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<title>イマちゃんのブログ</title>
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<title>【特別寄稿】TAKEJIMA</title>
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<![CDATA[ <p>韓国の各家庭に「族譜（チョッポ）」となるもの、置いていることをご存知だろうか。梶山秀之の小説を読んだ者なら、あっ、あれか、ということになる。大雑把に言えば、家系図である。韓国でも金、鄭、李、朴などの姓が多いが、金にしても金海金氏、慶州金氏など地名を頭につけて、様々に分かれるのだ。家が火災になっても、金銭よりも、この続譜を持ち出す位、重要なものなのである。その系統図は多分、李氏朝鮮時代は遡るだろう。</p><p>さて今村家にも明治憲法ができて以来の戸籍謄本が私の時代まである。「島根県海士郡海士村村九壱七番屋敷」と書かれ、今村仙一郎　安政壱年7月７日生まれが最初だ。どうも漁師の網元だったようである。家系図は、やたら分厚い。島根県海士というと、隠岐島である。それから電話帳ほどではないが、いろんな人物、先祖の名前が出てくる。１度、老年で落ち着いたら続譜を書いてみよう、と思うのだが…。</p><p>作家の五木寛之先生とお話した時、私の祖先が隠岐だと言うと意外な顔をされた。今村姓が多いのは九州である。五木先生も福岡県八女市の御出身だ。私は目鼻立ちがソース顔で、今、いい様に言われれば俳優の阿部寛似なんて言われることも少なくないが、やはり九州の南方系の顔である。昔、海賊、山賊がいて、今村家は南方から隠岐にたどり着いた海賊民族ではなかったろうか。</p><p>隠岐島は島前、島後に分かれる。島前は海士町、島後は隠岐の一番大きな街、西郷がある。</p><p>五木先生の見解は島前、島後は全く風習が異なるという。２島群はむしろ、朝鮮半島より本土、松江藩に敵対心を燃やし、隠岐は孤立した国。島後に、その意識が強く、ここは相撲の発祥、気が荒い者が多かった。一方、島前は気質が穏やかで商才に優れて、今の北朝鮮から中国に位置する渤海と交易をしていたという。五木先生から、その話を聞かされて、今もその気質は同じで、なるほど、と思ったくらいだ。</p><p>さて、今村家の家系図に話を戻そう。死去の原因は病死、老衰だけでない。「竹ノ島で遭難、水死」の者もいる。「竹ノ島」は、そう、竹島（韓国名・獨島）である。少なくとも明治時代だから日韓併合後の可能性も否定できない。が、明治時代は紛れもなく、竹島は隠岐島の１部、島根県に属していたと言える。</p><p>今、竹島は日本の隠岐の漁師たちが「いるか」の缶詰工場を作っていたという話は有名だ。また漁師が漁船から上陸して一服している写真も残存している。</p><p>現在も竹島は隠岐群島の１部分である、という認識は、隠岐の人、島根県民、日本国民は変わっていない。だが竹島で隠岐の多くの漁師が韓国人に虐殺されたという話も残る。韓国で、「今村さんの先祖は、どこですか？」と韓国人の問いに対し、「隠岐島」と答えると「じゃあ、慶尚北道だ」という韓国人もいる。隠岐島も韓国の領土？と考えている人もいるから、戸惑ってしまう。今、竹島に行こうと思ったら、１度、韓国に入国して浦項から船で欝陵島、さらに船で行かなければならない。昔、今村家の先祖は竹島に何度も上陸したと思う。隠岐島史をじっくりと読んでみたい気もするのだ。</p><p>祖父は神戸で３番目に大きい造船所を設立者スタッフで、役員だった。この祖父から隠岐を出ている。が、今も海士には今村姓が多く残るのだ。「今村さんの家のルーツは？」と聞かれると、勿論「日本国島根県隠岐郡海士町」と答えるが、「群の１部は大韓民国慶尚北道鬱陵郡という地名もある」これも、また事実である。</p><p>李承晩ラインの前に日本の敗戦後、マッカーサーが竹島を日本漁船が近寄るのを禁止した。これからおかしくなっている。韓国は新羅時代、竹島を韓国領土と主張する。日本では奈良時代ではないか。どのように実証できるのか。日韓の領土問題…隠岐の漁師は嫌韓派だ。漁の網を平気で破って魚を持っていく。日韓漁業協定もクソもない、というのが隠岐の漁民の声だ。</p><p>李明博･前大統領が竹島（獨島）に上陸してから、日本の風向きが変わった。某芸能プロダクションから「韓国人歌手のチケットが売れない」と電話で悲鳴をあげてきた。紅白歌合戦も東方神起、KARA,少女時代と３組の韓国人歌手が出場した翌年、誰も選ばれなかった。韓流ドラマを自制している局もある。サッカーの試合で韓国人選手が「獨島は我々の領土だ」とスケッチブックにハングルを書くのは勝手。それにしても日本は我慢強い国だ。駐日本韓国大使館前で大極旗（韓国の国旗）を燃やせばどうなるのか。駐韓国日本大使館の前で日章旗を焼くように。</p><p>もっと、李氏朝鮮時代、徳川時代を検証してほしいが。。。</p>
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<link>https://ameblo.jp/masahiroimamura/entry-11607740589.html</link>
<pubDate>Fri, 06 Sep 2013 03:30:00 +0900</pubDate>
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<title>【特別寄稿】育英高校伝説　その２</title>
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<![CDATA[ <p>どうもいかん。もっと昔の育英高校の話を書け！　あんなことあった、こんなことあったと御連絡をくれるのは有難い。一方、育英高校側は「ほどほどに」と。しかし、俺が見た聞いたの話でないと書けない。それは事実か、また噂かも入ってこない。それを書く訳にはいかない。しかし彼らの話が事実とすると、育英の37年前と言ったら無茶苦茶。完全に今の神戸国際大学附属（当時・八代学院）、神港学園（当時・私神港）、村野工業、公立の兵庫工業、御影工業、県農業も荒れていたというが、育英の銀ボタンを見たら逃げたのも十分に頷ける。確かに、歩いていると、向こうからヤンキー風の別高校生。「マズイ。育英や！」と、逆方向に逃げて行ったのは何度も経験した。前述で「育英は、もっとゴンタクレにならなあかん」と地元、板宿商店街の人々が言っているのも分からなくはない。今の育英高校の生徒は大人しい。その分、偏差値が上がったらしいが、当時は、国立は無理でも早慶、法政、立教、関西なら関関同立（関西学院、関西、同志社、立命館）、産近甲龍（京都産業、近畿、甲南、龍谷）あたりは、我々も行けていた。今の育英の生徒は、スマホを見て通り過ぎるだけだと。我々を武勇伝にするつもりはない。が、板宿商店街は育英高校野球部が甲子園に出ると、横断幕、寄付金も学校側に。「あんたらの頃から前の育英はゴンタやったけど、人情があったな。あの頃の育英が懐かしいで」との声を聞く。現代の高校生に我々の無茶苦茶は理解できないだろう。でも、何かを今の高校生を忘れてる気がする……なお、この育英高校伝説にメッセージを頂いた北野武（ビートたけし）様、吉本興業の芸人様、その他、多くの方に感謝申し上げたい。</p><br><p>【育英高校伝説ーその２】</p><br><p>①板宿商店街の果実屋の腰の曲がったお婆さんが、入荷した果物のダンボールを懸命に持ち上げようとしていた。それを見た学校でも問題児の生徒が「お婆ちゃん、無理したらあかん。俺が運んだるがな」と、教科書も入っていない鞄を放り投げると、そのダンボールを持って「どこに置いたらええんや？」。お婆さんは「奥の荷台や」と。不良２，３人が６個くらいのダンボールを運ぶ。それが終わると、「お婆ちゃん、無理したら、あかんで。俺ら見たら、また声掛けて」と。育英には人情があった。「育英の生徒は自分に誇りを持ってるなあ」と、お婆ちゃん。「そや。誇りもってるで」と問題児ら。「育英高校に電話して、お礼せなあかん。学年とクラス、名前を教えてーな」と、本気で問いかける。すると、問題児らは言った。「あかん。俺ら育英に誇りを持ってるけど、叩けばホコリが出る体でもあるんや」。</p><br><p>②プロ野球ドラフト会議当日。育英高校からドラフト１位でロッテに菊村徳用君、ヤクルト６位で三村雅彦君が指名された。それは板宿商店街でも「良かったな～」「あの２人はズバ抜けていたもんな～」と話題になった。その当日、育英の不良が鮮魚店の店主に「え～～～らいこっちゃ～～。おっちゃん。俺、ドラフトで１位に指名されたがな～～～」と大声。この２人、会話するのは、当日初めてである。</p><p>「ドラフト１位て菊村君やろ。あんた野球部とちゃうやろ」「ちゃうで」「ほなら１位指名ってどういうことやねんや？」「ちゃうがな、おっちゃん。暴力団のドラフト会議で１位指名や。あかん。入団拒否や～絶対、入団拒否やで～」「そんな暴力団のドラフト会議なんてあるんかいや？」そう言う頃、不良は消えていた。心配になった鮮魚店主は育英高校に連絡。「あいつ、お宅様にも言ってましたか。申し訳ございません。あいつは警察官、警察学校に首ねっこ摑んでも入れるつもりですから…」今は、刑事になってるそうな。</p>
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<link>https://ameblo.jp/masahiroimamura/entry-11605697095.html</link>
<pubDate>Tue, 03 Sep 2013 08:06:22 +0900</pubDate>
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<title>オクトパシーの呪い　その６</title>
