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<title>mayucchimamaさんのﾌﾞﾛｸﾞ</title>
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<title>5年前…</title>
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<![CDATA[ 昨年の9月頃から、また躁鬱が激しくなりはじめた。<br><br>絶え間無くフラッシュバックをおこしては、デパスの乱用…<br><br>倒れてから半年の間、パパは人が変わったようになっていた。<br>自宅療養の一ヶ月…<br>何度も、こんなで会社復帰出来るのか不安で堪らなかった。<br><br>高速を運転していると、突然ギアをニュートラルにして笑う…<br>身障者手帳の写真を撮る時は、あっかんべーを繰り返してはとりなおし…<br><br>極めつけは、部屋で横にいた茉由がビニール袋を頭から被って窒息しそうになってもがいていたのに、真横にいて全く気づかなかった事…<br><br>すみません、書き途中でUpしちゃいました<br><br>続きは後ほど…<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/mayucchimama/entry-11760128769.html</link>
<pubDate>Wed, 29 Jan 2014 11:26:25 +0900</pubDate>
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<title>いじめ※親御さん必見※ラスト</title>
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<![CDATA[ 経験して思った事です。<br><br>学校は、学校を守る事しか考えません。<br><br><br>今、学校から子供を守る為に出来る事…<br><br><br>学校とのやり取りは、連絡帳など必ず文書にして下さい。<br><br>後々効果が出ますし、証拠にもなります。<br>書きはじめはどんな怒りがあっても、<br>「いつもお世話になっております。」等と書く事をｵｽｽﾒします。<br><br>そして、自分の子供をよく観察して下さい。<br><br>私は、毎朝どんなに手が離せない時も必ず玄関まで見送ります。<br><br>話を聞いてあげて下さい。<br><br>話の中に、ﾋﾝﾄが入ってる時があります。<br><br>遊びに来る子供には、おやつも出します。<br><br>ありがとぉ。と言わない子供には<br>「こら！礼ぐらい言え。」<br><br>靴を揃えない子供には、<br>「出入り禁止だょ～。」<br><br>泊まりに来る子供とは、朝まで息子そっちのけでゲームやネット、宿題をやります。<br><br>子供達に真剣に向かい合えば、向こうも返してくれます。<br><br>学校に行くと、必ず<br>「〇〇ママ、ちぃーす♪」と声がかかります。<br><br>その中で、親に言えない事も話してくれます。〇〇ママには何でも話しやすいって。<br><br>ある時、友達のママから<br>「母ちゃんも〇〇ママみたいになれよ。」って言われた、と聞いた時は嬉しかった<img src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/038.gif" alt="音符" class="m"><br><br>あの時以来、にぃは風呂上がりは片手で前だけ隠して出て来ます。<br>最近は<br>「このエロママ！」の言葉で…<br>私は<br>「片手で隠れる位じゃ、味見する気にもならんわ。」と、返します。<br><br>素早く、全身チェックします。<br><br>いじめられている子は、自分からは絶対に言いません。<br><br><br>だけど、どこかでSOSを出しています。<br>この関わり方で、何件ものいじめを見つけ、辞めさせてきました。<br><br>今では、先生の方から何か情報がないかと聞かれます。<br><br>あの時、気づいてやれなかった息子への罪滅ぼしと思い、積極的に思春期真っ盛りの子供達とガチで向き合っています。<br><br>余談になりますが、<br><br>あの時、にぃと同じとまではいかないながらも、いじめられていた子が二人います。<br><br>現在、二人とも不登校です。<br><br>あの時、お母さん達に言いました、今もママ友です。<br>うろたえるだけで、何のアクションもおこしませんでした。<br><br>二人のママには接点がないので別々にお茶しますが、今を悲観し、将来を悩んでいます。<br><br>手遅れになる前に…<br><br>明日から、<br>「行ってらっしゃい。」と、声をかけてみませんか？<br><br>毎朝続けると、違いがわかりますよ♪<br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/mayucchimama/entry-11640087509.html</link>
