<?xml version="1.0" encoding="utf-8" ?>
<rss version="2.0" xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom">
<channel>
<title>自明性（あたりまえ）を問うていくセラピー</title>
<link>https://ameblo.jp/marigoldth/</link>
<atom:link href="https://rssblog.ameba.jp/marigoldth/rss20.xml" rel="self" type="application/rss+xml" />
<atom:link rel="hub" href="http://pubsubhubbub.appspot.com" />
<description>ブログの説明を入力します。</description>
<language>ja</language>
<item>
<title>幼少期にうまく伝えられなかった思いを実現する</title>
<description>
<![CDATA[ <p style="text-align: center;"><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20211214/23/marigoldth/d1/3b/j/o0600086415046497616.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="605" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20211214/23/marigoldth/d1/3b/j/o0600086415046497616.jpg" width="420"></a></p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>セッションでは、クライエントさんの話を聴いた後、特定の感情を深く感じるようにするんですけど、それをしっかり感じきることによって、その後に起きてくるのが、過去のある出来事が思い出されるということです。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>これは、その特定の感情が連れて来る、過去のある出来事です。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>ある出来事が想起されます。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>思い出すのではなく、思い出されるということが起きてきます。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>これは現象学で連合と呼ばれるものです。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>想起された内容をを詳しく語ってもらうことで、そこをよく見ていきます。そして、そこに登場する関係者のその時の気持ちや立場、自分自身のその時の気持ちを思い出すことで、幼少期には感じられなかったことが感じられたり、気づいたりすることがあります。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>思い出される内容はもちろん人それぞれ異なりますが、わりと多いのが、幼少期のミスコミュニケーションです。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>幼少期の小さな私が、親なり先生なり、周りにいた大人に対して自分の気持をうまく伝えることができなかった、というようなことが、大人になって、身近な人（家族なり、会社の上司や同僚なり）とのコミュニケーションに関連して、問題を抱えているというような。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>クライエントさんそれぞれにとっての「本当はこうしたかった」というのがあって、可能であればそれをイメージの中で書き換えてもらいます。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>これができると、現在の生活の中で書き換えをしたことと関連することに改善がみられるようになります。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>みんなそれぞれ違うんですよね。そして誰でもこういうことって持ってるのかなと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>細かいことなんですけど、この繊細さがセッションの好きなところでもあります。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>こぼれ落ちた星屑に出会うひととき、そんなイメージが湧いてきます。</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/marigoldth/entry-12715716911.html</link>
<pubDate>Tue, 14 Dec 2021 23:58:23 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>私がやっているセッションについて</title>
<description>
<![CDATA[ <p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20211211/21/marigoldth/bd/6b/j/o0800058015044938010.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="450" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20211211/21/marigoldth/bd/6b/j/o0800058015044938010.jpg" width="620"></a></p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p name="71ojj">私はキャシー天野さんからアクセスコードリーディング（ACR）というセラピーを学びました。ACRは、クライエントとセラピスト２人でする瞑想のようなものだなあと私は思っていて、私たちの意識の構造を使って、普段気づきにくい意識の深いところへ触れていく試みです。ACRはセラピストである私がクライエントさんの話を聴いて仮説を立てて進めるものではなく、問いかけによってクライエントさんから発せられるフェルトセンスを手がかりに進展していきます。</p><p name="71ojj">&nbsp;</p><p name="71ojj">&nbsp;</p><p name="o9c6D">フォーカシング指向心理療法で有名な哲学者で臨床心理学者のユージン・ジェンドリンが interaction first と言っているように、ACRも人や物が起点となってそこから事が生じるのではなく、相互作用（意識の働き）が先に起こります。つまり、関係性によって導かれながらセッションは進んでいきます。これは現象学でもあります。</p><p name="o9c6D">&nbsp;</p><p name="o9c6D">&nbsp;</p><p name="eGVIt">私たち人間の世界は、動物が住む自然環境の世界とは異なり、さまざまなルールの網の目からなる関係性の世界です。このルールの網の目は、言葉や習慣、制度や社会規範、歴史などから成っていて、言葉を使う私たち人間は、本能の代わりにルールの束（自我）をつくり、それで生活の秩序を作り上げています。