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<title>山屋の一日</title>
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<description>お訪ねくださりありがとうございます。「下ノ畑ニ居リマス」</description>
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<title>夢の中の夢</title>
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<![CDATA[ <div class="wiki"><h3><a name="section-1"></a><span style="font-weight:bold;"><span style="background-color:#e3c7ff;">夢の中の夢</span></span></h3></div><p>&nbsp;</p><div class="wiki">夢の中で夢をみることはあるのだろうか。</div><div class="wiki">夢をみている私が夢をみる。</div><div class="wiki"><br>ある日の夜、傍らに誰かが横たわっていた。床の上にのっぺりとした姿が、</div><div class="wiki">だらしなく首をもたげこちらを見ていた。<br>輪郭に見覚えのある人だった。・・・たぶん、あれは、あの人だろう。</div><div class="wiki">暗闇の中の一瞬の気配だったが、すぐにそれとわかった。</div><div class="wiki">それがそうだとしても、あの人の確かなことは何もわからなかった。<br>能面のように表情のない強い視線だけがこちらに向けられたままだった。</div><p>&nbsp;</p><div class="wiki">私は、特に動揺して、うろたえることもなく、ただ、投げ掛けられてくる視線に</div><div class="wiki">目を合わせていた。</div><div class="wiki">夢の中の私は、倒れている誰かを慮り（おもんばかり）救いの手を差し伸べることも</div><div class="wiki">無かった。その辺りの部屋の空気は淀んで、モノクロの風景写真の中に浸っているかのように、音も無く静かな呼吸が繰り返されていた。</div><p>&nbsp;</p><div class="wiki"><img alt="イメージ 1" class="popup_img_302_169" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20190822/13/mickey5462/9f/a1/j/o0302016914546845410.jpg">　＜E.A.ポー/G.ドレ画「大鴉」より＞</div><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><div class="wiki">漆黒の闇の中に、細く白い指が見えたように思った。それは、血の通っていない、</div><div class="wiki">たぶん体温が感じられない人の手のように思えた。<br>夢の中の私は、それを確かめようとしたのか、右手を伸ばしその細く白い指に触れ</div><div class="wiki">ようとしてみた。もう少しで指に触れるかと思うと、微妙な間隔を残して届かない。</div><div class="wiki">再び手を伸ばして試してみるが、やはり届かない。何度試してみても、決して、</div><div class="wiki">闇の中の細く白い指に届くことはなかった。</div><p>&nbsp;</p><div class="wiki">暗闇の中で眼をあけ、辺りを見回してみると、毎日繰り返される仕事場の風景の中に</div><div class="wiki">私がいた。<br>いつものように他愛のない揉め事を解決して、帰り支度をしながら着替えている</div><div class="wiki">ところだった。すると、目の前に通勤電車が音も無く滑り込んできたではないか。<br>私はいたって冷静で、何事もないかのようにゆっくりとした仕草で着替えを続けて</div><div class="wiki">いる。そして、いつものように混雑したホームにいる乗客はいそいそとドアの向こ</div><div class="wiki">うに平然と乗り込んでゆく。<br>車内は静かで誰もがこちらを向いて私の方を見つめている。<br>ようやく着替えを済ませると、急ぐ様子も無く閉まりかけたドアをすり抜けて</div><div class="wiki">車内に消えてゆく。<br>『座れないな』と思いながら、一日の様々な出来事を何度も想い出しては忘れて。<br>私の隣の座席に、君が、ぴょこんと座ったような気がしたのだけれど、それは</div><div class="wiki">気のせいだったのだろうか。<br>私は家に帰るのだけれど、君は何処へ行くのだろうか。</div><div class="wiki">電車は次の駅には止まらなかった。<br>いつまでたっても、電車はどこの駅にも止まることはなかった。</div><p>&nbsp;</p><p>電車は揺れることも無く、走っているのだろうけれど音も聞こえない。</p><p>車内の知らない人達の間にいることが快く思われ、いろいろなもの事が走馬灯の</p><p>ように繰り出してきては回り巡っていた。<br>君のだらしなく首を擡げた態度も眼に浮かび、不思議にそのことに落胆することも</p><p>なく、いつまでも同じような風景を眺めていた。夢の映像は次第にしぼんでゆき、</p><p>それ以上、夢は続いていくことはなかった。</p><p>&nbsp;</p><div class="wiki">無表情の意味も、強く投げかけてくる視線の意味も、今になると、なんだかわかる</div><div class="wiki">ような気がした。だから何事もそれより先に進むことは無かった。</div><div class="wiki">夢の中で見た夢の記憶もそれで途切れてしまった。<br>ついに、君は、夢の中でも警戒心を解き放つことはしなかった。</div><div class="wiki">何処にでもいるような「赤の他人」から、気心の知れた「見慣れた他人」になる</div><div class="wiki">ことは、絶対に不可能だった。<br>強い防御システムと有刺鉄線のバリアで雁字搦めになっている、まるで無表情な</div><div class="wiki">サイボーグのように思われた。</div><p>&nbsp;</p><div class="wiki">人というものは、繰り返し接触すると好意を持ちやすくなるらしいが、果たして</div><div class="wiki">そんなことはあるのか。<br>いつの日にか、ザイアンスの法則は効力を現すことがあるのだろうか・・・。</div><div class="wiki">そのような人の習性など信じられるだろうか。</div><div class="wiki">一歩でも親密になるには、積極的に人前に出て、もっと自分の存在を認識させる</div><div class="wiki">必要があったのではないか。</div><div class="wiki">いつものようにさりげなく出会うことがなければ、親密さはたちまち減衰して</div><div class="wiki">ゆくことになるのだろうから。</div><p>&nbsp;</p><p>それにしても、私も君も、何をどう判断して、どのように行動しているのか。<br>食べ物の好みや服の色や形も、君という人物のことも。ひょっとすると、風前の灯</p><div class="wiki">みたいな記憶の欠片と塵芥のような情報から咄嗟に判断して決めているのではないか。それはとりもなおさず、生存競争を勝ち抜くため、食うか食われるかの弱肉強食の太古の記憶から身についた人間の習性機能なのだろう。<br>夢の中で君が差し出した白い指と私の指の間には、途轍もない時間が流れているのかもしれない。</div><p>&nbsp;</p><div class="wiki">今ある情報からすぐさま行動に結びつける、直感による動作、それはまさに環境に対する適応力だろう。</div><div class="wiki">静寂と漆黒の闇の中の指と指の数ミリの狭間には、気の遠くなるような時間が流れ去り、暗黒の宇宙へと繋がっているのだ。<br>結局のところ、直感によって行動することは叶わなかったのだから、環境に対する適応力のなさは、手を離せばたちまち宇宙の彼方へふっ飛んでいってしまう。</div><p>&nbsp;</p><div class="wiki">やがて、ぶつぶつに途切れた夢は覚めた。<br>覚めた夢の中でお互いに確かめ合う言葉も無くなって、君の姿も、自分も、いつの間にか見えなくなった。物音一つしない真空の異様な空間の中に、いつまでも留まっているのがわかった。</div><div class="wiki">時間のない世界というものがあるとすれば、きっとこんな風景なのかもしれない</div><div class="wiki">と思った。うつろな眼に映っていたのは、漆黒の闇の中に誰かの顔がぽっかりと浮かんでいる光景だった。</div><div class="wiki"><br>夢は、いつ終わるのか。<br>始まりと終わりのない芝居なのだとしても、「夢の中の夢」は、もう一度覚めなければならなかった。</div><p>&nbsp;</p>
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<pubDate>Fri, 04 Jan 2019 22:02:01 +0900</pubDate>
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<title>蓼科山</title>
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<![CDATA[ <div class="wiki"><h3><a name="section-1"></a>　　　　 <span style="font-weight:bold;"><span style="background-color:#fff3c3;">蓼科山 　</span></span>　　　　　　　　　　　　　　　　　　2018.10.9　　</h3></div><p>&nbsp;</p><div class="wiki"><div class="indent">大河原峠　－－－　将軍平　－－－ 蓼科山荘 －－－　蓼科山頂ヒュッテ　－－－</div><div class="indent">蓼科山頂－－－奥宮－－－蓼科山荘－－－　天祥寺原－－－　亀甲池－－－</div><div class="indent">双子池－－－双子山　－－－大河原峠<br><br>&nbsp;</div>これほど心がざわついた事もめずらしい。<br>蓼科山に向かうことは、仕舞っておいた玉手箱を開けてみるようだった。<br>少年の頃、八子ヶ峰の尾根道を歩いて行った時、終始寄り添うように蓼科山の姿が</div><div class="wiki">あった。<br>見上げた蓼科山の何処かの辺りから聞こえてきた「今度はこちらへいらっしゃい」という</div><div class="wiki">囁きに誘われて、ようやく瞼の裏側に残っていたこの山を訪ねて行く。</div><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><div class="wiki">白樺湖側から登るか、佐久側から登るか、または山中に一泊してゆっくりと楽しむことに</div><div class="wiki">するか。麓か頂上小屋か、日の出、夕焼けは見たいのか・・・思案した挙句、荷物は山中</div><div class="wiki">に一泊するつもりで用意することにした。