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<title>私は単純性血管腫です</title>
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<description>これはすごく暗い話して、人からみたら不幸自慢等いわれると思われる内容です。しかし、本人にとっては辛い現実で、正直みて気持ちいいものでなく、批判等するかたがいるのはわかってて書いていますので批判する人はみなくて結構です。</description>
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<title>私は単純性血管腫です。</title>
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<![CDATA[ 夏休みは長い休みなのでうれしいはずですが、私にとって夏休み=レーザー治療、顔の病院と思うといやでいやでしょうがなかったです。<br><br>もちろん出校日は１日もでれないのでそこでも同級生から、ズル休みサボり、来たくないから休むんだとか色々言われました。<br><br>あんたたちに何がわかんだよといつも夏休みのたびに言われるので思っていました。<br><br>そんなある日母が急死しました。<br><br>朝早く父の母を呼ぶ声で目が覚めました。<br>何事かと父達のいる部屋にいくと母が倒れていました。私は何事かわからず父か兄どちらかは覚えてませんが救急車に電話、そしてもう一人が母に呼び掛けていました。<br><br>うちはちょうどA市とB市の狭間でうちの本当の住所はB市なのですが、近所の子供達と同じ学校がいいだろうということで住所はA市になっている複雑な地域で救急車に電話してもB市の消防にしかかからず言われたのが、<br><br>うちはB市なのでA市の消防に言ってくださいといわれ何度119に電話してもB市でそのやりとりを何度もしたそうです。結局B市の消防がじゃあこっちからA市の消防に連絡しますよというのを一番始めに救急に電話してから30分以上たってたようです。ちなみにうちはB市の消防から来てくれれば5分ぐらいでこれるのですが、A市からくると20分ぐらいかかるところでした。<br>家が分かりにくいので兄？が国道まで走っていき救急車を先導してきたそうです。<br>結局救急車がきたのは倒れてから1時間以上かかったそうです。<br><br>救急隊員が家に入って母が担架にのせられ父も一緒に救急車はいきました。<br><br>もちろん救急車が家に来たので近所の人達がうちの前に集まっていました。<br>結果母はもう亡くなっていたそうです。<br>病院の先生にあと30分早くきていれば助かったかもしれないと言われたそうで、B市からきてくれてればと思ったそうです。今では考えられないことかもしれませんがね。<br><br>母は家で亡くなったということで警察がくるとなり近所の人か親戚？誰かが来てくれて子供はひとまず邪魔になるから外に出てなさいとなり犬と猫をもって公園の大きなタイヤの上に兄妹3人で座ってました。そのタイヤに座ったままパトカー？とか車が家の前に止まり警察の人がきてる家をぼんやり眺めていました。<br><br>私はまだ死というのが全然わかってなく学校に行く時間になり学校は今日は休めるとなり一緒に学校に行く子達を見送りに行ったのを覚えてます。<br>全然死というのはわかってません。<br><br>そうして座敷にうちら兄妹が寝てたのでそんなのを片付けられ布団をひいてしばらくして母が父と一緒に霊柩車で帰ってきました。<br>その頃になると親戚が集まり始め近所の人も集まってきました。<br>近所の母と仲の良かった同級生のお母さんが私を抱きしめながら泣いていました。なにか声をかけられたけど全然覚えていません。<br>
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<link>https://ameblo.jp/mikeko2016/entry-12438993744.html</link>
<pubDate>Sat, 09 Feb 2019 21:58:32 +0900</pubDate>
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<title>私は単純性血管腫です。</title>
