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<title>Meera＊ミラクル</title>
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<description>アーティストであり、アートセラピストでもあるミラの日本での活動をサポートするチームのブログ。アートについて、瞑想について、創造性にあふれる生き方について、日常の出来事やワークショップからさぐっていきます。</description>
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<title>口を開け</title>
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<![CDATA[ <p>去年の１１月、ミラのワークショップで</p><p>私が受け取った最もおおきなメッセージがこれです。</p><p>&nbsp;</p><p>「口を開け」</p><p>&nbsp;</p><p>特に日本人は自分もふくめ遠慮というか奥ゆかしいというか</p><p>さらには　　間違ってたら恥ずかしいわ</p><p>まずは周りの様子をみてから</p><p>みんなの前で言うほどのことでもない。。</p><p>など　など口を開かない傾向にあります。</p><p>&nbsp;</p><p>ミラの問いかけにわたしたちも最初</p><p>しい～ん　黙っていました。</p><p>&nbsp;</p><p>「間違ってたら　正せばいいんだ。」</p><p>&nbsp;</p><p>そして私は口にしてみて気づいたんです。</p><p>それはトンチンカンな答えだったかもしれません。</p><p>&nbsp;</p><p>誰かを納得させるために言うのではなく</p><p>正解を言ったからすばらしいというのでもなく</p><p>自分が自分のことをわかる。ということです。</p><p>&nbsp;</p><p>口にしてみてはじめて</p><p>私こんなふうに感じてるのね</p><p>わかってたつもりだけどあいまいだな</p><p>ありゃ　声のトーンが高くなってる</p><p>ちとウソっぽいな</p><p>お～自信持って表現してる</p><p>&nbsp;</p><p>頭の中であれこれわかったつもりになっていても</p><p>ことば　動き</p><p>そして　描くことをとおして表現してみると　わかる。</p><p>&nbsp;</p><p>自分でわかるのです。</p><p>表現できない　　　ということもわかる。</p><p>&nbsp;</p><p>なにか最初のアクション</p><p>最初の水の一滴　　一筆</p><p>そこから始まっていく。</p><p>&nbsp;</p><p>前回の東京おおるりの長いトレーニングのときは</p><p>私はそこらへんを勘違いしていました。</p><p>&nbsp;</p><p>スタッフとして長くミラの絵のトレーニングに関わる者として</p><p>正解以外出してはいけない、</p><p>みんなから　ほほう　と関心されるようなシェアをしなければいけない、</p><p>いまおもうと笑えるけれどそんなプレッシャーに縮こまっていました。</p><p>&nbsp;</p><p>そしてミラが私にどんな答えをもとめているんだろう</p><p>そういったことに焦点をあてていました。</p><p>&nbsp;</p><p>もしかしたらミラはわたしたちにそういったことも</p><p>期待しているかもしれないけれど</p><p>でも私にとって重要なのは</p><p>自分が発してみて自分がなんらかのことに気づくことでした。</p><p>&nbsp;</p><p>もともと楽観的な性格だけど</p><p>それから私はますますいろんなことが気楽になって</p><p>緊張もするけど　そのことも良しで</p><p>まちがいもやって</p><p>とにかく　最初の小さいアクションを起こすことで</p><p>風がふいていくような</p><p>&nbsp;</p><p>すべては「口を開け」からはじまりました。</p><p>&nbsp;</p><p>そして　そのときの参加者のひとたちの</p><p>気づきのシェアには本当に感動しました。</p><p>自分の絵をみて起こったミラクルをシェアしてくれましたが</p><p>私にはなんでことばでこんなに表現できるの？というくらいの衝撃で</p><p>でもそこには</p><p>シェアせずにはいられないという歓びの衝動が感じられました。</p><p>&nbsp;</p><p>誰かから言ってもらわなくても</p><p>表現された絵をみて自分で気づけるんだ。</p><p>絵ってすごいな。</p><p>&nbsp;</p><p>はじめて参加するひとたちの声をきいて</p><p>このワークのすばらしさを幾度も実感したのです。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>。</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/meera-miracle/entry-12244179176.html</link>