私とは、それ自身がルールの網の目のようなものです。</p><p name="eGVIt">&nbsp;</p><p name="eGVIt">&nbsp;</p><p name="ILtRm">それらのたくさんのルールは幼少期から私たちの中に身体化されていきます。身体化されることによって、それらは忘れ去られ、「当たりまえ」になり、土台としてあるわけですが、私たちはこのルールの束を意識することはまずありません。</p><p name="ILtRm">&nbsp;</p><p name="ILtRm">&nbsp;</p><p name="Uee4n">この土台は私たちにとっての「当たりまえ」ですから、そこに対してなんか変だよね、おかしくない？というようなダメ出しをすることもまずありません。</p><p name="Uee4n">&nbsp;</p><p name="Uee4n">&nbsp;</p><p name="dQUGx">これは例えていうと、私たちは道を歩く時に、一歩一歩、足元の道路（土台）が崩れないか、その安全性を確かめながら歩くようなことをしないのと同じことです。</p><p name="dQUGx">&nbsp;</p><p name="dQUGx">&nbsp;</p><p name="4BnmE">でもある日、普段歩いている道路に突然ひびが入って、その割れ目につまづいて転んだとしたらどうでしょう。</p><p name="4BnmE">&nbsp;</p><p name="4BnmE">&nbsp;</p><p name="CoXHT">とてもびっくりすると思います。</p><p name="CoXHT">&nbsp;</p><p name="CoXHT">&nbsp;</p><p name="npFPR">非日常的なことが起きて初めて「当たりまえ」だったことに気づく。</p><p name="npFPR">&nbsp;</p><p name="npFPR">&nbsp;</p><p name="BTD0F">日常に目覚める。</p><p name="BTD0F">&nbsp;</p><p name="BTD0F">&nbsp;</p><p name="Whtu9">これと同じことがセッションでも起きてきます。</p><p name="Whtu9">&nbsp;</p><p name="Whtu9">&nbsp;</p><p name="jirII">自我とは暗黙のうちに形成された価値のルールともいえます。これがうまく働いているうちは何も問題はないのですが、悩みがあって苦しくて仕方がないときというのは、「当たりまえ」でいられなくなったときなので、その「当たりまえ」の土台にひびが入りやすくなっていて、逆に言うとひびを入れて下を観るチャンスでもあるんです。</p><p name="jirII">&nbsp;</p><p name="jirII">&nbsp;</p><p name="3sbMN">これは私自身を見つめ直すこころみでもあって。</p><p name="3sbMN">&nbsp;</p><p name="3sbMN">&nbsp;</p><p name="aCM5k">自分のことだからわかるという直接経験をすることによって、自分にとっての「当たりまえ」に気づくことで、あ〜そういうことか！というような。そしてそこには再構成をする道が開かれていることに気づくでしょう。</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/marigoldth/entry-12715157997.html</link>
<pubDate>Sat, 11 Dec 2021 21:39:40 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>感情エネルギーを開放すると体が軽くなる</title>
<description>
<![CDATA[ <p style="text-align: center;"><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20211208/12/marigoldth/76/0f/j/o0800087815043331286.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="680" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20211208/12/marigoldth/76/0f/j/o0800087815043331286.jpg" width="620"></a></p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>クライエントさんから、セラピーを受けた後に、その後の変化や感想をいただくことがあります。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>最近その中に、体が軽くなったというようなコメントがありました。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>その方の場合、仕事に関してはよくできるのだけど、日常の些細なルーティンといいますかそういうことをやるのに時間がかかっていたそうです。洗い物をためたり、お風呂に入るのをぐずぐずしたり。とにかく体が重かったのがスイスイやれるようになったとのこと。これはご本人にとっては奇跡のようなことだとおっしゃっていました。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>これは本当にそうだなと思っていて、わかるなあと思うんです。自分のなかにずーっと溜め込んでいた感情がいかに重たいものだったのか、ということでもあると思います。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>感情というエネルギー。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>量子学ではこの世界を作っているのは意識だといわれています。意識は量子エネルギーです。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>とすると、意識から生み出される私たちの思い込みや感情もエネルギーで、エネルギーの性質というのは、変化し、そして流れ去るもの。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>幼少期から形成されてきた土台としてのエネルギーは、ものすごく固いフィールドになってはいるものの、時間はかかるかもしれませんが動かすことはできるのですよね。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>力づくでエイヤッと動かすというのではなく、感情に働きかけをして溶かしていくようなイメージです。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>それによって緩んでくる。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>体を軽くすること自体は、セッションが目指しているものではないですが、副産物のようなものとして起きてくることがあるという感じです。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>土台にひびが入ることで、そこから何か気づきが起こり、ちょっと世界が静になるような感覚があるかもしれません。</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/marigoldth/entry-12714551941.html</link>
