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<title>新瀬 右周@クラコラユニット</title>
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<description>東京を拠点に古楽からコンテンポラリーまで高感度なアンテナ役と役立つ情報の発信を目指して活動するクラシック コラムニスト ユニット（クラコラ️ユニット）◎にゃんこ大好き◎</description>
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<title>若い世代をクラシックに呼び込むには？</title>
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<![CDATA[ <p>クラシックの演奏会に行って周りを見回すと、高齢のお客さんばかりであることに愕然とする。</p><p>&nbsp;</p><p>高齢の人たちは自由になるおカネと時間があるけれど、若者はそれがない、という説もあるけれど、そんなことは真の理由ではないと思う。</p><p>&nbsp;</p><p>今の若い世代は昔に比べればむしろ残業は減っていると思うし、自由になるおカネがないわけでもないと思う。</p><p>&nbsp;</p><p>単にクラシックに興味を持つ人が減ってしまった、興味はあってもおカネと時間を掛ける対象としての演奏会に魅力を感じなくなったと考えるのが自然だと思う。</p><p>&nbsp;</p><p>自分は60代後半だが、音楽家さんや音楽事務所さんにぜひお願いしたいのは、中高年が現時点での大事なお客さんだからと言って、その世代の人達が喜ぶ企画ばかりやらないで欲しいのだ。</p><p>&nbsp;</p><p>当面それで席が埋まるかもしれないが、将来クラシックが絶滅することが確定してしまうではないか。。</p><p>&nbsp;</p><p>学生優待料金を設定したり、お寺や学校、ライブハウスやサロンを会場にしたり、というような表面的なことでだけはなく、これまでのクラシックのやり方を「ぶっ壊す」というくらいの大胆な取り組みが必要なのではないか？</p><p>&nbsp;</p><p>伝統を守ったクオリティの低い企画と、伝統から離れているけれど斬新でクオリティの高い企画があったら、絶対に後者に若者は関心を持つに決まっている。</p><p>&nbsp;</p><p>歴史を振り返っても、古いものに固執したものは滅び、新しい潮流が生き残るのだから。</p><p>&nbsp;</p><p>今日はここまで。</p>
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<link>https://ameblo.jp/meji5555/entry-12412923814.html</link>
<pubDate>Fri, 19 Oct 2018 09:55:40 +0900</pubDate>
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<title>どんなクラシック音楽が絶滅するか？</title>
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<![CDATA[ <p>中央公論の11月号で、「クラシックに未来はあるか？」<wbr>という特集を読んだ。指揮者の大友直人と大野和士、<wbr>評論家の片山杜秀、音楽学の岡田暁生の各氏が対談と執筆をしたものだが、今のままでは、「超一流」と「アマチュア（セミプロ含）」以外は絶滅する、と断じていて、思わず唸ってしまった！</p><p>&nbsp;</p><p>ありがちな「犯人」は、公的助成金の枯渇や自治体の理解のなさ、若年層へのアプローチの弱さ、インターネットによる無料音源の普及だが、この特集はやや趣きを異にする。</p><p>&nbsp;</p><p>日本の聴衆が「質」<wbr>を理解できなくなっていることが致命的であるという主張だったのだ。「一流」と「超一流」の差は大きいのに、<wbr>その違いが認識できない人が増えてしまったことを指し<wbr>ている。</p><p>&nbsp;</p><p>日本のクラシック音楽家は、世界の一流の水準に達している、<wbr>という理解がまかり通っているとされる。しかし世界には「<wbr>超一流」が存在し、（一般に）<wbr>日本のアーティストのレベルはそれに達していないというのだ。</p><p><br>自分も、この見立てにはとても共感する。プロによるCD評にしても演奏会評にしても、また一般人によるブログやTwitterにしても、「甘すぎ」<wbr>と感じてしまうことが多く、これでは「一流」と「超一流」の見分けがつかない人が増えてしまうのも頷ける。</p><p><br>ピアノやヴァイオリンを器用に操れるようになるまでには、小さい頃から始めて長い長い時間に及ぶ努力を要するし、音楽的な語法をわきまえて技術的にも高い水準の演奏ができる人は、言うまでもなく一般人から尊敬されるべき対象だ。しかしこれは、高校総体やインター杯の決勝進出選手のようなものかもしれない。ネットの普及で需要が減少してゆくなか、おカネを払ってでも聴きたいものは、オリンピックの表彰台クラスの選手なのに。。。</p><p>&nbsp;</p><p>スポーツなら「超一流」というのは容易に判定される。