<?xml version="1.0" encoding="utf-8" ?>
<rss version="2.0" xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom">
<channel>
<title>麻里布栄の生活と意見</title>
<link>https://ameblo.jp/marifusakae/</link>
<atom:link href="https://rssblog.ameba.jp/marifusakae/rss20.xml" rel="self" type="application/rss+xml" />
<atom:link rel="hub" href="http://pubsubhubbub.appspot.com" />
<description>小説「風景をまきとる人」の作者　麻里布栄（まりふさかえ）のブログ</description>
<language>ja</language>
<item>
<title>生活と意見　（第869回）</title>
<description>
<![CDATA[ <p>5月17日</p><p>&nbsp;</p><p>80年に出た「天才と肉欲」（ノーマン・メイラーが編んで、いくらかの評論を加えた、一冊本ヘンリー・ミラー選集）をひさしぶりに購入。これまで、出てすぐ（大学二年目）と、30歳すぎに購入し、二度ともそれぞれ引っ越しのとき古本屋に売ったので、三度目の購入ということになります。なぜまた買ったのか。　2024年の秋、昔から手放さずに持っていた河野一郎訳「ネクサス」を再読してからにわかにまたミラーを読み始め、大久保訳「北回帰線」、河野訳「南回帰線」、吉行訳「愛と笑いの夜」と再読、再々読して、いま大久保訳「セクサス」の前半を読み終わったところなのですが、なんとなく、ほかの小品も読みたくなって、でも何冊にもなるのはいやだな、と思ったとき、この本があるのを思い出しました。「マルーシの巨像」は電子書籍も出ていて買ったのでいいとして、「冷房装置の悪夢」「性の世界」「ビッグ・サー」などは、2010年ごろ出た水声社のコレクションか、旧ヘンリー・ミラー全集でないと読むことができません。北・南と、セクサス、プレクサス、ネクサスを主食として、ただミラーの風変わりな自伝として味読している私にとっては、おかずにそれほど費用も時間もかけたくはない、という感じで、それには、これら小品の一部が採録してあるこの本がとても便利なのです。適当に拾い読みしていますが、これまでほとんど読まなかったメイラーの地の文も、読んでみるとなかなかおもしろいし、アナイス・ニンの日記の抜粋も興味深い。とてもいい本だな、と思います。　</p><p>&nbsp;</p><p>「セクサス」を読み終わったら、また「プレクサス」を読むと思うのですが、16年前に水声社版で再読したので、今度はまた新潮社版で読んでみようか、などと考えています。主食の5冊を読めば、ミラーの子供のころから、青年時代、二度目の奥さんとの出会いと別れ、パリでの放浪と、その半生を克明にたどることができます。「ネクサス」の最後で希望に満ちていた主人公が、パリでホームレスのような暮らしをしながら、「北回帰線」という異物を生み出す。そうして生み出した主人公が生み出すまでを回想する……。これは完全に循環になっていて、その循環をたどりなおすのが、何度やってもおもしろい。こういう感じは、プルースト、ジョイス、また、「豊饒の海」と庄司薫の四部作などに共通する楽しさです。</p><p>&nbsp;</p><p>とりあえずいまは、ミラーを読むことと、中公文庫「ドストエフスキー全短編」を手にすることを目標に生きています。</p><p>&nbsp;</p><p>約ひと月風邪をひいていて、友だち&nbsp; は一行も書けませんでした。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/marifusakae/entry-12966416116.html</link>
<pubDate>Sun, 17 May 2026 10:46:12 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>生活と意見　（第868回）</title>
<description>
<![CDATA[ <p>5月6日</p><p>&nbsp;</p><p>今月末、中公文庫から「ドストエフスキー全短編」全2巻が出るとのこと。すばらしい。米川正夫訳というのがほんの少し惜しい感じですが、「全集」が「文庫」で出るというのがすごい。以前福武文庫で「前期短編集」「後期短編集」が出ていましたが、それは「選集」だったので。　学生時代にあったら、高田馬場や神保町で一冊300円の黄ばんだ旧ドストエフスキー全集を買い求め、ほこりとカビにせき込みながら読む必要はなかったのに、と思わずにいられません。中公文庫は最近、江川卓訳「カラマーゾフ」の初文庫化など、なにかドストエフスキー祭りっぽくなっていますが、これからも期待していいのでしょうか。といっても、まあ「ステパンチコボ村とその住人」ですら文庫になったいま、まだ身近になっていないのは「家主の妻」「ネートチカ・ネズワーノワ」ぐらいのような気もしますが。