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<title>近代史から本当に学ぶべきこと　嶋根純一</title>
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<description>定年退職後、アマチュア歴史家として国内外を調査旅行している嶋根純一です</description>
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<title>なぜ戦艦は無用の長物になったのか　嶋根純一の分析</title>
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<![CDATA[ <div>戦艦に関する研究は、昔から嶋根純一のライフワークでもありますが、その戦艦、日本海海戦で海戦の主役としての地位を確立したにもかかわらず、そのわずか30年後にはなぜ無用の長物に成り下がったのでしょうか。</div><div>それはいうまでも無く空母と言うものの登場に尽きますが、それでも巡洋艦や駆逐艦に比べれば攻撃力・防御力に優れる戦艦が活躍できない理由がありません。</div><div><br></div><div>実は、戦艦が活躍できなかった最大の理由は、その足の遅さ（速力）にあります。</div><div><br></div><div>空母が中心となった艦隊は「機動部隊」と呼ばれ、空母以外の艦船の役割は空母の護衛に尽きます。</div><div>空母を守る為に存在するわけですから、空母の機動力についていかなくてはなりません。</div><div>艦隊と言うものは、所属する最も遅い艦の速度に併せて整然と進行をするわけですから、もし足の遅い戦艦が艦隊に参加すると、もうそれだけで艦隊全ての機動性が落ちてしまい、作戦行動に支障をきたす事になります。</div><div><br></div><div>このような理由で、戦艦はその役割を失い、代わりに重巡洋艦の中から比較的足の速かった艦船を「高速戦艦」という艦種に区分して、空母の護衛に充てることとなりました。</div><div>そして速力が極めて中途半端で、艦隊同士の砲撃戦を想定して建造された大和や武蔵は、その活躍の場を失い、結果として温存されてしまうこととなったのです。</div><div><br></div><div>日本だけでなく世界で見られた現象ですが、一時代を築いた戦艦の凋落は、やはりどこか寂しいものに思います。</div><br><a href="http://www.cafeblo.com/potdat/" target="" title=""><div>嶋根純一</div></a>
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<pubDate>Tue, 24 Apr 2012 16:49:37 +0900</pubDate>
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<title>日本海海戦が世界の海軍に与えた影響と衝撃　嶋根純一の分析による理解</title>
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<![CDATA[ <div>日本海海戦において、東郷平八郎率いる日本の聨合艦隊は、ロシアのバルチック艦隊を完膚なきまでに撃破しましたが、この戦いが日本海軍と世界の海軍に与えた影響は計り知れないものがありました。</div><div><br></div><div>それまでは、衝角とよばれる体当たり用の武器が軍用艦には設置されており、敵艦に止めを刺すのは体当たり攻撃であるというのが世界の海軍の常識でしたが、日本海海戦以降衝角は設置されること無く、海戦は戦艦の巨大な主砲によって決せられると言うのが常識となりました。</div><div><br></div><div>いわゆる、大艦巨砲主義です。</div><div><br></div><div>大艦巨砲主義が海軍の常識となって以降、世界の海軍は競って大口径大排水量の戦艦の建造を始め、いわゆる建艦競争が起こりました。</div><div>この時代に、有名なドレッドノード級戦艦、いわゆるド級戦艦が作られ、イギリス海軍が世界の海軍を一歩リードしますが、日本とアメリカも負けては居ません。</div><div>日本は相次いで大排水量・大口径の戦艦、扶桑や長門を完成させ、対米戦争に備える事になります。</div><div><br></div><div>しかし、ワシントン海軍軍縮条約で日本の戦艦の保有数が制限されていた事は戦術の通りですが、これに頭を悩ませた日本海軍はついに航空機の可能性に着目。</div><div>秘密裏に空母の開発を進め、鹿児島の錦江湾で真珠湾攻撃を想定した訓練を繰り返して、アメリカを始めとした連合軍の艦船を航空機攻撃だけで撃沈しようと言う野心的な作戦に着手を始めました。</div><div><br></div><div>そして日本が1941年12月に起した真珠湾での航空機攻撃の成果は、新たな教訓となり世界の海軍の常識を変えていく事になるわけです。</div><div>詳細は下記のブログで。<br><a href="http://kitter.at.webry.info/" target="" title="">嶋根純一</a></div><br>
