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<title>ロスタイム　神様のくれた時間</title>
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<description>定年を迎え第一線から退いた人間から見たいろんなことを備忘録的に記していきたいと思います。</description>
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<title>信仰は消えた。でも残ったものがある　日本最大教団　創価学会体験記　PART1８</title>
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<![CDATA[ <p><b style="font-weight:bold;"><span style="font-size:1.4em;">初期投資(笑)</span></b></p><p>僕は折伏を受けて創価学会員となった。</p><p>沢山お金を取られただろうと思う方もおられるだろうが、意外にも習い事をするよりかからないのが現実であった。</p><p>&nbsp;</p><p>まず御本尊様をお借りする（本尊下附）の時に、確か最低3000円ぐらい供養したと思う。</p><p>あとは安置する仏壇だが、小さなコンパクトな御厨子というものを購入したと思う。</p><p>あとは初めてセットみたいな、鈴とか香炉とかがセットになったやつを買った気がする。</p><p>つまりは習い事をする用具を購入するのと初期投資は変わらない。</p><p>&nbsp;</p><p>会員数も多いので不要になったものをもらう人もいたはずである。</p><p>後に仏壇もそろえたが、処分に困っていた人から5000円ぐらいで購入した記憶がある。</p><p>もちろんくれる人もいる。（笑）買い換えたら残った仏壇は処分に困るから。</p><p>&nbsp;</p><p>月々かかるのは聖教新聞代と座談会で使う月刊誌「大百蓮華」代ぐらいだったと思う。</p><p>月謝みたいなのはなく、「広布部員」というのに申し込まなければお金はかからない。</p><p>最初の何年かは「広布部員」にすらなっていなかった（笑）</p><p>&nbsp;</p><p>あとは個人個人で池田大作氏の著作を購入したりするが、借りて読むのも自由である。</p><p>たまには本部から「先生からの激励」という名目で、押印された著作がもらえることもあった。</p><p>&nbsp;</p><p>会員数が非常に多い組織なので、一人一人の負担は大きくなくても、それが積み重なればかなりの規模にはなるのだろう。</p><p>実際、「人間革命」などの書籍は非常によく読まれていた印象がある。たいがいベストセラーになってたし。</p><p>少なくとも僕自身の感覚では、「入ったらお金がどんどん取られる」というイメージとは少し違っていた。</p><p>どちらかと言えば身の供養、活動で創価学会を盛り立てていた感じであった。</p><p>&nbsp;</p><p><b style="font-weight:bold;"><span style="font-size:1.4em;">芸術部との接点</span></b></p><p>創価学会の中には、芸能関係の仕事をしている人たちの集まりとして「芸術部」というものがある。</p><p>女優さん　俳優さん　お笑い関係　ミュージシャン　多種多様である。</p><p>活動していると、たまにその方たちとの接点もある。</p><p>テレビなどで見る人たちなので、なんか変な感じである。（笑）</p><p>&nbsp;</p><p>ある時先輩に声をかけられた。</p><p>「キョウセイ、車で来てるか？」</p><p>&nbsp;</p><p>僕は愛車のスバルサンバーディアスで来ていた。</p><p>「ああ、軽バンですけど。」</p><p>「T駅まで一緒に乗せていってくれ。人を迎えに行く。今すぐ、大丈夫か？」</p><p>「もう用事もないんでいいですよ。」</p><p>慌てて車を準備してT駅に向かう。</p><p>「誰迎えに行くんですか？」</p><p>「○○の○○さん。」（想像にお任せします。（笑））</p><p>&nbsp;</p><p>「えっ？ミュージシャンじゃないですか？サンバーでいいの？」</p><p>&nbsp;</p><p>もう少しちゃんと準備しとけよと思ったが、なんかいろいろイレギュラーがあったらしい。</p><p>その人は確か入信したての時に１回折伏セミナーで見かけた人である。</p><p>グループのボーカル担当の人と一緒に来ていた。</p><p>&nbsp;</p><p>T駅までは10分ぐらいであったがロータリーに入って探すと、ああいたいた。(笑)</p><p>&nbsp;</p><p>誰も気が付いていないのが妙にツボに入る。</p><p>オーラが・・・・・オーラがない・・・・・・・・・・。</p><p>コンビニでエロ本立ち読みしてても違和感がない雰囲気でその人は立っていた。</p><p>&nbsp;</p><p>窓を開けて叫ぶ。</p><p>「○○さん。こっちこっち。」</p><p>手を挙げてかけてくる。うわー、芸能人だけど異様なまでの親近感である。</p><p>すごい。普通過ぎる。（笑）</p><p>&nbsp;</p><p>サンバーに芸能人をお迎えして会館に向かう。</p><p>「これ軽ですよね？意外に広いんですね。（笑）」</p><p>気さくすぎて笑う。</p><p>&nbsp;</p><p>「なんか申し訳ないですね。タクシーで向かえばよかったんですけどね。お金もかかっちゃうし（笑）」</p><p>普通に一緒にエッチなお店に行ける雰囲気の人であった。今でもファンである。</p><p>腰が低すぎて笑ってしまう。</p><p>&nbsp;</p><p>たまにテレビやyoutubeでお見掛けするが、元気に活躍されていてうれしく思うのである。</p><p>裏表のない人。</p><p>そういう人間になりたいと僕も思うのである。</p><p>&nbsp;</p><p>スバルサンバーをほめてくれた男。素敵である。</p><p style="text-align: center;"><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20260704/15/mdgtw878/e4/a5/p/o1536102415799239425.png"><img alt="" height="280" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20260704/15/mdgtw878/e4/a5/p/o1536102415799239425.png" width="420"></a></p><p>&nbsp;</p><div id="k1x564cs" style="display: none;">&nbsp;</div><div id="k1x564cs" style="display: none;">&nbsp;</div><div id="k1x564cs" style="display: none;">&nbsp;</div><div id="k1x564cs" style="display: none;">&nbsp;</div>
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<pubDate>Sat, 04 Jul 2026 15:46:54 +0900</pubDate>
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<title>信仰は消えた。でも残ったものがある　日本最大教団　創価学会体験記　PART17</title>
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<![CDATA[ <p><b style="font-weight:bold;"><span style="font-size:1.4em;">上下ではないという思想と現実</span></b></p><p>現在の創価学会は、集団指導体制へ移行しているようである。</p><p data-end="149" data-start="122">もう活動はしていないので、詳細はよくわからない。（笑）</p><p data-end="190" data-start="156">&nbsp;</p><p data-end="190" data-start="156">僕の時代は「池田先生」が指導者であり、師匠という位置づけでもあった。</p><p data-end="251" data-start="192">当然僕もその空気の中にいたが、今思うと、パナソニックの松下幸之助や本田技研の本田宗一郎のようなイメージの方が強かった。</p><p data-end="307" data-start="253">もちろん人それぞれであるので、神格化する人もいたし、指導者と思う人もいたし、人生の師匠と思う人もいたと思う。</p><p data-end="369" data-start="314">&nbsp;</p><p data-end="369" data-start="314">月一で、本部幹部会の同時放送というのが行われ、各会館の大画面で池田氏の指導が直接聞けるように整備されていった。</p><p data-end="385" data-start="371">最初のころは音声だけだった。</p><p data-end="439" data-start="387">その前の時代は、地域幹部が東京まで出向いて指導を受け、それを持ち帰って現地で伝える形だったと聞いている。</p><p data-end="522" data-start="446">&nbsp;</p><p data-end="522" data-start="446">池田氏の指導は多岐にわたっており、仏教の話というよりは、「三国志」「ナポレオン」「マーティン・ルーサー・キング・ジュニア」等々、バラエティに富んでいる。</p><p data-end="546" data-start="529">&nbsp;</p><p data-end="546" data-start="529">「創価学会の会長は避雷針である。」</p><p data-end="564" data-start="548">「幹部は会員のこま使いである。」</p><p data-end="612" data-start="566">「会長が上、会員が下、とんでもない間違いである。そうなったら創価学会と言えども邪教である。」</p><p data-end="668" data-start="619">&nbsp;</p><p data-end="668" data-start="619">その指導を受けた我々は、当然組織内でおかしな発言をする幹部には抗議もするし、ぶつかることもあった。</p><p data-end="738" data-start="670">僕自身は結構喧嘩腰でぶつかることも多かったし、その弊害で会社組織では上司に抗議することもあり、組織に居られなくなることも多かった。（笑）</p><p data-end="787" data-start="740">「それはおかしい」と意見を言うことは、当時（今もかな？）の会社組織では歓迎されなかったと思う。</p><p data-end="823" data-start="789">まあ言い方が良くないこともあったんだろうなと今は思う。そこは反省点。</p><p data-end="823" data-start="789">&nbsp;</p><p data-end="823" data-start="789"><b style="font-weight:bold;"><span style="font-size:1.4em;">後輩の男子部が起こした出来事</span></b></p><p data-end="886" data-start="849">これから記述するのは、僕の後輩の男子部が起こした、ちょっとした事件である。</p><p data-end="924" data-start="888">実際の僕の体験ではないが、後輩からこんなことがあったと聞いたものである。</p><p data-end="959" data-start="931">&nbsp;</p><p data-end="959" data-start="931"><b style="font-weight:bold;"><span style="font-size:1.4em;">「それは失礼である。謝罪がない限り我々は面接を受けない」</span></b></p><p data-end="959" data-start="931">池田氏の指導は、本部幹部会の中継や著作、聖教新聞などでいくらでも直接（幹部を通さずに）学べるようになっていた。</p><p data-end="959" data-start="931">&nbsp;</p><p data-end="959" data-start="931">「会長が上、会員が下、とんでもない間違いである。そうなったら創価学会と言えども邪教である。」</p><p data-end="1123" data-start="1076">&nbsp;</p><p data-end="1123" data-start="1076">こういった指導を直接学んでいるのであるから、言うべき時には言う。そんな空気が組織内にはあった。</p><p data-end="1186" data-start="1125">地方幹部の面接、本部・支部となると、それなりの規模の組織になるので、地域でもそこそこ大きな会館で幹部による面接が行われる。</p><p data-end="1217" data-start="1188">全員スーツで幹部カードを書き込み、写真を貼り面接を受ける。</p><p data-end="1256" data-start="1224">&nbsp;</p><p data-end="1256" data-start="1224">面接前に担当幹部による話があったのだが、その場面で事件は起きた。</p><p data-end="1288" data-start="1258">本部幹部であるその幹部は、本部職員でもある職業幹部であった。</p><p data-end="1380" data-start="1295">&nbsp;</p><p data-end="1380" data-start="1295">「本来は、幹部になるのであれば結果を出していなければいけない。この中には結果を出している者もいるが、出していない者もいる。その者はゼロ戦だ。特別に面接するが、反省しろ。」</p><p data-end="1454" data-start="1387">&nbsp;</p><p data-end="1454" data-start="1387">「ゼロ戦」とは、折伏で結果が出ていないことを揶揄する言葉で、戦いの結果が出ない＝戦っていない＝戦いがゼロなのでゼロ戦ということである。