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<title>日記を書いてみようかな…</title>
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<description>自分の備忘録を目的に日常を書いてみたいと思います。人が読んで楽しい日記は、ハードル高いので目指しません（笑）。</description>
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<title>情の欠落</title>
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<![CDATA[ <p>私は純ちゃんの時（「<a href="http://ameblo.jp/maro3537/entry-12000238435.html" target="_blank">もうつの転機その１～</a>」））もユウコさんの時も、大好きな友人を喪って何よりも自分が寂しい、悲しいと苦しみました。が、母はどうやらそういう感情を持っていないようなのです。</p><p>というのは、母だって親友を何人かは亡くしているのですが、「早くに亡くなって気の毒よね」「まだやりたいことあっただろうに可哀そうにねえ」など、『自分はどう思う』ではなく、第三者的な視点で「人生が終わっちゃって気の毒に」と嘆いている…何となく上から目線だからです。</p><p>&nbsp;</p><p>これは別に認知症になる以前の若い頃からそうでした。</p><p>一番印象に残っているのは、私の従弟が20歳で亡くなった年のことです。</p><p>私の実家では近くに住む母の弟一家とともに正月を祝ってきました。</p><p>24年前の7月、その叔父一家の次男が交通事故のため20歳で永眠しました。若くして亡くなる事の酷さ。突然、命が終わってしまう儚さ。そして、叔母の狂ったような悲しみ。二度と戻ってこない命。悔いても悔いても取り返しがつかない事。従弟の死は私たちにも大きな心の傷を残し、遺された者の苦しみも胸に響きました。</p><p>&nbsp;</p><p>が、その年の12月。母が呑気な声で電話をかけてきたのです。</p><p>&nbsp;母「そろそろお正月の準備をしないとね～。アキ（叔父）達は何時に来るかしら？」</p><p>耳を疑いました。従弟の葬儀からまだ4ヵ月過ぎたばかり。私が叔母だったら、集まりに出かける気など起きないでしょう。</p><p>私「今度のお正月は来ないでしょ？当たり前じゃないの」</p><p>母「え？なんで？」</p><p>私「なんでって…（呆）。喪中でしょ？」</p><p>母「うちは一族クリスチャンよ。喪中なんて関係ないわよ！」</p><p>は？？？？</p><p>私「宗教がどうとかじゃなくて、正月を祝う気にならないでしょ？」</p><p>母「なんで？それとこれは関係ないでしょ。」</p><p>私「想像してごらんよ。お母さんだってジンが亡くなったら正月なんてやらないでしょ？」</p><p>母「やるわよ。決められていることだもん。何の問題があるわけ？」</p><p>&nbsp;</p><p>…話にならない、と思いました。母は人と共感することがあまりなく、想像力も欠落しているとは思ってましたが、ここまでとは。</p><p>その人の立場に立って見ればわかるはずなのに、母の中には「長男一家が遂行すべきこと」「喪中は仏教行事。クリスチャンには関係ない」という建前が先に立ち、厳しい指導者の『上から目線』になってしまうのです。</p><p>&nbsp;</p><p>ユウコさんとの別れに悲しむ私に共感してくれないのも当たり前。ずっとずっと母は一貫してこういう人だったのですから…。</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/maro3537/entry-12245836810.html</link>
<pubDate>Wed, 08 Feb 2017 15:39:56 +0900</pubDate>
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<title>期待はしていなかったけれど・・・</title>
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<![CDATA[ <p>ユウコさんの死の知らせに動揺した私は、真っ先に母に電話をしました。ユウコさんを知る共通の知人は母しかいなかったし、私がどれだけ彼女を慕っていたかを知っているのも母しかいなかったからです。</p><p>&nbsp;</p><p>きちんとお別れができなかった後悔、ショックが先に立ってまだ気持ちの整理がつかないことを母に打ち明けて泣けたら楽になるかな…と一瞬考えたのも事実です。が、話し始めた途端、そんな幻想を抱いた自分に後悔しました。</p><p>&nbsp;</p><p>母「うちにもはがきが来たわよ、びっくりよね」</p><p>私「私、去年の月に会った時は元気そうだったのよ。でも今考えたら虫の知らせだったのかもしれない。お土産くれたり写真を一緒に撮ったり、思い出を形として残してくれたから…」</p><p>母「へえ。私はもうあれっきり会ってないしね。で、何歳で死んじゃったの？」</p><p>&nbsp;</p><p>…『交流が続いていたんだもの、辛かったわよね』とか『きっとユウコさんもまろんにお別れを言ってくれたのね』とか『特別のご縁があったのね』とかそういう慰めを期待していた私には肩透かしを食う思いでした。</p><p>挙句、「ねえ、これユウコさんのお父さんから来てるはがきだけど、お悔やみの言葉をこちらから送る必要、ないわよね？そんなことしなくてもいいわよね？」</p><p>&nbsp;</p><p>ああ、そうだった。こういう人だったよね。自分の愚痴は延々と聞かせる癖に、私の辛さや苦しみに共感するどころか慰めすら言ってくれたことなかったのに、今更そんなことしてくれるわけがない。 期待した私がバカでした…</p>