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<pubDate>Mon, 23 Apr 2012 12:11:27 +0900</pubDate>
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<title>条約型戦艦がもたらした日本の戦略への影響　嶋根純一の考察</title>
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<![CDATA[ 1921年から22年にかけて議論され、主に日本とアメリカ、イギリス、フランスの海軍力に制限を掛けようというワシントン海軍軍縮条約。<br>この条約はその後の日本と世界の海軍のあり方に極めて大きな影響を与えました。<br><br>要旨この条約は、対米英に対し日本が保有できる戦艦の数は6割とされ、空母の保有総トン数も制限。<br>但し空母はまだ補助艦の扱いであったことから、日本は対米英で非常に有利な総トン数を保持する事ができました。<br>そして、総トン数1万トン以下の巡洋艦に関しては建造の制限無しというものでした。<br><br>この条約の発効で産まれたのが、いわゆるポケット戦艦。<br>またの名を条約型戦艦とも言われますが、総排水量がギリギリ1万トン以下の巡洋艦に、戦艦並の重武装を施すと言うものでした。<br><br>日本は昔から、その艦船の設計思想がトップヘビーだと言われていましたが、之によって産まれた条約型戦艦は特にトップヘビーで、今にも倒れそうと素人目にも心配されてしまうようなものが多数建造される事になります。<br><br>これが後にとんでもない悲劇を生む事になるのですが、それはまた後日に。<br><a href="http://kingen.exblog.jp/17691755/" target="" title="">嶋根純一</a><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/mickers/entry-11227451880.html</link>
<pubDate>Thu, 19 Apr 2012 17:35:38 +0900</pubDate>
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<title>ミッドウェー海戦の敗戦に対する嶋根純一の理解</title>
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<![CDATA[ 私、嶋根純一にとっても大きなテーマですが、太平洋戦争の帰趨を大きく変えたといっても過言ではない戦いが1942年6月に勃発しました。<br>日米の空母機動部隊同士が激突した、ミッドウェー海戦です。<br><br>ミッドウェー海戦では、日本の空母機動部隊所属の4隻の空母、すなわち赤城、加賀、蒼龍、飛龍の、真珠湾攻撃以来の武勲艦4隻が撃沈、歴戦のパイロットも多くが命を落としました。<br><br>アメリカ軍空母を誘出し、これを一気に叩く目的であった日本海軍は、全く逆の戦果をアメリカ側に与えてしまったわけです。<br><br>本海戦における勝負の帰趨は、一体どこで別れたのでしょうか。<br>策敵の失敗、地上攻撃用の爆弾から艦船攻撃用の航空魚雷への兵装転換、デュアル・パーパスと呼ばれる二重の目的性という戦術上の禁忌を犯したこと・・・<br>様々に上げられますし、そもそもなぜ砲術畑の南雲中将が機動部隊の指揮を執るのかという批判もあります。<br>その全てがもっともであると思いますが、詳細は以下で。<br><a href="http://blog.goo.ne.jp/raxia" target="" title="">嶋根純一</a><br>
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<pubDate>Tue, 17 Apr 2012 14:37:43 +0900</pubDate>
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<title>太平洋戦争終結に至る過程に対する嶋根純一の考え方</title>
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<![CDATA[ 意外に知られていない事実ですが、ポツダム宣言を受け入れる昭和天皇のいわゆる「玉音放送」は、生放送ではありません。<br>数日前にレコード録音されたもので、これを8月15日にＮＨＫが放送するべく、時の鈴木内閣が手配をしたものです。<br><br>この動きを察知した日本陸軍の戦争継続を強硬に主張するグループは、8月15日当日に皇居を始めとしたこの「玉音レコード」のありかを求め東京中の関係先を襲撃。<br>ＮＨＫや鈴木貫太郎私邸、宮内庁は当然のように襲撃しメチャメチャに破壊をしましたが、あろう事かこの一派は皇居にも侵入して昭和天皇の身辺を襲撃、破壊をするという驚くべき行動に出ます。<br><br>もはや東京は内戦状態に陥ったと言っても過言ではない状態になりました。<br><br>このような中、ＮＨＫは予定通り玉音放送の実施に成功。<br>戦争継続派は刀を納め敗戦を受け入れる事になりましたが、この、皇居が襲撃を受けるというありうべからざる事態は長くタブー視され、問題として扱われる事はほとんどありませんでした。<br><br>玉音放送後は陸軍大臣の阿南惟幾を始めとした陸海軍の幹部が次々と自決、あるいはアメリカ艦船への特攻を仕掛け、混乱は最高潮に達しました。