<br>最後の山歩きからもう何年になるのだろうか。そもそも歩けるのか、日頃の体力訓練も</div><div class="wiki">してはいない。それにもまして天候が安定しない。６月の梅雨明けから酷暑となり、台風が</div><div class="wiki">次々にやってきた。<br>今年の夏の天候は荒れ模様で、とりあえず、山仕度を済ませたものの出鼻を挫かれては</div><div class="wiki">今度は何日に出発するかと延期を繰り返していた。</div><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><div class="wiki"><img alt="イメージ 1" class="popup_img_302_226" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20190822/13/mickey5462/a6/22/j/o0302022614546845387.jpg"> ＜蓼科山頂から懐かしい八子ケ峰を見下ろす＞</div><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><div class="wiki">ようやく台風の襲来が収まったのは１０月に入ってからだった。コースは、蓼科山を</div><div class="wiki">一回りする池巡りのコースにした。こんなに長い間、山登りから遠ざかっていて</div><div class="wiki">この山道を歩けるのか、そんな想いが沸々と湧き出していた。<br>大河原峠には大河原峠ヒュッテがあり、登山基地としては便利だろう。ここに宿泊を</div><div class="wiki">するコースを考えていたが小屋番が常時いるとは限らず蓼科の小屋は予約が必要</div><div class="wiki">に思われる。</div><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><div class="wiki">大河原峠からは山荘の脇を抜けて前掛山の稜線に登ってゆく。</div><div class="wiki">蓼科山は、さらにその向こう側に聳えている。鳥の声すらしない、静かな朝だった。</div><div class="wiki">コンパスと地図で蓼科山の方角を定めるものの、コンパスの使い方すら覚束なく</div><div class="wiki">なっていた。鬱蒼とした樹林帯を上りきった佐久の最高地点付近は、度重なる</div><div class="wiki">台風にみまわれたせいか、倒木が多く見られた。</div><div class="wiki">倒木はやがて朽ち、陽が差し込むようになった倒木の跡には新しい生命が芽生える。</div><div class="wiki">そうして其処は、また別の風景になる。</div><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><div class="wiki"><img alt="イメージ 2" class="popup_img_302_226" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20190822/13/mickey5462/95/1a/j/o0302022614546845393.jpg"> ＜天祥寺原＞</div><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><div class="wiki">森林限界を過ぎ、ひと登りすると蓼科山頂ヒュッテが見える。ここで少し早い昼食</div><div class="wiki">にした。ここがたぶん深田久弥が日本百名山で「山頂に小屋ができるそうだ」と</div><div class="wiki">書かれていた小屋なのではないかと想いを馳せてみた。<br>ここが山頂だと思って寛いでいたところ、誰もここで休憩することなく通り過ぎてゆく。<br>溶岩のゴロゴロした岩石の中に奥宮があった。鳥居のある小さな祠で私がリュック</div><div class="wiki">を下ろすと同時にその場に到着した青年が自分のリュックを下ろした。</div><div class="wiki">偶然の同じ仕草に気恥ずかしい微笑ましさを感じる程だった。<br>私は、その青年に下ろしたリュックから一粒の飴を差し上げた。<br>「そろそろ何か口にしようと思っていたところです。」飴を受け取るとすぐに口に入れた。<br>私は、薬師岳へ登る尾根道で貰った一粒の飴のことを想い出していたのかもしれない。</div><div class="wiki">今度は私がそうした。<br>威勢のいいこの青年にかつての自分をみているような気がしていた。</div><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><div class="wiki">蓼科山頂からは、懐かしい八子ケ峰が眼下に尾根筋を伸ばし、あの頃の思い出の</div><div class="wiki">山道を辿っていけるように思えた。<br>この青年とは、山頂から降りる大岩の上で再び出会った。「ここは南面ですか？」と</div><div class="wiki">訪ねられた。<br>私も気づかず、「あっ、あの時の方ですね・・・」とお互い顔を見合わせてしまった。<br>登り降りに使う尾根道が南面か北面かにより、日当たりや風の吹き曝しに会うなど</div><div class="wiki">重要な要素だ。蓼科山荘からは天祥寺原へのルートをとり、岩石だらけのガレ場を</div><div class="wiki">何度も越えながら降りていった。</div><div class="wiki">傾斜が緩やかになった頃、別天地のような天祥寺原に着いた。</div><div class="wiki">唐松林の上に蓼科山が大きく聳え、誰もいない天祥寺原は静かで桃源郷にいる</div><div class="wiki">心地がした。</div><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><div class="wiki"><img alt="イメージ 3" class="popup_img_302_226" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20190822/13/mickey5462/c0/47/j/o0302022614546845399.jpg">　＜紅葉の始まった双子池＞</div><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><div class="wiki">なかなか到着しなかった双子池。行けども行けども見えてこない双子池だった。</div><div class="wiki">しかもひと山向こう側へ登って行くのだ。<br>木立の中の奥の方にみえてきたのは、亀甲池だった。水嵩が増えているようで、</div><div class="wiki">周囲を巡る山道は隠れて沈んでいた。そろそろ紅葉の始まった静かな湖畔に</div><div class="wiki">独りぼっちで重くなった足の先を気にかけていた。</div><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><div class="wiki">双子池はまた更にひと山超えていくようなのだ。<br>なかなか着かない双子池への途中、苔生した森の中であの青年と出会った。<br>「今日は三度目ですね。」と言われ、私は三度目だったか、記憶になかった。<br>青年は、私とは逆周りでビーナスラインの登山口に戻るのだと言ってお別れした。</div><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><div class="wiki">もしかすると、私を今頃蓼科山に誘ったのは、蓼科山に住んでいるという</div><div class="wiki">”ビジンサマ”という妖怪だったのかもしれない。蓼科山の妖怪は、黒い雲の球に</div><div class="wiki">なって空を飛び、私のところへやってきて蓼科山へと誘ってくれた。</div><div class="wiki">赤や青の裃のようなものが垂れ下がっている妖怪の姿は不気味だが、蓼科の</div><div class="wiki">すばらしい景色と大昔の想い出に浸ることができ、”ビジンサマ”という山の神様に</div><div class="wiki">心から感謝して、山屋の一日を終えた。</div><p>&nbsp;</p>
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<pubDate>Mon, 31 Dec 2018 16:23:32 +0900</pubDate>
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<title>心の旅路　蓼科の山々</title>
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<![CDATA[ <div class="wiki"><h3><a name="section-1"></a><span style="background-color:#d9ffa2;">　　　　</span><span style="font-weight:bold;"><span style="background-color:#d9ffa2;">心の旅路　 蓼科の山々</span></span><span style="background-color:#d9ffa2;"> 　　　　　　　　</span><span style="font-size:0.7em;"><span style="background-color:#d9ffa2;">2018.11.11</span></span><span style="background-color:#d9ffa2;">　　</span></h3></div><p>&nbsp;</p><div class="wiki">＜忘れかけていた山旅のタイムカプセル＞</div><p>&nbsp;</p><div class="wiki">いつか行った懐かしい山々。その朧げな想い出は、かつての山旅のタイム</div><div class="wiki">カプセルの中から蘇ってきた。</div><div class="wiki">その中でも蓼科山は、いつも心の何処かにあって故郷の山のように私の心を</div><div class="wiki">いつまでも繋ぎ止めてくれていたようだ。</div><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><div class="wiki">「ふるさとの山に向かひて言うことなし　ふるさとの山はありがたきかな」<br>そうだ、石川啄木の『一握の砂』のように。</div><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><div class="wiki"><img alt="イメージ 1" class="popup_img_302_226" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20190822/13/mickey5462/d7/a1/j/o0302022614546845369.jpg"></div><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><div class="wiki">今までに私は、蓼科高原を三度訪れている。