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<title>blog.正雅堂</title>
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<description>オルガンと抹茶と歴史を好むshogado・気まぐれblog</description>
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<title>６年半ぶりにこんにちは。</title>
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こちらへの投稿は６年半ぶりになります。この６年半、記述はフェイスブックを中心に行っていました。思えばこちらの記述は２００４年くらいからやっていました。ジャパンブログアワードとかいう、２年くらいで潰れた怪しい賞を頂いたこともありました。 せっかく残っていたので、活用できる方向で整理していこうと思います。 引き続きよろしくお願いします。 Ｂｌｏｇ．正雅堂　主筆 
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<dc:date>2019-01-18T16:13:31+09:00</dc:date>
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<title>ヴェルサイユ宮殿に輝く鶴丸紋の栄光</title>
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フランス国王・ルイ14世。その名はヨーロッパ全土に轟かせ、フランスに絶対王政をもたらせた偉大な王として、世界史で語られている。近隣諸国との戦争を繰り返し、多くの命と資金を費やした反面、文化に対する造詣は深く、音楽をはじめ芸術文化のすべてを庇護した。その最たる作品がパリ郊外にあるヴェルサイユ宮殿といっても過言ではないだろう。 ヨーロッパ全土を統治する勢いを持った王。その王者の住居であり、その正殿とも言うべき場所は、史上最もよく知られた「鏡の廊下」である。京都御所で言うところの紫宸殿、紫禁城でいう太
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<dc:date>2012-06-02T06:57:05+09:00</dc:date>
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<title>継光院～2人の藩祖を生んだ女性</title>
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お盆を過ぎた好日、地元の方と赤穂に縁の深い歴史家先生の案内を受けて、津山は本光寺を訪ねた。山号は瑠璃山。 ここは黄檗宗の禅寺で、津山藩２代藩主・森長継によって創建された寺院である。一見、要塞を思わせる門前であるが、同行の方に寄れば、これは黄檗宗の典型例なのだという。ここに継光院殿という、一人の女性が葬られている。継光院とは、播磨三日月藩の藩祖・森対馬守長俊の母の院号であり、俗名は於偕（かい）と言った。江戸時代はじめの大坂で生まれ、その後津山藩２代藩主森長継の側室となって、津山に住んでいた。森家の
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<dc:date>2009-09-02T22:55:39+09:00</dc:date>
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<title>富士山頂で野点</title>
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今年も総員無事に登頂できた富士山の山頂で、ぜひともやりたかったのがコレ。ここにある浅間大社の奥宮で、盛大な献茶式を行ったのは 一昨年のこと。当時参加した師匠や社中には「また登るのか」といわんばかりの呆れ顔で見送られ、職場の仲間を４人連れ立って、夜間登山に臨み、やっとの態でここに上がってきた。 その仲間を客に立て、山頂で野点を行った。献茶式の折は、着物や風炉、台子、毛氈といった道具一式がブルドーザーによって山頂に運ばれた。今回はそんなことはしない。小さな茶碗と、盆、それにお茶を立てる道具類を小さく
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<dc:date>2009-08-23T22:34:49+09:00</dc:date>
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<title>被爆した戸籍たち</title>
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今日は64回目の長崎原爆忌である。64年前、母方の祖父は軍に従事して投下後の長崎市内に入市し被爆した。彼が軍務の名の下に命を削って撮影した写真の一部は後に写真集となり、全国の小中学校に配布された。祖父の家を訪ねる度に、学校の図書館で見たそれと同じものを私に広げ、詳しく説明してくれた記憶が幼心に焼きついている。その写真集は形見として私が受け継いだ。ページの１枚には、同僚が撮影したものだろうか、矢印書きがされて祖父自身も映っている。その長崎から昨年、所用があって除籍簿を取り寄せた。そこには祖父や曽祖
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<dc:date>2009-08-09T23:58:22+09:00</dc:date>
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<title>聖衆来迎寺～信長焼き討ちを免れた寺</title>
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比叡山を詣でて、そこからハイキングコースを彷徨いながら滋賀県側へ降りる。そこにある、森家所縁の史跡を目指して。比叡山の麓、坂本の町に聖衆来迎寺という古い寺がある。開基は伝教大師最澄。信長による比叡山焼き討ちでも、唯一焼かれなかった天台宗の名跡である。 何故信長はこの寺を焼かなかったのか。それは、ここに信長が頼った古参の配下が眠っていたからである。その名は、森三左衛門可成。森蘭丸や、森武蔵守長可、初代津山藩主となった森忠政の父である。可成は信長の命を受けて近江宇佐山城の警護を担い、浅井朝倉勢を前に
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<dc:date>2009-06-23T00:05:10+09:00</dc:date>
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<title>歴女という人たち</title>
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世に、歴女という言葉があるらしい。この字、遠目に見ると「魔女」かと思ってしまう。歴史に興味を持った若い女性を指すそうだが、私はこうした人々をあまり快く思わない一人である。洋の東西を問わず、純粋に歴史が好きなファンは古来から多くいる。彼等の存在は先人の業を啓蒙し振り返るという意味でも意義深いことであり、後世に伝え残す手伝いともなる。願わくば私もその一人でありたいと願っている。だが、世に言われる歴女と呼ばれる方々の多くは、ロールプレーイングゲームや大河ドラマといった現代の創作から端を発した歴史ファン
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<dc:date>2009-06-20T23:52:53+09:00</dc:date>
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<title>遠祖が没したその場所で</title>
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裏千家の家元・今日庵を訪問する前の日の夜。師匠と主だった社中が千葉から集い、今日庵の裏手に位置する妙顕寺を宿坊とした。宿坊とは、お寺に泊まらせていただくことで、泊まることを参篭という。 実はこの妙顕寺、森家の歴史にも登場する縁の寺院なのである。今からおよそ370年前の寛永11年（1634）7月7日、初代津山藩主で森蘭丸の弟に当たる、森忠政公が死去した場所なのである。寛永11年の夏は、徳川家光が京都へ上洛した年であり、忠政公はその接遇準備として、一足先に京都入りしていたのである。京都に屋敷を持って
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<title>津山に来ていた助さん</title>
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諸国漫遊したとされ、お茶の間の人気時代劇である水戸黄門だが、これが史実ではないことはよく知られている。夢を崩すようだが、水戸黄門こと徳川光圀が記録に残した生涯で最も遠くに旅をしたのは鎌倉までとされ、とても諸国を漫遊するなどはありえない話であった。また、黄門とは権中納言という官職名を唐名（とうめい）、すなわち中国の官職名に変換した言葉であり、水戸徳川家では7人の当主が権中納言に叙任されているので、江戸時代を通じて7人の水戸黄門が存在していたことになる。奈良時代に渡来した中国王朝の職制を似せた呼称で
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<title>文化財は文化財</title>
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つい先日、鳩山総務相の鶴の一声で保存へと動き出した、解体寸前の東京中央郵便局局舎。 日本郵政による、「かんぽの宿」叩き売りの波を止めた彼の功績は国民の共感を得たものであったが、今回の鶴の一声もその調子に乗ったような行為にも見えてとれ、些かの不安を覚えたのだが、何はともあれ、都心から消えてゆくレトロな建物が一つ救われたことに安堵したのは私の本音でもある。だが、それを批判するかのような記事を見つけた。詳細は文末の転記を参照されたい。不平不満・・・いや罵詈雑言をを並べたような記事。ペンを通して大衆に情
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<dc:date>2009-04-25T23:01:57+09:00</dc:date>
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