<pubDate>Wed, 08 Dec 2021 12:54:14 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>過去の自分に立ち会う意識の経験をする</title>
<description>
<![CDATA[ <p style="text-align: center;"><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20211207/00/marigoldth/9c/6e/j/o0800100915042706666.jpg"><img alt="" height="530" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20211207/00/marigoldth/9c/6e/j/o0800100915042706666.jpg" width="420"></a></p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>セッションでは、フェルトセンスと呼ばれる、クライエントさんが身体に意識を向けることで感じられる意味や感覚を表現してもらって、それをずーっとたどっていくことをします。それによって意識を下がっていきます。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>以前、瞑想の先生が、瞑想をすることで「井戸の水位を上げる」という表現をされたことがありました。私のセッションでは「井戸を下りていく」イメージがあるので、この２つは同じことを指しているのだなと感じたことがあります。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>二人で瞑想をする。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>この状態は、身体に意識を向ける、すなわち今にいることによって、できやすくなります。ストーンと真下に下がることで、身体の力が抜けて、抵抗がなくなるイメージです。それによってより下の方へ行きやすくなります。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>時間も存在しなくなる方向へ。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>そこで、クライエントさんに、その時想起される出来事について話してもらうのですが、その前の段階で感情（そのテーマの中で浮かび上がってくる感情）を感じきることができていると、その想起された思い出を客観的に語ることができやすくなっています。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>これはとても興味深いことで、例えば、幼いときはお父さんが鬼のように怖くて、何も言い返せなかった思い出のある人が、その時点で、記憶の中のお父さんと５歳の私がちゃんと話せたりするようになるんです。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>絡まっていた糸がほどける。そんなことが起きてきます。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>これは、ただ観ることによって起きてきます。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>感情が感じきれていないと、難しいときもあります。そのときは無理はしません。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>起きる時には起きますから。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>この瞬間って、なんか「立ち会ってる」なあと思うんですよね。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>自分の過去に立ち会って、自分のことだから「わかる」という経験をします。なんかつながっていくものがあるんですね。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>その時に自分が抱えている課題にに対して示唆してくれるようなことが出てきたりします。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>過去の自分（特に幼少期の自分）に、あの時にできなかったことをやらせてあげる。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>意識の経験です。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>言葉で説明するとそっけないですが、けっこう感動的です。</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/marigoldth/entry-12714305770.html</link>
<pubDate>Tue, 07 Dec 2021 00:29:54 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>内側の存在に気づく</title>
<description>
<![CDATA[ <p style="text-align: center;"><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20211204/21/marigoldth/be/1e/j/o0800056415041578665.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="437" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20211204/21/marigoldth/be/1e/j/o0800056415041578665.jpg" width="620"></a></p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>心（マインド）は、大いなる存在（本当のわたし）にとどまることができなくて、そこから出てさまよいます。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>そこから自我が生まれ、「私はこれこれだ」だから「あれとかそれではない」という形をとって現れます。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>私は〇〇。というふうに、何かにアイデンティファイしたい、くっつきたがります。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>本質的には１つのものが見かけの上で分かれていって、あらゆる形や存在が生まれます。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>自己紹介をするとき、私たちは最初に「私は」と言って、それから名前や職業を伝えます。でも調べてみると、この「私」のありかを突き止めることはできないことに気づきます。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>私は誰なのか？</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>私には確かに名前がありますが、その名前は私ではない。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>感覚、思考、感情も私ではない。