</p><p data-end="1477" data-start="1461">&nbsp;</p><p data-end="1477" data-start="1461">面接を受けに来たある男子部員が挙手をし発言した。</p><p data-end="1595" data-start="1484">&nbsp;</p><p data-end="1595" data-start="1484">「言いすぎだ。我々は必死に時間をつくって活動している。結果が出ていないことは認めるし反省もする。しかしそれを“ゼロ戦”と吐き捨てるのは幹部と言えど承服できない。謝罪するべきだ。謝罪がないなら私は面接を受けるつもりはない。」</p><p data-end="1605" data-start="1602">&nbsp;</p><p data-end="1605" data-start="1602">拍手。</p><p data-end="1622" data-start="1612">&nbsp;</p><p data-end="1622" data-start="1612">「謝罪されますか？」</p><p data-end="1630" data-start="1624">「…………」</p><p data-end="1645" data-start="1632">「謝罪されないのですね？」</p><p data-end="1653" data-start="1647">「…………」</p><p data-end="1664" data-start="1655">「では帰ります。」</p><p data-end="1679" data-start="1666">皆が立ち上がり帰りかける。</p><p data-end="1733" data-start="1686">&nbsp;</p><p data-end="1733" data-start="1686">「待て。待ってくれ。……言いすぎだった。撤回し謝罪する。失礼だった。申し訳ありませんでした。」</p><p data-end="1759" data-start="1740">&nbsp;</p><p data-end="1759" data-start="1740">この謝罪を受け、面接は始まったという。</p><p data-end="1802" data-start="1766">&nbsp;</p><p data-end="1802" data-start="1766">それでいいと思う。間違いを認めたなら潔く謝罪する。当たり前のことである。</p><p data-end="1826" data-start="1804">間違えていないというなら、その場で話し合う。</p><p data-end="1855" data-start="1828">この当たり前のことが、なかなかできないのが人間である。</p><p data-end="1855" data-start="1828">&nbsp;</p><p data-end="1855" data-start="1828"><span style="font-size:1.4em;">その後の出来事（伝聞）</span></p><p data-end="1925" data-start="1878">後年、この幹部はこの会館内で不倫相手に刺される事件を起こし、一般紙にも報道される事態となった。</p><p data-end="1935" data-start="1927">除名処分である。</p><p data-end="1966" data-start="1937">&nbsp;</p><p data-end="1966" data-start="1937">不倫をしながら、何食わぬ顔で本部幹部として指導していたという事にもなる。</p><p data-end="1966" data-start="1937">&nbsp;</p><p data-end="1991" data-start="1973">ただし名誉のために記述しておきたい。</p><p data-end="2015" data-start="1993">この幹部と懇意の僕の先輩から聞いた話である。</p><p data-end="2044" data-start="2017">入院見舞いに行ったときに、その幹部はこう語ったという。</p><p data-end="2157" data-start="2051">&nbsp;</p><p data-end="2157" data-start="2051">「相手（刺した側）にも本当にひどいことをしてしまった。事件が明るみになってむしろ良かった。もし何事もなくこの件を隠して幹部を続けていたら、とんでもない人間になってしまっていたかもしれない。彼女は大丈夫だろうか？」</p><p data-end="2177" data-start="2164">本当に反省していたという。</p><p data-end="2201" data-start="2179">&nbsp;</p><p data-end="2201" data-start="2179">心から反省しているなら、それ以上は言うまい。</p><p data-end="2213" data-start="2203">この件で学べばよい。</p><p data-end="2229" data-start="2220">&nbsp;</p><p data-end="2229" data-start="2220">不倫はNGである。</p><p data-end="2264" data-start="2231">幸せになる人間など実は一人もいないという事実に気が付くべきである。</p><p data-end="2264" data-start="2231">自分の欲のために人の心を傷つける行為。</p><p data-end="2292" data-start="2266">仕事ができるから、地位があるからといって許されるものではない。</p><p data-end="2321" data-start="2294">&nbsp;</p><p data-end="2321" data-start="2294">池田氏の言葉を借りれば、「とんでもない間違いである。」</p><p data-end="2321" data-start="2294" style="text-align: center;"><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20260704/10/mdgtw878/fa/58/p/o1536102415799161154.png"><img alt="" height="280" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20260704/10/mdgtw878/fa/58/p/o1536102415799161154.png" width="420"></a></p><div id="k1x564cs" style="display: none;">&nbsp;</div><div id="k1x564cs" style="display: none;">&nbsp;</div>
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<pubDate>Thu, 02 Jul 2026 22:45:09 +0900</pubDate>
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<title>信仰は消えた。でも残ったものがある　日本最大教団　創価学会体験記　PART1６</title>
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<![CDATA[ <p><b>「何でこいつらなんかと組むんだ」―新進党、反創価キャンペーン、そして自公連立を振り返るPART３</b></p><p>&nbsp;</p><p>「何で今度は自民と組むんだ？？」―自自公連立の背景</p><p>&nbsp;</p><p>新進党がなくなった時点で、流れはある程度決まっていたのかもしれない。</p><p>当時の僕らは、「反自民」で集まった勢力が、日本政治を大きく変えるのだと思っていた。</p><p>しかし現実は思っていたほど単純ではなかった。</p><p>新進党は巨大な受け皿として誕生したが、内部にはいろいろな考え方の人たちがいた。</p><p>保守もいればリベラルもいる。</p><p>安全保障の考え方も違えば、経済政策も違う。</p><p>共通していたのは、「反自民」ぐらいだったのかもしれない。</p><p>&nbsp;</p><p>そのため、新進党は内部対立を抱え続け、1997年に解党することになる。</p><p>公明系勢力も、小沢一郎氏の自由党も、民主党へ行く人たちも、それぞれ別の道を歩き始めた。</p><p>ここで一度、「反自民」という旗は事実上なくなったのである。</p><p>&nbsp;</p><p>そして1998年の参議院選挙で、自民党は過半数を失う。</p><p>当時の小渕政権は国会運営が不安定になっていた。</p><p>そこでまず成立したのが、自民党と自由党による「自自連立」だった。</p><p>しかし、それでも十分な安定多数とは言えなかった。</p><p>そこで加わったのが公明党である。</p><p>こうして1999年に、自民党・自由党・公明党による「自自公連立」が誕生した。</p><p>&nbsp;</p><p>ただ、現場にいた人間からすると、理屈より先に出てきた言葉はたぶんこれだったと思う。</p><p>「えっ？」</p><p>である。</p><p>いや、待てと。</p><p>&nbsp;</p><p>昨日まで「自民党政治を終わらせる」と言っていなかったか。</p><p>何で今度は自民と組むんだ。</p><p>そう思った人は少なくなかったと思う。</p><p>少なくとも僕はそうだった。</p><p>&nbsp;</p><p>もちろん政治の世界だから、理屈は分かる。</p><p>野党として外から叫ぶだけでは政策は実現しにくい。</p><p>政権の中に入れば、自分たちの考えを実際の政策に反映できる。</p><p>公明党側から見れば、「政権の中で実現する」という判断もあったのだろう。</p><p>一方、自民党側から見れば、公明党の持つ組織力や選挙協力は非常に大きかった。</p><p>つまり、お互いに必要としていたのである。</p><p>&nbsp;</p><p>ここは感情を捨ててでも、国民目線の政策を実現する実務を優先させる。</p><p>政権の中に入れば、暴走を止めるブレーキ役にもなれるのかもしれない。</p><p>理屈は分かる・・・・・・・・。</p><div>&nbsp;<p>ただ、理屈が分かることと、気持ちが納得することは別である。</p><p>当時の僕の頭の中は、かなり混乱していたと思う。</p><p>新進党で一緒にやっていたと思ったら解党。</p><p>反自民と言っていたと思ったら自民と連立。</p><p>&nbsp;</p><p>昨日の敵と今日組む。</p><p>90年代の政治再編は、そんなことが何度も起きた時代だった。</p><p>自民党と社会党が組むなんてことは、天地がひっくり返っても起きないと思っていた。</p><p>そして今度は、それまで「政教一致だ」と激しく批判し、創価学会・公明党を攻撃していた側とも手を組むのである。</p><p>&nbsp;</p><p>今振り返れば、あれは信念が変わったというより、「何を優先するか」が変わったのかもしれない。</p><p>自民党を倒すことを優先するのか。</p><p>政権の中で政策を実現することを優先するのか。</p><p>&nbsp;</p><p>もちろん当時、池田先生は健在だった。</p><p>あれほど大きな政治的転換が起きた時代である。</p><p>現場にいた僕としては、「何らかの影響はあったのではないか」と思ってしまう。</p><p>&nbsp;</p><p>ただ、それが直接の指示だったのか、理念としての方向性だったのか、そこまでは僕には分からない。</p><p>分からないが、少なくとも現場の会員たちにとって、「先生はどう考えているのだろう」という空気が全くなかったとは思えないのである。</p><p>&nbsp;</p><p>男子部の末端で活動していた僕には、それを理解するのは難しかった。</p><p>自民党の好き勝手にはさせない。</p><p>その思いで活動してきた男子部員も多かったと思う。</p><p>時には「絶対に負けるものか」というぐらいの気持ちで戦っていた人もいたはずである。</p><p>そんな相手と今度は手を組むのか――。</p><p>当時の僕には、頭では理解できても、気持ちが追いつかなかった。</p><p>&nbsp;</p><p>そして僕の中に、一つの疑問が芽生えた。</p><p>僕が現場で体験していた創価学会と、本部や政治の世界で動いている創価学会は、見えている景色が違うのではないか、と。</p><p>もちろん同じ組織であることに変わりはない。</p><p>ただ、地域で会員と向き合っている人と、政治や組織運営という大きな視点で動いている人とでは、優先順位や見え方が違っているのかもしれないと。</p><p>&nbsp;</p><p>一般の会員である我々と、本部職員という職業としての創価学会。</p><p>今思えば、あの時初めて、そんなことを考えたのだった。</p><p>&nbsp;</p><p>ただ当時の僕が思っていたのは、ただ一つ。</p><p>「何で、何でこいつらなんかと組むんだ」</p><p>それだけだったのである。</p><p style="text-align: center;"><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20260702/21/mdgtw878/3a/6c/p/o1536102415798736598.png"><img alt="" height="280" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20260702/21/mdgtw878/3a/6c/p/o1536102415798736598.png" width="420"></a></p><div id="k1x564cs" style="display: none;">&nbsp;</div></div>
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<pubDate>Thu, 02 Jul 2026 20:32:13 +0900</pubDate>
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<title>信仰は消えた。でも残ったものがある　日本最大教団　創価学会体験記　PART1５</title>