<br>初めて訪れたのは、中学３年の夏休みのことで、新宿から夜行列車に乗って</div><div class="wiki">夜明けに茅野から蓼科に入ったのだった。</div><div class="wiki">カーキ色のキスリングザックに、寝袋、テント一式を担いで初めてのキャンブ</div><div class="wiki">計画だった。そのうちの一日を登山ルートに選んだのが、八子ヶ峰から白樺湖</div><div class="wiki">への山道だった。</div><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><div class="wiki">途中、長く山裾を広げた憧れの八ケ岳を望み、八子ヶ峰の尾根道に乱舞する</div><div class="wiki">アキアカネの大群の中を観光客で賑わう白樺湖を目指して、たおやかな稜線の</div><div class="wiki">尾根道を往復した。<br>山頂らしきものがない八子ヶ峰(1834m)の尾根道は秋の気配が漂い、明るく</div><div class="wiki">のびやかな展望が開け、すぐ隣にあるなだらかな山容の蓼科山を思う存分眺めて</div><div class="wiki">いられた。<br>尾根道には、王様のベットのような大きな岩があったり、椅子の形をした石の</div><div class="wiki">ベンチがでてきたり、興味深く飽きずに歩ける山道だった。</div><p>&nbsp;</p><div class="wiki">二度目の蓼科高原は、こんな山旅だった。<br>夏合宿を終えた帰り道に寄り道を企て、霧ヶ峰の沢渡から車山に登り、</div><div class="wiki">見渡す限りの草原を八島湿原へと向かっていったのだった。</div><div class="wiki">山歩きにしてはあまりにも軽装備で、はずかしいくらいだった。</div><div class="wiki">道すがら、偶然お会いした二人連れのお嬢さんと二言三言何かを会話し、</div><div class="wiki">一緒に到着した和田峠でお互い反対方向へと山を降りていった。</div><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><div class="wiki">和田峠という佐久と諏訪を結ぶ薄暗い峠道で、麓に降りるバスを待っていた。<br>峠の向こうとこちらのバス停で、どちらのバスが先に来たのかも覚えていない。</div><div class="wiki">果たして「さようなら」と言ったのか。ただ、二人連れのお嬢さんを見送った</div><div class="wiki">だけなのかもしれない。</div><div class="wiki">心残りがあったのか、若輩の青年ながらに人の運命というものの”儚さ”を</div><div class="wiki">この時、微かに感じ取ったのかもしれない。<br>霧が峰や蓼科の高原は遊ぶ山であるとともに、山の醍醐味とは別に、</div><div class="wiki">物思いに耽り、何かもうひとつ自分の心と遊ぶことの出来る山々であると思う。</div><p>&nbsp;</p><p>そして、三度目に蓼科高原を訪れたことを忘れかけていた。<br>やはり、夏合宿に参加するついでに、翌朝上諏訪に到着する最終の夜行列車に</p><p>乗り、上諏訪からバスで霧ヶ峰へ上がっている。沢渡からヒュッテジャペルを</p><p>通り、緩やかな起伏を繰り返す車山のなだらかな山頂に佇み、薄紫の松虫草の</p><p>季節を思う存分感じ取った。</p><p>そこから白樺湖まで下って、当時５年前に訪れた思い出の山道となった、</p><div class="wiki">八子ヶ峰への道を辿っている。</div><p>&nbsp;</p><div class="wiki">八子ヶ峰へ登るリフト沿いに古い記憶を呼び覚ましながら高原の山道を歩いた。<br>眼前にたおやかな蓼科山が裾野をのびやかに広げ、</div><div class="wiki">まるで「今度はこちらへいらっしゃい」</div><div class="wiki">と言っているかのように私の目に映ったのだった。<br>八子ヶ峰の尾根筋にはあの時と同じようにアキアカネが飛びかい、ごつごつした</div><div class="wiki">八ヶ岳の山並みがいつも私の傍に寄り添ってくれて、空の色も、風の匂いも</div><div class="wiki">そのままだった。</div><div class="wiki"><br>尾根筋にあった大岩の王様のベットや石の椅子は健在で、しばらく懐かしい</div><div class="wiki">石の上に座ったり、寝そべったりしていた。<br>当時、色とりどりのテントが張られていた大滝キャンプ場に立ち寄って、当時の</div><div class="wiki">ことを想い出している。<br>この時は、時節も9月に入りキャンプシーズンも終わって、懐かしいキャンプ場は、</div><div class="wiki">「あの日の賑やかな声がどこからか聞こえてくるようでもあった」と記している。</div><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><div class="wiki"><img alt="イメージ 2" class="popup_img_302_226" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20190822/13/mickey5462/c5/d8/j/o0302022614546845377.jpg"> 天祥寺原から蓼科山を望む</div><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><div class="wiki">＜蓼科山の”聞こえざる声”＞</div><p>&nbsp;</p><div class="wiki">私は、三度の蓼科高原への山旅のことをすっかり忘れていた。<br>今、自分のブログを読み返してみて、過去の記録から忘れかけていた山旅の</div><div class="wiki">記憶を蘇えらせることができた。<br>そして今回の山旅は、まさに古い記憶の中にあった蓼科山からのいざないの</div><div class="wiki">山旅だった。</div><div class="wiki"><br>少年の頃、嬉々として八子ヶ峰の尾根道を歩いて行ったその時、何処から</div><div class="wiki">ともなく聞こえてきた「今度はこちらへいらっしゃい」という囁きに誘われて、</div><div class="wiki">ようやく、今回、蓼科の地を訪れ叶えることができた。<br>何処からか聞こえてきた蓼科山の”聞こえざる声”に応えようと思ったのだろう</div><div class="wiki">と思う。<br>思い起こせば、なんと、あれから４８年の歳月が流れてしまった。</div><p>&nbsp;</p><p>関連ブログ</p><div class="wiki">蓼科　親湯から八子ヶ峰'''　<br>霧ヶ峰から和田峠'''　<br>霧ヶ峰から白樺湖・八子ヶ峰へ'''　</div>
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<pubDate>Thu, 11 Oct 2018 20:52:25 +0900</pubDate>
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<title>熊の巣穴から（その17)　熊の巣穴のエピクテトス</title>
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<![CDATA[ <div class="wiki"><h3><a name="section-1"></a><span style="font-weight:bold;"><span style="background-color:#fff3c3;">熊の巣穴から　　（その17)　―熊の巣穴のエピクテトス―　　</span></span></h3></div><p>&nbsp;</p><div class="wiki">＜腐敗する魂＞<br>熊の巣穴に一条の光が差したように思えたのだが、気のせいだったのだろうか。<br>私は暫くの間、外の世界を見ていない。<br>雨が降っているのか、晴れているのか、それも知らない。<br>熊の巣穴にいれば、外界を感知することはない。だから雨降りを嘆くこともない。<br>雨滴を止めることも、雲の動きも風の動きも、どうにもならず、なんともし難い</div><div class="wiki">ことではないか。</div><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><div class="wiki">独り悶々と暗闇の中にいる私の前に突然現れたのは、エピクテトスだった。<br>エピクテトスは、今から二千年以上も前の古代ローマ時代を生きた哲人だ。</div><div class="wiki">無論、私は彼を知る由も無い。<br>身分は奴隷で、暮らしは赤貧洗うが如し。横暴な主人から虐待され生涯不具者</div><div class="wiki">であったという。持ち物は、腰掛、枕、ランプだけ。そのランプさえ何者かに奪われ</div><div class="wiki">てしまう。<br>「自分に余りに不釣合いな鉄製のランプを買って来たから盗まれたのだ。」と</div><div class="wiki">自らを諭す。<br>二千年以上も前にも苦悩する人がいたのかと思うと、一体全体、人間とは</div><div class="wiki">何かと思ってしまう。そして、その人の言葉だけが今の世に伝えられている。</div><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><div class="wiki">「何事も大事なことは、突如として生ずるものではない、一房の葡萄や一個の</div><div class="wiki">無花果の場合でもそのとおりである。もし君が今私に、『無花果がほしい』と</div><div class="wiki">いうならば、私は君に、『そのための時間が必要だ』と答えよう。</div><div class="wiki">まず花を咲かせるがいい、つぎに実を結ばせるがいい、それから熟れさせるがいい。<br>無花果の実は、突如として、そして一時間のうちにできあがらないのに、</div><div class="wiki">君は人間の心の実を、そんなに短時間に、やすやすと所有したいのか。</div><div class="wiki">私は君にいうが、それは期待しない方がいい」</div><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><div class="wiki">そして、エピクテトスはこう言うに違いない。<br>「いくらでも悩むといい。そのうちわかるだろう。」<br>こうして悩んでいるうちに陽が暮れ、一日が終わった。<br>何千年も何万年も人は人である限り悩んで生きてゆく。</div><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><div class="wiki">熊の巣穴に暮らしていると喜びを忘れてしまう。得体の知れぬ怒りが全身を</div><div class="wiki">覆っているではないか。その息苦しさは何処から生じて来るのか、脳内の</div><div class="wiki">扁桃体が何かに怒りを感じて息巻いているのか、兎にも角にも、熊の巣穴に</div><div class="wiki">じっとして居れば、怒りを覚えることもないのではないか。<br>『それは、怒りが収まった時に考えよ。』エピクテトスならばこう言うに決まっている。<br>確かに、人の心は変えられない。