本音をいうと、昔中公から出ていた池田健太郎訳「悪霊」「カラマーゾフ」を文庫で復活させてほしい。それが私の一番の願いですが。</p><p>&nbsp;</p><p>ちょっと前、三省堂書店が復活したというので遅ればせながら寄ってみました。一階に行っただけなのですが、はなはだ失望しました。まず書棚の配置。外国文学（古典も含む）の棚のすぐそばに投資関連の書棚。興ざめ。別にゲーテを好きな人が投資に意欲を燃やしていてもいいのですが、われわれ貧乏人の本好きにはそれなりの排他性があり、俗世のゼニ好きなやつらと一緒にされたくない、という気持ちも強いので。「金はないが、一冊一万円のセルバンテス全集を買い、あとで、なぜ買ったのかと泣く」というような行為を美しいと感じる狂人なので。また、書棚と書棚の間が狭すぎる。これでは、もともとぜんぜん興味がない人が何の本を抜き出して手に取るかというのをいやでも見てしまう。完全改悪。5分の滞在で裏口から出て、東京堂へ行きました。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/marifusakae/entry-12965269564.html</link>
<pubDate>Wed, 06 May 2026 11:40:08 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>生活と意見　（第867回）</title>
<description>
<![CDATA[ <p>3月29日</p><p>&nbsp;</p><p>つげ義春さんが亡くなりましたね。「さん」と書くのは、ほんの一瞬ですが、つげさんと電話でやりとりさせていただいたことがあるからです。86年、住宅情報誌の読み物記事のライターをやっているとき。インタビューに出ていただけないかとアポをとりました。マスコミ電話帳の漫画家のところにお名前があって、まったく普通にご自宅の電話番号が書いてあり、かけたらご本人が出られました。お願いしたい趣旨を説明すると、もう確実にはどのような言葉だったか正確に覚えていないのでカギかっこは使えませんが、自分はいま病気（「うつ」だとおっしゃったと思います）で、人には会えない、と、ていねいに、はっきりとおっしゃいました。</p><p>&nbsp;</p><p>高校時代、第何次かの「つげブーム」で、講談社漫画文庫から出た「義男の青春」を読みました。続いて二見書房から「四つの犯罪」など昔のつげ作品が文庫化されて出て、それらもすべて読みました。「ねじ式」は、小学館文庫で読んだのだと思います。「ねじ式」「李さん一家」「蟹」など、すごく好きでしたが、やはり世代の違いを感じるところもあり、メッキ工場を舞台にした自伝的な作品はちょっと苦手でした。前世代の人が評価しつくしている作品ばかり、というのもなにかいやだったのかもしれません。それが、大学1年か2年のころ、新作新刊で「必殺するめ固め」が出て変わりました。これが出たことで、つげ義春は、自分にとって、永井豪や石森章太郎と同じ、同時代の漫画家になったのです。短編「夜のふくらみ」など、衝撃を受けました。また、そのころ、私は内田百閒にのめりこんでいて、自分でも夢を描くことに熱中していたので、収録作のほとんどが夢を材料にしている同書は手放せない聖書のひとつになりました。それから数年後、のちに「無能の人」としてまとめられる作品が「ばく」に掲載され、毎号楽しみに読みました。</p><p>&nbsp;</p><p>「無能の人」は、私にすれば、高校時代好きだった「峠の犬」の世界を、いまの時代を舞台に広げた信じられない名編だと思います。太宰治の「人間失格」同様、世界がなぜ存在するのかわからなければ、「有能」とはなんなのか、また「合格する人間」とはなんなのかまったくわからないだろうに。根底にはそのメッセージがあると思います。</p><p>&nbsp;</p><p>絶筆になった「別離」は、いままで三回しか読んだことがありません。泣いて、いつもしばらく身動きが取れなくなるからです。これほど深刻な作品を、世界中の文学者は誰一人書けていないと私は感じます。</p><p>&nbsp;</p><p>それでも、一番好きなのは、「李さん一家」「蟹」など、ユーモアのある小品たちかもしれません。どこか、水木しげるさんを思わせるすっとぼけた感じ。大好きです。</p><p>&nbsp;</p><p>まあ、それも、女という、意味不明に深刻な生き物が絡んでくると「悲惨」に結びついてしまうのですが。</p><p>&nbsp;</p><p>とりあえず、つげさんについて書きたかったので書きました。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/marifusakae/entry-12961245069.html</link>
<pubDate>Sun, 29 Mar 2026 09:01:27 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>生活と意見　（第866回）</title>
<description>