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<![CDATA[ <p><b>「何でこいつらなんかと組むんだ」―新進党、反創価キャンペーン、そして自公連立を振り返るPART２</b></p><p>今振り返ると、僕の記憶の中では全部が一続きになっていた。</p><p>新進党、反創価キャンペーン、池田大作証人喚問、自公連立――。</p><p>全部同じ時期に一気に起きたような感覚だったが、改めて時系列を追うと、実際にはいくつかの出来事が積み重なった結果だった。</p><p>まずは、新進党合流までの流れを整理しておきたい。</p><p>1993年、日本政治は大きく動いた。</p><p>長年続いた自民党中心の「55年体制」が崩れ、自民党が初めて下野したのである。</p><p>&nbsp;</p><p>きっかけは自民党内部の分裂だった。小沢一郎氏らを含む離党勢力が相次いで新党を結成し、自民党は国会で過半数を失った。</p><p>その結果誕生したのが細川護熙内閣である。</p><p>この政権は自民党以外の複数政党による連立政権で、公明党も初めて与党に参加した。</p><p>当時の最大の共通目標は非常に分かりやすかった。</p><p>&nbsp;</p><p>「自民党政治を終わらせる」</p><p>&nbsp;</p><p>しかし、この連立は長く続かなかった。</p><p>細川内閣が退陣し、その後に羽田孜内閣が誕生するが、これも短命に終わる。</p><p>そして1994年、さらに大きな衝撃が走る。</p><p>&nbsp;</p><p>社会党が長年対立していた自民党と手を組み、村山富市内閣が誕生したのである。</p><p>当時このニュースを見て、「えっ？」と思った人は少なくなかったのではないだろうか。</p><p>少なくとも政治を見ていた人間には、かなりの衝撃だったと思う。</p><p>&nbsp;</p><p>こうして「反自民」でまとまっていた勢力は、一気に居場所を失い始める。</p><p>そこで浮上したのが、「巨大な受け皿を作ろう」という構想だった。</p><p>背景には小選挙区制導入もあった。</p><p>それまでの中選挙区制なら、同じ党から複数候補を立てることもできた。</p><p>しかし小選挙区制では事情が違う。</p><p>野党がバラバラに候補を立てれば、自民党が有利になる。</p><p>ならば、一つにまとまるしかない。</p><p>そうして誕生したのが新進党だった。</p><p>&nbsp;</p><p>新進党には、新生党、日本新党、民社党、公明系勢力など、多くの政党やグループが参加した。</p><p>ただ、ここで誤解されやすいのは、「公明党が丸ごと新進党に入った」という単純な話ではないことだ。</p><p>実際にはかなり複雑な再編が行われていた。</p><p>とはいえ、一般の会員や外から見ている側からすれば、そんな内部事情まではなかなか分からない。</p><p>見えるのは、「え？ そこと組むの？」という結果だけだったりする。</p><p>&nbsp;</p><p>さらに後で調べて初めて分かったのだが、民主党は新進党に合流していたわけではなかった。</p><p>1996年に民主党が結成され、新進党とは別ルートで動いていたのである。</p><p>僕の記憶では「反自民勢力が全部まとまった」という印象だったが、実際にはそう単純ではなかった。</p><p>&nbsp;</p><p>僕の中では長い間、この辺りが全部一つの出来事として混ざっていた。</p><p>だが実際には、政治再編という大きな流れの中で、一つ一つが連続して起きていた話だったのである。</p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:1em;"><b style="font-weight:bold;">新進党候補者は創価学会と無関係。それでも僕らはお題目を上げて戦う（笑）</b></span></p><p>&nbsp;</p><p>僕が所属していた地域でも、新進党候補の支援が始まった。</p><p>当然ながら候補者は創価学会員ではない。</p><p>ただ、選挙運動の中心は、公明支援で鍛えられた地域の男子部幹部たちだった。</p><p>創価学会と一般支持者が入り混じって選挙戦を行う初めての選挙戦。</p><p>&nbsp;</p><p>中には熱すぎる男子部幹部もいた。</p><p>今思えば、松岡修造のクセをさらに強くしたような人もいた気がする。（笑）</p><p>&nbsp;</p><p>候補者のWさんは、非常に温厚な紳士だった。</p><p>打ち合わせの時、陣営からこんな話が出たらしい。</p><p>&nbsp;</p><p>「それで、そちらにはお幾らぐらい支払えばよろしいでしょうか？」</p><p>「へっ？？」</p><p>&nbsp;</p><p>僕は市議会議員選挙で遊説隊の副隊長を経験したが創価学会の地方組織の現場は無償ボランティアである。</p><p>位置づけが法戦なのだから当たり前である。（笑）</p><p>&nbsp;</p><p>男子部が選挙カーを運転し、女子部がウグイス嬢を務める。</p><p>事前に遊説ルートの下見も行うし、ウグイスの発声練習、笑顔の練習も経験者が厳しく指導する。</p><p>みんな普通のサラリーマンやOLで、当日は有休を取って参加していた。</p><p>&nbsp;</p><p>創価学会の選挙戦は議員を当選させるためだけではなく、「社会のために働く人材を送り出す」という考えがある。</p><p>自分のことより国民のために働く、人間革命実践者を送り出す。</p><p>&nbsp;</p><p>「大衆とともに語り、大衆とともに戦い、大衆の中に死んでいく」</p><p>&nbsp;</p><p>公明党の立党精神として語られてきた言葉である。</p><p>&nbsp;</p><p>もちろん現実は理想通りばかりではなかった。</p><p>後になって振り返れば、問題を起こした議員もいたし、期待を裏切るような話も耳にした。</p><p>「社会のために働く人材を送り出す」という理想は立派だったが、人間である以上、権力や立場に飲まれてしまう人もいたのは事実である。</p><p>&nbsp;</p><p>だから今の僕は、肩書きや政党だけでは人を見ない。</p><p>政治家だから信用することもないし、政治家だから疑うこともしない。</p><p>結局は人間なのだと思っている。</p><p>僕自身の体験からすると、人間は放っておけば自分中心になりやすいのかもしれない。</p><p>だからこそ、それを乗り越えようとする人を見ると強く印象に残るのである。</p><p>&nbsp;</p><p><b style="font-weight:bold;"><span style="font-size:1.4em;">祈って動いて戦って</span></b></p><p>創価学会の選挙戦は「法戦」という位置付け。</p><p>新進党候補を支援すると言っても、題目を上げる。（笑）</p><p>祈って、動いて、活動する。</p><p>そんな毎日だった。</p><p>&nbsp;</p><p>しかし結果は次点であった。</p><p>1位　民主党 S氏　76,599票</p><p>2位　新進党 W氏　54,641票</p><p>3位　自民党 K氏　47,675票</p><p>意外だったのは、僕の記憶では自民党に負けたと思っていたことだった。</p><p>実際には違った。</p><p>民主党に負けたのであった。</p><p>&nbsp;</p><p>しかも新進党は比例復活をほとんど認めない方針だった。</p><p>負けたら終わり。</p><p>かなり厳しい戦いだった。</p><p>真に無念だった。</p><p>&nbsp;</p><p><b style="font-weight:bold;"><span style="font-size:1.4em;">人間性が垣間見れる時</span></b></p><p>選挙が終わった翌日の朝だったと記憶している。</p><p>僕はいつものように自転車で会社へ向かっていた。</p><p>当時としては珍しく朝９時始業の会社で、自宅からも近かった。</p><p>場所はK市のある通りである。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>信号待ちで止まった時だった。</p><p>ふと見ると、左手からWさんが歩いてきたのである。</p><p>&nbsp;</p><p>「あっ……Wさん」</p><p>&nbsp;</p><p>すると向こうも気付いて、顔がパッと明るくなった。</p><p>「おお、君か。お世話になったね。」</p><p>と言ってくれた。</p><p>僕は慌てて自転車のスタンドを立てた。</p><p>そして思わず頭を下げていた。</p><p>&nbsp;</p><p>「申し訳ありませんでした」</p><p>&nbsp;</p><p>落選した悔しさもあったし、もっと何かできたんじゃないかという気持ちもあったのだと思う。</p><p>するとWさんは慌てて駆け寄ってきた。</p><p>「やめてやめて、顔上げてください。君が謝ることじゃないよ」</p><p>&nbsp;</p><p>選挙期間中は候補者はみんな頭を下げる。</p><p>何万人にも「お願いします」を言う。</p><p>でも翌朝は違う。</p><p>もう選挙は終わっているし、結果も出ている。しかも敗戦である。</p><p>そこで出る言葉の方が、その人の素の部分に近い。</p><p>テレビカメラもない、損得もない、偶然の出会いである。</p><p>&nbsp;</p><p>一緒になって走り回っていた一人の青年の顔を覚えていたWさんを思うと、あの人にとって選挙は単なる作業ではなかったのだと思えるのである。</p><p>名前は知らない。</p><p>でも無償で一緒に戦ってくれた人間として見てくれていたのかもしれない。</p><p>こういう心ある人を国会に送り、仕事をしてもらいたかった。</p><p>今思い出しても悔しい。</p><p>あの人には、国会で仕事をしてほしかったと今でも心から思うのである。</p><p style="text-align: center;"><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20260701/22/mdgtw878/33/d3/p/o1536102415798449696.png"><img alt="" height="280" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20260701/22/mdgtw878/33/d3/p/o1536102415798449696.png" width="420"></a></p><div id="k1x564cs" style="display: none;">&nbsp;</div><div id="k1x564cs" style="display: none;">&nbsp;</div><div id="k1x564cs" style="display: none;">&nbsp;</div><div id="k1x564cs" style="display: none;">&nbsp;</div>
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<link>https://ameblo.jp/mdgtw878/entry-12971342181.html</link>
<pubDate>Wed, 01 Jul 2026 08:52:59 +0900</pubDate>
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<title>信仰は消えた。でも残ったものがある　日本最大教団　創価学会体験記　PART１４</title>
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<![CDATA[ <p><b style="font-weight:bold;"><span style="font-size:1em;">「何でこいつらなんかと組むんだ」―新進党、反創価キャンペーン、そして自公連立を振り返るPART1</span></b></p><p>昔のことを思い出していたら、記憶がかなり混ざっていた。</p><p>僕の中では全部が一続きの出来事だった。</p><p>とにかく、いろんな事が連続で起き、当時はかなり混乱していた気がする。</p><p>&nbsp;</p><p>池田大作氏の証人喚問要求。<br>新進党結党。<br>四月会。（「死学会」という意味だったという説もあった）<br>新進党の崩壊。<br>そして自民党と公明党の連立（自自公連立）。</p><p>&nbsp;</p><p>頭の中では全部「小泉時代の話」のようにつながっていたのだが、調べ直してみると、実際には少し違っていた。</p><p>&nbsp;</p><p>1993年、自民党は一度政権与党を追われ野党へと下野する。</p><p>その後、政界再編が起こり、公明党は分党し、旧公明党勢力が新進党へ参加していく。</p><p>当時の新進党は、小沢一郎氏を中心にした大きな野党勢力だった。</p><p>自民党からすると、これはかなり強力なライバルだった。</p><p>&nbsp;</p><p>特に創価学会の組織力は大きかった。</p><p>1995年の参院選では、新進党が創価学会の支援も受けて強い力を見せ、自民党側には危機感が生まれていたとも言われている。</p><p>そんな中で現れたのが四月会だった。</p><p>四月会は「信教と精神性の尊厳と自由を確立する各界懇話会」という長い正式名称を持つ団体で、自民党系議員や宗教関係者などが中心になっていた。</p><p>&nbsp;</p><p>表向きは憲法20条、つまり政教分離の問題を考える団体だった。</p><p>しかし実際には、創価学会や公明党に対する強い批判活動を行うことになる。</p><p>いわゆる「反創価学会キャンペーン」。</p><p>&nbsp;</p><p>当時、自民党の亀井静香氏や白川勝彦氏などは、</p><p>「公明党と創価学会は政教一致ではないか」</p><p>という批判を繰り返していた。</p><p>&nbsp;</p><p>多くの人が勘違いしやすい点として、</p><p>「政教分離＝宗教団体は政治に関わってはいけない」</p><p>と思われがちな所がある。</p><p>ただ、日本国憲法の政教分離は、宗教団体そのものの政治活動を一律に禁止するものではない。</p><p>本来は、国家が特定の宗教を優遇したり、逆に弾圧したり、宗教を利用して国民を支配したりしてはならないという考え方が中心にある。</p><p>&nbsp;</p><p>その背景に戦前の反省がある。</p><p>当時は国家神道のもとで、宗教や思想の自由が強く制限された時代だった。</p><p>&nbsp;</p><p>治安維持法の権力側による拡大解釈。</p><p>&nbsp;</p><p>国の方針に反する思想や宗教は弾圧され、多くの宗教団体も思想家も芸術家も監視対象になった。</p><p>創価教育学会（当時）も弾圧を受け、初代会長・牧口常三郎氏は獄中で亡くなっている。</p><p>こうした歴史の反省から、「信教の自由」と「政教分離」が重視されるようになったのである。</p><p>&nbsp;</p><p><b style="font-weight:bold;"><span style="font-size:1.4em;">日蓮を国教化？</span></b></p><p>例えば公明党が政権を取り、内閣を組織し、仮に議員全員が公明党議員になったとしても、国教化へ舵を切ることはないだろうと僕は思っていた。