</div><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><div class="wiki">腹立たしい。唯それだけのことだったのか、一体、何を齷齪しているのだ。<br>もはや身体は腐敗し、正しい判断が出来ずに朽ちかけているのか。原因は魂。<br>然してその原因は、身体をコントロールできなくなった怠けてだらしない魂にある。<br>攪乱され、自由を失った魂こそその主原因。<br>人間味のない冷たい仮面を被った存在となって、何事にも無気力、無関心、無感動で</div><div class="wiki">何とも思わなければ心を乱すこともないではないか。</div><div class="wiki">そうして、たぶん、恐らくは、魂は腐敗する。</div><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><div class="wiki"><img alt="イメージ 1" class="popup_img_199_254" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20190822/13/mickey5462/49/d7/j/o0199025414546845360.jpg"> [永遠の理想と希望の騎士「ドン・キホーテ」 Gustave Doré画</div><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><div class="wiki">＜逞しいほどの”想像力"＞<br>そもそも身体の不調の原因は、逞しいほどの”想像力"にあるらしい。<br>あることも無いことも想いを廻らす”想像力"。その身体を揺さぶるほどの”想像力"に</div><div class="wiki">よって魂は呪縛され、虐待され自らの魂を苛む。<br>他人は自分を映す鏡だとしても、自分の中にあるこだわりや許せないものが溢れ出す。<br>然すれば、自分が自らを苦しめているというのか。<br>自分が思うこと考えること、そう思い考えることがそのまま自分自身を苦しめている。</div><div class="wiki">自業自得。<br>エピクテトスの囁きはこうだった。<br>《幸福への道はただひとつしかない。意思の力でどうにもならない物事は、悩まないことである。》<br>しかし、それでもなお、悩み事は止め処なく湧き出してくる。<br>どうにもならない事に悩み、もがき苦しんでいると、何やら許せないものが溢れ出してくる。<br>逞しいほどの”想像力"を働かせ考える。<br>その結果、身体は耐えられずに不調を来たし、やがて不幸への道を辿ることになる。</div><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><div class="wiki">＜自分を見失わずにいることとは＞<br>足を縛ばられ、門柱に繋がれた奴隷エピクテトスは言う。<br>「いっそのこと、私の足を切ってくれ。」苦難の中にあって平静を保つことを考える。<br>悪事をはたらいたわけでもなく、主人はエピクテトスの足を切りつける。<br>エピクテトスは激痛に堪え声を搾り出す。<br>「ご主人様、よく私の言う通りしてくださいました。」そのように言葉を発したのかも</div><div class="wiki">わからない。だが、理不尽な仕打ちを自らの身を挺して自ずから悟るという境地は</div><div class="wiki">どうすれば培うことが出来るのか。<br>《汝を罵倒したり、打ちたるその人間が汝を虐待するにあらず。それを恥辱なりと</div><div class="wiki">考える汝の想念が、然らしむことをしかと考えよ。》</div><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><div class="wiki">二千年前、このような人物がいた。二千年前の世の中を奴隷エピクテトスはこのように</div><div class="wiki">生きていた。<br>罵倒され、鞭打たれ虐待されているにも拘らず、エピクテトスは、自身の外側を</div><div class="wiki">取り巻く物事に翻弄されることなく、常に自分を見失わずにいることを教えてくれる。</div><div class="wiki">それが即ち、自由ということだというのだが。<br>あなたの言葉を汲み取り、あなたのことを想像してみるしかない。<br>私は熟、二千年前に遡ってこの偉人に会い、この人の言葉をこの耳で直接聴いて</div><div class="wiki">みたかった。</div><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><div class="wiki">ある日の雨上がりの午後、私は、久しぶりに熊の巣穴の外に出た。<br>熊の巣穴のある小高い山の端が金色に輝いているのを見つけた。<br>午後の陽が雲間の下へと傾き、ちょうど森の斜面の角度と合わさったところで、</div><div class="wiki">陽差しが斜面の木々の間に間に流れ込んで、尖って突き出た岩や石にあたり、</div><div class="wiki">そこだけが異様な金色に煌いている。<br>やがて金色の光は、色褪せてしまい光の一瞬の演舞は瞬く間に終わった。<br>熊の巣穴の外には"自由"はあるか。</div><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/mickey5462/entry-12510199397.html</link>
<pubDate>Wed, 02 May 2018 10:55:02 +0900</pubDate>
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<title>「いこいこ爺さん」の想い出</title>
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<![CDATA[ <div class="wiki"><h3><a name="section-1"></a>　　　　<span style="font-weight:bold;"><span style="background-color:#fff3c3;">「いこいこ爺さん」の想い出 </span></span>　　　　　　　<span style="font-size:0.83em;">平成30年3月3日</span></h3></div><p>&nbsp;</p><div class="wiki">かれこれ、五十年以上前、小学生低学年の頃の遠い記憶の片隅にあった出来事である。<br>それは、とうに忘れていた独りの老人のことだ。</div><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><div class="wiki">学校から帰ると、路地裏で缶蹴りやかくれんぼ、狭っ苦しい路地での野球をして遊ぶのが</div><div class="wiki">日課だった。そして、遊びが面白くなってきた頃には陽が暮れてしまう。<br>路地裏の遊びに夢中になっていると、路地の向こうから、磨り減った下駄を引きづり鳴ら</div><div class="wiki">して、のっそりと毬栗頭の老人が杖をつき、にこにこしながら私たちに近づいて来る。</div><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><div class="wiki">爺さんが来ると、遊びがどんなに佳境に入っていても一時中断になった。<br>私たちのところで立ち止まり、子供たちの頭を一人ずつ、いこいこと撫ぜていくのだ。<br>唯黙って、浅黒いごっつい手で、いい子だ、いい子だというように。<br>爺さんの服装はいつも同じ着物の姿だった。和服のような、どてらのようにも見えた。<br>だから遠くからでもすぐにその爺さんだとわかる。<br>まるでお地蔵さんが歩いてくるようだった。<br>子供たちは誰も嫌がったり怖がったりはしないで、爺さんの方に頭を差出し、爺さんは</div><div class="wiki">一人ずつ、いこいこと撫ぜていくのだ。<br>私たちは、その爺さんのことを”いこいこ爺さん”と呼んでいた。</div><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><div class="wiki"><img alt="イメージ 1" class="popup_img_300_185" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20190822/13/mickey5462/a9/db/j/o0300018514546845350.jpg"> [在りし日の爺さんの姿に重なった]</div><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><div class="wiki">爺さんは私たちに近づき、ゆっくりと、子供たちの頭を一人ずつ、いこいこと撫ぜる。<br>その動作がいつも同じように繰り返された。<br>ひととおり遊び仲間の頭を撫ぜ終えると、磨り減った下駄を引きづり鳴らして、</div><div class="wiki">ゆっくりと遠ざかっていった。<br>爺さんがやって来るのが、一日おきになり、やがて三日に一度になっていった。<br>一年が過ぎただろうか、”いこいこ爺さん”のことはすっかり忘れていた。<br>爺さんに一度出会ったきり、やがて見かけなくなって、それから何年も、何十年も</div><div class="wiki">想い出すこともなく月日は流れた。半世紀が過ぎ、ふとしたことで古い微かな記憶の</div><div class="wiki">底から”いこいこ爺さん”の姿が蘇った。</div><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><div class="wiki">今はもう、どんなに待っていても”いこいこ爺さん”は来ない。<br>どこからも磨り減った下駄を引きづり鳴らす音も聞こえない。あの路地はそのままだが、</div><div class="wiki">路地で子供たちの遊ぶ姿は見かけない。<br>知らない爺さんが近づき、子供たちの頭を撫ぜていく姿など想像もできない。</div><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><div class="wiki">あの頃、爺さんと子供たちの微妙な距離感と頭を撫ぜられる不思議な感覚とが</div><div class="wiki">微かな記憶の片隅から、磨り減った下駄の音と共に聞こえてくる。<br>爺さんは子供たちの頭を撫ぜることで、子供たちや弱い者に愛情を注ぎ、かわいがって</div><div class="wiki">大事にする”慈しむ心”を抱いていたに違いない。<br>私たちは、爺さんに頭を撫ぜられ、不思議な気持ちが湧き、自然と歳とった爺さんを</div><div class="wiki">敬う気持ちを育んでいったようにも思える。</div><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><div class="wiki">あの”いこいこ爺さん”は、今頃どこを歩いているのだろう。<br>そして、今日、一体全体、誰がその役目を果たすのだろう。</div><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/mickey5462/entry-12510199396.html</link>
<pubDate>Sun, 04 Mar 2018 21:09:41 +0900</pubDate>
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<title>「ケ・サラ」の父</title>