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<![CDATA[ <p>ど～～～ん、がしゃがしゃ、ぱり～～～ん、バリバリ、どっか～～～ん、ぱりん、ぽとっ</p><p>店舗が傾くのではないか、と思うほど豪快な音が１階でした。な、なんじゃい、なにさらしよんじゃい！、という大声がした。「ふぐ武」の大将に違いない。「イマちゃんは、ここにおってくれ。俺が見てくる。多分、キム・ヨンスだ」とZは言って、階段を急いで駆け下りた。どうやら、とんでもない男が来たようである。</p><p>「ミアンハムニダ。ミ～ァン~ハムニダ。（ごめんなさい）。ヨンソ～ハシ～プシオ。（許してください）」</p><p>「ななな、なんじゃい、このけったいな男は？」と、大将の声。「この男は連れ（友達）で、客ですわ」とZの声。「客はええけど、いきなり店に入って来て、カウンターの上によじ登って歌って踊り、足をふみはずして落ちて転び、椅子を３つも潰しよった。Zさん。予備の椅子があるから良かったものの、この分、きっちりと弁償してもらいまっせ！」と、大将が啖呵（たんか）を切る声。「ナン　ソンニミヨ（俺は客ですよ）」「ええから、おまえは黙っとけ」と、Zが大声。Z１人でくたくたなのに、果たしてどんな男がやってきたのやら…コップのビールを一気飲みをした。どんどんどんどんどんどん、と階段を昇る複数の足の音が聞こえた。</p><p>２人が小部屋に入ってくる。俺は初対面の挨拶のために立ち上がった。すると、ななななななななな、なんじゃい！　この男は？上下純ピンクの背広、Yシャツと靴下はパープル、ネクタイは黄緑。バラバラである。髪は緑に染めて、肩まで伸ばしている。よく、ここまで来るのに警官から発砲されなかったことだ。</p><p>「紹介するわ。高校時代からの友人でイマちゃんや」「こっちはキム・ヨンス君で釜山出身だ。神戸の大学に留学している」俺は「チョウム、ベッケップ　スムニダ（はじめまして）」と挨拶。すると「あらッ、ハングンマル（韓国語）じゃない。嬉しいわ。パンガップスムニダ（お会いできて…）」と、オネエ言葉を言うなり、卓上に飛び乗ると、東方神起の歌を唄い始めた。俺はZを手招きする。「おい、おまえの話だと、ビール１本、ふぐのひれ酒を１杯以上飲ますな、酔いつぶれるから、という話だったな。でも、もう壊れているじゃないか。どっかで１杯、引っ掛けてきたのか？」「いや。これが正常だ。これが飲むと大変なことになる」「厄介だな」</p><p>キム・ヨンスは「ね～、エ（イ）マちゃん～。あなたも唄いなさいよ～」と、踊るというより卓上で暴れている。</p><p>「ノレ　ハプシダ（唄いましょう）」「もう、ええからヨンス。下に降りて座っておれ」と、Z。「仕方ないわね～～～」と、ヨンスは、卓上から下に降りて、座布団の上にちょこんと正座した。Zは下にダスター（布巾）を頼む。無論、今から食事をする卓上を拭くためだ。靴下に水虫があったかも知れない。よく、拭いて欲しかった。（え～らい奴連れてきよって！）</p><p>Zは、明石に釜山のチャガルチ市場を作る計画など経緯を、ヨンスに説明する。その度々に、彼は口元をオシボリで拭う。今、気がついたが軽く化粧をしているようだ。疲れがど～～と出てきた。ただでさえ朝、Zは海に転落、その次は、ふぐの肝に当たって病院、その次は、この訳の分からない韓国人だ。自分は東方神起の一員になりきっている。どうせなら、KARA、少女時代のかわいい女の子の方が良かったのに。</p><p>「ところで、イマちゃんは、どう思う？」と、Zが俺に意見を求めてきた。「そうだな…とにかく明石市が動かなければどうにもならないだろう。あの敷地を我々が購入するにしても、数十億、もしや百億を超えるかも知れない。金融機関が我々に貸す訳ないだろう。だから、市、もしや国交省を動かすことになるだろう」</p><p>「わしは与党の市議数名を知っているが、まず企画書のプランニングが必要や」「そうだ」と俺。</p><p>「敷地面積は勿論だ。鮮魚店を出来る限り多く入れたほうがいい。明石の漁業組合長だけではない。新規店舗と魚の棚商店街の店舗が支店として入るかだ。厚労省の保険局もうるさい。問題が山積だ」</p><p>するとZがいう。「市の補正予算では済まんなあ。どこかが仲裁に入ってくれると助かるが」</p><p>「在日同胞のパチンコ店のMやD、Hなども危険な道を歩まんだろう。難しい問題だ」その後、沈黙が続いた。その時だった。ヨンスが、あの～　と声を挟んだ。俺とZは、彼の薄汚い化粧をした顔を見つめた。</p><p>「今までの、お2人の話を聞いていると、日本国内だけの企業しか目がいっていないわ」「…と、いうと」</p><p>「韓国企業、場合によっては中国、台湾企業が経営しても…」「そうだった。日本のシャープも実質、韓国のサムスンが株を押さえている。日本のお茶の間の液晶テレビは最早、韓国と中国企業製品だ」</p><p>「う～～～～ん、なるほど」とZ。「仮に韓国のサムスンなら明石市から買い上げればいいんだ」と、俺。</p><p>「なんか、道が少し見えたな。ハングルは、このヨンス君に任せればいい」「そう。長崎県対馬の土地は今、韓国人が買いあさっている、という問題を抱えているのが現状だ」</p><p>我々の小部屋の障子が開いた。「ご用意が出来ました」腕時計を見ると、午後５時前だった。</p><p>「腹減った。よし、久しぶりに、ふぐ、を食うぞ」とZ。「おまえ、今日、ふぐ食うのは２度目だろう」と、俺はZを睨んだ。鍋に火が点されワカメ昆布の出汁。いい色に茶けてくる。Zが「ふぐ」は韓国語で何という、と尋ねた。俺とヨンスが「ポッ」と答える。ふぐの産地、下関や九州は「ふぐ」とは言わない。「ふく」だ。服の「ふく」である。「ふく」も韓国語読みにすると、「ポッ」だ。日韓の文化交流面で関係があるかもしれない。</p><p>ぐつぐつと煮込む。「アクを抜け」と俺がZに言った。その瞬間、今までになかったヨンスの表情が強張り、「何を！　貴様、今、何と言った？　ムスン　ソリガ！」。するとZが慌てた表情で俺の腕を摑むと、小部屋の外まで引っ張った。</p><p>「大事なことを言うのを忘れていた。絶対に軍隊で使う用語をヨンスに言ってはならない。あいつ、徴兵で相当なイジメにあったらしい。たとえば、起床、起立、並べ、銃、這い蹲（つくば）れ、突撃、用意、異常なしなどだ。それに北朝鮮に関することを言ってはいけない。今、イマちゃんは、アクと言った。悪の枢軸、金日成、金正日、金正恩もだ。キム君は良くない。ヨンス君で通せ。で、ないと大変なことになる…あいつに酒を余り飲ませないのは、軍隊で休日、マッコルり（韓国のどぶろく）を死ぬほどまで飲まされてから脳神経が正常じゃなくなった。正気じゃなくなり、この店に放火するかもしれない…」俺は、黙って頷くしかなかった。俺は震えがきた。恐ろしい。</p><p>再び、小部屋に戻る。すると、ヨンスが「もう～～～～、どこに行ってたのッ～～、テッサも食べなきゃダメじゃないの～～～」と、気色悪いオネエ言葉に戻っている。「さあ、エ（イ）マちゃん。ビールを一杯注がせてください」「ネー。メクチュウ、コマップスムニダ（ビール、サンキュウー）」。今度は、ヨンスに注ぐが、コップにビールが流れないように、ちょこっと、格好をしただけだ。ビールを一気にあおぐ。てっちり（ふぐ鍋）は、白菜など野菜と絡み上手く出来上がっている。すると、下に通じるテレフォンでZが「肝、ちょっとだけ痺れるくらいに貰われへんか？それがツーなんや。何？あかん？なんどいや！」と、電話を切った。空いた口が塞がらない。俺はZが肝を食って死のうが、そんなことは考えなかった。言葉を考えて選ばなくてはいけない純ピンク色の背広を着て、緑色の頭がテカテカ光る、ヨンスという男に、神経を使って気配りした。が、何か嫌な予感がしたのであった。＝続く＝</p>
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<pubDate>Tue, 03 Sep 2013 02:30:50 +0900</pubDate>
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<title>オクトパシーの呪い　　その５</title>
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<![CDATA[ <p>明石の病院にいた。休日だが救急病棟だけが賑わしい。幼子が発熱したと、心配そうな両親が付き添う。</p><p>先程は交通事故で血まみれの患者が救急車からストレッチャーで運ばれて行った。医師と看護師が過酷な仕事だと、ここに居れば分かる。それに引き換えると、自分でふぐを調理して当たったZは、迷惑極まりない。先ほど、担当医師から「小さなふぐを食ったのでしょう。今、点滴を打っています。直ぐに回復するでしょう」と、俺は説明を受けたのであった。軽トラックは、旧明石フェリーの駐車場に置いている。駐車禁止のレッテルを貼られることはないだろう。はぁ～と溜息が出る。２時間後、Zが右腕の点滴を打った箇所を左掌を押さえながら病室から出てきた。と、同時に美人看護師がZの背後から「ここは病院です。そんなセリフは飲み屋で言ってください！」と、ぴしゃりと言われたのだった。</p><p>「おまえ、あの看護師に何を言うたんや？」「いや、ちょっとしたプロポーズや」「あほかい。おまえは、ふぐを食ったと言いながらも中毒になった患者やで。大人しくできんのかいや」「イマちゃんよ。チャンスは逃したらあかんで…」「もうええ。はよ支払い済ませや！」「おお、そうだった。国民健康保健証を絶えず持っていて良かった」「まあな」Zは、支払いを済ませた。海に落ちるわ、ふぐに当たるわ、散々な１日である。</p><p>「イマちゃんよ。腹減ったのう」「またかいや～」病院を出てからの会話である。タクシーに乗車する。</p><p>行き先は明石港。これだけでも、大きな出費である。Zが運転手に話しかける。</p><p>「運転手さん。