<![CDATA[ <p>3月14日</p><p>&nbsp;</p><p>長いこと書かないうちに、行動範囲の狭い私の目線の中だけですが、変化があったことのひとつに電子書籍の充実があります。なかには自動翻訳ソフト（いまはこういうのもアプリというんですかね？）を使って作ったらしい、かなりインチキ（死語？）な翻訳文学などもありますが、とりあえずいろいろ選択肢がふえて、にぎやかになりました。それにともなって、読書端末のほうも、kindleカラー版が出たりして進化しています（コボとかはちょっとわかりません）。去年、一週間ぐらい悩んだ末、そのkindleカラー版を買いました。たんに表紙がカラーになっただけではあるのですが、正直、とてもいいです。もともと、kindle本はパソコンから購入することが多いので、買うときはもちろんカラーの表紙が見えているのですが、端末で買った本を開くと、表紙はモノクロで、そこに「電子書籍とはしょせんこういうものだよ」という限界を感じさせられたものでした。でも、いまは違います。すごく「所有欲」が満たされるんですね、カラーの表紙が並んだライブラリを見ると。それに、モノクロkindleのときは、本文の表示も、極端に言うと初期のワープロ機の画面を思わせるところもありましたが、カラー版は「色としての白地」になっていて、スミとの二色でも、根底に四色が感じられます。こうなってから、kindleの「セール」はすごく楽しみになりました。いまこれが読みたいから買う、だけでなく、買っておいてとりあえず所有すること、も増えました。たとえば、半年前ぐらいに、角川ビギナーズ・クラシックスのセールがあり、セール中、徒然草、枕草子、とりかえばや物語、伊勢物語、奥の細道などが、すべて200～300円になったときはまとめて10冊以上買いました。同じように、いろいろな版元のいろいろな電子書籍が急にセールで、信じられないような値段で手に入ることがあります。そうしてカラー版ならではの、ライブラリのにぎやかさといったら。本当に書棚を携帯してるような気分になります。</p><p>&nbsp;</p><p>まあ、私の場合、網膜剥離（右）と白内障（左）の手術をしてから裸眼で小さい字を読むのがむずかしくなっているので、とにかく大きい字にできる、というところがなにより大事なことではあるのですが。</p><p>&nbsp;</p><p>べつにAmazonの宣伝をするわけではありませんが、kindleカラー版はいい買い物だったと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/marifusakae/entry-12959685086.html</link>
<pubDate>Sat, 14 Mar 2026 11:57:12 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>生活と意見　（第865回）</title>
<description>
<![CDATA[ <p>3月8日</p><p>&nbsp;</p><p>あまりに更新をしないので、この作者はもう書くことをあきらめ、日々をよだれのように生きているのだろう――おそらくそう思われていることと思います。おおかたそうではあるのですが、まだ書いています。ここでも以前途中まで公開したことのある「友だち」を。何年もかかっているのですが、先日ようやく、最初の場面転換の手前まで（全体の四分の一ぐらい）が出来上がりました。ここで公開しようかと思いましたが、そうするとそれでだいぶ満足してしまって最後まで書けなくなるおそれがあるのでやめました。全部が終わってまだ生きていたら公開してみたいと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>神保町で旺文社文庫特製版の「キリマンジャロの雪　他十二編」を300円で買いました。高村勝治さんの訳です。多少古臭いところもある（たとえば、ここでも何度か書きましたが、女性が常に男性に敬語で話すなど）のですが、とてもよかったです。高村さんの訳では、最近kindle版で「ズーイー」を読んだ時も、ひょっとすると野崎訳や村上訳よりもいいのでは、と感じました。新訳がけしてベストとは限らないと、改めて思いました。</p><p>&nbsp;</p><p>生活はにがいことばかり。が、いちいち報告するのも意味のないことです。今年はもう少し、ブログも書いていこうと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/marifusakae/entry-12959054198.html</link>
<pubDate>Sun, 08 Mar 2026 13:15:48 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>生活と意見　（第864回）</title>
<description>