</p><p>信教の自由が日本国民にあるからである。</p><p>それを数の力で、国民から自由を奪えば、戦中の「国家神道」が「国家日蓮教」に変わるだけであるからだ。</p><p>&nbsp;</p><p>そして、初代会長を獄中で失った教団が、かつて自分たちが受けたものと同じことを他者に行うのであれば、それは歴史の教訓を忘れることになる。</p><p>少なくとも僕が組織の中で受け取っていた創価学会の考え方は、政治によって国を変えることよりも、布教活動（折伏）を通して広宣流布を目指すというものだった。国が変わるのは一人一人が変わっていくから変わるという人間革命の思想である。</p><p>&nbsp;</p><p>その結果として、人々が幸せになるという考え方。</p><p>人間そのものが、「自分さえよければそれでよい」というプログラムから脱却していくための信仰ということだった。</p><p>&nbsp;</p><p>システムを変えることよりも、一人ひとりが、自分だけではなく他人のことも視野に入れる自らの生き方を見直す革命。</p><p>&nbsp;</p><p>利他（菩薩行）の思想を取り入れる人生を歩み始めた時、それを見た他の人が自身の生き方を問い直し、動執生疑（どうしゅうしょうぎ＝自分の固定観念や執着が揺さぶられ、「本当にそうなのか」と問い直すこと）を起こす。</p><p>そしてその陣列に連なっていく。</p><p>&nbsp;</p><p>一人が二人、二人が四人。</p><p>そうして数が増えることによって、社会全体の流れや宿命が転換され、最終的には全人類の宿命転換を成し遂げる。</p><p>人間革命の思想によって世界平和を実現する。</p><p>少なくとも僕はそう理解していた。</p><p>&nbsp;</p><p><b style="font-weight:bold;"><span style="font-size:1.4em;">国立戒壇論 ― 国教化によって日蓮上人の遺志を実現するのか</span></b></p><p>&nbsp;</p><p>後に広宣部として、日蓮系の他宗派との討論に何度か関わったことがある。</p><p>その時の僕の理解では、創価学会側は既にいわゆる「国立戒壇論」は採っていなかった。</p><p>かつて語られた、</p><p>「広宣流布が達成された後、国家的認証として天皇による勅宣や御教書を受け、戒壇を建立する」</p><p>という解釈とは少し違っていた。</p><p>これは、日蓮の教えの中で未来の弟子たちへ戒壇建立を託したと解釈される部分に基づく考え方だった。</p><p>僕の記憶では、そうした解釈を強く主張していたのは、日蓮正宗系の「顕正会」だった。</p><p>ちなみに顕正会と創価学会は激しく対立した時期があり、社会的にも話題になる事件が起きたこともあった。</p><p>&nbsp;</p><p>一方、創価学会側の説明は少し違っていた。</p><p>戒壇建立条件として、国民全員が信徒になる必要はなく、また天皇が国民統合の象徴という立場である以上、「勅宣」や「御教書」という形で国家が宗教を認証することは、時代を鎌倉時代に戻さねばならず、現代では現実的ではないというものだった。</p><p>&nbsp;</p><p>むしろ主権者である国民の間に、「建てよう」という機運が高まった時に建立すれば良い、という理解だったと思う。</p><p>&nbsp;</p><p>そして元々二代会長・戸田城聖氏も、戒壇建立そのものが目的ではなく（建物を建立するのが目的ではない）広宣流布こそが目的なのだという趣旨の話をしていた。（布教活動で多くの人が救われていく事が目的）</p><p>その結果としての戒壇建立であり、戒壇建立をするために、弘教をするのではないよという理解であった。</p><p>&nbsp;</p><p>組織についても、全員が同じ方向だけを向くことが理想ではないとも語っていた。</p><p>組織には反対意見も必要であり、建設的な異論を述べる人がいなくなった時、組織は衰退する。</p><p>&nbsp;</p><p>もちろん強固な組織を目指すには、異体同心（同じ志で団結する）で前進することは大事な事である。</p><p>それでもなお、その方向性は間違っていないだろうか？と問い直し、違うと思うときは言わなければならない。</p><p>言わないのは悪であるという、初代牧口会長の「価値論」から続く思想は、情報が瞬時に拡散し、空気によって意見が流されやすくなる現代では、特に重要な思想であると感じる。</p><p>沈黙は金なりではなく悪。</p><p>&nbsp;</p><p>全員が完全に同じ考え方になることよりも、異なる意見や緊張関係の中で議論を重ねることによって、人も組織も成熟していく。</p><p>広宣流布とは、全員が同じ信仰をすることが達成された決着点ではなく、そこを目指し前進していく流れそのものととらえる。</p><p>当然反対勢力にはいてもらわないと困る。</p><p>いるべきだという考えは、単に敵だ味方だとの2極論から脱却し、健全な社会を構築するうえでも必要な思想なのだという認識であった。</p><p>&nbsp;</p><p>今振り返ると、その言葉は信仰だけではなく、組織全体にも当てはまる話だったのかもしれない。</p><p>&nbsp;</p><p><b style="font-weight:bold;"><span style="font-size:1.4em;">政教分離、宗教法人法改正、そして証人喚問問題</span></b></p><p>当時の国会では政教分離や宗教法人法改正が争点となっていた。</p><p>オウム事件後という、宗教団体による国家転覆が現実に計画された事件の直後でもあり、宗教と政治の関係が非常に敏感になっていた時代だった。</p><p>そして、その流れの中で池田大作氏への招致要求が出てくる。</p><p>&nbsp;</p><p>当時の国会では、一部議員から「創価学会と政治の関係について説明を求めるべきだ」という主張が行われていた。</p><p>結果としては池田氏本人が国会へ出席することはなく、最終的には当時の創価学会会長・秋谷栄之助氏が参考人として出席することになる。（当時池田氏は創価学会名誉会長。会長ではなくなっていた。）</p><p>&nbsp;</p><p>僕自身、その頃は単純に、「いや、正々堂々証人喚問に応じて、破折してもいいんじゃないの？」と思っていた。</p><p>すると先輩からこう言われたことを覚えている。</p><p>&nbsp;</p><p>「キョウセイが何も悪いことしてないのに、警察から“取り調べするから来い”と言われたらどう思う？」</p><p>「警察で取り調べを受けたという事実だけが大きく報道されたら、世間の目はどうなる？」</p><p>「無実かどうかは関係ない。目的が別にあるならどうする？イメージ操作が目的なら？それに乗っかる？」</p><p>&nbsp;</p><p>「そりゃ、行く必要ないな」僕はその時、妙に納得した。</p><p>&nbsp;</p><p>当時の組織内では、池田氏を国会へ呼ぶこと自体が目的のようにも見えていた。</p><p>そして国会という公開の場でイメージを悪化させ、結果として創価学会の支援活動や選挙への影響力を弱めようとしていたのではないか、と感じていた。</p><p>もちろん、これは当時の組織内部が受け取っていた感覚であり、後から振り返ると政治的な駆け引きも複雑に絡んでいたのだと思う。</p><p>表向きは政教分離だった。</p><p>だが同時に、「新進党という強力な対抗勢力をどうするか」という政争の面もあったように今では思える。</p><p>そして、そんな大きな政治の流れの中で、僕ら現場の会員も次第にその渦へ巻き込まれていくことになる。</p><p>次はいよいよ、僕自身が初めて経験した一般候補者（新進党候補者）の選挙戦の話になる。</p><p>&nbsp;</p><div id="k1x564cs" style="display: none;">&nbsp;</div><p></p><div id="k1x564cs" style="display: none;">&nbsp;</div><div id="k1x564cs" style="display: none;"><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20260701/08/mdgtw878/a8/cd/p/o1536102415798226481.png"><img alt="" height="280" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20260701/08/mdgtw878/a8/cd/p/o1536102415798226481.png" width="420"></a></div><div id="k1x564cs" style="display: none;">&nbsp;</div><div style="text-align: center;"><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20260701/08/mdgtw878/a8/cd/p/o1536102415798226481.png"><img alt="" height="280" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20260701/08/mdgtw878/a8/cd/p/o1536102415798226481.png" width="420"></a></div>
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<pubDate>Tue, 30 Jun 2026 22:53:43 +0900</pubDate>
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<title>信仰は消えた。でも残ったものがある　日本最大教団　創価学会体験記　番外　稲川淳二編</title>
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<![CDATA[ <p>夏なので、ちょっと稲川淳二的な話を。（笑）</p><p>聞いた話なので、信じるかどうかは各自で判断してください。</p><p>&nbsp;</p><p>日本最大教団の創価学会は、日蓮仏法を基本にし、人間革命だ世界平和だと大きな理念を掲げている。</p><p>だが実際に信仰を始める理由は、もっと切実なものが多い気がする。</p><p>病気、家庭、人間関係、借金、仕事。</p><p>&nbsp;</p><p>「何とかしたい」</p><p>「今の状態を変えたい」</p><p>そういう思いから入信する人が多かったと思う。</p><p>&nbsp;</p><p>そして昔の学会には、今では信じてもらえないような話が普通に転がっていた。</p><p>総本山大石寺の御開扉では、マスコミが見たら飛びつきそうな光景があった、と先輩たちは話していた。</p><p>「狐憑き」と呼ばれる人が突然飛び跳ねる。</p><p>人間ってそんなに跳べるのかと思うほど跳ぶ。</p><p>年配のご婦人まで飛び回る。</p><p>ピョンピョンピョンピョンまあ疲れないのかと思うほどだったそうである。</p><p>床には蛇のように這う男性がいたりする。</p><p>今なら完全にテレビ特番である。</p><p>&nbsp;</p><p>だが当時は、それが特別な話ではなかったらしい。</p><p>周囲も驚かない。</p><p>淡々と御開扉が進む。</p><p>むしろ「まあ、当たり前」ぐらいの空気だったそうだ。</p><p>&nbsp;</p><p>ちなみに僕自身は見たことがない。</p><p>近代になると、そういう現象はほとんど聞かなくなった。</p><p>ただ地方によっては、まだそういう話が残っていた地域もあったようだ。</p><p>&nbsp;</p><p>Y県に転勤していた時、男子部長から聞いた話。</p><p>折伏中、相手が急に体を揺らし始めた。</p><p>そして低い声でうなり出したという。</p><p>「やめろーー・・・やめろーー・・・余計なことはするな。」</p><p>&nbsp;</p><p>地区部長が言った。</p><p>「誰だ、お前」</p><p>すると相手が答える。</p><p>「ミズガミだ」</p><p>完全にホラーである。</p><p>&nbsp;</p><p>ところが地区部長は動じない。</p><p>ちなみに地区部長といっても、ただのプロパンガス屋のおやじだったらしい。</p><p>だが、そのおやじが一喝した。</p><p>「出てけ！馬鹿野郎！」</p><p>みんなで題目をあげる。</p><p>すると落ち着いたらしい。</p><p>世の中、その辺の霊能者よりプロパンガス屋のおやじの方が頼りになることがあるのかもしれない。</p><p>&nbsp;</p><p><b style="font-weight:bold;"><span style="font-size:1.4em;">創価班着任中の幽霊？？</span></b></p><p>僕自身が見たわけではないが、創価班着任中に見ちゃったやつはいた（笑）</p><p>当時の僕の所属地域の会館には、A　B　Cの駐車場があった。</p><p>C駐車場は会館から離れていて、小さな墓地が隣接していた。</p><p>無線をもって着任するが、あまり電波状況は良くない。無線が届いたり届かなかったりだった。</p><p>つまりポツンと一人で着任になる。</p><p>&nbsp;</p><p>その日僕は無事故でC駐車場の着任が終わり、その日の運営は終了である。</p><p>当時の僕の所属組織では喫煙率が結構高くタバコを吸いながら世間話をしてると、着任していた仲間が話かけてきた。</p><p>&nbsp;</p><p>「キョウセイさん、C駐着任してたよね？なんか変なもん見なかった？」</p><p>「変なもん？」</p><p>なんだそれと思っていると</p><p>「あそこ出ますよ。墓あったでしょ、墓。おれこの間着任した時、見ちゃったんだよね。」</p><p>「ええ、まじか。」</p><p>順番に車を誘導し、会合が始まれば手すきになり、休憩をとるがC駐車場は無線の入りが悪いので、現場判断に任されていた。</p><p>車の流れも止まったので、自身の車に入りタバコを吸おうとしたときに異変に気が付いた。</p><p>&nbsp;</p><p>焚火してる！</p><p>着任時は気が付かなかったが、ある墓石のところがオレンジ色の淡い光がゆらゆらしていて焚火だと思ったそうである。</p><p>時間的には20時前後であろうから、焚火していれば気が付くはず。</p><p>外に出て近づいた瞬間に凍り付いた。</p><p>焚火ではなく、地面に無数のろうそくがゆらゆら炎を揺らしていた。</p><p>「？？？？」</p><p>訳も分からず上の方に視線を移すと、お葬式の写真みたいなのがあって、その周りもオレンジ色のゆらゆらした光がまとわりついていた。</p><p>写真はおじいさんで、笑顔でこっちを見ていたらしい。特段恐怖はなく「ええ？ナニコレ」だったそうだ。