それらはどれも長続きせず、過ぎ去っていくものだから。変化するものは存在するとは言えません。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>しかし、そのような長続きしない思考、感覚、感情とは別の、私という感覚は存在しないでしょうか？</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>生（せい）とも言うべき活動エネルギーのようなもの。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>あらゆるものがそこから生み出されてくる源。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>心が外をさまよっているうちは、気づかれることのない内側の存在。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>言葉は存在していなくて。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>そこに身体をおいてみる。</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/marigoldth/entry-12713912039.html</link>
<pubDate>Sat, 04 Dec 2021 21:44:34 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>ラマナ・マハルシの言葉から</title>
<description>
<![CDATA[ <p style="text-align: center;"><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20211202/20/marigoldth/03/19/j/o0800086115040592830.jpg"><img alt="" height="452" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20211202/20/marigoldth/03/19/j/o0800086115040592830.jpg" width="420"></a></p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>心が大いなる存在のうちにとどまっているときには、すべての思考の元である私はいなくなり、本当のわたしが輝く。でも、現実はそうなってない、心は、頭脳や感覚器官をとおして、大いなる存在の外へ出たがる。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>心が外へ出ると、世界が現れる。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>心が外に出てゆくとき、悲惨を味わう。世界が現れると、悲惨の中を行く。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>この身体に私として立ち現れているものが、心（マインド）である。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>常にさまよいつづける心。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>私という思いが、心の最初の思いであり、それがエゴ性である。エゴ性が生まれ出る同じ場所から呼吸も生まれでくる。したがって、心が静かになれば呼吸も静かになり、呼吸が静かになれば、心も静かになる。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>本当のわたし、大いなる存在は、私という思考がないところにあるもの。それは、沈黙と呼ばれている</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>自己を知ろうとする者は、悟りを願う者は、自己を覆い隠しているすべてのものをぬぐい去ることである。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>自己は、五つの覆い（五感）をはぎ取ることによって探求されるべきものだから、書物の中に求めることの愚かさは言うまでもない。やがて、彼が勉強したすべてのことを、忘れ去らなくてはならないときが来るだろう。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>無欲とは、心がどのような対象物に向かうことも差しひかえることである。智慧とは対象物が現れないことを意味している。自己を決して離れないことが智慧、無執着である。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>そこには世界はなく、そして私もいない。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>このことを知りつつ、私を生きる。</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/marigoldth/entry-12713540902.html</link>
<pubDate>Thu, 02 Dec 2021 20:38:11 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>フェルトセンスを表現する</title>
<description>
<![CDATA[ <p style="text-align: center;"><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20211201/12/marigoldth/5d/ff/j/o0800068615039909822.jpg"><img alt="" height="360" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20211201/12/marigoldth/5d/ff/j/o0800068615039909822.jpg" width="420"></a></p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>最近、抽象画について、いくつかブログを書いているうちに、抽象画が表現しているものはフェルトセンスなのかな、と思ったりしています。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>フェルトセンスというは、感じられる意味というように訳されますが、漠然として言葉にならない、つまり、言葉として表現する前の身体に感じられる感覚や意味のことです。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>身体に意識を向けることで、そこに聴いてみるかんじ。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>フォーカシング指向心理療法というセラピーをつくった、ユージン・ジェンドリンがフェルトセンスについて多くのことを言及しています。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>ジェンドリンは、セラピストとクライエントの面接の録音記録を分析し、カウンセリングが成功している事例とそうでない事例の違いを検討しました。セラピーを成功へもたらす要因は、セラピストの技能やカウンセリングの理論でもなく、クライエントがフェルトセンスに注意を向け、それに触れながら語ることだと言っています。