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<title>こどもとの対話に役立つはなし</title>
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<description>私は学びのコーチ「三木たかし」です。長年、個別指導の講師をしている対人教育のスペシャリストです。おもにコーチングの観点から教育を見つめなおすきっかけを与えることができればうれしいと思い、このブログをはじめました。ぜひお気軽にコメントお寄せください。</description>
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<title>年齢とともにかわる疲れやすさの変化(?)</title>
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<![CDATA[ 今日久しぶりに卓球をしました。^_^<div><br></div><div>中学高校と卓球部だったので卓球は大好きです。まあ大して強くなく下手な横好きという感じですが。</div><div><br></div><div>今回は高校生と対戦。</div><div><br></div><div>何度も対戦していて、勝ったことがない相手で、通り名がチャンピオン(笑)。彼が卒業するまでには、勝ちたいんですけどね～。</div><div><br></div><div>で今日の対戦。</div><div>相手も久しぶりだったからか、そこそこいい勝負になり、1セット取られた後、次の1セット取り返しました！2セット先取の試合だったんで、「お、これは初勝利なるか？」と思ったんですが。。。</div><div><br></div><div>最後のセットはボコボコにやられちゃいました。^_^;</div><div><br></div><div>言い訳みたいというか完全に言い訳なんですが(笑)、最後のセットは体が思ったように動かなかった感じがあったんですよねぇ。</div><div><br></div><div>若い時から、まあそんなに体力があるわけじゃなかったんで、昔からヒーヒー言ってたんですが、またその時とはなんか疲れ方が違うなあ、と。</div><div><br></div><div>なんだか気付かない内に疲れが侵食しているみたいなんですよね。</div><div><br></div><div>疲れた体に昔は鞭を打つことができたけど、今は鞭を打ち方が分からなくなったというか、ふんばれないというか。</div><div><br></div><div>ほんと、あれ？もう動かないの？って感じです。</div><div><br></div><div>まあ、単純に走り込みとかして体力付ければ良くなることで、加齢とは関係ないのかもしれないんですけどね。</div><div><br></div><div>ただ今回思ったのは、意識と身体のズレってこわいな、ということですね。</div><div><br></div><div>こういうの体感しないと分からないことだから、言って通じるものでもないのでしょうけど、例えば「お父さん、もう年だから疲れたわ」と、言うだけだと、「ふーん」「えーなんで、へこたれちゃうのー？！」と共感されませんが、「いやいや、やりたい気持ちはいっぱいなのよ。でも、心と身体が一致しないわけ。そういうのが、年をとった時の疲れ方なんだよ。ごめんね。」と、言えば少しは同情してくれるかな？なんてちょっと期待しちゃいます。</div><div><br></div><div>まあ、たぶん「ふーん」は「ふーん」のままなんでしょうが(笑)。でも自分の身体の変化を言葉にしてみる、というのは思わぬ理解者を増やすきっかけになるのではないでしょうか。</div><div><br></div><div>なんだか理解されなくて苦しいなあ、と感じる人は当たり前の感覚を言葉にしてみるというのが一つの処方箋になるのかもしれませんね。</div>
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<link>https://ameblo.jp/mimi03edu/entry-12129404073.html</link>
<pubDate>Mon, 15 Feb 2016 18:00:54 +0900</pubDate>
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<title>しんどい世の中でも楽しく生きる個性を大事したい。</title>
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<![CDATA[ <div>岡田斗司夫さんのやってる「言論スター」のオーディションに行ってきました。</div><div><br></div><a href="http://goo.gl/jpRQOq">http://goo.gl/jpRQOq</a><div><br></div><div>ニコニコ主催で、ネットで活躍する評論家というのを作ろうという企画らしいです。</div><div><br></div><div>百人近く面接するらしいから選ばれるかかなり微妙ですけど、ちょっと楽しみです。</div><div><br></div><div>今回いた人はかなり濃い人ばっかりで、すごいな、と思いました。</div><div>個性重視の教育ってこういうの見るとそこそこ花開いたのかな、なんて感じます。</div><div><br></div><div>日本がこれから右肩下りて閉塞感もありますが、それでもなんとかかんとか、生きていく知恵を身に付けなきゃいけませんね。</div><div><br></div><div>その知恵さえあれば割りと楽しく生きていけるのではと感じました。</div>