</p><p>その時に遅刻して駆けつけてきた車両が入ってきて慌てて誘導した。</p><p>再び確認した時には何にも異変はなかったらしい。</p><p>疲れてんのかなとも思ったが，たばこも吸いたかったので気にしないことにしたらしい（笑）</p><p>「マジか。もうC駐車場着任できねえよ。」</p><p>「大丈夫すよ。なにもされなかったし。」</p><p>その後も何回か着任したが、僕は１度も見ていない。</p><p>もちろん「あそこは幽霊が出るので、着任できません。」なんてことも言った覚えはない。</p><p>&nbsp;</p><p><b style="font-weight:bold;"><span style="font-size:1.4em;">ある男子部部長の入信体験</span></b></p><p>僕の地域のある男子部長は、事故物件でおかしくなったところを婦人部のおばちゃんに助けられたのが入会のきっかけだった。本人から直接聞いた。</p><p>&nbsp;</p><p>東京K市で理容師として働いていた頃。</p><p>住んでいたアパートが、事故物件。</p><p>当然、安いので事故物件と知らずに入居した。</p><p>&nbsp;</p><p>本人は信仰していなかった。</p><p>ただ親類に学会員がいて、付き合いで聖教新聞だけ取っていたらしい。</p><p>テレビ欄を見る程度だったという。</p><p>&nbsp;</p><p>ところが、しばらくして夜中に人の声が聞こえ始める。</p><p>外かと思ったらしいが違う。</p><p>どうも部屋の中で誰かが独り言を言っているようだったらしい。</p><p>&nbsp;</p><p>ぶつぶつぶつぶつ何か言っている。</p><p>最初は気のせいかと思った。</p><p>だが毎日聞こえる。</p><p>&nbsp;</p><p>寝られなくなってくる。</p><p>そのうち言葉がはっきり聞こえるようになる。</p><p>「死んじゃえよ」</p><p>「なあ、お前苦しいだろ？」</p><p>「死んじゃえよ」</p><p>&nbsp;</p><p>かなりきつい。</p><p>ノイローゼみたいになっていた時、聖教新聞の集金で婦人部のおばちゃんが来た。</p><p>&nbsp;</p><p>「お、おばさん助けてください。俺、おかしくなりそうなんです……」</p><p>おばちゃんもすごい。</p><p>「あんた、しっかりしな。」</p><p>そして言った。</p><p>「あんた、ここで何があったか知らないで住んでるの？」</p><p>「えっ？」</p><p>そこからは早かったらしい。</p><p>&nbsp;</p><p>折伏。</p><p>地域組織総動員。</p><p>退去。</p><p>引っ越し。</p><p>当時の学会組織はものすごく強かった。</p><p>今思う。</p><p>それはご本尊の力だったのか。</p><p>ただのノイローゼだったのか。</p><p>あるいは地域組織の力だったのか。</p><p>正直わからない。</p><p>別に除霊みたいなことはしないで、とにかくこんなヤバい物件からは即退去。</p><p>とりあえずうちに来な(笑)</p><p>引っ越しは地域組織総動員。かかってきやがれぐらいの勢い。</p><p>&nbsp;</p><p>「まあ、今はこうして元気に生きてるしな。おおーーー、まじで今でも怖え。」</p><p>笑って話してくれた。<br data-end="672" data-start="669">本当だったのか、思い込みだったのかはわからない。<br data-end="701" data-start="698">ただ、あの頃の創価学会には、そういう様々な人生を背負った人たちが集まっていた。<br data-end="745" data-start="742">そして皆、現状を何とかしたくて必死だった。</p><p>そんな様々な人間が集まっていたのが創価学会だった。</p><p>僕個人としては、おそらく極度の不安や思い込みが生み出したものなのではないかと思っている。</p><p>ただ――人間というのは不思議なもので、実際に目の前でそういう場面を見たら、自分が冷静でいられるかどうかはわからない。</p><p>「そんなのあるわけない」</p><p>今はそう思っていても、その場に立った時も同じことが言えるのか。</p><p>それはちょっと自信がないのである。</p><p>ちなみに変な体験は実は結構してます（笑）機会を見て公開します。</p><p>&nbsp;</p><p style="text-align: center;"><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20260630/13/mdgtw878/4d/72/p/o1536102415797975544.png"><img alt="" height="280" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20260630/13/mdgtw878/4d/72/p/o1536102415797975544.png" width="420"></a></p><p>&nbsp;</p><div id="k1x564cs" style="display: none;">&nbsp;</div><p>&nbsp;</p><div id="k1x564cs" style="display: none;">&nbsp;</div><div id="k1x564cs" style="display: none;">&nbsp;</div><div id="k1x564cs" style="display: none;">&nbsp;</div>
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<link>https://ameblo.jp/mdgtw878/entry-12971270477.html</link>
<pubDate>Tue, 30 Jun 2026 15:43:31 +0900</pubDate>
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<title>信仰は消えた。でも残ったものがある　日本最大教団　創価学会体験記　PART1３</title>
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<![CDATA[ <p>前回の記事では、1956年（昭和31年）の「大阪の戦い」において、28歳の青年室長・池田大作氏が選挙指揮の陣頭に立ち、「東京モンが偉そうに」という関西特有の分厚い壁を乗り越え、支援候補を見事にトップ当選へ導いた歴史を書いた。</p><p>しかし、この「地べたを這う庶民の躍進」は、当時の既成政治や社会に大きな衝撃を与えた。</p><p>急速に拡大する創価学会という新興勢力を、多くの人々が警戒の目で見始めていたのも事実だった。</p><p>&nbsp;</p><p>そして翌1957年（昭和32年）7月、29歳になった池田氏を待ち受けていたのが「大阪事件」である。</p><p>学会側は「不当な弾圧」と受け止め、一方で捜査当局側は公職選挙法違反事件として捜査を進めた。</p><p>後に数年に及ぶ法廷闘争の末、池田氏は無罪判決を受けることになる。</p><p>だが現場で活動していた人々にとって、この事件は単なる裁判事件ではなかった。</p><p>それは、「信念を持つ組織と国家権力との衝突」として記憶されていくことになるのである。</p><p>後の公明党と自民党の複雑な関係を思うと、この時代はまだ「対決の時代」の空気が色濃く残っていたとも言えるだろう。</p><ol data-spread="false" start="1"><li>捜査の包囲網と、29歳の逮捕</li></ol><p>事の発端は、1957年（昭和32年）4月に行われた参議院大阪地方区補欠選挙だった。</p><p>この選挙の際、一部会員による戸別訪問や買収容疑が問題となり、数十名規模の会員が公職選挙法違反容疑で摘発された。</p><p>もちろん、組織として上層部から指示があったとする決定的な証拠が示されたわけではなかった。</p><p>しかし、捜査は次第に上層部へ向けられていく。</p><p>学会側の記録や証言によれば、逮捕された会員たちに対しては厳しい取り調べが行われ、強い心理的圧力の中で供述が形成されていったとされている。</p><p>そして最終的に捜査の矛先は池田青年室長へ向かった。</p><p>&nbsp;</p><p>同年7月3日午後7時頃、大阪へ向かうため伊丹空港に降り立った池田氏は、公職選挙法違反容疑で逮捕された。</p><p>奇しくもその日は、12年前に戸田城聖氏が出獄した「7月3日」と同じ日だった。（治安維持法で入獄。神札拒否によるものともいわれる）</p><p>後に池田氏は、</p><p>「出獄と　入獄の日に　師弟あり」</p><p>と詠んでいる。</p><p>学会内では今も「師の出獄、弟子の入獄」として語り継がれている出来事である。</p><ol data-spread="false" start="2"><li>独房の中の孤独と、恩師・戸田城聖との約束</li></ol><p>大阪拘置所に連行された池田氏への取り調べは厳しいものだったという。</p><p>当時の学会側の記録では、長時間に及ぶ取り調べや精神的負担が続いたとされている。</p><p>検察側は組織的関与の有無を追及し、その背後関係を明らかにしようとしていた。</p><p>一方、学会側では、この出来事を「師弟を断ち切ろうとする試練」として受け止めていた。</p><p>当時、戸田会長は病により体調を崩していた。</p><p>後年の学会資料では、池田氏が恩師・戸田城聖氏を守る強い決意を固めていたことが繰り返し語られている。</p><p>池田氏は取り調べ後、7月17日に釈放された。</p><p>拘置所を出た際、戸田会長が大阪まで足を運び、二人が再会した場面は、多くの学会員の記憶にも残る象徴的な場面となっている。</p><p>&nbsp;</p><p>「大作、勝負は裁判だ。」</p><p>この言葉は、その後長く語り継がれることになる。</p><ol data-spread="false" start="3"><li>4年半、84回に及ぶ法廷闘争と無罪判決</li></ol><p>1958年から始まった裁判は、4年半にも及ぶ長期戦となった。</p><p>検察側は、会員たちの供述調書を根拠として立証を進めた。</p><p>一方で弁護側は、供述形成の過程や取り調べの実態について詳細に反論していった。</p><p>証人尋問が重ねられる中で、供述内容の整合性や任意性についても争点となっていった。</p><p>&nbsp;</p><p>この間、池田氏は1960年に32歳で第3代会長に就任する。</p><p>全国を回り先頭に立ち組織運営を担う一方、84回に及ぶ法廷にも立ち続けた。</p><p>精神的・肉体的負担は想像を超えるものだったと思われる。</p><p>&nbsp;</p><p>そして1962年（昭和37年）1月25日、大阪地方裁判所は無罪判決を言い渡した。</p><p>検察側は控訴を断念し、裁判は終結した。</p><p>現場に流れる「権力への不信」と執念</p><p>この大阪事件を辿るたび、私は自分の男子部時代と重ねてしまう。</p><p>地方の組織で、言うことを聞かない若手部員に手を焼き、バックレた部員を追いかけていた自分も、それなりに大変だったと思う。</p><p>しかし池田氏が20代後半で向き合っていたものは、もっと巨大だった。</p><p>逮捕。</p><p>独房。</p><p>そして4年半にも及ぶ法廷闘争。</p><p>これを背負って陣頭指揮をしていたのである。</p><p>&nbsp;</p><p>世間では「洗脳」や「新興宗教」と一言で片付けられることもある。</p><p>しかし、その内部には「権力に押しつぶされそうになりながらも、そこから立ち上がった」という体験が、組織文化として深く刻まれているように私には感じられる。</p><p>&nbsp;</p><p>「油断すれば、権力はいつでも庶民を押し潰しにくる」</p><p>&nbsp;</p><p>そうした危機感が、その後の学会と政治との関わりにも影響を与えていったのかもしれない。</p><p>そして、この記憶は約40年後、再び大きな政治的対立の時代へと繋がっていくことになる。</p><p>後に私自身も、その空気の真っただ中に身を置くことになる。</p><p>&nbsp;</p><p>当時の現場にいた学会員たちの多くは、それを「創価学会潰し」と受け止めていた。</p><p>国会では四月会結成や「池田氏を証人喚問せよ」という動きが話題となり、それに反発する勢力との激しい応酬が続いていた。</p><p>街頭演説や政治の現場でも、創価学会に対する厳しい言葉が飛び交っていた時代だった。</p><p>&nbsp;</p><p>現場の学会員たちの間には、「狙われている」という空気が確かに存在していたように思う。</p><p>それに対し、学会側も徹底抗戦の空気を強めていった。</p><p>自由民主党と新進党。</p><p>その政治対立の裏側には、表には見えにくい激しい緊張感が流れていた。</p><p>そして私は、その渦中を男子部として見ていたのである。</p><p>（つづく）</p><p style="text-align: center;"><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20260629/08/mdgtw878/73/06/p/o1536102415797594345.png"><img alt="" height="280" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20260629/08/mdgtw878/73/06/p/o1536102415797594345.png" width="420"></a></p><div id="k1x564cs" style="display: none;">&nbsp;</div>
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<link>https://ameblo.jp/mdgtw878/entry-12971136151.html</link>
<pubDate>Mon, 29 Jun 2026 09:11:32 +0900</pubDate>
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<title>信仰は消えた。でも残ったものがある　日本最大教団　創価学会体験記　PART1２</title>