<pubDate>Thu, 17 Oct 2013 02:56:16 +0900</pubDate>
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<title>いじめ※親御さん必見※№3</title>
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<![CDATA[ 電話は案の定、校長からだった<br>校長<br>「教頭が先走り、すみません。明日詳しいお話出来ませんか。」<br><br>わかりました、と私。<br><br>次の日、学校へ行くと校長、教頭、担任がいる校長室へ。<br><br>校長<br>「あの子は可哀相なんですよ。親が離婚して、母親は夜の仕事で構って欲しいんです。」<br><br>はぁ？思わず<br><br>「相手の家庭環境に同情の余地があろうと、この件とは無関係でしょう。いじめをしていい理由にはなりません！。」と私。<br><br>教頭は、担任にいじめの事実はあったのかと、問う。<br><br>終始泣いている担任は、いじめではなく、ふざけっこの範疇だと…。<br><br>あのね、ふざけっこで前歯2本折ったり、ﾗﾝﾄﾞｾﾙに死ねと書かないでしょ、普通。<br><br>校長は、私の持つ証拠を盛んに聞きたがった。<br><br>けど、切り札である。教える訳にはいかない。<br><br>今後どうしていくか、2、3日後に連絡するので、学校に来て欲しいと言われた。<br><br>私は、子供が小さい事を理由に文書にして、にぃに渡すのを頼んだ。<br><br>来た文面は、到底納得出来るものではなく、いじめは更にｴｽｶﾚｰﾄしていく。<br><br><br>Wだけでなく、TやH、Mも加わるのだ。<br><br><br>給食の配膳をさせられる、鼻をかんだﾃｨｯｼｭを口に押し込まれる、首を絞められ痣を作る、頬を爪でえぐられ血を流して帰る…<br><br>その度、連絡帳に書くがふざけっこだと書いてよこす担任。<br><br>極めつけは、野球の最中にぶつかった、と説明されたが角膜損傷で病院に搬送された。<br><br>このままじゃ、殺される…<br><br>いじめ110番に相談した。が、そこは県警だった。すぐに傷害で立件しますと言われ、ﾊﾟﾆｯｸになって電話を切った。<br><br><br>事態が変わりはじめたのは、冬休みのある日。<br><br>担任から、一通の手紙が届いた。<br><br>文面は、<br>当初からいじめと認識していたが、どう対処してよいかわからず、自分も苦しかったと…<br><br>休み明けからは、教頭が必ず一日教室に入る事になった。という内容のものだった。<br><br><br>恐らく、地元有力紙である北國新聞に載せた投稿に、ﾋﾟﾝ！と来たのだろう。<br><br>そして、冬休み後は多少の怪我はあったものの、いじめの回数はぐっと減った。<br><br>3月には、今後卒業まで同じｸﾗｽにはしない（2ｸﾗｽしかないのに）という約束をとりつけた。<br><br>担任はその後2年間、重度多動症の生徒の専任となり、異動していった。<br><br>まとめへ続きます<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/mayucchimama/entry-11637268518.html</link>
<pubDate>Mon, 14 Oct 2013 21:41:07 +0900</pubDate>
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<title>いじめ※親御さん必見※№2</title>
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<![CDATA[ 次の日、茉由が寝ている間にカメラを持って学校へ行った。<br>現行犯を撮るために…<br><br>学校は施錠されているので、ﾁｬｲﾑを押す。<br>「授業の見学に来ました」と、<br>教室では帰りの会が始まるところで、ざわざわしていた。<br><br>その時、Wは後ろから殴ろうと手を振り上げた。<br><br>ただ、デジカメはシャッタースピードが遅い(-_-#)<br><br>撮れなかったばかりか、ｸﾗｽ中の子がやって来て、Wのやるいじめを次々教えてくれる。<br><br>色鉛筆の蓋に、<br>『〇〇のパンツはプリキュアパンツ』と、マジックで書かれていた。<br><br>給食のマスクには<br>『でぶの〇〇のうんこたれ』と書いてある<br><br>このマスクをしながら、授業中に歌いながら立ち歩くのだ。<br><br>このマスクは一度、女の子がそっと盗んでにぃのポケットに入れてくれた為、証拠品はある。<br>担任は、呆然と立ち尽くしていた。<br>終礼後、詰め寄る私。<br><br>「子供達みんなが知っていて、教えてくれるのに、あなたは知らなかったとは言わせませんよ。」<br><br>担任は、自分からは何も言えないので、後から電話します。と<br>夕方、教頭から電話が来た。開口一番、<br>「お母さん、あなたがした事は学校への不法侵入ですよ！来校者名簿に記載されてませんね！勝手に写真を撮ったそうですね！ﾌﾟﾗｲﾊﾞｼｰの侵害です。