明石は寂れたのう」「そら、明石フェリーがなくなってから、商売あがったがりや」「バブルの頃は、明石の飲み屋街、桜町も賑わっていたけどなあ」「そら、あの頃は良かった。もう明石もフェリーがなくなってから、フェリー乗り場と明石駅の往復がなくなりましたなあ」「そうやろ。そうやろ。そやけど、もう直ぐ、活気づくからな」「ほんまかいな？」Zは、明石のチャガルチ市場のことを言っているのだろう。</p><p>でも、まだ路上でメバルを５匹（ふぐ１匹）をさばいただけに過ぎない。＜いつになることやら…＞</p><p>Zは晩メシをおごるから、タクシー代を支払ってくれと言う。2500円ほどを支払った。</p><p>Zとは、育英高校で同期だ。こいつも、ごんたくれだった。教職員専用のトイレを絶えず使用していた。それだけでは何てことはない。修学旅行では、阿蘇の麓の温泉に宿泊した時、晩メシ時には不在で居酒屋にタムロしていたのだ。卒業後は調理学校に行って、寿司屋で鍛えたのである。今は１人で神戸の福原で小料理屋を経営しているのだった。問題は一攫千金を狙って、俺に相談。明石に韓国・釜山のチャガルチ市場を作ろうという話もである。この土地は国のものか、明石市のものか。市議会はOKするのか。予算はどうなる。多くの問題が残る。気が遠くなる話だ。Zは荷台を片付けていた。</p><p>「イマちゃんよ。今日は車をここに置いておこう。わしが明日、取りにくる。１日位なら大丈夫だろう。それよりメシを食いに行こう」「そうだな。今、午後３時だ。今日は３切れほどのメバルの刺身しか食ってないもんな。今日もお好み焼きか？　玉子焼き（明石焼）か？」</p><p>「イマちゃん。それでは能がないではないか。わしは悲しいぞう。昨日、食ったメニューではないか…」</p><p>「では、おまえは何を食いたい？」と、俺。「ふぐだ」とZ。「おまえ～～～～～！」ふぐで、大変な目にあったばかりである。「肝には大変な目にあったが、そのほかはなかなかいけたぞう」やめとけ。いや、行くの押し問答になったのだ。Zに何か思惑があるという。スマホは俺は大丈夫だったが、Zの携帯電話は、海に落ちた時に、ダメとなった。俺のスマホで、何処かに電話している。「ふぐ武」という店を待ち合わせ場所を指定していた。ふぐが食える、こいつが恐い。</p><p>「こういうチャガルチ市場のことは、釜山出身の韓国人に頼るのがいい」「確かにな」「釜山から神戸の大学に来ている留学生だ。日本語も話せる」「そういう人がおるんやったら、しょうもない刺身を食わす前に紹介せんかい！」今度は、「ふぐ武」に電話している様だ。大抵は、午後５時に開店だろう。無理を言っているのだ。「イマちゃん。午後５時まで酒と突き出しだけで待とうや」「仕方ないな」</p><p>軽トラのキーを掛けて、明石駅前アビスパまで歩き、国道２号線を東に約500㍍ほど行くと、「ふぐ武」はあった。俺は、国道２号線を車でよく走るが、見逃していた。ひのきだろうか。豪華な扉を開く。</p><p>「大将。無理言ってすまんな」「どうぞ。２階に…」俺たちは階段を上がり、指定された小部屋に入る。</p><p>すぐにビールを持ってきた。突き出しは「たこわさ」である。静岡名物の「わさび漬け」のなかに、明石名物のタコが入っていると、考えてくれたらいい。</p><p>「イマちゃんよ。これから来るキム君は、注意をしておくことがある。ビール１本、ひれ酒なら１杯のみしか飲ませてはいけない」「なぜだ？　それ以上飲ませるとどうなる？」「……壊れる」</p><p>それから、しばらくだった。１階の扉が開く。</p><p>「ア～～～ンニョン～～～～ハセ～～～～ヨ（こんにちは）。ひゃっほ～～～～～～う」と大声。</p><p>なななななななな、なんだ？俺は、不気味な予感を感じたのだった。＝続く＝</p><br>
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<link>https://ameblo.jp/masahiroimamura/entry-11604919553.html</link>
<pubDate>Mon, 02 Sep 2013 05:28:56 +0900</pubDate>
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<title>オクトパシーの呪い　　その４</title>
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<![CDATA[ <p>釣れない。</p><p>もう、こんな状態で１時間半もいる。網にマキエの小エビをつっこんで、海面から海底に垂らすが、糸に魚が食らい付く感触が、まるでないのだ。</p><p>＜くそっ！　何で明石港の再開発に、予行演習として、マキエの釣りをしなくてはならないんだ！＞</p><p>Zは何を考えている。空は紫陽花色から、紀伊半島方面から眩しい太陽を覗かせようとしていた。</p><p>肝心のZは早朝といっても午前１、２時頃から目を覚ましているから、睡魔が訪れて岸壁で大の字になって、象のようなイビキをかいて眠っている。我々以外にも、本格的に投げ釣りを楽しんでいる釣り客が数名いた。神戸・長田港は投げ釣りによくても、サビキ釣りは向かないのではないか。</p><p>時折、長田港を出港した漁船が波をたてて通過する。「あ～あ」と、俺もイビキ。腕時計はまもなく、午前７時になろうとしていた。その時である！釣り糸にびびび～んと、竿のリールが微妙に動いた。</p><p>「おい！　きた～！　起きろZ！」</p><p>リールを懸命に巻く。針にメバルが２匹くっついていた。きたぞ！きたぞ！きたぞ！</p><p>メバルは２匹岸壁に放ったらかしだ。魚は大群で大阪湾内を浮遊している。すぐに錘（おもり）の網に小エビ（少し臭いが…）を入れて、直ぐに海中に放り込まなければならない。そうする。また、びびび～ん。</p><p>今度はメバルが３匹、針に掛かっている。いいぞ。いいぞ。</p><p>「おい、起きろっちゅうのに！」右脚で体を蹴ってやった。すると、むにゃむにゃ言いながら寝返りを打つ。</p><p>その時だった。あッ、岸壁からZの姿が消えたと思ったと思ったら、どぼ～～～～～ん。重たいものが水面に落ちた音。海の中へとZの姿が消えたのだ。（え～らいっこっちゃ～～～～！）</p><p>「お、お、おい、イマちゃん。た、た、た、助けてくれ～～～。わしは、泳がれへ～ん」</p><p>「ななな、何いい～～～」</p><p>俺は着のみ着のまま、海中に飛び込んだ。ぼごぼごぼごぼご。水面に顔を出す。Zがおぼれていた。</p><p>ばしゃばしゃばしゃと、腕を水面に叩きつけている。「暴れるな！　落ち着け！」</p><p>俺はZの左腕を持ち、肩に手を回す。「お～～～い、大丈夫か」と、別の釣り客が岸壁の際まで走ってきてくれた。そして、釣り船の棄てた浮き輪だろう。２個を我々近くの海面に、放り投げてくれたのだ。</p><p>「これに摑まれ！」Zは浮き輪に摑まる。何とか命だけは助かったようだ。俺たちは約20分位、ぶらりぶらりと浮き輪を巻いて泳ぎ、岸壁の高低が低い箇所まで、辿りついた。ロープで引き揚げられる。</p><p>「すみません。有難うございます」もう、命の恩人だった。面目ない。２人は服から雫をタレながら、呆然と岸壁に立ち尽くしたのである。助けてくれた釣り人は、俺たちの無事を見届けると、また自分の持場に戻った。「あほかい、おまえは」と俺。「イマちゃんもビショビショになったの～う」「まだ、サビキ釣りを続けるか？」「今、何匹釣れた？」「メバル５匹だ」「う～～む。それじゃあ、刺身は出来んのう」「けッ！！」</p><p>飛び込んだついでに、サビキ糸は絡まっていた。糸を替えて、また水中に放り投げる。</p><p>夏でよかった。またデニムを履いていたから汚れは目立たない。冬なら着替えもないし、凍死するところだった。</p><p>もう、メバルの当たりはない。再び、糸を垂らして感触のないままだ。何をやっていることやら…。</p><p>衣服が肌に付着して気持が悪い。夏だ。すぐに乾くだろう、とZは呟く。</p><p>「お～～～、きたきた」と、Zが叫ぶ。リールを巻く。すると、針に小さな魚。が、たちまち腹が膨れる。ふぐだった。「あかんやないか。棄ててしまえ」「イマちゃんよ。ふぐもテッサにできるぞ」「おまえ、ふぐの調理師免許もっているんか？」それに１言。「ない」「肝に当たったら死ぬぞ」「肝くらい、俺も取り除ける」「だ～め」</p><p>結局、朝の9時になり、退散することに決めた。情けない話である。大の大人が釣り、それもサビキ釣りでメバル５匹。それも10㌢未満ばかりである。</p><p>「大漁ではないか！」とZ.。本気か冗談かは分からない。体は衣服とともに、殆ど乾いた。朝陽もまばゆい。「これからの予定は？」「明石港に行く」とZ.。氷が入ったクーラーには、メバル５匹だけである。</p><br><p>明石港に軽トラが到着した。人気は岸壁の釣り客だけだ。</p><p>「これが、どないに韓国・釜山のチャガルチ市場になるんや？」</p><p>「まあ、見ておれ」と、自信満々のZ。車から降りると、荷台でなにやらやっている。</p><p>「お～い。イマちゃんよ。準備が出来たぞ。降りてきてくれ！」</p><p>アスファルトの上にまな板と包丁を置く。軽トラの荷台にはゴザとちゃぶ台に近い、小さな卓を置く。</p><p>「ななななななな、なんじゃ～～～～。これは？？？？」</p><p>「取り敢えず、チャガルチ市場の雰囲気は出した。地上は１階、軽トラの荷台が２階や」</p><p>「こんなもんとちゃうやろう。チャガルチ市場は！」</p><p>「イマちゃんよ。想像力が乏しいのう。わしは悲しいぞう。わしも昔は包丁を握っていた。メバル５匹の刺身を、イマちゃんにプレゼントしようではないか。クーラーの中には、冷えたビールもある」</p><p>「余り有難くないが…」</p><p>俺は軽トラの荷台にあぐら座りで、Zがアスファルトの地上で包丁を捌（さば）くのを見ていた。