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<title>Kumabitiのブログ</title>
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<title>人間完成を成し遂げる引き算の時代が幕をあけた</title>
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<![CDATA[ <br><p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120429/09/maummeditation/32/e9/j/o0605034611942192657.jpg"><img border="0" alt="Kumabitiのブログ" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120429/09/maummeditation/32/e9/j/t02200126_0605034611942192657.jpg" width="220" height="126"></a><br></p><br><p>人間完成を成し遂げる引き算の時代が幕をあけた。</p><br><p>人はこの世に生まれながらにして、何かを自分のものにしようとする心を持ち、自分のものにすることで幸福になり、自分のものにすることで満足を得ようとしますが、自分のものにすることには限がなく、幸福も満足もありません。</p><br><p>何かを自分のものにしようとする心は、全部自らの劣等意識から生まれるもので、自分のものにできなかったり、自分の思う通りにならなかった時に、それが憎みや恨みになるわけです。</p><br><p>これを無くしてこそ、本当の意味での憎みや恨みが無くなるわけですね。</p><br><p>人は今日に至るまで、何かを自分のものにしようとする心に従って生きてきたのですが、その執着の姿が今の人間の有様なのです。</p><br><p>世情が不安定で、人々の信頼関係も薄れ、人が自らの劣等意識に振り回されている今の時代に、人間が完成して、幸福な人生を送れるようになる秘訣は、所有しようとする心より、所有しようとしない心を学ぶことです。</p><br><p>そうすれば、例えばお金に対する執着を捨てようとする場合でも、頭で考えるだけではなく、実際にお金に執着しない行動が伴うようになりますので、結果的によりよい人生を送れるようになるのです。</p><br><p>数多くの執着には、数多くの煩悩が生じるばかりであり、煩悩に振り回されて生きる人生には、行いが伴わず、考えは考えを増やすばかりです。</p><br><p>今までは、心に足し算をしていた時代でしたが、これからは、心を引き算する時代です。この引き算の時代に、心の引き算をすれば、人類は、本姓を取り戻して、一つになれるでしょうし、世のため、人のために生きるようになるので、この世が完成するでしょう。</p><br><p>人間の完成とは、自分の心をすべて取り除けば、神なるこの世の心となり、知恵があるので、幸せに暮らすことができるし、その心である霊魂もまた、永遠に生きることができることでしょう。</p><br><p>完成とは、人間の心を、自らが取り溜めておいた心をすべて引き算することです。</p><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/maummeditation/entry-11290539545.html</link>
<pubDate>Sat, 30 Jun 2012 12:13:23 +0900</pubDate>
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<title>争いがなくなり、みんなが自己を省みて懺悔し、みんなが一つの心になる時だ。</title>
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<![CDATA[ <br><p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120429/09/maummeditation/32/e9/j/o0605034611942192657.jpg"><img border="0" alt="Kumabitiのブログ" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120429/09/maummeditation/32/e9/j/t02200126_0605034611942192657.jpg" width="220" height="126"></a><br></p><p><br></p><p>人間の心を持って暮らす時代から、人間の心がこの世となって自然の理に生きる時代の扉が開きました。</p><br><p>利己的で自己中心的で偏狭な人間の心から抜け出して、本来の世界の心と一つになるとき、人は人間の心に縛られることなく、大きな心とともに真の自由と安息を手にすることでしょう。</p><br><p>自分だけが正しく、他人は間違っていると言い張る思いと、窮屈な自分を作り上げる欲望から、人間はその歴史に数え切れないほどの争いを刻み込み、幾多の命を落としてきたのですが、そもそも人間の思いや欲望とは、人間が未完成であるがゆえの産物なのです。</p><br><p>人の心がこの世の心となれば、誰もが一つとなり、互いを理解して生きられるようになるでしょうし、偏狭な欲望も消え去ることですので、争いもなくなることでしょう。</p><br><br><br><br><!-- google_ad_section_end(name=s1) -->
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<link>https://ameblo.jp/maummeditation/entry-11278809336.html</link>
<pubDate>Sat, 16 Jun 2012 12:22:29 +0900</pubDate>
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<title>創造主と人間との関係</title>
