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<title>meguchiのブログ</title>
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<title>思い出したこと</title>
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<![CDATA[ そういえば、若いお母さんが言ってた。<br>「震災直後、飲み水がなくて。自衛隊が持って来てくれた水を飲んだとき、水ってこんなに美味しいんだって思ったよ。」<br>福島では、いつも普通に吸っている空気を胸いっぱい吸えない。<br>ナウシカでクロトアが久々にマスクを外せたとき「空気ってやつはうまいな～」と言っていたのを思い出した。<br>普通に食べていた食事が、今は色々なものに汚染されている。放射能前からも、化学物質まみれ。<br>人間はなんて余計なものをたくさん作ってしまったのでしょう。<br><br><br><br>iPhoneからの投稿
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<link>https://ameblo.jp/meguchi525/entry-10907671501.html</link>
<pubDate>Mon, 30 May 2011 10:47:00 +0900</pubDate>
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<title>【災害ボランティア４日目：最終日】</title>
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<![CDATA[ <p>朝、今日は一般ボランティアさんが炊き出しなので６時起床。やや寝坊。</p><p>ちなみに寝床は１０畳くらいのスペースに８人くらいで寝てます。畳じゃない場所なので床にダンボールや毛布を引いて、あとは寝袋でどうにか。男女ごっちゃ。３月は１３人くらいで寝てたそう。どうやって入ってたんだろ？あとトイレは水洗もありますが、ボランティアはボットンです。久々のボットン。おばあちゃん家思い出す。携帯とか落としたら終了なんでスリリング！</p><br><p>今日は神奈川からペインクリニックの開業医先生が診察。私は１３時には出発するのでそれまで診察補助。針、つぼ押しができる先生。薬は処方せず漢方を使う。聞けば、「だって、西洋医学効かないんだもん」とのこと。つぼのことや東洋医学について学ばせて頂きラッキーな出会い。引き寄せたな。やっぱ運は人が運んでくるんだな。</p><br><p>被災者は、プライベートタイムがほとんどない。トイレでさえゆっくりできないし。息が抜けないし、体が無意識に緊張しているようだ。体の諸所に痛みを抱えている人が多く、ペインのニーズはある。ただ、東北の方の気質なのか、痛みの我慢が強い。けっこうひどくならないと来なかったりする。せめて、体の負担は減らしてあげたいけど。畳の生活だから、ひざや腰に結構負担がかかる。私もたった３日だが腰痛が悪化しているしひざも痛い。</p><br><p>あと３日通して栄養面の問題も体感。動物性たんぱく質の摂取が少ないのです。炊き出しではほとんど見なかったな。子供や、肉体労働している人なんかはまずいね。物資も偏っているみたい。過剰なものは過剰で、腐りかけのものもたまにあるみたい。日持ちするもの系(缶詰、カップめんなど)は皆食べ過ぎて飽きてる。ただ「贅沢は言えないから・・・」と要望を発していないだけ。そろそろ、生活の質の向上をしていく段階に来ていると感じた。</p><br><p>そうこうしている間にお迎えが。</p><br><p>屯所に戻り、お昼を食べてお別れ。</p><p>握手してくれたり「またウノしに来て下さい」と言って頂いて本当に泣きそうでした。何にもできなくて申し訳ない。そんな気持ちでいっぱいです。私は宮城に来て一回も嫌な思いをしなかった。皆さん本当にあったかくて。もっともっと私に力があったらな。あったらな、で終わらせず、力をつけます。できることできる範囲で。</p><br><p>今回、行くか迷ったりもしたが、行動に起こしてよかったです。逆に宮城の方々から元気を頂いてしまったので今度は私が返せるように頑張りたい。</p><br><p>どんな形であれ、東北を応援し続けます。</p><br><br><p>しかし、仙台は外壁がちょっと落ちていたりするくらいで日常だった。車で３時間程度でこんなに世界が変わるのか。。。</p><br><p>お疲れ様でした。</p>