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<link>https://ameblo.jp/maro3537/entry-12245229229.html</link>
<pubDate>Mon, 06 Feb 2017 17:04:18 +0900</pubDate>
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<title>虫の知らせ　その５</title>
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<![CDATA[ <p>今年届いた年賀状を整理していて、「そういえばユウコさんから来ていない」と気付いたのは１月10日の事でした。毎年海外で年越しをしていても必ず元旦には年賀状が届いていたのに、どうしたんだろう？と思っていた矢先、お父様の名ではがきが届きました。</p><p>&nbsp;</p><p>「ユウコに年賀状を下さった方々へ。ユウコは昨年１月末に癌を発病し、地元博多に戻って闘病生活を送っておりましたが、10月30日永眠いたしました」</p><p>&nbsp;</p><p>ショックでした。去年の１月といえば８日に会ったのに。あの直後に発病したんだ…。 ユウコさんと一緒に撮った写真を慌てて引っ張り出し、いただいたミサンガを握りしめて私は泣きました。まさかこれが遺品になるなんて。かけがえのない記念の写真になるなんて。</p><p>&nbsp;</p><p>そういえば、去年の春ごろ、ユウコさんから「転職のご挨拶」というメールが届いたっけ。添乗員を辞め、旅行企画の方へ回るという挨拶でしたが、あれほど添乗業務に誇りを持って、人との出会いを楽しんでいたのに何故？と思ったものの、深くは考えていませんでした。</p><p>&nbsp;</p><p>「新天地で頑張ってくださいね」とメールをしましたが、あの時、マンションを引き払って博多へ戻っていたのかもしれません。ユウコさんからは返信がきませんでしたが、忙しい時にはそういうこともあったし、フェイスブックでは詳しい報告をしているのかも（私はやってないのでわからないのです）と呑気に考えていました。ユウコさんはどんな気持ちであのメールを送ってくれたんだろう…。</p><p>&nbsp;</p><p>毎年、ユウコさんの誕生日には欠かさずメールをしてきたのに、去年に限って１日外出中で、そのまま忘れてしまったのも悔やまれました。「今度」がまたあると思っていたのに…。</p><p>&nbsp;</p><p>せめてお誕生日メールをしていたら何か変わっていたのかな？ちゃんとお別れを言えたんだろうか？いや、そこで真実を聞かされても苦しいだけでどうしようもなかったのかな。それとも気持ちの区切りはついたのかな？</p><p>答えの出ないもやもやがずっと続いています。</p><p>&nbsp;</p><p>破天荒で、長生きするタイプだとは思っていなかったけれど、でもまさかこんな急に逝ってしまうとは思っていませんでした。ユウコさんとの出会いが私にとってどれだけ大きかったか、どんなに救われたか、どれだけ感謝しているかを伝えられないまま、ユウコさんは逝ってしまいました。</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/maro3537/entry-12244899277.html</link>
<pubDate>Sun, 05 Feb 2017 16:55:51 +0900</pubDate>
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<title>虫の知らせ　その４</title>
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<![CDATA[ <p align="left" style="margin: 0mm 0mm 0pt; text-align: left; mso-layout-grid-align: none;"><font color="#000000"><span style="font-family: &quot;ＭＳ ゴシック&quot;; font-size: 11pt; mso-bidi-font-family: 游ゴシック;">2016年１月８日。前回から１年ぶりの再会で、ユウコさんといつものタイスキ店へ行きました。</span></font></p><p align="left" style="margin: 0mm 0mm 0pt; text-align: left; mso-layout-grid-align: none;"><span style="font-family: &quot;ＭＳ ゴシック&quot;; font-size: 11pt; mso-bidi-font-family: 游ゴシック;"><font color="#000000">初めてこのお店に来た頃は、まだまだ日本でパクチーは珍しい存在で、ユウコさんに「食べられるかなあ？」