</p><p>老人が１人、杖を持って通りすぎる。</p><p>「何をやっとるんかね？」と興味津々でZを見ている。</p><p>「イマちゃん。いや、こいつに刺身を食わしてやろうと思いましてね」と、Zの気分は昂っている。</p><p>「わしも漁師を50年やってきたが、こんな光景を初めて見た。最近は路上で歌を唄ったり（ストリート･ミュージシャン）、ついに、路上で調理は初めて見た。これからの日本は、どうなることやら……くわばら、くわばら…」</p><p>「おい、そこに犬の糞があるんとちゃうか？」「気にするな…」「気にするわえ～～～～！ぼけ」</p><p>そうしている間に、刺身が出来上がった。が、コーヒー皿の３分の１程度の分量しかない。</p><p>「何どいや。わびしすぎるぞ」これで、ビール１本を飲めという。哀しい…。</p><p>「半分づつしようや」とZ.。</p><p>「魚の棚商店街で鮮魚を買ってこようや」「イマちゃん。無駄使いはよくない…」</p><p>メバルの刺身はまあまあの味だ。やはり、ここに鯛やブリがあったほうがいい。</p><p>その時である。Zは卓の下に隠しもっていた何かを食った。</p><p>「おい、おまえ、何、食うたんや？」</p><p>「何でもない…」俺は、ビールを一気に飲む。Zは車を運転するから、ノンアルコールビールを飲んだ。</p><p>しばらくしてである。Zが「この車、バッテリー洩れを起こしてないか？」と言い始めた。</p><p>妙なことをいう。何か体が痺（しび）れてきたぞ、と言い始めたのだ。</p><p>「あ～～～～～～、おまえ、ふぐを隠し持ってきて食うたやろ！」</p><p>俺は、すぐに体を小刻みに震わすZに駆け寄った。＝続く＝</p>
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<link>https://ameblo.jp/masahiroimamura/entry-11603643719.html</link>
<pubDate>Sat, 31 Aug 2013 10:29:27 +0900</pubDate>
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<title>オクトパシーの呪い　　その３</title>
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<![CDATA[ <p>もう１度整理しよう。明石港は淡路島とのフェリー航路が「明石海峡大橋」の誕生で、乗降車と客が激減、累積赤字も膨らみ、ついに廃路となったのだ。その影響は、明石市にも及ぼし、観光客が激減した。この跡地を何とか、活用できないかとZは真剣に考えたのである。その結果、韓国・釜山の「チャガルチ市場」をここに建設。チャガルチ市場は、１階に多くの鮮魚点が軒を並べて、全てイケスの中に生きた魚、海産物が生息している。客が「これと、これを欲しい」と言うと、代金を支払ったあと、２階のテーブル席で待っていると、見事に刺身にして持ってきてくれるのだ。アルコール類もある。</p><p>Zが言うには、舗装されたフェリーの待ち場所は広大な敷地だ。これを観光バスなどの駐車場にすればいい、との発想だった。問題も多いが、面白い発想だ。Zの話の続きを聞くことにしたのだった。</p><p>「イマちゃんよ。これが成功すると、マネージメント料１億円は下らない」</p><p>やはり、そこに結論はあったか。俺はタバコをくゆらせるこいつの顔をまじまじと見た。育英高校時代と変わっていない。高校生のまま、そのまま大人になった感がある。それにしても大胆な発想だ。</p><p>「明石フェリーの船舶自体、フィリピンに売却さらたと新聞で読んだ。第二の人生はルソン島あたりで航行してるのだろう」「なるほど。フィリピンは島が集まって出来た国だ。貧富の差もあるが、中古船は有難いものだ」</p><p>卓上には、玉子焼（明石焼）を食べ終わった台座の赤い板が俺の前に２枚、Zの前に16枚あった。（どれだけ食うねんや…）「まだ足らんのう。何を食うたか分からんわ…」と、Z。.とにかく代金を支払い店をあとにしたのだった。魚の棚商店街から外に出たのである。</p><p>「イマちゃん。明日、日曜日やのう。俺と１日付き合ってくれないか？」（きたああああああああ）</p><p>「嫌とは言わせないぞ。このビッグプロジェクトを知っているのは、俺とイマちゃんだけだからな」（やれやれ…）</p><p>俺たちは明石港の現状を見ておこうと、港に向かった。と、言っても、JR・山陽明石駅から港まで１㌔ほどだ。</p><p>港が近付くにつれて、潮の臭気が強くなる。港には人影すら見えない。防波堤で釣り人が２，３人いる程度だ。</p><p>「酷いもんだな」と俺。「だろう。最早、この港と淡路島航路の復興はありえない」</p><p>淡路島の山並みが間際に見える。海峡がなければ、歩いていけそうな距離だ。</p><p>鎖（くさり）を跨（また）ぎ、敷地内に入る。昔、発券売り場だったビルの喫茶室の入り口も埃（ほこり）を被っている。旧明石・たこフェリーの建物も幽霊屋敷みたいだ。多くの海鳥が泣く。明石港湾内の魚を餌につまびいた。</p><p>「ここを、わしは日本版チャガルチ市場に変えてみせる！」と、怒気を強めた。</p><p>俺は、この土地が昔は国有だったことを知っている。どのように明石市の私有財産に持ち込むのだ？</p><p>「国も明石が活性化するために復興財産の安値で売却するだろう。明石も補正予算を組めばいい」</p><p>「この建物なら、１度、取り壊して作り直す必要がある」</p><p>「産廃業者と建築会社が儲かる。１石２鳥ではないか」と、Zは腕組みをして自信を覗かせる。</p><p>「明日から、もう動こう。明石の泉市長まで企画書を持参するまで、イマちゃん、お前に手伝ってもらうぞ」</p><p>（こいつの企画で成功した試しがない。今回も嫌な予感がした）</p><p>「ついては、明日朝３時にイマちゃんの家に迎えに行く。ビッグプロジェクトのスタートだ！」</p><p>「朝３時？　おまえ何考えとんや？」「仕事は厳しいものだ。24時間、働く気がなければ事業は成功しない」</p><p>「その気があれば、おまえは今頃、億万長者や。どないなっとるんや？」</p><p>「イマちゃんよ。企画というものは100あって、１つだけがピックアップされれば、成功になる。世の中はそれほど厳しい。そう考えていると腹が減った。明石名物のお好み焼きを食おう」「まだ食べるんかいな！」</p><br><p>翌日朝３時前に「イマちゃ～ん」と、家のインターフォンが鳴った。ドアを覗き窓で見ると、Zがぼそ～と立っていた。一体、朝の３時から何をすると言うのか。俺は眠気眼でドアを開けた。おほよう、とお互いが言葉を交わす。</p><p>用意は出来ていた。と、言っても持参する用具はない。せいぜい財布位だ。</p><p>「用意はすべて、こっちが用意しているから安心せよ」と、Zが言う。午前３時というから、神戸中央卸売り市場でも行くというのか。それにしても挙動不審だ。戸締りをしてドアを閉め、エレベーターで下に降りる。</p><p>まだ外は闇だ。マンションの前に停まっていたのは、軽トラック１台だった。Zは、これでやってきたのだろう。</p><p>晩夏といっても熱帯夜が続く。虫の音が響いた。</p><p>「この軽トラでやって来たのか？」「そうだ」」「こんな朝早くから、どこに行く？」というと同時に、軽トラの荷台に</p><p>視線が向いた。そこには、カエルの肉でケンタッキーフライドチキンに対抗しようとして失敗、その時に購入した水槽３箱が目に入った。これに魚類を入れるのが十分に分かる。</p><p>「とにかく予行演習だ。イマちゃん。車に乗ってくれ」俺は言われるままに乗車した。エンジンを掛けて出発する。</p><p>＜予行演習？＞何をしでかすつもりだ。妙に嫌な気分になった。</p><p>国道２号線を西に三宮、元町を抜けて、神戸駅を抜ける。着実に明石に向かっている様だった。</p><p>すると大橋９丁目に来た時だった。朝早くから開いている釣具店の前で停車する。＜？？＞</p><p>Zはドアを開けて降車、バタンとドアを閉めると、そそくさと、釣具店の中に消えた。待つこと約10分。車にビニール袋を引っさげて戻ってくる。「さあ、買ってきたぞう」と言う。</p><p>「何を買ってきたんだ？」「レンガ（マキエ＝小エビを沢山冷凍させたレンガに似たもの）と錘（下は鉛で円柱のカゴになったもの）、サビキ釣り糸（針が沢山ついていて、小エビ色と同じ色のビニール片が付いたもの）だ」</p><p>「なんどいや。小学生でも出来るサビキ釣りかいや？」</p><p>「長田港に行く。サオは俺とイマちゃんの分も用意している。もうすぐ夜明けや。アジやイワシの入れ食いやぞ」</p><p>＜何で早朝から、サビキ釣りをせなあかんのや…＞</p><p>軽トラは長田港に到着した。倉庫群やトラックターミナルは照明が明るい。その前を歩く。クーラーボックスはZが持っていた。防波堤の前は暗闇だ。Zが縄で出来た（誰かが設置したのだろう）簡素な階段をするするとあがると、「このロープに釣竿とクーラー、ビニール袋を巻きつけてくれい」と叫ぶ。暗くて、よく見えなかったが、何とか巻きつけた。高さ５㍍はあろうかと思われる防波堤の上で、Zがそいつを引き揚げる。</p><p>＜何が予行演習じゃい。魚の棚商店街で鮮魚を買えばええことやろう＞</p><p>俺も縄梯子をあがりながら、そいつを、つくづくと考えたのだった。　　＝続く＝</p>
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<link>https://ameblo.jp/masahiroimamura/entry-11602406125.html</link>
<pubDate>Thu, 29 Aug 2013 07:42:24 +0900</pubDate>