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<link>https://ameblo.jp/meguchi525/entry-10907443101.html</link>
<pubDate>Mon, 30 May 2011 00:40:20 +0900</pubDate>
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<title>【災害ボランティア３日目】</title>
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<![CDATA[ <p>４時半起床。酒残っている。</p><br><p>炊き出しお手伝い。見たことない大きく長いワカメを切りながら被災者のママと雑談。やっぱり話題は仮設住宅。「抽選外れたの。でも当たってもね、先立つお金がないからね。ここにいればご飯も出るし光熱費もかからないからいいけど、仮設住宅に入ると光熱費もかかるし、食事代もかかる。お金が入らないからどうしよもならないよね。」と。他の方々も、誰が避難所を出るとかそういう話題が多い。移るも不安。残るも不安。ただ残る人は本当に寂しそうな顔をする。つらいね。喪失体験が重なるよね。皆こんな経験をこの２ヶ月で何回も繰り返しているんだな。</p><br><p>朝ごはんの後は急いでDMAT会議へ。気仙沼で活動している医療団が一度に集まり、周知や会議をする。全国津々浦々から医師、看護師、薬剤師、栄養士が被災地入りし活動を行っている。これは石巻にも入っていたナースから聞いた話。「石巻は被害が甚大でライフラインもまだ整っていない。ただ医療は石巻赤十字が中心となり、医療ボランティアなどの調整も行っているから効率的。気仙沼はもともと基幹病院がないから気仙沼市が中心でやっている。だから組織的に動くのが効率がわるくなっている。」とのこと。</p><p>もともと東北は医療過疎だからな。多くの人が車を流されて移動手段がない。訪問診療などできめ細やかに医療を提供してく必要がある。そういうこと考えているのかしら？悶々としながら会議終了。</p><br><p>気仙沼港を視察。気仙沼は火事にもみまわれた。</p><p>行く途中、三陸鉄道が幾箇所にもわたって寸断されていた。鉄橋が崩れ、トンネルが崩壊し、線路が引きちぎられている。枕木も何もない。三陸鉄道は再建すると１８０億円かかるらしい。。。きっときれいな景色が見える電車だったんだろうな。三陸の海は本当にきれい。きれい過ぎて、でも起きてる現状が悲惨すぎて、泣ける。</p><br><p>気仙沼は造船場があったようで、大きな船がたくさん陸に打ち上げられていた。川を遡上して橋に引っかかっている船もあった。生鮮市場も栄えていたそう。今、そこにあった魚が腐ってしまい、悪臭がひどいらしい。この日は雨で気温が低いのでそこまではひどくないが、晴れている日はマスクなしだといられない程だそうだ。気仙沼駅が近くにあり、港を含め一帯が栄えていたようだ。銀行や商店も一階が津波で潰れて建物が崩れていたりひどい状況だったが、鉄骨の建物が多く建物自体は残っている。石油コンビナートが近くにあり、そこから石油タンクが流され石油が流出。港で引火し陸にも火の手があがったらしい。焦げ臭さがまだありまるで戦場にいるかのような景色だった。船が丸々燃えた跡もあった。海は石油が漂っていた。気仙沼は７０cm地盤沈下したそうで、満潮時は冠水して道が通れなくなる。地形が大きく変わってしまったのだ。</p><br><p>見たことないくらい大きなクレーン車を投入して船を回収していた。少しずつだが、復興へ向けて動き出している。</p><br><p>午後はお寺の診療。今日が最終の診療ということで多くの人が訪れた。私達の体まで気遣ってくれる人たちが多く、恐縮してしまう。どんだけ優しいのよ。</p><br><p>屯所へ帰還。今日はやや有名な歌手が歌いにくるということで、掃除や準備を手伝う。その人が来るから夕飯は１６時半。ご飯の時間に来ないでよ～。子供とかかわいそうだ。歌はとっても上手いし歌詞もいいけどなんか暗い曲調。。。ブルースだね。仙台から熱狂的なファンが来ていて、温度差を感じた。これは個人的な意見だが、やっぱり皆聞きたいのは良く知っている歌謡曲とか民謡とか演歌なんだよね。本当に被災者のことを思うのであれば、せめて数曲は大衆ソングを歌ってほしい。自分の歌ばかり、はちょっとオナニープレイじゃないかな。あと、本人じゃなくても周りのスタッフは先に来て準備手伝ってほしい。皆忙しい時間削って掃除したり、準備したり。