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<title>やまさぁんのブログ</title>
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<title>”第4話5度の交通事故。「生かされた命を、どう使うのか」4/15”</title>
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<![CDATA[ <p>&nbsp;</p><p><iframe class="reblogCard" data-ameba-id="rin-supporters" data-entry-id="12979820502" frameborder="0" height="234px" sandbox="allow-same-origin allow-scripts allow-top-navigation" scrolling="no" src="https://ameblo.jp/s/embed/reblog-card/rin-supporters/entry-12979820502.html?reblogAmebaId=masayo87" width="100%"></iframe></p><p>&nbsp;</p>
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<pubDate>Sun, 27 Sep 2026 21:05:01 +0900</pubDate>
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<title>エミールの会創作2013.12.17</title>
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<![CDATA[ 「両天秤に掛ける」というと、調子の良い人の口上のようだが、なんとかして両天秤に掛けたい出来事がある。　先日、子どもの学校で、全国の盲学校ＰＴＡ連合会の会報が配られた。内容は視覚障害のある子の親が行った活動の報告で、放置自転車を辞めるよう呼びかける運動、視覚障害の理解を深める啓発のポケットティシュ配り、パラリンピックに出場した視覚障害者の支援など。　そのなかに、黄色い点字ブロックの設置を促進しようという運動もあった。　４歳になる私の息子は弱視だが、道を歩くには不自由しない視力がある。それでも彼は点字ブロックが大好きで、歩きはじめたころから黄色い線を見つけてはその上を伝って歩くのを遊びにしていた。最も見えやすく、安全と思えるのだと思う。　意外に知られていないことだが、全国の盲学校に通う生徒の９割は弱視である。いかに視覚障害者のなかで全盲の割合が低いかが分かるだろう。それでは点字ブロックはその１割の人にしか役に立たないかといえば、そんなことはない。あのビビットな黄色は最も明度が高い色であり、白杖を使わない多くの弱視者にとっての目印になっている。　去年、体調不良で入院した祖父が、車いすの生活になった。車いすを押すようになって気付いたことがある。点字ブロックの点々が邪魔なのだ。点々をまたぐたびにボコボコとお尻を打つらしく、祖父の顔が曇る。　都合の悪いことに、点字ブロックは危険な箇所は沢山の丸い凸点で、方向を示すのは縦一本線で表されているから、横断歩道の渡りはじめと終わりなど、停まった車いすを押すのに力がいるポイントと、点字のボコボコの位置がみごとに重なるのだ。　車いすを押すとボコボコをもうちょっと平らにして欲しいと思う。けれども視覚障害者にとっての道しるべであることを、息子は日々示してくれる。　両天秤。どちらにとっても心地よい打開策はないのだろうか。　ＰＴＡのお便りに、１つの策が紹介されていた。　「周りを気にかけ、声をかけ、手伝ってくれる人を増やすこと。そういう優しい社会を目指すこと」。　道に迷っている視覚障害者に声をかけること、段差が乗り越えられなくて困る車いすの人に手を貸すこと。ハード面の限界は、ソフト面で補う。　さて、もう一つ両天秤に掛けたくなった。　ハード面とソフト面。どちらも向上して欲しいと願う私はワガママだろうか。
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<pubDate>Tue, 17 Dec 2013 22:51:27 +0900</pubDate>
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<title>２年ぶりの投稿！　趣味の絵本の会で創作したエッセーです。</title>
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<![CDATA[ <style>&amp;amp;lt;!