<pubDate>Fri, 03 Feb 2017 14:55:17 +0900</pubDate>
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<title>ところで、草は食べたの？</title>
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<![CDATA[ ミラと会うと自分にとっての一撃的なものが<br>なにげない会話の中で起こります。<br><br>昨年の１１月に急遽ミラが日本に来ることになり<br>「家族の座とポートレートペインティング」ワークショップを開催しました。<br><br>久々に会ったので近況報告というか<br>夏に自分がぶち切れ状態になったこと、<br>２週間ひどいギックリ腰で動けなくなったことなどが話にでました。<br><br>自分がインドのペインティンググループで絵を描いていた頃は<br>「ヘナは絵筆より重いものはもてない」と言われるくらい体力がなく<br>もちろん畑しごとなどはしたことがありませんでした。<br><br>畑は時々行ってながめるもの、<br>果樹や野菜の絵を描く場所で、収穫も親まかせだったのです。<br><br>父が畑仕事ができなくなってきた頃から畑に出始め<br>亡くなってからは、こんな猫の手状態でもやらざるをえなくなりました。<br>もともと力がなく、足腰が弱く、身体の使い方を知らない私が<br>重い機械を持つ状況が重なるとどうなるか・・・<br><br>また、誰かに必ずたすけてもらわなければならない状況<br>本当に自分はやりたくてやっているのか<br>しかたなくやっているのか<br>１００％自力を出してるのに、やってない、もっとやれと<br>言われてるような脅迫観念<br>などなど<br><br>とにかく「ぶち切れ」が起こったのです。<br>自分でも止めることのできない役者が突如出現したのです。<br>いままでみたことのないひと(自分）でした。<br><br>そして同時にひどいギックリ腰で動けなくなりました。<br>そんな最悪とおもわれる状態の中でなぜか非常に力強いおもいがわいてきたのです。<br><br>不本意なことはもうやりたくない<br>びくびくして生きるのはイヤだ<br>お金がなかったら庭の草を食べてでも生きてやる<br><br>自分でもびっくりしました。<br>これまでは　・・・・になったらどうしよう　だったのが<br>・・・・になっても生きてやる　に変わったのです。<br><br>前置きが長くなってしまいましたが<br>そのことをミラにシェアすると<br>「ヘナ、ところで庭の草は食べたの？」<br><br>いや、食べてないけど<br>それにそういうことを言いたいんじゃなくて・・・<br><br>「あのね、そういうのは草を食べてから言うもんだよ。<br>　やってもいないのに言うのは　口先だけって言うんだよ」<br><br>えーっ、私は自分の決意をですね　　　モゴモゴ<br>でも　言われてみると確かにそうでした。<br><br>ミラのこの一言に<br>アイディアはうかび、口にもするけどなかなか身体の動かない私<br>２０１６年　縁によって目の前にきたことは<br>とにかく頓着せずにやることを決めました。<br>それはなにか大きなプロジェクトの決意ではなく<br>小さな日常のことだけど<br><br>やるならやる<br>やらないならやらない<br><br>臨機応変<br>自由自在<br>変更もまたよし<br>日和見菌だって役割がある<br><br>それで畑はできる範囲でありがたく続けます。<br><br>それと庭ではありませんが畑にはえている雑草と呼ばれるスベリヒユ<br>これがコレステロールを下げるのにいいということを知りました。<br>茹でて辛し醤油で食べるのもいいですが<br>夏の間に干していつも食べるようにしたいなあとおもっています。<br><br><br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/meera-miracle/entry-12115796967.html</link>
<pubDate>Sun, 10 Jan 2016 09:36:01 +0900</pubDate>
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<title>いま　どうなの？</title>