と心配されましたが、その味の魅力にすっかり嵌り、私たちの注文はタイスキコースに「追加でパクチー大盛り」が定番となっていました。</font></span></p><p align="left" style="margin: 0mm 0mm 0pt; text-align: left; mso-layout-grid-align: none;">&nbsp;</p><p align="left" style="margin: 0mm 0mm 0pt; text-align: left; mso-layout-grid-align: none;"><span style="font-family: &quot;ＭＳ ゴシック&quot;; font-size: 11pt; mso-bidi-font-family: 游ゴシック;"><font color="#000000">タイスキの熱さと辛さが体を温めてくれるとはいえ、ユウコさんは汗をだらだら流し、頭から湯気を出しながら「暑い暑い」と大騒ぎ。「すぐのぼせるんだよね。元々血圧も高いけどさ！」という言葉に、もしかして更年期かも？でもすごく元気そう～と大笑いした事を覚えています。</font></span></p><p align="left" style="margin: 0mm 0mm 0pt; text-align: left; mso-layout-grid-align: none;">&nbsp;</p><p align="left" style="margin: 0mm 0mm 0pt; text-align: left; mso-layout-grid-align: none;"><span style="font-family: &quot;ＭＳ ゴシック&quot;; font-size: 11pt; mso-bidi-font-family: 游ゴシック;"><font color="#000000">ユウコさんはフェイスブックを毎日更新するのが楽しみなようで、「写真一緒に撮ってもいい？フェイスブックに載せたいんだけど？もちろん、友達範囲の公開だから、安心して！」と言うと、ノートパソコンを取り出し、「ノート画面が鏡になって、顔を確認しながら撮影できるの。便利だよね」と自慢げでした。</font></span></p><p align="left" style="margin: 0mm 0mm 0pt; text-align: left; mso-layout-grid-align: none;">&nbsp;</p><p align="left" style="margin: 0mm 0mm 0pt; text-align: left; mso-layout-grid-align: none;"><span style="font-family: &quot;ＭＳ ゴシック&quot;; font-size: 11pt; mso-bidi-font-family: 游ゴシック;"><font color="#000000">帰り際、「そうそう、まろんちゃんにお土産があるの」とユウコさんが鮮やかな色のミサンガを手渡してくれました。イタリアで買ったもので身に着けていると幸せに恵まれるとのこと。</font></span></p><p align="left" style="margin: 0mm 0mm 0pt; text-align: left; mso-layout-grid-align: none;"><span style="font-family: &quot;ＭＳ ゴシック&quot;; font-size: 11pt; mso-bidi-font-family: 游ゴシック;"><font color="#000000">数えきれないほどユウコさんと会う中でお土産をいただいたのはこの時が初めてでした。ユウコさんにとってイタリアなんて年間10回以上行く国で特に珍しくもないのに、どうして急にお土産？とちょっと不思議に思ったのは事実です。でも、話が盛り上がる中、そんな気持ちはあっという間に流れて消え、「またタイスキしましょうね～！」と改札で握手をして別れました。</font></span></p><p align="left" style="margin: 0mm 0mm 0pt; text-align: left; mso-layout-grid-align: none;"><span style="font-family: &quot;ＭＳ ゴシック&quot;; font-size: 11pt; mso-bidi-font-family: 游ゴシック;"><font color="#000000">「また」会えると思っていたのです。</font></span></p>
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<link>https://ameblo.jp/maro3537/entry-12244293602.html</link>
<pubDate>Fri, 03 Feb 2017 18:20:53 +0900</pubDate>