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<![CDATA[ <p><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120419/22/maummeditation/8b/f6/j/o0610035111925476821.jpg"><img border="0" alt="Kumabitiのブログ" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120419/22/maummeditation/8b/f6/j/t02200127_0610035111925476821.jpg"></a></p><br><p>創造主と人間との関係</p><br><br><p>この世は、創造主であるこの世の根本の存在が、天地万物万象を創造しました。この存在は、物質ではない、非物質なのです。</p><br><p>この存在は、不思議で神秘的に、神と霊として存在する、生きている存在なのです。物質創造とは、この存在が成したもので、この存在が創造主なのです。</p><br><p>この存在は全能で、この世のあらゆるものは、この存在の子である、被造物なのです。この世のあれもこれも、この存在が形として化身したものなのです。</p><br><p>すべてを創造したので、全能なのでしょう。</p><br><p>この世のすべての物質は、この存在によって創造されたもので、この存在の子であり、また、この存在そのものなのです。</p><p><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120419/22/maummeditation/8b/f6/j/o0610035111925476821.jpg"></a></p><p>根源であり主であるこの存在が、物質であるこの世を創造し、この物質は、本来から来て、本来へと帰ることがこの世の理なのです。</p><br><p>しかし、この世のすべての物質が永遠に生きることは、この世が人間の心になり、この世を、本来である真理の心と体に生まれ変わらせたとき、永遠にこの世は真理の国で生きることでしょう。</p><br><p>これは、人間がいくら努力してもできず、創造主である、この世の主が人としてやってきた時に、この世の主がこの世に連れていき、その国に生まれ変わらせて、生かすことでしょう。これが創造主の権能なのです。</p><br><p>聖書にも「神の御言葉によって復活しなければ、生きられるものはいない」とあり、「神のみが救済できる」とあります。</p><br><p><br><br>この精神創造は真理の国である、本来の世界の主のみできることでしょう。</p><br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/maummeditation/entry-11272870641.html</link>
<pubDate>Sat, 09 Jun 2012 10:55:31 +0900</pubDate>
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<title>人はこの世に生きていないから、人は本物ではない、偽物なので死んでいる。</title>
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<![CDATA[ <br><p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120429/09/maummeditation/a4/71/j/o0607034711942192653.jpg"><img border="0" alt="Kumabitiのブログ" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120429/09/maummeditation/a4/71/j/t02200126_0607034711942192653.jpg" width="220" height="126"></a><br></p><br><p>この世は元々から完全になっていて、この世は元々からすべて悟っており、この世は、すでにすべてが生きていますが、人間がこの世に出ていないので、完全なるこの世に生まれていないのです。</p><br><p>大宇宙が天地の万物万象の根源なのです。創造主そのものであるこの存在は、万物が生まれ出てくる以前の、ソラ以前のソラである根源なのです。</p><br><p>一度、私たちがこの存在になって考えてみましょう。何もないこの存在から、ソラの星は、気体が爆発して、火の玉になってから冷めて、固体となることで今の星になったように、この無限大の宇宙の立場から見れば、星と宇宙は一つそのものなので、その星が宇宙で、宇宙がその星なのです。</p><br><p>この宇宙にある天地万象はみんなが宇宙と一つなのです。宇宙のように、そのまま心が無ければ個体が全体で、全体が個体なのです。すべてが一つそのもので、形象の有る無しは全部が一つそのものなのです。</p><br><p>この天地に生まれた万象はみな、完全な存在である宇宙そのものなので、死ぬことはありません。その形象がなくなってもその形象の霊魂は真理なので永生不死の神なのです。それ自体が、真理である宇宙の一つの個体なので死が無いものなのです。</p><br><p>この宇宙の根源は、エネルギーと神があり、これ自体の表現が形象の一切なのです。この世にあるすべてのものはこれ自体の姿そのものなのです。</p><br><p>人はこの世に生まれておらず、この世の影である、この世をコピーした、自分の心の中で生きているので、人間は完全ではなく、虚像である自分の心の中に生きているのです。</p><br><p>それが「実」ではない、「虚」なので、死んでいると言うわけです。</p><br><p>真理とはこの世で、虚とはこの世を写真のように写し撮った自分の心なのです。自分の心の中にこの世をコピーして、その中に生きていることが、まさにこの世ではない写真なのです。それは無いもので、その無い世に生きている人も虚なので無いものでしょう。</p><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/maummeditation/entry-11269370871.html</link>
<pubDate>Tue, 05 Jun 2012 00:57:51 +0900</pubDate>
