました。<br>けれども、オタカル同様、ハインリヒも父親の神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世に対して<br>反乱をおこし、失敗して1242年に亡くなりました。<br><br>マルケータはその後静かに隠遁生活を送っていたのですが<br>そうもしていられなくなりました。<br>　　　　　　　<img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250926/22/marifle1010/25/19/j/o0328016115683194200.jpg" border="0"><br>ちょっと入り組んでるから、上手く説明できるかどうか… いきますよ！<br><br>マルケータの弟フリードリヒ2世が、1246年に嫡子無しで死去したため<br>オーストリア公領とシュタイアーマルク公領に対して<br>マルケータか姪のゲルトルード、どちらの夫も権利を主張できる立場になりました。<br><br>そこでヴァーツラフ1世は、長男ヴワディスワフをゲルトルードと結婚させて<br>この継承争いにくいこんでいきました。<br>ところが、結婚の翌年の1247年にヴワディスワフが亡くなります。<br><br>ゲルトルードの再婚相手バーデン辺境伯ヘルマン6世が1250年に亡くなると<br>ヴァーツラフ1世の野望は再燃します。<br>次男オタカルとゲルトルードを結婚させる作戦だったのですが<br>オタカルが兄の未亡人との結婚を断固拒否しました。<br><br>倫理上の問題なのか、兄さんのおさがりなんて！！ というプライドだかはわかりませんが<br>7歳年上のゲルトルードとの結婚を断り、26歳年上のマルケータとの結婚を承諾しました。<br>　　　　　　　<img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250926/22/marifle1010/57/82/j/o0377016815683194207.jpg" border="0"><br>1252年に結婚はしてみたものの、マルケータはもうすぐ50歳（一説には50歳以上）です。<br>嫡子が生まれるわけない！ ということで、オタカルは<br>1254年、マルケータの侍女だった愛妾アニェス・クネリングとの間に生まれた息子を<br>教皇に認めてもらおうとします。<br><br>これに失敗すると、オタカルはマルケータとの結婚の失効を訴え、1260年に許されました。<br>　　　　　　　　　　　　<img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250926/22/marifle1010/8a/dd/j/o0234009915683194208.jpg" border="0"><br>でもさ、オーストリア・シュタイアーマルク公領は手放さないのよ、どう思う？<br>（後にドイツ王ルドルフ1世に奪われます）<br><br>結婚を無効にされたマルケータは、オーストリアに帰っていきました。<br>帰国後は “ ローマ王妃 ” と呼ばれていました。<br><br>没年は1266年か1267年で、希望どおり父親が建てたリリエンフェルト修道院の<br>父の隣に埋葬されました。<br><br>静かな生活から引っぱり出しといてなんなのよ！<br>26歳年上ってことは、最初からわかってたじゃないか！！<br><br>マルケータ自身がどう思っていたのか、まったくわからないのが残念ですね。<br>何度も言うけど、わたしは見てるだけでいいです。　できたら歌って踊ってほしい…<br><br>　　　　　　　　　　　　　　　　<img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250926/22/marifle1010/8a/82/j/o0164026715683194211.jpg" border="0"><br>　　　　　　　　　　　　　　　<font size="1"></font><strong>Jarmily Haldové</strong><font size="1">さん作マルケータ</font><br><br>（参考文献　Wikipedia英語版）
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<pubDate>Fri, 30 Mar 2018 20:22:18 +0900</pubDate>
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