その人たちの分の炊き出ししたり。大変なんだよ。。。</p><br><p>今日はお風呂なしでまたスナックへ。１０歳の男の子が「皆さんスナックへ来てください！」とわざわざ招待してくれたので行かないわけにいかないでしょ～。ししゃも焼いたりしてくれておいしかった。あと漁師漬けは絶品ですね。マグロをしょうがとにんにくとしょうゆで漬けたもの。船でよく食べていたそうです。美味しかった。皆さんも本当優しくて、明日で最後って言ったとき泣きそうになっちゃった。仲良くなると別れがつらい。でも泣きません。それはなんか違うから。長くいた人が泣くのはありだけど、私にその資格はない。</p><br><p>後半はまたウノ大会。なんかすっかりウノの人になっていました。。。楽しかったよ。</p><p>あんまり長くいると離れずらいから２３時に撤収し、おやすみなさい。</p><br><p>○３日目まとめ</p><p>・長期的な医療サポートの必要性</p><p>・気仙沼の惨状</p><p>・イベント系ボランティアは現地の人の負担にならないように、大衆ニーズを汲み取るように願う</p><p>・ウノは最高のコミュニケーションツール</p>
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<link>https://ameblo.jp/meguchi525/entry-10907422760.html</link>
<pubDate>Sun, 29 May 2011 23:47:45 +0900</pubDate>
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<title>【災害ボランティア２日目：PM】</title>
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<![CDATA[ <p>午後は１３０名程度が非難している近隣のお寺へ往診。</p><p>移動の道中も瓦礫を通り抜ける。洗濯機の洗濯槽のみが転がっていたり、小型のボートが田んぼがあったであろう場所に乗り上げていたり、想像を絶する世界。木に引っかかった服や、お皿が落ちている所を見ると、生活があったんだと実感させられ、胸が締め付けられる。</p><br><p>お寺着。めっちゃでかい！！３棟あるらしい。地元のおじ様達が作成した薪風呂もある。すごいわ～。これは助かるだろうね。２時間滞在して診療。ここも毎日来ていた所が週二回になる。大きな避難所だけあり、整体のボランティアやお相撲さんの炊き出しも入っていた。お相撲さん、めっちゃ焼きそば焼いてました。現地の方々のお計らいで我々もおすそ分けを頂きました。あったかいご飯はやっぱりおいしい。明日は某夏の有名歌手が来るそう。イベント目白押しだね。</p><br><p>患者(被災者)さんの訴えは</p><p>不眠→周りの音、ストレス、心労など</p><p>肩こりなどの痛み→枕がない、布団がないので畳に毛布を何枚か引いた上に寝ている、長い避難生活での緊張やストレスで体がこわばっている、運動不足など</p><p>高血圧→疲労、偏った食事、ストレスなど</p><p>風邪→温度差が激しい、栄養が偏っているのとストレスで免疫力低下、お寺は木造なので寒いなど</p><p>が多かったですね。</p><p>ちょうど仮設住宅ができて、入居者の抽選があった頃で、皆さん一様にそのことの不安を訴えていました。</p><br><p>まとめ役をやられている方は高血圧。「仮設住宅ができてうれしいけど、仮説に移った人たちを取りまとめたりするのも大変。行政はほとんど介入していないから我々でやるしかない。お金を持ってる人とそうでない人もいるからね。なかなか大変。仮設住宅に当たらなかった人たちのケアも考えないといけない。今回は８０名くらいが仮説住宅に移るから、残る人の方が少ない。当然不満もあるし、取り残されてしまう心情もある。移るまでに１０日間あるけど、やっぱりお互い気まずいよね。」。表情からこの２ヶ月での本当に大変な心労と苦労が読み取れる。</p><br><p>不眠と肩こりで診察に来た女性。「私は仮説牛宅にあたったからいいんだけどね。皆がそうじゃないから。申し訳ない気持ちにもなっちゃう。だって、やっぱり移りたい気持ちは皆同じだもの。不眠は仮設住宅に行けばよくなると思う。今は夜にトイレに起きる人の足音とかで目が覚めちゃうから。」。笑顔で話されているがふと見せる表情は苦悩が感じられた。「愚痴っちゃった！ごめんなさいね！」と言っておられ。いいんですよ。我々ができることなんてそれくらいしかないもの。</p><p>一番の役割は、避難所以外の人間の存在と場所。