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<title>虫の知らせ　その３</title>
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<![CDATA[ <p>ユウコさんは高校時代、支配的な父親に反発をしてヤクザの恋人と逃避行をするも、見つけられては連れ戻され…を繰り返すうちに、とうとう音を上げた父親から「ルールに縛られる日本を出てアメリカでやってみろ」と５年間のアメリカ留学を勝ち取った人でした。</p><p>&nbsp;</p><p>マリファナパーティーや同棲、そして２度の妊娠中絶。何から何まで私とは違う価値観を持ち、まったく異なる人生を歩んできたユウコさんが私には輝いて見えました。何にも縛られず自由であり、それを貫く強さが眩しく見えました。</p><p>&nbsp;</p><p>「人」が大好きで、身内も大切にしていたユウコさんは姪っ子を可愛がり、かつては憎んだ父親とも和解して「オヤジにも彼女ができたんだよねー。」とお父様とその彼女の恋愛話もよく話題になりました。赦しあえる関係が理想的に映りました。</p><p>地元の博多にはヤクザの知り合いがたくさんいたり、友人が「極道の女」だったりで、実家に戻った際の武勇伝は数知れず。ユウコさんから聞くことすべて、私のまったく知らない世界の話でした。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;2011年、私は体調を崩し、家に引きこもりがちになりました（<a href="http://ameblo.jp/maro3537/entry-12003526080.html" target="_blank">もう１つの転機　その９～</a>）。ユウコさんとのメールは続いていましたが、「タイスキに行こうよ」という誘いには乗れなくなりました。当時の私は不安発作で家を離れることが恐怖であり、特に夕方が近づくと不安定になるので、夜しか会えないユウコさんとの約束は難しくなったのです。加えて、ヘビースモーカーのユウコさんと会うと喘息発作が出る恐れもありました。</p><p>&nbsp;</p><p>不安発作がひどいこと、夜が恐怖で外出が無理なことをメールで伝えると、ユウコさんからは「なんで不安なの？死ぬのを恐れても仕方ないじゃない。明日死んでもいいように生きるしかないんじゃないの？」と返信が届きました。彼女なりの励ましの言葉だと今ならわかりますが、当時の私は『私はユウコさんみたいに強くない』と殻に閉じこもってしまい、体調が回復するまでの３年ほどは会えないままになりました。</p><p>&nbsp;</p><p>それでもユウコさんは毎年の年賀状に「タイスキ行こうよ」と書き続けてくれて、体調が回復してきた私もまた「ユウコさんから元気をもらいたい」と考えられるようになり、2015年から「２人の会」は再開したのです。</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/maro3537/entry-12243943236.html</link>
<pubDate>Thu, 02 Feb 2017 16:21:07 +0900</pubDate>
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<title>虫の知らせ　その２</title>
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<![CDATA[ <p>旅行から帰ってきても「ユウコさんとゆっくり話してみたい」「これからも会ってほしい」という想いで私の胸はいっぱいでした。ある種、恋患いのようになっていたかもしれません(笑)。</p><p>&nbsp;</p><p>ユウコさんは「このツアーから3日後に、またイタリアツアーの添乗なんだよね」との言う通り、1年のうち8割方を海外添乗業務で過ごしている忙しい人でした。別れ際に教わった住所へ手紙を書き、連絡を待つ間がなんと長かったことか。2か月後、ユウコさんから「会おうよ」と電話が来たときは、憧れのお姉さんができたようで、嬉しさに舞い上がりました。</p><p>&nbsp;</p><p>ユウコさんがフリーなのは添乗の合間の数日間なので、彼女の生活スタイルに私が合わす形で再会が実現しました。</p><p>ヨーロッパ時間に合わせて行動しているユウコさんは14時起床。そのため15時に私がマンションへ行き、朝食(笑)を食べて支度をするユウコさんをおしゃべりしながら待ち、18時に「さて、昼食を食べるかｗ」というユウコさんとともに彼女のお気に入りというタイスキのお店へ向かいました。</p><p>&nbsp;</p><p>それ以来、「暑いからタイスキ食べたいね」「寒いからタイスキで暖まりたいね」というのが合言葉となり、いつの間にかタイスキが2人の定番になりました。</p><p>&nbsp;</p><p>ユウコさんはどんなにタイスキが食べたくても他の人は誘わず、私と都合が合うまで待ってくれたし、私もそのお店はユウコさん以外とは行かなかったので、タイスキ店は<span lang="EN-US">2</span>人の秘密基地のような存在でした。</p><p>そうやって年に3～4回、ユウコさんと会うようになったのです。</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/maro3537/entry-12243593922.html</link>