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<![CDATA[ <div class="wiki"><h3><a name="section-1"></a>　　　　<span style="font-weight:bold;"><span style="background-color:#fff3c3;">「ケ・サラ」の父</span></span> 　　　　　　 <span style="font-size:0.83em;">平成30年2月6日</span></h3></div><p>&nbsp;</p><div class="wiki">　「死んでいても不思議ではない。」<br>　「肺に水が溜まり、低血圧、低体温、意識不明、呼吸不全。</div><div class="wiki">&nbsp; &nbsp; &nbsp; ここでは直すことが出来ない」　・・・医者はそう言った。</div><div class="wiki"><br>　「お父さんは、たとえ復活したとしても、自分の置かれている状況が認知</div><div class="wiki">　できる力はなく、　自分で延命を望んだり、もう治療は必要ないとは言えない。」</div><div class="wiki">　「自然に寿命を全うできたらよい」　私は咄嗟に返答をしていた。<br>　「出来るだけのことはする。」と医者は言うが、それからどうするのか。<br>　私が父の運命を決めた瞬間だった。</div><p>&nbsp;</p><div class="wiki">　それからずっと病院のベッドで酸素吸入と点滴を受けた。<br>　酸素マスクから一生懸命に酸素を吸う姿は見ていられなかった。<br>　力尽きてしまうことは時間の問題だったのだろう。<br>　医者は、これからどうなるか、どうなってしまうのかということは知って</div><div class="wiki">　いたのだろう。<br>　毎日の病院通いが続き、父の横たわるベッドの脇で、私の頭の中では</div><div class="wiki">「ケ・サラ」の　曲が流れていた。</div><div class="wiki">「ケ・サラ」と父の風貌は、ずいぶんかけ離れていたのだが。<br>　父に繋がれたモニター心電図の波形と数値を見詰めながら、為す術もなく、</div><div class="wiki">　ただ「どうなるだろう」　「どうなってしまうのだろう」という想いだけが</div><div class="wiki">　頭の中を駆け巡っていた。</div><p>&nbsp;</p><p>　一週間が経ち、医者は私を呼んだ。<br>　「心臓の拍動を補う点滴を外すが、よいか。」<br>　たぶんそれは、確実に死に向かっていくことを意味していた。<br>　そういうことを了解してほしいということなのだろう。</p><p>　意識は戻ることはなかった。<br>　『嘘をつくな。弱い者の味方になれ。』</p><p>　父が口癖のように言っていた言葉を思い出していた。</p><p>&nbsp;</p><div class="wiki"><img alt="イメージ 1" class="popup_img_226_302" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20190822/13/mickey5462/6b/ce/j/o0226030214546845343.jpg"> [天国のようだった花園]</div><p>&nbsp;</p><div class="wiki">　入院から14日が過ぎた。病院から緊急の呼び出しがかかった。<br>　死の一歩手前だった。脈動だけはあった。<br>　当直の医師が来て死亡診断がなされた。<br>　瞳孔反応がなくなり、心拍波形も一本の筋になって止まった。</div><div class="wiki">　死亡が宣告された。</div><div class="wiki"><br>　父の手は暖かかった。<br>　いつか、山の上の土産物屋のおばあさんと出会い、手を握った時と</div><div class="wiki">　同じ感覚だった。</div><p>&nbsp;</p><div class="wiki">　そう、明日はどうなることやら。<br>　誰もわかりはしないだろう。誰にも。<br>　私たちの人生というものは　長い山道を手さぐりで歩いていくようなもので、<br>　誰も死んだことのない今日を、今生きていくだけなのだろう。<br>　涙も今日の今を流れている。</div><div class="wiki">&nbsp;</div><div class="wiki">　明日の涙は、また違ったものになっていることだろう。<br>　生きてさえいればいいのさ。<br>　そして、生きていることが不思議なことのように想えた。<br>　凍えるように寒い朝だった。</div><p>&nbsp;</p>
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<pubDate>Fri, 23 Feb 2018 19:52:42 +0900</pubDate>
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<title>「下ノ畑」のこと</title>
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<![CDATA[ <div class="wiki"><h3><a name="section-1"></a>　　<span style="font-weight:bold;"><span style="background-color:#fff3c3;">　　「下ノ畑」のこと 　　</span></span>　　　　　　　　　　　　 <span style="font-size:0.7em;">2018 .1 .30</span></h3></div><p>&nbsp;</p><div class="wiki">大正十五年といえば、私の父が生まれた年になる。<br>賢治は教員として勤めていた花巻農学校を退職し、早池峰山を望む北上川の畔、花巻の</div><div class="wiki">下根子桜という所で農作業と自炊生活の傍ら、近隣の農民に農業技術の指導や農民芸術</div><div class="wiki">を教えるため、この地にユートピアの学園を開いた。</div><div class="wiki">これが羅須地人協会（らすちじんきょうかい）である。</div><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><div class="wiki">羅須地人という言葉も何やら秘密めいた賢治の言葉のように思える。<br>"羅須"とは、『ラス（LATH）”塗り壁下地に使う金属性の網”のことで、土が壁に塗り固め</div><div class="wiki">られるように、<br>地域の農民たちが団結して力を合わせること』と伝えられる。羅須地人協会メンバー　</div><div class="wiki">伊藤克己さんの説明より</div><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><div class="wiki"><img alt="イメージ 1" class="popup_img_259_259" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20190822/13/mickey5462/76/00/j/o0259025914546845330.jpg">　 [リヤカーをひく賢治]</div><div class="wiki">『宮沢賢治の五十二箇月』佐藤成著</div><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><div class="wiki">羅須とは、土地の人と一体となり、地域社会に根ざしたコミュニティを理想とした意味を</div><div class="wiki">こめて名づけたのだろう。私は、そのような意味合いに捉えている。<br>その時、賢治はいつものように、花巻の森の中にある荒れ地の開墾に出掛けていた</div><div class="wiki">のであろう。<br>革靴を履きスラックスにジャケットを羽織り、農民らしからぬハイカラな帽子を被り、</div><div class="wiki">リヤカーをひいて。</div><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><div class="wiki">近所の国民学校の生徒子供らに童話を読み聞かせ、一方、農作業の傍ら農民には</div><div class="wiki">肥料相談を行い、オルガン、チェロの練習やレコードコンサート、エスペラント語の</div><div class="wiki">学習もしていた。<br>いつものように近所の子供や生徒が集まってきたのであろう。でも、先生は留守だった。</div><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><div class="wiki"><img alt="イメージ 2" class="popup_img_266_199" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20190822/13/mickey5462/7f/50/j/o0266019914546845334.jpg"> [集会所の入り口の黒板]</div><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><div class="wiki">その集会所の入り口の黒板に「下ノ畑ニ居リマス　賢治」という言葉が残されていた。<br>当時、塾生であった人が回想録の中で述べている事が残された言葉の手掛かりとなる。<br>「・・先生は畑に行って家は留守にしているが、おやつはそこに置いてあるよという</div><div class="wiki">やさしい心ずかいの意がかくされてあったのです。</div><div class="wiki">私たちは学校の帰り先生の家を訪ねては、おやつ捜しに入り、それをかってに取り出しては</div><div class="wiki">食べて帰るというのがなんとも楽しくて、あんな遠い所までしばしばまわり道をして行った</div><div class="wiki">ものでした。せんせいはそのような気くばりようをされましたし、そこまで考えて戴いたことに</div><div class="wiki">非常に有り難さを覚えています。<br>　(柳原 昌悦)　」　佐藤成著『宮沢賢治の五十二箇月』より</div><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><div class="wiki">さて、私の場合は、ブログの表題に「下ノ畑ニ居リマス」と書き残していた。<br>あれから、どれくらいの月日が流れたことだろう。<br>《ブログの更新は、ちょっと待っていてください。「下ノ畑ニ居リマス」から、もうすぐ参ります。》</div><div class="wiki">という意味のつもりだった。<br>「下ノ畑」とは、プランターだったということで笑われてしまった。<br>そして、月日が経ち、腰痛からきた痺れが悪化して、とうとう、椅子に十分と座って</div><div class="wiki">いられなくなってしまったのでした。</div><p>&nbsp;</p>
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<pubDate>Fri, 02 Feb 2018 21:15:00 +0900</pubDate>