-- /* Font Definitions */@font-face{font-family:&amp;amp;quot;ＭＳ 明朝&amp;amp;quot;;mso-font-charset:78;mso-generic-font-family:auto;mso-font-pitch:variable;mso-font-signature:1 0 16778247 0 131072 0;}@font-face{font-family:Cambria;panose-1:2 4 5 3 5 4 6 3 2 4;mso-font-charset:0;mso-generic-font-family:auto;mso-font-pitch:variable;mso-font-signature:3 0 0 0 1 0;} /* Style Definitions */p.MsoNormal, li.MsoNormal, div.MsoNormal{mso-style-parent:&amp;amp;quot;&amp;amp;quot;;margin-top:0cm;margin-right:0cm;margin-bottom:10.0pt;margin-left:0cm;mso-pagination:widow-orphan;font-size:12.0pt;font-family:&amp;amp;quot;Times New Roman&amp;amp;quot;;mso-ascii-font-family:Cambria;mso-ascii-theme-font:minor-latin;mso-fareast-font-family:&amp;amp;quot;ＭＳ 明朝&amp;amp;quot;;mso-hansi-font-family:Cambria;mso-hansi-theme-font:minor-latin;mso-bidi-font-family:&amp;amp;quot;Times New Roman&amp;amp;quot;;mso-bidi-theme-font:minor-bidi;mso-fareast-language:EN-US;}@page Section1{size:612.0pt 792.0pt;margin:72.0pt 90.0pt 72.0pt 90.0pt;mso-header-margin:36.0pt;mso-footer-margin:36.0pt;mso-paper-source:0;}div.Section1{page:Section1;}--&amp;amp;gt;</style><p style="margin-right: 174pt;" class="MsoNormal"><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;">エミールの会　創作　<span lang="EN-US">2013.5.30</span></span></p><p style="margin-right: 174pt;" class="MsoNormal"><span lang="EN-US" style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;">&nbsp;</span></p><p style="margin-right: 174pt;" class="MsoNormal"><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;">　３歳の息子と<span lang="EN-US">89歳の祖父を見ていると、つくづく似ていると思う。３歳の息子とは私の１人息子で、弱視と発達遅滞のある、体は至って元気な男の子。祖父は息子から見ると「ひいおじいちゃん」で、加齢に伴い、私たち夫婦＋息子が祖父の家に転がり込むかたちになった。</span></span></p><p style="margin-right: 174pt; text-indent: 12pt;" class="MsoNormal"><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;">私の母が生きていれば祖父の介護が直接私に回ってくることはなかったかもしれないが、母は先日７回忌を終えたところである。他の兄弟もすでに他界、祖父の兄弟は同じく高齢となると、頼るところは私たち孫、ということになる。<span lang="EN-US"><br></span></span></p><p style="margin-right: 174pt; text-indent: 12pt;" class="MsoNormal"><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;">私は２人兄弟で弟がいるけれど、築地市場の仲卸を営む父の元で修行中の身となると、そう介護のお願いをするわけにもいかない。起きるのが夜の<span lang="EN-US">12時で夜中の２時から仕事をしている。日本の働く男は辛いね、とこれでは寅さんである。</span></span></p><p style="margin-right: 174pt; text-indent: 12pt;" class="MsoNormal"><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;">そんな祖父の調子がおかしくなってきたのが昨年の７月。膝が痛いと言って自ら主治医に志願して入院した。ＣＴ、ＭＲＩと一通りの検査をしたが「加齢による膝関節症」だそうで、特別な治療はないと２週間あまりで退院になった。<span lang="EN-US"><br></span></span></p><p style="margin-right: 174pt; text-indent: 12pt;" class="MsoNormal"><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;">９月になるとまた、祖父が「膝が痛い」「入院させてもらえるなら入院したい」と訴えだした。前回の入院で筋力が落ちたことを感じていた私は、「長く入院すると歩けなくなるから、できるだけ入院しないほうがいい」と主張し、入院に反対した。