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<title>聖人たちの説いた教えが聞こえず理解できないのは</title>
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<![CDATA[ <p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120429/09/maummeditation/87/dd/j/o0093008011942198910.jpg"><img border="0" alt="Kumabitiのブログ" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120429/09/maummeditation/87/dd/j/t00930080_0093008011942198910.jpg"></a><br>聖人たちの説いた教えが<br>聞こえず理解できないのは</p><p>私たちは経典に接してその話を読んだり、また覚えたりいていますが、その本来の意味を理解している者がいません。</p><p>この経典は本来の世界、真理の立場から書かれたものなので、その立場にならなくては、自分の立場で読んでいるために理解できないものなのです。</p><p>自分は、本来の世界ではない、自分の世界である心の中に生きているために、本来の世界には実在していない存在なのです。</p><p>自分の中には本来の天が無いために、この天の国の話が聞こえず、理解できないものなのです。</p><p>自分の心の世界から出てくれば、本来の世界になり、本来の世界から見れば、その経典が自分になっているので、理解できないものがありません。</p><p>人間は、今自分がどこにいるのか知らないために、さまよいながら生きているわけです。今の居場所が、自らが作った動画の中という地獄の世界であるのを悟り、その虚像の国から、悔い改めて出てこなければならないでしょう。</p><p>人間の心が、人それぞれ異なり、宗派も、その経典の本来の意味が理解できずに、自分の心で解釈して解くために生まれるものなのです。</p><p>それらすべては、何の実りももたらさない言葉遊びでしかないものでしょう。本当の方法は、その聖人たちになってみれば、全部わかることでしょう。</p><p>それは、この世を背いた自分が作った写真の世界を消し去り、本来の世界に来て見れば、聖人になるので、すべてがわかることでしょう。</p>
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<link>https://ameblo.jp/maummeditation/entry-11266883108.html</link>
<pubDate>Sat, 02 Jun 2012 11:09:21 +0900</pubDate>
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<title>せつない。せつない。せつない。</title>
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<![CDATA[ <object width="459" height="344"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/4xrez2GlHP0?fs=1&amp;hl=ja_JP"><param name="allowFullScreen" value="true"><param name="allowscriptaccess" value="always"><embed src="https://www.youtube.com/v/4xrez2GlHP0?fs=1&amp;hl=ja_JP" type="application/x-shockwave-flash" width="459" height="344" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true"></object>
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<link>https://ameblo.jp/maummeditation/entry-11265414924.html</link>
<pubDate>Thu, 31 May 2012 17:41:08 +0900</pubDate>
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<title>人間は、死んでしまうか永遠に生きるかの運命に置かれている。</title>
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<![CDATA[ <p><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120404/10/maummeditation/eb/22/j/o0606035111894678367.jpg"><img border="0" alt="Kumabitiのブログ-natsu" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120404/10/maummeditation/eb/22/j/t02200127_0606035111894678367.jpg"></a></p><br><br><p>人間は、死んでしまうか永遠に生きるかの運命に置かれている。</p><br><p>人生を生きてみると、辛く、苦しいときが、幸せなときよりも、ずっと多いです。</p><br><p>私たちは、こうした中でさまざまなことを考えます。中でも「人は死んだらどこへ行くのか」ということについては、多くの人が一度は考えてみたことがあるはずでしょう。</p><p><br></p><p>しかし、人間の考えでは、その答えは、出せないのであります。自分の意識が死んでいて、本来の世界に生きておらず、自らの作った心の中にいるために、人はこの問題が解けないのです。</p><br><p>人間が未完成であるために、宗教もあり、真理を求めるところもあります。これらの究極の目的はみな、生きるという点にあります。</p><br><p>つまり人は、永遠に生きられる方法はないかと思い、宗教を信じ、修行をし、マウンスリョンのようなことにも打ち込むわけなのです。