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<![CDATA[ 初めての治療後からの話です。<br><br>治療後は火傷と同じ状態なので熱いし痛いしそして何より完全に治療したところは腫れ上がってます。<br>そして火傷の状態なので、水ぶくれができてるみたいで勝手にプチっと割れてるのがわかります。<br><br>しかも母はせっかく来たのだからと病院の先生に<br>「近くにで美味しい飲食店はないですか？」<br>と聞いて先生が近くにあるお店を紹介してくれました。<br>そこはまさかのフランス料理店？だったと思います。私は痛みと腫れとでご飯は少し食べれたかどうかだったけど、母はしっかり食べてたと思います。<br>支払いの時にわかったのですが、そこは形成外科の先生の弟さんが経営してるお店だったようで、先生が支払うのでお金はいらないとのことだったのでびっくり。いやいやそれはダメですといったけど、あちらも引かず結局支払いせずに帰りもう一度先生のとこにいってお礼を行って帰ったと思います。<br><br>もうそこいらになると痛みで記憶がありません。<br>帰りは父が車で迎えに来てくれたので車の中でぐったり。途中でお店によって袋にかき氷が入ってるアイスを買ってもらいもちろんそれは顔を冷やすように買ってもらって顔を冷やすのですが、顔が暑いせいかすぐとけていく。<br>結局泣いて暴れたせいで帰りは車の中で泣きつかれて寝てました。<br><br>治療後は治るまで1ヶ月は外出禁止とかありそのため治療は夏休みの長期休みのみなので夏休み入ったらすぐ病院でした。そのため夏休みの出校日はいったことありません。<br><br>帰宅後は痛み止の薬を飲んでずっと布団で顔を冷やしながら寝てました。しかも治療後はお風呂禁止。<br>理由としては治療後は表面の皮膚を焼き殺した状態なので感染する可能性があることと、痛くて顔があげられないとか色々ありました。<br><br>だから家での食事も顔をあげれない、口を動かすといたいのでしばらくはゼリーとか簡単に食べれるものばかり。<br><br>しかも顔は痛くて暑くてアイスノンとか使うけど、体は冷やしすぎてるせいか寒いという状態。<br><br>お風呂も体を拭くだけで、1週間以上してガーゼをとってもらい短時間でさっと入る。そしたあがったらガーゼなどて軽く拭いてすぐ薬を塗ってまたガーゼをつけテープでびっしりとめるのです。そんなお風呂に入ったときに初めて治療後の顔を見れたのですがそこにはレーザーあてたところは真っ黒でした。<br><br>でも治りかけると今度は痒くてしょうがないもうガーゼの上からかいたり、しまいにはテープの隙間に指いれてかいたりしてました。ほんとはダメだけど。<br><br>だいたい3週間ぐらいでガーゼをとることができます。<br><br>そんな私には母との約束がありなるべく顔が日にあたらないようにということで、髪の毛は肩から上には切ったらダメ。日焼け止めを必ず塗る。特にプールの授業の時は入る前にしっかり塗る。<br><br>そのためいつも髪の毛は肩から上に切ったことなく、ショートカットなんてしたこともありません。<br>またプール前の日焼け止めも学校の先生に許可をもらってるにしても私しか塗ることができないので、クラスメイトにはずるいやえこひいきや特別扱いやらさんざん毎回プールのたびに言われてました。<br><br>だからいちいちいわれるのが嫌でトイレとかでこっそり塗ったりしてましたが、顔の病院の日焼け止めはフランス製で匂いはするし、のびがすごく悪くしっかりのばして塗らないと白くなるのですぐまたなんやかんや言われてました。もちろんいい意味でなく悪口がほとんどです。<br>そしてたまに先生もちゃんと日焼け止め塗ったかの確認をするのでまた特別扱いやんとか、○○ちゃん(私)だけずるいとか、○○ちゃん(私)だけ特別扱いでいいねーとか言われるのでいやでいやでしょうがなかったです。<br><br>だからいつもそんないうなら私の顔とかわってよ、そしたら塗れるやんとかあんたたちは普通の顔やんとかいつも下ばかりみてたし、惨めで惨めでしょうがなかった。<br><br>いつも色々言われるたびにこっそり泣いてました。<br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/mikeko2016/entry-12434355595.html</link>
<pubDate>Sun, 20 Jan 2019 20:44:35 +0900</pubDate>
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<title>私は単純性血管腫です。</title>