しかし音楽では、テクニックが正確で、作品に合った語法で音楽を作り上げていることだけでは物差しにはならない。コンクールの結果はあくまでスタートラインに付くことができる人であることを示している程度なのに、次々とコンクール入賞者にスポットライトが当たるのも、過ぎれば害のほうが多い。大ピアニスト、マウリツィオ・ポリーニがショパンコンクールで優勝（18歳）してから10年間も充電したことを見習うべきだ。</p><p>&nbsp;</p><p>自分は60歳代後半だが、学生時代を振り返ると、音楽評論というのはとても辛口だった。こんな演奏は巧いだけでまったくつまらない・・だの、、目指しているものが的外れ・・だの、辛辣な言葉をよく目にしたものだ。若い頃は、それが何を意味しているのか分からなかったが、そのうち段々になんとなく、演奏の上手い下手だけではない物差しがあることがわかってくる、、これこそ、クラシック音楽の醍醐味だと思っていた。</p><p>&nbsp;</p><p>近年は、若い人（特にコンクールに入賞したての人）を商品化したり、ビジュアル性やタレント性のような音楽以外の美点を前面に出したり、トークやレクチャー付き演奏会、アートとのコラボ、、、なども多い。音楽祭を企画して賑わい・触れ合いを演出したり、、というような広告代理店系？のいわゆるプロデュースものをテコにしたクラシックの売り方も増えている。</p><p>&nbsp;</p><p>一見有効性があるようにも見えるが、この特集では、それらの対策の有効性が真剣に検証されているか疑問とされる。というよりも、冷静に結果から見れば、クラシックのファンを増やせていない、、つまり、どれも成功していない、と断じている。</p><p>&nbsp;</p><p>むしろ、「ぬるい企画」「ちゃちい企画」が山のように市場に氾濫する結果を招き、それこそ聞き手の「質」への審美眼を曇らせるだけだと。</p><p>&nbsp;</p><p>個々の演奏者、マネジメント、財団・ホールなどが、良かれと思って頑張っていることが、クラシックの絶滅までの時計の針を、さらに進めているのではないか、という指摘はなんとも皮肉なことだ。</p><p>&nbsp;</p><p>他の産業なら、競争力が弱って共倒れになる危険を感じた業界には、進むべき道がある。それは、競争制限的な業界の結束だ。（もちろん独禁法に触れてはいけないが）例えば、業界団体を作って、演奏家、主催者、評論家にライセンス制を設けたりという方向である。</p><p>&nbsp;</p><p>相撲の世界のように、審議委員会が横綱を、番付委員会が大関・関脇・小結などを認定したり、行司役（評論家）や横綱審議委員も、もちろん透明性を確保して選任してゆく、、こうすれば「質」への信頼性は少なくとも今よりはかなり向上するだろう。</p><p>&nbsp;</p><p>もちろん、これは喩え話なので、実際にはいろんな賢い運営方法が考えられるだろう。</p><p>&nbsp;</p><p>政府の助成金を減らさないことよりも、文化庁のお役人さんにでもこういう供給コントロールの仕組みを考えてもらうほうが、よほど現実的だと思う。</p><p>&nbsp;</p><p>クラシックは需要が減ってきている事実があるのに、明らかに過当競争、過剰露出という体質があると思う。ここに気が付かねば、何をやっても絶滅は必至だと思う。いわゆる「共倒れ」だ。同じ船に乗り合わせている同士で喧嘩をしている場合ではない。</p><p>&nbsp;</p><p>こういう仕組みができれば、給料の出る十両まで上がれない音楽家は、未登録音楽家＝アマチュアとして活動していくしかないかもしれないが、たぶんかえって幸せかもしれない。いま、アマチュアとプロの垣根がそもそも低くなっているのは、その先取りとも言えるかもしれない。</p><p>&nbsp;</p><p>最後に、、、芸術としてのクラシックが生き残れるシナリオ、それは、クラシック界に視野の広さと人格見識、それに責任感と実行力を備えたオピニオンリーダーが現れることだと読ませてもらった。</p><p>&nbsp;</p><p>（今日はここまで）</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/meji5555/entry-12411715482.html</link>
<pubDate>Sat, 13 Oct 2018 23:22:29 +0900</pubDate>
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<title>とんかつ屋の悲劇と兼業演奏家。</title>
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<![CDATA[ <p>&nbsp;</p><p>しばらく前に話題になっていた「とんかつ屋の悲劇」という記事（<wbr>Yahooニュース、筆者は中村智彦 神戸国際大学経済学部教授）が、<wbr>ネット民の間で論争になっているようだ。<wbr>クラシック音楽界も同じようなことがある気がして考えさせられた<wbr>。