<br>訴えられても文句言えませんよ！」ときた…<br><br>プチッと怒りスイッチが入った<br>「はい～？今なんて言われました？訴えるならどうぞ、こちらも今の会話録音しています。証拠も色々有ります。<br>訴えるなら、何処でもどうぞ。ただし、こちらも対抗手段をとらせて戴きます。」<br><br>恐らく、教頭はちょっと脅せば私が引き下がると思っていたのだろう。<br><br>慌てて<br>「校長は今、来客中なので手が空き次第、電話させます。」と言って、電話を切った。<br><br>それから５分後に電話が鳴った。<br><br>続きます_(._.)_<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/mayucchimama/entry-11634169880.html</link>
<pubDate>Sun, 13 Oct 2013 07:15:38 +0900</pubDate>
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<title>いじめ※親御さん必見※№1</title>
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<![CDATA[ 昨日、茉由が<br>「学校にね、あのねボックスが置かれたんだよ。いじめられたら、紙に書いて入れるの。」<br><br>その言葉を聞いたとたん、7年前のいじめがﾌﾗｯｼｭﾊﾞｯｸした…<br><br>悔やんでも、悔やみきれない母として失格の烙印を押された自分。<br><br>今でこそ、ﾏﾝﾓｽ中学の生徒会長となり、充実した生活を送るにぃちゃん。<br><br>事の発端は、朝の高校生がいじめを苦に飛び降り、というﾆｭｰｽを聞いて<br>「僕、あの子の気持ちわかるなぁ、でも飛び降りは痛いよね。」<br><br>一瞬で空気が凍りついた！<br><br>な、何でそんな事言うの？と私<br>別に何でもないよ、行ってきまぁす。とにぃ…<br><br>スルー出来ない言葉だった。<br>その日、7ヶ月になる茉由を抱いて学校に行った。<br><br>運動会の練習の為、ｸﾞﾗﾝﾄﾞに出て来る子供達…<br><br>その中の女の子達が私を見つけ「ねぇ、助けてあげて。痛い事いっぱいされてるょ、注意したら私もお腹蹴られた。」と。<br><br>案の定、見ていると明らかに担任の様子がおかしい。<br><br>私を見つけてからは、いじめるWの傍に張り付いている。<br><br>が、ダンスが始まると移動するのでその時見てしまった。<br><br>真剣に走るにぃの足を引っかけたのである。<br><br>間違いない、そういえばここ最近、<br>「茉由のお風呂大変だから、一人で入るよ。」って。<br><br>着替えも全部済ませてから、脱衣所を出てきてた。<br><br>下校したにぃの服を全部脱がせた、ショックだった…<br><br>背中、腰、お尻、太もも、体中青痣だらけなのだ、涙が溢れて止まらない…<br><br>青痣も酷いところは、内出血して腫れ上がっている。<br><br>嫌がるにぃを説得し、全てを写真に収めた。<br><br>ここからが、学校との一年にわたる闘いの始まりだった。<br><br>にぃ、小学2年の5月の事である<br><br>続きます
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<link>https://ameblo.jp/mayucchimama/entry-11634041277.html</link>
<pubDate>Fri, 11 Oct 2013 21:34:22 +0900</pubDate>
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<title>小学生時代（低・中学年）</title>
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<![CDATA[ 学校生活…特に今まで勉強をした覚えは全くない。<br><br>集団生活は苦手だった。<br>女の子同士手を繋いでﾄｲﾚに行く、なんて考えられない。<br><br><br>休み時間はいつも男子とサッカーやドッジボールをしていた。<br><br>成績は5段階評価の（細かくいえば0.5刻みなので10段階評価）4.5か5。<br>期末テストはほとんどが満点だったので、先生が家まで持って来たのを覚えている。<br><br>ただ、コメント欄にはいつも協調性が無い、課題に気分のムラがある。と書かれていた。<br><br>3年の時、初めて担任になった先生（卒業まで変わらなかった）の子供が腸閉塞で亡くなったので、マラソンのご褒美に頑張った子に子供の為に買っていたという、世界文学全集をくれることになった。<br><br>欲しい(≧∇≦)と思った私は、雨の日も休み時間、朝登校、下校前、走り続けたのである。<br><br>勿論、クラスでは群を抜いて一位だった。<br><br>おそらく、先生は私の中に他の子と違う何かを感じたのだろう。<br>発達検査を薦められ、受ける事になった。<br><br>結果で教えられたのは、総IQが132あるということのみ。<br><br>当時は発達障害が浸透していなかった為に、この時スルーされてしまった…のが今日の苦しみに繋がっている、<br><br>あの時、もっと親が向き合っていてくれたら…<br><br>無理だな…弟が生まれ私は野放し、父は接待で家にはほとんどいなかった。<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/mayucchimama/entry-11631912034.html</link>