<br><br>ロシア国境にある、北方の占守島では火事場泥棒的に日本に進撃を始めたロシア軍と、占守島守備隊の間で本格的な戦闘も発生。<br>日本陸軍の一式戦車が実戦で活躍するなど、もはや誰がどのように軍の統制を取っているのかすらややこしいと言う状態に陥ります。<br><br>しかし、このような混乱も1週間ほどで収まり、日本は本格的に降伏。<br>1945年9月2日には、戦艦ミズーリの艦上で日本の全権代表は降伏文書に署名をして、無条件降伏が成立しました。<br><br>このあたりの混乱振りはどれほどのものかと思いますが、かつて「にっぽんの一番長い日」で映画化をされており、良く出来た映画としての評価が定着しています。<br>興味があればぜひ一度、レンタルビデオ屋さんで検索してみてください。<br><br>嶋根純一<br><a href="http://kitter.at.webry.info/" target="_blank">http://kitter.at.webry.info/</a>
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<pubDate>Fri, 06 Apr 2012 14:32:51 +0900</pubDate>
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<title>日本海軍の組織的欠陥に対する嶋根純一の考え方</title>
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<![CDATA[ 日本海軍という組織は、実に不思議な組織であったように嶋根純一は考えています。<br>明治維新と共に急ごしらえで作られた海軍は、まず経験した大戦は日清戦争でした。<br>しかもその日清戦争においては、海戦の決め手である戦艦を、清は２隻も保有していたのに日本は０隻。<br>大型の巡洋艦も清のほうが多く保有し、火力では圧倒的に清が日本側を上回っていました。<br><br>この事態に日本海軍が採用した戦法はとてもユニークでした。<br>大きな砲門に欠ける日本海軍は、快速の軽巡洋艦に速射砲を積み込み、一気に敵に肉薄。<br>最初から敵の戦艦を撃沈させる事を狙うのではなく、艦上建築物を破壊して大火災を起させ、戦艦や巡洋艦の機能を奪うと言うことを、作戦目標に据えたのです。<br><br>この結果清の海軍は、大きな砲も無用の長物と化し艦上はめちゃめちゃに破壊され、沈没こそしないものの戦闘能力を喪失すると言う事態に追い込まれました。<br><br>後に日本海軍は、空母の手中運用による航空機の破壊力の凄まじさを世界に先駆けて証明するなど、海戦史上に何度もパラダイムシフトを起すような、世界の軍事組織の中では非常に柔軟な事が可能な組織であったとも、解釈する事ができるでしょう。<br><br>しかし一方で、軍人の出世は海軍士官学校・海軍大学の卒業年次・成績によってほぼ全てが決定され、軍歴に応じた出世が考慮される事はかなり稀でした。<br>作戦単位でも、司令官は卒業年次・卒業成績順に決定をされるという相当硬直した組織であり、失敗が許されない風土はまさに閉鎖的で、その最大の膿が出たのがミッドウェー海戦敗退後の戦後処理であり、台湾沖航空戦における戦果捏造でした。<br><br>特に台湾沖航空戦の後に採られた戦果の捏造は、海軍内部だけでなく陸軍をすら欺き、天皇陛下すら欺くと言う悪質極まりない行為で、大いに批判されるべき行為であったといえます。<br>日本海軍という栄光の組織は、一方でこのような組織的欠陥をも抱えていた事実。<br>大事な将来への遺訓として、捉える必要があると思います。<br><br><a href="http://rangit.seesaa.net/" target="_blank">http://rangit.seesaa.net/</a>
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<link>https://ameblo.jp/mickers/entry-11214364894.html</link>
<pubDate>Thu, 05 Apr 2012 15:36:27 +0900</pubDate>
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<title>日本は本当に大艦巨砲主義に陥ってたのか－嶋根純一の考察</title>
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<![CDATA[ 良く日本海軍が語られるときに、「日本は大艦巨砲主義に陥り、時代の流れについていけず負けた」と評価をする人が居ます。<br>私も、歴史の授業では決まってこのように教えられたものです。<br>しかしながらこれは歴史的に正しい理解と言えるのでしょうか。<br><br>まず、日本が空母の導入に積極的であったのかどうかの国際比較をしたいと思います。<br>日本が正規空母の建造に着手をしたのは第一次世界大戦の翌年の1919年。<br>同年にイギリスが世界で初めて正規空母の建造に着手をしていますから、世界で2番目に早く、空母と言う存在の有効性を認め、建造に着手をしています。<br>そしてこの時建造に着手された空母、鳳翔は世界で最も早く完成し、実戦配備をされました。<br>実は日本は、世界で初めて空母を実戦投入した国なのです。<br><br>次に戦艦にこだわり続けたのか、という考察です。