皆不安を抱えていて、そんな中で自分の不安を吐き出すのはできないよね。だから、避難所はけっこう笑いであふれている。おばちゃんも、おじちゃんも冗談言ったり。でも診察室入っていろいろしゃべっていると、不安を吐露する。つらいよね。寄り添うことしかできません。ごめんなさい。少しでも愚痴でも言ってさっぱりしてくれたらいいな。</p><br><p>１５時診療終了。</p><p>時間があるので、南三陸から回って帰ることに。</p><p>本吉は海から３，４キロいくと山があるが、南三陸は海から山までが遠い。被害は甚大だった。本当に本当に何もない。道もない、家も、電信柱も、何にもなかった。音もなかった。</p><p>すごい大きな堤防があるけど途中で壊れている。堤防のすぐ近くに家があったようで、基礎だけ残してあとは何もなかった。車は一瞬なんだか認識できないほどにめちゃくちゃにされていた。エンジンだけが転がっている。３階コンクリート建ての病院は、屋上に漁で使う網が引っかかっている。意味わかんない。ガラスはすべてない。消防署も鉄筋のみ残し、外壁もすべてなくなっていた。この光景が１０キロ近く続くのである。壮絶だった。町が消ていた。</p><br><p>TVで見てはいた。でも実際に目の当たりにすると。言葉がない。</p><br><p>重い気持ちを引きずり夕食。ご飯とおかずと味噌汁を炊き出し。被災者は当番をきめてやっている。チームからも２人お手伝い。</p><br><p>今日は４日ほどお風呂に入っていないスタッフがいたのでお風呂日！ラッキーだな。</p><p>車で３０分離れた地元の銭湯へ。すごいレトロ。シャワーないからね。被災者の方は、自衛隊のお風呂や、ボランティアの巡回風呂を利用しているのでコンスタントにはいれているそう。</p><p>スタッフの一人は、「３月のうちはライフラインがなかったし、銭湯もやってないし、自衛隊の風呂も被災者優先だから１０日お風呂に入らなかった。」と。「銭湯が再開したのが４月に入ってから。そのときの湯船はやばかったよ。めっちゃいろいろ浮いてて(笑)」。今もけっこう汚い湯船。でもお湯に浸かれるだけで幸せだ～。</p><br><p>２１時より宴会。基本避難所はトラブル防止のために宴会禁止のところも多い。ボランティアが宴会も基本はなし。でも、ここのご住職は大変心が広いお方。非難されている方々は漁師が多い。いつも飲んでいたのに、非難してからはほとんど飲めずだったそう。見かねた住職が宴会OKにし、本部の隣は「スナック」と称した飲み場になっている。薪を焚きながら毎夜行われている。ボランティアも普通に参加。漁師のおじちゃま達はとっても素敵。優しい人ばかり。行くと「これ飲め、食え」といろいろ与えてくれました。</p><p>若者集団もいて後半はウノ大会。楽しかった。被災者とかボランティアとかの壁がなくなったよ。同じ国に生まれ、同じ年代に生き、同じ言葉を話す仲間だよ。</p><p>「船も、車も、家もながされちゃったからな～。どうすっかな。」って不安も皆抱えている。保障もあるらしいが、船が見つかって、スクラップにしたことを証明しないと補償額は下がるらしい。海に生まれ、海に生きてきた人たち。つらいだろうな。</p><p>ちなみに、仮設住宅は、どこに建てるか、誰を入れるか、その後の管理などお役所の担当部署が全部違うらしい。だから、意見や要望がなかなか通らないし、建設も遅いと事務の方が漏らしていた。何で地元の人をもっと介入させないんだろう。阪神淡路の教訓がまったく生かされない。</p><br><p>０時就寝。明日は炊き出しなので４時半起床！</p><br><p>○災害ボランティア２日目：PM　まとめ</p><p>・被害は想像以上に甚大。</p><p>・仮設住宅の問題。残る人、移る人で住民にストレス。行政と住民との間にずれがある。</p><p>・お酒は最高のコミュニケーションツール。</p><p>・本音や不安を吐き出せる環境作り→ある程度継続して医療チームやカウンセリングなどが介入する必要がある</p><p>・避難生活でのストレスがピークに達している</p><p>・感染症の拡大注意</p>
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<link>https://ameblo.jp/meguchi525/entry-10907340557.html</link>
<pubDate>Sun, 29 May 2011 22:09:37 +0900</pubDate>
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<title>【災害ボランティア２日目AM】</title>