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<![CDATA[ お正月、お盆は母方の祖母の家にも毎年行ってました。<br><br>そこではお正月という事で親戚等が集まりもあり、そのときは豪勢なごはんが座敷のテーブルの上にずらっと並んで食べるのですが子供はTVの部屋で食べてました。しかしもちろんTVの部屋の襖はしっかりしまってましたが、いとこ等は座敷の部屋にいって食べ物取りに行ったり、ごはんを運んだりとしてましたが、いつも私はここからは出たらダメ、この襖は必ず閉めなさいたまにちょっとビールや皿やらなんかとってと名前呼ばれてキッチンに取りに行くのですが、TVの部屋の襖を開けた瞬間祖母に<br><br>「あっ○○(年上の従姉妹の姉ちゃんの名前やうちの姉の名前)受け取って持ってきて」<br><br>と必ず私が持っていくことはできませんでした。<br>もちろんこれはずーっとやられてました。<br><br>だからいつもいとこの兄ちゃんや姉ちゃん、うちの兄や姉、私と同い年の内孫のいとこ兄弟は座敷にいってごはんとったりできるのですが、私は絶対出てはダメでてくるといやそうな顔をしてました。<br><br>私は母方の祖母にとっては恥ずかしい孫なのでしょうか、人様に見せれる人間ではないのでしょうか。<br><br>父はいつも怒ってましたが、私はいつものことなのでいつの間にかあきらめていました。<br><br>小学校に入る頃になると病院を変えることになりました。うちから2時間以上かかる病院まずはそこの県の大学病院に検査に行ったそうです。<br>うちの父が色々質問するそうで先生はちょっといやそうな顔をしてたようです。<br><br>しかし結局子供の頃からいってた大学病院の先生が、先生の地元のN県に形成外科の病院を開いたと言うことでそこを紹介してもらって行くことになりました。<br>こことは長ーい付き合いとなりました。<br><br>初めてそこのT形成外科の病院にいくときわからないので電車とタクシーで行きました。<br><br>完全予約制なのですが、まず診察して診察室にあるベッドに寝てまず写真。わたしは広範囲なので治療するところをボールペンだかマジックで囲んでまず表面麻酔みたいな成分が入っているクリームを縫ってラップをはってテープでとめて30分以上待つ。そのクリームが麻酔の成分が入っているせいか待ってる間ピリピリ顔がしてました。<br><br>そのあと30分ぐらいたつと<br>「○○さん(私です)3番診察室にお越し下さい。」<br><br>と呼ばれるのでとことこ歩いて靴からスリッパに履き替えて治療台にのせられました。<br>そこでの治療はもちろんレーザー治療で、レーザーで表面の皮膚を焼き殺してそしてしたからでてくる新しい皮膚で色が薄くなる予定の治療で、20歳までには治る予定でした。もちろん未知の世界なので所詮は予定だったそうです。<br><br>TVの見るような手術実のベッドにライトがあるところのベッドに寝かされ、母にはレーザーの光が目にいけないからそのための眼鏡？みたいなのを先生も看護師さんたちもかけて、私には絶対目を開けてはいけないつぶったままでいなくてはいけないといわれました。<br><br>いざ治療が始まるとまずレーザーあてるところのクリームをガーゼでぬぐいながらレーザーを当てていくのですが、これがまた痛くて私は泣き叫んで暴れて看護師さんや母に押さえつけられてそれでも痛くて暴れて暴れてわんわん泣いていました。<br><br>レーザーも一回ピッとだすと機会がボンっといった音がして、毎回ピッ、ボンと音がしてまたコレがこわい。<br><br>先生は治療に専念して「はい頑張れ」「痛いな、ごめんなごめんな」といいながら治療してました。<br><br>私は泣いて叫んで暴れてをしてるのでわかりませんが、レーザー治療に1時間程かかってたと思います。先生に抱えられて隣の部屋のベッドに移動しそこでレーザー当てたところは火傷?みたいになってるのでアイスノン？みたいなのを顔にあてて1時間程冷やしてました。私は泣いて叫んで暴れてぐったりしてるけど顔は痛くて痛くて。<br><br>先生は子供が治療にくるのはその時は私ぐらいだったのに、少しでも私を楽しませるために、色んな風船を買っていて、2重にした風船をふくらませるガス？みたいなのをちゃんと用意していて目の前でふくらませてくれて、その2重になった風船にレーザー？当ててなかの風船だけわるとか(子供だったのでうろおぼえです)してくれてました。<br><br>でも私は泣き叫んで暴れてで疲れてぐったりしてて多分寝てたと思います。