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<title>この一言に出会うために。</title>
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<description>人生を変える一冊。人生を変えるお話。そんな幸せのおすそわけデス。</description>
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<title>ハーレーのある生活</title>
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<![CDATA[ <dl><dt></dt><dt></dt><dt><a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4496040948?tag=amebablog-a23935-22&amp;link_code=sp1&amp;camp=2025&amp;dev-t=D3A0EVSPCPV0FK" target="_blank">顧客満足を生み出す仕組み―この18社に見つけた!</a>　からの抜粋です。</dt></dl><p>　　</p><p>　　日本のオートバイ市場はこの23年間で出荷台数が330万台から70万台<br>　　へと信じられないほど激減している。</p><br><p>　　しかし、ハーレーダビットソンだけは、</p><p>　　20年間業績を上げ続けているのである。</p><p>　　</p><p>　　ハーレーのバイクは<br>　　平均価格200万円強。</p><br><p>　　他社の倍の値段はするバイクを、年間1万2000台近く売り続けているのだ。</p><br><p>　　エンジン音を響かせてトップをひた走るハーレーダビットソン。</p><p><br>　　この華々しい業績を支えるのは、顧客満足に対する<br>　　ストイックなまでの努力と挑戦である。</p><br><p>　　胸にずしりと響く独特のエンジン音、黒を基調とした渋いデザイン、<br>　　光を放つシルバーの部品、存在感ある大きな車体、サドルにまたがる<br>　　革ジャンにサングラスの強面な男―。</p><p><br>　　ハーレーダビットソンという名を聞いて、私が思い浮かべるのは、<br>　　こんな光景だった。</p><br><p>　　ところが、取材の下調べをするうちに「どうも違うぞ」と<br>　　思い始めたのである。</p><br><p>　　ハーレーダビットソン（本社・米国）の日本独立法人「ハーレー<br>　　ダビットソンジャパン」は自社資料をHP上で公開しており、<br>　　マーケティング手法などは書籍にも詳しいのだが、<br>　　まず驚いたのは、顧客満足度向上へかける思いの強さだった。</p><br><p>　　オーナー（同社では顧客をユーザーではなくオーナーと呼ぶ）<br>　　の構成比も10代と20代で30％、30代が32％、40代が23％、50代<br>　　以上が15％とバランスがよく、顧客の平均年齢が38歳という<br>　　数字も健康的に思える。過去10年間、比率は安定しているという<br>　　から、新陳代謝が継続的に行われてきた証拠である。</p><br><p>　　また、バイクを売るのではなく、ライフスタイルを売る姿勢を<br>　　貫いていたことも興味深かった。ハーレーは、確かにバイクという<br>　　モノを売っているのではあるが、それよりもモノを含めたコトを<br>　　売っているようなのだった。</p><br><p><font color="#ff0000"><strong>　　■ハーレーのある生活を10の楽しみで表現</strong></font></p><br><p>　　モノとコトの違いは有形か無形かである。無形商品はホテルの<br>　　客室空間のように事前に商品を渡すことができない。そして<br>　　購入の決断（予約）と実際の購入（来館）との間にタイムラグ<br>　　が発生する。ゆえに無形財の経営は、「いかに期待感を提供し、<br>　　いかに当社を選んでもらうか」が重要になる。<br>　　<br>　　ハーレーダビットソンジャパンはこの点をしっかり固めていた。</p><p>　　ハーレーダビットソンジャパンが顧客に広く提唱している<br>　　「ハーレーダビットソン10の楽しみ」は、まさに期待感を抱いて<br>　　もらうためのツールである。</p><br><p>　　ハーレー10の楽しみ</p><br><p><font color="#ff0000"><strong>　　１、乗る楽しみ</strong></font><br><br>　　　　ハーレー以外では得られない、乗って走る喜び</p><br><p><font color="#ff0000"><strong>　　２、出会う楽しみ</strong></font><br><br>　　　　ハーレー仲間との出会いで世界が広がる</p><br><p><font color="#ff0000"><strong>　　３、装う楽しみ<br></strong></font><br>　　　　ハーレーらしさ、自分らしさを表現するファッション・小物が<br>　　　　３万アイテム</p><br><p><font color="#ff0000"><strong>　　４、創る楽しみ</strong></font><br><br>　　　　世界にただ１台の自分だけのハーレーを創る楽しみ</p><br><p>　<font color="#ff0000"><strong>　５、愛でる楽しみ</strong></font><br><br>　　　　乗らない日も、ハーレーは心を熱くする</p><br><p><font color="#ff0000"><strong>　　６、知る楽しみ</strong></font><br><br>　　　　伝説のメカニズム、文化、歴史などハーレーの奥は深い</p><br><p><font color="#ff0000"><strong>　　７、選ぶ楽しみ</strong></font><br><br>　　　　ハーレーは機種、部品ともにバリエーションが豊富</p><br><p><font color="#ff0000"><strong>　　８、競う楽しみ</strong></font><br><br>　　　　サーキットを走るとき、マシンと一体になる</p><br><p><font color="#ff0000"><strong>　　９、海外交流の楽しみ</strong></font><br><br>　　　　７２カ国に散らばる８１万人の仲間たち</p><br><p><font color="#ff0000"><strong>　　１０、満足する</strong></font><br><br>　　　　ハーレーに対するユーザーの満足度は９８％</p><p><br>　　セールスプロモーション広報マネージャーの増田勝也氏は<br>　　次のように語る。</p><br><p>　　「お客さまに『楽しいですよ、生活に潤いを与えますよ』と上澄み<br>　　的な言葉だけで期待感を持ってもらうのは難しい。そこで、<br>　　『ハーレーのある生活というのはこういうものですよ』と具体的<br>　　に伝えるため、１０のキーワードに落とし込んでみたのです」</p><p>　　（～中略～）</p><br><p>　　差別化の具体化は、年間100回以上行われるイベント<br>　　を例にすると分かりやすい。イベントは経営の一環だから、<br>　　当然、試乗会をかねた企画が多いのだが、ハーレーの行う<br>　　イベントは利益に直結する商談の場という雰囲気はなく、移動遊具を<br>　　設けるなどレジャーの位置づけで開催している。</p><br><p>　　ファミリーカーのイベントならいざ知らず、ハーレーの商品は<br>　　751cc以上の大型バイクである。家族を意識したイベントは珍しい<br>　　のではないだろうか。</p><br><p>　　これについて、前出の前田氏は「販売店にもキッズエリアを設けて<br>　　いる店がありますし、我々は、家族でハーレーのある暮らしを<br>　　楽しんでほしいと思っているのです」と語る。</p><br><p>　　それはなぜかと言えば、ハーレーのオーナーになるということは、<br>　　最低200万円はかかる趣味を始めるということだ。</p><p><br>　　オーナーは平均年収こそ全国平均を多少上回っているものの、<br>　　とりわけ富裕層ではない。しかも年齢構成比からみて既婚者が<br>　　多いから、家族の理解は不可欠なのである。</p><br><p>　　面白いことに、<br>　　妻を連れて契約に来る人はすんなりオーナーになって還っていくが<br>　　一人でやってくる人は後日、「ちょっと待って」となるケースも<br>　　あるとか。やはり家族の理解は重要案件なのだ。</p><br><p>　　「家族で参加できるイベントや夫婦そろって楽しめるツーリングを<br>　　企画するなど“ハーレーがあるライフスタイル”を私達は創造して<br>　　います。ご夫婦で参加していただくと、奥さんが夫が休日に<br>　　どんな人たちと走っているのか分かって安心されますね。そういう<br>　　意味で、ハーレーライフは実に健全でオープンなんです」</p><br><p>　　そうなのである。当初、私が持っていたハードなイメージとは<br>　　異なり、カッコよさを持ちつつもフレンドリーで家族的、<br>　　ハーレーはそんなライフスタイルを届けていたのである。</p><br><p><font color="#ff0000"><strong>　　■息子が帰ってきたくなるような店ですか？</strong></font></p><br><p>　　このほか、全店で理念の共有を図るためにハーレーダビットソン<br>　　ジャパンはさまざまな工夫をしたのだが、分かりやすい言葉を<br>　　活用した例はその一つである。</p><br><p>　　たとえば店舗改装をうながしたい販売店には、</p><p>　　「息子が帰ってきたくなるような店ですか？」<br>　　「恋人をここに連れてこられますか？」</p><p>　　と問いかけた。</p><br><p>　　息子が・・・は、後継者が育ちにくいといわれる二輪業界では心を<br>　　とらえる言葉であるし、</p><p>　　恋人を・・・は後継者になると腹を決めた<br>　　若手にとっては、はっとする言葉になるだろう。</p><br><p>　「二輪販売店は小規模店が多く、やすやすと先行投資に腰を<br>　　あげることはできません。</p><p><br>　『きれいにして人を呼びましょう』『顧客満足を大切に』<br>　　などの言葉だけで、店主の心は動かせないのです。<br>　“10の楽しみ”のように、具体的かつ一貫性を持って<br>　　伝えることが必要でした」<br>　　<br>　　この甲斐あって、多くの販売店が店舗改装の意義を理解し、<br>　　取り組んだ。すると、顧客増加と、これに付随した後継者増加<br>　　の事例が生まれたという。</p><br><p>　　「いい流れができると、経営者の父が中高年層を、息子が若者層を<br>　　つかんでさらに客層が広がります。『値引きしてやっと買ってもら<br>　　うようなバイク屋じゃない』と誇りが生まれ、将来を考えて<br>　　一台一台丁寧に売っていくようにもなります。明らかに前向きに<br>　　なるんですね。精神も潤うビジネスになった姿を見ることは、<br>　　われわれ本部もうれしいところです」</p><br><p>　　店主の誇りは、店内のちょっとしたところで形になっている。</p><p><br>　　あるディーラーでは、新品の車両についていた“商品に触れないで<br>　　ください”という注意書きが、“ご自由に触れてください。怪我<br>　　だけはご注意ください”という注意書きに変わっていたという。</p><br><p><font color="#ff0000"><strong>　　■将来はオートバイ50％、サービスレジャー50％</strong></font></p><br><p>　　最後に、ハーレーダビットソンジャパンの今後の展開を聞くと、<br>　　ユニークな答えがかえってきた。</p><p><br>　　オートバイ市場の中の一商品という位置づけだけでは、過小傾向<br>　　にある市場にそのうち引きづられてしまう懸念があるため、<br>　　軸足をシフトさせることを念頭においているのだという。</p><br><p>　　「将来的には、オートバイ産業50％、サービスレジャー産業50％<br>　　くらいでビジネス展開したい」</p><br><p>　　なるほど同社は、ツーリング企画や大規模なイベント開催もお手の物。<br>　　レジャーのノウハウは培っている。</p><br><p>　　2010年をメドに、サービスレジャー産業を<br>　　一段高みに押し上げる予定だそうだ。<br></p>