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<![CDATA[ ただいまノロノロながら断捨離中。<br><br>書類はかなり捨てましたが<br>これは捨てられない殿堂入りの中に<br>インドでのペインティンググループの最中に書いていた<br>日記やメモのようなものがあります。<br><br>古いインド製ノートを開いてみたら<br>なんと１９９５年・・・いまから２０年前！の<br>グループがアートキャラバンと呼ばれていた時代のものでした。<br><br>日記を読むとパート１は３週間で<br>その後もパート２、パート３とあったようです。<br><br>プーナに着いてすぐ私はどのパートをうけたらいいか<br>ミラに相談したことが書いてありました。<br>その頃は３ヶ月滞在して、絵のグループはもちろん<br>受けたいセッションなどもあってお金のことを心配していたのです。<br>（３ヶ月・・・いい時代だったなあ。）<br><br>グループ初日の日記<br><br>　　ミラが言った。<br><br>　　「ここはこうしてこういうふうにしようって<br>　　計画をたてて描くこともできるし<br>　　たぶんそのとおりになるかもしれない<br>　　でも　何が起こるかわからない喜び<br>　　ワオ　こんなのできちゃった　<br>　　そういうほうが驚きがあって楽しいでしょ」<br><br>　　この言葉を聞いた時<br>　　人生っていうか　日常もそうだなあって思った<br>　　この瞬間にいて　何も次のことを心配しなかったら<br>　　いまのここを信頼してたら<br>　　次の瞬間はギフトとしてやってくるんだ<br><br>　　グループを始める前に<br>　　お金のことを心配して　どの絵のグループをうけたらいいかって<br>　　ミラにたずねた<br>　　<br>　　「ハートにきいて　絵を描きたかったら<br>　　先のことは思い悩まないで始めればいいんだよ<br>　　お金はあとからついてくるものなんだよ」　って言われた<br><br>　　私にはそういった質が足りないようにおもえる<br>　　たぶん絵をとおして<br>　　このことを学んでいくことになるのだろう<br><br><br>そして３週間の毎日が書いてあって<br>１２月２２日の日記<br><br>　　ミラクルのようなことが起こっていく<br>　　カラーパンクチャーのセッションでも受けようと<br>　　プラザにブッキングしに行く<br><br>　　お金を払う時　むこうを見るとミラ<br>　　それで　マスターペインター（グループパート２）は、やらない<br>　　と言うと<br>　　「なぜ？」<br><br>とここで日記が途切れていました。<br>その後は簡単なメモに変わっていて<br>私はグループのヘルパーとして参加していました。<br><br>きっとミラがヘルパー参加を招待してくれたのだとおもいます。<br>私にとってそれが<br>ミラクル<br>ギフト　　を体感するはじまりでした。<br><br>あれから２０年<br>いまも頭であれこれ計算してしまうことは確かにある<br>ハートにきいたつもりで<br>そうじゃなかったあ　とおもったこともある<br><br>でも　ミラといっしょにいると<br>必ずここにもどされます。<br><br>だからおもいきって大胆な一筆<br><br>しまった　失敗したとおもっても<br>大きな紙の上では<br>絵をリッチにさせる一筆になることを<br>グループの中で<br>絵をとおしてたくさん学びました。<br><br><br>　　<br><br>　　　<br><br>　　<br>
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<link>https://ameblo.jp/meera-miracle/entry-12088060922.html</link>
<pubDate>Sun, 25 Oct 2015 09:37:00 +0900</pubDate>
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<title>「家族の座」というワーク</title>
