<?xml version="1.0" encoding="utf-8" ?>
<rss version="2.0" xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom">
<channel>
<title>mikko-2021のブログ</title>
<link>https://ameblo.jp/mikko-2021/</link>
<atom:link href="https://rssblog.ameba.jp/mikko-2021/rss20.xml" rel="self" type="application/rss+xml" />
<atom:link rel="hub" href="http://pubsubhubbub.appspot.com" />
<description>ブログの説明を入力します。</description>
<language>ja</language>
<item>
<title>父と服部良一先生の事</title>
<description>
<![CDATA[ <p>平成5年か6年の2月の寒い日だった。</p><p>体調を崩していた父が喪服にお気に入りのマフラーをし</p><p>ヨロヨロしながら出かけようとしていた。</p><p>車で送ってあげようかと聞くと</p><p>「今日はお父さん一人で行く」という。</p><p>「何処行くの」と言う私の問いに</p><p>「あの先生はお父さんにはいつも自分から元気ですかと声を掛けてくれ</p><p>苦しい時も励ましてくれた。だから今日はどうしても言ってお礼を言わなくては」</p><p>&nbsp;</p><p>あの先生とは服部良一先生の事</p><p>この日は先生のご葬儀だった。</p><p>帰宅するまで心配で実家にいた私。</p><p>早めの午後に帰宅した父。</p><p>その後机に向かいじっと何かを考えていて声をかけるのさえためらったのを覚えている。</p><p>この日の事は主宰していた同人誌編集後記にこう書かれていた。</p><p>「生前親しくさせて頂いてた服部良一先生が亡くなられた。感無量である」</p><p>そして同年代で活躍された人々が皆故人になてしまい寂しさが増す今日この頃とも。</p><p>当時78才だった父。透析をしていた事もあり入退院を繰り返しながらも</p><p>創作意欲は衰えず鉛筆が握れなくなるまで作品を書き続けた。</p><p>そして最後に読み終えた本それは服部良一先生の「僕の音楽人生」だった。</p><p>父は服部先生の優しい温かなお人柄に尊敬の念を持っていたのだと知った。</p><p>その父も服部先生と同じ85歳でこの世を去った。服部先生、お父さん安らかに。</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/mikko-2021/entry-12732034724.html</link>
<pubDate>Tue, 15 Mar 2022 14:57:26 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>みっこのおはなし</title>
<description>
<![CDATA[ <p><span style="font-size:1em;">2000年４月30日20時</span></p><p><span style="font-size:1em;">目黒にある東京医療センターのアナウンスが</span></p><p><span style="font-size:1em;">この日の面会終了時間がきた事を告げた。</span></p><p>父を見舞っていた姉と私は急かされるようにして</p><p>病室を後にしようとした時</p><p>『おかあさんは？』とふと父が尋ねた。</p><p>『何言ってんの。お母さんは今日は深谷。明日来るよ。また明日ね。』</p><p>そう言って閉めそうになったドアからもう一度父を覗き込んだ。</p><p>その時父は『そうか』と頷き納得したように見えたが</p><p>子犬がクンクンするような寂しそうな表情をした。</p><p>これが生身の父を見た最後であり。父との最後の会話になろうとは。</p><p>それから3時間余り後の23時過ぎ、病院からの電話で慌てて駆けつけた時には</p><p>人工呼吸器で一生懸命呼吸している父の姿があったが顔色は良く少年のように輝いて見え今にも起き上がってくれそうにさえ感じた。</p><p>既に死亡していたが付き添った先生が生きようとするするパワーが強く感じ取れます</p><p>と話してくれた。</p><p>&nbsp;</p><p>家族全員が揃ったのが明け方の3時過ぎ、人工呼吸器装置が取り外され死亡時刻が</p><p>告げられた。5月1日午前3時40分、85歳の人生だった。</p><p>前日まで痩せこけて皺くちゃだった顔はピンと張りそこには省吾少年そのものがいた。病院から出て空を見上げると空は真っ青。</p><p>正面には父のシンボルとも言える大好きな日本一の富士山が白い帽子を被りくっきりと。雄大にそびえ父の天国への道にお迎えに来てくれたのだと思った。</p><p>あれから20年の時が流れ元気だった母も98歳で7年前に他界した。</p><p>私達子供が幼かった頃からよく喧嘩していた両親。</p><p>仲の良い夫婦だったとは思わないけど父が最後に会いたかった人は母だったのだ。</p><p>もし会えていたら何を母に言ったのだろう。</p><p>永遠の謎のまま。母は最期に会えなかったのを寂しく感じて悲しんだが</p><p>『お母さんは？』が最期の言葉だったことに救われ父亡き後</p><p>父のためにいろいろつくし夫婦思いやりを持って生きたんだと感じさせられた。</p><p>&nbsp;</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/mikko-2021/entry-12705285314.html</link>
<pubDate>Thu, 21 Oct 2021 15:07:14 +0900</pubDate>
</item>
</channel>
</rss>
