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<title>マサラの日記の恥は書き捨て</title>
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<description>日々の出来事をつれづれなるままに綴っていきます</description>
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<title>携帯なしでは生きられない</title>
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<![CDATA[ <p>今日、とある洋食屋で遅い昼ご飯を食べていたときのこと、奥の４人掛けのテーブルに座っていた６０才くらいのひとり暮らしの匂いのする女性がずっとずっと携帯で誰かと話をしていた。</p><br><p>その女性はたぶんご飯を食べている間もそして食べ終わってからもずっと携帯を離さず、誰かとしゃべり続けているんだろう。</p><br><p>その話はどうやらしょうもない世間話のようだったが、相手が言葉をはさむ暇もないくらい一方的で、もしかしてほんとは<strong>電話の向こうには誰もいない</strong>んじゃないかと妙な想像をしてしまう。</p><br><p>最近たまにこういう人を見かけるが、ほんとに<strong><font size="4">世界一寂しそう</font></strong>に見える。</p><br><p>歩きながら喋っている人もよくいるが、そういう人を見るたびにたぶん友達がひとりもいないんだろうなあ、と思ったりする。</p><br><p>携帯といういつでもどこでも誰かとダイレクトに会話できるツールを持ったことで、携帯のなかった時代よりもっと<strong>孤独感</strong>を味わうことになる、とは誰が思っただろう。</p><br><p>電話をかけたり、メールをしたりする相手が大勢いることがイコール友達が大勢いることにならないと私はよく思う。</p><br><p>ほんとの友達はたまにしか電話やメールをしなくてもちゃんとどこかで繋がっている人のことじゃないかと思う。</p><br><p>それに孤独をちゃんと引き受ける覚悟をしている人というのは携帯の番号やアドレスの数がその人間を計るものさしじゃないと知っている気がする。</p><br><p>そんなことをぼんやり考えていたら、しゃべり続けていたその女性はやっと話が終わったのか、「じゃあ、またな。今度会おうな。」と言って電話を切った。</p><br><p>それを聞いた私は、やれやれ、隣に座っている若い女の子もよく我慢しているもんだと苦笑いをする。</p><br><p>そして、次の瞬間、絶対あのおばさんまた誰かに電話するぞ、とひとり確信に近い思いで食後の珈琲をすする。</p><br><p>しかし、私の想像に反してしばし店内は静寂に包まれる。</p><br><p>なんだ、さすがに今日はもうやめたのかな、と思った瞬間、奥のほうでまた「もしもし・・」という声が・・</p><br><p>やっぱり・・</p><br><p>そのとき、私の頭には<strong>電話をしていないと死んでしまうおばさん</strong>、という言葉がふとよぎった。</p><br><p>しかし、彼女は相変わらず喋り続けている。</p><br><p>空には一片の雲もない初夏の昼下がり・・</p><br><p>それでもやっぱり暗雲はそこかしこについて回る。</p><br><p>見ただけではわからない底知れぬ暗雲が・・</p><br><br><p>ついにおばさんの隣の女の子が席を立った。</p><br><p><strong><font size="4">そうそうあなたはまだ太陽を怖がってはいけない。</font></strong></p>
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<pubDate>Sat, 06 Jun 2009 22:34:43 +0900</pubDate>
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<title>最悪の誕生日は亭主の愛のなさから始まった</title>
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<![CDATA[ <p>夕べから<strong><font size="4">プチ家出</font></strong>をしていて（おばさんの家出はプチなんて可愛いもんでもないが）、今朝、亭主が会社に出勤したあとを狙って、こっそり家に戻ってきた。</p><br><p>実は昨日は私の誕生日だったのだ。</p><br><p>それなのに、なんで家出なんかしないといけないのかというと、それは亭主がたったひとこと「<strong><font size="4">誕生日おめでとう</font></strong>」と言ってくれかなかったせいだ。</p><br><p>事件は昨日の朝、始まった。</p><br><p>朝、起きぬけにすぐ彼は私に誕生日のお祝いを言うべきだった。</p><br><p>それなのに、知らん顔をして歯なんか磨いている。</p><br><p>私はそりゃないだろうと思って、なにげに「あ～あ、今日に限って天気悪いなあ～」といかにも残念そうに呟く。</p><br><p>でも・・ここでもまだ彼は何も言わずに会社のユニフォームを着始めた。</p><br><p>いったいどうなってんだ、と憤慨した私は、</p><br><p>「<font size="4"><strong>誕生日なのにこんな天気じゃあ嫌になるよなあ</strong></font><font size="2">」と今度は大きな声で言ってため息をついた。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">それを聞いた彼は、たった今、気づいたというふうに「あ～そうだったなあ、おめでとうございます」とおどけて言う。