<br><br>そして1時間冷やしたら看護師さんがきて、顔に薬を塗って、ガーゼをししっかりテープをガーゼの全面に貼り終わったら待合室で待っててねーといわれて待合室までとことこと歩いていき痛いのでまたそこの椅子でぐずりながら横になってました。<br><br>そしてまた<br>「○○さん(私)1番診察室にお越し下さい」 <br><br>と呼ばれてなにかの説明やら母にしてたようですが、私は先生を完全に敵と思っていたと思います。<br><br>初めての治療はこんな感じでした。<br><br>父が言ってたのですが、初めての治療の時まだ単純性血管腫は保険はきかないので母に100万の束を持っていかせてたそうです。そのお金を全部使ってきたからビックリしたと言っていました。<br><br>もちろんレーザー治療が一発1000円だったそうなので治療代にほとんど消えたと思います。<br>
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<link>https://ameblo.jp/mikeko2016/entry-12432467312.html</link>
<pubDate>Sat, 12 Jan 2019 16:56:04 +0900</pubDate>
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<title>私は単純性血管腫です。</title>
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<![CDATA[ 保育園の時も2週間入院しては2週間退院のサイクルのままでした。<br><br>その為2年保育となり私が入ったクラスは同じ年代のこばかりでなく、ひとつ年上の年長さんたちと同じクラスでしかも同じ年代の子達大勢と一緒にいたこともない私は、人見知りってのもあり朝は行きたくないをよくやっていました。<br><br>そんななかでもやはり私の顔は人と違うというだけでよく親御さん達からも、もちろん子供達からも変な目でみられ、いつも向けられる視線は<br><br>「気持ち悪い」「近づくな」「軽蔑」等々<br><br>もちろん言葉でもいわれてました。<br><br>「気持ち悪い」「こっちくるな」「バケモノ」「お化け」「腐ったリンゴ」「さわられたらうつる」<br>等々様々な言葉がありました。<br><br>そういったこともありますます人と話すこと、保育園が苦手となっていきました。<br><br>人からしたらたったそんくらいが私にはずっといわれ続けていたので辛い現実でした。<br><br>しかもそれが同世代、その親、その祖父母世代からずっとされてきました。<br><br>保育園に行きたくないをするとたまに母は私を家に連れて帰ってました。しかし、母はすぐ仕事のため私を家の前でおろしてそのまま仕事に。<br>家には祖母がいたのですが、いつも怒られるかもとかいろんな感情からか家に入れずいつも玄関前でちょこんと座ってました。<br><br>祖母はそんな私に気づくとそっと優しく家にいれてくれました。そして祖母と一緒によくテレビをみてました。しかし祖母は子供向けのテレビじゃなくいつも時代劇をみてました。今思うとアレッ?とも思いますがそれでもいつも一緒に時代劇を見てました。そのせいか時代劇大好きです。<br><br>保育園のお迎えにたまに祖母が自転車で迎えに来てくれてたのですが、私に嫌な言葉、悪口等言われたときは祖母がいつもその相手に怒ってくれていました。父方の祖母はそんな人でどこかに急にバスで出掛けるときもいつも一緒に連れてってくれました。<br>私はそんな祖母が大好きでした。<br><br>父方の祖母はそんな祖母でしたが、母方の祖母にとっては私は恥ずかしい孫だったと思います。<br><br>母方の実家に行ったときは私は外出してはいけない、正月やお盆の時はテレビがある部屋からは絶対でては行けない襖をしっかり閉めそこを開けてはいけない、そこに泊まるときは朝もし寝坊して人が来たとき目に入ってはいけないので寝るのはいつも座敷の一番奥トイレにつながるドアの前。もしそこに寝れないときは、布団が一枚しかひけないような小さな縁側に一人で寝る。<br><br>外出してはいけないもいつも一緒にいわれてたのは、そこに住んでいる内孫は男の子だったので、男の子が女の子といると恥ずかしい、恥をかくから一緒に出てはいけない外では話しかけてはいけないでした。<br><br>しかし私の姉は一緒に外にでていいし、話しかけてもよくなぜ私だけこんなこといわれるのかと思っていました。