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<link>https://ameblo.jp/mimi03edu/entry-12128810097.html</link>
<pubDate>Sun, 14 Feb 2016 21:15:12 +0900</pubDate>
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<title>なぜお父さんは娘さんに気持ち悪がられてしまうのか・・・子どもとの対話は異文化交流</title>
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<![CDATA[ お子さんと、最近きちんと会話していますか？<br><br><br>これはお子さんの年齢やお父さんかお母さんか、男の子か女の子かでも変わってくるでしょうが、一番へだたりが出やすいのが「お父さん」VS「年頃（思春期）の娘さん」じゃないでしょうか。<br><br><br>娘さんがお父さんから距離を置くこと自体は、成長の過程でもあるので、あまり神経質になることもないかもしれません。<br><br><br>これは、「娘さんが秘密をつくる」＝「自分だけの世界をつくる＝自我を形成していく過程でもあるので、そういった意味では多少距離を感じても仕方がないと思います。<br><br><br><br>ただ、それ以上に嫌われている・鬱陶しがられていると感じることはありませんか？<br><br><br><br>「娘なんか知らん！」という状態なら、両方嫌い同士なので、ある意味両想いでOKですが、「娘のこと心配なのに・・・。」と思っているお父さんがいたらツライですね。<div><br>そんなときには、二人の対話がしっかり成立しているか、振り返ってみてください。<br>お父さんが自分自身の聞きたいことを、一方的に聞きだそうとする、もしくはお父さんの話を一方的にしてしまうということはないでしょうか。<br><br><br><br>「年頃の女の子」は家庭とは別に、同じ年頃の女子たちの仲間（コミュニティ）をつくり、そこをメインにして生きています。言ってみればお父さんとは違う文化を持っているのです。宇宙人と話しているくらいの覚悟で臨む方がいいでしょう。<br><br><br><br>ただ、文化の違いといってもピンと来ないかもしれないので、もう少し言及すると、コミュニケーションには「事実」と「感情」の２系統があります。<br><br><br><br>お父さんは仕事中心の生活が「感情」より「事実」重視なので、感情に対するアンテナが鈍りがちです。逆に女の子の会話は「事実」より「感情」重視なので、共感したり特有のノリが共有できないと、コミュニケーションのテンションがガクッと下がってしまいます。<br><br><br><br>例えば、こういう質問をすることはないですか？<br>「学校は楽しいか？」「最近どんなことやっているの？」「どんな友だちがいるの？」</div><div>ということを矢継ぎ早に、お父さんが知りたいから、事実を確認したいからする質問をぶつけてしまうのです。</div><div><br>で、お父さんがむしろ熱心に「知りたい知りたい・オーラ」を出せば出すほど、娘さんとの「感情」のズレが大きくなってきます。娘さんとしては「自分の秘密を無神経に知ろうとしてきている！」とも感じるので、咄嗟に拒否反応が出てしまうのです。ありていにいうと「気持ち悪い」のです。</div><div><br></div><div>「事実」重視の人はコミュケーションが通じなくなると、「相手が何考えてるかわからん。」という程度ですが、「感情」重視の人はコミュ二ケーションが通じなくなると、心を閉ざしちゃいます。つまり「生理的にむり」というところまで達してしまうのです。</div><div><br></div><div><br></div><div>じゃあどうすればいいか。</div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br>「知りたい！」という気持ちをぐっと抑えて、会話の中で現れる娘さんの感情をキャッチするようにしてみて下さい。そして共鳴するように、その感情をまねて重ねていきましょう。</div><div><br></div><div>嬉しそうに話せば、嬉しそうに応対し、悲しそうに話せば、悲しそうに応対し、気だるそうに話せば、気だるそうに応対するのです。</div><div><br></div><div>感情に合わせて、ただただ相槌を打つだけでも随分反応は変わるんじゃないでしょうか。</div><div><br></div><div>一度拒否されると挽回はなかなか大変でしょうが。。^_^; &nbsp;</div><div>ぜひお試し下さい。健闘をお祈りします！<br><br><br></div>
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<pubDate>Sat, 13 Feb 2016 01:23:59 +0900</pubDate>
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<title>教育を受ける者がお金を払うシステムは健全なのか、どうか【その１】サービスとして教育をやる罠</title>
