<?xml version="1.0" encoding="utf-8" ?>
<rss version="2.0" xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom">
<channel>
<title>mihara450のブログ</title>
<link>https://ameblo.jp/mihara450/</link>
<atom:link href="https://rssblog.ameba.jp/mihara450/rss20.xml" rel="self" type="application/rss+xml" />
<atom:link rel="hub" href="http://pubsubhubbub.appspot.com" />
<description>2017三原城築城450年の情報発信　　毛利3本の矢「小早川隆景」築城の由緒ある城跡「浮城」物語</description>
<language>ja</language>
<item>
<title>村上海賊と小早川・毛利海賊</title>
<description>
<![CDATA[ <p>小早川海賊の庶子である<a href="http://www2u.biglobe.ne.jp/~mi-yuki/yuraiki.htm" target="_blank">小泉氏</a>。</p><p>いまだに広島の草津で名跡を守ってらっしゃる。酒造業である。小早川氏の水軍の一手を担っていたそうだ。</p><p>三原には小泉町という町名も残っているが市内の人でも知る人は少ないだろう。</p><br><p>尾道、今治が「村上海賊」で日本遺産登録を企画しているそうだが、ぜひとも築城イベントにかこつけてでもここは便乗したいところ。</p><br><br><br><br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/mihara450/entry-12114816403.html</link>
<pubDate>Thu, 07 Jan 2016 14:51:05 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>小早川家の末裔の方を招聘。</title>
<description>
<![CDATA[ 小早川隆治さん。<br><br><br>なんと広島と言えばという企業「マツダ」に勤めていらっしゃったのだ。<br>「<a href="https://gazoo.com/car/history/Pages/essay_053.aspx" target="_blank">わたしの自動車史</a>」という著作もあるようです。<br><br>是非とも築城のイベントのどこかのタイミングではご招待したいところです。<br><br><br>（以下参照）<br><br>一度は断絶したものの明治に入り復興した小早川（こばやかわ）家。武家だった小早川家だが、再興してからは車との縁が深いと当主・小早川隆治（たかはる）氏はいう。<br><br>＊　　＊　　＊<br>　小早川家で有名なのは、なんといっても小早川隆景ではないでしょうか。毛利元就（もとなり）の三男で、当主が亡くなった小早川家を継ぐため養子に入りました。<br><br>　吉川（きっかわ）家の養子となった兄の吉川元春（もとはる）とともに毛利家をもり立て、「毛利両川（りょうせん）」と呼ばれました。天下を統一した豊臣秀吉のもとで、徳川家康らとともに五大老にもなっています。<br><br>　隆景に実子はなく、養子となって跡を継いだのは、秀吉の正室ねねのおい、秀秋です。関ケ原の戦いで西軍から東軍に寝返ったことで知られています。秀秋は子どもがないまま21歳で亡くなりましたので、小早川家は断絶しました。<br><br>　毛利家としては、小早川家が途絶えたことをずっと残念に思っていたのでしょう。1879（明治12）年、公爵・毛利元徳の三男・三郎が小早川家を再興します。<br><br>　三郎は若くして亡くなり、その弟の四郎が小早川家を継ぎ、まもなく男爵家となりました。ところが、四郎にも子どもがいませんでしたから、またまた毛利家から養子を取りました。それが親父の元治（もとはる）です。私は親父の実子ですから、小早川家にとっては約400年ぶりに生まれた跡継ぎでした。それだけに侍従次長だった祖父も親父も大変喜んでいたようです。<br><br>　戦前、親父は技術者として日産車の開発に従事しながら、レースも楽しんでいました。小早川家の養子になるときには、毛利家からそれなりの財産を分けてもらっていたはずです。まだ経済的余裕もかなりあったようで、「MG　K3マグネット」という世界で30台ほどしかつくられなかったイギリス製のレーシングカーを手に入れて、多摩川スピードウェイでのレースに出場していました。<br><br>　屋敷は東京・白金高輪にありましたが、第2次大戦の東京大空襲でぜんぶ焼けました。ただ、疎開から戻ってみると、K3マグネットだけは奇跡的に焼け残っていました。急ごしらえで建て直した掘っ立て小屋のような車庫のなかでたたずむK3マグネット。運転席に座って木のハンドルを握ったときの触感と高揚感。小学生のときのこの感覚は今でも覚えています。僕の車への興味と関心は、このときに芽ばえました。<br><br>　中学のときに乗り始めたホンダの初代カブというバイクから始まり、大学に入ると車にのめり込みました。そのころはわが家に経済的な余裕はないですから、中古のオンボロを手に入れては、油まみれの毎日でした。<br><br>　就職は、ちょうどロータリーエンジンの開発を始めたばかりのマツダ。3代目RX―7の開発責任者もしましたし、1991年のル・マン24時間レースでは、幸運にもモータースポーツ担当責任者として優勝を経験させてもらいました。13年前にマツダを退職してからはモータージャーナリストに転身。73歳の今にいたるまで、大好きな車から離れられない毎日を送っているのです。<br><br>　わが家は、江戸時代がぽっかりと空いている家系ですから、家訓も言い伝えもこれといったものはありません。ただ、車への情熱だけは、親父から受け継いでいます。家内からは、もっと家族のことを考えなさいと言われ続けてきましたけどね（笑）。<br><br>引用：（構成　本誌・横山　健）<br><br>※週刊朝日 　2014年10月31日号