<span lang="EN-US"><br></span></span></p><p style="margin-right: 174pt; text-indent: 12pt;" class="MsoNormal"><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;">私に頼んでも無理だと思ったのだろうか、祖父は出入りのマッサージ師にチップを払って病院に付き添ってもらい、狙い通り「入院」に成功した。<span lang="EN-US"><br></span></span></p><p style="margin-right: 174pt; text-indent: 12pt;" class="MsoNormal"><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;">積極的治療の何もない入院である。よく急性期病院が受け入れてくれたな、と思ったら祖父が医師にチップを弾んでいた。<span lang="EN-US"><br></span></span></p><p style="margin-right: 174pt;" class="MsoNormal"><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;">「歩けなくなっても知らないよ」という私の予言通り、病院での「安静」状態によって祖父の筋力は急激に衰えた。歩行器で５メートルがやっとの状態になったところで、退院の通達がやってきた。<span lang="EN-US"><br></span></span></p><p style="margin-right: 174pt; text-indent: 12pt;" class="MsoNormal"><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;">さて、困ったのは私たち家族である。このまま１人でトイレにも行かれない祖父を自宅に引き取るか。相談したケースワーカーさんの紹介で、リハビリ病院の短期集中リハを受け、帰宅を目指す道を紹介され、そのままリハビリ病院に転がり込んだ。<span lang="EN-US"><br></span></span></p><p style="margin-right: 174pt; text-indent: 12pt;" class="MsoNormal"><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;">このリハビリ病院がマズかった。施設は老朽化が進み、ナースも伝達が行き届いていない感じ。肝心のリハが目的と我々は目をつむったが、祖父は気に入らなかった。転院後間もなく高熱と嘔吐を繰り返し、「安静」を言い渡された。目的の「リハ」を果たせない今となってはなぜこの病院に、ということになるが、具合の悪い状態で無理に動かすのも負担がかかる。なんだかんだで「安静」の２週間を過ごし、いざ立ち上がろうとすると、もう車いすに移る筋力もなかった。<span lang="EN-US"><br></span></span></p><p style="margin-right: 174pt; text-indent: 12pt;" class="MsoNormal"><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;">無理に立たせて転ばれても困るのだろう。リハも寝ながら足をストレッチしたり、座位で足を曲げ伸ばしする動きが中心になった。私も知らないうちにオムツ着用になり、そんな自分が嫌だ、というように本人のやる気も食欲も、生きようとする力まで弱くなっていく様子を見て、この病院もそろそろ潮時だなと思った。<span lang="EN-US"><br></span></span></p><p style="margin-right: 174pt; text-indent: 12pt;" class="MsoNormal"><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;">少しは歩けるようになったところで帰宅しようという我々の目論みとはまるで逆効果になった今、さて、どうしようかと作戦会議を立てた。「会議」と言ってもメインは私１人で、あとは話しをうん、うんと聞く夫がいるのみである。結局、この状態で帰宅してきたら私が大変だろうと、１人で転院先を決めた。それが今入所中の老人保健施設である。<span lang="EN-US"><br></span></span></p><p style="margin-right: 174pt; text-indent: 12pt;" class="MsoNormal"><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;">入所当時は３ヶ月程度の短期入所で、という話だったが、「次が見つかるまでは」ということで、すでに３ヶ月を過ぎているが、突然追い出される気配は今のところない。<span lang="EN-US"><br></span></span></p><p style="margin-right: 174pt; text-indent: 12pt;" class="MsoNormal"><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;">転院する前は「もうダメだ」など弱気なことを言っていた祖父だが、新しい施設は昨年オープンしたばかりの綺麗な建物で、食べ物も美味しい。数日もすると毎食完食するようになり、最近では「ここの食事では足りない」と訴えてくる。食べる力は生きる力だな、と思う瞬間である。それにしても建物の築年数で人ひとりの寿命を延ばせるのだから、「見た目」も大事である。