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<![CDATA[ 今の教育の当たり前として<strong><font color="#FF0000">「教育を受ける側がサービス代金を払う」</font></strong>というものがあるんですけど、この流れを変えると、ちょっと面白いんじゃないかなあ、なんて思ったりします。<br><br><br>教育ってのはサービス産業ですが、いわゆる飲食業など一般にイメージされるサービス業とは違う気がするんです。<br><br><br>一般のサービス業は、消費者・お客様が第一で<font color="#0000FF">「お客様がいかに王様気分を味わえるか」</font>が勝負どころです。もちろん教育もお客様（＝生徒）を第一に考え、いかに居心地をよくしてもらうかを考えますし、それによって例えば塾はサービスが向上して喜ばれています。それはそれでいいなあ、と素直に思います。<br><br><br>ただ、教育というのを「教育を受ける側を王様扱いするもの」としたら、<font color="#0000FF">どこか根底が狂っているのではないか</font>と思うのです。<br><br><br>教育というのは、自然と師弟関係が基本になっていきます。それは営利の塾であってもそうです。売れている塾というのは、おそらく「サービス」として「師弟関係」を演出できているところなんではないか、と思います。けど、それはあくまで「『師弟関係』に見せたサービス」であって究極的には「師弟関係」になりきれません。そこに<font color="#FF0000"><strong>教育者としての塾の歪み</strong></font>があると思います。<br><br>この「サービス提供者」か「教育者」か、という問題は営利の塾に顕著だと思いますが、私立の学校もすくなからずこの文脈にはいるのではないかと思います。（公立の学校についてはあまり当てはまらないかもしれません。公立の学校についてはまた後で触れます）<br><br><br><br>ただ、こういう場合、親に対しては「サービス提供者」子に対しては「先生」としての顔を使い分けているよ、ということもあるかもしれません。<br><br><br>けど、これだって微妙な話しです。<br><br><br>例えば宿題やってこない、生活習慣がずたぼろ、といった場合、親御さんも含めて指導した方がいいんでは？と思うケースなんて山ほどあります。信頼関係が築けていると感じる方には、親御さんにもそれとなくいうということもありますが、そうじゃないときは、注意したって嫌がれるのが分かるから、あえて言わない、なんてことは、結構あるはずです。<br><br><br>経営者としたらむしろ当然の判断といえるでしょう。自分が塾の会社の一員なら、迷わず「サービス提供者」を選ぶべきなんでしょうが、「理想の教育とは？」なんて考えだしたら、やっぱり悩んでしまいます。<br><br><br><br><br><br><br>「王様扱い」した結果、<font color="#FF0000"><strong>まさに「裸の王様」が量産されている</strong></font>、といったところでしょうか。<br><br><br><br><br><br><br>営利の塾からのこうした内省はあんまり聞かないような気もするんですが、どうなんでしょうね。自分が変に考えすぎなんでしょうか。ただ、教育というのは、未来の人間・未来の社会を作っていることになるので、そのあたりあまり考えずにやっていると、大きな歪が出てくるような気がします。<br><br><br><br><br>次回は教育をうける側がお金を払うことの「無理」について触れます。
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<link>https://ameblo.jp/mimi03edu/entry-12127910157.html</link>
<pubDate>Fri, 12 Feb 2016 15:07:42 +0900</pubDate>
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<title>「かませのおじゃるが姫にフルボッコされる」の巻【動画】高校古文「十訓抄（大江山）」</title>
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<![CDATA[ ちょっと前につくった動画です。<br>はじめてつくったやつなので画像が粗くて見にくいかもしれません（すみません）<br><br>完全に内容の紹介のみなので、「古文にこんな話しがあるんだあ」程度の楽しみ方ができるかと。<br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20160210/16/mimi03edu/35/b7/j/o0120009013563433622.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20160210/16/mimi03edu/35/b7/j/t01200090_0120009013563433622.jpg" alt="" width="120" height="90" border="0"></a><br><br><br><a href="https://youtu.be/rhICQMepq3o" target="_blank">動画こちら</a><br><br>動画の埋め込みってどうやるんだろ・・。<br>
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<link>https://ameblo.jp/mimi03edu/entry-12127210424.html</link>
<pubDate>Wed, 10 Feb 2016 16:05:04 +0900</pubDate>
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<title>それぞれのテーマを誰向けに記事を書いているか（2016年2月現在）</title>