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/mihara450/entry-12075895084.html</link>
<pubDate>Tue, 22 Sep 2015 11:20:10 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>三原城壁の上に三原駅建設の謎</title>
<description>
<![CDATA[ ・・というテーマで広島ホームテレビ「<strong>Ｊステーション</strong>」内で放映されたのをご覧になった方はいるでしょうか？<br><br>明治以降。なぜ三原城跡に線路が通ることになったのか？歴史的背景（廃藩置県～日清戦争～）からひも解く内容になっていました。<br><br><br>ＴＶ番組の２次使用はできないので<a href="http://home-tv.co.jp/j_station/2015/08/post-3132.html" target="_blank">アーカイブ（静止画）</a>をどうぞ。
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/mihara450/entry-12070808595.html</link>
<pubDate>Wed, 09 Sep 2015 14:29:28 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>三原城（千葉県南房総市）との自治体間交流を。</title>
<description>
<![CDATA[ 三原城は、安房里見氏の重臣正木左近将監時通の城と言われているそうだ。<br><br>さらに、面白いのは「眞田氏」も（６文銭ではない方）関わってくるところ。<br><br>そう、三原の古い通り東町にはどデカい屋敷の「眞田家」があるのです。<br><br>これは築城４５０年祭（事業）を機に一度自治体間交流を図ってみれば面白いのでは？<br><br><br>ここにはまだ誰も手を付けていないと思われるので、研究の価値も多少あると思います。
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/mihara450/entry-12070807266.html</link>
<pubDate>Tue, 08 Sep 2015 14:24:33 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>古図にも描かれる筆影山</title>
<description>
<![CDATA[ <p>三原城の古図にもよく描かれている「筆影山」。</p><br><p>CM撮影の（瀬戸の多島美）ポイントにもなっている。</p><br><p>三原城のある時代に「筆影山」はどういう存在であったのか？</p><p>三原のアイコン、やはり海賊にとってもある種の目印だったのか？</p><br><p>タコ漁の漁師に聞けば蛸壺のポイントの一つの目印に使われていることは知られているのだが・・。</p><br><p>このあたりの研究も、研究成果もあまり知られていない。</p><br><p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20150511/14/mihara450/4e/ac/j/o0800142213303781431.jpg"><img border="0" alt="" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20150511/14/mihara450/4e/ac/j/t02200391_0800142213303781431.jpg" width="220" height="391"></a><br></p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/mihara450/entry-12025317070.html</link>
<pubDate>Mon, 11 May 2015 14:31:39 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>小早川隆景ものがたり</title>
<description>
<![CDATA[ <p>連続講演会。</p><br><p>公演会で基礎知識を仕入れるのもいいけど、専門家を交えていろんな推測や自分なりの知識をディスカスする機会があればもっと闊達になるし、活性化するよね。</p><br><p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20150507/14/mihara450/3b/98/j/o0800142213299526945.jpg"><img border="0" alt="" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20150507/14/mihara450/3b/98/j/t02200391_0800142213299526945.jpg" width="220" height="391"></a><br></p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/mihara450/entry-12023645409.html</link>
<pubDate>Thu, 07 May 2015 14:16:52 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>長宗我部氏と小早川隆景</title>
<description>