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<![CDATA[ 「家族の座」はたとえ自分の座を開かず<br>他のひとの座を観るだけだとしても<br>いつも感じるものがあります。<br><br>そして　これは私の感覚ですが<br>松本清張の小説の世界が思い起こされるのです。<br><br>といっても本を読んだことはなく<br>TVドラマや映画になったものを通してのものです。<br><br>私の知っている清張ワールドの中では<br>とんでもない事件が起きて<br>それは　殺人とか盗みとか犯罪と呼ばれるもので<br><br>とんでもない事件を起こしてしまったひとが<br>なぜそんなことを起こさざるをえなかったのかに焦点をあて<br>せまっていきます。<br><br>ニュースでは「悪者」にされているひと<br>そのひとの心理<br>子供の頃のことや、環境、そのひとに関係しているひとたち<br><br>関係している人たちの中に<br>まったく関係ないとおもわれるわたしたちも<br>ふくまれているのですが。<br><br>私　対　誰か　ということで<br>相手をただ否定するだけでは<br>真の解決にはならず<br>その後ものごとは自然なカタチで動いてはくれません。<br><br>無視されたり　否定されたり　葬り去られたひとたちは<br>なんとかして存在を認めてもらおうとします。<br><br>松本清張の作品はそういったひとたちに光をあて<br>最後には慈悲のような　なんとも言えないものに包まれ<br>「ありがとう。」と言いたくなります。<br>やるせない結末だとしても<br>一人でもわかってるひとがいる　という救いのようなものです。<br><br>うまく表現できているかわかりませんが<br>「家族の座」のあと、同じような気持ちになるのです。<br><br>癒しが起こって<br>きゅっとしてたものが　ゆるっとほどけていくのをみるとき<br><br>ひとを尊重することに<br>美しさと途方もない力を感じます。<br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/meera-miracle/entry-12079250729.html</link>
<pubDate>Thu, 01 Oct 2015 10:06:06 +0900</pubDate>
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<title>顔というもの</title>
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<![CDATA[ セルフポートレートは　いわゆる似顔絵とは違います。<br><br>といっても鏡の中の自分をみつめ<br>絵として表現されたものを見ると<br><br>似てない・・・　似てる～　という<br>感覚、ことばがでてきます。<br><br>似てる　とは何をして　似てるというのだろう。<br><br>技術的にそっくりそのまま<br>カタチをうつしとって描けたものを似てるというのか<br><br>自己イメージに近い自分をそこに見たとき<br>似てる　というのか<br><br>似ている、似ていないに関係なく<br>鏡の中の自分と対面して<br>取り組むというのはけっこうしんどいことです。<br><br>わたしたちは<br>ただ　みる　ということをしないからです。<br><br>鏡を見たとたん<br>ああだ　こうだの自分裁判がはじまり<br>描きはじめると　また<br>こうじゃない　なんで描けないんだろう　がやってきます。<br><br>ミラは　顔をかたまりとしてとらえ<br>光のあたっているところ<br>影になって暗いところを<br>見て　表現していくように導きます。<br><br>すると　そこにキャラクターなしのひとが現れ<br>キャラクターがないほどに　自分が現れる<br>という不思議が起こります。<br><br>ワークの途中<br>何の説明もなくはじまることもあります。<br><br>深いワークのあと<br>セルフポートレートを描いた事のない人でも<br>描き方を説明しなくても<br>そこに　あらわれてくるもの<br><br>「どれだけ　自分自身とむきあったか」と<br>ミラは言います。<br><br><br>感情がふきだしそうなモンスターのような顔<br>若いお坊さんのような顔<br>母とそっくりの顔<br>焦点が定まらない眼をした顔<br>ひょうきんな男の顔<br>決意を感じる顔<br><br>などなど　これまでたくさんの顔を<br>わたしは自分が描いた絵の中にみることになりました。<br><br>この秋にミラの<br>「家族の座」とポートレートのワーク２日間が<br>急遽決まりました。<br>http://oshoartunity.com/meera/training.html<br><br><br>パートナーの顔を描くことも<br>パートナーが鏡の役割をしてくれるのかもしれません。<br><br>笑いの中で気楽に描くことが起こるのか<br>一筆も進まないような感じになるのか<br>涙と鼻水で踊るのか<br><br>それは未知です。<br><br><br><br><br><br><br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/meera-miracle/entry-12078178570.html</link>
