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<title>アジア奇行紀行</title>
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<description>アジア滞在中の日記</description>
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<title>バンコク　ルンピニー組残党がふと思うタイの「色白信仰」</title>
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<![CDATA[ <p style="text-align: right;">タイに居てふと感じたがタイには色白信仰が色濃くありそしてそれは日本の比ではないということである。例えば色白の人のイメージとはこんな感じだ。・綺麗　・お金持ち　・教養がある。といいことばかりなイメージ。それに対して色黒のイメージはひどい！・田舎者　・貧乏　・教養がない　・辛いソムタムが好きである。日本では夏場はとくに男は日焼けしているほうがもてるイメージがあり、一時は日焼けサロンまであったＷ　10年くらい前だろうか？ガングロギャルなどが流行って渋谷にやたらと色黒な女の子が居たりしたものだ。実はタイの経済は中華系タイ人がイニシアティブを握っている。中華系タイ人はもとは中国大陸にルーツを持つ人々でその子孫は当然タイ人とのハーフもいたりして色白で美形な者もすくなくない。経済界においてもタイの主要金融機関の頭取は大概は華僑である。海外に亡命？しているタクシン元首相も華僑の出である。タイでも日本人の女の子は人気があるものだが、それも日本の豊かなイメージにタイ人に比べると色白であることは大きなアドバンテージと言えそうである。バンコクではやはりイメージ的に色白はチェンマイ、色黒はイサーンというタイ東北部の農村地帯だろうか。イサーン地方は農業しかなくやはり貧しい。年頃になるとバンコクに出稼ぎに出てくる女の子は少なくない。バンコクの夜のエンターテイメト、歓楽街を下支えしているのもイサーン出身の女性が多いのもまた確かである。イサーン地方のソウルフードといえばやはりソムタムだ。最近ではパパイヤサラダなどと呼ばれて日本人でもタイ旅行した人なら一度は食べているかもしれない。その他では特筆すべきは、昆虫？を食材にする食文化があることだ。日本でも長野県では未だにイナゴやザザムシ（カイコのさなぎ）の佃煮だスーパーでも売られているが。よくパタヤのバービアで一杯ひっかけていると昆虫屋台がどこからともなく現れてバーの女性がつまみでも買いに行く姿をよく見かける。当方も食べたことがあるがこれがけっこういけるから驚きであるＷ蝉やいもむしの素揚げに蟻のサラダなどだ。話が色白信仰から色黒からイサーンからの昆虫食材へと激しく脱線してしまったが、ひとついえることはやはりタイは楽しく奥深いということかＷ<a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20210212/09/mazuck811/5b/ba/j/o2448326414895119335.jpg"><img alt="" height="560" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20210212/09/mazuck811/5b/ba/j/o2448326414895119335.jpg" width="420"></a><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20210212/09/mazuck811/06/89/j/o3264244814895116800.jpg"><img alt="" height="315" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20210212/09/mazuck811/06/89/j/o3264244814895116800.jpg" width="420"></a></p><p style="text-align: right;"><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20210212/09/mazuck811/06/89/j/o3264244814895116800.jpg">​​​​​​​​​​​​​​</a><br>&nbsp;</p>
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<pubDate>Fri, 12 Feb 2021 10:39:32 +0900</pubDate>
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<title>バンコク　ルンピニー組残党の思い出その２</title>
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<![CDATA[ <p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20200402/10/mazuck811/fa/95/j/o2988531214737435476.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="747" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20200402/10/mazuck811/fa/95/j/o2988531214737435476.jpg" width="420"></a>バンコクにはじめて訪れたときは、せっかくタイまできたのだから出来たらパタヤやサムイ島なども言ってみたいなどと思っていたものだが、初訪タイの不安もありちょっと慣れるまでバンコクで肩慣らししようとルンピニー界隈の安宿街にいるうちに瞬く間に月日が経ちもう明日には帰国の途に着かねばならなくなった。</p><p>なぜなのか？それはバンコクという魔都が持つ不思議な居心地の良さに起因していたと思う。毎日、いろんな人々に出会い、はじめて食べるタイ屋台料理に舌鼓を打ち、毎夜シーロムやスリウォン通りあたりを徘徊しているうちに気が付けばどっぷりとバンコクの街に沈みこんでいた。</p><p style="text-align: right;">よく日本国内では「一人旅ってさみしくないの？」なんてことを聞かれることがあるが、一人旅こそいろんな人々との出会いがあり、とりわけバンコクの安宿街においてはさみしいなんて感覚は皆無に等しいのだ草　なので、一人旅に躊躇されている方は是非、一歩踏み出して一人旅を敢行していただきたい。さて出会いは旅の醍醐味であるが1980年代当時ときたら本当に面白い人々がバンコクにはいたものだ。</p><p style="text-align: right;">当時のバンコクは今のように便利でも綺麗でもなかった。ひときわ怪しげで夜は街灯もなくやや不気味なムードすらあったものだが、意外にも安全で怖い目にはあったことがなかった。</p><p style="text-align: right;">ただ、当時から市内の渋滞はひどくタクシーやバイタクなど運賃は全て交渉制、市バスは安いがどこに連れて行かれるのか分からないという常にミステリツアーのような代物だった草。</p><p style="text-align: right;">では、そんな煩わしい街角のどこがそんなに居心地が良いというのだろうか？