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<title>オクトパシーの呪い　　その２</title>
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<![CDATA[ <p>※タコは英語で「オクトパス」である。ここに登場するオクトパシーとは、人間をも食べつくす巨大タコ、化け物の意味で固有名詞だ。なお韓国語でタコは「ナクチ」「ムノー」で、今後、登場予定である。</p><br><p>警察にいた。</p><p>「わし、まだ首根っこと頭が痛いわ」と、Zが首をくるくると肩こりをほぐす様に回す。</p><p>「頭が痛いのは、こっちや。どない報告書をまとめたらええんや」と、警察官がボールペンを右手に頭を抱える。結局、舗道を頭からタコ壺を被った男が浮遊して歩いてる、との明石駅北の派出所に報告が入り、警官が数名現場に急行した。取り押さえられて、取り急ぎ、派出所に連行。金槌でタコ壺を割ってZの一命は取り留められたのだった。途中、「そんなに強く叩くな。わしの頭が陥没したらどないするねんや」とわめいたが、タコ壺の破片で額にバンドエイドで収まるだけの傷で済んだのである。</p><p>「つまり、自らタコ壺を興味本意で頭から被り、それが抜けなくなった。喫茶「R」を勝手に抜け出して舗道をふらふらと浮遊していた、そういうことになるのかな…」と、警察官がボールペンを走らせる。</p><p>「興味本位で、あんなもんを被るかいな。俺はイマちゃん、こいつに話を分かりやすくするために被ったのではないか！」「もう、ええがな」と俺。本来なら迷惑防止条例で罰金である。それを、あまりにもアホらしい話で、警察も大目に見てくれたのだ。喫茶店「R」も弁償はいらないと言う。これ以上、話を荒立てる必要はない。結局、派出所を出たのは午後３時で、それから憮然とするマスターに喫茶代金を支払いに行ったのである。夏バテではない、疲れがどっと出た。俺たちは、何をしに明石まで来たのか？</p><p>「おいZ、おまえから肝心な話を聞いていないぞ」「おおッ、イマちゃん。そうであった」</p><p>スクランブル交差点を渡る。「もう３時過ぎか。なんやかんやで腹が減った。明石焼を食いながらでも本題に入ろうではないか」余り、腹は減っていないが、明石焼１人前くらいなら胃に入ろう。俺は承諾した。</p><p>国道２号線を渡り、魚の棚商店街に入る。ここは今朝、水揚げされた鮮魚の店が多く並ぶ。人通りも多い。</p><p>魚屋の大将が威勢のいい声で客を誘っている。鮮度が高く、尾ヒレが、まだピクピクと動いている魚も少なくない。神戸は勿論、大阪からこの商店街に買い付けに来る料理屋、客も多いのだ。</p><p>「兄ちゃん、このマグロは直送かいな？」とZ。「はいよ。枕崎から直送や」「わしも昔、包丁を握っていたけど、ちょっと、この魚は古いんとちゃうか？」と、Zはマグロの眼を凝らしめて見る。「何を言うてんねん。あんさん。よ～見てや！」「いや、俺の目に狂いはない。古いわ」その瞬間、笑顔の鮮魚店の親父が強面に変わった。「あんさん、いや、おまえ、うちの魚にケチつけるんか。商売の邪魔や。あっちに行ってくれ！」と大声で怒鳴った。「いや。本当のこと言うただけや」その時、鮮魚店の親父が包丁の柄を握るのが見えた。</p><p>や、やばい。俺は「すみません。こいつはタコ壺の中にしばらくいて、正気じゃないんです」と言って、Zの手をむりやり引っ張り、その場を後にしたのだった。</p><p>「おまえ、ええ加減にせ～よ」と俺は怒鳴った。「イマちゃんよ。本当のことを言ってやるのも親切というものだ」「相手はプロの魚屋や。そんな変な魚を店先に出したら、あの店だけやない。魚の棚商店街全体の信用にも関わるんや。場所を考えろや。とにかくZよ。おまえとおったら幾ら寿命があっても足らん。とにかく、明石焼の店は、この商店街にも沢山ある。おまえが選べや」額から頬に汗が伝わる。とにかく疲れる男だ。俺たちが入った明石焼の店は、赤い暖簾（のれん）が掛かっていた。扉を開き、Zが先に店に入る。</p><p>「おかみ。重要な話がある。菊の間を用意してくれ！」</p><p>「あんた何言うとるんよ。このカウンター席と４人掛けの座敷席３つしかないわいな」女主人は呆れた顔でいう。嫌味に聞こえたのか、もう早くも女主人は不機嫌である。とにかくZは、人を不愉快にさせる特技がある。「玉子焼（明石焼）４人前頼むわ。その前に生ビール２丁」「あいよ～」</p><p>とにかく本題に入っていない。Zの話を集中して聞くことにした。半分は、おおいに不安はあるが…</p><p>「ここにもスパイ、盗聴があるかも知れない。イマちゃんよ、近う寄れ。耳を貸せ」</p><p>俺は、言われるままにZの口元に耳を寄せるが、舌で舐めるなよ、とだけ口にした。（そんな気色悪いことをされると、全身に鳥肌がたつ…）</p><p>「イマちゃんよ。この明石も随分と廃れたではないか。この魚の棚商店街がなければ、特徴がない」</p><p>「確かにそうだ。新幹線の西明石駅も周囲から大久保、魚住まで大手企業の工場の影響で乗降客を確保しているといってもいい。JRも山陽電鉄も神戸、大阪の通勤客、また通学の拠点となっていると思う」</p><p>「だろう。明石に宿泊する観光客は少なく、皆、それなら神戸、となってしまう」</p><p>「四国から関西に遊びに来た観光客は、明石海峡大橋を渡り終えると神戸市だから、皆、神戸の北野や居留地に足を運んでしまう。明石市などには寄らない。天文科学館のプラネタリウムも珍しいものでもない」</p><p>Zと俺は乾いた喉にビールを流し込んだ。10個の黄色い玉子焼きを乗せた長方形の赤い木の板を持ってきた。「神戸や大阪で勤務する会社員やOLは、華やかな神戸、大阪で酒を飲むだろうし、明石で飲む人は友人関係などで飲む程度で絶対的に多くはないだろうな」「俺が思うには、明石は午前中から開いてる居酒屋が多く、閉店も早い。なぜだと思う？」「…」「明石の漁師をターゲットにしているからだ。朝３時に漁に出港。朝９時、10時には仕事を終えて酒を飲みに上陸する」「なるほど」「本題はそこではない。廃れた明石を、どう客を獲り込むか、だ」</p><p>玉子焼は口の中でとろけるようで、タコの切れ端だけが残る感じがする。店により微妙に味が異なるが、濃薄で例えるなら、薄味だろう。なかなかの美味だ。</p><p>「明石がこうなったのも、明石海峡大橋の負の遺産かもな。大橋の建設に旗を振った代議士だった故・原憲三郎を恨むしかないな」「もう、終わったことは仕方ない。これからだ…」と、Zは自信を持った態度で語った。次の玉子焼がくる。１人前10個。Zは２板をさらい上げ、さらに追加注文をした。</p><p>「イマちゃんよ…」Zは間を置いた。「イマちゃんと昨年、韓国に行ったな」と、独り言のように口を開く。</p><p>そうだった。昨秋、Zを連れて韓国の釜山まで観光旅行に行ったのだ。龍頭山公園の釜山タワー、光複洞でのショッピング、ホテルは西面（ソミョン）のロッテホテルに２泊３日の個人旅行をしたのだ。が、ががががががが、Zは、金海（キメ）国際空港の入国管理事務官と口論となり相手の胸倉を摑んで、そのまま空港警察署。釈放されて、虫の居所が悪かったのか、今度はタクシーの運転手と口論となり、大河、洛東江（ナクトンガン）の橋の上で降ろされて、これならKALバスを利用すればよかった、と後悔したのだった。１時間後、橋げたを猛スピードで走るタクシーを何とか捕まえてチップも弾んだと思う。取り急ぎ西面のホテルまで荷物を預けたのである。今から想えば、Zのホテルは予約しなくてもよかった。ピンクのみの電飾の店が密集して、丘に沿って異様な雰囲気に包まれた地域がある。個々の店に、セクシーな衣装で恐ろしいほど美人（恐らく整形）の娼婦がたくさん立っているのだ。１軒に３～４人だろうか。70軒以上は確かにある。その店舗が並ぶ怪しげな地域こそ、ワノル洞（ドン）＝通称、ミドリ町＝だ。ソウルなら清涼里の088、ミアリ。テグならテキサスロードと同じだ。そこに、Zは娼婦と２泊したのである。俺は、そのことを思い出してZに話した。「違うがな。違うがな。それはそれ。もう忘れたがな。わしが言いたいんは、食事やがな。イマちゃんと昼から焼酎を飲んで、新鮮な刺身を舌鼓したところがあったろう？」</p><p>「チャガルチ市場か？」「そうや。それそれ！」</p><p>本来なら、チャガルチ市場の北に店舗こそ多くないが、似た建物がある。日本人は皆無に近く、チャガルチ市場より安価で良心的なスポットがある。チャガルチとは小石の意味で、市場のあたりは大昔、小石だらけの浜だったのだろう。現在は漁船が停泊する岸壁に市場の建物が間際に建つ。１階はイケスばかりの鮮魚店が軒を並べており、タイやヒラメほか各種魚類、あわびなど海の幸を注文。２階にあがり待っていると、刺身にして持ってきてくれる。後、美味のメウンタン（スープ）も頼めるのだ。コチュジャン、ワサビと醤油（カンジャン）で食うのもよしである。ビールや焼酎などのアルコールもどんどん注文できてしまう。案の定、Zは焼酎「眞露」を12本空けて、出来上がってしまったが…釜山タワーのエレベーターをストップさせた。</p><p>「イマちゃんよ。よく聞け！　明石のフェリー乗り場跡に、チャガルチ市場を作る」</p><p>「ええ～～～～～～～～～～～～～～～？？？？？？」「声が大きい。驚くな。フェリーの車両待ちスペースは広く、そのまま観光バスの駐車場に使用できる。フェリー会社の虚構となった建物を利用、さらに拡張するのだ。これなら明石で海の幸を味わおうと、人が集まる」</p><p>俺は、発想自体は興味深く、Zの話に耳を傾けたのである。＝続く＝</p>
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<link>https://ameblo.jp/masahiroimamura/entry-11600935502.html</link>
<pubDate>Tue, 27 Aug 2013 10:52:34 +0900</pubDate>
