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<title>matuo-722のブログ</title>
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<title>授業は最初の5分間で命運が決まる</title>
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<![CDATA[ <p>「ゆさぶりの松尾」第１３０報・・・</p><p>授業は最初の5分間で成否が決まる・・・</p><p>＜入念な準備・・・それが授業のまず一歩なのだ！＞</p><p>　私はどちらかと言えば教育界の徒弟制度の中で授業改造を目指して斯道奨励した教師の1人でした。だから授業の在り方や考え方が実践に基づいて展開されないととかく授業に対しては厳しい見方をしていました。そもそも当たり前のことですが、学校の教師は授業が盛り上がるために入念な準備をします。それは授業において事前に入念なる準備を徹底しておくことですべてが決まるというキーポイントあるからです。言うなればあらゆる場面を想定しておくことでどんな状況でも落ち着いて教えることができるとそう信じて私は毎日できる限り万難の備えを始めたのです。そのキーポイントとは　</p><p>・徹底した学問的な教材研究・教材解釈をすること。</p><p>　　・多様な生徒の動きを予想した複数の教材構成をすること。</p><p>　　・多様な知的応答関係を呼び起こす発問づくりとそれに対する反応予想や対応を準備すること。</p><p>　　・開かれた豊かな人間関係のある学級づくりに努めること。</p><p>　　・ゆさぶり場面の構想と多様なる生徒の反応予想をすること。</p><p>　　・生徒の心になるほどと言ったストンと落ちる事項を明確にすること。</p><p>　　・視点を明確にした次時につながる授業反省と授業の見直しを図ること。</p><p>でありました。</p><p>　元来授業は教師にとっては最も大切な命そのものです。それがうまくゆくか否かが生徒の学習権の保障につながることでありますし又当然なことですが教師の人間性の確立や運命に深くかかわることでもあります。だから授業の成否は授業準備を万全に行いとりわけ最初の５分間の段階をどう設定するかでほぼ決まると言ってもそれは過言ではないと思います。</p><p>＜結局、授業で上達するとは負荷を己にかけることなのだ！＞</p><p>私のいた広島県の世羅西中学校は月に１回授業の全国公開をしていました。だから毎年約２千人以上の教育関係者の参観があり、中でも国連のユネスコからの視察があるほどで　　した。それは多くの人に囲まれた授業前の緊張感は言葉には表すことのできないものでした。参観者が多いので廊下の窓は全てトッパワレ、教卓の上にはテレコがたくさん置かれています。８ミリの映写機の音はジーと教室に響き渡りテレビカメラは授業者と生徒に焦点があてられます。授業が始まり最初の５分間、私の最初の生徒に対する語かけと説明そして問いかけその「５分間」がうまく伝わり彼らにうなずきと笑みそして意欲を持つたまなざしが生まれればその授業は大体うまく流れていくものなのです。プロ野球の世界でもそうですが１回ピッチャの第一球目がその試合の命運を決めるとか言います。それと同じように授業の最初の５分間がスムーズに流れ教材の内容に移ればほぼ教材を媒介とした知的応答のドラマとしての授業は展開できるのです。</p><p>しかしながら最初の５分間の構想がうまく流れず授業の内容と生徒の動きには違和感のみが残る場合はどんなに私があがいて問いかけてもどうにもならないのです。即ち異常な緊張感と不安感で汗みどろの失敗の状況に私は陥るのです。リズムに乗り軽快に展開される授業と逆に予想した構想通りに展開できない失敗の授業そのものを思い出すと私は何十回・何百回と失敗と成功の狭間で苦しんできたものです。退職した今でも授業場面でうまくいった場面よりも困惑した場面の夢を見ることがしばしばあります。それほど学校における授業の成否は教師にとっては大切なものなのです。</p><p>ある公開授業の中でのことでありました。ふと教卓の上を見ると「先生！今日も私たちがついています。だから安心して授業をしてください・・・」と生徒が私の不安感を見透かしたようにメモを書いて置いていました。その時私は「ああそうだ私には応援団の生徒がいるではないか・・・」この共鳴共感してくれる学級基盤があってこその私の授業なのだと気づくと同時に感謝したものでありました。</p><p>＜逆境を経験してこそ本当の強さが培われるのだ！＞</p><p>私がここで言いたいことはなんでもそうですが、自分の力量を伸ばすにはただ平々凡々と時を過ごすのではなく、あえて人が選択できない厳しい状況に自分を追い込みやらざるを得ない取り組まざるを得ない負荷をあえて自分自身にかけることだと思います。その逆境に己を置くことに耐えてこそ自己の力は伸び自己解放できるものであります。</p><p>プロヘッショなるとは目標に向かって自分自身に刃を向け自分で戦う中で生まれる実践そのものです。</p><p>　　</p>
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<link>https://ameblo.jp/matuo-722/entry-12970034318.html</link>