<pubDate>Mon, 28 Sep 2015 13:17:56 +0900</pubDate>
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<title>やりたいことしかやってないから</title>
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<![CDATA[ 今年日本での「アートセラピスト講座」前のことです。<br><br>ヘルパーチームとして前日入りする私たち<br>腰が不安なまま上京した私は<br>オーガナイザーのヴァユのところにお世話になっていました。<br><br>ずっと気をつけてきたのに<br>このタイミングで腰がやばくなるとは・・・<br>いつもながら情けなさを感じ<br>「準備ができるんだろうか」という状態でした。<br><br>長く自力整体のクラスをやってきているヴァユに<br>これまで何度たすけてもらったかわかりません。<br>このときも私は横になってヒーリングを受けていました。<br><br>そこに「ただいま～」と元気な声<br>数日前に日本入りしたミラが<br>打ち合わせなど友人と会うため東京の街に出かけて<br>夜に帰ってきました。<br><br>「いや～　楽しかった。<br>　都会は楽しい。<br>　会って食事して<br>　街なかでひとりお茶したり。<br><br>　よく都会の雑踏で疲れて具合悪くなるとかいうけど<br>　ぜ～んぜん平気」<br><br>都会の人ごみで具合悪くなる・・・<br>それって私のことじゃないの<br><br>そして<br>「私　やりたいことしかやってないから」とミラ。<br><br>さらに<br>　まあ　そういうわけで　あなたたちはよろしくやって<br>　みたいなことをこちらをみてなにげに言うのです。<br><br>私としてはちょっとムッとしましたが<br>事実そうでした。<br><br>ミラって黒柳徹子さんみたいだなあと思いました。<br><br>黒柳徹子さんも「やりたいことしかやらない」そうです。<br>パワフルでちょっとぶっとんでるところが共通しています。<br><br>８日間のグループ中<br>まわりのひとからヒーリングしてもらい<br>瞑想して　絵を描いていくうちに<br>私はどんどん元気になっていきました。<br><br>最終日　すべての片付けが終わって広いホールを<br>「立つ鳥　跡を濁さずだよね～」と<br>モップがけしていた私に<br><br>「こっち見て！」<br><br>上を見上げると２階のスペースから<br>ipadで動画をうつしているではありませんか<br><br>「ヘナ　みちがえたね～<br>　これ撮っといて<br>　具合悪くなったら　みせるから。<br>　こんなに元気に動けるんだって。」<br><br>はあ～<br>お茶目なミラでした。<br><br><br><br>　<br><br><br>　<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/meera-miracle/entry-12062316883.html</link>
<pubDate>Sun, 16 Aug 2015 10:37:14 +0900</pubDate>
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<title>絵の具を溶くときは絵の具を溶く</title>
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<![CDATA[ 「絵の具を溶くときは絵の具を溶く」<br>　<br>ミラの数多い名言の中で<br>私にとってもっとも印象深く　何度もやってくるもの<br><br>それがこのことばです。<br><br>はい、はい　絵の具を溶くときは溶いてますよ<br>そんなことわかってるって<br>となりますが<br><br>このことは実にシンプル　かつ深い<br><br>OSHOメディテーションリゾートでの<br>長いペインティングトレーニングの途中だったとおもう<br><br>ネイチャーペインティングにつまっってきた私たちに<br><br>ミラはインドの路上で絵を描いた時のこと<br>そばにウンコがあるのをものともせず<br>さらには自然の中で座って絵を描き続け<br>脚がおかしくなってしまったことなどを話してくれました。<br><br>自分の絵に戻るために立ち上がろうとした私たちに<br><br>　「絵の具を溶くときは　絵の具を溶く」<br><br>パキッっと　かつ普通に言ったのです。<br><br>妙にこのことばが響いた私は<br>自分の絵の前に座り　そのことをただやってみました。<br><br>ガアーーーン<br>・・・・・<br><br>私は一度も「絵の具を溶くとき　絵の具を溶く」ことを<br>やっていなかったのです。