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>このような語りというのは、自己理解を進め、何らかの気づきをもたらしやすく、セラピーの効果を高めるとされています。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>私がするセラピーでも、フェルトセンスを頼りに潜在意識に触れていきます。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>そのときに、私自身に足りないところもあると思うのですが、フェルトセンスに注意を向けることができやすい人と、できにくい人がいるというのは実感としてあります。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>右脳型、左脳型なんていう表現もありますが、現代人はどうしても思考が働く方向に行きやすいようです。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>身体はいま・ここにあるのに、思考をすると身体から離れていってしまうので、それが慢性的になると不具合が生じやすくなってきます。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>マインドフルネスが流行っているというのも、こことつながってくる話ですね。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>時折、身体の感覚に意識を向けてみるというのは、セルフディスカバリー　自己発見のための始めの一歩です。</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/marigoldth/entry-12713277871.html</link>
<pubDate>Wed, 01 Dec 2021 12:39:30 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>私を今・ここに置いてくれる絵画の力について</title>
<description>
<![CDATA[ <p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20211129/23/marigoldth/6a/78/j/o0800058915039250105.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="456" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20211129/23/marigoldth/6a/78/j/o0800058915039250105.jpg" width="620"></a></p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>マインドフルネスでいるための方法は、いろいろあると思っていて、カギは身体を使うことだと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>なぜなら身体はいつも今・ここですから。それを利用する。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>その意味で、自分にとって合いそうなものを見つけるというのはいいと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>これをやると落ち着くのよねっていうやつです。瞑想状態を作りやすくなるようなものですね。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>もちろん、瞑想そのものがその最たるものではあると思います。</p><p>　</p><p>&nbsp;</p><p>私が最近興味があるのが、絵画です。特に抽象画。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>フランスの現象学者のミシェル・アンリは、画家のカンディンスキーについて、カンディンスキーの絵画理論を引用しながら、抽象絵画理論を考察しています。そこでアンリは、あらゆる絵画は抽象絵画に含まれると言っています。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>私が抽象画に惹かれる理由、とくに、この絵は好きだなと思う絵というのは、自分を今・ここにとどめてくれる、といいますか、今・ここに置いてくれる、そのような絵画です。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>写実的で具体的な絵だと、それが起こりにくいというのはあると思うのです。でも上に書いたように、あらゆる絵は抽象画だとアンリは言っています。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>具象画だと、例えば、りんごが描かれている絵だと、りんご一般を指す行為として「あ、りんごだ」と私たちは言葉にしてしまうんですね。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>口に出さなくても、りんごの絵だと思う。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>志向性の働きにより、心は外にとび出していく。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>これが抽象画だと、言語化がおこりにくいので、そこにとどめてくれる力が発揮されやすくなるように思います。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>その時に、自分の内側と絵画との相互作用的なものが引き起こされることがあって、そこには言葉は存在しない。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>心はとても静かです。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>それと色の持つ力というのも、実はものすごいものがあるように思います。</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/marigoldth/entry-12713021332.html</link>
<pubDate>Mon, 29 Nov 2021 23:59:29 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>アウェアネス・マッスルを鍛えよう</title>
<description>