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<![CDATA[ <p>前回の記事で、私は男子部の末端幹部（副本部長や創価班キャップ）として、部員さんの深刻な現実問題（病気、離婚、反社絡みのトラブルなど）に這いずり回りながら対処していた頃の話を書いた。</p><p>自分の時間など一滴もない壮絶な現場で泥をすすりながら、私はふと思ったのだ。</p><p>&nbsp;</p><p>「池田大作という人は、わずか32歳で、この途方もないエネルギーと混沌を抱えた組織の全責任を背負ったのか……」と。</p><p>私が地方の一区画のトラブル処理でこれだけ摩耗しているのに、日本中、いや世界中の人間の人生に関わる組織を32歳で背負ったという事実。</p><p>その途方もないスケール感に触れた時、私の中に湧き上がったのは、盲信的な信仰心などではなく、圧倒的な「畏怖の念」であった。</p><p>では、その池田氏が32歳で会長に就任する前、その「現場主義」の原点はどこにあったのか。</p><p>それが、学会の歴史で今も語り継がれる「常勝関西・大阪の戦い」である。</p><p>28歳の青年・池田大作は、大阪の地で何を見て、何を作り上げたのか。</p><p>教祖だ、カリスマだという先入観をいったん脇に置いて振り返ってみると、「一人を大切に」「幹部は責任職」「威張る幹部は追い出せ」という思想の根底にあるものが、少し見えてくるような気がするのである。</p><p>&nbsp;</p><p>「なにの兵法よりも法華経の兵法をもちひ給うべし」（引用日蓮上人御書　四条金吾殿御返事）</p><p>&nbsp;</p><p>入信して日が浅い関西の学会員が、歓喜にあふれた主体的な活動ができるよう、一人ひとりの信心の向上に全力を注ぎ、一人が二人、二人が四人へと広がっていく。</p><p>まさに人間革命の原理を、そのまま体現するように駆けずり回った青年の一途な思いを感じるのである。</p><p>一見すると選挙の戦いに見えるが、そこには「信心の戦いとはこうするのだ」ということを教えようとした姿があったのではないかと思えるのである。</p><p>&nbsp;</p><p><b style="font-weight:bold;"><span style="font-size:1.4em;">『祈って動け』――常勝関西を生んだ28歳の青年</span></b></p><p>&nbsp;</p><p>1.「まさか」が実現と言われた圧倒的劣勢</p><p>時は1956年（昭和31年）7月、第4回参議院議員通常選挙。</p><p>当時、創価学会（当時は文化部名義の推薦）が国政選挙に本格挑戦するのは、これが初めてのことだった。</p><p>東京や全国区にも候補を立てていたが、中でも大阪地方区（候補・白木義一郎氏）は、世間から「当選は不可能」と見られていた。</p><p>それもそのはず、当時の状況は圧倒的な劣勢だったからだ。</p><p>組織力の不足。</p><p>当時、大阪の学会員は約3万世帯。当選ラインには、その数倍の票が必要だった。</p><p>さらに当時の大阪は、社会党や労働組合など既存勢力の地盤が非常に強かった。</p><p>誰もが「新興勢力の無謀な挑戦」と見ていたこの地に、第2代会長・戸田城聖氏の命を受け、28歳の青年室長だった池田氏が乗り込む。</p><p>これが全ての始まりだった。</p><p>そして後に、この結果を見た朝日新聞が「まさかが実現」と報じるほどの、大番狂わせが起きることになる。</p><p>&nbsp;</p><p>2. 28歳の青年室長が打った「現場主義」の戦術</p><p>池田氏は中央から指示だけを出すような戦い方をしなかった。</p><p>自ら大阪に常駐し、文字通り泥臭い「現場の変革」を徹底した。</p><p>その手法は、後に私が男子部時代に経験した、あの怒濤の組織運営にも通じるものがあった。</p><p>&nbsp;</p><p>①「1対1」の徹底した個人対話</p><p>大金や組織力を持つ既成政党に対抗するため、池田氏が徹底したのは、一人ひとりとの対話だった。</p><p>数千人の前で演説するよりも、狭い長屋や路地を回り、生活に苦しむ人たちと膝を突き合わせる。</p><p>病気や貧困に苦しむ人の話を聞き、寄り添う。</p><p>&nbsp;</p><p>私自身も後に地方幹部として、統合失調症を抱える部員さんや、離婚問題に直面した部員さんの家へ足を運び続けた。</p><p>あの草の根のスタイルの原点は、ここにあったのかもしれない。</p><p>&nbsp;</p><p>② 早朝から深夜までの「超高速PDCA」（注１）</p><p>池田氏は毎朝、早朝から各拠点を回り、集まるメンバーを励ましたという。</p><p>そして夕方までの状況や問題点を夜に確認し、その場で対策を考える。</p><p>今で言えば、高速PDCAそのものだろう。</p><p data-end="23" data-start="0">&nbsp;</p><p data-end="23" data-start="0">ここで少し冷静に考えてみたい。</p><p>当時の大阪の人々が、東京からやって来た28歳の若い幹部の話を、最初から素直に聞いただろうか。</p><p>関西独特の気質から考えれば、「東京モンが何言うてんのや」そんな反発があったとしても不思議ではない。</p><p>&nbsp;</p><p>池田氏がやったのは、その反発を力で押さえ込むことではなかった。</p><p>自ら泥にまみれ、誰よりも動き、誰よりも汗を流した。</p><p>当時の会員の証言にも、</p><p>「この人、いったいいつ寝てはるんやろか」</p><p>という話が残っている。</p><p>夜遅くも題目を上げ、朝早くも題目を上げ、移動中でさえ題目を上げる。</p><p>その姿を見せ、背中を見せ、その姿をまじかに見て常勝関西は自発的に動き始めたのではないだろうか。</p><p>&nbsp;</p><p>威張るのではない。</p><p>指導する側が一番苦労する姿勢を見せる。</p><p>誰よりもリーダーが先頭に立ち、その背中を見せる。</p><p>青年・池田大作の心には、そうした思想が深く刻まれていたのではないだろうか。</p><p>&nbsp;</p><p>世間がイメージする「教祖像」であれば、仏壇の前で祈り、指示だけを出していれば済むのかもしれない。</p><p>他力本願ともいえる「何とかしてください、御本尊様」</p><p>そんなことで現実など変わるはずがない。</p><p>&nbsp;</p><p>祈って動く。</p><p>動きながらも祈る。</p><p>そして折れそうになる心を、さらに祈りで必死に鼓舞する。</p><p>そんな戦いだったのではないだろうか。</p><p>&nbsp;</p><p><b style="font-weight:bold;"><span style="font-size:1.4em;">現場を知るからこそ見えるもの</span></b></p><p>世間では、創価学会を「池田氏＝教祖」「信者＝洗脳」という単純な構図で語られることも多い。</p><p>しかし、この大阪の戦いの歴史や、自分自身の男子部時代を振り返ると、私には違ったものに見える。</p><p>そこにあったのは、宗教という枠を借りた、人間同士の泥臭いぶつかり合いと、圧倒的なエネルギーの循環だった。</p><p>地方の一区画で、バックレるメンバーに頭を抱え、トラブル処理で自分の時間をすり潰していたからこそ思う。</p><p>&nbsp;</p><p>私が文化祭の警備で、一瞬だけ見た池田氏の「右手の拳」。</p><p>あの時は、ただ拳が見えただけだった。</p><p>しかし今になって思う。</p><p data-end="591" data-start="584">あの拳は、</p><p data-end="611" data-start="596">「祈って動け。切り開け。」</p><p data-end="651" data-start="616">そう現場の人間を鼓舞し続けた、一人の責任者の覚悟だったのかもしれない。</p><p data-end="651" data-start="616">&nbsp;</p><p data-end="651" data-start="616"><b style="font-weight:bold;"><span style="font-size:0.83em;">注１）「PDCA」は仕事や組織運営でよく使う言葉で、Plan（計画）Do（実行）Check（確認）Act（改善）の頭文字のこと。</span></b></p><p style="text-align: center;"><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20260628/20/mdgtw878/5d/a6/j/o1200080015797461407.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="280" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20260628/20/mdgtw878/5d/a6/j/o1200080015797461407.jpg" width="420"></a>（つづく）</p><div id="k1x564cs" style="display: none;"><br><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20260505/09/mdgtw878/b1/c5/j/o1597119815778694570.jpg"><img alt="" height="165" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20260505/09/mdgtw878/b1/c5/j/o1597119815778694570.jpg" width="220"></a></div>
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<pubDate>Sun, 28 Jun 2026 20:11:06 +0900</pubDate>
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<title>信仰は消えた。でも残ったものがある　日本最大教団　創価学会体験記PART1１</title>
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<![CDATA[ <p><b style="font-weight:bold;"><span style="font-size:1.4em;">日本が元気だった時代</span></b></p><p>&nbsp;</p><p>僕が創価班大学校生であった1990年。</p><p data-path-to-node="5">当時はとにかく日本全体に勢いがあった。</p><p data-path-to-node="5">それと軌を一にするように、創価学会の男女青年部も凄まじい熱量を持っていた時代である。</p><p data-path-to-node="5">&nbsp;</p><p data-path-to-node="6">市議会議員選挙などの支援活動（選挙戦）では、男子部が街宣車のドライバーを務め、女子部がウグイス嬢を担当した。</p><p data-path-to-node="6">なんだかんだで丸1日行動を共にするわけだから、それが縁でそのまま結婚する連中もそれなりにいたと思う。</p><p data-path-to-node="6">今思えば、あれも瑞々しい青春の1ページだった。</p><p data-path-to-node="6">&nbsp;</p><p data-path-to-node="6">共産党とは現場でやりあったし、何より自由民主党と一緒に政権担当するなんてことは考えられない時代で、八王子駅では自民党の「亀井静香」さんが、創価学会の連中はただじゃおかないからなと宣言したりで、VS自民党　全面対決の様相もあった。</p><p data-path-to-node="6">&nbsp;</p><p>ちなみに、亀井静香さんは今でも好きな政治家の一人である。</p><p>近年では公明党の動画にも出演し、当時を振り返って語っておられた。</p><p>あの勢いのあった創価学会に真正面から挑もうとした気骨は、今の政治家にはあまり感じることができない。</p><p>その後、2005年には郵政民営化法案に真っ向から反対し、「郵政解散」の末、自民党から離党勧告処分を受けた。しかし離党せず、最終的には除名となった。</p><p>自らの信念を貫いた政治家だったと思う。</p><p>現在もご健在で、お元気に活動されている姿を見ると嬉しくなるのである。</p><p data-path-to-node="6">&nbsp;</p><p data-path-to-node="6">最終的に、私は地方組織の「副本部長」、そして創価班では運営を仕切る「キャップ」を務めるまでになった。</p><p data-path-to-node="7">方面会館での会合運営は数多く担当したが、信濃町の学会本部での担当経験はない。</p><p data-path-to-node="7">&nbsp;</p><p data-path-to-node="8">特に大変だった記憶として真っ先に浮かぶのは、男子部長時代に経験した「文化祭」だ。</p><p data-path-to-node="8">&nbsp;とにかく、言うことを聞かない若いメンバーを説得し、出し物のダンスなどの練習に連れて行かなければならない。</p><p data-path-to-node="8">当然、彼女との約束を優先させてバックれる奴など日常茶飯事である。</p><p data-path-to-node="8">そうしたメンバー一人ひとりの面倒を見つつ、同時に地方会館の日常的な会合運営も回す。</p><p data-path-to-node="8">あの目まぐるしさは、今思い出しても凄まじいものがあった。</p><p data-path-to-node="8">&nbsp;</p><p data-path-to-node="9">ちなみに、私が「池田氏」を直に見たのは、この文化祭の当日だけである。&nbsp;</p><p data-path-to-node="9">その日も警備に就いていたのだが、「池田先生が来られる。</p><p data-path-to-node="9">まだ直接お会いした（見た）ことがない者は、順番に会場内に入っていい」という計らいがあり、中に入ることができた。</p><p data-path-to-node="9">とはいえ、緊張感漂う警備の最中である。</p><p data-path-to-node="9">私が辛うじて視界に捉えたのは、池田先生の「右手の拳」だけだった（笑）。</p><p data-path-to-node="9">&nbsp;</p><p data-path-to-node="9"><b style="font-weight:bold;"><span style="font-size:1.4em;">何故「池田先生」なのか？</span></b></p><p data-path-to-node="10">&nbsp;</p><p data-path-to-node="10">世間の多くの人は、創価学会を「池田氏＝教祖、信者＝洗脳されている」という単純な構図で捉えがちだが、実際の内部組織のグラデーションは実に様々である。</p><p data-path-to-node="10">もちろん組織内には「池田先生は正しい」という絶対的な空気はあったし、指導の現場でも「池田先生はこうおっしゃっていて……」という話が常にベースにあったのは事実だ。