<span lang="EN-US"><br></span></span></p><p style="margin-right: 174pt; text-indent: 12pt;" class="MsoNormal"><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;">雨天でなければほぼ毎日、私は息子を保育園にお迎えに行った足で老険に寄る。息子はもう勝手知ったるで、受付のお姉さんとハイタッチを交わし、エレベータに乗ると「三階です」とアナウンスを真似る。その３階に降りるとちゃんと部屋が分かっていて、靴を脱いで入室。おじいちゃんのところに行くのかと思いきや、毎日飽きることなく共用の廊下を走り回っている。<span lang="EN-US"><br></span></span></p><p style="margin-right: 174pt; text-indent: 12pt;" class="MsoNormal"><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;">現在祖父は車いす生活も板についてきて、オムツ着用ながらトイレは尿瓶で取ってもらい、大きいときだけオムツでする。走り回る息子も、小さなオムツを履いている。トイレトレーニング中で、日中はパンツで過ごすが、たびたびおしっこを漏らす。うんちはトイレよりオムツにしたいらしく、就寝前などオムツに取り替えると、私の目からなるべく離れた部屋の隅っこのほうで元気なうんちをしてくる。<span lang="EN-US"><br></span></span></p><p style="margin-right: 174pt; text-indent: 12pt;" class="MsoNormal"><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;">彼はやっと手づかみ食べを卒業し、スプーンフォークで食事をとるようになったが、まだまだ三点持ち（指３本を使ってエンピツのように持つ）は難しく、ひたすらグーである。それでも療育からの指示で使いはじめた柄の細い食具（大人用と同じようなかたち）を、上手に使うようになった。ところが喜んだその日に祖父の手を見ると、今度は祖父の手がグーになっている。握力が弱くなって確実に握りたいのだという。<span lang="EN-US"><br></span></span></p><p style="margin-right: 174pt; text-indent: 12pt;" class="MsoNormal"><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;">しばらくすると祖父のリハビリ担当の方がスプーンの持ち手にミツロウ粘度を、フォークに円形の長細いスポンジをはめた祖父専用の食具を作ってくれていた。「持ち手が太いほうが安定して持てるので」との配慮である。<span lang="EN-US"><br></span></span></p><p style="margin-right: 174pt; text-indent: 12pt;" class="MsoNormal"><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;">くしくも息子と祖父を同時に見るようになって、思うことがある。赤ちゃんが１人では生きられないのと同じように、老後はやがて誰かの手を借りる時が来る。人生をどこかにある折り返し地点で折り畳むと、ピッタリと重なり合うのが乳幼児期と要介護期なのだろう。<span lang="EN-US"><br></span></span></p><p style="margin-right: 174pt; text-indent: 12pt;" class="MsoNormal"><span style="font-family: &quot;ＭＳ 明朝&quot;;">最初と最後に流れる時間くらい、緩やかに過ごしたい、過ごしてもらいたいものだ。<span lang="EN-US"><br></span></span></p>
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<pubDate>Sat, 01 Jun 2013 23:48:36 +0900</pubDate>
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<title>石巻、桟橋プロジェクト！応援しています。</title>
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<![CDATA[ 芥川賞作家の荻野アンナさんが取り組んでいる被災地ボランティアです。<br><br>http://s.ameblo.jp/merde69/<br><br><br>私はアンナ氏の助手として、精一杯応援しています。<br>ぜひ↑リンク、飛んでお読みください。<br><br><br><br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/masayo87/entry-11020175795.html</link>
<pubDate>Sat, 17 Sep 2011 00:59:45 +0900</pubDate>
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<title>ピグつくった</title>