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<![CDATA[ そう大層なものではなくブログ作成者自身の覚書程度のものです。<br>今あるテーマをとりあえず誰向けにどういう趣旨で書いているかを書き残しています。<br><br><br>ただ、そういう想定を知ってもらった方が利用しやすいかな？と思い書きました。取扱い説明書のようなものとして見てもらえるといいと思います。ぜひ利用する際の参考にしてください。<br><br><br>＜タイトル：こどもとの対話に役立つはなし＞<br>①このブログについて<br>→第一は作者自身のため。変更することもあるでしょうから、その過程が残るといいかなという考えです。書き手の頭の中を公開する意味もあります。<br><br><br>②こどもと話すときのポイント<br>→子どもと接する機会のある大人にむけて書きます。第一義的には親御さんですが、家庭教師や塾でバイトすることになった大学生にも利用できるでしょう。「話し方・伝え方」というよりは、未成熟な人（こどもや後輩など）を相手にしなくてはいけなくなったときの配慮に視点を置きます。<br><br><br>③うまくいく教え方・伝え方<br>→私は教えるのを仕事にしているのですが、この教えるという行為ってとても素敵なのです。その良さを知ってもらいたい。その対象は、親御さんや先生にとどまらず、学習している子どもたちでもあるのです。そのため、「親御さんにむけて」という以上に「子どもが見ても、なるほど」と思える水準を目指します。教えるときのテクニックや、教える喜びについて触れます。<br><br><br>④話してみたくなる学習コンテンツ<br>→勉強内容を、面白さ・わかりやすさを念頭に紹介していきます。基本は子どもがよろこびそうな形に加工することを考えています。これをネタに親子で話したりしてもらえれば最高です。<br><br><br>⑤本やニュースを話題にする<br>→私自身の本やニュースの感想を書いていきます。ただ、単なる感想では面白くないので、親子で話題にするならこういう切り口があるのではないか、といった提案も加えて行いたいと思います。<br><br><br>⑥ふと思いついたちょっとした話題<br>→上記のカテゴリからは外れるちょっとしたネタを書いていきます。<br><br><br>⑦壮大な理想と妄想・教育革命計画の立案<br>→思いつきの教育改革の絵図を垂れ流していきます。この理想が妄想で終わるか、現実になるか、今後のがんばり次第でしょうか。
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<link>https://ameblo.jp/mimi03edu/entry-12127198579.html</link>
<pubDate>Wed, 10 Feb 2016 15:33:16 +0900</pubDate>
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<title>「この子のことは分かっている」と考えることが理解を妨げ、成長を潰す。</title>
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<![CDATA[ 何事も100%分かり合えたり、逆に全く理解できない、ということはありません。<div><br></div><div><br></div><div>よく考えれば当たり前なんですけど、人間どうしても易きに流れると、100か0か、オールorナッシングで考えてしまうんですよね。</div><div><br></div><div><br></div><div>これはどうやら脳の機能の一つらしくて、できるだけ一度判断したことは変えたくない、レッテルを貼ろうとしてしまうそうなんです。</div><div><br></div><div><br></div><div>いちいち考えてたら面倒くさいんですよね。それを脳みそが勝手に省力化しちゃう。だからこれは多少しょうがないことです。</div><div><br></div><div><br></div><div>それに親や日頃接している大人であれば、「この子はこういう子だな。」「この子はこういうことしそうだな。」だな、という勘所は大体あたります。</div><div><br></div><div><br></div><div>だから余計にそのレッテルを使いまわしたくなるんですよね。</div><div><br></div><div><br></div><div>ここでいつも思うのは、「分かっている」からこそ、「もしかしたらこの子の分からない部分があるかもしれない」と構えておいた方がよいのではないか、ということです。</div><div><br></div><div>多分、わかってる部分があるとしたら、それは常に8～9程度で、あとの1～2くらいは毎度分からないかも、という感覚で相手を注意深く見ておくとよいのです。</div><div><br></div><div><br></div><div>そうしないと、心が相手に開いている状態にならないんですよね。「分かっている」つもりでばっかり接するとそれは、その子当人ではなく、その子に貼った自分の中のレッテルと向き合ってるだけになりかねません。</div><div><br></div><div><br></div><div>これ恐ろしいのは、レッテルがそこそこ妥当性があるってことだと思うんです。それこそ罠みたいなもんです。</div><div><br></div><div><br></div><div>そして、ごくたまにレッテルとは違う行動を子どもがとったときどう判断するか。</div><div><br></div><div><br></div><div>やりがちなのが「あんたはそういう人間じゃないでしょ」などと言ってしまうことです。</div><div><br></div><div>典型的な例としては、たまに勉強してたら「あら珍しいわね、雨でも降るのかしら」とかやっちゃうパターンです。