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<link>https://ameblo.jp/michiko-takeuchi/entry-10019036973.html</link>
<pubDate>Sat, 28 Oct 2006 22:31:41 +0900</pubDate>
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<title>さ、めしあがれ</title>
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<![CDATA[ <br><dl><dt><a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4838714211?tag=amebablog-a23935-22&amp;link_code=sp1&amp;camp=2025&amp;dev-t=D3A0EVSPCPV0FK" target="_blank">いのちをいつくしむ新家庭料理</a> </dt><dt><br>　　まえがきからの抜粋です。 </dt></dl><p>　　この方は82歳で現役の料理研究家でありますが、<br>　　彼女の料理を愛でる心が好きで、よく読ませていただいています。</p><br><p>　<br>　　￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣</p><br><p>　　私は、料理原稿を二十余年書きつづけ、約千点の主題を処方し、<br>　　世に贈ってまいりました。</p><br><p>　　この間、お目にかかるすべのない読者の向上に<br>　　心を通わせずして筆をすすめたことは、一回もございませんでした。</p><br><p>　　書きたくない日、言葉に置きかえにくい調理過程に難渋し、<br>　　簡略化の誘いにかられても根源的に大切なことは、自分を励まして<br>　　書いてまいりました。</p><br><p>　　基本的なことは「何気ない、平凡なこと」の中にあります。</p><br><p>　　例えば、朝使う青菜は、就寝前に水につける／葉が傷つくような<br>　　洗い方はしない／葉と茎は異質のものとして扱う／水分の切り方<br>　　は、ものの質と、用途によって、微妙な差がある――などなど。</p><br><p>　　このような料理以前の心得に人々の留意を得、改善の意志にまで<br>　　導くのは芯底、力を要することなのです。</p><br><p>　　台所仕事は自分の人生と他の人生を全く受容しなければ、<br>　　終生重荷となる作業です。</p><br><p>　　半端なものではありません。もし逃れ難く感じたならば――</p><p>　　生命の仕組みに「食」はおかしがたく組み込まれていることを、<br>　　気を鎮めて考えましょう。</p><br><p>　　そして、いつかは、自分の生命でさえ、自分のものであって、<br>　　自分のものではないこと、仕えていく生命であることを、<br>　　悟っていただけたらと思います。</p><br><p>　　そのときはじめて、あらがう自我から解き放たれ、<br>　　優しい心となって、火の前、水の前に立てるのです。</p><br><p>　　情報過多は、家庭料理の気後れを招いているかもしれません。</p><p>　　案ずることはないのです。食卓の原点は、炉端です。<br>　　穀物と豆と汁ものを大切に扱いましょう。<br>　　<br>　　何よりも肝要なのはいそいそとした「さ、めしあがれ」の笑顔。</p><p><br>　　「いただきます」と手を合わせて箸をとる感謝と畏敬の念です。</p><br><p>　　「さ、めしあがれ」<br>　　「いただきます」。</p><br><p>　　私達は、世界に類のない深意にみちた表現で食事を潔めては<br>　　いただいています。</p><p>　　心より感動いたしましょう。</p>
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<link>https://ameblo.jp/michiko-takeuchi/entry-10019036609.html</link>
<pubDate>Sat, 28 Oct 2006 22:28:25 +0900</pubDate>
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<title>志こそ、日本の処方箋</title>
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<![CDATA[ <dl><dt></dt><dt>上甲 晃</dt><dt><a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4879250473?tag=amebablog-a23935-22&amp;link_code=sp1&amp;camp=2025&amp;dev-t=D3A0EVSPCPV0FK" target="_blank">志は愛―この世に無駄な人は一人もいない</a>　　からの抜粋です。</dt></dl><p><br>　　志を立てるにあたり、私は、松下幸之助が松下政経塾を設立した<br>　　ときのことがたいへん参考になる。</p><br><p>　　松下幸之助は、「二十一世紀に日本が物心両面で、大繁栄の時代を<br>　　迎えられる」と予言した。</p><br><p>　　しかし、それには大前提があった。「立派な指導者が生まれてきて、<br>　　立派な国家の運営がなされるならば」。そして、松下政経塾は、<br>　　新しい時代の国家指導者を育てる目的で創設されたのである。</p><br><p>　　私は、そのことがすごいと思うのだ。普通、八十五歳の高齢になれば、<br>　　次の時代の百年間などに思いをめぐらさないものではないか。</p><p><br>　　自分が生きるのが精一杯、「後は野となれ山となれ」私なんかには<br>　　そのような考え方しか受け入れられない。</p><br><p>　　第一、もし仮にも「これから百年を考える」などと言い出したら、<br>　　周囲は止めることだろう。「お爺ちゃん、余分なことを考えなく<br>　　てもいいから、自分のことを考えておき」と。</p><br><p>　　志の第一条件とは、</p><p>　「自分が結果を見届けられないことに本気になれるかどうか」である。</p><p>　　自分が結果を見届けられることに本気になることはむずかしくない。<br>　　誰でも、今懸命に努力をしていることの結果をこの目で見たいし、<br>　　生きて見届けたい。</p><br><p>　　自分が結果を見届けられないことに対しても、<br>　　自分自身のことのようにあるいは自分自身のこと以上に真剣になれ<br>　　るかどうか、それが「志」の第一条件だ。</p><br><p>　　今真剣に打ち込んでいることの結果の花は、<br>　　子供、孫、あるいはひ孫の時代に、見事に咲く、そんなことを<br>　　思い描いて本気になって努力できるであろうか。</p><p>　　まさに、見返りを求めずして、努力できるかどうかを問われる。<br>　　<br>　　自分が刈り取り、自分が味わい、自分が食べ尽くしてしまう。<br>　　そのためにどんなに真剣に働いても、それは「志」ではない。</p><p>　　努力の見返りを求め、見返りがなければ努力できないというのでは<br>　　志とはいえない。自分に見返りを求めない、これがすなわち「志」<br>　　以外のなにものでもない。</p><br><p>　「志」を高く掲げるということは、遥か遠くの未来に思いを馳せて、<br>　　自分では見ることのできない見事な花を咲かせることである。</p><p>　　未来が遠くなればなるほど、「志」の本気さを問われる。</p><br><p>　　人間は、とかく目先の利益に目を奪われやすいものである。<br>　　とくに、「貧すれば、鈍する」。困れば困るほど、目先の利益に<br>　　走り、ますます落ちていく。今日の経済危機にあたっても、<br>　　たいていの経営者は速効性を求める。</p><br><p>　　しかし、すぐに効く方法は抜本的解決にはならない。<br>　　当面の痛み止め程度の役割がせいぜい。</p><br><p>　　場合によっては、麻薬のようにますます抜本的解決を遅らせて<br>　　しまうことにもなりかねない。</p><br><p>　　困窮すれば、長い目で見ることであり、大きな目で見ることだ。</p><p>　　自分の目先の利益ばかりに目を奪われるから、<br>　　行き詰るのだ。</p><br><p>　　百年後の子孫のためにしておくべきことはないかと考えたら、<br>　　仕事はたちまち増える。とても自分一人ではやり遂げられない<br>　　ほどの仕事がわいて出る。</p><br><p>　　また、世界全体を見渡してみて、世界人類のためになすべきことは<br>　　ないかと考えたら、仕事は無限にわいて出てくる。</p><br><p>　　百年後、世界全体を見渡してみて、「もうなすべき仕事は何もない」<br>　　と楽観できるほど、人類は、平和で幸せではない。</p><br><p>　　むしろ、あまりにも悲しくつらい不幸や争いが多すぎるほどである。<br>　　どんなに働いても働いても、なお働き足りないほど、<br>　　私達の仕事は多い。</p><br><p>　　それほど、人類は、大きな課題をいっぱい抱えているのだ。</p><p>　　自分だけの利益、しかも目先の利益だけを求めるから、<br>　　時代は閉塞していくのである。</p><br><p>　　遠くに目を向ける。<br>　　広く目を向ける。それこそが、「志」を持つことの意味である。<br>　　<br>　　ある新聞のコラムに「ある先住民族では、物事を判断するときに<br>　　常に七代先の子孫にとってプラスかマイナスかを基準とする」<br>　　と紹介されていた。</p><br><p>　　いつの間にか、現代人は、「今得か」「私にとって得か」<br>　　そんな判断の基準しかもてなくなってしまったように思われて<br>　　ならない。</p><br><p>　　「百年後を考えたら、やるべき仕事は無限にある」</p><p>　　松下幸之助は、松下政経塾を創設した思いを語るときには、<br>　　いつもそのことを口にしていた。</p><p><br>　　百年後の青写真を描けば、なすべき仕事は限りなくある。</p><p>　　夜を日についで仕事をしても、とてもやり遂げられないぐらいの<br>　　仕事がある。それを、その日暮らしのようなことばかり考えて<br>　　いるから、行き詰ってしまうというのである。私もまた、<br>　　そのように思う。</p><br><p>　　その意味からも、日本に必要なものは、小手先の不況対策ではなく<br>　　百年後の日本、世界、人類にとって望ましい青写真を描き、</p><p>　　その実現に向かって地道な努力を重ねていくことである。</p><br><p>　　百年後、世界の人たちから、私たちの子孫が、「二十世紀の末から<br>　　二十一世紀の初めに生きた日本人によって、私たちはどれほど<br>　　救われたことか、どれほど恩恵をうけたことか」、<br>　　そんなふうに受け止められる仕事をしていく、最高のチャンスを<br>　　私達は手にしているのである。</p><br><p>　　高い「志」を掲げて、新しい出発をしようではないか。<br>　　新しい、力強い一歩を踏み出そうではないか。</p><p>　　私の思いである。</p>
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<link>https://ameblo.jp/michiko-takeuchi/entry-10019036425.html</link>
<pubDate>Sat, 28 Oct 2006 22:24:57 +0900</pubDate>
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<title>経営の一つの真理</title>