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">あきれた・・</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">ここまで言わないと言ってくれないなんて・・・</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">なにごとにも用意周到な娘は昨日のうちにすでに電話でおめでとうと言ってくれたというのに・・</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">それをそばで聞いていたはずの亭主が誕生日当日になってもおめでとうのひとことも言ってくれないとはいったいなにごとなんだ。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">思い返せば、たしか去年の誕生日もおめでとうと言ってくれなかったから、おんなじようにプチ家出したような気がする。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">亭主は誕生日とか全然祝ってもらったことのないような家庭に育ったから、ほんとにそういうことに淡白というか、わかっていてもちゃんと言葉にできないところがある。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">それはわかっているものの、毎年誕生日が来るたびにがっくりさせられるのもほんとに嫌になる。</font></p><br><p>そんな人のためにご飯を作るのももう嫌になって、昨日は夕食の支度もせずに車で４０分くらいのところに住んでいる娘のところへとっとと向った。</p><br><p>それで、娘と一緒にささやかながらレストランで食事をした。</p><br><p>こんな時、娘がいてほんとによかったと思う。</p><br><p>私は結婚する前からずっと実家に住んでいるので、なにかあっても帰る場所がないんである。</p><br><p>実際、彼のほうが実家に帰ればいいのに全然帰らないから、私がいつも出て行くことになる。</p><br><p>まことに理不尽なことだ。</p><br><p>周りから見たら、そんな些細なことでと思われるかもしれないが、<font size="4"><strong>２６年</strong></font><font size="2">も（我慢して）</font>連れ添ってきたパートナーに誕生日のお祝いの言葉も言ってもらえない、というのは私にとっては重大な問題なのだ。</p><br><p>来年も再来年もずっと続くこのストレス・・・</p><br><p>しかし・・名もなく貧しく美しくないおばさんは亭主と別れて自立する術もない。</p><br><p>離婚が先かお金を溜めるのが先か、５２歳になった私は今日の天気と同じように不安定な心持のままひとりぼんやりと午後を過ごす。</p><br><p>誕生日なんか・・・もういらない・・</p><br>
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<link>https://ameblo.jp/masara-matis/entry-10274603779.html</link>
<pubDate>Fri, 05 Jun 2009 14:36:27 +0900</pubDate>
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<title>どうせ江戸っ子お金はありません</title>
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<![CDATA[ <p>今日、ネットニュースを見ていたら、<font size="4"><strong>国民の４４％</strong></font><font size="2">が給料が減ったと言っている、というのがあった。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">そうだろう、うちの亭主の給料も今年に入って突然</font><font size="4"><strong>１０万</strong></font><font size="2">も少なくなった。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">なにしろ残業がゼロになったのが一番大きい。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">そういうわけで、いまではもう就職して<strong><font size="4">４年目</font></strong>の娘の給料と変わらないくらいになってしまった。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">まあ、うちは家のローンがないからいいほうだ、と思っていたのも束の間、転勤のためにとわざわざ買った車は結局無駄になったので、給料が減った上に余分なお金を毎月払うことになってしまった。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">それにしても、問題はこれまでの浪費三昧の生活を改善することもなく、相変わらず休みともなると夫婦ふたりで遊びまくっていることで、このままいくと、<font color="#000000"><br></font><font color="#ff0000" size="4"><strong>キリギリスで凍死</strong></font>は必至である。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">何しろ、自慢じゃないが（ほんとに自慢にならない）、結婚して２６年。貯金は一銭もない。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">結婚してからこれまで貯金したのは２度だけ。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">一度目は妹の結婚式の時。一年間で１００万溜めた。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">二度目は娘がなにを間違ったか大学に行くと言い出したときで、そのときも一円の貯金もなかった私は慌てて入学金だけ溜めた（入学してからは自転車操業でなんとか授業料を払った）。