<br><br><a data-saferedirecturl="https://www.google.com/url?q=https://news.yahoo.co.jp/byline/nakamuratomohiko/20180827-00094583/&amp;source=gmail&amp;ust=1539138975022000&amp;usg=AFQjCNH4wtAFDI8jiY05-zvO1kOgqpDa8g" href="https://news.yahoo.co.jp/byline/nakamuratomohiko/20180827-00094583/" target="_blank">https://news.yahoo.co.jp/<wbr>byline/nakamuratomohiko/<wbr>20180827-00094583/</a></p><p>&nbsp;</p><p>このコラムは、<wbr>個人経営の飲食店の数が長期低落傾向であることの一つの原因とし<wbr>て述べられたもの。<wbr>年金が一種の補助金のような役目を果たしてベテラン経営者が低採<wbr>算に耐えられてしまうため、<wbr>後継者への引継ぎ対策や競争力の強化策を考えないまま（<wbr>一種のゆでガエル現象）、<wbr>からだが動かなくなったときには廃業しか選択肢が残らない現象の<wbr>ことを指す。</p><p>&nbsp;</p><p>もちろん、年金がいけない、<wbr>ということを言っているのではなくて、<wbr>採算を度外視できる条件下で経営を続ける者の存在が、<wbr>個々人の人生としては合理的な判断で、<wbr>また幸福追求の観点から尊重すべき決断ではあるのに、<wbr>個人飲食店という「業界」、<wbr>さらには社会全体という大きな視野からみると、競争をゆがめ、<wbr>業界の沈滞化を生むリスクを増している点が指摘されている。</p><p>&nbsp;</p><p>この話で思わず、演奏活動以外で生計を立てているいわゆる「<wbr>兼業演奏家」（演奏以外の収入の道がある人をここでそう呼ばせてもらう）が、<wbr>採算意識を持たない録音やコンサート活動などを行う現象を思わず連想してしまった。</p><p>&nbsp;</p><p>いまの時代、ぶっちゃけ、有料で楽しむクラシック音楽は、<wbr>需要に対して供給過多だと思う。インターネット等で無料で音楽を楽しむ手段は世間に満ち溢れている。売れ残るCD、 席が埋まっていない演奏会はたくさんある。<wbr>演奏活動だけではとても生計を立てられない音楽家はたくさんいる<wbr>と容易に推測されるし、平日は会社員をしている人、<wbr>教える仕事に多くの時間をさく人、<wbr>はたまた配偶者や実家からの経済支援が頼りの人もいるようだ。</p><p>&nbsp;</p><p>兼業演奏家は「人前での演奏を続けていたい」<wbr>という強い衝動がある人がほとんどだ。なので、<wbr>採算は二の次三の次になり、集客結果は気にしないという人もいるし、１−<wbr>２年に一度コンサートホールで格好良く？演奏会をしたい、集客のために有料の告知などに経費を惜しまない人もいる。</p><p>&nbsp;</p><p>こういう動機づけを持つ「兼業演奏家」さんの行動は、個々人の人生として合理的な判断であること、<wbr>また幸福追求の観点から尊重すべき決断ではあることは、先の「年金受給とんかつ屋」とまったく同じだ。しかし、「業界」という視点でみれば業界を弱くしているかもしれない。採算を考えなくて良い供給者の存在は、それで食べていこうとする者にとっては、供給過剰をもたらすので脅威である。あくまで一般的な傾向としてではあるが、「兼業演奏家」さんは練習時間も本番回数も少ないので、演奏のクオリティは低いかもしれない。</p><p>&nbsp;</p><p>競争原理が働くことによって、食べていけない人（競争力のない人）はその業界から撤退することで需要と供給はバランスし、適切な価格が形成される、というのが経済学の教科書に書いてあることだ。しかし、このような競争原理が働かない世界が存在すると、長期にわたる供給過剰、低質なものが生き残る、という現象が起きてしまう。</p><p>&nbsp;</p><p>被害者は消費者つまりリスナーだと思う。低質なものが相応しくない高価格で提供されてしまうのだから。ひいては、いいもの、そうでないもの、という見極めができなくなってゆく。これはいずれ音楽業界の絶滅につながる恐れさえあるように危惧している。</p><p>&nbsp;</p><p>今日はここまで。</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/meji5555/entry-12410666783.html</link>
<pubDate>Tue, 09 Oct 2018 11:58:44 +0900</pubDate>
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<title>メジャーを目指すかマイノリティで差別化するか？</title>
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<![CDATA[ <p><span style="font-size:1.4em;">近年、これまでマイナーと思われてきた分野がメジャーの仲間入り<wbr>する事例が増えているように思うのだが気のせいだろうか？</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:1.4em;">クラシック音楽の世界でも、日本人が２位に入賞して注目された「<wbr>ショパン国際ピリオド楽器コンクール」の例もそうかもしれない。