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<![CDATA[ <dl><dt></dt><dt>上甲 晃</dt><dt><a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/488474599X?tag=amebablog-a23935-22&amp;link_code=sp1&amp;camp=2025&amp;dev-t=D3A0EVSPCPV0FK" target="_blank">続・志のみ持参―生き方の一流をめざそう</a></dt></dl><p>　　私は最近、「心力経営」という言葉を勝手につくりました。<br>　　いままではどちらかというと、われわれは少しお金に頼りすぎていた。</p><br><p>　「金力経営」です。会社をよくするとか、何事をするにもお金が<br>　　なかったらできないという気持ちが強かった。</p><p><br>　　お金の力に頼って仕事をする傾向が非常に強くなってきたのでは<br>　　ないか。だから、バブルが崩壊してお金が回らなくなると経営が<br>　　回らなくなるのです。</p><br><p>　　しかし、「心力経営」というのは、働いている一人ひとりの人が<br>　　自分の心の力で仕事をする。</p><p>　　心は無限です。使っても減らない。</p><p><br>　　前の晩ちょっと心を使いすぎて、今日は心がないとか、<br>　　そういうことはありません。</p><br><p>　　お金は使えばなくなる。ところが、人間の心は使えば使うほど<br>　　豊かになります。</p><br><p>　　どんなにお金を積んでも掃除はできません。<br>　　もちろん、外注することはできます。「金力経営」とはそういう<br>　　ことです。掃除は外注しよう、外部の業者に頼もう。お金の力で<br>　　人に掃除をさせるということです。</p><br><p>　　一人ひとりの心の中に、自分がきれいに掃除をしておけば<br>　　どんなにみんなが気持ちがいいだろうという心を持てないと、<br>　　実は掃除はできないんです。</p><br><p>　　そういう意味で「心力経営」の一つの典型が掃除ではないか。<br>　　その真髄を私はローヤルさんに見つけたような気がしました。</p><p>　　鍵山さんにはじめてお会いしたときは、<br>　　掃除に悩む私にとって、ワラをもつかむ思いでした。<br>　<br>　　応接室で、社長を前にしながら、「社長はいつこられますかね」<br>　　と言ったら「私が社長です」と言われました。</p><p><br>　　はじめは秘書のおじさんかと思ったんです。聞いたら、<br>　「私が社長ということになっております」と言うので、「ははあ、<br>　　失礼しました」。</p><br><p>　　鍵山さんが社員の人たちと駅前を掃除していると、会社を訪ねて<br>　　くる人が、鍵山さんを社長と知らずに、ご本人に「おじさん、ここの<br>　　社長もう来てますかな」と聞く人がいるそうです。<br>　　<br>　　なかにはタバコの灰をポンと目の前で捨てて、そのまま近くの喫茶店<br>　　に行く人がいるというんです。あとで「おはようございます。社長<br>　　に会いにきました」といって顔をみたら、さっきのおじさんが社長で<br>　　あるとわかり、それだけでびっくりして帰っていく人がいるという<br>　　ぐらい、非常に謙虚な人です。</p><br><p>　　その鍵山さんを通じて、私は掃除のことについて<br>　　いろいろと学びました。</p><br><p>　　私はその中に、松下幸之助の思いを見て<br>　　取ったというのが正確な言い方だと思います。<br>　　なるほど、松下幸之助さんが願っていたのはこういうことではないか<br>　　ということを、その中にみつけたのです。</p><br><p>　　鍵山さんの考え方を一言でいえば「凡事徹底」だと思います。</p><p>　　あの会社は社内に売り上げ目標などの紙は一切貼っていません。<br>　　販売の仕事でありながら、今月の売り上げ目標とかノルマとか<br>　　課別の成績表は一切張っていないんです。</p><br><p>　　ただ一つある言葉は「凡事徹底」。<br>　　そして、その下に「平凡なことを非凡に努める」と書いてあります。</p><p>　　私はこの言葉が経営の一つの真理ではないかと思います。</p><br><p>　　自己変革、自らを変えようとして、われわれはいろんな方法を<br>　　取ります。最近ですと、十万円、二十万円、三十万円も払う<br>　　自己変革の講座もあります。</p><br><p>　　こういう講座では、その瞬間は自分が生まれ変わった気が<br>　　します。ところが、2ヶ月、3ヶ月するとまたもとの自分に戻って<br>　　しまうわけです。だから、また行かなければいけない。</p><p>　　本当に根こそぎ自分自身が生まれ変わっていくための一つの重要<br>　　なキーワードは「凡事徹底」ではないかと私は感じました。</p><p>　　平凡なことを非凡に努める。</p><p><br>　　言葉を変えるならば、平凡なことにおいて人と差をつけるという<br>　　ことです。</p><br><p>　　当たり前のことですが、実はこれが一番難しいことです。</p><p>　　世界をよくする、日本をよくするというのは、<br>　　口でいうとすごく気持ちがいい。快感がある。</p><p><br>　　わが政経塾は二十一世紀に向かって人類の幸せのために貢献<br>　　するのが使命ですと言っているうちは、ものすごく気持ちがいい。</p><br><p>　　人前でこう言って、みんなにワーっと喝采されると、<br>　　ますますそういう気持ちになってしまって、非常に心地がいい<br>　　んですが、では、どのようにしてそれをやるんですかと言われ<br>　　ますと、たちまち困る。いきなり総理大臣にでもならないと<br>　　できないような感じがします。</p><br><p>　　松下幸之助さんの「思いは大きく、しかし、本当の実践は、<br>　　まず身の回りを掃除するところからしかはじめようがないという<br>　　事実に気がつかなければだめだ」ということだと思うんです。</p><p>　　われわれは思いが大きくなりますと、足元の平凡なことを<br>　　固めることに対して非常にできにくくなります。</p><br><p>　　こんなことをしていていいのだろうか、もっと何か手っ取り早い、<br>　　もっとやりやすい、もっと衝撃的な新しい方法はないだろうか<br>　　というふうに必ず考えはじめるんです。</p><br><p>　　しかし、われわれの基本は、<br>　　どんな高い思い、どんな高い理想も、自分の身の回りの当たり前<br>　　のことを着実にやっていくことからスタートする以外に方法はない。</p><br><p>　　このことを、しっかりと頭の中に入れておかないと<br>　　物事は進んでいかないということを松下幸之助さんは言いたかった<br>　　のではないか。</p><br><p>　　富士山を登るのも、いきなり頂上へは登れない。<br>　　第一歩は、五合目からであってもいいと思うんですが、<br>　　登山口の第一歩から着実にはじめる以外にない。<br>　　<br>　　彼はそういうことを教えたかったのではないかと思いました。</p>
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<link>https://ameblo.jp/michiko-takeuchi/entry-10019036198.html</link>
<pubDate>Sat, 28 Oct 2006 22:20:58 +0900</pubDate>
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<title>海馬～脳は疲れない～</title>
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<![CDATA[ <dl><dt></dt><dt>池谷 裕二, 糸井 重里</dt><dt><a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4255001545?tag=amebablog-a23935-22&amp;link_code=sp1&amp;camp=2025&amp;dev-t=D3A0EVSPCPV0FK" target="_blank">海馬/脳は疲れない ほぼ日ブックス</a>　　からの抜粋です。</dt></dl><br><p>池谷：すべての動物は様々なバイオリズムを持っているんです。<br>　　　歩調のリズムとか、心臓のリズム、呼吸のリズム…（中略）<br>　　　その中でも一番有名なのは、サーカディアンリズムという、<br>　　　一日のあいだの「寝て起きる」みたいなリズムです。<br>　　　睡眠のリズムがいかに脳にとって重要かはずいぶんと言われて<br>　　　います。<br>　　　<br>　　　海馬はもちろん起きている時にも十分活動しているんですけど、<br>　　　寝ているあいだにもすごく活動するのです。<br>　　　だからもう四六時中はたらいているんですけども、<br>　　　眠っているあいだに何をしているかと言うと、夢をつくり出して<br>　　　います。</p><br><p>糸井：海馬が夢をつくり出すんですか？</p><br><p>池谷：厳密に言うと、海馬を含めた脳全体が関与していますが、海馬は<br>　　「今まで見てきた記憶の断片を脳の中から引き出して夢をつくり<br>　　　あげる」という役割を担っています。</p><p>　　　夢というとどうしても幻想的なイメージがありますけれど、<br>　　　実際はそんなことはありません。ネズミで実験してみるとわかり<br>　　　ます。その日にあったことが、たいていその直後の夢の中で<br>　　　思い出されているんですね。絵画の神経に電極を埋めてネズミを<br>　　　眠らせると、起きていたときにはたらいていた神経細胞が、<br>　　　夢の中でも反応している…つまり、その日にあった出来事を<br>　　　くりかえしているんです。</p><p>　　　朝起きて憶えていられる夢は１％もない、と言われるくらいです。<br>　<br>　　　もし憶えていたら夢と現実の区別がつかなくなって、生活が<br>　　　送れなくなる危険性があるのです。しかも、夢というのは、<br>　　　記憶の断片をでたらめに組み合わせていく作業です。<br>　　　ぜんぶ憶えていたら、前後の区別のつかない人間になってしまう。</p><br><p>糸井：夢のあいだに起きていた時の記憶を引き出して、海馬はいったい<br>　　　何をしているんですか？</p><br><p>池谷：情報を整理しています。睡眠は、きちんと整理整頓できた情報を<br>　　　しっかりと記憶しようという、取捨選択の重要なプロセスなのです。</p><p>　　　だから「夢を見ない」というか「眠らない」ということは、<br>　　　海馬に情報を整理する猶予を与えないことになります。つまり、<br>　　　その日に起きた出来事を整理して記憶できなくなってしまう。<br>　　　<br>　　　ですから、睡眠時間は最低でも六時間くらいは要ると言われて<br>　　　います。もちろん個人差はあるのですが、六時間以下の睡眠だと<br>　　　脳の成績がすごく落ちるということは、ここ二年ぐらいの間に<br>　　　科学的な証明がなされました。</p><br><p>糸井：睡眠が足りないというのは、海馬に情報整理の仕事をさせる<br>　　　時間を与えないということかぁ。徹夜続きで頭を使っているつもり<br>　　　になっていても、それは長い目で見たら、行き詰まりに向かって<br>　　　突進しているようなものですね。気をつけよう。（中略）</p><br><p>　　　眠っている間、海馬はどうやって記憶を整理するのですか？</p><br><p>池谷：海馬の神経細胞は全部で１０００万ぐらいありますが、それを<br>　　　仮に１、２、３、４…と番号を振ったとします。今ぼくは<br>　　　２番と５番を使って話しているとしますよね。そうしたら、<br>　　　今夜寝ているあいだには、「朝は１番を使ったなぁ。夜中には<br>　　　４番を使っていたな、夕方には２番と５番を使って糸井さんと<br>　　　話をしていたよな」と思い出しながら、急に２番と４番をつな<br>　　　げたり、２番と１番をつなげたり…新しい組み合わせをつくり<br>　　　出してみるんです。それで整合性が取れるかどうかを検証して<br>　　　いるようなのです。</p><br><p>　　　そのあいだに眠っている必要がなぜあるかと言うと、<br>　　　外界をシャットアウトして、余分な情報が入ってこないように<br>　　　して、脳の中だけで正しく整合性を保つためです。</p><br><p>糸井：それって、すごく大事なことですね。