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">娘が大学を卒業した後はお金を溜める目的がなくなってしまったので、また一文無しに戻った。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">私はあと２日で５２歳になるが、この年で貯金が一銭もない人間というのもなかなか珍しいと思われる。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">ちょっと前に、知り合いに</font><font size="4"><strong>江戸っ子だねえ、</strong></font><font size="2">と本気で言われたこともある（宵越しの金は持たねえ、ということか）。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">こんな性格だから、もうずっと前から野垂れ死にする覚悟はできているが、働くだけ働いていいことなしの亭主は哀れなもんである。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">まあ、これも私のような女と結婚したのが運のつき、と諦めてもらうよりしょうがない。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">５２歳・・貯金なし、うちなし。ババアつき。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">こんなマサラの明日はどっちだ！！</font></p>
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<pubDate>Tue, 02 Jun 2009 20:23:08 +0900</pubDate>
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<title>非日常に私を繋ぎとめる「１Q84」</title>
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<![CDATA[ <p>今日ちょっと友人とも話したのだが、最近、私の中では非日常の世界のほうがどうも<font size="4"><strong>まっとう</strong></font>思えることが多くなっている。</p><br><p>私にとって非日常というのは本を読んでいるときだったり、映画や絵を見ているときだったり、旅をしている時だったりする。</p><br><p>不思議とそういう世界に身を置いているときの私のほうが日常の中にいる私よりなんというか、<strong>正しい</strong>気がしてくるんである。</p><br><p>私は日頃から仕事のストレスはとにかく最小限に抑えたいと思ってるのだが、それでも気がつけばわけのわからないストレスはついてまわるし、長年ひとつのことをやっていると、確かに<strong>要領</strong>はよくなるが、その中でどこか大事</p><p>なものが削られていく感は拭えない。</p><br><p>なぜかというと、その要領がよくなる、という中にはどこか小賢しくてふてぶてしい、実際タフだが、</p><br><p><strong><font size="4">人間としてどうよ</font></strong>、という自分が含まれているからだ。</p><br><p>その人間としてどうよ、というどこか自己嫌悪みたいなものが、映画や小説の世界にいるときの自分にはない。</p><br><p>映画を見て何を感じようとどんな考え方を持とうと、私の心はどこまでも自由だ。</p><br><p>その世界のなかにいる時の私は私以外の何者でもない気がする。</p><br><p>日常の中ではそういう無防備な精神状態でいることは少ない。</p><br><p>なにしろ生活とか仕事の中には私という人間にも一応、役割が求められている。</p><br><p>役割を外した世界に浸る時、私はやっと私に戻り、心の平安を得ることができる。</p><br><p>私はたぶん、そういう日常と非日常を行ったりきたりしているうちに、精神的なバランスを取っているんだろう。</p><br><p>それにしても、最近読み始めた村上春樹の「<strong><font size="4">１Q84</font></strong>」はしばしば非日常の世界のほうに私を繋ぎとめてしまう。</p><br><p>というわけで、今日も、私はその本を読みながら、エロいおばさんになって主人公の<strong>青豆</strong>と同じようにホテルのバーで今宵の獲物となる男を待っているんである。</p>
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<link>https://ameblo.jp/masara-matis/entry-10272212701.html</link>
<pubDate>Mon, 01 Jun 2009 19:12:30 +0900</pubDate>
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<title>まるで自分のことのよう「百万円と苦虫女」</title>
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<![CDATA[ <p>この映画の鈴子（<strong>蒼井優</strong>）はどこか自分に似ている。</p><br><p>普段は一匹狼みたいな感じで流されるままに人生やっているようで、気がついたら、いつの間にか思いもよらない人間と関わっていて、面倒なことに巻き込まれていたり、わけのわからないことに気を揉むことになっている。</p><br><p>この映画の主人公の鈴子もとにかく平穏に暮らしたい一心で他人に言いたいことも言わず、なんでも受け入れていたら、ひどい裏切りにあって、ついには刑務所に入ることになる。</p><br><p>出所した彼女は、家にも居辛くなり、ひとりアルバイトをしながら各地を転々とし、根無し草のような暮らしをすることに・・。</p><br><p>それも、<strong>１００万</strong>溜まったらその土地を出て行く、というやり方だ。