<![CDATA[ <p>12月30日</p><p>&nbsp;</p><p>新潮文庫から、サリンジャー「彼女の思い出/逆さまの森」が出ました。「このサンドイッチ、マヨネーズ忘れてる/ハブワース16、1924年」の文庫化から約1年。とうとう出た、という感じです。これで新潮文庫のサリンジャーは全5冊。白水Uブックスのライ麦と合わせると、ほぼサリンジャー全集といっていいものが文庫と新書でそろうようになりました。これは、とてもありがたいこと（まあ、欲を言えば、二十年ぐらい前に実現してほしかった企画ですが）。その新刊については今回何の情報も持っていなくて、職場近くの書店店頭で見つけて買いました。それで、もしかしたらほかにもなにかあるかもと、ひさしぶりにサリンジャーで検索したら、なんと来年、柴田元幸訳のサリンジャー初期短編全集が出るのを知りました。新潮文庫「彼女の思い出～」「このサンドイッチ～」の訳者は金原瑞人さんで、私はその訳者の「武器よさらば」を読んで二度とほかの訳が読めなくなったほどその翻訳手腕を尊敬していますが、この2冊にはまだ省かれた作品もあり（その中にもすばらしい作品がある）、また柴田元幸さんも言うまでもなくすばらしい翻訳者なので、この短編全集も絶対に読もう、と思いました。これでまた、その発売日まで、生きる言い訳ができました。</p><p>&nbsp;</p><p>が、もちろん、今日明日にくたばってもなにも不服はありません。</p><p>&nbsp;</p><p>では、また。</p><p>&nbsp;</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/marifusakae/entry-12951731824.html</link>
<pubDate>Tue, 30 Dec 2025 12:32:06 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>生活と意見　（第863回）</title>
<description>
<![CDATA[ <p>11月29日</p><p>&nbsp;</p><p>昨日、なんと66歳になりました。「よくもまあ生き続けているもんだな、恥ずかしげもなくおめおめと」。　若い時の自分なら間違いなくそう言ったことでしょう。いまもそう思っていますが、もうどうでもいい、という気持ちもあるのがそのころとは違うところ。　その新たな歳を迎えた記念に、宮島径さんの写真展に行ってきました。二度目。前回は、「私はわりと人類を愛しているのだ」という宮島さんの声が聞こえたように思ったのですが、今回はなんとなく、どの写真からもそのときの「世界の雰囲気」が濃厚にあふれ出て、混ざり合い、ちょっと船酔いしたような感じになりました。同時に、「見るとはなにか」ということを考えたりしました。また、少し冷静さを取り戻してから見直すと、こちらを向いた人物や動物が写っている写真では、その被写体の目にはその瞬間の若い撮影者の姿が映っているはずで、これは、逆セルフポートレートというか、たしかに「目映しの径」になっているのだな、と思いました。その径はなぜそのときシャッターを切ったのか。その動機がいまの径から失われている場合もあるのはなぜか。撮影者はなつかしく思い、また考え、自分を反省し、鼓舞したに違いありません。　いつもそうですが、まったく直接的ではないのですが、創作欲が刺激されました。とてもよかったです。</p><p>&nbsp;</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/marifusakae/entry-12948387963.html</link>
<pubDate>Sat, 29 Nov 2025 11:19:18 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>生活と意見　（第862回）</title>
<description>
<![CDATA[ <p>11月9日</p><p>&nbsp;</p><p>　カメラマン・宮島径氏の写真展「目映しの景」が、両国PICTORICOギャラリーで11月18日～11月29日に開かれます。「目映しの景」という言葉で検索すると、詳細の書かれたページが出てきます。そこに宮島さん自身の文章で、このタイトルの意味が説明されています。私が散文詩のようなものを書いて参加させてもらった「裏山現像」から6年。宮島さんの文を読む限りでは、氏の原点に返ったシンプルで鋭角的な写真展になるのでは、と想像します。このページを見てくださっている方は非常に少ないのでなんの手助けにもなりませんが、かつてgooブログの読者であって、私と宮島さんの話を少しご存じの方は、ぜひ見に行ってみてください。またそうでない方も、派手なアトラクションも音楽もない小さな会場にいる間だけ、あなたの時間が完全に止まることを私が請け合います。氏の写真にはそういう魔力があるからです。だだ漏れの日常の一旦停止を望む方に、ぜひ。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/marifusakae/entry-12944191111.html</link>
<pubDate>Sun, 09 Nov 2025 09:32:50 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>生活と意見　（第861回）</title>