</p><br><p>しかし、真理であり、本来である創造主の国に生まれ出ない限り、人間が永遠に生きる方法は無いでしょう。</p><br><p>永遠に生きるならば、永遠なる場所、真理の国のほかないでしょうし、この国へ、己の虚を一切壊し尽くして、行って、この国で生まれ変わらなくては、永遠に生きる者はいないでしょう。</p><br><p>この存在の国である真理の国には、自らの心と体の一切を捨てた者だけが行くことができます。</p><br><p>イエスが、十字架に掛けられながらも「父よ、父よ、私をお見捨てになるのですか。しかし、父の御心ならば従います」といったという話は、イエスが自らを捨てて、真理なる神の側に立ったことを、伝えているのであります。</p><br><p>自分よりも、真理である神を愛したものです。イエスは死をもって、神そのものである神の国へ行く橋を架けたのです。</p><br><p>この世に生きている人間は、誰もが罪人なのです。この罪人が完全に死ねば、真理だけが残り、その国が、天国である真理の国であり、神の国なのです。</p><br><p>罪人である自分が完全に死んで、義人に生まれ変わらなくては、誰も永遠に生きることなどできません。</p><br><p>この世のみんなが罪人なので、自らを悔い改めて、罪の一切を滅ぼして、自分の心に義の国があり、義人に生まれ変わってこそ、天国で永遠に生きることができます。</p><br><p>人は、生きているうちに、自分の心が義の国と一つになって、その国に生まれ出ない者は、永遠に死んでしまうことになるでしょう。</p><br><p>偽りの自分をすべて叩き壊して無くした者が、自分に打ち勝った者です。罪人である虚を無くして、義人である真理に生まれ変わらなくては、永遠に生きる者などいないでしょう。</p><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/maummeditation/entry-11261773426.html</link>
<pubDate>Sun, 27 May 2012 11:03:23 +0900</pubDate>
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<title>本来から来て、本来へ帰ることがこの世の理である。</title>
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<![CDATA[ <p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120429/09/maummeditation/40/cd/j/o0596033911942192654.jpg"><img border="0" alt="Kumabitiのブログ" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120429/09/maummeditation/40/cd/j/t02200125_0596033911942192654.jpg"></a><br>本来から来て、本来へ帰ることがこの世の理である。</p><br><p>この天地の意思を知る者も、この天地の理を知る者も、この世にはいません。宗教ではよく、天国と地獄の話をしていますが、それは妄想の天国であり、地獄なのでしょう。</p><br><p>宇宙の主である大宇宙そのものとなって考えてみれば、この世の理がすべてわかります。</p><p>天地の万象と人は、根源である本来の子供なのであり、本来から来て本来へと帰ることがこの世の理なのです。</p><br><p>この世にある万象はみな、いずれは消えてなくなる存在ではありませんか。しかし本来は、そのまま変わることなく、あるのではありませんか。この本来で生まれ変われば、その存在が神であり、神の国なのです。神は、一切から抜け出た存在なのです。</p><br><p>自らの心の中で、わかったような話や亡者の世界の話をする者は、心に妄念が巣くっている者なのです。虚像の世界の中からニセモノが生まれ、わかったような話をしていますが、存在しないものなのです。</p><br><p>神は存在していますが、存在の中にもおらず、人間のあらゆる観念慣習から抜け出た場所なのです。</p><br><p>人は死んだら無くなることが、この世の道理なのですが、この世に復活している真理だけが、永生不死の神となり、神の国で永遠に生きることができるのです。</p><br><p>人間は、自らの妄念が自分の妄念の中に生きていることが地獄なのですが、これは世の中には存在しないものなので、無いものなのです。</p><br><p>この世にあるものはあることで、この世に無いものは無いことなのです。「見るがまま、あるがままが真理」ということは、人間の心が神なるこの世の心となったときに、この世にあるものはあり、ないものは無いものとしてわかるでしょう。</p><br><p>この世に無いものはすべて、人間の妄念なのです。<br></p>
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<link>https://ameblo.jp/maummeditation/entry-11260858252.html</link>
<pubDate>Sat, 26 May 2012 10:34:46 +0900</pubDate>
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<title>あなたはあの世を知って行くのか</title>