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<title>オクトパシーの呪い　　その１</title>
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<![CDATA[ <p>電話口で、その声を聞いた時、や、やべ～、非常にマズイのねんのねん、と思い、汗が噴出した。</p><p>「イマちゃん、暑いの～。旧友の声を聞くと元気が出るわい」</p><p>俺は暑い、元気どころか、背筋に冷たいものが走り悪寒を感じるだけでなく、急に体温が上昇して熱中症になりそうだった。そう。声の主はカエルの肉でケンタッキーフライドチキンに対抗しようとしたZである。俺に電話を掛けてくること自体が、嫌な予感をさせるのであった。</p><p>「まあ、いろんなことはあった。（ありすぎや～！）。わしも神戸市教育委員会から表彰も受けたし、（なりゆきや～！）、もっと世の人が喜ぶことを考えなくてはいかん。（そりゃ、もっともだが…）」</p><p>「……（正直、私の脚が震えていた）」</p><p>「これから、わしの考えていることは、神戸どころではない。日本中があっと驚くことや」</p><p>「悪いことは言わん。今、自分の頭のなかのプログラムを精査して、考え直せ」</p><p>「もう後には引けない。それにイマちゃんの力がどうしても貸してほしい…」（つ、つぃにきたああああああああああああああ）「頼まれてくえるやろのう」（いやぁややややややややややや）</p><p>「まあ、おまえとは奇妙という言葉がつくが、友人には間違いない」と俺。</p><p>「おおッ、それでこそイマちゃんや。堅い友情ではないか。この電話も盗聴されている可能性もある。それだけ重要機密な内容のビッグプロジェクトだ」Zの声は弾んでいる。（また、ビッグプロジェクトかいな……）</p><p>「ついては少し遠方になるが、JR明石駅の南側に喫茶店＜R＞がある。そこで明日午後１時でどうだ？」</p><p>「明石？」こいつは、一体何を考えているのだろう。</p><p>俺は了承して電話を切ったが、待ち合わせ場所が明石というのが気になった。</p><p>読者のなかには明石（あかし）を知らない人も多いだろう。神戸市と西接する市だ。山陽新幹線の西明石駅もあるし、本州と淡路島を結ぶ世界一の吊橋「明石海峡大橋」が有名だ。最早、市は神戸、大阪の通勤のベッドタウンとして宅地化され田園風景は減っている。東経135度が、この街の天文化学館に接しており、日本や韓国は、ここの時間を標準としている由緒ある城下町なのだ。なお城は堀、石垣はあるが、天守閣はない。次はグルメである。明石鯛（たい）、明石焼が有名だ。魚の鯛は分かるだろうが、明石焼は大阪名物「たこやき」と異なる。</p><p>普通の「たこやき」は、出来上がると、とんかつソースとかつお粉、青海苔、紅しょうがを乗せて食べると思う。しかし、「明石焼」はそうではない。卵を多く使用している。出来上がった「たこやき」ならぬ、玉子焼はかつおダシの汁に浸して食べるのだ。ソースや青海苔はお好みで塗ったり振りかけてもいい。かなりの美味。B級グランプリを獲得するだけの価値はある。明石は神戸の文化、姫路の播州文化が混在している漁師街と言ってもいい。</p><p>そんな明石で何を企んでいるのか、不気味な夜は過ぎた。</p><br><p>翌日、秋の気配は感じられるが、日射はまだまだ残暑が厳しい。俺は明石駅で降りて、Zが待つ喫茶「R」を目指した。駅前のオルゴール塔が午後１時を知らせるベルがあたりに鳴り響いたのである。（丁度だな…）</p><p>喫茶「R」はすぐに分かった。ドアを開けると、Zが片手をあげて合図を送ってきた。スポーツ紙を読んでいたようである。「あかん。もう阪神２位決定で優勝は巨人やな。クライマックスシリーズに賭けるしかあらへんがな」</p><p>「阪神タイガースは、どうでもいい。勝とうか負けようが、俺の財産に影響を及ぼさないからな」</p><p>「イマちゃんよ。それがいけない。阪神応援の居酒屋は大きな影響が出るぞ。阪神で死活問題だ」</p><p>「わかった。わかった。で、なんで、おまえの神戸市兵庫区鵯越で逢わずに、遠路、明石なんだ？」</p><p>「うむ。性急な奴だな。イマちゃんは明石を観てどう思う？」</p><p>「どう思うって、何年ぶりかに来た。結構、賑わっている街ではないか？」</p><p>「イマちゃん。洞察力が足らないのう。わしは悲しいぞ。街行く人の目を見ろ。皆、死んでいるぞ」</p><p>アイスコーヒーをウェイトレスが持ってきた。ストローの袋を破り、グラスの中に差し込む。喉が渇いていたので、一気に吸い上げた。</p><p>「確かに、明石海峡大橋が出来るまで、明石は播淡航路の基点だった。船に淡路島から乗り込んだ客は、この明石でくつろいだろうし、淡路島に帰る人々は、ここで土産物を買ったかもしれないな」</p><p>「分かっているではないか。それがなくなった今、明石は寂れるばかりだ。飲み屋街の桜町にも先日、足を運んだが、幽霊屋敷みたいなビルも少なくない」</p><p>「明石・たこフェリーこそなくなったが、今も播但汽船は今もあるだろう？」</p><p>「それは淡路島から神戸・明石に通勤通学する岩屋（淡路島の北端）の人のためじゃ。今では神戸から淡路島を通過して鳴門大橋を、さらに越えて徳島に通勤・通学する者もいる」とZは、タバコを吹かす。</p><p>「時代は変わったな」と俺。</p><p>「そこなんや。イマちゃん！！」とZが大声をあげた。店内のカウンター内、客も一斉にZに視線を向けた。恥ずかしい。明石を我々で変えようではないか、と最早、怒号に似た声を張り上げたのだった。</p><p>「どう変えるんだ？難しい問題だぞ。明石の行政も頭を抱えている」</p><p>「発想が役所ではダメだ。俺たちのように絶えず360度、アンテナを伸ばしている人間でないと、解決できない」</p><p>我々という部分に引っかかりを覚えた。Zが360度、アンテナを張っているというが、殆どが折れてはいないか。</p><p>「人間は見たくない部分を見ようとはしない。それがいけない。２つの目ではっきりと確認することが大事だ」</p><p>そういうと、Zは店先に飾っていた大きなタコ壺を借りるよ、と店主にいい、席に持ち込んだ。恐らく飾り物である。</p><p>普通のタコ壺はレンガのような材質で、両掌に乗る位の大きさの壺だ。家にある長い球体の伊万里焼、有田焼などの細い壺をレンガ製にしたものと考えてもらってもいいが、注ぎ口が細いものではない。広い。タコが出入りできる大きな空洞の入り口がタコ壺の特色である。それを海底に沈めておくと、自然にタコが入ってきて捕獲されるのである。この喫茶「R」に置かれていたタコ壺は別注だ。壺の大きさが人間の頭蓋骨くらいの大きさがあった。</p><p>「このタコ壺を見ろ。表は誰もが見て知っている。問題はこの中身なんだ。この中身にヒントが隠れている」</p><p>そういうと、Zが頭からタコ壺を被った。目の前の人間はエビ色をした、のっぺらぼうである。怪談に出てきてもおかしくはない。「あれ、真っ暗で何も見えへんがな」「当たり前や。はよ、首からタコ壺をはずせ」</p><p>「ああッ……あれッ？、、いたたたた耳が痛い。喉もタコ壺と同じ大きさや……あれ、…あれあれあれ？」</p><p>「どないしたんや？」</p><p>「タコ壺が頭から抜けんがな…」</p><p>「いたたたたた。これ呼吸が苦しくなってきたがな…」「えらいこっちゃ！マスター！ちょっと手を貸してくれ！」</p><p>喫茶店のマスターは、こちらを振り向くと、わ～おと大きな声を出した。他の客は「ちょっと、あれ見て」と爆笑。心配してる者もいる。俺とマスターは、懸命に壺を持ち上げてZの頭部を出そうとするが抜けない。</p><p>「いててててて。首がおかしいがな」を繰り返す。マスターが固形石鹸を取ってくる、と奥に走って行った。</p><p>喫茶店内は漫才の演芸場みたいに笑い声が絶えない。</p><p>「おおッ、蜘蛛がおった。頭の上に乗っている」「我慢しろ。石鹸をおまえの首に塗って滑るように壺を取るから…」</p><p>完全に５等身である。「あかん。息が苦しいがな。前の舗道で頭を打ちつけて壺を割るわ…」</p><p>Zが立ち上がった。壺の重さで首が時計の振り子のようになっている。</p><p>と、思いきや、い、いかんと俺の言葉が聞こえなかったのか、喫茶店の表に首をぶらんぶらんと、させながら飛び出してしまったのである。「きや～～～～～～～～～～」「ぎゃ～～～～～～」「おえ～～～～～～～」「なな、なんじゃ？」「でた～～～～～～～。おばけ～～～～～」俺も表に出ると、周囲は騒然としていた。そりゃそうだろう。多くの若い子は写メを撮る。首が重いため泥酔状態のヨタヨタ歩きで、自分の立っている場所さえ分かっていない。俺は車道に出ないようにするため、Zの体を抱えるように抱きつこうとするが、首から上の壺、体の５分の１の重みに委ねているため、捕まえるのに苦慮。「なあなあ、これギャグ？　おもろいやん（面白いじゃん）」</p><p>写メの一斉攻撃だ。もうYOU　TUBUに流れるのは仕方ない。老婆が舗道に正座してZを拝んでいた。</p><p>「わたしも、とうとうお迎えがきました。ナンマイダブツ、ナンマイダブツ…」</p><p>俺と喫茶店のマスターがZを追いかける。騒ぎは広がるばかりであった。（続く）</p>
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<link>https://ameblo.jp/masahiroimamura/entry-11600152215.html</link>
<pubDate>Mon, 26 Aug 2013 01:54:03 +0900</pubDate>
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<title>松島の仁義なき戦い</title>