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<![CDATA[ <div style="WIDTH: 325px"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20100708/22/masayo87/9e/7a/p/o0320024010630096319.png"><img border="0" alt="アメーバピグ スナップショット" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20100708/22/masayo87/9e/7a/p/o0320024010630096319.png"></a><div style="TEXT-ALIGN: right"><a href="http://link.ameba.jp/35132/" target="_blank">→アメーバピグで遊ぶ</a></div></div><br><div>着替えてみた。おもしろい。</div>
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<pubDate>Thu, 08 Jul 2010 22:57:49 +0900</pubDate>
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<title>予定日超過</title>
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<![CDATA[ 出産予定日を６日過ぎ、いつ産まれても良い準備万端の私です。<br>まだかなまだかな～♪<br>学研のおばさん待ってる気分（笑）
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<pubDate>Fri, 28 Aug 2009 23:33:59 +0900</pubDate>
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<title>妊娠４ヶ月</title>
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<![CDATA[ おなかのコは男の子☆だそうです。<br><br>もうわかるなんて、すごいわ～。世の中ハイテクになったものです！
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<pubDate>Tue, 03 Mar 2009 22:54:31 +0900</pubDate>
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<title>最近の私</title>
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<![CDATA[ たまには書かないとさー！<br>消えちゃったらいやだから。。<br><br>１０月から出版社でアルバイトはじめました。<br>毎日いそがしー（＞＜）！けど、楽し～♪
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<link>https://ameblo.jp/masayo87/entry-10337440514.html</link>
<pubDate>Fri, 17 Oct 2008 22:33:49 +0900</pubDate>
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<title>小説錬成道場９月提出　原稿用紙１０枚</title>
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<![CDATA[ 　　　七十年越しの想い　　　　　　　　<br><br>　<br>　「藤野喜作さん、病室にご案内します」<br>　うす緑色のナース服を着た女性が車いすを押しながら片手で上りボタンを押し、院内エレベーターの中へと入っていった。<br>　私立病院の最上階にある個室は、ベッドが電動で起き上がる他はホテルの客室そのもので、車いすの祖父が一人で使うには広すぎるようだ。小ぶりのボストンバッグに必要最低限の荷物だけをまとめて来たのに、それでも祖父は置く場所が決まらないのか、ああでもないこうでもないと言っている。<br>パジャマ・パンツ・シャツ・バスタオル・ハンドタオル・歯ブラシ・リンスインシャンプー・ハミガキ・ひげそり・クスリ・ポマード・コーヒーカップ・ノート・ボールペンクロ・カキノタネ<br>　祖父の字だ。一つ一つスーパーのレジ袋に入れられ、袋に油性マジックで中身に何が入っているのか記されている。私は臙脂色のボストンバックからカサカサ音を立てながら一つ取り出しては読み上げ、祖父が指定する場所に置いていった。<br>　祖父の孫である私は、三年前に亡くなった母に代わって娘になろうと思っている。祖父は七福神のようなにこやかな顔で、私のことを母の名で「智恵子、智恵子」と呼んでいることだし。だから、コーヒーカップと表書きされたレジ袋を開きながら「お茶をもらってくるね」と言ったのは、いかにも母だったらそうしたであろう、ごくごく自然な発言だった。<br><br>「触るな！」<br><br>　私に荷物の置き場所を指示しながらベッドの脇でのったりゆったりパジャマに着替えていた祖父が、急に声を張り上げたものだから、思わず体がビクリとしてしまった。<br>　祖父も自分の声の大きさに驚いたのか「あ、」の口を開けたまま目だけを私のほうに向け、<br>「あ、いや……今はいらない」とだけボソリとつぶやいた。