<pubDate>Wed, 09 Oct 2013 15:06:56 +0900</pubDate>
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<title>ｴﾃﾞｨﾌﾟｽｺﾝﾌﾟﾚｯｸｽ※一応18禁※</title>
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<![CDATA[ アスペルガーの特徴の一つに、記憶力の半端ない事が挙げられる。（人にもよるが…）<br><br>私の記憶力は、3歳からカラーで脳に否応なしに詰め込まれてきた。<br><br>自分の意思とは無関係にフラッシュバックする。<br><br>私は、実の父親に三度捨てられた。<br><br>一度目が３歳の時。<br>夜中に目が醒めて居間へ行くと、父と叔父、母と母の兄がテーブルを囲んでいた。<br><br>後にわかったが、女遊びの多い父…<br>相手と一緒になりたいと、離婚話の最中だった。<br><br>二度目は小6の時。<br>総本家にいよいよ行くと決まった時、父に聞いた。<br>「本当に行っていいの？」<br>父の答えは、<br>「好きなようにしなさい。」<br><br>止めて欲しかった…<br><br>そして、三度目。<br>高2の時、私は東京に家出した。<br>たまたま前日珍しく早く帰った父。<br>私に向かって<br>「お前の様な、親不孝な奴はさっさと家を出てけ。」と…<br><br>結局この家出は、頼った先輩が男の部屋には泊められないと、ホテルをとってくれ、両親に連絡した為、3日で終わったが…<br><br><br>父は仕事のストレスで酒に酔ってのDVも酷かった。<br><br>蹴られる母に被さり、辞めてと懇願した。<br><br>が、小3のある夜目が覚めるとまた、母のうめき声が聞こえる。<br><br>そっと覗くと、それはうめき声ではなく、喘ぎ声だった…<br><br>父に貫かれ悶える母…<br>バイブで何度もイク母…<br><br>初めて、母が憎いと思った。<br>私が父に抱かれたい、とって変わりたい、愛されたいと思った。<br><br>その夜、初めて自分でイッた、父に抱かれたい思いは、今でもある…<br><br><br>ｴﾃﾞｨﾌﾟｽｺﾝﾌﾟﾚｯｸｽについて<br>参考Wikipedia<br><br>ジークムント・フロイトが提示した概念である。男根期に生じ始める無意識的葛藤として提示された。日本では訳語としてエディプス複合と呼ばれることもある。フロイト派では男女ともに適用される用語であり、心的発達の重要な転換点として、また神経症の発症段階として注目されている。<br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/mayucchimama/entry-11629696294.html</link>
<pubDate>Sun, 06 Oct 2013 21:54:39 +0900</pubDate>
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<title>総本家…おそるべし</title>
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<![CDATA[ <br>わたしが総本家の世継ぎとなるべく、生まれてきたのは前記事にも書いたけれど、家を守る為に犠牲になったのは、わたしだけじゃない。<br><br>祖母は、京都の一般家庭の出だけれど、育ちが卑しいという理由で、あらいべである分家に養子縁組し、そこから嫁に来た。<br><br>母は、呉服屋の次女だが御用伺いに行った時、器量と愛嬌の良さが祖父の目にとまり、父と結婚した。<br><br>幸いなことに、父と母は同じ高校の先輩、後輩で色男だった父を母は知っていて、見合い恋愛のようなものだった。<br><br><br>１番可哀相なのが養父となる叔父だ。<br><br>最初の奥さんは、米を勝手に実家に持って帰った（盗んだ？）という理由で、追い出された。<br>２番目の奥さんは、働かないという理由で追い出された。<br><br>３番目の奥さんは小さな工務店の長女で、働き者という理由で結婚した。<br><br><br>この３番目の奥さん、養母になるのだが後々の私の人生を大きく変える鬼門となる。<br><br>祖父は、私が生まれる３ヶ月前に亡くなったが、世継ぎになると信じて疑わず、名前まで命名して逝った。<br><br>普通なら初めての子、両親が万感の想いを込めてつけた筈なのに…(;_;)<br><br>だから、名前に込められた由来をまだ知らない。<br><br>おそるべし…総本家<br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/mayucchimama/entry-11625312699.html</link>