<![CDATA[ <p style="text-align: center;"><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20211128/23/marigoldth/41/bf/j/o0400051515038715727.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="515" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20211128/23/marigoldth/41/bf/j/o0400051515038715727.jpg" width="400"></a></p><p style="text-align: center;">&nbsp;</p><p style="text-align: center;">&nbsp;</p><p style="text-align: left;">前回、ワンネスであるということは、自分で自分のことを知るためには感覚的に体験するしかないと書きました。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>このことは、体だけではなく心も同じです。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>心が苦しい時に、客観的な数値を出して診断してもらうことは１つの方法です。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>自分で自分のことを知るというのは、内視鏡を自分に入れて、その先端が自分というイメージです。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>実際の方法としては瞑想やマインドフルネスがありますし、私がやっているセラピーもそうです。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>フェルトセンスと呼ばれる、今体で感じている感覚をよりどころにして、それをたどることで、気づきにくい自分の思いや本心に気づいていくというやり方です。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>そこに気づいていくために大切なのが、今体で感じていることを言葉で表現する、身体で表現する、感覚を表出させていくことです。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>思考しないで表現する。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>私たちの多くはいつも考え事をしてるので、その癖がつよいために、フェルトセンスを表現することが難しい人は時々います。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>特にセラピーの場面では、自分が今抱えている問題について話すことになるので、その時に感じる感情・感覚を避けたくなるというのもあったりします。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>でもセラピーのためではなく、普段から自分の体に意識を向けて今起きていることを観察する。これに慣れていくと、自分の内面が静かになっていきます。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>頭の中のセルフトークが少なくなりますから。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>外から帰って手を洗っているときだけとか、お皿を洗っているときだけとか、短い時間からでも始めてみるのはいいかもしれません。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>最初は短い時間からマインドフルでいることを意識することで、少しずつアウェアネス・マッスルが鍛えられてきます。</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/marigoldth/entry-12712832601.html</link>
<pubDate>Sun, 28 Nov 2021 23:17:10 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>自分の体のことを経験的に内側から知っておくことの大切さについて</title>
<description>
<![CDATA[ <p style="text-align: center;"><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20211127/23/marigoldth/f5/ce/j/o0800055415038165552.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="429" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20211127/23/marigoldth/f5/ce/j/o0800055415038165552.jpg" width="620"></a></p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>昨日、ノイラートの船というたとえ話を出して、わたしというのは航海中の船みたいなものだと書きました。</p><p>&nbsp;</p><p><br>私というのが全体性としてのワン（one）だということは、外側は存在しないので、自分で自分のことを知りたい時に、外側から知ることはできなくて、言ってみれば内視鏡みたいな方法を使わないといけないことになります。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>他者のことは見えやすいけれど、自分のことは見えにくいというのはこことつながってくる話かなと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>本質はそうなんですね。</p><p>&nbsp;</p><p><br>でも科学の発展している現代社会では、もちろん科学的な方法を使えばいいわけで。客観的なデータとして、こういう食べ物は控えたほうがいいとか、逆に積極的に摂ったほうがいいものとか。科学的データをもとに、自分の体のことを知って病気になるのを予防することは意味のあることだと思います。</p><p>&nbsp;</p><p><br>その一方で、その食べ物を摂取する私たちの体というのは、ものすごく個体差があります。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>例えばタバコは体に悪いとはいえ、タバコを吸っても１００歳まで生きる人はいますし、こんな病気になりやすいという家系的な体質も人それぞれ違います。持ってるアレルギーの種類もそうですよね。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>ですから、自分独自の感覚的な経験をもとに、自分の体質の傾向性を知っておくことも大切だと感じます。</p><p>&nbsp;</p><p><br>野菜を一日何百グラム食べないといけない。アルコールはこれくらいまで、などという一般的な基準というのはあくまでも参考で、個人個人を個別に見た場合、実はそれぞれかなりの差があるような気がします。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>例えば、私はお酒はこれくらいまでは気分良く飲める。一日何時間眠ると翌朝気持ちよく目覚めやすいとか。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>これってやっぱり観察することだと思います。いい悪いの判断を入れないで、その行為をしている自分をみる。</p><p>&nbsp;</p><p><br>わかりにくい表現になってしまいましたが、試行錯誤しながら自分の感覚を信じることの大切さについて書いてみました。</p><p>&nbsp;</p><p><br>外からの客観的なデータだけでなく、内側から感覚的に、経験的にも知っておく。</p><p>&nbsp;</p><p><br>経験に内属した視点から自分のことを知っておく。</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/marigoldth/entry-12712653142.html</link>
<pubDate>Sat, 27 Nov 2021 23:58:39 +0900</pubDate>
</item>
</channel>
</rss>