これ、やられた方は根に持ちますよね(笑)。そして、やる方は悪気なく言っちゃう。</div><div><br></div><div><br></div><div>小さな変化というのは、言い換えれば成長ともとることができます。小さな変化を見過ごすことは、成長を見過ごすこと。そして、そこにレッテルを上書きする行為は成長を潰す行為になります。</div><div><br></div><div><br></div><div>それはちょっと悲しいですよね。</div><div><br></div><div><br></div><div>「分かっている」と思っている人より「分かってないかも」と思っている人の方が、その子のことを理解できるかもしれない、という話。</div><div><br></div><div><br></div><div>どうだったでしょう。あなたはお子さんとどのように接していますか？</div>
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<link>https://ameblo.jp/mimi03edu/entry-12126760202.html</link>
<pubDate>Tue, 09 Feb 2016 11:45:04 +0900</pubDate>
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<title>小学時代からの謎だった「➗分数」の意味(その3)図で説明する。</title>
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<![CDATA[ 前回のやつ、今一歩わかりにくいなあと感じたので、図を描き入れてみました。<div><br></div><div><br></div><div>まずは「➗3」と「➗1/2」の違いについて。</div><div><div id="{C8F814F0-ACEF-463E-A37B-00F24B3D0F0E:01}" style="text-align:left"><div><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20160206/12/mimi03edu/78/cc/j/o0480064013559688765.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20160206/12/mimi03edu/78/cc/j/o0480064013559688765.jpg" border="0" width="400" height="533" alt="{C8F814F0-ACEF-463E-A37B-00F24B3D0F0E:01}"></a></div></div><br>わられる数が、何かの「わる数」個分だったときに、その何か(つまり1個分)を求めようという話です。</div><div><br></div><div><br></div><div><span style="-webkit-text-size-adjust: auto; background-color: rgba(255, 255, 255, 0);">---------</span>---<span style="-webkit-text-size-adjust: auto; background-color: rgba(255, 255, 255, 0);">---------</span></div><div>★一個分に戻す！</div><div><span style="-webkit-text-size-adjust: auto; background-color: rgba(255, 255, 255, 0);">---------------------</span><br></div><div>という風によみかえるんですね。</div><div><br></div><div><br></div><div>もう一つ違う書き方で「➗3/2」にの方も表現してみました。</div><div><div id="{B496FF11-D83F-40F4-8B1A-DC91083B0D40:01}" style="text-align:left"><div><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20160206/12/mimi03edu/6e/1d/j/o0480064013559688772.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20160206/12/mimi03edu/6e/1d/j/o0480064013559688772.jpg" border="0" width="400" height="533" alt="{B496FF11-D83F-40F4-8B1A-DC91083B0D40:01}"></a></div></div><br>逆数をかけるというところの感覚をイメージしやすいように書き出しました。上に1個分をだすための流れを書き出し、はじめの「～個分」を「わられる数」におきかえたというものです。</div><div><br></div><div>上が「6➗1/2」下が「6➗3/2」の図です。</div><div><br></div><div><br></div><div>そして次は最初の図のイメージで「6➗3/2」を表現しようとしてみたんですが、なんともしっくり来ない感じになってしまいました。(下の上図)</div><div><br></div><div>そこで「一個分に戻す！」を大前提に「➗3/2」を分解して逆にたどっていくという図を考えてみました。