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<title>梅は匂い、人は…。</title>
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<description>クリスマスベイビー</description>
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<title>梅は匂い、人は…。</title>
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<![CDATA[ なぜ、このブログを始めたのか。<br><br>おそらく知り合いには決して教えないだろうに（たぶん）。自己表現ではなく、自己審判の場になれば。<br><br>なぜ、このタイトルにしたのか。<br><br>ここ２年くらい読んでいる、故・城山三郎。彼の小説にあった『梅は匂い、人は心』。梅は姿形も美しいが、その特徴を最も表すのは匂いである。またそれは人も同じ。姿形ばかり目につくが、大事なのは心である。人目、外見ばかり気にする自分には突き刺さるフレーズだ。<br><br>しかし『心』では枠組みが大きすぎる。花の匂いもそれぞれ、人の心もそれぞれ。時代に愛される匂いもあるように、その時代、国、地方、コミュニティで愛される心もある。<br><br>先日の選挙では麻生氏が若者の指示を多く集めた。彼は政治家として強烈な個性がある、と言われている。若者はそれを指示した、と見られている。<br><br>そもそも政治家に政策実行力などより、個性が求められるようになったのは小泉氏以来ではないか（それ以前は私が政治を見ていない、ということもある）。最も小泉氏には政策実行力はあったが。そして、今はその個性が求められる。だから、麻生氏、なのだろうか。<br>しかし、時代に愛されると言っても、時代は浮気者である。いつ、違うものを愛するかわからない。そうなると、やはり普遍的な『心』を手に入れたいと私は思う。<br><br>そしてそれは、自分の自己実現の目標が未だ定まっていないと言うことの表れか。<br><br>２４歳になった私は、どこに自分の目標を置くのか。<br><br>自分の求める『心』の方向性を探す一年にしたい。
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<pubDate>Tue, 09 Oct 2007 23:49:57 +0900</pubDate>
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