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<![CDATA[ <p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120429/09/maummeditation/a4/71/j/o0607034711942192653.jpg"><img border="0" alt="Kumabitiのブログ" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120429/09/maummeditation/a4/71/j/t02200126_0607034711942192653.jpg"></a><br></p><br><p>あなたはあの世を知って行くのか</p><br><p>昔からあの世について数多くの人々が話をしてきました。仏教では因縁に従い、業に従って行くと言い、また、善行を積んだ者は極楽に行き、悪者は地獄に落ちると言います。</p><br><p>キリスト教では善良なことを行い、イエスを信じる者は天国に行き、イエスを信じない悪者は地獄に行くと言います。</p><br><p>時に身近な人の祭儀に行くと、各々の宗教の儀式通りに祭儀を行っていますが、身近な人が死んだとき、どこへ行ったのかを明確に知っている者が、この世にいません。</p><br><p>そして、「人は死んだらどこへ行くのか」という話題になりますと、自分が信じている宗教の経典に書かれている通りの話をする人がいれば、宗教を信じない人の中には、人は死ねば消えるだけだと言う人もいます。</p><br><p>私たちが人間についてきちんとわかれば、こうした疑問も容易に解けるでしょう。人間はこの世に生まれながらにして、この世を写真に撮り収めています。自分の仕事や家族・子供・敵・財産・愛・名誉まで、自分の一生のすべてを写真に撮り収めているのが人間なのです。</p><br><p>この人間は世の中と自分の心の世界とが重ねあわされているために、自分が心の世界に生きていることを知らずに、自分は実際の世界に生きていると思っています。</p><br><p>しかし実際は、この世の人ではなく、自分の心の世界の人なのです。自分の心の中で悩んだり、恋をしたり、憎んだりし、良い悪いを決めるのも、結局は自分の心であり、そうして人間は自分の劣等意識を拭おうとします。</p><br><p>自らの心の世界は虚であり、実在しない妄想の世界であるために、人間は死ねば妄想の世界で永遠に死んでしまいます。</p><br><p>つまり、自らが作り上げた業と因縁へと人間はついて行きますが、これは、この世には無い妄想の世界なのです。これが地獄なのです。</p><br><p>この世にあった物質は、本来の真理から来て、本来の真理へと帰ります。それがこの世の理でありますが、妄想の世界の中にいる人はみな、自分の作った心の世界へ行って死んでしまいます。</p><br><p>自分の心の世界を壊し、真理の本来であり、創造主であるこの世の根本に帰って、そこで生まれてこそ、人間は永遠に生きられます。</p><br><p>永遠なる生が本来の生であり、この世の根本が天国でありますが、人間の中には義人がいないので、自らを悔い改めて懺悔することなしには、みな死んでしまいます。真理の世界には存在しない夢のままで終わってしまうのであります。</p><br><p>この世の根源である真理の霊魂に生まれた者だけが生きている者であり、生きられる者でしょう。人々はこの世の霊魂が無いために死んでしまいます。</p><br><p>しかし、悔い改め懺悔し、真理の根本へ帰って、その霊魂に生まれ変わったものは、永遠に生きられることでしょう。</p>
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<link>https://ameblo.jp/maummeditation/entry-11256391116.html</link>
<pubDate>Mon, 21 May 2012 07:40:44 +0900</pubDate>
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<title>人間の大切さ</title>
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<![CDATA[ <p><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120419/22/maummeditation/8b/f6/j/o0610035111925476821.jpg"><img border="0" alt="Kumabitiのブログ" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120419/22/maummeditation/8b/f6/j/t02200127_0610035111925476821.jpg"></a></p><br><p>人間の大切さ</p><br><p>私は人と接するとき、相手が一人でも常に慎重に向かい合います。彼らに「真理になってください」と何十回と頼んではまた頼みます。しかし、人々は、私が話をしている時はよく耳を傾けてくれますが、ある日突然、心変わりをして、姿を見せなくなります。そんな例をたくさん見てきました。人の心は信じられないという思いが、長年にわたって、この勉強をさせているうちに、幾度も心に残るようになりました。</p><br><p>人の心は朝夕に変わるので、「水の中の十尺先はわかっても、一尺先の人の心はわからない」と世間では言うのではありませんか。しかし、人間についてはっきりと私がわかることは、人間には何よりも一生しかなく、真理になるという、一生のうちで成し遂げなければならないことを、成せずにいたら、人間は、永遠に生きられるようになる時に、その機会を逃してしまうということなのです。</p><br><p>ですので、切なる思いで私は相も変わらずに「心を捨ててください」と頼みつづけているのですが、自分の罪の中や業の中で生きている人は、その罪業の中に行ってしまいます。これが、罪業の中にいる人の姿なのでしょう。</p><br><p>自分が成そうとするその欲望があるために、流れる川の水に従い、流れる歳月に従って、心を持たずに生きるということができず、人は真理になれずにいるようです。自分が成そうとすれば成せないもので、自分とは捨てるべき存在であることを悟り、自分が一番悪人だと思える者は成し遂げられるし、ついて行けますが、虚である自分が偉い者は、偉い自分に真理を備えようとするために、難しく、真理になれずにいるでしょう。</p><br><p>自らの罪を滅ぼすことができる人は、自分よりも真理が大切であることをわかって修練し、偽物である自分を捨てた者だけが、神なる本来の自分に生まれ変われます。生きるか死ぬかの、この時季に、罪業を洗い落として生きましょう。<br><br></p>
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<link>https://ameblo.jp/maummeditation/entry-11248448330.html</link>
<pubDate>Sat, 12 May 2012 11:04:52 +0900</pubDate>
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