<wbr>ピリオド楽器による演奏というのは、かつては時代考証的なアプロ<wbr>ーチに興味のある一部の人たち限定であって、録音も演奏会も少な<wbr>かったが、近年では、見違えるほど多くの演奏者がおり、<wbr>レプリカ楽器の質の向上、それらの楽器にふさわしい表現の深まり<wbr>、という具合に、切磋琢磨が見られるようになった。そこを起爆剤に、メジャー化現象が起きつつある。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:1.4em;">マイナーがメジャーに脱皮するという社会現象には、さまざまなメ<wbr>リットがあるものだ。売り手も買い手も増加するので、競争原理が<wbr>働きやすくなり、結果として供給者側の質の向上と需要者側のニー<wbr>ズの明確化が進むのだ。その過程では優勝劣敗の原理が働き、<wbr>勝ち組と負け組が出てくる。それは別に不公平なことでも残念なこ<wbr>とでもなく、メジャー化の進む分野では、<wbr>常に見られる現象なのだ。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:1.4em;">クラシック音楽の世界では、供給者たる音楽家、作曲家、マネージ<wbr>ャーなどは、メジャーを目指して努力する人が多い。近年は、テク<wbr>ノロジーの発展に伴う告知手段の多様化により、先行投資的に金銭<wbr>投下をする作戦の人もいるし、努力をすれば結果はついてくる・・<wbr>的な、真っ直ぐなアプローチの人もいるだろう。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:1.4em;">悩ましいのは、露出を増やすための先行投資をしたとして、投資成<wbr>果があがるかは分からないし、いったんは成果が出たとしても賞味期限はますます短くなっていることだ。<wbr>情報過多の中、新しくて刺激の多い情報に需要者が引きづられる傾向はますます強ま<wbr>り、短期的にはそこそこ成果を出せたとしても、長期的に続けるこ<wbr>とは至難のワザである。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:1.4em;">そんな中、メジャーを目指さない芸術家という人たちがいる。その<wbr>中をよく見れば、メジャーを目指したいけれど無理だから・・とい<wbr>う消極的な選択の結果の人と、自分のアプローチがそもそもメジャ<wbr>ーを目指すことに似合わない、という人がいるように思う。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:1.4em;">注目したいのは、後者の人たち、すなわち積極的にマイノリティ芸<wbr>術家であり続けることを選択している人たちである。彼らは、他人<wbr>と同じことをしたくないのだ。自分は他人とは違う、ということに<wbr>価値を見出したいと考える。彼らは、メジャーに興味がない、<wbr>むしろ他人とは違うこと、マイナーであることに生き甲斐を感じる<wbr>。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:1.4em;">そして、実は聞き手も同じだと思う。有名なものに巻き込まれるこ<wbr>とが好きな聴衆は多い。有名な音楽家の演奏会に足を運び、ベスト<wbr>盤に選出されたCDを買い、ネットでの評判を判断基準にする、、<wbr>、そんな行動パターンの人たちもいる。。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:1.4em;">SNSなどにのめり込んでいると、世の中、メジャーばかりが注目されるのか<wbr>？？？という思い込みにも陥りがちだが、私はちょっと違うと思う<wbr>。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:1.4em;">「マイナー、イコール、質の低いもの」、ではないのだ。マイナー<wbr>の中には、<wbr>ほかでは出会うことのできない価値を創り出している人達がいる。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:1.4em;">そういう人を応援するには、どうすればよいのだろう？</span></p>
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<pubDate>Sun, 30 Sep 2018 18:10:16 +0900</pubDate>
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<title>ブログ始めました。</title>
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<![CDATA[ <p>アメブロは6年前まで（別ネームで）使っていましたが、久しぶりの復活です。</p><p>&nbsp;</p><p>クラシック音楽界のことで、いろいろ感じることを発信する場にしています。</p>
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<link>https://ameblo.jp/meji5555/entry-12408625277.html</link>
<pubDate>Sun, 30 Sep 2018 15:46:20 +0900</pubDate>
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