まず、タイが持つのんびりとした南国のムード。マイペンライ（気にしないでいいよ～的な意）という言葉に代表されるように良くも悪くも寛大な国民性にあるのだと思う。それは悪くいえば、いい加減さと紙一重ではあるのだが草。ただ、当方のような生まれついでのグレーな人間にとってこれほどありがたいところはないのである。日本でサラリーマンをしたことのある方なら分かると思うが日本という国は全てが制度でがんじがらめで業種にもよるが会社内など制度の最たるところで当方などそれはそれは苦労したものである。それほどに日本の社会はきつくまた、タイの社会はゆるい！これが堪らなくて日本とタイをいききする人も少なくないのだろう。帰国後にちょっとしたことでタイに反応するようになる。例えば新聞を読んでてタイという文字にすばやく反応してしまい、よく見ると魚の鯛のことでがっかりしたり、パクチーという言葉に反応したりという症状だ。この症状がある人はタイタイ病に感染していると言えよう！でもどうだろうか、タイタイ病も悪くはなかる！いささか大げさかも知れないがその個人の心に希望の松明を持つことになるのだから！日本社会がつらいと思う人には是非、訪タイをお薦めする。</p><p style="text-align: right;">その３に続く</p><p style="text-align: right;">&nbsp;</p><p style="text-align: right;"><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20200402/11/mazuck811/83/f1/j/o2448326414737436666.jpg"><img alt="" height="560" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20200402/11/mazuck811/83/f1/j/o2448326414737436666.jpg" width="420"></a></p>
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<pubDate>Thu, 02 Apr 2020 12:38:31 +0900</pubDate>
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<title>バンコク　ルンピニー組残党の思い出</title>
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<![CDATA[ <p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20200317/08/mazuck811/10/2f/j/o1108147714729282877.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="373" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20200317/08/mazuck811/10/2f/j/o1108147714729282877.jpg" width="280"></a>私がはじめてタイ、バンコクを訪れたのは1980年代の終わり、確か２月頃だったろうか。</p><p>当時のバンコクときたら昼間はたまに停電したり、電話がかからなくなったり、それはもう発展途上国然とした状況だった。今のようにBTSや地下鉄、メータータクシーもなく、移動手段は市バス（一律2バーツ＝7円）か交渉制トゥクトゥクか白タク、バイクタクシー。市バスを乗りこなすには少しばかり経験と技量？が入ったものである。</p><p>当時はまだ日本ではバックパッカーという言葉は市民権を得ておらず、そんな頃すでにタイ、バンコクには３箇所にバックパッカーの巣くう安宿街があった。一つ目はもっともポピュラーなカオサンロード、ここは現在でも世界中のパッカーたちが跋扈する現役パッカー街と云えよう。２つ目はチャイナタウン（ヤワラー）ここは谷恒星の小説「バンコク楽宮ホテル」でおなじみの中華系商人たちの安宿街でとりわけ、80年代の日本人パッカーたちに愛された安宿街だ。７月２２日記念公園という円状の公園を中心に路地が広がりそこかしこに連れ込み宿程度の格安ホテル？があった。日本人に好まれたのは、楽宮旅社、台北旅社そして伝説の安宿ジュライホテルである。</p><p>ジュライホテルは円状の公園の目の前にあり、またファランポーン駅（バンコク中央駅）にも徒歩圏内とわりと便利な立地ではあったが当時その周辺は人間の欲と闇そして薬物が蔓延した怪しげでどこか退廃的なムードが漂いて、今のチャイナタウンとはちょっと違う感じだった。</p><p>円状の公園では昼間からシンナーをスーハーしている老人や売○婦などが空ろな目をしながらゾンビよろしく歩き回っていたものである。</p><p>そして当方がヤサにしていたのが、三つ目の安宿エリアであるルンピニー界隈である。ここは、どちらかと言うと欧米系の不良パッカー？旧い言い方をすればヒッピー（死後）のような感じの欧米人が多く見受けられた気がする。日本人は前述のチャイナタウンと比べると圧倒的に少なかった。そのエリアを代表するのはこれまた伝説の安宿、マレーシアホテルである。ここは今なを営業している！当時からガーデンプールやナイトクラブ、レストランを備え、周辺の安宿、ゲストハウスとは一線を画していた感があったが、ホテル前に屯するタクシー運転手はガラが悪く、ボルのは当たり前で、大麻と女の斡旋に余念がなかった草　そんなマレーシアホテルの斜め前にこれまた怪しげなプライバシーホテルというのがあり、そこは当時、当方の常宿でもあった。部屋にはかろうじてエアコンがあり、しかも欧米人向けなのか部屋は広く、ベッドはキングサイズ、バスタブまであった。しかし、お湯が出るのは最初の５分くらいでそこから水に変わるので、最初が肝心だった。宿周辺には今で言うコンビニのような雑貨屋や屋台、安食堂、ランドリーサービス、旅行代理店など旅行者に必要なものは全て揃っていた。</p><p>旅行代理店では、バンコク周辺の日帰りツアー（アユタヤやカンチャナブリー巡りなど）から水上マーケットや寺院めぐりなどのお手ごろツアー、或いはタイ国内外への航空券も安く手に入ったものである。日本では当時、LCC航空やHISもなかったので航空券は高かった覚えがある。</p><p>帰国後に調べるとその安ホテルはタングマハメックプライバシーホテルと言う名称らしかった。まあ、連れ込み宿のようなホテルである草</p><p>そこからは徒歩圏で今はなきルンピニームエタイボクシングスタジアムがあった。ただ、ルンピニー公園までは徒歩ではちょっとあるのでトゥクトゥク利用だった気がする。それが今じゃ地下鉄が走り、便利になったものだ。特に日本人は電車に乗りなれているので今のバンコクは楽に動き回れるだろうと思う。</p><p>とりとめも無く、80年代の安宿の思い出を徒然と書き連ねた。ルンピニー界隈も随分と変わってしまっているのだろうか。機会があれば、また訪れたいと思う。</p>
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<link>https://ameblo.jp/mazuck811/entry-12582748230.html</link>
<pubDate>Tue, 17 Mar 2020 10:36:45 +0900</pubDate>
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