<br>　　　眠ること自体も大事な仕事として位置づけるのが、これからの<br>　　　課題ですね。</p><br><p>池谷：ええ。「どんなに忙しくても、睡眠をとらなければならない」と<br>　　　いう事実が、すごいなぁと思いますよ。</p><br><p>　　　人生７５年で、平均７時間睡眠だったとしても、２２年近く<br>　　　眠っていることになります。</p><br><p>　　　やりたいことに追われている人にとっては、<br>　　　一見すごくムダな時間に見えるけれども、睡眠がないと人間が<br>　　　ダメになってしまう。強引に睡眠を奪ったとしたら、海馬は<br>　　　記憶の整理整頓を、今度は起きているあいだにはじめるんです…</p><p>　　　つまり幻覚が見えることになります。</p><br><p>糸井：幻覚で夢の代用をさせるほど、夢は大事だということでしょう。<br>　　　何か、いろんなことを考えなおさなきゃならないなぁ。</p><br><p>池谷：眠っている間に海馬が情報を整理することをレミネセンス（追憶）<br>　　　といいます。これはとてもおもしろい現象で、たとえば、<br>　　　ずっと勉強していて、「わからなかったなぁ」と思っていたのに<br>　　　ある時、急に目からウロコが落ちるようにわかる場合がありませんか？</p><p>　　　それはレミネセンスが作用している場合が多いのです。<br>　　　ピアノの練習をいくらしても弾けなかった曲を、次の日すらすら<br>　　　できてしまったり。</p><br><p>糸井：あれば脳が夜、情報のつなぎ換えをしているうちに、できるように<br>　　　なったのですか？</p><br><p>池谷：そうです。</p><br><p>糸井：眠っているあいだに、ずいぶん高度なことをやっていますね。</p><br><p>池谷：はい。しかも、それは脳に任せておけばいい作業なんです。</p><p><br>　　　ぼくたちがしなければいけないことは、「ただ、眠るだけ」</p><p>　　　だから、このレミネセンスを生かすには、<br>　　　眠る前に一通り仕事をやってみるという工夫があるといいでしょう。</p><br><p>　　　そうすると、眠っているあいだに脳が無意識のうちに考えて<br>　　　くれるので、仕事もよりはかどると言うか。</p><br><p>　　　たとえば、仕事の〆切がまだまだ先であっても、早めに書類など<br>　　　に目を通しておくということは、とても重要な姿勢だと思います。</p><p>　　　ちなみに、夢を見る刺激を与える物質も、さきほどやる気を与えて<br>　　　くれる物質としったアセチルコリンなんです。</p><br><p>　　　ですから、<br>　　　風邪薬のようにアセチルコリンを抑えるものを飲むと、情報が整理<br>　　　できない睡眠になってしまいます。</p><br><p>糸井：自然な睡眠でないと、いわば質の悪い睡眠ということになるわけだ。</p><br><p>池谷：はい。…もちろん、アセチルコリンを抑えるのを怖がりすぎて風邪が<br>　　　ひどくなっちゃったら本末転倒ですから、薬は飲んだ方がよいの<br>　　　ですが、「明日は勝負だ」という時には慎重になったほうがいい、<br>　　　ということですね。</p><br><p>糸井：みんなに教えてあげたいなぁ。眠れ、と。<br></p>
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<link>https://ameblo.jp/michiko-takeuchi/entry-10019035936.html</link>
<pubDate>Sat, 28 Oct 2006 22:16:43 +0900</pubDate>
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<title>みんなが幸せになれるビジネス</title>
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<![CDATA[ <dl><dt></dt><dt>アニータ・ロディック, ハント・ヴェルク </dt><dt><a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4925112546?tag=amebablog-a23935-22&amp;link_code=sp1&amp;camp=2025&amp;dev-t=D3A0EVSPCPV0FK" target="_blank">ザ・ボディショップの、みんなが幸せになるビジネス。</a> 　　からの抜粋です。 </dt></dl><br><p><font color="#ff0000"><strong>　■はじめに</strong></font></p><br><p>　「ビジネスで何をしても記憶に残らない。<br>　　社会貢献だけが、人々の記憶に残る。」</p><br><p>　　このフレーズを誰が言ったのか知らない。（私かもしれない）<br>　　が、私のビジネス哲学を端的に言い表している。<br>　　<br>　　初めて耳にしたとき、心にぐっと突き刺さった。</p><p><br>　　成功をおさめた実業家は、世界をより良く安全で、文明的な場所に<br>　　することができる組織に貢献すべきた。正しいことだからということ<br>　　だけではない。公平な世界は精神衛生上も会社の利益にとってもよい。<br>　　そのことを理解できないのは先の見通せない者だけだ。</p><br><p>　　しかし、それ以上の理由もある。<br>　　私はビジネスが、社会貢献と別次元のものだと考えてはいない。</p><br><p>　　同じだからこそ、従来のビジネスリーダーとしてよりも、<br>　　活動家や扇動者、起業家として行動してきた。</p><br><p>　　その一方で、私は会社を設立し、世界的ブランドのトップ３０の<br>　　一つといわれるほどの企業に育てあげた。今では世界５１カ国<br>　　の２０００以上の店舗に一日８００万人が訪れるまでになり、<br>　　私がやってきたことは間違っていなかったのだろう。（中略）</p><p>　　優しさの中で、改革をはぐくむ―それこそがビジネスの世界で、<br>　　私がもっともやりたかったことだ。しかし、この野望の下には、<br>　　私が創業し、今や巨大かつ複雑な組織に成長した会社での<br>　　私自身の役割という問題がいつも潜んでいる。<br>　　<br>　　その点で、この本にはもうひとつのテーマがある。<br>　　つまり、世界規模に成長した企業の中で、私の奥深い部分、自身の<br>　　核と言っていいものを、私がどのように維持してきたのか、<br>　　ということだ。</p><br><p>　　私は絶えず、創業者にして起業家としての役割を、新たに創造して<br>　　こなければならなかった。もともと陽気で無秩序な性格な人間に<br>　　とっては大変だ。そこには地図もなければ、マニュアルもない。</p><p>　　自分を導くものは情熱だけだ。<br>　　困難にぶつかったときは、本能が進むべき道を示してくれる。（中略）</p><p>　　<br>　　旅はいつも物事の本質を教えてくれるが、とくに真実を明らかにして<br>　　くれた旅が二度あった。（中略）</p><p>　　しかし何よりも私の目を開かせたのは、最も豊かな国、アメリカの<br>　　中の極貧地域、ルイジアナ州やミシシッピ州、アラバマ州、ジョージア<br>　　州の「ブラック・ベルト」地帯を初めて見て回ったときだった。</p><p>　　そこで私は、３０年間、黒人コミュニティの写真を撮りながら、<br>　　アメリカを放浪しているデンマーク人写真家、ジェイコブ・ホルトと<br>　　出会った。（中略）<br>　<br>　　私たちの社会では、親切は馬鹿げているとか偽善だと見られがちだ。<br>　　しかしそうした行為が、何よりも力強く、説得力に満ちていることを<br>　　ジェイコブが教えてくれた。</p><p>　　敬意と優しさを持って人と接することは、彼の生きる道だった。</p><p>　　社会から取り残された無力な人々の物語を集めることに費やして<br>　　きた人生の中で、彼はそうやって数々の危機を乗り切ってきたのだ。</p><p>　　その旅の間に目にしたものに、私は愕然とした。それは西洋ではじめて<br>　　私が直面した真の貧困だった。テレビの圧倒的なパワーも知った。<br>　　一日２４時間、傾いた小屋で揺らめく青白い光は、思考を抑え、<br>　　物質的な豊かさで自分の価値と意義が決まるという神話を不滅のものと<br>　　する。</p><br><p>　　この２０年間、私は豊かさが人間の置かれている状況に対していかに<br>　　人を鈍感にさせるかを経験し、ジェイコブとの旅の間、鈍感にならない<br>　　ように手を尽くそうと誓った。この旅は、私の中にあった安閑とした<br>　　気持ちや現状への満足感から、私の目を覚まさせ、人類の営みの<br>　　現状に目を開かせてくれた。</p><br><p>　　豊かさの中のこの絶望と貧困は、ケインズが言った「経済的な問題」が<br>　　解決していない事実を私達につきつける。アメリカ経済は記録的な活況<br>　　を呈し、株式市場が一万ポイントの大台を突破する中、<br>　　同時に浮かびあがるのは悲劇的な状況だ。</p><p>　　貧困が更なる危機を引き起こす。必死でもがく民衆を資源の過剰開発<br>　　に駆り立てて、搾取しつくす。貧困が彼らを麻薬取引やテロに走らせ<br>　　永続的な貧困の原因を作っている大国の軍事的、経済的、政治的な<br>　　協力者として、下請け機関に利用される。それを制度化してしまった<br>　　のは私たちなのだ。</p><br><p>　　なぜ私たちはもっと怒りをあらわにしないのか。金持ちがタックス・<br>　　ヘイブンに八兆ドルの所得を隠しながら、３０億人が一日２ドル足らず<br>　　の生活を強いられる事実。彼らに世界の貧困問題に取り組む姿勢が<br>　　ないことは明らかだ。「ロングブーム」と呼ばれる長期成長が莫大な<br>　　利益をもたらしたにもかかわらず、人類の五人に一人はまともな食物や<br>　　きれいな水にありつくことさえできない。（中略）</p><br><p><font color="#ff0000"><strong>　　■スピリチュアルなビジネス</strong></font></p><br><p>　　異なる基準で自分を測ることは、企業にとって業績以上の意味がある。<br>　　それは「敬意」という言葉に私たちを立ち返らせてくれる。</p><p>　　人生には、本当に重要な精神的次元がある。</p><p><br>　　それはあらゆるものの基盤だ。</p><p>　　精神性とは、私にとって既存の宗教と関係がない。<br>　　シンプルな考え方だ。</p><br><p>　　それは、人生が神聖で神々しいということ。世界中を巡る旅の中で、<br>　　私はすべての生命はひとつの精神的な統一体を意味するという、<br>　　最も根本的な考えにたどり着いた。</p><br><p>　　キリスト教の教えには反するが、私たち人間は何者かの上に立つ<br>　　存在ではない。あらゆるものの一部なのだ。</p><br><p>　　この相互連結の概念を神聖なものとして敬い、異なる知識や存在の<br>　　あり方に対して敬意を払われなければならない。（中略）</p><br><p>　　私たちは今、岐路に立っている。<br>　　地球上の生命の神聖な相互連結を維持するのも壊すのも、<br>　　私たち次第だ。</p><br><p>　　矛盾や逆説に満ちた組織と大企業の中で、精神性を経験するには<br>　　大きな努力を要する。クリシュナムルティによれば、<br>　　私達に必要なのは制度を変えるだけでなく、自分自身を変えること<br>　　だという。</p><br><p>　　教育制度であれ、政治が魔法のように変わることはありえない。<br>　　我々自身が根本的に変化したとき、制度も変わる。<br>　　大切なのは制度ではなく、まず個人だ。</p><p><br>　　そして個人が自身のプロセス全体を理解していない限り、<br>　　左だろうが右だろうが、どんな制度も世界に秩序や平和をもたらす<br>　　ことなどできない。</p><br><p>　　今日の大企業には、素晴らしい事業を運営しながら節度と責任を<br>　　保ったクェーカー教徒から教訓を学んでほしい。</p><p><br>　　彼らは人をだますことも、自分の会社からお金を盗むことも、<br>　　必要以上のものを取ることもしないという方針を採っていた。<br>　　彼らは地域社会に配慮し、ビジネスもうまく行っていたようだ。