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<title>日光白根山</title>
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<![CDATA[ <div class="wiki"><h3><a name="section-1"></a>　　<span style="background-color:#d9ffa2;">　</span><span style="font-weight:bold;"><span style="background-color:#d9ffa2;">　日光白根山 　</span></span><span style="background-color:#d9ffa2;">　　　　　　　&nbsp;</span><span style="font-size:0.7em;"><span style="background-color:#d9ffa2;">2013.10.14</span></span></h3>　　　丸沼高原ロープウェイ－－－　七色平分岐－－－ 白根山頂 －－－</div><div class="wiki">　　　避難小屋　－－－五色沼－－－弥陀が池－－－ロープウェイ頂上</div><p>&nbsp;</p><div class="wiki">　雪で峰々が純白になる山姿は神々しい。心洗われる神の山を称して白根山と呼ぶ。<br>白根山という山は日本各地にあって、他の同名の白根山と区別するために</div><div class="wiki">山の名の頭に日光、草津などとその土地の名をかぶせている。</div><div class="wiki">日光にも白根山があって、通称を奥白根という。</div><p>&nbsp;</p><div class="wiki">奥白根は、心洗われる神の山であるが、なかなかその山姿を山中から望見する</div><div class="wiki">ことはなかった。標高２５７８ｍの特異な山容を初めて見たのは、上州武尊山の</div><div class="wiki">山中からであった。<br>武尊山の中腹を喘ぎながら登った山道で、紅葉が始まった木々の間のその奥の</div><div class="wiki">枝先の隙間から突如岩、山をいくつも積み重ねたような異様な山姿は、仁王様の</div><div class="wiki">ようにも見え、暫しその山容に見入ってしまった。</div><p>&nbsp;</p><div class="wiki">日光市と利根郡片品村の境にあるこの山は、中禅寺湖や戦場ヶ原のある日光の</div><div class="wiki">観光地</div><div class="wiki">にも程近く、賑わう尾瀬ｹ原にも近いがその姿を垣間見ることは難しい。<br>関東北部の山に入り、山中深く分け入って思いがけずひょっこり顔を出してくる、</div><div class="wiki">それも、安山岩の溶岩円頂丘という、拳骨を振り上げたような溶岩ドームの</div><div class="wiki">部分だけが見えるので更にびっくりする。<br>ひょっとすると、長年の登山者でも、山中深く紛れ込んでひっそりと佇んでいる</div><div class="wiki">この山の存在を知らないままでいることが珍しくないだろう。</div><p>&nbsp;</p><div class="wiki"><img alt="イメージ 1" class="popup_img_300_225" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20190822/13/mickey5462/0e/f9/j/o0300022514546845318.jpg"> [白根山]</div><div class="wiki">　　　　　　　　　　　　　　　　　拳骨を振り上げたような溶岩ドーム</div><p>&nbsp;</p><div class="wiki">さて、この特異な山に何処から登っていくか。<br>アクセスの良さからいえば、スキー場のある丸沼高原だろうか。<br>魅力的なこの山になるべく早く接近していくためには、なんとも安易だった</div><div class="wiki">かもしれない。<br>初めて訪れた丸沼高原はこじんまりとして落ち着いた高原風景で、</div><div class="wiki">周りは急峻な山裾が迫り、斜面は夏スキーのゲレンデになっていた。<br>ロープウェイの乗り場が麓の登山口にもなっており山頂駅まで運び上げてくれる。<br>登山というよりも、観光地である丸沼高原の雰囲気にどっぷりと浸かっている</div><div class="wiki">ことに違和感を感じながら爽やかな高原の雰囲気にいつまでも溶け込めずにいた。</div><p>&nbsp;</p><div class="wiki">私は、登山とは、本来、”山旅”であって、”観光”とは異質なものという意識を</div><div class="wiki">持っている。見知らぬ山々を巡り、山歩きの愉しみを味わいながら旅することで、</div><div class="wiki">画一的な物見遊山の観光と一線を画してきたのだろう。そのようなものが</div><div class="wiki">”山旅”の中にはあるのだと思っていた。<br>久しぶりの登山で、私の心は、”山旅”と”観光”の狭間で揺れていた。</div><p>&nbsp;</p><div class="wiki">なんとなく観光の匂いのするロープウェイの乗り場を登山口とした以上、</div><div class="wiki">ロープウェイに乗るか、乗らぬかどちらかしかない。</div><div class="wiki">現代文明の利器に満ち溢れた現代社会にいて、発達した交通手段と充実した</div><div class="wiki">山の設備や近代的登山用具を身につけ、今更、何を言わんか。<br>「時代の子」として素直に、現代の恩恵を享受すべきではないのか。</div><p>&nbsp;</p><div class="wiki">いつか書いた山日記の中で、乗合バスで三千メートル近い畳平まで登っていく</div><div class="wiki">安易さは乗鞍岳が山岳としての威厳や風格という意味を削がれて、</div><div class="wiki">単なる観光の山に落ちぶれてしまったようで　”かわいそうな山”　と呼んだ</div><div class="wiki">乗鞍のあの時の感覚そのものであった。<br>自分にとって、山歩きはどうあるべきか、山を愉しむこと、山を想う贅沢な</div><div class="wiki">回想が沸々と湧き上がってきた。<br>登山の本質はどこへいってしまったのだろうか、と自問自答の答えは</div><div class="wiki">曖昧だった。</div><p>&nbsp;</p><div class="wiki">便利なロープウェイがあればそれに頼り、登山に観光の要素も柔軟に</div><div class="wiki">取り入れてみることも一考だろう。</div><div class="wiki">行程の時間短縮、体力の温存、と割り切ってみることもできれば、</div><div class="wiki">泰然自若としてそれを受け入れることができる。</div><div class="wiki">一応、登山スタイルで身を固めた容姿であればこそ、ロープウェイの乗り場に</div><div class="wiki">素直に並ぶのは些か抵抗があった。<br>いろいろと、山登りのご託宣は並べてみたものの、緑なす急斜面を一気に</div><div class="wiki">駆け上がっていくゴンドラからの眺めは爽快だった。</div><div class="wiki">夏の熱気が残るゴンドラの大きな窓には雄大な深緑の山並みが幾重にも広がり、</div><div class="wiki">誰もが手軽に深山幽谷の赴きを味わうことも”山旅”の魅力にはちがいない。</div><p>&nbsp;</p><div class="wiki">山頂駅に到着すると、</div><div class="wiki">麓の賑わいがそのまま運び込まれたような雰囲気であった。そこからは、</div><div class="wiki">仁王様の拳骨を振り上げたような溶岩ドームが間近に聳え立っている。<br>山頂広場にある重い鉄格子の扉を押し開けると、いよいよ日光白根山の</div><div class="wiki">”山旅”が始まる。<br>薄暗い森林限界の森を抜けると明るく開けた砂礫の山肌が続き、白根火山</div><div class="wiki">本体の拳骨の円頂丘に登ってゆく。<br>突き上げた拳の一番高いところが頂上なのだろうが、ごつごつした大岩は、</div><div class="wiki">いったい何処が頂上かわからないほど目だった高低さがない。</div><div class="wiki">好天に恵まれた山頂は混雑と言ってよいほどの賑わいだった。<br>山頂で戯れる人々の姿を見ても何も親しみは沸いてこなかった。</div><div class="wiki">それは、安易にロープウェイに乗って頂に辿り着いた自分そのものの姿</div><div class="wiki">でもあった。<br>山頂の空気は淀み、ざわめきだけが響き渡っていた。</div><div class="wiki">山頂の賑わいに居たたまれず、すぐさま下山を決めた。</div><p>&nbsp;</p><div class="wiki">帰路は、五色沼に向かい、奥白根の麓を回って帰ることにした。<br>稜線から登山者はほとんどいなくなり、眼下にエメラルドグリーンの五色沼が</div><div class="wiki">奥白根の眼のように神秘的な輝きを放っていた。<br>体力もあり、時間的な余裕も生まれ、山頂から４００ｍ程の標高差も難なく</div><div class="wiki">降りられたのもロープウェイのお陰だろう。</div><p>&nbsp;</p><div class="wiki">「お一人だから、撮ってあげたら・・・？」岩の上に腰を下ろしていると</div><div class="wiki">そんな声が聞こえた。<br>傍に居合わせたご婦人が仲間の方に向かって話しかけたのだった。<br>「一人で来ていらっしゃるのだから、記念写真を撮って差し上げなさい。」と</div><div class="wiki">仰った。</div><div class="wiki">私のような者に、なんだか嬉しいような、恥ずかしいようなおかしな気分では</div><div class="wiki">あった。愉しそうにして寛いでいるメンバーの傍に私が居て、独り惨めな</div><div class="wiki">寂しさが込み上げていた。<br>稜線の風はいつまでも穏やかに吹いて、少し熱くなった頬を撫ぜていった。</div><p>&nbsp;</p><div class="wiki">婦人の掛け声に答えて、一人の紳士が私のところに駆け寄ってきた。</div><div class="wiki">素直に私のカメラをし出して、シャッターを切っていただくことにした。<br>ところが、私のカメラは、既に撮れる枚数をオーバーしていたようで、</div><div class="wiki">しっかりポーズをとった記念撮影は空振りに終わった。</div><div class="wiki">拍子抜けした場面で年配の紳士に丁寧にお礼を言い、更に恥ずかしい想いをして</div><div class="wiki">その場を後にした。</div><p>&nbsp;</p><div class="wiki">急峻な下りの山道が続き、一面整然とした樹林帯の中に入っていった。</div><div class="wiki">その景色を俯瞰しながら眺めてゆく山道は、なんとも気持ちの良いものだった。<br>一頻り下り、広く開けた鞍部に出て、道標になるような大きな岩のベットの上に</div><div class="wiki">大の字になって寝転んだ。