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<![CDATA[ <p>イマちゃんが松島に行った時の実話だ。松島といっても、厳島神社、天橋立と並ぶ日本三景の宮城県・松島ではない。韓国・釜山の松島（ソンド）である。</p><p>韓国の松島は、釜山の中心地から西南約３㌔の距離だが、30万㌔㍍の砂浜が広がり、夏は海水浴客、釣り客で賑わう風光明媚な場所だ。観光客や釜山市民の憩いの場となっている。</p><p>真夏日、イマちゃんは通り過ぎる人々は、ラフな格好で、さぁ、今から海に行くぞ、という服装、サングラスなのに、上下背広、ネクタイを締めて鞄を持っていた。仕事である。本音は、したたり落ちる汗を拭いながら、海に飛び込みたい気分だった。</p><p>＜けっ！＞と、目的の会社に1人とことこと向かっていたのだ。が、初めて行く会社なので地図がよく、分からない。人に尋ねても「あっちの方よ」「そこの道を行くといいわ」という具合に不明瞭な説明を受ける。</p><p>＜ほんまに、こんなとこに会社があるんか＞と、思った具合だ。しかし、アポは入れている。</p><p>そうしているうちに民家街に入った。これが、まさか仁義なき戦いになるとは夢にも思わなかったのだ。</p><p>静かな通り。道はアスファルトを敷いている訳でなく、堅い土の道を歩く。目的の三幸ビルディングは、このあたりになるのだが…人通りはない。桟敷に韓服を着たハラボジ（お爺さん）が２人、ポプラの木漏れ日の下で韓国将棋を打っている。のどかな光景だ。が、それに浸っている暇はない。ハラボジ２人に三幸ビルの場所を「オデムニカ？（どこですか）」と尋ねたのだった。（なお、ここからはリアリティを出すために、播州姫路弁でお届けする）</p><p>１人のハラボジが「あ～、このビルかいや。この坂道を右に曲がったらええわ」すると、もう１人のハラボジが「ちゃうちゃう（違う、違う）左やがな」と１歩も譲らない。しばらくウェンチョ（左）、オルンチョ（右）の応戦だ。（どっち？）仕舞いに「おい、おどれ（おまえ）、前々からわしにたてついてた（文句を言っていた）のう」</p><p>「しばきあげーぞ（ビンタ食らわすぞ）。おんどれ、国民学校（小学校）時代から、えーかっこさらしよって（カッコつけあがって）！」「あどれみたいなカスはいてもたろかい（おまえみたいなカスはやっつけてやろうかい）！」「何、ぬかしとんじゃい（言ってるんや）！」「おどれ、ぶち殺すぞ（おまえ、殺すぞ）！」「じゃ～か～しゃい（やかましい）！」２人とも真顔だ。将棋をしていた頃の穏やかな顔は、そこにはなかった。将棋板がポ～ンと飛び、桟敷がドタッとヒックリ返る。２人とも80歳くらいだから、摑みあいの喧嘩の動作も鈍い。</p><p>「あの～、三幸ビルは……？」と俺。「じゃっかしゃい（やかましい）！」と２人の老人。韓服がはだけて、ついに２人は土の路上で、転がるように派手な喧嘩をやり始めたのだ。俺が止めても２人は辞めない。</p><p>ともに80歳くらいだ。粗骨症である。打ち所が悪かったら、骨折になるのだ。（えらいことになってもた…）</p><p>「おどれ（おまえ）のイカサマ将棋に付き合っていたんや」「おんどれ（おまえ）が下手糞なんやろい」</p><p>韓服が土埃で２人とも、真っ黒だ。俺は、必死で制止しようとしたが聞かない。真夏の暑さがそうさせたのか。その時である。食料品店の中からアジュマ（おばさん）が出てきた。（た、助かった）、と思いきや、老人たちに生タマゴを投げ始めたのである。２人の老人の服は土埃とタマゴで、もうグジャグジャである。</p><p>「お義父さんら。え～加減にせなあかんで（いい加減にしないかんよ）！）すると、食品店の向かいの家のドアが、バタンと開いた。「うちの義父さんに、なに、さらすんじゃい！（なんてことするの）」「じゃっかしゃい（やかましい）」と、２人のアジュマ（おばさん）同士が別に摑み合いの喧嘩を始めたのだ。体裁など構っていない。あとから出てきたアジュマ（おばさん）は、頭から顔面はタマゴの黄美と白身のパック。生臭い匂いが漂った。その時である。向かいのアジュマ（おばさん）の息子アジョシ（おっさん）、食料品店の息子のアジョシ（同）が、それぞれ飛び出してきた。これでうまく収まるか、と思いきや、とんでもない。</p><p>食料品店のアジョシ（おっさん）は、店の前に積んでいたジュースの空瓶をガ～ンと割り、凶器に変えたのであった。すると、向かいの息子は家に戻るや、カルチ（出刃包丁）を持って出てきたのである。</p><p>「われ、いてもたろか！（おまえ、やっつけたろうか）」「ぶち殺したろけ！（殺したろうか）」</p><p>アジュマ（おばさん）の投げたタマゴは、ダルビッシュみたいにコントロールがよくない。別の家の窓ガラスに当たって割れる。その家も黙ってはいない。別のアジュマ（おばさん）が棒を持って登場した。</p><p>「なに、さらすんどえ（何、するの？）「へっこんどれ、ボケ（ひっこんで、馬鹿）」「何、ぬかしけつかるんや（何、言ってるの）」「前々からどたま（頭）にきとったやないけ！（前々から、頭にきていた）もう、俺はどうしようもなかった。土埃のなかに３組、さらに４組ととっくみあいの喧嘩が始まったのである。俺は喉がカラカラで食料品店のアジョシ（おじさん）に韓国語で「オレンジジュース、チュセヨ（下さい）」と言ったが、「勝手に飲んでくされい！（勝手に飲んでおけ）」という始末。</p><p>その通りにした。まさしく大乱闘は仁義なき戦いである。怒号があたりに響く。見物の黒山の人だかりもできる。それから５分後、パ～フ、パ～フ、パ～フ、パ～フ（韓国のパトカーのサイレン）と警官が到着したのだ。喧嘩をしていた全員が背後から警官が押さえ込むが、まだ「おんどりゃ（おまえ）！」「この、あほんだら！（この馬鹿が）」と口喧嘩で応戦する。ハラボジ（おじいさん）も威勢がいい。アジュマ（おばさん）、アジョシ（おじさん）も同様だ。アジョシ（同）の２人とも頬が切れて、赤いものが流れ出ていた。</p><p>警官の事情徴収が始まる。俺はジュース片手にパスポートを見せて「日本人だ。三幸ビルの行き先を聞いたら喧嘩になった」と説明。「ノー、チョァ（おまえはいい）と私は言われて、結局、三幸ビルまでパトカーで送ってもらったのだった。アポの時間にギリギリ到着。商談を始めたのである。</p><p>商談の雑談で、このことを、何がなんだか分からない、と話すと、訪問先の代表理事（社長）は、</p><p>「韓国人の悪いところでもあり、いいところでもあるのですよ」と苦笑。理解に苦しんだが「せっかく、日本から来たので焼肉とビールといきましょう」と接待を受けて、このことはひとまず、考えないことにしたのだった。</p><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/masahiroimamura/entry-11598671607.html</link>
<pubDate>Sat, 24 Aug 2013 03:58:37 +0900</pubDate>
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<title>翔の空席（短編小説）</title>
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<![CDATA[ <p>　真夏日の結婚式は、これだから辛い。披露宴会場の空調は効いているのだろうか。私は頬に伝わる汗をハンカチで拭うと、白いネクタイを軽く緩めて溜息をついた。</p><p>「新郎、新婦はウェディングケーキの前まで、お進みください」と、司会者の高揚した声が響く。私は新郎である長男の啓と花嫁を拍手で送る。スポットライトのなかの２人を一瞥すると、私が座る席から円卓を直線で結ぶ正面を見つめた。そこには人影がない椅子席があり、テーブルの上のナプキンが三角に織り上げたままだ。そこに運ばれてくる料理は、横に座る次男の康が懸命に平らげている。大学のラグビー部だから食いっぷりがいい。本来は父親として、新郎の啓の生い立ちをじっくりと回想するべきなのだろう。だが、私は空席に座るはずだった三男の翔の記憶が液状化現象のように、ゆっくりと表面化するように蘇った。</p><p>＜翔…＞あれは、あいつが６歳の時である。もう12年も前のことだ。</p><br><p>　深い夜に差し掛かる頃だった。東京の出張から神戸の学園都市の自宅に帰ってくると、妻の裕子が「翔が風邪をひいたみたいなの」と、不安気に背広の上着を受け取った。もう３日間も高熱が続いているという。頭痛も訴えているとのことだった。</p><p>「医者に行ったのか？」</p><p>「ええ。でも一時的に回復しても、すぐに39度まで熱があがるの」</p><p>私は襖（ふすま）を開けて翔の様子を確認した。寝顔は紅潮して、吐息が荒く、魘（うな）されているようだった。</p><p>「良くないな。明日一番に、紹介状を書いてもらって大きな病院で診てもらった方がいいだろう。行きつけの玉田先生に、俺から連絡を入れておくから」</p><p>翌日、大阪本社で出張報告書を仕上げたあと、営業戦略会議に入った昼下がりだった。携帯電話が鳴り、裕子から翔が急遽（きゅうきょ）、医大病院で検査入院すると話す。明らかに狼狽している様子が窺えた。私も嫌な予感を頭のなかで、何度も打ち消す努力をするが「とにかく帰りに寄る」とだけ言い残したと思う。</p><p>　あたりが暗くなった頃、医大病院に寄ると解熱剤が効いてか、翔が「パパ、お帰りなさい」と満面の笑みを浮かべて、私をベッドの上で出迎える。ひとまず安堵感を覚えた。</p><p>「ただいま。ちゃんと御利口にしてたか？　入院は嫌だろうが直ぐに退院できるからな」と、翔の頭を撫でた。しかし、青天の霹靂（へきれき）というべきか。悪魔は突然に現れるものだ。</p><p>数日後に検査結果が出た。</p><p>「急性リンパ性白血病？　そ、それ、どういうことですか？」</p><p>「はっきり申し上げて小児癌です。