</p><p data-path-to-node="10">&nbsp;</p><p data-path-to-node="11">しかし、私自身が当時、池田氏を単なる組織のトップではなく「先生」と思い始めたのは、他でもない、自分自身が「部員さんの面倒を見る立場」になってからだった。</p><p data-path-to-node="11">&nbsp;</p><p data-path-to-node="12">池田大作氏が創価学会の第3代会長に就任したのは、1960年（昭和35年）5月3日の第22回本部総会。</p><p data-path-to-node="12">恩師である第2代会長・戸田城聖氏が逝去して約2年後、わずか32歳の若さだった。</p><p data-path-to-node="12">&nbsp;</p><p data-path-to-node="13">自分が地域幹部になり、部員さんの人生に深く関わるようになって最初に痛感したのは、「自分の時間などない」ということだった。当時の男子部時代は、生活のほぼ全てが活動で埋まっていた。</p><p data-path-to-node="13">&nbsp;受け持つ部員さんの抱える問題は一筋縄ではいかない。</p><p data-path-to-node="13">統合失調症を患うメンバー、深刻な離婚問題、賭け麻雀で負けて反社会的勢力から脅されているメンバー……。</p><p data-path-to-node="14">&nbsp;</p><p data-path-to-node="14">私たちはまず一緒に祈り、それから具体的に動いて解決へのプロセスを踏んでいった。</p><p data-path-to-node="14">幸い、組織には公明党の議員もいれば、人生経験豊かな各分野のプロが揃っている。</p><p data-path-to-node="14">その連係プレーによって事態がスムーズに解決に向かうことも多かった。</p><p data-path-to-node="14">&nbsp;そう、ただ祈っているだけでは現実は解決しないのだ（笑）。</p><p data-path-to-node="14">物理的な解決に挑戦する勢いを、唱題（しょうだい）でつけていただけじゃないかと言われれば、まさにその通り。</p><p data-path-to-node="15">&nbsp;</p><p data-path-to-node="15">こうした壮絶な現場の泥臭いやり取りを、地方組織の末端幹部として這いずり回りながらこなしていた時、ふと脳裏をよぎったのが「32歳」という数字だった。</p><p data-path-to-node="16">&nbsp;</p><p data-path-to-node="16">「池田さんという人は、わずか32歳で、この途方もないエネルギーと混沌を抱えた組織の『全責任』を背負ったのか……」</p><p data-path-to-node="16">&nbsp;</p><p data-path-to-node="17">自分が地方のほんの一区画のトラブル処理でこれだけ摩耗しているのに、日本中、いや世界中の人間の人生の責任を32歳で引き受けたという事実。</p><p data-path-to-node="17">その途方もないスケール感に触れた時、私の中に湧き上がったのは、盲信的な信仰心などではなく、圧倒的な「畏怖の念」であった。</p><p data-path-to-node="17">「よくもまあ、こんなことをやってのけたな」という、現場を知る者だからこそ抱くリアルな感想だった。</p><p data-path-to-node="17">&nbsp;</p><p data-path-to-node="18">「池田先生」――当時の僕はまさしくそう呼んでいたし、本当にそう思っていた。&nbsp;</p><p data-path-to-node="18">でもそれは、決して盲目的なものではなかった。</p><p data-path-to-node="18">&nbsp;池田氏の裏の顔など僕は知らないし、実際に話したこともないのだから、いきなり「先生」になりえるわけがない。</p><p data-path-to-node="18">&nbsp;</p><p data-path-to-node="19">実際に現場で駆けずり回っていた時に感じた、「よくもまあ、この混沌とした組織をまとめ上げて陣頭指揮を執ったなあ。すごすぎないか？？」という驚嘆。</p><p data-path-to-node="19">そして、活動で出会った先輩や人から聞いた生のエピソード。</p><p data-path-to-node="19">それらがジグソーパズルのように組み合わさって、僕の中で「人間・池田大作」の像が出来上がっていったのだと思う。</p><p data-path-to-node="19">&nbsp;そのリアルな畏怖の念の結実こそが、僕にとっての「池田先生」だった。</p><p data-path-to-node="19">&nbsp;</p><p data-path-to-node="20">その原点ともいえる歴史が、学会内で今も語り継がれる「常勝関西」である。</p><p data-path-to-node="20">&nbsp;今でこそその勢いはなくなってきているが、若き池田大作氏が、わずか28歳で陣頭指揮を執り、不可能を可能にした「大阪の戦い（1956年）」を、現場の目線から振り返ってみたい。</p><p data-path-to-node="1" style="text-align: center;"><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20260628/18/mdgtw878/6b/00/p/o1536102415797411329.png"><img alt="" height="280" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20260628/18/mdgtw878/6b/00/p/o1536102415797411329.png" width="420"></a></p><p data-path-to-node="0">&nbsp;</p><div id="k1x564cs" style="display: none;">&nbsp;</div><div id="k1x564cs" style="display: none;">&nbsp;</div>
]]>
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<link>https://ameblo.jp/mdgtw878/entry-12971001548.html</link>
<pubDate>Sat, 27 Jun 2026 23:54:24 +0900</pubDate>
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<title>信仰は消えた。でも残ったものがある　日本最大教団　創価学会体験記　PART１０</title>
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<![CDATA[ <p><span style="font-size:1.4em;"><b style="font-weight:bold;">創価班14期生大会　670畳の暴動</b></span></p><p>&nbsp;</p><p>創価班大学校14期生大会は1990年7月26日　大石寺　常来坊で行われた。　</p><p>670畳敷きの大広間に3000人を収容でき、500人が宿泊可能であったという事がWikipediaでわかった。</p><p>体育館3個分くらいの空間らしい。</p><p>現在はその常来坊はない。建て替えされたはずである。</p><p>&nbsp;</p><p>どんな感じで入場したかはあまり記憶にないが、とにかく入場を待つサッカーワールドカップ日本代表のガラが悪い感じのイメージである。</p><p>「舐められんじゃねえぞ」</p><p>「おうっ」</p><p>「かますぞ」</p><p>「おうっ」</p><p>「見せつけんぞ」</p><p>「おうっ」</p><p data-end="378" data-start="362">&nbsp;</p><p data-end="378" data-start="362">何を見せつけるのかは分からない。</p><p data-end="390" data-start="380">だが全員本気である。</p><p data-end="443" data-start="392">びっちりのメニューをこなし、シバかれ倒し、ようやく最後のクライマックスを迎える新日本プロレス若手軍団。</p><p data-end="468" data-start="445">テンションがおかしくなっていたのかもしれない。</p><p data-end="478" data-start="470">&nbsp;</p><p data-end="478" data-start="470">そして入場。</p><p data-end="510" data-start="480">壇上では、多分芸術部の方だったと思うが、歌が披露されていた。</p><p data-end="510" data-start="480">ライブである。</p><p data-end="529" data-start="512">だが、こちらはそれどころではない。</p><p data-end="562" data-start="531">先に入場していた他県メンバーが、すでに拳を突き上げて絶叫している。</p><p data-end="562" data-start="531">肩を組んで左右に揺れている者。肩車して拳を突き上げる者。</p><p data-end="581" data-start="564">熱狂的なライブ会場そのものである。</p><p>&nbsp;</p><p data-end="625" data-start="609">創価班には団旗というものがある。</p><p data-end="625" data-start="609">名前書いた記憶もある。</p><p data-end="645" data-start="627">そして、団旗は会場持ち込み禁止だった。</p><p data-end="645" data-start="627">鳴り物も禁止である。</p><p data-end="658" data-start="647">&nbsp;</p><p data-end="658" data-start="647">……だったはずである。</p><p data-end="683" data-start="660">&nbsp;</p><p data-end="683" data-start="660">だが気づくと、いつの間にか団旗が振られている。</p><p data-end="694" data-start="685">「何であるんだ？」</p><p data-end="723" data-start="696">&nbsp;</p><p data-end="723" data-start="696">後で聞いたら、服の下に体へ巻き付けて持ち込んだらしい。</p><p data-end="743" data-start="725">噂では団長Mさんの発案だったとも聞いた。</p><p data-end="743" data-start="725">たしかMさん、笛も吹きまくっていた気がする。</p><p data-end="743" data-start="725">&nbsp;</p><p data-end="743" data-start="725">団長・・・両方禁止じゃないですか。</p><p data-end="743" data-start="725">&nbsp;</p><p data-end="766" data-start="745">良い人なのだが、たまにこういうことをやる。</p><p data-end="774" data-start="768">馬鹿である。</p><p data-end="774" data-start="768">情熱的で優しいのだが、馬鹿である。</p><p data-end="792" data-start="776">&nbsp;</p><p data-end="792" data-start="776">当然、警備の創価班が飛んでくる。</p><p data-end="818" data-start="794">&nbsp;</p><p data-end="818" data-start="794">「ふざけてんじゃねえぞ！団旗持ち込み禁止だろうが！」</p><p data-end="834" data-start="820">するとこちらも負けていない。</p><p data-end="834" data-start="820">&nbsp;</p><p data-end="834" data-start="820">ピーーーーーーーーーーっ（Mさんの笛）</p><p data-end="844" data-start="836">&nbsp;</p><p data-end="844" data-start="836">「団旗を護れ！」</p><p data-end="844" data-start="836">&nbsp;</p><p data-end="852" data-start="846">バリケード。</p><p data-end="860" data-start="854">素早く隠す。</p><p data-end="860" data-start="854">「しまっとけ、いいな」</p><p data-end="860" data-start="854">「わかりました。」</p><p data-end="860" data-start="854">引き上げていくそばから振りはじめる。</p><p data-end="860" data-start="854">「てめえらっ・・」</p><p data-end="889" data-start="862">&nbsp;</p><p data-end="889" data-start="862">肩車されて拳を突き上げていた仲間が引きずり降ろされる。</p><p data-end="903" data-start="891">「あぶねえじゃねえか！」</p><p data-end="918" data-start="905">「あぶねえのはお前らだ！」</p><p data-end="918" data-start="905">「てめえ」</p><p data-end="918" data-start="905">「なんだ」</p><p data-end="918" data-start="905">「まあまあまあ」止めに入る。（笑）</p><p data-end="918" data-start="905">総本山でもめてどうする。