</p><p><br>　　ビジネスに必要なのは、優しさに立ち返ることと、CEOへの巨額な<br>　　報酬などのえげつないものを排除することだ。何千人もの首をきって<br>　　１００万ドルのボーナスを享受するのは、人間として罪だ。（中略）</p><br><p>　　企業は今日の社会で強大な力を持つ存在だからこそ、社会を変え、<br>　　世界中の恵まれない地域で生活の質の向上に力を尽くすべきだと<br>　　いう提案には、クェーカー教徒もきっと賛成してくれたことだろう。</p><br><p>　　今日の企業における反動主義者が忘れているもの、それは「社会参加」<br>　　という言葉が政治的流行になるずっと前、<br>　　これこそが健全なビジネスのあり方だったということだ。</p><br><p>　　偉大なるビクトリア朝時代の慈善家は地域社会の教育機関や図書館、<br>　　病院に寄付し、労働者の環境や教育の改善に力を尽くした。</p><br><p>　　彼らは、地域社会のまとまりがビジネスの成功に欠かせない基盤であり<br>　　より健康で教育のいき届いた、生産性の優れた人々の存在によって<br>　　企業がともに成長できることを理解していた。今日、企業が人類の発展<br>　　に果たすことができる、果たさなければいけない役割を我々が理解して<br>　　いないとしたら、本当に浅はかなことだろう。</p><br><p>　　また私は、ビジネススクールが今後１０年の課題に応えるのを<br>　　見てみたいと思う。地域的なものかグローバル的な観点によるものか<br>　　を問わず、今後すべてのビジネス教育プログラムには、<br>　　社会正義や人権、地域社会、倫理、そして人間の精神活動の生産性<br>　　に関わる言語や活動が含まなければならない。</p><br><p>　　ビジネススクールが個人の価値観と経済的利益が交差する場所に<br>　　なれば、それこそが革命となる。</p><p>　　ここまで書いてきた内容が、嘲笑を誘うことは自分でも分かる。<br>　　それがビジネスとどんな関係があるのかって？</p><p>　　すべてだ。</p><br><p>　　人々に対して思いやりを持ち、立ち上がっては世の中に一石を<br>　　投じる勇気を与えること。</p><br><p>　　「敬意」や「精神性」という言葉にも同じことがあてはまる。<br>　　グローバリゼーションはそれ自体が、ある意味で宗教じみた概念だ。<br>　　「世界市場」という言葉は、これまで作り出された中で、<br>　　最も魅惑的なフレーズのひとつだ。</p><br><p>　　政府を追い出し、市場のルールにゆだねろと主張する企業の声が<br>　　聞こえるだろう。危険なのは、世界市場が結局は、その力で価値ある<br>　　すべてのものを手の届かないところに追いやってしまうことだ。</p><p>　　市場は人間としての顔も、精神構造も、良心も持ち合わせてはいない。<br>　　同情、恥、人間の努力という概念を持っている痕跡もない。</p><p>　　優しさも忠誠もまったく縁がない。</p><br><p>　　そして、市場が持っていないそれらのものこそが、<br>　　人生において不可欠なのだ。</p><br><p>　『そろそろ、奉仕の理想が成功の理想に取って代わるべきときである。<br>　　　　　　　　　　　　　　　　　―アルバート・アインシュタイン』<br></p>
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<link>https://ameblo.jp/michiko-takeuchi/entry-10019035671.html</link>
<pubDate>Sat, 28 Oct 2006 22:12:35 +0900</pubDate>
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<title>セロトニン欠乏脳</title>
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<![CDATA[ <br><dl><dt><a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4140880937?tag=amebablog-a23935-22&amp;link_code=sp1&amp;camp=2025&amp;dev-t=D3A0EVSPCPV0FK" target="_blank">セロトニン欠乏脳―キレる脳・鬱の脳をきたえ直す</a> 　　からの抜粋です。 </dt></dl><p>　　■有田秀穂氏</p><p>　　東邦大学医学部生理学教授。東京大学医学部卒業後、東海大学医学部<br>　　で臨床、筑波大学基礎医学系で脳神経の基礎研究に従事した後、現職。<br>　　著書に「心とは何か」「セロトニン呼吸法」など</p><p><br>　　セロトニン神経について触れ、それを鍛える生活習慣について<br>　　非常に分かりやすく書かれてある本です。</p><p>　「朝早く起きること」「ゆっくりと息を吐き、そして吸うこと」<br>　「よく噛んでご飯を食べること」「よく歩くこと」</p><p>　　昔からの教えがなぜ正しいのか、セロトニン神経の働きという<br>　　観点から一気に書き上げてあります。</p><p>　　一番冒頭のところの抜粋ですが、中盤、後半もかなり<br>　　具体的かつ実証的な好書です。</p><br><p><br>　　￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣</p><p>　　…ところが、こうした旧来の不良少年とは異なるニュータイプの<br>　　問題児が、ここ20年来、入れ替わるようにして目だってきたのです。</p><br><p>　　ふだんはいたっておとなしいが、何かをきっかけに突然手のつけ<br>　　られないほどの攻撃性を示す。また、特定の問題児とは認められ<br>　　なくなっても、感情の起伏が激しく、自己抑制に欠けるなど、<br>　　総じて子どもたちの性格が大きく変わってきたのではないか<br>　　とも言われています。</p><br><p>　　文部科学省による2002年発表の、「児童生徒の心の健康と生活<br>　　習慣に関する調査」では、「急に怒ったり、泣いたり、うれしく<br>　　なったりする」という自己評価の設問に対し、小学生の約６割から<br>　　７割が「よくあてはまる」ないし「ややあてはまる」と答えて<br>　　います。</p><br><p>　　また、「わたしはいらいらしている」という設問では、小学生の<br>　　３割弱、中高生の４割弱が「よくあてはまる」ないし「ややあて<br>　　はまる」と回答しています。ささいなことですぐ腹をたて、<br>　　あとの結果も考えずに場当たり的な暴力を振るう。昨今、青少年が<br>　　起こす不可解な事件にも関連して、子どもたちのキレる心の原因を<br>　　探ろうとする努力が、各方面からも行われるようになってきたの<br>　　です。（中略）</p><br><p>　　1980年代に起こった生活環境の革命的な変化として、<br>　　とくに忘れてはならないことがあります。以前は無かった、もの、<br>　　すなわち、家庭用テレビゲームの普及です。<br>　　社会現象になるほどその勢いはすさまいく、子どもたちだけでなく、<br>　　大人までもが熱狂するようになりました。（中略）</p><br><p>　　ところが、テレビゲームをやりすぎると、大脳の「前頭前野」の<br>　　機能が極端に低下することが、日本大学の森昭雄教授によって<br>　　明らかにされ、衝撃的な警告として、各方面にも受け止められました。<br>　　この機能低下に陥った状態は「ゲーム脳」とも名づけられています。<br>　　（中略）</p><br><p>　　前頭前野は、衝動的な行動を抑えたり、ものごとを計画したり、<br>　　道徳的な行動を促すなど、人間の行動を特徴づける働きをして<br>　　います。前頭前野の機能低下は、もちろん、人間の心に重大な影響<br>　　を及ぼすことになります。</p><p><br>　　実際、ゲーム脳の見つかった子どもには、日常生活の中で、<br>　　無気力、とじこもり、キレやすいという症状が現れてきたのです。</p><br><p><font color="#ff0000"><strong>　　■セロトニン神経が弱るとキレやすくなる</strong></font></p><br><p>　　そもそも「キレる」という言葉は医学用語ではありません。<br>　「キレる」というのは、緊張の糸が切れるとか、堪忍袋の緒が切れる<br>　　などから、ストレスをコントロールできずに、感情を爆発させ、<br>　　常軌を逸した行動をとることを意味しています。</p><br><p>　　ですから、きちんとした診断基準が確立されているわけでも<br>　　ありません。病気として、果たして治療が必要なものであるのか<br>　　どうかすら、明確になっていません。何が原因で、どこに異常が<br>　　あり、どのように対処したらよいのか、共通の理解が得られて<br>　　いないのが、現状です。</p><br><p>　　私は、セロトニン神経の研究を実施してきている立場から、<br>　「キレる」という状態は脳内のセロトニン神経が弱っているからで<br>　　あるということを、様々な機会（シンポジウムや雑誌など）を<br>　　とらえて訴えてきました。この本では、その内容をくわしく書き<br>　　込んであります。セロトニン神経が弱ると、脳にはどういった変化<br>　　がもたらされるのか、まずは、その概略をここでかんたんに触れる<br>　　ことにしましょう。</p><br><p>　　一般に、セロトニン神経が弱るといろいろな症状が現れてきます。<br>　　とくに、うつ病、パニック障害、摂食障害（拒食症や過食症）など<br>　　の諸症状が現れてきます。うつ病で自殺した人の脳を調べてみます<br>　　と、脳の中で作られる神経伝達物質、セロトニンの濃度が、一般の人<br>　　より低いことが明らかにされています。</p><br><p>　　また、これらの病気の治療薬として、脳内のセロトニンレベルを<br>　　高く維持するSSRI（選択的セロトニン再取り込み阻害薬）が欧米を<br>　　はじめ、日本でも非常によく使われるようになってきています。<br>　　<br>　　このようにセロトニン神経が弱まると、うつ病やパニック発作が<br>　　起こることが医学的にはっきりしてきています。</p><br><p>　　キレる子どもは、うつ状態やパニック発作に似た症状が見られます<br>　　から、セロトニン神経が弱っている可能性が考えられます。</p><br><p>　　キレる状態というのは、ストレスが加わったときに、過激な行動が<br>　　抑えられなくなることですが、これにはいろんなレベルがあります。</p><p>　　授業中に大騒ぎするレベルから、動物虐待、さらにエスカレートして<br>　　凶悪犯罪に走ってしまうケースまで、様々な段階が考えられるでしょう。</p><p><br>　　これに関連して、こわい動物実験があります。ラットのセロトニン神経<br>　　を破壊して、動物飼育箱にマウスと一緒にいれる実験です。</p><p><br>　　こうすると、そのラットはマウスを殺して食べてしまうという、<br>　　通常見られない残虐な行動を引き起こすようになるのです。</p><p><br>　　しかし、ラットの脳にセロトニンを補給してやると、この症状は<br>　　消滅します。この動物実験を単純に人間にあてはめることはできない<br>　　かもしれませんが、セロトニン神経が極端に弱まると、凶悪犯罪を<br>　　起こすほどの過激な行動に歯止めがきかなくなる、とは言えます。</p><p>　　うつ病による自殺というのも、歯止めがきかない状態のひとつと<br>　　判断できるかもしれません。この歯止めをかける働きが、まさに<br>　　セロトニン神経の働きなのです。</p><br><p><font color="#ff0000"><strong>　　■それは現代の生活習慣病か</strong></font></p><br><p>　　ここまでは、キレる症状がセロトニン神経の弱ったときに起こる<br>　　症状と酷似していることを見てきましたが、次に、現代の生活環境<br>　　によって、セロトニン神経が弱ってしまう可能性について焦点を<br>　　あててみましょう。</p><br><p>　　家に閉じこもり、何時間も息を詰めてゲーム漬けの生活をする。<br>　　これは、確実にセロトニン神経を弱らせます。</p><br><p>　　なぜなら、<br>　　セロトニン神経には、歩行、呼吸、咀嚼などの基本的なリズム運動<br>　　によって活性化されるという、ユニークな特性があるからです。