<pubDate>Wed, 01 Feb 2017 15:17:56 +0900</pubDate>
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<title>虫の知らせ　その１</title>
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<![CDATA[ 18年前、母と2人で海外ツアーに参加しました。その時の添乗員だったのがユウコさんでした。<p>&nbsp;</p> 鋭い眼光でくわえタバコ、見た目の怖さと裏腹に情が厚くて頼りがいがあり、ツアー参加者全員が彼女の大ファンになりました。<p>&nbsp;</p> 10日間のツアー最終日が丁度彼女のお誕生日だとわかり、参加者全員でお金を出しあって、オプションの「カンツォーネディナーショー」へユウコさんをご招待。その場でハッピーバースディを演奏してもらって大盛り上がりしたことは忘れられない思い出です。<p>&nbsp;</p> 当時はまだ母の呪縛から逃げきれず、すべてを依存されてアップアップしていた私にいち早く気づいてくれたのはユウコさんでした。数日間の旅程を共にすれば、その人なりや考え方が隠しきれず、ベテラン添乗員の人間観察眼には見えるものがあったようです。<p>&nbsp;</p> 「母娘の間の感情のもつれはよくわかる。でも、絶対に分かり合えるはず。だっておなかを痛めて産んだ娘だもの。良い娘になろうとせず、感情を爆発させてぶつかってもいいんだから。私の母は若くして亡くなったからそれももうできないの。生きているんだもの、分かり合えるから！」<p>&nbsp;</p> ユウコさんはそう私を励ましてくれました。<p>&nbsp;</p> 心のどこかで「そんな理想論を・・・」「もう無駄なんだから。期待を裏切られるだけ」という思いがあるものの、ユウコさんに言われた言葉は心にしみました。私が母に対して強く出られないのは「母に嫌われたくない気持ちの裏返し」であり、本心をぶつけたら嫌われると思い込んでいるからと気づけたのも、ユウコさんとの対話の末でした。<p>&nbsp;</p> 人の顔色を見て意を汲み取ること、親は絶対で決して逆らうなと教育されてきた私には、破天荒で自由で自分の意思が第一のユウコさんは異星人のように見えました。今まで考えたこともなかった発想、想像もつかないユウコさんの経験談は目から鱗の連続であり、勇気を与えてくれました。<p>&nbsp;</p> 旅行中に母とぶつかり合ったり、帰りの飛行機の中で父に心から感謝の手紙を書いたりと、私の内面で「諦めないで感情を伝える努力をしないといけないんだ」という大きな変化が起きたのもユウコさんのおかげです。<p>&nbsp;</p> ユウコさんとの出会いが私を変えてくれました。<p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/maro3537/entry-12243257153.html</link>
<pubDate>Tue, 31 Jan 2017 15:34:21 +0900</pubDate>
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<title>義母と母　その５</title>
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<![CDATA[ <p>義母は12年ほど前から認知症が出始めました。母と10歳違うので、丁度、2人とも同じ年齢で認知症になったことになります。</p><p>&nbsp;</p><p>ある時、義母から電話がかかり、「まろんちゃん、ちょっと悪いんだけど。駅に行くのにバスの乗り方がわかんないんだよ。どうしたらいいかね」と聞かれたので、手順をすべてメモに書き、「この通りにすれば大丈夫」と渡したのが最初でした。その頃から「あたしもバカになっちゃったのかね。道に迷うんだよ。困ったもんだね」と笑いながら報告を受けるようになり、家に行くと部屋中にメモが貼られているようになりました。「す～ぐ忘れちゃうんだよ。だからこうやって貼っておくの」という言葉とは裏腹に常に笑いに変え、義母はいつでも明るく元気でした。デイサービスにも自分から通うと言い出し、カラオケ大会で優勝したと嬉しそうに報告してきた事もあります。10年たった今、とうとう息子の顔もわからなくなり、家へ行っても「どなたさんでしたっけ？」と言われますが、穏やかな笑顔で以前より丸くなり、幸せそうに見えます。</p><p>&nbsp;</p><p>一方、母は自分ができなくなって行くさまを絶対見せず（でもバレバレですが）、上から目線を崩すことはありません。常に不安げに周囲を伺う表情が見られ、落ち着きなくソワソワ。義母のように「できない」と手放し、人に甘えて頼れればどんなに楽になることか…と傍から見ていてもどかしくなりますが、私も母に刷り込まれた自分の中の厳しい自分に縛られているだけに、母の姿は未来の自分かもしれないという恐怖もあります。</p><p>&nbsp;</p><p>若い時、本当の娘扱いをしてくれて、甘えさせてくれたり庇ってくれたり、義母のおかげで『娘体験』ができ、目を覚ますことができました。両極端な2人の『母』のおかげで、自分の位置が見えるようになり、葛藤を乗り越えられました。母とは対極の義母と巡り合えたことは私の人生の救いだったと思います。だからこそ、母の二の舞になるわけにはいかないと強く思うのです。</p>