翔君は、リンパ球の幼弱な細胞が癌に犯されて急増する病気なのです」</p><p>「し、小児癌…」私は拳を震わせて涙が溢れる。現実を受け入れたくなかった。主治医の話だと、小児癌はリンパ筋や静脈を伝わって広がり、転移も早いとのことだった。それから私は、小児癌について独学で関連書籍を読み漁（あさ）ったのである。ノーベル化学賞と平和賞を受賞したライナス・ボーリング博士が200人の末期患者に点滴とサプリメントでビタミンCを投与すると４・２倍から６倍に延命の効果があると米国で発表して、注目を浴びているとの記述があった。だが、そんなことは私にとって何の気休めにもならなかったのも事実でしかない。病院での翔は「幼稚園に行きたいな」「お外で遊びたいな」と、鸚鵡（おうむ）返しのように呟き、退屈そうだった。</p><p>食欲もなく点滴で栄養を摂取して、徐々に痩せ衰えていくのが分かる。骨格に痛みがあるようだったが、平熱が続いたため外泊許可が出た。その時のあいつは思わず「やったー」と、ベッドの上で飛び跳ねたものだ。本当に嬉しかったのだろう。あれは幼稚園の夏休み期間中だった。翔が家に戻ると、暗鬱な空気は払拭されて、元の明るい生活に回帰したみたいであった。</p><p>「康、翔、蝉取りに行こう」と言い出したのは長男の啓である。眩しい朝の日差しが伸びていた。裕子は不安で咎（とが）めたが、私が随行することで許可した、というのも、あいつは時折、貧血を起こす症状があったからだ。阪神タイガースの野球帽を被り、黄色いTシャツに赤い半ズボン姿は重病の欠片（かけら）すら感じなかった。虫網と虫篭を持つ姿に３人の息子がはしゃぐ。私の心も躍った。しかし、我が家のマンションの外に出ると、急に翔が俯（うつむ）き加減で足を止めたのである。</p><p>「どうしたんだ？」</p><p>「やっぱり僕、行かない。また僕が倒れたら、パパやママ、お兄ちゃんたちに心配かけちゃうし…」と、半分べそをかきながら、蚊がなくような声で呟いたのだった。</p><p>「パパと一緒だから」と何度言っても、頑なに首を横に振った。そして待ち草臥（くた）びれる啓と康に顔をあげると、屈託のない笑顔を浮かべながら、「お兄ちゃんたち、行ってらっしゃい！」と、大きく手を振って見送ったのである。私は翔の一条の涙を見逃さなかった。</p><p>「よし。翔のために一杯の蝉を獲ってきてやるからな」と、啓は康の背を押して林がある方向に駆けて行く。それをじっと見つめるあいつは、行きたかったのが本音だろう。私は、いじらしい小さな体を思いっきり抱きしめて嗚咽を洩らした。啓と康が賑やかな虫篭を持ち帰ってきたのは、昼過ぎだった。</p><p>「いいか翔、これがクマゼミだ。この茶色の羽はアブラゼミ。この小さいのがニイニイゼミなんだ」</p><p>　バルコニーで兄たちが蝉を弟の小さな掌に乗せてやる。最初、蝉の動きに翔は目を丸くしていたが、次第に慣れていくのを、私は部屋の中から、口元を緩ませて見つめていた、と同時に、この家族全員でいつまでも、平穏な生活が続いてほしいと願った。</p><p>「啓兄ちゃん、康兄ちゃん。セミさんはずーと虫さんで土のなかにいて、やっとセミさんになるって、パパが言ってたよ」</p><p>　私は家に戻ってきた時、そのことを翔に教えたことを思い出した。</p><p>「セミさん、このままだと可哀想だよ。セミさんのパパとママの処に、帰してあげようよ」と、あいつは悲しい表情を浮かべた。</p><p>「うん。そうだよな」</p><p>「仕方ないな。全部、逃がしてやるか」と、２人の兄も同調したのである。</p><p>　鳴きながら飛び立っていく蝉に、あいつは細くて小さな手を振りながら「セミさん、バイバイ」と、何度も喉から声を出して言い続けたのだった。だが、翔の楽しい日は、これが最後だと誰が予想しただろうか。翌朝早く、高熱を出して喀血（かっけつ）を起こしたのだ。</p><p>　私は会社を休んで救急車に同乗した。翔は医大病院のICU（集中治療室）に運ばれたのである。主治医の説明は、「お父さん、お母さん。気を強く持って聞いてください」と前置きした。「癌細胞が胃と肺に転移しています。手術をしますが体力的な問題、癌の進行に予断を許さない状況だと覚悟してください。また抗癌剤や放射線療法も現代医学では絶対的ではありません。翔君は副作用で相当苦しむでしょう。今、言えることは家族の愛情で接してあげてください」</p><p>　裕子は私の胸で号泣した。私も翔の苦境を考えると、涙を抑えるのに必死だった。</p><p>＜神は何て酷いことをするのか…＞</p><p>　宗教の信仰さえ希薄と痛感した。</p><p>　死を待つ実子を看取るのは、どれほどの精神力が要求されるのか。私も人間だ。何ゆえ罰を与えるのか。私と本来、生い先の長い筈の翔の生命を取り替えてもいい。そして苦しんだ矢先、あいつの容態が急変したのは、秋の気配が感じる晩夏のことだった。</p><p>　私と裕子、啓、康、福岡から飛んで来た義父と義母もベッドを囲んだのである。頭髪と眉が消えた容姿で朦朧（もうろう）状態だった。</p><p>「大丈夫だ。パパやママ、お兄ちゃんたち、それにお爺ちゃん、お婆ちゃんも付いているぞ」と、私は耳元で励ました。</p><p>「僕、死んじゃうんだよね…。パパ…、優しくしてくれてありがとう。ママ……僕がまた産まれても…僕のママでいてね。啓兄ちゃん……康兄ちゃん…一杯、一杯…遊んでくれて…ありがとうね」</p><p>　これが、あいつの最後のセリフだった。それからは昏睡状態に陥り、やがて心肺停止となったのである。その間の私の記憶は定かでない。翔は、余りにも短すぎる人生を終えたのだ。</p><p>　私たち家族の心情を察するかのように、今にも泣き出しそうな空だった。翔の葬儀は身内だけで済ませたのである。幼稚園にも殆ど行けなくて、仲のいいお友達が１人もいなかったからだ。</p><p>　軽くて小さな棺だった。残された家族は、涙が枯れるほど泣いた。私は、翔が好物だったメロンパンと玩具の車を棺のなかに忍ばせたことは覚えている。</p><p>＜末っ子のおまえは、本当に優しい子だった。家族のなかで誰よりも愛され続けた。もっともっと長生きするべきだったのに…＞</p><br><p>　気がつくと新郎新婦のキャンドルサービスが回ってきた。卓上の蝋燭（ろうそく）に点火する。啓が空席の処に来ると、「ちょっと待って」と新婦を制した。そしてナプキンの横に置かれたコップにジュースを注いだ。</p><p>「翔。有難うな」と、啓が独り言のように呟く。そして、「おまえは食ってばかりいないで、翔のコップにジュースくらい入れとけよ。このバーカが」と、康の頭をこずいた。不意の行動を受けて、康はローストビーフを喉に詰まらせたらしく、咽（むせ）びながら、うん、うんと２度頷いた。</p><p>　私は思わず苦笑して下を向いた。そして、ふと顔をあげた時、空席だったはずの椅子に阪神タイガースの帽子と黄色いTシャツ、赤いズボン姿の６歳のままの翔が「啓兄ちゃん、おめでとう」と、紅葉みたいな掌と掌を懸命に叩いている幻覚を見たのであった。</p><br><p>　式典が無事に終わり、出席者を送り出して披露宴会場を後にした。フロアに大きな液晶テレビがあり、両親による児童虐待のニュースが流れている。居た堪れない気持ちと怒りが交錯した。</p><p>＜家族て何だろう？　家族って何だ＞</p><p>　私は頭のなかで反芻（はんすう）しながら、その場を離れた。</p><p>＜家庭で欠けて良い家族など絶対にいない。どんな子供でも祝福を受けて、この世に誕生するものだ。この世に必要とされたからだろう。親という漢字は、木の上に立って子供を見守るという作りだ。そして子供は絶えず、親の背中を見つめる。そして巣立っていくのだ。どうして、自分の子供を虐待できるのか。動物や鳥類でさえ、本能で子に愛情を注ぐ。人間のエゴイズム以外、何ものでもない。今日、息子の啓が新たな家庭を築く。私は安心して奴を送り出すことができたと思っている。時代は変われど、家族だけは愛してほしい＞</p><p>　硝子壁に強い陽射が忍び込む。その時だった。阪神タイガースの帽子に黄色いTシャツ、赤いズボンの幼子が庭園の石段で、じっとこちらを見つめている。「おい、翔！」と、私は大声を出して、人を押しのけながら外まで慌てて走った。</p><p>　まもなく新郎新婦は２次会へと移動する。改めて友人たちの祝福を受けるだろう。親として見送るべきだが、そんなことは脳裏になかった。必死に石段を駆け下りる。確かに翔の精霊だ。だが追えども逃げていく。</p><p>　翔の精霊は、満面の笑みを浮かべて陽炎に揺らぎ、眩しい夏の光射のなかへと静かに消えていった。</p><p>　私は呆然と立ち尽くすだけだった。背後に裕子が立っていた。</p><p>「わたし、ここに翔が来ているような気がするの。大好きな啓兄ちゃんの第二の人生の船出だものね。だって、あの子の母親だもの。分かるわ」</p><p>　右手の緑の葉が生い茂った桜並木が賑やかだ。</p><p>＜……蝉か＞</p><p>　私は蝉時雨を聞きながら、そうだな、と頷くと、啓の処に戻ろう、と言って裕子と一緒にゆっくりとした歩調で石段を登り始めた。　　　　（了）＝原文のまま＝</p><br><br><p>※この小説は、原稿用紙12枚で書いてくれと言われて、締め切りまで３日と、イマちゃんが慌しく書いた。</p><p>　文芸誌に載ったが、直木賞の重鎮の先生、ドクターや多くの人からアドバイス、お叱りを受けたのも事実。自分でも、しまった、という部分も多々あります。まあ、暇つぶしで…。</p><p>　　　</p>
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<link>https://ameblo.jp/masahiroimamura/entry-11597326047.html</link>
<pubDate>Thu, 22 Aug 2013 00:09:38 +0900</pubDate>
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