(下の下図)</div><div><br></div><div><div id="{EA121F9F-71EB-44CF-9066-DFB69156CEDA:01}" style="text-align:left"><div><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20160206/12/mimi03edu/f2/f4/j/o0480064013559688778.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20160206/12/mimi03edu/f2/f4/j/o0480064013559688778.jpg" border="0" width="400" height="533" alt="{EA121F9F-71EB-44CF-9066-DFB69156CEDA:01}"></a></div></div><br>これは書いてみて新たな発見でしたね。もっと単純に「✖︎と➗は逆の作業」できれいに説明できそうです。</div><div><br></div><div>まあこの発見も最初にわり算の「よみかえ」をしたからこそ、進んだ思考といえます。</div><div><br></div><div>このように思考を展開すると元々知ってる知識をより深く理解し新しい発見をすることだってあるんです。</div><div><br></div><div>説明できることそのものより、こうした考え方ができるんだよ、ということを伝える方が創造性においては大事だと思います。</div><div><br></div><div>子どもと一緒に考えていく価値をぜひ見直してみて下さい。</div><div><br></div>
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<pubDate>Sat, 06 Feb 2016 11:42:03 +0900</pubDate>
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<title>小学時代からの謎だった「➗分数」の意味(その2)「よみかえ」と「定義の拡張」</title>
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<![CDATA[ さて、「➗分数」の意味の分からなさの元はどこからスタートしてるのでしょうか？<br><br><br>それを知るために、この問題をもう少しときほぐしてみましょう。<br>「➗分数」を例えば「➗3/2」としたとき、「➗分子」と「➗分母」に分けることができますね。<br><br><br>この場合だと「➗3」と「➗1/2」に分けられるでしょうか。<br>おそらく意味不明になる可能性があるのが、後者の「➗分母」「➗1/2」じゃないかと思います。<br><br><br>-------------------------------------------<br>ここの問題点は「➗」の「割る」という言葉です。<br>-------------------------------------------<br><br><br><br>「割る」を分割するという意味でとらえると、「整数個に分ける」以外はかなり意味不明な表現となってしまいます。<br><br><br>例：<br>整数個→　　３個に分ける（OK！）<br>それ以外→　1/2個に分ける（意味不明・・）<br><br><br>ですからここをなんとかすればうまくいくはずです！<br>ここで大きな力を発揮するのが「よみかえ」です。<br><br><br><br>「△➗○」（表現A：△を○でわる）を（表現B：△が何かの○個分だとしたら、その1個分はいくつになる？）というようによみかえてみます。するとどうなるでしょう？<br><br><br>例①：「６➗３」（表現A：６を３でわる）＝OK！<br>（表現B：６が何かの３個分だとしたら、その１個分はいくつになる？）<br><br>例②：「６➗1/2」（表現A：６を1/2でわる）＝意味不明・・・<br>（表現B:６が何かの1/2個分だとしたら、その１個分はいくつになる？）<br>→６が何かの1/2個分なのだから、１個分にするには２倍しなくてはいけない。<br>→だから「６➗1/2」は「６×２」となる。<br><br><br><br>どうでしょうか。<br>例①ですと表現Aでも表現Bでもそれほど違和感がない、というのが大切です。その上で例②に表現Bを適用してみると、そこそこ説明できているように感じる。そうような表現Bをさがしていきます。<br><br><br><br>----------------------------------------<br>これが「よみかえ」の力です。<br>こういうのを「定義の拡張」といいます。もしくは「再定義」です。<br>----------------------------------------<br><br><br><br>何かとらえにくいな、というものがあった場合、こういう手法を使うと、理解や納得が進みます。<br><br><br><br>ちなみに例②の話を延長して考えると<br>例③：「６➗3/2」<br>（表現B:６が何かの3/2個分だとしたら、その１個分はいくつになる？）<br>→６が何かの3/2個分なのだから、１個分にするにはどうすればいいか？<br>→3/2個を１個分にするには、逆数の2/3をかけるといい。<br>→だから「６➗3/2」は「６×2/3」となる。<br><br><br><br>というように、「なぜ逆数をかけるか？」ということに対して、それなりの説明がつくことになります。もしかしたらまだもう少ししっくりこないという場合があるかもしれません。ここは割合と絡めて考えるとよりわかるようになると思います。そのあたりについてはまた後日触れたいと思います。<br><br><br><br>ちなみにこの定義の拡張は、中高ふくめちょこちょこ行われます。おそらくこの手ので一番大きいのは正負の概念でしょう。個人的な見解ですが、数学が苦手な子にとって一番の関門が正負の計算です。<br><br><br>ただ、こういう「よみかえ」がそれなりに必要な単元が小学校でしれっとあることは、子どもたちにとっては大きな障害となっていると思います。できれば納得しながら学習をすすめていけるとうれしいですね。その一助になれば幸いです。
