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<title>minami1868のブログ</title>
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<title>遺伝子神話からの脱却について</title>
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<![CDATA[ 本日は、English journalのインタビューについてです。エピジェネティクス、、、遺伝子の働きまたは発現を、オンやオフにするスイッチがあり、これによって、DNA配列は変わらないままで変異が生じること、このことを研究する学問分野をエピジェネティクスと呼ぶらしい。遺伝子の働き、発現がオン、オフされるという発想に私は驚いた。遺伝子がオン、オフされる働きがあるということは、あらゆる環境によって人間は自分で使う遺伝子を交代できるということ。細胞レベルで人はあらゆる環境に適応するということなのか。しかし、「適応」には多くの意味合いが含まれるだろう。「環境」が自らの遺伝子を作り上げる側面があるということだろう。孔子の孟母三遷の言葉が心に響いてきた。<br>
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<link>https://ameblo.jp/minami1868/entry-12097414451.html</link>
<pubDate>Thu, 19 Nov 2015 21:16:45 +0900</pubDate>
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<title>父について</title>
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<![CDATA[ 　本日も芥川龍之介氏の作品についてです。芥川氏に関わらず、私の知っている作家は「父」や「母」など「家族」をテーマとした作品を創作している。その作中に出てくる「父」や「母」は時に信じられないような人物像であることももある。だが、今回の芥川氏の作品に出てくる「父」は我が子思いの父親である。作家の「父」「母」など家族に関わる作品、個人的におすすめです。
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<link>https://ameblo.jp/minami1868/entry-12095610106.html</link>
<pubDate>Sat, 14 Nov 2015 22:41:11 +0900</pubDate>
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<title>老年について</title>
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<![CDATA[ 本日は、芥川龍之介氏の作品についてです。この作品は芥川氏の処女小説です。「中州の大将と小川の旦那とは黙って、顔を見合わせた。そして、長い廊下をしのび足で、また座敷へ引き返した。雪はやむけしきもない。、、、、」この文章で話は終わるのだが、この作品で描かれている、いわゆる「老年」の対象は、何か見てはいけないもの見てしまったような、、、、という「老年」である。私は、この作品を通して、何か見てはいけないもの見てしまう場面に遭遇する、知らない方がいい社会の本質を知るといった、青臭い「若者」の姿がタイトルの「老年」と対比して、あぶりだされている印象を持った。皆さんも是非、ご一読を。
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<pubDate>Fri, 13 Nov 2015 22:36:34 +0900</pubDate>
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<title>よだかの星について</title>
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<![CDATA[ 宮沢賢治の作品についてです。<br>容姿も境遇も恵まれないよだか。しまいには鷹や虫たちにも虐げられる。「星に連れて行ってください」と願うも叶わず。話の結末はよだかの願い通り「星」になるのだか、、、、切なくて何とも言えない。夜空に見える星はきれいで幻想的だけど、本当は「切なさ」という概念も星には本質的にうめこまれているのかもしれない。
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<link>https://ameblo.jp/minami1868/entry-12094854446.html</link>
<pubDate>Thu, 12 Nov 2015 21:02:43 +0900</pubDate>
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<title>FARCEに就てについて</title>
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<![CDATA[ 　本日は、坂口安吾氏の作品。<br>この作品は氏が自らが生業とする文学についてを論考したものと考えられる。<br>この作品の中には、文学の話の特性として、喜劇、悲劇、道化が挙げられている。タイトルにあるFARCEは道化を意味している。FARCEの具体的な意味は文中に「人間の全てを、全的に、一つ残さず肯定しようとするものである」と述べられている。この文で坂口氏が本当に言いたかったことは何なのであろうか。私は、坂口氏が人間の全てを、全的に、一つ残さず肯定しようとする作品を書くことで、読者を次の生活へ（もちろん良い意味で）進む一助となることを目指そうとしたのではないだろか。単純過ぎる解釈かな？<br>　
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<link>https://ameblo.jp/minami1868/entry-12094156242.html</link>
<pubDate>Tue, 10 Nov 2015 22:23:41 +0900</pubDate>
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<title>風姿花伝・三道について</title>