</p><p><br></p><p>しかし、どこに行っても人間とのかかわりはついて回る。</p><br><p>なにしろ、彼女は可愛いし、余分なことを喋らないから、男たちが放っておかない。</p><br><p>手先が器用な彼女はどこに行っても重宝がられ、周りの人たちに一目置かれるようになる。</p><br><br><p>それでも、彼女の探し求める場所はどこにもない。</p><p><br></p><p>自分らしさってなんだろう。仕事って何なんだろう。勇気って何だろう。真面目でいい人ほど生きにくい今の世の中って・・</p><p>そんなことを考えさせられたいい映画だった。</p><p><br></p><p>この映画では蒼井優の飄々とした演技が一番の魅力になっている。</p><br><p>以前から思っていたが、その存在自体がそのまま絵になる稀有な女優だ。</p><br><p>彼女の性格の不器用さにも好感を持った。</p><br><p>こんな生きにくい世の中でもやっぱり人は誰かを信じなければ生きていけない。</p><br><br><p>ラスト、中島（<strong>森山未來</strong>）クンとのまさに「<strong>未来</strong>」に期待したくなった（ちょっとほろっときた）。</p><p><strong>☆３つ半。</strong></p><br><br><br><p>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　<a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20090528/23/masara-matis/75/00/j/o0300020110187969119.jpg"><img height="147" alt="マサラの日記の恥は書き捨て-hyakuman" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20090528/23/masara-matis/75/00/j/t02200147_0300020110187969119.jpg" width="220" border="0"></a><br></p>
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<pubDate>Thu, 28 May 2009 23:45:01 +0900</pubDate>
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<title>スクリーンで見た「シェルブールの雨傘」に号泣</title>
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<![CDATA[ <p>空から地上を目がけて降りしきる雨・・</p><br><p>その雨を受けながら交差する色鮮やかな<strong>傘</strong>の数々・・</p><br><p>あるときは対角線を描くように・・あるときは横一列に並んでまっすぐに・・</p><br><p>通りには数え切れないほどの傘が行き交うが、二度と同じ傘にめぐり合うことはない。</p><br><p>それは人生と同じ。一度手放した大事なものは雨に打たれてもう二度と戻らない。</p><br><p>映画の冒頭、あのあまりにも有名な傘のシーンで<strong>ミシェル・ルグラン</strong>の哀愁をおびたテーマが流れたとたん、はや涙が溢れて止まらない。</p><br><p>今日、初めてスクリーンで見る「<strong>シェルブールの雨傘</strong>」はもう言葉にならないくらい美しい映画だった。</p><br><p>パステルカラーで彩られた傘屋の店内、フランス人形のように愛らしい<strong>カトリーヌ・ドヌーブ</strong>、計算されつくした画面構成とまったく無駄のないカットにもうため息が出るばかりである。</p><br><p>どのシーンも一片の絵画のように美しく、それが主人公たちの悲しみをいっそう引き立たせる。</p><p>恋がもたらす至福のひととき・・その後で訪れる不安や絶望、そして、希望をこれほど見事に描いた映画はないと思う。</p><br><p>実際、歌いながら複雑な感情を表現しないといけない主人公たちの苦労も相当なものだっただろう。</p><br><p>しかし・・どうして女は待てないのか・・</p><br><p>それでも、今日あたらめてこの映画を見て、ひしひしとジェヌヴィエーヴ（カトリーヌ・ドヌーブ）の気持ちがわかる気がした。</p><br><br><p>人生には一番大事なものを手放しても生きることを選ぶ時がある。</p><p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20090527/21/masara-matis/b8/3b/j/o0500050010187405964.jpg"></a>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　</p><br><p>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　<a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20090527/21/masara-matis/b8/3b/j/o0500050010187405964.jpg"><img height="220" alt="マサラの日記の恥は書き捨て-シェルブール" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20090527/21/masara-matis/b8/3b/j/t02200220_0500050010187405964.jpg" width="220" border="0"></a> </p><p><br></p>
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<pubDate>Wed, 27 May 2009 21:55:14 +0900</pubDate>
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<title>免許更新のときに協会費は払うべきなんだろか？</title>