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<![CDATA[ <p>【災害ボランティア２日目//AM】</p><p>昨日、日中眠りすぎなのと緊張でほとんど眠れず・・・・</p><p>起床６時。仙台は良い天気である。簡単に身づくろいをし、７時にボランティアドライバー(VD)のAさん(男)といざ本吉地区へ。Aさんは、定年を過ぎている東京在住の方である。ゆるーい雰囲気をお持ちの方。泥だしとかは、体力的に無理なので、ネットでいろいろ探していたら、VDを知り応募してと。今回は被災地入り３回目。道も慣れたものである。車の中からの景色は、水田がきれいで、自然が輝いていて、うっかり癒されたしまった。途中、登米などの市街地も通過。建物もほとんど健在。意外にもブロック塀はほとんどの所で崩れていなかった。それよりも、屋根瓦の損傷の方があった。本吉まで１０キロ地点あたりから、たまに自衛隊車両や、県外からのボランティアチームを乗せたバスとすれ違った。</p><br><p>５キロ手前。あとは峠を越えてもう着く頃。津波の爪あとが突然眼前に広がった。まだ海は見えない。ナビ上でも海はまだまだ遠い場所である。突然、左右の景色が一変した。大木が流され、瓦礫だらけである。流された家、電信柱、車。ありとあらゆるものが瓦礫になってしまっている。頭をガツンと殴られたようだった。「ここは海から５キロ離れてるけど、津波が川を遡上してきて皆流されてしまったんだ。」とAさんが教えてくれた。その川は、今は川幅２メートルくらいの穏やかな川である。しかし、川を挟んでいた町は跡形もなく消えていた。川から少し高台へ行くと、津波の被害はほとんどなくなる。運命の分かれ目が引かれているようだった。</p><br><p>高台を降りて、海が見える道を走ると、そこはニュースで見ていた世界だった。海から２、３キロは見渡す限り瓦礫。右を見ても、左を見ても、町の痕跡は消されていた。堤防が無残に砕け散っている。鉄骨が紙くずでも丸めたような形で転がっている。ひどかった。「これでも１ヶ月前に比べたらだいぶ片付いてきた」とAさん。</p><br><p>道はだいぶ舗装され通りやすくなっているが、地盤沈下をしているのか、橋はがたつきがひどい。</p><br><p>それでもコンビには普通に営業していた。割れた扉ガラスをダンボールなんかで補強している。新しく、建物を建てているコンビにもあった。入り口に『もうちょっとで開店、待っててね』と書いてあった。イカシてるな～。</p><br><p>１０時参加するボランティア医療チームがある本吉のあるお寺に到着。</p><p>そこはぐっと坂を上がった高台にある。４００年の歴史がある立派なお寺。今は避難所として開放している。</p><br><p>まずはチームにご挨拶。皆さん滋賀や東京から駆けつけていた。本部の看護師は３月１７日から被災地入りしているそう。医師１名、看護師４名で活動中。</p><br><p>地元の対策本部に挨拶。ボランティアで入っている若い男性や、副住職さん、副々住職さん、被災者の方々に挨拶。東北弁があったかい。今まで総勢３００名程度のボランティアが訪れたそうで気さくに話をかけてくれた。「どっがらきたのー。」みたいな感じ。</p><br><p>避難所として利用している本堂へ。震災直後は、人でいっぱいだったらしいが、仮設住宅に移るなどする人が増えて今は３０名程度がここで避難生活を送る。</p><p>布でスペースを区切っていて、ある程度のプライベートが確保できるよう配慮されていた。ボランティアナース(VN)のM(女性：６０代)が「ここは避難所の中では、人数も少ないほうだし、お寺だから畳を使えるので、環境としてはいい方なの。電気もガスも水道も今は通ってしね。あそこのおじいちゃんは、２００人くらいいる避難所にいて、床の上に毛布を一枚だけひいて寝ていたら床ずれがでちゃって。痛いからどんどん動かなくなってしまって、見かねてDrがここの避難所に移したの。今は杖をつくけど歩けるし床ずれもだいぶ良くなったのよ。」と教えてくれた。被災者の方々の話だと「地震のあった日は住職がすぐここを開放してくれたの。畳１畳に３人くらいのスペースしかなかったよ。荷物も置くとこないから仏様の所にも荷物置かしてもらってた。寒くてねー。大変だったの。」。畳１畳に３人って！！今はあっけらかんと話してくれるけど、本当に恐ろしく大変な経験をしているんだな。</p><br><p>診療風景診察。薬や最低限の医療資材はあるのでそれなりに診療可能。</p><p>高血圧の人来訪。継続処方。６月に医療チームは撤退してしますので皆さんに紹介状を書いてお渡しする。この患者さんは「かかりつけの病院もなくなっちゃて、やっぱり不安だよ。