<br>　直後に、ちょうど部屋に入ってきた看護婦さんには、このカップにお茶を入れて届けて欲しいと至極まともに頼みごとをしていた。八十五歳を超えたころからだったろうか。それまで「だいたいマトモで時々ヘン」だったのが、「だいたいヘンで時々マトモ」に変わったのは。<br>　翌日も前日に続きお見舞いに来た私は、祖父の個室に向かいがてら、フロアの共同トイレに寄った。用を済ませて手を洗っていると、洗面所に貼られている鏡の端に隣室の給湯室の暖簾《のれん》が映っており、その先に食器カゴが置かれている。そのカゴの中に、昨日のコーヒーカップが伏せてあるを見つけた。<br>　エアードライヤーに突っ込んだ手をこすり合わせながら振り返り、私は昨日の祖父の形相を思い出しながら給湯室の暖簾をくぐった。カップに顔を近づけてみると、底に油性ペンのようなもので何か書いてある。「喜作」祖父の名前だ。だいぶ使い込んでいるようで古ぼけたコーヒーカップだが、底に円く窪みがあるお陰で名前はかすれることなくはっきり読める。そっと手に取ってみると、両手で包み込みたくなるような、温かみを感じるカップだった。祖父に「触るな！」と怒鳴られたカップなのでそっと元に戻し、祖父の個室を訪れた。<br><br>　入るなり不思議に思った。<br>　ガラステーブルの、昨日と全く同じ位置にそのカップが置かれていたからだ。給水所で今さっき祖父のカップを手に取ってすぐにここに来たのだから、カップが瞬間移動したことになる。<br>　部屋に入るなりカップをじろじろ見ている私を見て、私がまだ昨日のことを気にしていると思ったのだろうか、祖父は半分起き上がった介護用ベッドに腰掛けたまま、<br>「昨日はごめん」と物分かりのよい子どものように頭を下げた。<br>　給湯室で見たカップには祖父の名前が入っていたから間違いないのに、と思いながら、<br>「同じカップを二つ持ってきたの？」と聞く。<br>「一つしかないよ、なんで？」<br>ここ数年、祖父は言われたことに答えるだけで理由を尋ねることが全く無かったから、ちょっと違和感を覚えながら、<br>「給湯室で同じものを見たから」<br>と答えた。名前が入っているのだから本人のものに間違いないのに、きっとまた忘れてしまったのだろう、私の名前のように、と思った。<br>「智恵子、似たコップだぁね、それは。このコップは他には無いんだから」<br>「でも名前が入っていたよ。喜作って。」<br><br>　一瞬の間があり、祖父の目がこれでもかと大きく見開かれた。瞼がたるんだのか、もう何年も寝ているような半開きの目をした祖父しか見たことがなかったので、ついに発作が起きたのかと気が動転する程、驚いた。<br>　次の瞬間祖父がベッド上で体を回し、ベージュの靴下に包まれた両足を地に着け立ち上がり、個室の出口に向かって今にも走り出しそうだった。<br>　発作じゃない。点滴を載せたスタンドのローラーがガラガラと音を立てて滑り出し、祖父の左腕から延びた点滴のチューブがピンピンに張っているのを見た私の腕は、咄嗟に祖父を捕まえていた。<br>　私はもう何年も祖父が自力で立ち上がっているのを見たことが無く、歳だけにこのまま車いすだろうと思っていたから、我に返ってからも暫く目の前の状況を把握できずにいた。<br><br>　立ち上がった祖父をベッドに座らせ閉めかけのパジャマのボタンを留めてあげる。看護婦さんを呼んで車いすに座らせてもらい、給湯室へ押していった。その時、暖簾からパジャマ姿のおばあさんが出てきた。その世代の人には珍しく背が高い人で、そのすらりと長い腕の先に伸びた手で包み込むように、大切そうにあのコーヒーカップを持っている。<br>「咲智」<br>　震える祖父の声に銀髪をお団子にしたおばあさんが振り返る。咲智と呼ばれた老婆は全く静かに、しかし足早に、すり足で車いすに近づき、すっと腰を落として祖父の顔を見つめた。<br><br><br>　海鶴咲智とは宝塚の芸名で、戦前、宝塚歌劇団の団員だった彼女は、東京公演があると数ヶ月に渡って銀座に滞在したという。現在の祖父からは想像できないことだが、十代二十代のころはかなりモテたんだそうで、宝塚スターの咲智との間に関係があったという。<br>　銀座四丁目、現在の松坂屋の裏辺りで生まれた祖父は、当時、京橋のたもとにあった自宅一階の工場で父の営む自転車屋を手伝っていた。<br>　自転車と言えばブタゴリラが八百屋の配送で乗っているような黒色のごつごつしたものしか無かった時代、祖父の父は古い競技用自転車のボディを塗り替えたものに通常のパーツを取り付け軽量化することを思いついた。通常のものより四分の一くらい細身のフレームに合わせて、タイヤもフェンダーの幅も細くした。自宅の工場で組み立てて、自転車塗装専門の工場に持っていって塗装してもらい、自分たちで作ったステッカー「ローヤル号」を貼り付け売り出した。<br>　抜群にオシャレな自転車だった。銀座と言う土地柄高くてもかっこいいものが売れた。普通の自転車より十円も高く売れたのだ。祖父の父はいつも十円金貨を胸元にはめ込み、飲み屋の勘定が足りなくなるとそれで払っていたという。今で言えば温泉３泊分くらいできる結構なお金だ。<br>　宣伝も兼ね青竹色のローヤル号で銀座のお得意さん周りをする祖父を見て、婦人用の小豆色のローヤル号を注文してくれたのが咲智で、それが祖父と咲智の出会いだった。<br>　咲智は当時宝塚の尋常ならぬ過密スケジュールの合間を縫って時折祖父が働く工場に来ては、祖父がパンク修理したり油を差したりするのを見ていた。咲智があまりに美しかったので、祖父の兄弟も住み込みで働いていた人たちも女中さんも、みんな彼女が大好きになった。その誰もが祖父は宝塚スターと結ばれるに違いないと信じて疑わなかった。誰もが羨む良縁に見えた。