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<![CDATA[ <p>今日は午後からの仕事だったので、またまた時間を持て余してしまって、どうしようかなあ、と思ってたときにたまたま<strong>免許の更新時期</strong>だったというのを思い出して、何年かに一度しか行かない地元の<strong><font size="4">警察署</font></strong>へ出かけた。</p><br><p>毎度のことだが、今回も<strong><font size="4">ゴールドカード</font></strong>は幻に終わり、更新のためのお金のほかに講習手数料も払うことになる。</p><br><p>まったくもって<strong>無駄が歩いているような人生</strong>である。</p><br><p>まあ、それでも事故だけはもう３０年近くやってないから（その前の何年かはめちゃくちゃ）、命だけはかろうじて助かっているが、とにかく何十年運転していても相変わらず運転は下手なうえに荒っぽいときているから、たいてい更新までに何度かはお巡りさんに手間をかけさせることになる。</p><br><p>最近ではやっとちょっと賢くなってまともに<strong>シートベルト</strong>をつけるようになったが、以前はそれもやらないもんだから、そんなアホな違反で点数がなくなりかけたこともあり、もうほんとにヤバイときはおまわりさんに号泣して許してもらったこともある。</p><br><p>なんでそんな<strong>無理して</strong>やっかいなことばかりわざとやっているのかというと、たぶん<strong><font size="4">バカ</font></strong>なんだろうと思う。</p><br><p>今日は同じように免許の更新に来たらしい女性が私の前でお金を払っていて、手数料を払おうとした時に<strong>安全協会</strong>かなんかの寄付のことを言われたのだが、彼女はもうギリギリしかお金を持っていなかったらしくて、かなり焦った様子で何度も受付の女性に「義務ではないんですよね」と念を押していた。</p><br><p>それで、受付に「いいえ、義務ではないです。ご協力をいただける方にお願いしております」と繰り返し説明されると、やっと安心したのか手数料だけ払ってビデオ鑑賞の場所へと向っていった。</p><br><p>それを見ていた私も払わないのありなんだ、と勝手に判断して、あたしも払えません～みたいな感じで前の人に便乗するかたちで手数料だけ払って帰った。</p><br><p>家に帰って亭主にそのことを言ったら、思ったとおり彼はちゃんと協会費を払っていた。</p><br><p>私はやっぱし非国民やろか～</p>
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<pubDate>Tue, 26 May 2009 20:22:52 +0900</pubDate>
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<title>女の笑顔の裏側には阿修羅が・・映画「歩いても歩いても」</title>
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<![CDATA[ <p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20090525/22/masara-matis/6f/1a/j/o0800053310186470257.jpg"></a><br></p><p>静かな中に深い余韻を残す映画だった。</p><br><p>淡々とした映像のそこかしこに家族一ひとりひとりの微妙な感情が見え隠れする。</p><br><p>何も起こらない夏休み・・海のそばにあるおばあちゃんちでの数日を映し撮っただけの映画だが、実はそんな平凡な時間の中にこそ人生が見えることがある。</p><br><p>そして、この映画を見て思ったのは、その人間の痛みや悲しみを家族とはいえ、いったいどれだけ汲み取ることができるだろうということだ。</p><p><br></p><div class="image"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20090525/22/masara-matis/6f/1a/j/o0800053310186470257.jpg"><img height="147" alt="マサラの日記の恥は書き捨て-aruitemo" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20090525/22/masara-matis/6f/1a/j/t02200147_0800053310186470257.jpg" width="220" border="0"></a> <br></div><div class="image">　　　　　　　　　　　　　</div><div class="image">　　　　　　　　　　　　　　　「<strong>歩いても歩いても</strong>」</div><p><br></p><p>この映画が公開される時に主役をやっている<strong>樹木希林</strong>が「素晴らしい映画です」と大絶賛していたのを今日思い出して、この映画の素晴らしさというのはとりもなおさず彼女の演技のことじゃないかと思った。</p><br><p>実のところ、彼女抜きにはこの映画はここまで上質の映画にならなかっただろう。</p><br><p>樹木希林という役者は一見この国のどこにでもいそうな母親を自然体で演じながらも、見るものに日常の中に潜む狂気や毒を強烈に感じさせる。</p><br><p>この映画を見ながら、途中私は何度も昔見た「<strong>阿修羅のごとく</strong>」というTVドラマを思い出した。</p><br><p>いつの時代にも女の笑顔の中には凄まじい感情が隠されている。</p><br><p>そして、この映画では母親（樹木希林）の作る<strong>おふくろの味</strong>こそが「家」の原点であり、家族の帰る場所となっているように見える。