<br><br>　あの草を描くのはたいへんそうだな<br>　なんだか今回の紙はにじみすぎる<br>　さっき食べたクロワッサンは油っぽかった<br><br>などなど頭がうるさく　目はキョロキョロ<br><br>本当に<br>ただ　<br>やる<br><br>次の瞬間も<br>ただ毎瞬　このことがある<br><br>筆を洗うときは　筆を洗い<br>観るときは　観る<br>実にシンプルだ<br><br>これを本当に　ただやったとき<br>何が起こるのか<br>絵がどう展開していくのか<br><br>しかし<br>絵のため座り続けて脚を痛めるなんて<br>まったくもってミラは禅師のよう<br>ミラ世代はこういった熱いひとが多いようにおもうが<br>ミラのジャンプは半端ない<br><br>私の日常に何度もやってくるこのことば<br><br>草を刈るときは　草を刈る<br>食べるときは　食べる<br><br>そうか<br>生きるときは　生きて<br>死ぬときは　死ぬんだ<br><br><br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/meera-miracle/entry-12052858122.html</link>
<pubDate>Tue, 21 Jul 2015 09:57:13 +0900</pubDate>
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<title>ミラクル炸裂</title>
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<![CDATA[ 東京，高尾でのミラの「OSHO　アートセラピスト講座」が終わって<br>２週間近くになりました。<br><br>私はヘルパーチームとしての参加でしたが<br>その時の様子や感想を<br>ここに書くことのむずかしさを感じています。<br><br>「ミラクル炸裂」<br>ミラはいつもミラであり続けているだけですが<br>セラピスト講座だけに　強烈でした。<br><br>そこに集まってきたひとたちも<br>自分のなかに　気づきの光を手にしなければ<br>この先の一歩はない　というような静かな気迫がありました。<br><br>私はといえば　上京する前日に・・前日に！腰がやばくなり<br>運を天にまかせるしかなく<br>ヘルパーチームのみんなにマッサージしてもらったり<br>アイロンで温熱してもらったり、整体体操を教えてもらったりと<br>自分の身体とのつきあい<br>そして　身体とこころ、精神がどうつながっているかにむきあわずにはいられない<br>１週間をすごしました。<br><br>普段なら安静にしているところを<br>毎朝　自分のできるかぎりでダイナミック瞑想をやり<br>踊ったりしていくうちに　５日目くらいには<br>身体がいい感じになってきたこともミラクルでした。<br><br><br>またヘルパーチームでのいろいろや<br>宿泊、食事についてのいろいろ<br>「OSHOワーク」ということばに反応してしまう自分をみるなど<br>自分の在り方　というワークは常に続いています。<br><br>寝食を共にすることで<br>ちょっとしたできごとに自分のパターンがでたり<br>問題が反映されているのをみたり　<br>瞑想は日常にあり　を感じました。<br><br>「ミラの底力をみた」<br>「すごいグループだったね」<br>という参加者の声<br><br>その場で完了させる、決着をつけるミラの姿勢、在り方<br><br>ミラの言う「起承転結」の転の部分をいつも私に投げてよこす<br>直後は自分のなかに混乱が起こることが多いけれど<br>結果的には　クリアになっている<br><br>それは私の場合<br>ミラの言ったことがなるほど～というクリアさの類ではなく<br>いまの自分はこうだ　というクリアさにつながっています。<br><br>私は<br>生きて<br>ここにいる<br>
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<link>https://ameblo.jp/meera-miracle/entry-12012620541.html</link>
<pubDate>Fri, 10 Apr 2015 15:37:08 +0900</pubDate>
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<title>リアル　ミラ</title>