<pubDate>Thu, 18 Jun 2026 10:50:06 +0900</pubDate>
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<title>『揺さぶりの松尾』第１２９報　森の中で・・・今思うこと</title>
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<![CDATA[ <p>『ゆさぶりの松尾』　第１２９報・・・</p><p>森の中で・今思うこと・・・</p><p>　　耳を澄ませながら森を歩くと、時間も空間も遠くに広がってゆく。木々の間から聞こえる鳥のさえずりは、心の底に眠っていた幼き時の記憶を呼び覚ます。</p><p>　　野球の上手だったサウスポーの近光の高ちゃん、木登りのうまかった名人吉原の栄ちゃん、神楽のまねをして上手に踊った瀬尾の一ちゃん、雪そりまで作って見せた工作上手な貞末の豊ちゃん、そしてみんなをうまくまとめたコマ回しの名人高田の諄ちゃん。</p><p>　　そんな仲間が山をかけめくり自然のふところの中で育った仲間だった。</p><p>　　あれから７０有余年、ほとんどの仲間が鬼籍に入り、残されたものは指折り数える程になった。森を静かに歩くと、仲間・はらからへのあこがれ、記憶を呼び覚ます。</p><p>　　なんと昔はよかったものだ・・・。死者の哀悼と共に古をかみしめてやまない今日この頃である。</p>
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<link>https://ameblo.jp/matuo-722/entry-12967360003.html</link>
<pubDate>Tue, 26 May 2026 14:29:11 +0900</pubDate>
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<title>揺さぶりの松尾第１２８報臨時増刊号　快気祝いに寄せて</title>
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<![CDATA[ <p>『ゆさぶりの松尾』第１２８報　　臨時増刊号　快気祝いに寄せて</p><p>去る４月１５日ちょうど７０歳を迎えた河内中学校の教え子たちが東広島市に集い、私の快気祝いを盛大に催してくれました。（約３ケ月間脊柱管狭窄症のために私は診療・手術・リハビリを日赤病院で受ける）その時の教え子に対する私の感謝のスピーチをここで恥ずかしながら述べてみたいと思います。</p><p>山は緑に華は紅にまさに春は私たちの眼前を往かんとしています。この良き日、古希を迎えた皆さんが私の快気を祝って会を開いてくださったことを厚くここに感謝いたします。おおよそ、８４歳の老年を厭うてくださるとはこの教育界では稀有なことでありまして、生きる幸せを与えて下さった皆さんに対しましてこれ以上の喜びはありません。ありがとうございます。</p><p>ところで、皆さんは７０歳の古希の年を迎えられました。この豊かな実りの喜びに対して心から敬意の誠を捧げます。皆さんはそれぞれ今日まで生き抜いてきて体感したことは・・・それは</p><p>・紆余曲折の人生でした。　・社会の変化に対して揉まれ・揉まれ・揉まれ・そして揉まれた人生でした。　・変化の激しい政治・経済・文化の中で応戦と対応の目まぐるしい人生でした。　・不遇の時代・絶頂の時代を問わず、皆さんはどう生きるべきか・どう生きてきたか・どう生かされているかについて働いて汗を流す中で自己を深く眺める人生でした。</p><p>このように人間同士のせめぎあいの中で、皆さんは喜びを体で感じ苦しみ悲しみに耐えその中で生きる力を養い今日まで生き抜いてきたことをことのほか私はうれしく敬意を表する次第であります。</p><p>私事でありますが、私も教育界で恥ずかしながらお世話になり約５０年、教諭・校長・県教委・教育長・大学講師・ひろしま刑務所で一途に斯道奨励して生き抜いてまいりました。それは長く険しい人生でありました。</p><p>ところでロシアのノーベル賞作家パステルナークはその著書『ドクトルジバコ』の中で人間は何のために生きるのかと言う問いに対して・・・人間は生きる喜びのために生きるのだ・・・と述べています。この生きる喜びとは私にとって子供はいない妻や父母も逝去し誰もいない中でただ教育の喜びを与えてくださったのはまさにここにいる皆さんの存在そのものであります。教室で互いにまなざしを共有し人には比べようもない最上の生きる喜びを感受できたのは皆さんおかげであります。生きる幸せを心のひだで実感させてもらって皆さん本当にありがとうございました。</p>
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<link>https://ameblo.jp/matuo-722/entry-12965178987.html</link>
<pubDate>Tue, 05 May 2026 14:45:20 +0900</pubDate>
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