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<link>https://ameblo.jp/mimi03edu/entry-12125319274.html</link>
<pubDate>Fri, 05 Feb 2016 16:54:57 +0900</pubDate>
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<title>小学時代からの謎だった「➗分数」の意味(その1)「わかること」と「できること」</title>
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<![CDATA[ 小学校の勉強なんて楽勝じゃん♪<div><br></div><div>なんて皆さん思うかもしれませんが、いざ説明しようとすると結構難しいものもあるんですよ。</div><div><br></div><div><br></div><div>いろいろありますが、例えば特に難しいなあ、と感じるのが、「➗分数」ってやつです。</div><div><br></div><div><br></div><div>皆さんならどう説明します？</div><div><br></div><div><br></div><div>教科書にも説明書いてますが、「なんでそうなるのか」ってところがなんか細かすぎてピンと来ないのが多いんですよね。</div><div><br></div><div>まあ操作としては、逆数をかけちゃえばいいんですけど。</div><div><br></div><div>だけど「なぜそうなるのか説明する」ということになると「逆数かければいいんだよ」ってのは答えになってないんですよね。</div><div><br></div><div><br></div><div>「なんで逆数をかけるの？」ってことです。</div><div><br></div><div><br></div><div>だから実はここ「わかる」より「できる」が先行しがちなところなんです。</div><div><br></div><div><br></div><div>そして「できる」と「わかっている」と錯覚してしまうものなんですよね。少なくともそれで万事OKとしてしまう風潮ってあります。</div><div><br></div><div><br></div><div>ちなみに自分自身は当時「分からなかった」けど、「できて」いました。そしてそのことに何の疑問も持っていなかったのです。</div><div><br></div><div><br></div><div>で、その当時、姉が「分からない」「納得いかない」って言っていたのが印象的でした。</div><div><br></div><div><br></div><div>その時は、「何訳の分からんとこで固まってるんだろう」と思う反面、「確かにわかんねえな笑」、「そんなこと思いもしなかった」と感心したような気がします。</div><div><br></div><div><br></div><div>ここかなり難しい所なんですが、姉のように「納得いかない」から手や思考が止まっちゃうと、確実に算数・数学が苦手になっちゃうんですよね。</div><div><br></div><div><br></div><div>かといってどうでしょう。「できる」からって「わかる」ことに対する感受性が鈍るのも、知性として、いただけない気がするんですよ。</div><div><br></div><div><br></div><div>「わからない」けど「できる」という状態をモヤモヤしたまま引き受ける。そして「わかる」ように、いろいろ考えていくと、不意に言葉が浮かんだりします。</div><div><br></div><div><br></div><div>自分の場合、「どうやって説明しよう？？」と考えているときに出て来ることが多いんですよね。だから人に教えようとするのはすごく勉強になるんです。</div><div><br></div><div><br></div><div>「なぜこうなるの？」ときかれてうまく説明できない時。無理に説明できなくてもいいと思うんです。</div><div><br></div><div>「できてりゃいいじゃん」「つべこべ言わず覚えろ」などと言うよりは一緒に考える方が、ナンボか子どもに寄り添った態度だと思います。</div><div><br></div><div><br></div><div>お子さんに教えるときに、大人が一生懸命考えている姿を見せるってのも、たまにはいいんじゃないでしょうか。</div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div><br></div><div>さて、ちなみに、私なりの解答は割合の問題を絡めた説明になるのですが…。少し長くなったので次回に回します。ぜひ皆さんも考えてみてください。</div>
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<link>https://ameblo.jp/mimi03edu/entry-12124823522.html</link>
<pubDate>Thu, 04 Feb 2016 01:41:24 +0900</pubDate>
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