<br>日本は開戦の翌年、ミッドウェー海戦に敗れた1942年に、建造中の戦艦「信濃」の建造を中止し、これを空母に改装工事を行いました。<br>この時以降、日本は戦艦を作った事実はなく、戦艦にこだわっていた形跡は見当たりません。<br>では、国際状況はどうかというと、アメリカは実に、第二次世界大戦中はもちろん、大戦終了後の1948年まで戦艦を建造し続けました。<br>しかしこれは、世界的に見て特別なことではありません。<br>世界の常識が、まだそうであった為です。<br><br>いつの頃からか誰が言い出したのか。<br>日本は大艦巨砲主義に陥り、正しい情勢把握もできない馬鹿だったという評価。<br>現実には全くそのような事はなく、むしろ世界で初めて空母の集中運用を実戦で行い、連合国側に航空攻撃による多大な損害を与えたのは日本だったわけですが、なぜ、誰が、何の目的でこのような評価を学校の教育現場で定着させようとしたのか。<br><a href="http://www.cafeblo.com/potdat/" target="_blank">嶋根純一</a>には本当に不思議な気がします。
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<pubDate>Fri, 23 Mar 2012 12:56:22 +0900</pubDate>
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<title>児玉源太郎という男に対する嶋根純一の理解</title>
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<![CDATA[ さて、みなさんは児玉源太郎という、明治日本が生んだ偉人をご存知でしょうか。<br>児玉源太郎は江戸時代の末期、末輩の武家の家に生を受けた下級武士でした。<br>その後明治維新では新政府側として戊辰戦争にも参加、この時はわずか10名程度の部下を預かる半隊長という立場でした。<br>しかし、戊辰戦争で頭角を現した児玉源太郎は見る見るうちに出世し、日清戦争の頃には帰還した兵士の検疫を行うという、かつて日本が経験したこともないような大事業を成し遂げました。<br><br>その後、日露戦争の頃までには内務大臣や台湾総督を歴任、陸軍大将として日本の頭脳とも言える存在になっていた児玉源太郎は、ついに勃発した日露戦争で、大山巌総大将の参謀総長を務め、満州の平野でロシア軍を迎え撃ちました。<br><br>世界の大方の予想を覆して、日露戦争の満州平野における戦争の推移は日本が連戦連勝を収め、世界を驚かせます。<br>ただ、ロシアは伝統的に戦略的撤退を繰り返し、敵を内地に引き込んだ上で包囲・殲滅する戦争スタイルが確立していましたので、日本はその物資の不足も手伝って、深追いをするわけにはいきませんでした。<br><br>しかし、そのような注意を払いながらも203高地を陥落させ、旅順要塞を降伏せしめ、ついに旅順艦隊を殲滅させる事に成功した、源太郎率いる満州軍は、返す刀で北上、いよいよ3月15日、中国奉天でロシア軍と最後の正面激突を行います。<br><br>そして激しい戦闘の末、日本陸軍はロシア軍を撃破、ついにロシア軍は奉天からも撤退をしました。<br>その後行われた5月27日の日本海海戦では、さらに世界驚かせる出来事が起こります。<br><br>東郷平八郎率いる日本海軍の連合艦隊は、ロジェストヴェンスキー率いるロシアのバルチック艦隊を完全に撃破、ほぼ全ての戦艦、巡洋艦以下の艦船を撃沈しました。<br>一方で、日本側の損害は水雷艇数隻という、ありえないほどの軽微なものでした。<br><br>この海戦では、一斉打ち方など、世界の海戦の常識を打ち破る多くのパラダイムシフトが起こり、これ以降世界の海軍は、「海戦の勝敗は戦艦が決める」という常識に席巻され、大艦巨砲主義の時代に突入する事になります。<br><br>一方の児玉は、その後総理大臣への就任が確実視されている中で、日露戦争終結の数年後に病死。<br>一説には毒殺説もあるほど、既に多くの権力を握っていた源太郎でしたが、地に足が付いたリアリストでもあった源太郎の死は、その後の日本陸軍の暴走に一助を与えてしまったかもしれません。<br><br>決まり文句ですが、彼がもう少し長生きしていれば、という気がしてならない<a href="http://kingen.exblog.jp/17523576/" target="_blank">嶋根純一</a>です。
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<pubDate>Fri, 16 Mar 2012 18:10:16 +0900</pubDate>
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<title>初めまして、ブログ始めました</title>
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<![CDATA[ アマチュア歴史家の嶋根純一と言います。<br>初めまして。<br>主に近現代の歴史や歴史教育に関してのブログにしていこうと思っています。<br>どうぞ宜しくお願いします。
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<pubDate>Wed, 14 Mar 2012 15:35:50 +0900</pubDate>
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