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<![CDATA[ いまミラが日本に来ていて<br>きのうひさしぶりに電話で話をしました。<br><br>電話を切ったあと<br><br>「自分の呼吸は自分でしなくちゃ<br>　誰も私のかわりに息することはできない<br>　私も誰かの息をすることはできない」<br><br>と、こんなおもいがうかびました。<br><br>話の中でこういう話題になったのではありません。<br><br>また自分が呼吸しているというより<br>いのちが　私という肉体に呼吸させているわけなのですが。<br><br>ミラと話していると<br>いのち<br>なにか根源的なもの<br>もとのもと<br><br>確かに自分はそことつながっているんだという<br>勇気にも似た感覚にスイッチが入るのを感じました。<br><br>電源はいつも入っているのに<br>時々切れたように感じるのはなぜだろう。<br><br>自分でスイッチ切るのかな<br><br>ひとも放電するだろうから<br>充電も必要なんだな<br><br>自分がどうしたら充電されるのか<br>知る必要があるな<br><br>などなど　どこからともなく<br>わいてくるのでした。<br><br>そして　はあーっと深呼吸しました。<br><br>そして　放電　バンザーイ<br>　　　　充電　バンザーイ<br>　　　　電池切れも　バンザーイ<br><br>と訳のわからないことばを言って<br>両手をあげてみたりしました。<br><br><br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/meera-miracle/entry-12001941507.html</link>
<pubDate>Sun, 15 Mar 2015 20:00:35 +0900</pubDate>
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<title>貯金箱を割れ！</title>
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<![CDATA[ 人はいい感じになると守りに入り<br>現状維持をしたくなるものです。<br><br>私の場合は　絵の中にいい感じのところがあると<br>そこには手をつけないで<br>周辺をなぞっていたりしました。<br><br>ここは生に対するアプローチと<br>似ています。<br><br>インドでの長い絵のグループ<br>ペインティングキャラバンと呼ばれていた頃かもしれません。<br>明日が最終日　そのあとには展覧会が待っている。という状況で<br>どことなくみんながそんなムードに陥っていた時がありました。<br><br>ミラがわたしたちの様子をみて言ったのです。<br><br>「貯金箱を割ってみたら。<br>　１万円札が出てくるかもしれないよ。」<br><br>えーっ　いまそれを言う？<br>とっさに「ゼロ円かもしれない」ということばがでました。<br><br>貯金箱を割る気にはなれなかった私ですが<br>それでもはっと目をさまし<br>そのことばで再び新鮮な気持ちで絵にむかいました。<br><br>そんな中　貯金箱を割ったひとが二人ほどいました。<br>ひとりはウエスタンの女性でおとなしそうなひとでした。<br>上から絵の具を大胆にかけて違った絵になっていたのを目にした時は<br>ショックを感じました。<br><br>勇気あるなあ<br>とっても真似できない。<br><br>彼女が後悔していないことは<br>すっきりとした表情をみてわかりました。<br>それまで苦しんでいるのを知っていたからです。<br><br>けれど　この「貯金箱を割る」のは<br>詰まった時いつでもやるというのとも違うのです。<br><br>ミラは「お産婆さん」という表現で<br>絵がうまれるのを自分たちでたすけるように　と言います。<br><br>自分もふくめ　たくさんの仲間たちをみて<br>絵をかくことには<br>生きることのパターンがあらわれるんだなあ　とおもいます。<br><br>いま　どうやったら<br>この絵を育てること<br>自分を愛することになるんだろう。<br><br>それはテクニックというより<br>自分の在りかた、瞑想です。<br><br>急ぎすぎて壊してしまったり<br>守りすぎてつまらなくなったり<br>そんなことを繰り返しながらも<br>私にとっての絵と人生のキャラバンは続いている<br>いまもそう感じます。<br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/meera-miracle/entry-11999688604.html</link>
<pubDate>Tue, 10 Mar 2015 09:35:28 +0900</pubDate>
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