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<link>https://ameblo.jp/maro3537/entry-12233678405.html</link>
<pubDate>Sat, 31 Dec 2016 19:09:09 +0900</pubDate>
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<title>義母と母　その４</title>
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<![CDATA[ <p>『無駄』が嫌いな母は花を贈られるのが大嫌いでした。誕生日や記念日に知人から花束が送られてくると「すぐ枯れちゃうものにお金かけてもったいないわよねえ。その分、お金でくれればいいのに」とこぼしました。相手が記念日を覚えてくれていたありがたさ、花に込めた想いなどには見向きもせず、「まだ食べられるものをもらった方がマシだったわ（笑）」などと言いました。私にはすぐ「感謝しろ」と言う割に、自分はそれを実践していませんでした。</p><p>&nbsp;</p><p>一方、義母は花が大好きで、道端に咲く花の名前にも詳しく、ポツンと咲いている花があると庭に植えかえて増やしていました。「１つだけ咲いてたら寂しいだろ？仲間がいるといいと思って」と言う義母はすごく優しげであったかでした。</p><p>&nbsp;</p><p>植物それぞれに特色があり、肥料の与え方や植え替えのタイミングで成長が変わってくること、土の作り方や水の与え方もそれぞれ違うことなど、義母は詳しく教えてくれました。雑草をちょいちょい抜きながら「ほら、さっぱりしたね」と植物に楽しそうに話しかける義母の姿を見るのが好きでした。</p><p>&nbsp;</p><p>どんな花にも名前があって、ちゃんと生きているということに気付かせてくれたのは義母でした。人間にとって役に立たないかもしれないけれど、花の生を尊重してあげることの大切さを、義母から教わりました。</p><p>&nbsp;</p><p>母は「他人の役に立つこと」を信条とし、自分というものがありませんでした。常に他人の手本となるよう努め、自分のことを後回しにするうちに、内面が空っぽになってしまったようです。</p><p>母は、本当は嫌なのにやめられない怒りを他者へ転嫁し、集団に従わない人や無駄な行為を咎めることで鬱憤を晴らしていたのかもしれません。母の言う「無駄」をすべて切り捨てて行けば、結局は生きている事すら無駄となってしまうことに母自身気付けなかったのかも…。</p>
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<link>https://ameblo.jp/maro3537/entry-12233570405.html</link>
<pubDate>Sat, 31 Dec 2016 13:23:14 +0900</pubDate>
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<title>義母と母　その３</title>
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<![CDATA[ <p>義母の口癖は「私は若い頃、好き勝手やって人に迷惑ばかりかけちゃったからさ。今思うと本当に恥ずかしいよ」。</p><p>6人兄姉の末っ子で甘えんぼだったそうで、口では「勉強が大嫌いだったから、戦争で小学校だけですんで正直せいせいしたんだよ」と言うけれど、当時の花形職業、電話交換手として男の人と対等に仕事をし、退職金で家を建てられたというんだから、義母の言葉は謙遜だとすぐわかります。</p><p>&nbsp;</p><p>お酒が大好きで酒の失敗は数知れず、ぐでんぐでんに酔っぱらって帰って長兄に殴られた武勇伝も教えてもらいました。そうやって好き勝手なことをしてきたからこそ、義母は他人に寛容でした。そして、自分を主張してきたからこそ、他人の主張も受け入れてくれました。</p><p>&nbsp;</p><p>母は優等生として他人の目を常に意識し、他人のために犠牲になったつもりになっていたからこそ、他人の楽しみに嫉妬したのかもしれません。専業主婦なのに、家事をほとんど子供へ振り分けて、「もっと親を尊敬しろ」「感謝を現わせ」と頑なだった根底には『私は他人のために頑張ったのに、あなたは何？』という怒りがあったのかもしれません。</p><p>そしてその怒りは私に向けるのではなく、優等生を崩せない自分に向けるべきだったと今なら思います。</p><p>&nbsp;</p><p>自分で自分を縛って、そうまでがんじがらめにしておきながら変えることができなかった母は本当にもったいない…と私は思ってしまいますが、母にとってはその意地を通す方が何より大事だったんでしょうね。</p>
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<link>https://ameblo.jp/maro3537/entry-12233103126.html</link>
<pubDate>Thu, 29 Dec 2016 21:43:03 +0900</pubDate>
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