<![CDATA[ 先日中国新聞に「小早川隆景と長宗我部氏」との書状のやり取り・・という記事が掲載されていた。<br><br>ちょうど秀吉が明智と柴田を討ち覇権を握ろうとしているまっただ中のやりとりで興味深い。<br><br><br>腹の探り合いでしょうか？<br><br>WEB上に記事が見つけられなかったのでリンクできませんでしたが、こういう情報を常日頃サベイして積み重ねて「築城祭」に結び付ける作業・プロデュースが必要なのでは？<br><br><br>委託でもいいですが。
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/mihara450/entry-12019850388.html</link>
<pubDate>Wed, 29 Apr 2015 10:13:15 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>毛利博物館（防府市）との連携</title>
<description>
<![CDATA[ 防府にある<a href="http://www.kanko-hofu.gr.jp/index/page/id/45" target="_blank">毛利博物館</a>。ここにはいわゆる三矢の教えの元ネタになった「元就の書状」があったり貴重な毛利家の歴史的なお宝がいっぱいである。<br><br>→<a href="http://www.hiroshima-museum.jp/special/detail/201504_mouri.html" target="_blank">ひろしま美術館</a>の「毛利家の国宝・至宝展」でも展示されている。<br><br><br>やはりプレも含めて本番でも協力いただき「小早川隆景」に関する資料展示などは必要だろう。
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/mihara450/entry-12019849033.html</link>
<pubDate>Tue, 28 Apr 2015 09:59:02 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>築城450年祭　ＰＲ垂れ幕</title>
<description>
<![CDATA[ いよいよプレ周知開始。<br><br>ちょっとこのロゴは「意味が伝わらない」「三原のお城のイメージが湧かない」「デザイン的に色使い構成がそもそも・・」というレベルだが、文言で分かるので。<br><br><br>ここで披露しておきます。<br><br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20150327/14/mihara450/d0/df/j/o0480085413257189786.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20150327/14/mihara450/d0/df/j/t02200391_0480085413257189786.jpg" alt="" width="220" height="391" border="0"></a><br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/mihara450/entry-12006746017.html</link>
<pubDate>Fri, 27 Mar 2015 14:12:56 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>築城祭ＰＲ紙に投稿しても。</title>
<description>
<![CDATA[ ＰＲ紙「<a href="http://www.city.mihara.hiroshima.jp/uploaded/attachment/23418.pdf" target="_blank">浮浮○○</a>」に、「泣ける！広島県」で採用された「泣ける城跡＝三原城址」の附録である<br>ステッカーや幟をご自由に使用して下さい。<br><br>・・とのメールを入れて早数か月。<br><br>何も反応がありませんので、そろそろ活動再開します。<br><br><br>築城祭にに備えて本丸周辺整備をする予定の行政ですが、ぜひともそこに一工夫を。<br><br>アプリ関係の仕掛けでもいいですし、実店舗でもいいので、周遊する価値を創出してほしい。<br><br>アプリ関係であれば、上記の先行ＰＲ紙以上の効果を期待できるかもしれません。<br><br>あるいは「ドローン」を使った映像制作でもいいかもしれません。（ただＪＲが本丸を貫いているので空撮は限定されるかもしれません）<br><br>→逆にＪＲとコラボ（ＪＲ西だけでなく、ＪＲ系旅行代理店など）していろいろと周知集客を図るプロジェクトも進行させていく時期かもしれません。<br><br>是非。<br>旅行エージェント（ＨＩＳ含む）の方のアイデアが生きると思います。<br>（まあ、じゃらんが入ってますが地域を真に理解したうえでよその使いまわしでな企画を）<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20150324/15/mihara450/64/53/j/o0480064013254414583.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20150324/15/mihara450/64/53/j/t02200293_0480064013254414583.jpg" alt="" width="220" height="293" border="0"></a><br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/mihara450/entry-12005552708.html</link>
<pubDate>Tue, 24 Mar 2015 15:37:49 +0900</pubDate>
</item>
</channel>
</rss>