</p><br><p>　　私達は、毎日の生活の中で、これらのリズム運動を自然に繰り返し<br>　　ています。その結果、セロトニン神経は正常のレベルに維持され<br>　　ます。ところが、これらの基本的なリズム運動を極端に抑えた<br>　　生活を継続していますと、しだいにセロトニン神経が弱まって<br>　　しまうのです。（中略）</p><br><p><font color="#ff0000"><strong>　　■病んだ脳をつくる昼夜逆転生活</strong></font></p><br><p>　　セロトニン神経を弱らせる要因でもう一つ忘れてはならないのは<br>　　昼夜逆転の生活です。恵みの太陽はセロトニン神経を活性化して<br>　　くれるのですが、その恩恵を忘れて自堕落に生活をすると、<br>　　セロトニン神経が悲鳴をあげるのです。</p><p>　　同じ光ならば照明で解決できるのでは？と思われるかもしれません。<br>　　しかし、残念ながら、室内電灯程度の弱い光ではセロトニン神経<br>　　には効果がないのです（中略）</p><br><p>　<font color="#ff0000"><strong>　■セロトニン神経の働きは生活習慣で変えられる</strong></font></p><br><p>　　本書は医学書ではありません。一般の読者に、セロトニン神経が<br>　　弱るとどういう症状がでるのか、どのような生活をするとセロトニン<br>　　神経が弱るようになるのかを、現代生活に照らして解説してあります。</p><br><p>　　私が、この本を一般の人々を対象にして書く理由は、<br>　　単に警告を鳴らすためではありません。より建設的で健康な日々が<br>　　送れるよう、セロトニン神経を鍛える方法をお伝えするためです。</p><br><p>　　薬を使わずに、日々の生活を工夫することで、セロトニン神経を<br>　　きたえられることを、知ってもらいたいのです。（中略）</p><br><p>　　セロトニン神経を鍛える方法はむずかしくありません。<br>　　毎日、一定時間、意識的にリズム運動を繰り返すことによって、<br>　　セロトニン神経は確実に鍛えられます。</p><br><p>　　たとえば、朝陽を浴びながらのウオーキングやジョギングは、<br>　　セロトニン神経にとって絶好の栄養となります。</p><p>　　早朝の呼吸法も効果的です。</p><br><p>　　チューイングガムをかみ続けるのも良いでしょう。</p><p>　　水泳やエアロビクスなどもおすすめです。</p><p>　　セロトニン神経は、毎日の生活の中で、リズム運動を意識的に<br>　　繰り返すことで確実に鍛えられるのです。このことを、実例<br>　　を示しながら解説することにしましょう（中略）</p><p><br><font color="#ff0000"><strong>　　■心をきたえるということ</strong></font></p><br><p>　　学校教育では、学力や運動能力の向上に対して、高い関心が<br>　　寄せられていますが、心をきたえることについては、あまり関心が<br>　　払われずにきました。</p><br><p>　　いや、関心が払われていないというより、どうすればよいのか、<br>　　十分に情報が提供されていないのが現実だと思います。</p><br><p>　　心をきたえるということは、むろん鉄拳制裁のようなスパルタ教育<br>　　を指すものではありませんし、音楽や絵を教える情操教育とも<br>　　異なります。また、道徳教育とも違います。</p><br><p>　　かんたんに説明すれば、感情をコントロールし、心身を元気に保つ<br>　　コツを知ることです。</p><br><p>　　実は、こんなことは、子どもたちの毎日の遊びや生活の中で自然<br>　　に身に付けられるはずのもので、ことさら言うべきことでなかった<br>　　かもしれません。ところが、物質的に豊かになった社会では、<br>　　少子化が進み、さらにテレビゲームが遊びの王座を占めたせいか、<br>　　このあたりまえの自然学習を子どもたちが体得できなくなって<br>　　いるのです。</p><br><p>　　その問題を解く鍵が、このセロトニン神経にあります。<br>　　まずはセロトニン神経になじみを持ってもらって、子どもに応じた<br>　　対処法を個別に考えて頂きたいと思います。</p><br><p>　　心の問題を、セロトニン神経という限られた視点から論じて欲しく<br>　　ないという方もいらっしゃるでしょう。そもそも、心は脳や神経<br>　　だけで扱えるものではないはず、と憤る方もいるかもしれません。</p><br><p>　　しかし、セロトニン神経は呼吸ともつながっています。<br>　　咀嚼ともつながっています。歩行ともつながっています。</p><p><br>　　これらすべての運動がセロトニン神経の働きによって影響を受けて<br>　　いるのです。脳だけでなく、息をして、心臓が規則正しく打ち、<br>　　身体を動かすことが、セロトニン神経と不可分な関係にあるのです。</p><br><p>　　他方で、セロトニン神経は、大脳皮質をはじめ、ほとんどすべての<br>　　脳神経と結合しています。そして脳神経は内臓や筋肉へとつながって<br>　　います。つまり、私の心に対する考えは、身体と一体になっている<br>　　構造なのです。そのことをはじめにお断りしておきたいと思います。</p><p><br><font color="#ff0000"><strong>　　■心の三原色</strong></font></p><br><p>　　心の状態を演出する神経は、セロトニン神経だけではありません。<br>　　セロトニン神経は、SSRIという薬がよく効くことで最近注目を集めて<br>　　きた、いわば新参者です。心の病は、従来から、ドパミン神経、<br>　　ノルアドレナリン神経の二つがよく研究されてきました。</p><br><p>　　私は、この二つの神経にセロトニン神経をくわえ、三つの組み合わせ<br>　　で心の状態を考えてみようと思います。</p><br><p>　　人の心を動かす要素は、二つに大別されます。<br>　　快と不快、好きと嫌い、報酬と罰です。</p><br><p>　　ポジティブな面とネガティブな面という事もできるでしょう。<br>　　後者は不安やストレスと密接な県警があり、脳内のノルアドレナリン<br>　　神経によって主に制御されています。</p><p><br>　　一方、快、報酬、欲望などに関連した神経としては、<br>　　ドパミン神経がよく研究されています。</p><br><p>　　この二つの神経に対して、抑制をかけているのが、セロトニン神経<br>　　なのです。セロトニン神経がしっかり働いていると、<br>　　不安にもならず、舞い上がりもせずに、平常心で生活できるという<br>　　ことになります。中庸の心といえるかもしれません。</p><br><p>　　このように、三つの神経が相互に影響しあって、<br>　　私達の心の模様が作られると、私は考えています。</p><br><p><font color="#ff0000"><strong>　　■釈迦はセロトニン神経を知りつくしていた</strong></font></p><br><p>　　不思議に思われるかもしれませんが、平常心や中庸との関係が<br>　　あることから、セロトニン神経の働きは、坐禅の呼吸法がもたらす<br>　　効用ときわめてよく対応しています。<br>　　<br>　　この事実に気付いてから、私は釈迦が歩んだ道について、<br>　　興味をもっていろいろと調べてみました。</p><br><p>　　そして、驚いたことに、釈迦はたいへんな脳の実験者であることに<br>　　気付いたのです。釈迦は６年の歳月をかけて荒行を行ったとされて<br>　　いますが、じつは、これは自らの身体と脳に対する究極のストレス<br>　　実験だった、と私は考えています。</p><br><p>　　すなわち、脳内のノルアドレナリン神経の働きを見極めるもので<br>　　あったと想像されるのです。</p><br><p>　　ところが、釈迦は、後に荒行を一切中止して、坐禅の呼吸法へと<br>　　向かいます。呼吸法こそが、自己の求める道であると結論づけた<br>　　のでしょう。そして、これら一連の発見を自分の心と身体をもって<br>　　調べつくし、その効能を人々に伝えたのです。</p><br><p>　　その教えは、国を超え、時代を超えて、今日、坐禅、ヨガ、気功法<br>　　となってしっかり民衆に根付いています。</p><p>　　釈迦によって体感された境地とは、セロトニン神経がもたらす<br>　　さまざまな生理機能であった。その意味で、釈迦はセロトニン神経<br>　　を知りつくしていた達人と、私には想像されるのです。<br></p>
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<link>https://ameblo.jp/michiko-takeuchi/entry-10019035410.html</link>
<pubDate>Sat, 28 Oct 2006 22:06:35 +0900</pubDate>
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<title>藩校の教育力～その二～</title>
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<![CDATA[ <p>    藩校の教育力～その二～　です。　　<br>　　</p><p>　　￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣</p><p><br>　　現在の私たちが藩校から学ぶことの一つは、身体の重視だ。</p><p>　　武術を中心とした身体の鍛錬は、精神的なねばり強さをも鍛える。</p><p>　　勝海舟は「氷川清話」の中で、自分が本当に修行したものは、<br>　　剣術と禅ばかりであったと述べている。その二つの身体的な鍛錬<br>　　が、後の勝海舟を培ったのである。</p><br><p>　　現在の教育は、あまりにも身体的な側面を軽視している。<br>　　人間は体力が落ちれば気力も落ち、脳の働きも鈍ってくる。<br>　　<br>　　速く走ることができるということが問題なのではない。身体全体に<br>　　みなぎる力の感覚が重要なのだ。</p><br><p>　　武術の鍛錬は、身体の中心感覚を養う。臍下丹田を中心にして、<br>　　エネルギーをからだ全体に満ちあふれさせる鍛錬である。</p><br><p>　　こうした身体づくりは、長い人生を気力充実させて生き抜いていく<br>　　ためには実に重要なことだ。肚が練れている、ということは<br>　　大局的な観点に立ちキレずねばり強く考えることができるという<br>　　資質を示している。この資質を養うためには、身体を通じた鍛錬が<br>　　効果的である。（中略）</p><br><p>　　素読という学習法に関しては、長い間その真価が忘れ去られてきた。<br>　　藩校入学以前に、一応の素読を終えていることを前提としている<br>　　ケースが多い。また藩校の中でも、五、六歳から素読教授を行う<br>　　ところも多い。</p><br><p>　　現在の小学校の国語教育からすれば、すべてが大変なエリート教育だ。</p><p>　　最高水準のテキストを、ひたすら音読し身に染み込ませる。</p><br><p>　　耳から聴き、声に出して、言葉を技化していく学習スタイルは、<br>　　実は大変効果的なのだが、<br>　　戦後とりわけ素読は「強制的だ」という理由で排除されてきた。</p><br><p>　　私自身は、小学生対象の塾において、<br>　　素読を中心とした学習カリキュラムを運営している。</p><br><p>　　実践してみればはっきりとわかることだが<br>　　これは実に効果的な学習法だ。</p><br><p>　　最近、東北大学の川島隆太教授が、音読するときに脳がもっとも<br>　　活性化することを脳科学の見地から発表した。</p><p><br>　　声に出して優れたテキストを読み上げることは、素朴なようだが、<br>　　実に効果的な学習法なのである。</p><p>　　素読という学習法が軽視された背景として、身体の側面の軽視と共に<br>　　素読に対する誤解がある。素読を、意味が全くわからなくてもいいから<br>　　ただひたすらに繰り返して音読すること、と理解している人が<br>　　少なくない。