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<title>カリスマセラピストの孤独なひとりごと</title>
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<description>カウンセラーを行っていて、その中から気づいた言葉たちを記していきます。</description>
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<title>本当に欲しい物</title>
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<![CDATA[ <font size="3">僕が時々思うのですが、<br><br>今、多くの人は「本当に欲しいもの」がないのではないのかと。<br><br>もちろん、美味しい物が食べたい、素敵な服が着たい、<br><br>そんな欲求は誰にでもあるし、僕にもある。<br><br>僕は、最近、コンビニのコーヒーが好きなのですが、<br><br>だからといって、コンビニコーヒーでなければいけない理由はない。<br><br>別にコンビニがなければ自動販売機のコーヒーでもいいし、<br><br>別に喫茶店のコーヒーでも何ら問題がない。<br><br>「ローソンのコーヒーでなければならない」<br><br>そんな想いは全くない。<br><br>仮にファッションが好きな女性でも、<br><br>「この服じゃなきゃダメだ」<br><br>とそこまで思っている人はきっといない。<br><br>ラーメンが好きな人でも、<br><br>「この店のラーメンじゃなきゃだめだ」<br><br>と感じている人は少ない。<br><br>豊かな日本だから、<br><br>「これがなきゃダメだ」<br><br>というそこまで欲しいものなんてないんじゃないのかなって思う。<br><br>彼氏だって旦那だって、<br><br>「この人じゃなきゃダメだ」<br><br>そう思って恋愛や結婚している人はあまりにも少ない。<br><br>僕も、かつて、<br><br>「この女性と結ばれなければ産まれた価値なんてない」<br><br>そう強く思ったこともあったけど、<br><br>強く思えば思うほど、結ばれることなどなかった。<br><br><br>僕たちの周りには物が溢れている。<br><br>出会いも溢れている。<br><br><br>ちょっと欲しいなって思う物ならば、<br>簡単に手に入る時代。<br>恋人だってそう。<br><br>でも、豊かで物が溢れている時代だからこそ、<br><br>「本当に欲しいもの」<br><br>というのは、手に入らない時代のような、<br><br>そんな矛盾に満ちた時代になったような、<br><br>そんな気がしてならない。<br><br></font>
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<link>https://ameblo.jp/masa-seikan/entry-12144735991.html</link>
<pubDate>Wed, 30 Mar 2016 11:52:42 +0900</pubDate>
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<title>本当の自由とは何か？</title>
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<![CDATA[ <font size="3">時々、本当の自由とは何かということを考えます。<br><br>ただ、人間が完全な自由になることは無理だと仮定した上で、自由とは何かと考えた時に、<br><br>あくまで僕が思う自由というのは、<br><br>「自由とは、自分で選んだこと」<br><br>だと思うのです。<br><br>例えば、ダイエット。<br><br>僕は少し太っているのですが、だからといってダイエットをしないのですが、ただダイエットの基本は言うまでもなく、<br><br>「食べ過ぎないこと」もっといえば、<br><br>「食べることを我慢すること」<br><br>だと思うのです。<br><br>本当は食べたいのに、我慢しないといけない。それは誰の目から見ても不自由に見える。苦しいし、耐えないといけない。<br><br>でもそれを自分で選んで行ったのであれば、それは「自由」だと僕は思うのです。<br><br>受験勉強だってそう。<br><br>本当は色々なことをやりたい。ゲームだってしたいし恋人だって欲しい。やりたいことがたくさんあるのに勉強をすることは一見不自由に思える。<br><br>でもあえて勉強することを自分で選んで行ったとするならば、それは自由であろうかと思うのです。<br><br>本当の自由とは何かと考えた時、僕は「自分で選んだこと」そのことが自由であろうかと思うのです。<br><br><br>自分の思うどおりに生きるということは自由のように思えて実はそのことが不自由で、一見不自由のように思えて取り組んでいることが実は自由であると、そんな風にも思えるのです。<br></font>
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<link>https://ameblo.jp/masa-seikan/entry-12142884624.html</link>
<pubDate>Fri, 25 Mar 2016 08:25:49 +0900</pubDate>
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<title>コンプレックスこそが</title>
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<![CDATA[ <font size="3">僕は学生時代から異性にモテルことなどなかった。<br><br>高校時代に同じクラスですごくイケメンの彼がいたけれど、外見がいいという理由だけでその人は女性からモテた。<br><br>すごく羨ましかった。<br><br>どうすれば僕も女性からモテルのだろうかと、学生時代からずっと考えていたけれども、思い浮かばなかった。ただ生まれもった外見だけでいい思いをしているのは何かすごくムカついたけど、それが現実だった。<br><br>これまで色々な人を好きになって告白したけれども大抵うまくいかなかった。<br><br>そんな時に肩コリのひどい女性の方を揉んであげたら、<br><br>「マサトってマッサージ上手だね」<br><br>そう言われて、しばらくしてからその女性と付き合うこととなった。<br><br>このことで僕がマッサージ師になろうとした最初のきっかけのような気がする。<br><br>もちろん、マッサージ師になったからといって、すごくモテテいるわけでもない。<br><br>でも、あの学生の時にかっこよかった彼よりも今の僕の方がモテテいるような気がする。<br><br>いいおっさんになった今でも女性にもてたいなどと思っている。</font>
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<link>https://ameblo.jp/masa-seikan/entry-12142187220.html</link>
<pubDate>Wed, 23 Mar 2016 09:30:21 +0900</pubDate>
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