<pubDate>Tue, 01 Oct 2013 03:58:49 +0900</pubDate>
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<title>辛い…哀しい…</title>
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<![CDATA[ ストレスを溜め込み過ぎて、また人を信じようとしない自分に戻ろうとして…<br><br><br>…本当に本当に生き辛い。<br><br><br>情緒不安定で迷惑や心配を掛けてばかりの自分が情けなくて、姿を消したい衝動に駆られる時がある。<br><br>決して病気のせいにしている訳じゃない。<br>決して不安定な自分を許してる訳じゃない。<br><br>むしろ、必死にもがき続けているのに…目に見える変化が無いことがどれだけ悔しいか。<br><br>少し安定する時期が来ても『次はいつ沈むか…』と、常に心に爆弾を抱えている気分。<br><br>大切な人達を傷つけたくない。<br>呆れて欲しくない。<br>手を離して欲しくない。<br>去って欲しくない。<br><br>頭の中がいつも病気の事と自責の念と悪魔から逃れられない恐怖心でいっぱい。<br><br>私達、ﾒﾝﾍﾗｰは全てを理解して受け入れてもらおうとは思ってない。<br><br>だけど、だけど否定するのだけは辞めて…。<br><br><br>自分の存在価値さえも、否定されたよう、哀しみでいっぱい。<br>パパには、躁鬱という言葉は存在しない<br><br>うつは、怠けたいための言い訳としか思って貰えない。<br><br>ﾘｽｶを見つかった時は叩かれる<br>なんで普通の主婦になれない、18やそこらの若いやつじゃあるまいし…と。<br><br>今の私の安定剤がﾘｽｶなんだよ<br><br>5年前のフラッシュバックに苦しむ…<br><br>今の、子育てに疑問を感じながら苦しむ。<br><br>楽になりたいだけ、ほんの少しでいいから…。<br><br>今日、ひとつ目のﾘｽｶの抜糸にいった。<br>余りにも待ち時間が長かったので、途中で帰り自分で抜糸した<br>でも、パパには絶対言えない…すべてを否定されるから…<br><br>楽になりたい、生きている存在価値がほしい。<br><br>心が潰れそうな自分と闘ってる<br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/mayucchimama/entry-11623208404.html</link>
<pubDate>Sat, 28 Sep 2013 03:43:27 +0900</pubDate>
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<title>生い立ち…幼児時代</title>
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<![CDATA[ 続きです。<br><br>私は生まれてから、小学1年になるまで、お金の存在を知らなかった。<br><br>知らなかったというには語弊がある。<br><br>欲しいと言えば、次の日には手に入る。お金を使って物を買うという場面にいたことがない。<br>総本家から実家まで400㍍ぐらい。当然の事ながら、旧国鉄社員だった叔父は、休みの日には必ず家に来た。数えきれないぐらいのおもちゃを抱えて。<br><br>母は、世継ぎを産むべく何度も入退院を繰り返していたのだが、叔父と叔母、その時はまだ健在だった祖母が総本家に連れていき、寂しい思いをしたことはない。<br><br>宝塚、ロシアからのサーカス、芸能人のディナーショー等、出かける時は、いつも叔父と叔母が一緒だった。<br><br>父は普通のサラリーマン、ﾍｯﾄﾞﾊﾝﾃｨﾝｸﾞされた中小企業の営業部長で、家にいた記憶は当時はあまりない。<br><br>記憶に出てくるのは小学生になってから。<br><br>誕生日やクリスマスに至ってはケーキは二つ、プレゼントは母の実家（祖母）のも含め、数えきれないぐらいあった。<br><br>今にして思うと、超我が儘に育てられていたかも…<br><br>物を買うにはお金がいると知ったのは、小学1年の時。<br><br>下校途中にあったタバコ屋さんの前のアイスクリームケース…通る下校性に配ったのである<br><br>でも、叱られなかった。叔父がショーケースごと買い取った。その時初めて、自分で払わないと物が買えないという事を知った。<br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/mayucchimama/entry-11622818768.html</link>
<pubDate>Fri, 27 Sep 2013 15:44:17 +0900</pubDate>
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