<?xml version="1.0" encoding="utf-8" ?>
<rss version="2.0" xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom">
<channel>
<title>食道ガンの父との記録</title>
<link>https://ameblo.jp/melva15/</link>
<atom:link href="https://rssblog.ameba.jp/melva15/rss20.xml" rel="self" type="application/rss+xml" />
<atom:link rel="hub" href="http://pubsubhubbub.appspot.com" />
<description>両親の不和により、同じ家に住みながら十何年も避けてきた父が先日食道ガンだと診断されました。ステージ4です。リンパ転移により、手術ができず現在抗がん剤治療と放射線治療を受けています。余命9ヶ月と言われた父との闘病記録を綴っていきます。</description>
<language>ja</language>
<item>
<title>入院1週間目〜父のベッド〜</title>
<description>
<![CDATA[ 初日、受付を済ませて採血とレントゲンを撮った。<div><br></div><div>その後、病室へ。父は大部屋に入院した。</div><div>窓側には既に2名の患者さんが入っていたが、それぞれカーテンが閉めてあって、大部屋の中に小さな個室が4つあるようだった。</div><div><br></div><div>幼い頃、身体が弱かった私は頻繁にこの病院に入院したものだったが昼間は皆カーテンを開いていたので常に顔を合わせていた。</div><div>ところが今回父が入院する部屋は同じ部屋にいながら、もしかしたら退院するまでお互い顔を合わせずにいそうな感じだった。</div><div>それはそれでよいかもしれない。</div><div>プライバシーとか大事にしたい人にとっては気が楽かも。。。</div><div><br></div><div>私が入院した時はまだ古～い病棟があった時で、昼間でも気味が悪かった。今では建て替えられて、どこもかしこもピッカピカ！明るくて全然雰囲気が違う。</div><div><br></div><div>父は入り口入って左のベッドに案内された。窓からは病院の影になった薄暗い駐車場が見える。看護師さんは、ベッドに腰掛けた父の脈をとっている。</div><div><br></div><div>一緒に来た母は、父のベッドの向かい側つまり入り口入って右にある空きベッドの方へ勝手にふらふら移動してそちらにある窓から外を確認し、看護師さんに聞いた。</div><div>「あの、こっちのベッドに変更できませんか？」</div><div>父も私も「え？なにいきなり？？^_^;」と驚いたが、どうやら窓からの景色が全然違うらしい。どれ、と見に行くとなるほど！行き交う車や、ドクターヘリポート、山、、いろいろな変化のある景色だ。そして日当たりがよい！</div><div>父も「こっつ(こっち)がいいな」と言った。看護師さんは困る様子もなく「あ、いいですよ！じゃあ、そっちにしましょう^ ^」と快諾してくださった。</div><div><br></div><div>看護師さんが行ったあと「さっきのベッドじゃ、窓からの景色だけで余計具合悪くなりそうだったもんね」と母が苦笑いした。</div><div><br></div><div>本当、その通りだ。</div>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/melva15/entry-11876320303.html</link>
<pubDate>Wed, 11 Jun 2014 20:01:01 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>【2014年5月10日入院準備】</title>
<description>
<![CDATA[ 入院が決まったため、準備が必要だった。<div><br></div><div>入院受付で必要書類をもらい、当日の説明を受けた際、「どの位の期間入院される予定ですか？」と聞かれたので、先生からお話があった通り「1～2ヶ月になるようです。」と答えた。すると、長期の入院だと費用が高額となるため、窓口での支払いが限度額までとなる申請書を市役所でもらうよう勧められた。</div><div><br></div><div>父のこともかなり心配だったが、経済的な不安もあった。というのも、父はがん保険や医療保険に加入していなかったからだ。。。</div><div>数年前までは長年加入していたが、わたしと母が知らぬ間に父が解約してしまっていた。「なんてことを！！！」という気持ちだったけど、怒っても仕方が無い。。</div><div>とにかく、少しでも負担が減るのは本当にありがたかった。もちろん、保険に入っていれば先進医療などを受けさせることができたのかもしれないけれど、、、いまとなってはどうすることもできない。できることをしよう！</div><div><br></div><div>ということで、その限度額申請書を市役所までもらいに行きました。