</p><br><p>　　言うまでもなく私自身は、意味も全くわからずに繰り返して音読する<br>　　というやり方には明確に反対だ。</p><p><br>　　意味も全く分からない状態で繰り返すことは、苦痛である。<br>　　もちろん完全な理解は幼いうちに望むことはできない。</p><p>　　しかし論語にせよ、小学校一年生でもおおよその意味は推測がつくものだ。<br>　　しっかり説明をすることは素読の効果を妨げるどころか効果を倍増させる。<br>　　意味を教えないことをもって誇りとする教育者は、間違っていると<br>　　私は考える。</p><br><p>　　では、江戸時代の藩校教育における素読は、どちらのスタイルだった<br>　　のであろうか。</p><br><p>　　これは実は、しっかりと文脈を把握する作業を伴う素読であった。<br>　　石川松太郎「藩校と寺子屋」によれば、次のようにある。</p><br><p>　　「素読は、漢学をまなぶのにあたっていちばんはじめにとりかかる<br>　　学習段階で、声をあげて文字を読み文章をたどる作業である。けれど<br>　　も素読を、意味にも内容にもかまわず、ただ棒読み・棒暗記だけの<br>　　作業と解してはならない。同じ『悪』という字でも『お』と読むのと<br>　　『あく』と読むのとでは意味がまるでちがうし『殺』という文字<br>　　でも『さい』と『さつ』との読み方の相違で、意味がまったく別に<br>　　なる。とりわけ近世で行われた素読というのは、漢文を国文化して<br>　　読む作業、意味を読み取る作業だったから、句読の切りかた、<br>　　訓点のつけかた次第で、文章の意味がどのようにでもかわるのである。<br>　　それゆえ素読は講義や独看にまでつながりをもって、思想体系の<br>　　一環をなすだいじな基礎工事であった」</p><br><p>　　実に明快な素読の理解だ。「意味などわからなくていい、ただ<br>　　ひたすら繰り返すことが必要だ」という誤った素読理解に対して、<br>　　まったく異なる理解を事実から提出してくれている。</p><br><p>　　音読を生徒にさせてみればわかるが、その読み方で、<br>　　内容理解の質ははっきりとわかるものだ。</p><p>　　意味を取って読んでいるかどうかがはっきりとこちらに<br>　　伝わってくるのである。ましてや意味次第で読み方が変わる場合<br>　　などは、文脈を理解する力が、そのまま素読で問われることに<br>　　なる。こうなると、素読は実に優れた意味理解を含んだ<br>　　学習法だとなってくる。</p><br><p>　　その上で、素読には、「繰り返して技化する」というトレーニング<br>　　の要素が核としてある。</p><br><p>　　これは現在のゆるい教育にとっては、非常に参考にすべき内容<br>　　を含んでいる。言語も、身体文化と同じく、繰り返しによって<br>　　身に付けるべき技なのだ、という観点は実に重要である。</p><br><p>　　近世においては、現代の学校教育以上に読書力が重視された。<br>　　この素読から始まり読書といわれる広く読む行為へとつなげていく。</p><br><p>　　「この素読教授には三つの段階があって、一字一字、一句一句を<br>　　正しく読み上げる学習（第一段階）について、早く長く読み続ける<br>　　学習（第二段階）、ふつう復読と呼ばれる段階にすすむ。復読に<br>　　あたっては、とり読み、輪読のような競争意識にうったえる集団学習<br>　　も行われた。素読の力がすすんだところで、まだ教えたことのない<br>　　書物（多くは歴史の書）を自分の力で読ませる。つまり『広く読む』<br>　　ことによって読書力を拡充させる学習（第三段階）となり、ここまで<br>　　くると、素読のうちにはちがいないが、しばしば『読書』ととなえ<br>　　られた」</p><br><p>　　実にしっかりとしたカリキュラムだ。最高の内容を持つ、<br>　　難易度の高いテキストを徹底的に繰り返し読むことで、他の本は<br>　　より易しく読めるようになる。このやり方は合理的だ。</p><br><p>　　藩校のカリキュラムで注目すべき点は、同じテキストがレベルが<br>　　上がってもう一度出てくるということだ。</p><p><br>　　いわばテキストが循環しているのである。<br>　　テキストの内容の難易度以前に、どういう形態で学ぶかという点<br>　　に「級」を立てる意味が込められていたということだ。</p><br><p>　　長岡藩の場合は、大きく教育の形態が素読と質問の二つに分けられて<br>　　いる。学習の教材ではなく、学習形態でレベルわけしているところに<br>　　見識の高さがうかがわれる。</p><br><p>　　素読を終えた子どもたちは講義を受け、教師の指導のもとに<br>　　理解を深めていく。</p><br><p>　　生徒が一室に集まって、互いに問題を持ち出したり、<br>　　討議をしあったりする共同学習とも言うべき会読・輪講が行われる。</p><p>　　一定の読書力と理解力を身に付けた者たちが共同で学習をすすめるのだ。<br>　　<br>　　この質問のしあいは相当効果的な学習法だった<br>　　ようだ。一人で考え、課題とするものを自分で選べるようになって<br>　　くると、教授に「質問」する段階に進んでいく。（中略）</p><br><p>　　現在から見ると、朱子学や四書五経を中心としたカリキュラムは、<br>　　あまりにも狭く古臭いといわざるを得ない。</p><p><br>　　しかしそれは現在の立場から言えることであって、当時の事情から<br>　　すると致し方のない面もあった。現在藩校教育において注目すべき<br>　　なのは、その身体に技化する教育方法である。</p><p>　　日本語力という観点からすれば、明らかに当時の藩校教育の方が<br>　　レベルが高い。</p><br><p>　　漢文を読み書きすることができ、非常に格調の高い文章がかくことが<br>　　できる。手紙文も様々な書き方を「型」として練習していた。</p><p>　　したがって、一般の人間の書く手紙でも、非常に質の高いものに<br>　　なっている。</p><br><p>　　文章においても、「型」が重要であることを十分に認識したうえで、<br>　　技化するためのらせん的な反復トレーニングスタイルが<br>　　取られていたのである。（中略）</p><br><p>　　幼い頃から最高のものをテキストとして、反復練習をして身に付けて<br>　　いく。これは現在ではエリート教育と見られるだろう。</p><br><p>　　しかし、そのようなエリート教育を当たり前のように行っていた<br>　　藩校が全国ほとんどすべての藩に成立していたということは、<br>　　それだけ危機意識が高かったことを意味している。（中略）</p><br><p>　　幕末の大変動を乗り切り、明治維新を成し遂げたのは、<br>　　数人の天才の力によるものではない。</p><br><p>　　数百人、数千人、いやもっとそれ以上の単位の意識の高い人々が、<br>　　実行力を示した結果である。</p><br><p>　　こうした高い水準の知力と胆力とを併せ持った人々を支えていた<br>　　のが、藩校であった。身体と日本語のトレーニングこそが、<br>　　多くの天才を輩出する母体だったのである。<br></p>
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<link>https://ameblo.jp/michiko-takeuchi/entry-10019034956.html</link>
<pubDate>Sat, 28 Oct 2006 22:02:58 +0900</pubDate>
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<title>藩校の教育力～その一～</title>
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<![CDATA[ <p>　今日は、以前紹介した「天才がどんどん生まれてくれる組織」<br>　（斉藤孝著）からの抜粋です。</p><br><p><br>　￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣</p><br><p>　（中略）こうした現代日本のスピード感の欠如と明治維新における<br>　　迅速な改革を比較したとき、改めて幕末から明治維新を支えた人々<br>　　の総合力に感嘆の念を覚える。</p><br><p>　　明治維新を起こし、形にした人々は、当然のことながら、明治生まれ<br>　　の人間ではない。江戸時代後期から幕末にかけて生まれ、明治維新<br>　　以前の教育を受けた人たちこそが、この大改革の立役者である。</p><br><p>　　現在私達が当然のこととしている学校は、明治以降に制度化された<br>　　ものだ。それ以前の主だった教育システムとしては、寺子屋、私塾、<br>　　藩校といったものがある。この中でも藩校は、各藩における公教育<br>　　機関である。幕府の各藩に対する統制は非常に厳しかったが、教育<br>　　に対しては基本的に各藩に任されていた。（中略）</p><br><p>　　会津藩の日新館は会津精神を藩士に植えつける強力な教育機関で<br>　　あった。会津藩士は、その高い武士道精神をもって天下に名を知<br>　　られている。その源流には、名君といわれた藩主保科正之の思想<br>　　がある。</p><br><p>　　保科正之の精神は、会津論語とも呼ばれる「家訓十五カ条」として<br>　　人々に受け継がれていった。</p><br><p>　　日新館の教育は厳しく、徹底したものであった。ここで藩士の師弟<br>　　は会津魂を叩き込まれた。試験がたびたび課され、進級を義務付け<br>　　られていた。</p><br><p>　　「この日新館に、会津藩士の子弟は、すべて入学が義務づけられて<br>　　いた。十歳になると、まず素読所に入る。小学とも呼ばれる二階建<br>　　の校舎で、素読所は第一等から第四等にまで分かれていた。<br>　　まず第四等に入学し、順次考試によって進級していくのである。</p><p><br>　　年齢は、第三等は十二歳、第二等は十四歳、第一等は十六歳と<br>　　定められていたが能力に応じ進級を許すという天才教育をほどこして<br>　　いる。素読所は大体十六歳未満で卒業することになっていたが、考試<br>　　に合格していないものは、別に設けられた年長席で、長男ならば<br>　　三十五歳、次男以下ならば二十一歳まで、勝手に進学することは<br>　　許されなかった」（日本の藩校）</p><br><p>　　日新館では、中国の四書五経だけではなく、独自の教科書を作成<br>　　していた。その代表的なものに「日新館童子訓」がある。</p><br><p>　　わかりやすく興味をひくエピソードを取り混ぜて作られている。<br>　　中心は親孝行や武士の面目に関するものである。</p><p>　　恩に報いることを徹底して教え込まれた。</p><br><p>　　この教育の徹底は、藩のために命を投げ捨てた白虎隊の悲劇を<br>　　生んだ。会津の教育は人々の心の奥底に染み込むものであった。<br>　　廃藩置県から一世紀以上経ってもなお、「会津人」や「会津魂」<br>　　という言葉は死んでいない。現在までも影響を与え続ける会津藩<br>　　の伝承の中心が、藩校日新館であった。（中略）</p><br><p>　　藩校は基本的には、四書五経を中心とした儒学教育を柱としていた<br>　　が、柔軟性を持っていた。幕府が管理する昌平坂学問所は、<br>　　儒学版の象牙の塔となっており、時代の急変に到底対応できるもの<br>　　ではなかった。むしろ妨害する役割を果たしていた。<br>　　これに対して藩校は、それぞれの藩の事情を背景として、それぞれに<br>　　対策を講じていた。（中略）</p><br><p>　　藩校のカリキュラムの基本は、文武両道だ。主に午前中が四書五経<br>　　を中心とした文の教育で、午後が武道の教育であった。<br>　　武士であるから武術の稽古は当然と思われるが、しかし実際には、<br>　　武術が学校教育のたようにカリキュラムとして組み入れられるのは<br>　　藩校の創設を待たねばならなかった。（中略）</p>
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<link>https://ameblo.jp/michiko-takeuchi/entry-10019034704.html</link>
<pubDate>Sat, 28 Oct 2006 22:00:39 +0900</pubDate>