<br><br>そんな孫差別というか私にだけそんなこと言う母方の祖母に父はとてもいやがって怒っていたようで、母にもう帰ろうとか言ってたようですが、母はまぁまぁといった感じで帰ろうとはしなかったようです。<br><br>たまに母方の祖母宅に行ったとき姉達と近くのお店にお菓子を買いにいこうとするといつも祖母が言うのは、髪をちゃんとおろしていきなさい、帽子があればしっかり被りなさい、下を向いて歩きなさい、内孫の男の子とは離れて歩きなさい等々私にだけいつもいつもいっていました。<br><br>これは20代過ぎて知ったことなのですが、母方の祖母は祖母宅の近所の人たちにはうちの母の子供は2人しかいない、上の男の子と女の子だけといっていたそうです。しかしうちは3人兄妹私はいない存在だったようです。だから3人兄妹だったのとビックリされてました。<br>
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<link>https://ameblo.jp/mikeko2016/entry-12431443485.html</link>
<pubDate>Tue, 08 Jan 2019 03:33:31 +0900</pubDate>
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<title>私は単純性血管腫です。</title>
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<![CDATA[ これはすごく暗い話して、人からみたら<br>「そのくらいたいしたこたない」<br>「不幸自慢」「バカじゃない」等色々いわれると思われる内容です。<br>しかし、本人にとっては辛い現実です。<br>正直みて気持ちいいものでなく、批判等するかたがいるのはわかってて書いています。<br>まぁ批判する人はみなくて結構です。<br>ちなみにあんたより辛い人いるといわれるのもわかってます。<br>まだまだ言いたいことありますが、言い出したら始まらないので。<br><br>私は単純性血管腫です。<br><br>場所は右の胸上から首、顔、耳、頭と広範囲に広がります。<br><br>母は私を帝王切開で産みました。<br>母はとても苦しんだそうで母方の祖母は、お腹のこは死んでもいい、殺してもいいから母を助けてくれといったそうです。<br>そして帝王切開で産まれた為、顔とかに血がついてて看護師さんが一生懸命拭こうとしてたそうです。<br><br>しかしその血は落ちることなくすぐ他の病院に移動したそうです。私が覚えてるのは託児所からで、私は大学病院によく入院してました。<br>2週間入院しては2週間退院といった形でした。<br><br>私が幼い頃覚えてるのは治療はレーザー治療です。<br>治療するところによく分からないスプレーをし、その日レーザーをあてるところに子供ながらみたことない極太の黒のマジックで赤いところを黒く塗りてぶしてました。そしてレーザー始まるとギャーギャー暴れるので看護師さん数人ががりで押さえつけられてました。<br><br>子供の頃は痛みでギャーギャー泣いて暴れて、泣きつかれて寝るけど痛みで目が覚めるといった感じでした。<br><br>いつも目が覚めると白い天井ばかりでした。<br><br>だから小さい頃の記憶といわれたら病院とういことしか覚えていません。<br><br>そんな広範囲なので人体実験といったら言葉は悪いですが、ここはこれ試して、ここはこれをというのをしてたようです。<br><br>そして治療の時はいつも母がついてましたが、たまに私だけ母は入れないというのがあり、そのときはレーザーがある部屋に一人で連れてかれ、なかにいっぱいの人多分医者の卵？的な人なのかファイルみたいなのを持った大人達に囲まれて、なんかいろいろ言葉のなか、いつも通り看護師さん達に暴れないよう押さえつけられて治療するということもありました。<br><br>もちろん父や母はどこどこにいい先生がいればつれていき、また違ういい先生の話を聞けばまたつれてくと、様々な病院等に連れてってくれたそうです。<br><br>ほぼ治療入院してたのは大学病院です。<br><br><br><br>
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<pubDate>Sat, 05 Jan 2019 19:35:01 +0900</pubDate>
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