今まではここに来れば薬ももらえたし、相談にも乗ってもらえたしね。病院は距離もあるし、混んでるから・・・。」とやはり不安げだった。そりゃそうだよね。被災してから薬を飲むようになった人も多いから、ずっと体調を知っている人がいなくなるのは心細いよね。</p><p>今は患者数は減っているのでちらほら来訪。</p><br><p>１２時　昼食。炊き出しをチームで５人分もらえるのでそれを分けて食べる。今日はVDさん２人もいたりして５人分を８人で分けていただきます。メニューま賞味期限切れおにぎり～。あとはカップの味噌汁。お菓子。結構お腹いっぱい。長くいるスタッフは、「おにぎりばっかで大変なの。しかも具が昆布かおかかしかなくて、たまーに梅。」</p><p>と。結構ご飯硬いからお年寄りや子供にはつらいね。</p><br><br><p>○２日目AMのまとめ○</p><p>・震災から２ヶ月経っており、避難所からでていく人が多い。ボランティアもそれに合わせて縮小中。</p><p>・震災に対する受容が始まっている。今は、今後についての不安が大きい。</p><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/meguchi525/entry-10907220864.html</link>
<pubDate>Sun, 29 May 2011 21:03:21 +0900</pubDate>
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<title>災害ボランティア【1日目】</title>
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<![CDATA[ 今日は拠点事務所に行って、登録とオリエンテーションを行います。<br><br>新幹線でいざ仙台へ。<br><br>福島を通過。普通の町並みの中に、屋根瓦を修復している家がポツポツとある。ここが被災地であると実感。<br><br>震災直後は、この被害や東北への復興の思いを忘れないようにしようと思っていた。でも東京にいて、何不自由ない生活をしていて、やはり気持ちが薄れている。実際に被災地に近づくとやはり心が揺れ動く。<br><br>新幹線から見る景色は、普通の農村。田植えしてたり、軽トラが行き交っていたり。でもここは放射能の影響がある。ぱっと見は“普通”の生活なのに、今は“普通”じゃない。<br><br>正直に言うと、新幹線が福島の駅を通過するとき少なからず緊張した。Twitterでアメリカの研究機関が、東北新幹線上の駅の放射線量を計測したサイトを目にしたので、やや高めの数値であると知っていたから。冷静に考えれば新幹線に乗っていれば通過する時しか被爆しないから全く問題ないが、やっぱりなんか緊張した。<br><br>仙台到着。所要時間1時間40分！早っ！<br>仙台は車でしか行ったことないからめっちゃ早く感じた。ちなみに下りは1万円だけど上りはキャンペーン中で500円で新幹線利用可能（6月中旬まで）。是非とも継続してほしいキャンペーン。実際ボランティアはお金がかかる！東京からだと高速バス使えば3000円片道で行けるけど6時間くらいかかるし。ボランティア保険の加入とか、色んな装備を揃えると2、3万は飛ぶ。私は今回、交通費やら参加費、装備等を合わせて4万近く飛ぶ(´･_･`)<br><br>仙台駅は人が沢山で、被災地の気配を全く感じさせない。店も普通にやってる。大宮より賑わってる印象。<br><br>仙石線に乗り換えて事務所のある宮城野原へ。所々の観光案内板に、被災前の松島の写真や三陸の紹介がされていて胸を締め付けられた。<br><br>宮城野原へ到着。傍目では何もかも普通の日常がある。あと20キロ程行けば、津波の被害で街が壊滅状態なのに。。。<br><br>事務所は古めのマンションを利用している。軽くオリエンテーションしてあとは自由。やることないんで、寝る事にします。明日は3、4時間かけて本宮地区へ。前線に行きます。<br><br>ではでは、<br><br><br><br>iPhoneからの投稿
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<link>https://ameblo.jp/meguchi525/entry-10903962930.html</link>
<pubDate>Thu, 26 May 2011 20:45:23 +0900</pubDate>
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