</p><p data-end="918" data-start="905">&nbsp;</p><p data-end="918" data-start="905">カオスである。</p><p data-end="939" data-start="929">完全にカオスである。</p><p data-end="939" data-start="929">&nbsp;</p><p data-end="956" data-start="941">警備する側も必死だったと思う。</p><p data-end="975" data-start="958">ケガ人だけは絶対に出してはいけない。</p><p data-end="988" data-start="977">殴ることなど当然ない。</p><p data-end="1005" data-start="990">ただ体を張って必死に止めるのである。</p><p data-end="1028" data-start="1007">関西勢はこういう時に妙に強かった気がする。場慣れしてるんだろうな。</p><p data-end="1028" data-start="1007">&nbsp;</p><p data-end="1087" data-start="1062">すると後ろにいた他県の大学校生メンバーが、とうとうキレた。</p><p data-end="1109" data-start="1089">&nbsp;</p><p data-end="1109" data-start="1089">「いい加減にしろっ！ルール守れよ！わきまえろ。どこだお前ら！」</p><p data-end="1135" data-start="1111">&nbsp;</p><p data-end="1135" data-start="1111">「第７東京だ文句あるか？俺たちは結果を出して集まってんだ！」</p><p data-end="1155" data-start="1137">&nbsp;</p><p data-end="193" data-start="170">後で大会終了後、彼らが怒った理由を知った。</p><p data-end="235" data-start="195">他県には、事情があって思うような結果を出せなかったメンバーも参加していたらしい。</p><p data-end="266" data-start="237">我々は「結果を出さなければ登山できない」と聞かされていた。</p><p data-end="266" data-start="237">&nbsp;</p><p data-end="282" data-start="268">みんな本気で取り組んでいた。</p><p data-end="290" data-start="284">必死だった。</p><p data-end="319" data-start="292">だからこそ、結果が出なかった悔しさもあったのだと思う。</p><p data-end="319" data-start="292">いまひとつはじけられない、何か負い目のようなくやしさ。</p><p data-end="319" data-start="292">&nbsp;</p><p data-end="319" data-start="292">大会終了後に切れたやつが謝罪してくる。</p><p data-end="1265" data-start="1237">「さっきはすまなかった。君らがはじけてるのが悔しかったんだ。俺は結果を出していないんだ。」</p><p data-end="1275" data-start="1267">こちらも言った。</p><p data-end="1298" data-start="1277">「いや、俺らもやりすぎだった。悪かった。」</p><p data-end="1310" data-start="1300">その場で和解である。</p><p data-end="1328" data-start="1312">そもそも団旗を持ち込み創価班の先輩ともめてる方が圧倒的に悪い。</p><p data-end="1328" data-start="1312">俺たちは同志だ。全ての責任は壇上のタイガージェットシンと上田馬之助に押しつけよう。（笑）</p><p data-end="348" data-start="321"><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20260627/20/mdgtw878/fe/f4/j/o0500056815797122048.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="250" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20260627/20/mdgtw878/fe/f4/j/o0500056815797122048.jpg" width="220"></a></p><p data-end="348" data-start="321">だが今思えば、参加させるのも当然だったと思う。</p><p data-end="371" data-start="350">幹部連中も最初から、そのつもりだったのだろう。</p><p data-end="415" data-start="373">ただ最初から「結果が出なくても大丈夫」と言ってしまえば、人間甘えてしまう。</p><p data-end="430" data-start="417">だから全力で取り組ませる。</p><p data-end="442" data-start="432">真剣に向き合わせる。<br data-end="312" data-start="309">中途半端では駄目だということを、叩き込む。</p><p data-end="465" data-start="444">&nbsp;</p><p data-end="465" data-start="444">タイガージェットシンにも上田馬之助にも心はある。多分。</p><p data-end="1219" data-start="1179">&nbsp;</p><p data-end="1219" data-start="1179">芸術部の歌は仮面ライダーだった。</p><p data-end="1328" data-start="1312">僕は何の歌かわからなかったし、拳突き上げてる連中もわからなかったと思うが、時折聞こえる歌詞に「仮面ライダーーー」というのが聞こえたから。</p><p data-end="1328" data-start="1312">仮面ライダーの歌でこぶしを突き上げ肩を組み熱狂している若き獅子達。</p><p data-end="1328" data-start="1312">これが「なごり雪」とかでは盛り上がらない。</p><p data-end="1328" data-start="1312">仮面ライダー万歳。</p><p data-end="1328" data-start="1312">&nbsp;</p><p data-end="1328" data-start="1312">歌が終わっても騒ぎは収まらない。</p><p data-end="1328" data-start="1312">司会が静かにしろと言っても静かにしないのである。</p><p data-end="1328" data-start="1312">つまりは大学校生大会が始まらない（笑）</p><p data-end="1328" data-start="1312">この暴動をどう納め、大会をスタートさせるか。皆さんお判りになるだろうか。</p><p data-end="1328" data-start="1312">&nbsp;</p><p data-end="1328" data-start="1312">大暴れする若き獅子達。</p><p data-end="1328" data-start="1312">あきらめ顔の司会。</p><p data-end="1328" data-start="1312">壇上のタイガージェットシン軍団でも無理である。</p><p data-end="1328" data-start="1312">弾ける圧倒的多数の若手軍団だから物理的には無理だ。</p><p data-end="1328" data-start="1312">&nbsp;</p><p data-end="1328" data-start="1312">すると正面の仏壇の電動扉が静かに開き始める。</p><p data-end="1328" data-start="1312">&nbsp;</p><p data-end="1328" data-start="1312">騒ぎが前方からすーーーーーーーっとおさまり、「ナムミョーホーレンゲーキョー」が響き渡っていく。</p><p data-end="1328" data-start="1312">さすが海千山千のつわもの、タイガー軍団、その手があったか！である。</p><p data-end="1328" data-start="1312">物理的に無理なら、圧倒的な仏の力で制圧する。</p><p data-end="1328" data-start="1312">さすがに御本尊のまえでは暴れるわけにはいかない。</p><p data-end="1328" data-start="1312">&nbsp;</p><p data-end="1328" data-start="1312">大会は無事始まり、無事終わった。<br data-end="698" data-start="695">ケガ人もなし。（多分。打撲程度はあったけど）<br data-end="710" data-start="707">今思えば、ある意味見事な運営だった。</p><p data-end="1328" data-start="1312">運営側も真剣、暴れる側も真剣、真っ向勝負。</p><p data-end="1328" data-start="1312">今なら絶対にできないだろう。そもそも罰当たりである。</p><p data-end="1328" data-start="1312">&nbsp;</p><p data-end="1328" data-start="1312">「仏壇の前で暴れてんじゃねえ」　である。</p><p data-end="1328" data-start="1312">&nbsp;</p><p data-end="1328" data-start="1312">追記）創価班には、会合運営にあたり前日に1時間唱題を行い、「無事故」を祈念する決まりがあった。</p><p data-end="325" data-start="316">無事故を勝ち取る。</p><p data-end="341" data-start="327">それが与えられた課題だった。</p><p data-end="359" data-start="343">一か所に多数の会員さんが集まる。</p><p data-end="373" data-start="361">絶対に事故を起こさない。</p><p data-end="388" data-start="375">絶対に嫌な思いをさせない。</p><p data-end="402" data-start="390">それが基本だった。</p><p data-end="434" data-start="404">だから会合中は笑顔で立っていても、目だけは笑っていない（笑）</p><p data-end="483" data-start="436">当時は週刊誌などでもいろいろ叩かれていた時代だったから、一般の人に声をかけられることもあった。</p><p data-end="501" data-start="485">「お前ら、いくらもらってんだ？」</p><p data-end="516" data-start="503">「いや、無償ですよ（笑）」</p><p data-end="541" data-start="518">「好きでやってんのか？嘘言ってんじゃねえよ。」</p><p data-end="564" data-start="543">「好きではないけど無償でやってます（笑）」</p><p data-end="603" data-start="566">&nbsp;</p><p data-end="603" data-start="566">今思えば、ああいう返しができたのも、真剣に鍛えてもらったからかもしれない。</p><p data-end="619" data-start="605">怒鳴られている時は嫌だった。本当に嫌だった。</p><p data-end="354" data-start="315">だが、あの時代に教わったことが何も残っていないかと言われると、それは違う。</p><p data-end="388" data-start="362">信仰は消えた。<br data-end="372" data-start="369">でも、残ったものはある。</p><p data-end="443" data-start="396">責任を持つこと。<br data-end="407" data-start="404">人を一人にしないこと。<br data-end="423" data-start="420">結果より、真剣に最後まで向き合うこと。</p><p data-end="513" data-start="451">気がつけば、僕の中にも何かは残っていた。<br data-end="474" data-start="471">池田イズムなのか、学会イズムなのかはわからないが確かに残っている。<br data-end="497" data-start="494">それは否定できないのである。</p><p style="text-align: center;"><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20260627/09/mdgtw878/d0/6c/p/o1536102415796923723.png"><img alt="" height="280" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20260627/09/mdgtw878/d0/6c/p/o1536102415796923723.png" width="420"></a></p><p>&nbsp;</p><div id="k1x564cs" style="display: none;">&nbsp;</div><div id="k1x564cs" style="display: none;">&nbsp;</div>
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<link>https://ameblo.jp/mdgtw878/entry-12970928059.html</link>
<pubDate>Sat, 27 Jun 2026 08:41:17 +0900</pubDate>
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