<br>下りきって平坦になった登山道は、目印にしていた避難小屋の前を通り、</div><div class="wiki">五色沼に続いている。</div><div class="wiki">ゆっくり、のんびり歩き、前方の視界が開けると五色沼の畔にでた。<br>標高２１７５ｍの沼の畔は、白根山、五色山、前白根に囲まれてまったく静かな</div><div class="wiki">別天地の佇まいだった。紅葉にはまだ早く、木々は色づいていない。</div><div class="wiki">沼の水面は漣すらなくひっそりとしていた。<br>白根火山の爆発により堰き止められた沼地はいつまでもここに居たいと想わせる</div><div class="wiki">ような心安らぐ景色であった。<br>山々に抱かれた不思議な安堵感に包まれた沼の畔に腰を下ろし、五色沼と</div><div class="wiki">それを取り囲む山々を飽くほど眺めていた。</div><div class="wiki">荒々しい火山活動がこのような美しい風景を形作ってきたことを想うと、</div><div class="wiki">自然の造形から人間の感覚が生まれることがなんとも不思議なことのように</div><div class="wiki">感じられる。<br>大昔、このあたりを通りかかった人々も、私と同様の感慨に浸ったのでは</div><div class="wiki">ないだろうかと想われた。</div><p>&nbsp;</p><div class="wiki">周りを山々に囲まれているということは、帰路はこの山裾をひとしきり登って</div><div class="wiki">いかねばならない。<br>登りつめた頂の朽ちた木の上に横になり、青空を仰いでしはし大休止した。<br>周りの色づき始めた木々を独り占めにして、青空にゆうゆうと流れる雲を</div><div class="wiki">追っていた。<br>目を瞑っていると人の声が近づいては遠ざかり、また足音が響いては</div><div class="wiki">消えていった。</div><p>&nbsp;</p><div class="wiki">外輪山の頂を後にして、静まり返った森を抜けると弥陀ケ池の畔に出てくる。<br>菅沼からの道が沼の奥へと続いていた。そのまま、菅沼への道をたどっても</div><div class="wiki">みたかった。<br>白根に登る道は、日光湯元温泉から外山尾根、天狗平を経て前白根を巡っている。<br>別の登山コースを想像しながら、七色平の森の中を彷徨い歩いた。<br>鬱蒼とした森林のどの辺りが七色平なのか、今、何処を歩いているのかさえ</div><div class="wiki">わからなくなりながら道迷いを繰り返し、今朝来たロープウェイの山頂駅まで</div><div class="wiki">戻ってきた。</div><p>&nbsp;</p><div class="wiki">ロープウェイで容易に仁王様の拳の頂まであげてもらい、車窓からは雄大な</div><div class="wiki">奥日光の光景を眺望することができた。</div><div class="wiki">いつまでも、心の中に不甲斐なさは残っていたものの、不図、山歩きの仕方に</div><div class="wiki">想いを巡らせ、森閑とした森の中をゆっくりと歩いてゆく余裕を貰った山旅</div><div class="wiki">だった。</div><p>&nbsp;</p><div class="wiki">そうそう、あれから三年が経ち、気がつくと奥白根で撮影した写真は消えて</div><div class="wiki">しまい、想い出の写真は、帰路、山旅を終えてロープウェイ駅から振り向いて</div><div class="wiki">撮った仁王様の拳の頂の写真一枚だけとなっていた。<br>期せずして辿りついた山奥の静かな沼の畔で、静謐なひと時を味わい、自然の</div><div class="wiki">織り成す光景とともに奥白根の残像が鮮やかに蘇って来る心の風景となって</div><div class="wiki">残っている。</div><p>&nbsp;</p>
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<pubDate>Fri, 10 Feb 2017 22:10:25 +0900</pubDate>
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<title>木曽　御嶽山</title>
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<![CDATA[ <div class="wiki"><h3><a name="section-1"></a><span style="background-color:#fff3c3;">　　　　</span><span style="font-weight:bold;"><span style="background-color:#fff3c3;">木曽　御嶽山</span></span><span style="background-color:#fff3c3;"> 　　　　　　　　　　　　　　　　　　　</span><span style="font-size:0.7em;"><span style="background-color:#fff3c3;"> 2013.8.8</span></span></h3>田ノ原－－－　御嶽神社遥拝所－－－ 大江大権現 －－－九合目　－－－　奥ノ院－－－<br>王滝頂上－－－剣ヶ峰－－－王滝頂上－－－ 九合目－－－ 遥拝所－－－ 田ノ原</div><p>&nbsp;</p><div class="wiki">　いつかは御嶽に行きたい。長いことそう思っていた。<br>あまりにも有名なこの山は、長い間、私の山行計画の片隅に置き去りにされていた。<br>それは、きっと、この山のもつ、山岳信仰の雰囲気と自分の中にあった、”登る山”としての<br>場違いな異質感だったように思われる。</div><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><div class="wiki">登山口は、武蔵の普覚行者が登山道を開いたとされる御嶽山王滝口の道を選んだ。<br>その霊峰は、異様に大きく、巨大な塊となって迫ってきた。容易に畏怖の念を抱いてしまう</div><div class="wiki">ほど、ご神体としての「御嶽」は、堂々と鎮座していた。<br>山が信仰の対象とされる。ご神体として山そのものが崇められる。なるほど、と思った瞬間</div><div class="wiki">だった。<br>信州木曽路の只中に鎮座して聳えるご神体に恐る恐る近づき、しっかりと踏まれた行者道を<br>辿り、山岳信仰の山、霊峰「御嶽」に登って行った。</div><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><div class="wiki"><img alt="イメージ 1" class="popup_img_300_225" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20190822/13/mickey5462/a5/94/j/o0300022514546845286.jpg"> [御嶽山　王滝口]</div><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><div class="wiki">登山口となっている麓の田ノ原は、麓とはいえ、既に御嶽山の七合目（標高2180M）にある。<br>広大な天然自然公園をイメージしていたものの、そこには、社務所や観光センターが</div><div class="wiki">あって、何やら人の気配の濃い、ありふれた観光地特有の雑踏の趣で、いささか拍子抜け</div><div class="wiki">していた。<br>ここからは、正面に「御嶽」のご神体の姿が雄大にひろがり、弥が上にも霊気漲るご神体を<br>直接拝むこととなる。なんら信仰心のないよそ者が、御嶽講の白装束に身を包んだ人々に<br>混じり、俄か信者となって神妙な面持ちをしながら王滝口の鳥居をくぐっていった。</div><p>&nbsp;</p><div class="wiki">登拝の始まりは、大黒天が祭られた社で山旅の無事を祈願することとなった。<br>天然自然公園の中を御嶽山に向かってしばらく歩き、御嶽神社の遥拝所に立ち寄り再び</div><div class="wiki">お参りした。</div><div class="wiki">この先々もあらゆる所に社や祠が現れでてきて、登山ではない、山岳信仰の場である<br>ことをこれでもかと思い知らされることになる。大江大権現、あかっぱげのザレ場を通り、<br>八合目の金剛童子まで、祠を見つけるたびに二拝二拍手一拝し家族の幸福を願った。</div><p>&nbsp;</p><div class="wiki">かつて、この霊山に登りながら、修行の道を開いた普覚行者も唱えたであろう”六根清浄”<br>とは、どういうことであろうかと考えていた。<br>六根清浄を唱えながら登ってゆくことはどういうことか。</div><div class="wiki">「六根」とは、眼、耳、鼻、舌、身、意の意味で”六根清浄”と唱えることで、身を清める、</div><div class="wiki">六根が清浄になるとされる。<br>私の登拝は、六根の罪の懺悔でもなく、何らかの功徳があってのこととも想われない。<br>信心深い人々と神様の山に入ってゆく畏れ多き事々を少しでも払い除けて、幸多きことと、<br>山を無事に登り降りて戻って来られることだけを祈っていた。<br>それにしても、御嶽の登山中に一度も”六根清浄”の声を聞くことはなかった。</div><p>&nbsp;</p><div class="wiki"><img alt="イメージ 2" class="popup_img_300_225" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20190822/13/mickey5462/7d/f7/j/o0300022514546845295.jpg"> [奥ノ院分岐の登山道から山頂を望む]</div><p>&nbsp;</p><div class="wiki">山頂も間近に見えるあたりに、「一口水」の湧水がある。このあたりが九合目であろうか。<br>「一口水」の名のとおり、一口だけ清水を掬い味わってみた。<br>奥ノ院分岐から山頂に向かってみたが、奥ノ院への道は山頂を遠巻きにして外れていき、<br>登山道は山頂部をトラバースして離れていった。<br>不覚にも地図と照合せずに踏み込んでしまった道は、踏み跡が怪しくなり浮石だらけに</div><div class="wiki">なった。ここからは、地獄谷や継母岳まで俯瞰することができたのだろうが、それも眼にも</div><div class="wiki">入らなかった。<br>何体かあった地蔵様のところに出たが、確かに此処が奥ノ院かどうかもわからず、さらに<br>奥の方に踏み跡が続いていた。</div><p>&nbsp;</p><div class="wiki">どうにも火口壁を回る尾根道が見当たらず、ふたたび九合目の分岐まで戻ることにした。<br>途中、すれ違った登山者に、山頂まで行くというのに下ってくる私に、尾根に上がり王滝頂上<br>に行ける道があること、王滝頂上への分岐があることを知らされた。<br>その場所までまた舞い戻ると、杭のように丸太が刺さった山頂への分岐が現れた。<br>よくよく見ると、メインルートからはずれた道が火口壁の尾根から王滝山頂の方へ踏み跡が<br>ついていた。<br>山頂まで日陰のない道であるにもかかわらず、水分補給はペットボトル1本だけだった。