保険証と印鑑のみですぐに発行してもらえました。</div><div><br></div><div>市役所のあとは、、、母へ電話。手術不可であることを告げ、入院しながら抗がん剤と放射線で治療することになると伝えた。次に姉へ電話…するも出ない。姉は既に結婚をし、市内に住んでいるので直接訪ねることにした。父が運転する車の中、私は姉にどんなふうに伝えようか考えていた。実は姉は妊娠3週間目。。言い方によっては精神的に不安にさせたりして、身体によくない。困ったな…そんなふうに考えているうちに着いてしまった。洗濯物がバサバサと風になびいている。海が近いので風が強い。窓はしっかり施錠され、車がない。どうやら仕事へ行っているようだ。</div><div><br></div><div>姉は販売の仕事をしているので、勤務中でも会いに行ける。</div><div><br></div><div>「お父さん、お姉ちゃんの仕事場行ったことある？」</div><div><br></div><div>「いや、ねえな。。」</div><div><br></div><div>「じゃあ、行ってみようよ！お姉ちゃんの仕事姿見てあげて♪」</div><div><br></div><div>「いい、いい。また改めて来ればいいがら。」</div><div><br></div><div>父は「いい」と言うが、わたしは知っている。必ず最初の提案に2～3回は断るということを笑。</div><div>なので、2回ほど「行ってみよ♪」と言ったら案の定「行ってみっか♪」と言ってくれた！</div><div>ということで、姉の職場へ。ほんの10分ほど立ち話をした。今後の治療のことも伝えた。最後に「まあ、がんばって元気になって初孫を抱っこしなきゃね！」と言ったら、姉も「そうだよー！」と父に。しかし、それまで笑いながら話していた父の表情が急に険しくなった。そして突然「さ、帰るぞ。」と。。。</div><div>父を元気づけようとした私の言葉は、どうやら逆効果になってしまったようだ。反省した。</div><div><br></div><div>姉の職場を後にし、私は父に「下着とかパジャマとか買いに行こうか」と聞いた。父は「あとで行くからいい」と答えた。「あとで行くなら今行って、それからゆっくり過ごした方がよくない？」と私。「べつにいいがら。」と父。「そうなのー？今日なら私つきあうのに。」と最後のプッシュ。すると「つきあう～？んで(なら)行ぐが！」となった。</div><div><br></div><div>地元の大型ショッピングセンターで、パジャマ2着、肌着2着、スポーツバッグを購入。この時買ったパジャマは半袖でしたが、父は別の日に長袖2着を買い足しました。これはあとあと大正解となります。病室は空調が弱くかけてあるうえに、体調が悪くなってくると基礎体温が下がり半袖では寒く感じるようです。</div><div>また、父はシーツよりもタオルケットの感触が好きなので、入院2週目にタオルケットとタオル地の敷きパッドも購入しました。</div><div><br></div><div>いろいろ買って準備OK!</div><div><br></div><div>わたしは新しいパジャマや下着、タオルを洗濯し一枚一枚アイロンがけをした。</div><div>「治れ。治れ。治れ。治れ。」</div><div>小声で、でも力強く念じながら。</div>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/melva15/entry-11871679752.html</link>
<pubDate>Thu, 05 Jun 2014 14:09:30 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>診断されるまでの経緯</title>
<description>
<![CDATA[ ある日、父が台所に置き手紙をしていました。<div><br></div><div>内容は、定年後に働いてきた仕事を先週辞めたこと。そのため、今後の収入が年金のみになること。そして昨年の秋から胃が痛く、先日市内の病院で胃カメラ、エコーの検査をしたことでした。</div><div><br></div><div>母に頼まれ、私は父の部屋へ。</div><div>「胃が痛いって大丈夫なの？検査結果は出た？」と父に聞いた。父は「胃がんだべ」と答えた。父は東北出身で、いまだにむこうの方言がぬけていない。</div><div><br></div><div>私「胃がんって…、お医者さんが言ってたの？」</div><div>父「いや、言われてねえ。でも胃がんだべ。」</div><div>私「まだ言われてないなら、勝手に決めつけたって仕方ないでしょ。食事はおかゆとかがいいの？」</div><div>父「なんにもべつに変えなくていい。食えっから。」</div><div>私「…そう。結果はいつわかるの？」</div><div>父「わかんね」</div><div>私「…。じゃあ、わかったらちゃんと教えてね？」</div><div><br></div><div>そんな会話をした翌日、病院から電話が。父は検査結果を聞きに病院へ。</div><div>結果は食道ガンでした。</div><div><br></div><div>食道ガン？胃じゃなかったの？</div><div><br></div><div>てっきり胃に異常があるのだと思っていたので、意外だった。