<br>　それから二年後、第二次世界大戦で祖父は徴兵、東京宝塚歌劇は公演中止、一時解散となり、咲智は兵庫の実家に帰り、互いに音信無きまま終戦を迎えた。<br>　戦後まもなく焼け野原になった家の、かつて自転車工場だった土地に、祖父は甘味屋を開いた。瓦礫を集めて柱を立て、拾った木材で机や椅子を設えて店の格好に仕立てたのだ。<br>　店は、客に言われて河童橋で暖簾をあつらえたり「みつ豆」、「コーヒー」と書いた半紙を店先に貼り出したりしながら、日に日にそれらしい面構えになっていった。<br>　<br>　咲智が店の暖簾をくぐったのは開店から二ヶ月が経ったころだった。アメリカものの、やたら大きな麦わら帽子の鍔つばをぐっと下げ、<br>「コーヒー」<br>と言ったきり、黙って腰掛けた。<br>　枝豆を煎ってコーヒー豆の変わりにして抽出した偽コーヒーの、その不味いこと、不味いこと。口を付けたコーヒーカップを置いて、店唯一の調理器具である電気コンロに行平鍋をのせて豆を煮ている男に向かって、<br>「不味いよ、喜っちゃん！」<br>と、顔を上げ、つばの影に、涙目と満面の笑みを同時に覗かせた。<br>　配給品のコーヒーに貰い手がなく余っている。闇市でそれを知った祖父は、闇市の売り子にお駄賃を与え、市場にある限りのアメリカ産粉コーヒーを分けてもらった。咲智に「不味い」と言わせないぞ、との思いもあった。今日明日食べるものに困る時世に、カロリーにならない嗜好品の代表格であるコーヒーの配給を希望する者など居なくて当然だった。十缶も集まり、八百円を支払った。<br><br>　甘味屋は近くに座って休めるところが無かったこともあって、銀座の闇市帰りや久方ぶりにウインドーショッピングを許された婦人たちで大繁盛した。咲智もちょくちょく店を訪れては祖父の作るみつまめやぜんざいを運んだり、粉状のコーヒーをお湯で練って溶いた。<br>　宝塚が再開しても舞台にもどらなかった咲智のことを近所の人たちの中には、宝塚の落ちこぼれだと言う者もあったが、多くはますます嫁に相応しくなった、と言って喜んでくれた。祖父には生まれる前から決められた顔も知らぬ許嫁がいたが、戦争で亡くなったと聞いていたので、祖父自身も、咲智と結ばれるに違いないと思っていた。<br>　<br>　しかし、二人は結婚しなかった。召集令状が来た時も、疎開して全く連絡が途絶えても、気持が離れることは無かったのに。喜作の父が「美人薄命と言うから辞めた方がいい」と反対したからだということだが、本当のことは分からない。<br>　喜作に見合いの話が持ち上がり祖母と出会ったのは、終戦から一年が経ったころだった。<br>　同じ頃、戦前から銀座通りにあった本業の甘味屋が営業を再開したため、喜作の甘味屋は再び自転車修理工場に作り替えることになった。<br>　家庭でコーヒーを飲む習慣がほとんど無い時代のこと、六客のコーヒーカップは喜作の末の妹が疎開先から持ち帰った荷物の中にたまたま入っていたもので、そのカップを一つも割ることなく洗っては客に出し続けた。店を閉める時分になって、時々店を手伝ってくれていた喜作の兄弟四人と咲智、それから自分に一客ずつ、喜作がそれぞれの名前を書き入れ、「記念に」と言って配ったのだ。<br><br><br>　「そのコーヒーカップ…」<br>　「喜っちゃん」<br>　パジャマ姿のお婆さんは、背があるばかりに一層痩せて見え、声は嗄《しわが》れ、空気に溶けて消えていった。<br>　<br>　「コーヒー飲もう」<br>　立ち上がった祖父が咲智さんの手首を掴み足を踏み出したので、私は慌てて車いすを差し出し、病室まで押した。<br>　祖父のベッド脇で話す咲智さんの、声は擦れて頼りないが、その背筋はすっと伸び、口角をぐぐっと持ち上げ祖父の顔を見て話す姿は、どこまでも少女のようだった。<br>　永遠の少女と少年はしばらく談笑したのち、咲智さんが設えの電気湯沸かし器の電源を入れ、六十年振りに並んだ二客のカップにコーヒーを注いだ。<br>　ベッドを起こし、コーヒーを飲む祖父を脇から介助していた私は、二人の背後に甘味屋の暖簾が揺れているのが見えたような気がした。底に残ったわずかなコーヒーを口に運ぶ祖父の手中に、底に黒いマジックインキで描かれた「咲智」という文字が覘いた。　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（了）<br>　
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<link>https://ameblo.jp/masayo87/entry-10337440010.html</link>
<pubDate>Sat, 06 Sep 2008 23:07:39 +0900</pubDate>
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<title>インド日記が。。。</title>
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<![CDATA[ 印刷して、世界に一冊の本になりました！<br><br>読んでもいいぞ～と言うカタがいらっしゃいましたら声かけて下さい。<br>よろしくお願いします(^^)
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<link>https://ameblo.jp/masayo87/entry-10337440889.html</link>
<pubDate>Tue, 19 Aug 2008 07:55:03 +0900</pubDate>
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