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<title>親から感謝の手紙が舞い込む自動車学校</title>
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<![CDATA[ <p><br>　　今日は、「感動のサービスが実現する一瞬」から、<br>　　ある自動車学校のお話の紹介です。</p><p><br>　　￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣</p><p><br>　　◆全国から若者を集める力、それは大人たちが忘れていたものだった。<br>　　　―過疎の田舎で自動車学校が力を注ぐ心の教育</p><br><p>　　島根県益田市。過疎化が進む田舎の小さな街である。</p><p>　　いまここに、全国から若者たちが集まってくる。</p><p><br>　　静かな街も、その周辺だけはいつも熱気があふれている。</p><p>　　若者たちが向かう先は、益田ドライビングスクール。車の免許を取る<br>　　ための自動車学校である。卒業した人たちが全国から感謝を寄せて<br>　　くれる。</p><br><p>  　「おかげさまで価値観が変わりました」</p><p>　　感謝の声は、生徒の親たちからも多く寄せられている。</p><p><br>　　こんな自動車学校があったなんて、驚きという言葉以外にない。</p><p>　　その実情を知ったとき、驚きは納得に変わり、<br>　　やがて深い感動を覚えることになるだろう。</p><br><p><font color="#ff0000"><strong>　　■全国から年間６０００人も</strong></font></p><br><p>　　少子化が進み、自動車学校の教習生の減少も続いている。</p><p><br>　　どの教習所でも、生徒を確保するのが非常に厳しい状況だ。</p><p><br>　　若者や学生の多い都会の教習所さえもそれは例外ではない。<br>　　あの手この手で生徒を集めることに躍起になっている。</p><br><p>　　益田ドライビングスクール（以下、ＭＤＳ）は島根県益田市にある<br>　　自動車学校だ。ここでは、何と県外からのお客様（ゲストと呼ぶ）<br>　　が８割を占める。</p><br><p>     ここに入校するために、人口５万人のこの市に、<br>　　北海道から沖縄まで全国いたるところから若者たちが集まってくる。</p><br><p>　　過疎の街にあるにもかかわらず、年間の卒業生はおよそ６０００人。<br>　　全国１４００校ある教習所中、近年、ベスト５～１５位以内の<br>　　ポジションを常時確保しており、益田市に活気をもたらしている。</p><br><p>　　いったい、なぜこんなにも若者たちが集まるのだろうか。<br>　「合宿型教育システム」の評判が口コミで広まったためである。<br>　　１６日間合宿して自動車学校に通い、免許をとる。</p><p><br>　　このシステムは、単に運転の技術を教えるだけにとどまらない。<br>　　そこが、ＭＤＳが並みのスクールとは異なるところだ。</p><br><p><font color="#ff0000"><strong>　　■熱い期待と感謝を寄せる親たち</strong></font></p><br><p>　　全国から集まる若者たちは、ＭＤＳの合宿では自動車の免許を取る<br>　　ことが最大の目的だ。</p><br><p>    しかし、合宿の１６日間のうちに、彼らの<br>　  「何か」が確実に変化していくようである。</p><br><p>　　合宿から帰ったわが子を見て、その変化に気づくのは親である。<br>　　両親からＭＤＳに届いたお礼の手紙がそれを物語っている。</p><br><p>　～この度は、娘が大変お世話になりました。<br>　　以前は、『お金が全て』と申しておりました。</p><p><br>　　帰宅後、<br>　『幸せはお金ではない。幸せは楽しいと思う自分の心の中にあり、<br>　　楽しいと思って生きていれば、困った時には友が助けてくれることを<br>　　発見した』と、嬉しそうに報告してくれました。</p><p><br>　　人生の幸せを見つけた喜びに満ちております。<br>　　親が伝えられなかったことを伝えて頂き、本当に感謝申し上げます。～</p><p><br>　　このようなお礼の手紙が毎日のように届く。娘が一回り大きくなって<br>　　帰ってきたという両親、親と話もしなかった息子に、<br>　「お母さん、ありがとう」と言われて心臓が止まるほどの感動を覚えた<br>　　母親―こうした親たちが全国にいるのである。</p><br><p>　　この評判が親たちの間にも広がった。</p><br><p>　「息子、娘をぜひＭＤＳに」<br>　「いい習慣やしつけ、人間関係を学んできてほしい」</p><p>　　送りだすときの親たちの期待には熱いものがある。</p><br><p>    息子や娘が合宿している間にも、親たちはＭＤＳにエールを送る。</p><br><p>　～娘がお世話になっております（中略）<br>　　トイレ掃除どころか、部屋の掃除も母親の手伝いもしない現代娘が<br>　　社会に出る登竜門として、しつけを教わることは大変良いことだと<br>　　思います。御社の経営理念に感服しております。いたらない娘ですが<br>　　よろしくご指導ください～</p><p><br>　～この度は息子が大変お世話様になっております。<br>　　先日、元気に楽しんでやっているとはがきが来ました。<br>　　学校からのご配慮、嬉しく思いました。返事を書いてやるようにと<br>　　のお便り、本当にありがとうございます（中略）</p><p><br>　　手紙を書くのは年に何度もないことで、とても良い機会かと思い、<br>　　送らせていただきます。</p><p><br>　　お渡しくださいませ。皆様のあたたかいお気持ち、こんなに心を<br>　　つかってご指導いただいて、何と幸せなことでしょう。<br>　　これからもよろしくお願いいたします。</p><p><br>　　益田ドライビングスクールの皆様のご健康とますますのご発展を<br>　　お祈りしております。ありがとうございました。</p><br><p><font color="#ff0000"><strong>　　■美しい心を育てる</strong></font></p><br><p>　　ゲストの若者たちは、１６日間の合宿で全国から集まった仲間との<br>　　共同生活を行う。そこでの宿泊はできるだけ相部屋を勧めている。</p><p>　　それまでまったく異なった地、異なった環境で生きてきた若者たち。<br>　　当然意見や価値観が異なる。</p><p><br>　　その若者たちがひざを交えて深夜まで話し合い、また人の話を<br>　　聞いていくうちに、他人の存在を認め、その影響を受けていくことで<br>　　自分のそれまでの価値観が変わっていく。</p><p><br>　　助け合ったり、ときにはがまんを強いられたりもして、<br>　　自分自身を再発見したり、それまで無自覚だった自分の幸せに、<br>　　気づくこともある。</p><br><p>　　当たり前のことなのにいままでできなかったあいさつをする、<br>　　タワシでトイレを磨く、校内清掃をする、親と手紙でやりとりをする…</p><p>　　最近の若者は核家族で育ち、兄弟も少ない。</p><p><br>　　家庭では個室が与えられ、共同生活という実感がないままに育って<br>　　いる。ＭＤＳで初めて共同生活を体験し、仲間からたくさんのことを<br>　　学び、確実に変わっていくのだ。</p><br><p>　　仲間同士で、平凡な日常生活の人間関係と異なったきずなが<br>　　生まれている。それゆえ、卒業するときには、仲間との別れのつらさ<br>　　に泣きじゃくる姿が多くみられる。</p><br><p>　　ここでの生活はたった１６日。しかし、若者にとってはとても印象的<br>　　な出来事として、心に深く刻まれていくに違いない。</p><br><p>　　ＭＤＳは、別名を「Ｍｅｎｔａｌ Ｄｅｓｉｇｎ　Ｓｃｈｏｏｌ」<br>　　という。単に車の運転技術を教えるだけではない。メンタルデザイン<br>　　と称して、美しい心を育てることを目指している。</p><br><p>　　若者たちが合宿を通して味わう感動。これこそがＭＤＳの最も<br>　　核をなす教育になっているといえよう。</p><br><p>　　￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣</p><p>　　また、ここを取材したＨＰには、<br>　　以下のような記事が紹介されていました。</p><br><p>　　￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣<br>　<br>　　益田ドライビングスクールの社内報"ＭＤＳＷＡＹ"の１月号が<br>　　送られてきた。<br>　　小河二郎会長の年頭の挨拶、タイトル「世界一のＭＤＳへ」に<br>　　驚きながら読み進める。</p><p><br>　『私たちの目標は、<br>　　お客様にとって最高に楽しいＭＤＳにしようということです。<br>　　昨年、社員の皆さんが自発的に企画、実践した各種イベントは<br>　　大成功で素晴らしいものになりました。<br>　　その成果を踏まえて、私は今年の目標を次の３つにしました。</p><p>　　１、楽しい会社にする<br>　　２、誇れる会社にする<br>　　３、報われる会社にする</p><p>　　そのためにも、ＭＤＳを世界一の会社にしたいと思います。』</p><p><br>　　２０万坪の敷地にすべての機能を網羅した滞在型自動車教習所、<br>　　２００台を越える教習車、教習コース、２輪車専用コース、十棟の宿泊施設<br>　　（総収容定員４００名）、２つのホール、各種教室、茶室、瞑想室、サロン、<br>　　大食堂、喫茶室、ショップ、各種リクリエーション施設が揃っている。</p><br><p>　　教習コース内はガーデン風の樹木が植えてあり、各種施設はコースを取り巻<br>　　く丘に散在し、豊かな樹木、草花で彩られている。そして、教習生を全国か<br>　　ら集めて、合宿１６日間、合格率９５％、短期集中のカリキュラムで、ライ<br>　　センスを取得させると共に「一生無事故のドライバー」を目標に教育してい<br>　　る。結果、一昨年は６３００人、昨年は６６００人と年々卒業生を増やして<br>　　いるのだ。</p><br><p>　　玄関正面の大きな掲示板の真中に、『　Ｍランド　この国のルールは一つ　<br>　　それは「挨拶」　挨拶は自分を変える　世界が変わる　』と書いてある。</p><p>　　私が出会ったのは、きらきらと輝く目、笑顔、大きな声で交わされる挨拶。</p><p>　　応接室で早速いただいたのが２０ドルのＭマネー、封筒には「笑顔と挨拶の<br>　　国Ｍランドへようこそ」と書いてあった。ＭランドではＭマネーしか使えま<br>　　せん。世界１２００都市で使われているエコマネーのＭＤＳバージョンです。</p><br><p>　　滞在中、ＭＤＳの文化活動やボランティア活動に参加した方、教習や検定で<br>　　優秀な成績を獲得された方にはＭマネーを贈呈しますと説明してあった。</p><p>　　お客様に、毎日気持ちよく、楽しく教習を受けていただきたい。という思い<br>　　から全インストラクターが早朝出社して、教習が始まる前に、敷地内、コー<br>　　ス、施設、トイレなどを掃除している。教習生はこの作業に参加すると５－<br>　　１５ドルのＭマネーがいただけるのだ。</p><br><p>　　インストラクターの明るい笑顔と挨拶、毎朝やっている掃除が教習生の心に<br>　　響いて、教習生のボランティア参加となって現れてくるという。</p><br><p>　　いま、日本は自己中心的な欲望に汚染されている。その中にあって、ＭＤＳ<br>　　の教育機能には目を見張る。実践を伴った独特の教育の成果がここにある。</p><p>　　ライセンスを取得するという共通の目的を持った人間群がインストラクター<br>　　との交流に心を動かし、合宿生活の中で友情を深め、「やわらぎ」の心を共<br>　　有していく姿に感動した。</p><p><br></p>
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<pubDate>Sat, 28 Oct 2006 21:53:45 +0900</pubDate>
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