</div><div><br></div><div>検査をした病院側で、市内でいちばん大きな国保の病院へ紹介状を書いて父に渡してくれていた。いつ行くのか父に確認し、わたしも一緒に行こうか？と言ってみた。いつもならたいてい「いらねぇべつに。」と言うような父だか、その時は「ん？……。」と迷っているようだった。「一緒に行ってもいいんでしょ？休み貰うから、一緒に行こう。」と言って、二階の母のところへ。</div><div><br></div><div>母は「大学病院とか、がんセンターの方が良いんじゃないかねえ。。」と言っていた。わたしは「とりあえず紹介状書いて貰ってるから、そこで診てもらって状況によって病院変えてもいいんじゃない？」と母に言った。</div><div><br></div><div>紹介された病院へ行く途中、車を運転していた父が突然言った。「おれが死んだらこの車やっから(あげるから)。まだ4年しか乗ってねえからあと2年は乗れっから。車検も受けたばり(ばかり)だから1年半は大丈夫だがら。」わたしはドキッとした。「ははは。ありがとう。でもまだなんにもわからないでしょ。まずは治療して回復することを考えなきゃ笑」そう答えるのが精一杯だった。病院では改めて胃カメラ、CT、PET、エコーの検査をし直した。先生によると、食道ガンにいちばん良い治療は手術。ただし転移の状態によっては手術できないことがある、とのことでした。</div><div><br></div><div>数日後、検査結果を聞きに病院へ。いろいろな前置きがあったが、ようは大元となっているガンから遠く離れたリンパにまで転移が認められたため、手術は適さない。抗がん剤治療と放射線治療を行なうとのことだった。当初先生の説明に「はい…。はい…。」と返事をしていた父が、手術できないと聞いた瞬間きら声を失ってレントゲンの画像を凝視するだけになった。</div><div><br></div><div>ステージ4。</div><div><br></div><div>治療はするが、完治させられない。</div><div>そういうことだった。喉の奥がぎゅうっとしめつけられるようだった。</div><div><br></div><div>帰りの車の中で父は「手術は適さず。延命治療か。」と少し笑うような声で言った。無理をしているようだ。前日の夜に「どうせ末期だべ」と言ってはいたが、まさか本当にそうだとは。実際に先生から言われると一気に現実感にショックを受ける。</div><div>「いや、抗がん剤と放射線の治療するならまだ見込みはあるんだよ、きっと。一か八か、がんばろうよ！」なんて言いつつわたしも混乱していた。</div>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/melva15/entry-11869967205.html</link>
<pubDate>Wed, 04 Jun 2014 01:04:42 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>父と私の関係</title>
<description>
<![CDATA[ ブログの説明文にも書きましたが、父と私は同居していながら十何年も疎遠でした。理由は両親の不和です。<br><br>今はお嫁にいった姉も、実家にいたころは母側にいました。わたしも。<br><br>父のことを嫌いなわけではなかった。たしかに、よその家のお父さんみたいに頼りになる感じはしなかったし、いい加減で信用できないところは嫌で仕方なかった。パチンコが大好きで、母が姉の教育費のためにコツコツ貯めたお金を使いきったり、勝手に借金をしたり、時々お給料を家に入れなかったりしたこともありました。そのため、母は朝から夜中まで働きづめな人生でした。<br>そういうことの積み重ねで、わたしも父には呆れ、家の中で顔を合わせても無視をしたりすることもあった。<br><br>父が私の父であることを恥じるようにもなった。<br><br>父は一階の自室で。わたしと母は二階で生活。そんな家庭内別居が十何年も続いている状態でした。<div><br></div><div>それでもやはり父の気持ちを考えるとかわいそうだなと思ったりもしました。でも、父に苦労させられている母を思うと父に優しくできなかったです。</div><div><br></div><div>幼い頃は違っていました。父に可愛がってもらった記憶がたくさんあります。一緒にお風呂に入って洗ってもらったり(力が強すぎて、後から肌が真っ赤に腫れたりもしましたが笑)、一緒にサイクリングをしたり、海やプールに行ったり、、、。</div><div>ごく普通の幸せな家庭だったと思います。</div><div>…もしかすると、そう感じていたのは私が子供だったから、そして単に母がガマンしてくれていただけかもしれませんが。。。</div><div><br></div><div>今となっては戻れないしあわせな過去です。</div><div><br></div>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/melva15/entry-11869947136.html</link>
<pubDate>Wed, 04 Jun 2014 00:28:43 +0900</pubDate>
</item>
</channel>
</rss>