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<![CDATA[ 　本日は、室町時代の能作者、能役者である世阿弥の作品。<br>私が、この著作で特に印象的だったのは、「物学条々」の章である。「序」から始まり、「女」「老人」「直面」など様々な能の役柄の演じ方の基礎が記されている。台本のようなものであろうか。まずは、台本の通りに役を演じてみる。役になりきる、真似る、これらのことで真似た対象についての何かが分かってくるのであろうか。真似ることアイデアを生むのかもしれない。<br>　最後に、「芸」というと華やかなイメージがもちろん強いが、本作の読後感としては堅実で、慎み深いという印象を感じ得ずにはいられなかった。
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<link>https://ameblo.jp/minami1868/entry-12093623400.html</link>
<pubDate>Mon, 09 Nov 2015 14:08:38 +0900</pubDate>
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<title>天皇小論について</title>
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<![CDATA[ 　本日も坂口安吾氏の作品です。最初に断っておくと、決して現在の天皇を批判しているわけではありません。<br>この作品の発表は１９４６年。終戦直後。天皇に関する人々の注目が高かったことは言うまでもない。<br>　文中に「人間天皇は機関として存否を論ぜられるのは当然であるが、単純に政治的に論じられるべきでなく、一応科学の前で裸の身にした上で、更に宗教的な深さに戻って考察せられることが必要だと思う」とある。ここでいう「宗教的な深さに戻って考察せられること」から、直感的になってしまうが、古来の天皇の在り方に、「宗教的な深み」が庶民に現代に比較しえないほどに行き渡っていた。その理由としては、まず天皇と庶民の生活者としての距離が近かった。（天皇があえて庶民と近しくあろうとした）そして、距離が近いがために権威ある天皇が、人間的であると庶民は感じ、このことによって、天皇に何らかの宗教的な深みが生まれていたのではないだろうか。「宗教的な深み」が具体的にどんな内容かは分からないが、どんな人でも「何かいいな」と感じられることだったのではないだろうか。　どんな人でも「何かいいな」と感じられることって何だろう？<br>　本日は以上です。<br>　<br>
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<pubDate>Sun, 08 Nov 2015 23:05:39 +0900</pubDate>
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<title>文学のふるさとについて</title>
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<![CDATA[ 　本日は、坂口安吾の作品についてです。<br>こんな一文があります。「つまり、モラルがないとか突き放す、ということ、それは文学として成り立たないように思われるけれども、我々の生きる道にはどうしてもそのようでなければならぬ崖があって、そこでは、モラルがない、ということ自体が、モラルなのだ、と。」<br>　作品タイトルにある「ふるさと」は「ふるさと」の言葉からイメージされやすい、暖かい故郷、自らを勇気づけてくれる経験ではない。この作品で語られる「ふるさと」は「私が打ちのめされること、厳然とした事実にうちひしがれる」ということを述べたいのだと思う。作中では、この「ふるさと」体験から文学が始まるという趣旨の原稿が続いている。しかし私は、「ふるさと」体験から「自分の人生が始まる」と感じた。文学は軽々しく定義するのは失礼だがアートだ。もしかしたら、人生もアートと言えるものなのかもしれない。<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/minami1868/entry-12093041920.html</link>
<pubDate>Sat, 07 Nov 2015 22:17:52 +0900</pubDate>
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<title>市販本　新しい公民教科書　中学社会について</title>
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<![CDATA[ 本日は中学の公民教科書についてです。<br>　中学校の教科書改めて読むと、ためになります。もしかしたら、社会科の例えで言えばニュースの話題で基本的な意味が分からなかったりしたときは、中学校くらいの教科書に戻るといいのかも知れない。シンプルで分かりやすい。もちろん、行間を読むことも忘れずにして。<br>　デンマークの教科書に引き続き、教科書はおもしろい。なんでおもしろいのかな。年齢を経て、大切さに気が付いたからなのか？教科書には筋の通った、物事の本質があり、その本質が自分の言葉にできなくても感覚として感じられるようになったからなのか？<br>　最後に、もしかしたら大人は自分で自分の生きた教科書を無意識に日々書いている。自分もシンプルで分かりやすい教科書を目指したい。<br>　<br><br>　<br>　<br>　<br>
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<link>https://ameblo.jp/minami1868/entry-12092683515.html</link>
<pubDate>Fri, 06 Nov 2015 22:10:05 +0900</pubDate>
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<title>毛利先生について</title>
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<![CDATA[ 　今日は芥川龍之介氏の作品についてです。<br>この作品は短編小説です。読んでみると、「確かに、こういう先生いたよなー」もしくは「現実的にいそう、実話みたい」と思わせられる作品です。私は、この毛利先生ののような人、好きです。不器用、真面目、素朴な人柄。私は先生のような授業を真剣に聞くようなタイプです。「毛利先生、本当は世間、社会についてどのように考えているのでしょうか？」先生の本心を思わず聞いてみたくなってしまいます。好きな作品です。皆さんも是非一度読んでみてください。
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<link>https://ameblo.jp/minami1868/entry-12092327774.html</link>
<pubDate>Thu, 05 Nov 2015 22:48:31 +0900</pubDate>
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