</p><br><p>まな板の上で刻まれていく野菜たち、天ぷら鍋の中でぱちぱちはねるトウモロコシ、包丁で細かく削がれていく人参、台所から生まれる様々な音はそのまま家や家族の歴史に繋がって行く。</p><br><p>家族の記憶の中で「<strong>食</strong>」というものが大きな位置を占める、ということをあらためて思った。</p><br><p>私はそういう当たり前の家族の風景にたまらなく憧れる。</p><br><p>そして、「食」で繋がっている家族というのにも強く惹かれる。</p><br><p>それは私が大人になるまでほとんど経験できなかったことだ。</p><br><br><br><p>久しぶりに再会した家族はその母親の手料理を味わいながら、生まれ育った家で記憶の断片を繋ぎ合わせて行く。</p><p><br></p><p>この映画を見ながら、私もたぶん母の思いを知っていながら、きっと生きてる間は彼女になにもしてやれないんだろうと思った。</p><br><p>それでも、やっぱり私も自分の人生やるしかないんだろう・・。</p><p><strong><br></strong></p><p><strong>☆４つ（おまけ）。</strong></p>
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<pubDate>Mon, 25 May 2009 22:05:05 +0900</pubDate>
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<title>恋人を忘れるための時間は・・</title>
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<![CDATA[ <p>夕暮れ・・仕事からの帰り道、泣きそうなのをぐっと我慢しているような空を見上げながら山道を下れば、<strong>シンニード・オコナー</strong>の搾り出すような歌声が流れてくる。</p><p><strong><br></strong></p><p><strong>１５日間と７時間</strong>・・恋人と別れてからの時間を しっかり頭の中で計算している歌詞で始まるやりきれないバラード・・</p><br><p>恋人と別れて自由にはなったものの、結局、１５日と７時間、何をやっても憂鬱な気分から抜け出せない。</p><br><p>あまりの辛さに医者に相談したら、なんでもいい楽しいことをやれといわれる。</p><br><p>ほんとにバカな医者だ。恋人にかなうものなんかあるわけない・・</p><br><br><p>その歌詞をつらつら聴いているうちに<strong>、失恋から立ち直るには付き合った年数とおなじだけ時間がかかる</strong>、と誰かが言っていたのを思い出す。</p><br><p>愛を語り合った年月とおなじだけ、立ち直るのに時間がかかるというのもなんか切ない。</p><br><p>一日一日、記憶の澱を浄化していくんだろう、きっと。</p><br><p>そして・・忘れ去られることが怖くなくなったとき、恋は<strong>思い出</strong>に変わる。</p><br><p><a href="http://www.youtube.com/watch?gl=JP&amp;hl=ja&amp;v=rO8JWbG6bVw">http://www.youtube.com/watch?gl=JP&amp;hl=ja&amp;v=rO8JWbG6bVw</a></p>
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<pubDate>Sat, 23 May 2009 22:41:51 +0900</pubDate>
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<title>インフルエンザでもうおおさわぎさ～</title>
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<![CDATA[ <p><strong>新型インフルエンザ</strong>で日本中がパニクっている。</p><br><p>今日も昼間ＴＶを見ていたら、ワイドショーで新型インフルエンザ相談室みたいなことをやっていて、視聴者のいろんな質問に感染病の専門家が答えていたのだが、かなりの混乱ぶりがみてとれた。</p><br><p>特に小さい子どもを持つお母さんからの質問が多くて、外に洗濯物を干してもいいのか、とか、窓を開けてもいいのか、とかよく考えたら全然問題なさそうなことを聞いていた。</p><br><p>まあ、インフルエンザにかかっている人がよそんちの洗濯物に<strong><font size="4">ツバ</font></strong>でもはきかけて歩いているんなら別だが・・</p><br><p>それから、赤ちゃんは<strong>マスクもうがい</strong>もできないんですがどうしたらいいですか？という質問もあって、専門家は、そうですねえ、困りますよねえ、と同意しながら、最後には、もうどうしても心配なら赤ちゃんを外に出すな、と言っていた。</p><br><p>それもかなり<strong>不健康</strong>な感じもした。</p><br><p>あと、うちでは犬や猫を飼っているんですが、うつりませんか？という質問もあったのだが、それに専門家が答えて、「猫や犬にはうつりませんが、<big><strong><font size="4">ブタ</font></strong></big>にはうつりますから、ブタを飼っている方は注意してください、と大真面目な顔で話すのを聞いて思わず噴出してしまった。</p><br><p>それと、ネットでみたら<strong><font size="4">１９５７年</font></strong>以前に生まれた人には今回のウイルスに<strong>免疫</strong>がある！？、なんていう報道もあった。</p><br><p>会社から帰ってきた亭主にそのことを話すと「ギリギリだなあ」と苦笑いしていた。</p>
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<pubDate>Thu, 21 May 2009 18:47:38 +0900</pubDate>
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