<description>
<![CDATA[ <p>10月12日</p><p>&nbsp;</p><p>　自分で紹介した本を、あまりよくなかった、と書くことはまれなのですが、角川ビギナーズクラシックス　中国の古典「紅楼夢」は正直、良い本ではありませんでした。その理由はただひとつ、「ビギナーズ」向きではないこと。すでに何回か抄訳などに触れている私でも、入っていきにくい。もちろん著者は専門家なのだし、この本がどういういきさつでできあがり、なにが語られ、作者はどういうことが書きたかったのか、に精通しており、自分の見解もたくさん持っていてそれを書きたい。そうかもしれませんが、ビギナーズというシリーズの性格上、そんな「メタ」的なことよりも、まずは、物語を進めることこそが著者の仕事ではないか。第1回から最終回まで、概略と原文の一部を紹介しながら、とりあえず最後までストーリーを語ること。それこそ初心者本の任務ではないでしょうか。同シリーズの西遊記は、見事なまでにそれが実行されていて、すばらしい入門書になっていると思います。西遊記のようによく知られた本でさえ、著者は自分の学識を見せるより、一歩引いて読者に物語を味わわせようとしているのに、紅楼夢のように、あまり内容の知られていない本で著者の学識を前面に出されても、この物語の魅力はまったく伝わってきません。720ページ、たいそうな無駄だと思います。この本で紅楼夢に初めて触れた人は、きっとほかの訳書に手を触れようと思わないことでしょう。学者というものの、一番よくない面が出たにせものの入門書。私は半分ぐらいのところで読むのをやめました。こんな本より、全訳の本の一部でもいいからいきなり読んだほうがはるかにいいと思います。なにか痛烈なことを書きましたが、本当のことなのでしかたありません。紅楼夢はこの本の一億倍すばらしい本です。どうかほかの、ちゃんとした抄訳、全訳で読んでみてください。</p><p>&nbsp;</p><p>フィッツジェラルド「最後の大君」（村上春樹訳）が新書になりました。コンパクトになって、すごくいいです。紅楼夢を読んでいやな気持ちになっていたのですが、これを読んで、もうどうでもよくなりました。やっぱり、私はフィッツジェラルドでは、この作品が一番好きです。</p><p>&nbsp;</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/marifusakae/entry-12938202847.html</link>
<pubDate>Mon, 13 Oct 2025 00:03:09 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>生活と意見　（第860回）</title>
<description>
<![CDATA[ <p>8月30日</p><p>&nbsp;</p><p>もうこんな時期。いまははげしい暑さですが、これがおさまると、あとはまた年末へと突進し、今年も終わり。おみそれ世界というところでしょうか。だらだら生きている自分にもですが。おみそれじじい。徹底的に（いやこの場合、テッテ的というのが正しい）無意味な生き物。</p><p>&nbsp;</p><p>「紅楼夢」が、「角川ビギナーズ・クラシックス　中国の古典」から、9月22日に出るという情報を得ました。なんと全720ページ。この一冊でひととおりこの作品を読み通せるつくりになっているとのことです。ここでも書いているはずですが、私は講談社世界文学全集で全一冊の抄訳版を読み、そのあと、集英社世界文学全集全三巻で全訳に挑戦しましたが、一巻の終盤で挫折しました。しかし、前者が、岩波文庫で全訳をされている訳者の手によるすぐれた抄訳なので、その魅力はあますところなく味わうことができたと思っています。これも前に書いたことですが、「紅楼夢」は中国の「源氏物語」と言われることが多いけど、私は源氏より、「失われた時を求めて」に近いと思います。どこがそうかというと、両者には、「とてつもなく甘やかされて育った男の子」にしか書けない、ある不思議な雰囲気があるからです。貧困や差別、社会制度の矛盾なども両作品に扱われてはいますが、それらも結局、「とてつもなく甘やかされて育った男の子」の目に映る風景のひとつでしかなく、彼が本当に傷つくのはただ自分の夢想する世界の雰囲気が壊されそうになるときだけなのです。私はそれこそが文学だと思います。まだ一度も「紅楼夢」に触れていない方は、ぜひ来月出るこの分厚い文庫を読んでほしいと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>いちおう、この本が出る日まで生きていこう、といまは思っています。が、もちろん、明日くたばっても、まったくどうでもかまいません。</p><p>&nbsp;</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/marifusakae/entry-12926257781.html</link>
<pubDate>Sat, 30 Aug 2025 08:21:58 +0900</pubDate>
</item>
</channel>
</rss>