<br>日の権現と呼ばれる王滝頂上は、剣ヶ峰の王権現、士租権現の三権現とされ、ひとまず、</div><div class="wiki">登拝の目的は果たせた。<br>もう少し余裕をもって計画を立てていたら御嶽の頂上山荘に泊まり、ご来光を拝むことも</div><div class="wiki">できたであろう。</div><p>&nbsp;</p><div class="wiki">御嶽神社の鳥居をくぐり、険ヶ峰に向かう。強風が汗ばんだ体を容赦なく冷やした。<br>風を避けるものはない。低体温のことが頭をよぎり、神社に戻って片隅のところで着替えを</div><div class="wiki">すまし、防寒着に身を包んであらためて険ヶ峰を目指した。<br>山頂には、立派過ぎる階段がかかり、信仰の山であって、登山とは違うある種の別世界だった。<br>独立峰の御嶽山頂からは、乗鞍岳、木曽駒ヶ岳、穂高、槍、笠ヶ岳の山々、南アルプスの</div><div class="wiki">山並みを望むことができた。富士山は熱気の上がってきた霞の中だった。</div><p>&nbsp;</p><div class="wiki"><img alt="イメージ 3" class="popup_img_300_225" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20190822/13/mickey5462/cc/55/j/o0300022514546845301.jpg"> [御嶽山頂からの眺め]</div><p>&nbsp;</p><div class="wiki">とうとう股関節に痛みがでてきた。暑さで頭がボーっとして判断力が鈍っているようだった。<br>下山道の一角に御嶽講の白装束の人々が立ち止まり、何やら話し込んでいた。<br>一人の女性は、息遣いが荒く、苦しそうに座り込んでいた。<br>「下りはきついです。」通りすがりに聞こえた声は、歩くのはもう無理です、という叫びに<br>も近いものだった。御師、祈祷師なのか、他の誰かが、何か励ますような強い言葉をかけて</div><div class="wiki">いるのを聴いた。霊山の頂上を極め、六根は、清浄になったのであろうか。<br>難行苦行の末、武蔵の普覚行者が開いたとされる王滝口の登山道を歩き、魂と身体はどう</div><div class="wiki">なったのであろうか。<br>身を清め、白装束を身に纏った人々でさえ、尚且つ、苦しみと叱咤が待ち受けているのである。</div><p>&nbsp;</p><div class="wiki">修験道の道を歩む人々の傍らを通り過ぎる時こう想った。<br>かたや、登山者、山旅の道。かたや、修験者、修験道の道。山歩きを愉しむことのない</div><div class="wiki">厳しい修行の道を、ただ只管、歩いてきたのであろうか。・・・そのような山歩きもあるのだ。<br>・・・それぞれにそれぞれの道を歩いて行く。<br>信仰としての修験道と、山登りの登山道が御嶽の山道ですれ違い、同じ御嶽山に登った<br>山の情念が、ふと、偶然にも山道で交錯した瞬間にも思えた。</div><p>&nbsp;</p><div class="wiki">帰路の途中、大桑のレストランで木曽福島の温泉を紹介してもらい、まだまだ炎暑の残る<br>湯煙の中で木曽路の山旅の一日を終えた。</div><p>&nbsp;</p>
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<pubDate>Mon, 30 Dec 2013 17:32:14 +0900</pubDate>
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<title>ぼくの少年時代　　－お福ちゃんのこと－</title>
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<![CDATA[ <div class="wiki"><h3><a name="section-1"></a><span style="font-weight:bold;"><span style="background-color:#d9ffa2;">　　　　ぼくの少年時代　　　　　－お福ちゃんのこと－　　　　　</span></span></h3></div><p>&nbsp;</p><div class="wiki">暑い夏の日、神社のお祭りの日だった。<br>遊び友達がいなかったのか、何か興味をそそられることでもあったのか、今では</div><div class="wiki">何も想い出せないが、近所のこじんまりとした神社に独りででかけた。<br>沿道には、たくさんの屋台が立ち並び、ソースせんべいやら焼きそば、飴細工、</div><div class="wiki">金魚すくい、お面、等々どれをとっても興味津々のものばかりだった。<br>ポケットにあった小銭でソースせんべいでも買ったのか、一通り屋台を眺めまわし、</div><div class="wiki">最後に呼び声につられて覗き込んでみたのが、見世物小屋だった。<br>何本か見世物小屋の幟が立ち、子供心にも見るからに異様な雰囲気で、見世物</div><div class="wiki">小屋には、狭い入口と出口があって、掘っ立て小屋の壁には、ろくろっ首やら</div><div class="wiki">化け物の絵がおどろおどろしく描かれていた。</div><p>&nbsp;</p><div class="wiki">見世物小屋の前では、呼び込みのかけ声がして「お代は見てのお帰りだよ。」と</div><div class="wiki">繰り返していた。</div><div class="wiki">私のほかに誰もいないのに、「お代は見てのお帰りだよ。」と何度も言っていた。<br>私は、その言葉の意味がよく理解できずに、小屋の中で何をしているのか、</div><div class="wiki">覗いてみるだけでもいいのか、タダということか、それとも、見世物小屋の中を</div><div class="wiki">見てみて、良かったらお代を払うのかもしれない、などといろいろ気を回していた。<br>すると、見世物小屋の呼び込みのおじちゃんが近寄ってきて、</div><div class="wiki">「お代は見てのお帰りだよ。」と、また言った。<br>さぁさぁと急かされているようで、気が付くと、そのまま見世物小屋の入り口に</div><div class="wiki">入っていった。</div><p>&nbsp;</p><div class="wiki"><img alt="イメージ 1" class="popup_img_420_313" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20190822/13/mickey5462/0c/c6/j/o0420031314546845276.jpg"> [見世物小屋]</div><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><div class="wiki">見世物小屋の中は、表看板の絵のとおり、不気味な絵と得体の知れない化け物</div><div class="wiki">が並んでいた。そのどれもまったく興味がなかった。</div><div class="wiki">小屋の中は、15メートル程あるかないかの広さだった。<br>気もそぞろに見世物を眺めて歩きながら、それよりも、「お代は見てのお帰りだよ。」</div><div class="wiki">という言葉の意味を考えていた。</div><div class="wiki">見世物小屋の中心にあったのが、ろくろっ首だった。</div><p>&nbsp;</p><div class="wiki">誰かに「お福ちゃんやーい。」と呼ばれると、<br>「あい、あーい。」と言ってお福ちゃんが出てきた。目をくりくりさせて、にっこりと</div><div class="wiki">した顔をしたかわいらしい女の子たった。ぼくより、もっと幼い少女に見えた。<br>みるみるお福ちゃんの首が伸びていって、1メートルも伸びたところで、また、<br>「お福ちゃんやーい。」と呼ばれると、天井近くで「あい、あーい。」と言って答えた。<br>すぐにお福ちゃんの首は元に戻り、粗末なカーテンが閉まって、</div><div class="wiki">お福ちゃんは消えた。</div><div class="wiki"><br>首が伸びたお福ちゃんに、さして驚きもせず、これだけか、という思いが</div><div class="wiki">残っていた。哀れなお福ちゃんの姿だけが記憶の底に残り、見世物小屋の中身を</div><div class="wiki">知ってしまった後では、なんとも味気ない後味の悪い印象しか思い浮かべることが</div><div class="wiki">できなかった。</div><p>&nbsp;</p><p>すぐに出口の通路になり、出口には、先ほどの呼び込みのおじちゃんが、</p><p>待ち構えていた。</p><div class="wiki">子供独りで見に来ていることに少し躊躇いながら私をじっと見つめていたようだった。</div><div class="wiki"><br>「いくらですか。」<br>「40円。」・・・　　ポケットをどんなに探ってみても20円しか持っていない。<br>案の定、出口で躓いた。見世物小屋はタダではなかった。</div><div class="wiki">咄嗟に、有り金の20円を渡し、<br>「あとは家から持ってきます。」と言い逃れて駆け出して家まで帰った。</div><div class="wiki"><br>台所で母を見つけると、神社で見世物小屋に入ったこと、入場料が40円で、</div><div class="wiki">20円しか持っていなかったことを話した。<br>母からもらった20円を握り締め、急いで家を飛び出した。再び、神社の</div><div class="wiki">見世物小屋に向かって駆け出して行った。</div><div class="wiki">ようやく、呼び込みのおじちゃんを見つけて、残金の20円を渡したのだった。</div><p>&nbsp;</p><div class="wiki">小学校4年生くらいの夏のことだ。<br>あれ以来、このような見世物小屋に入ったことはない。<br>お福ちゃんの顔も、呼び込みのおじちゃんの顔も、はっきりしないが、</div><div class="wiki">見世物小屋の光景は、鮮明に覚えている。</div><div class="wiki">&nbsp;</div><div class="wiki">今でも、どこからか、呼び込みのおじちゃんの声が聞こえてくるようだ。<br>「お代は見てのお帰りだよ。」　・　・　・<br>それは、見たら金を払わずにはいられない程の見世物で、お気に召すこと</div><div class="wiki">請け合いの代物。お代は（料金は）、見てからの（観賞した後の）お支払いで</div><div class="wiki">結構です。お帰り（退出時に）お支払い下さい。・・・ということだ。</div><p>&nbsp;</p><div class="wiki">それから、何十年も経って、ぼくは、会社をお払い箱になる歳になった。<br>不思議に、お福ちゃんのことが脳裏に蘇ってきたのだった。</div><div class="wiki">そして、想ったことは、<br>今頃、お福ちゃんはどうしているのだろうか、と。<br>しばらくして、なんだか、とても悲しくなってしまった。</div><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/mickey5462/entry-12510199361.html</link>
<pubDate>Sun, 19 May 2013 18:52:56 +0900</pubDate>
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