<?xml version="1.0" encoding="utf-8" ?>
<rss version="2.0" xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom">
<channel>
<title>minayoi-4696のブログ</title>
<link>https://ameblo.jp/minayoi-4696/</link>
<atom:link href="https://rssblog.ameba.jp/minayoi-4696/rss20.xml" rel="self" type="application/rss+xml" />
<atom:link rel="hub" href="http://pubsubhubbub.appspot.com" />
<description>ブログの説明を入力します。</description>
<language>ja</language>
<item>
<title>意味付けられた歴史の一方で</title>
<description>
<![CDATA[ <p>単なる出来事の積み重ねに意味を持たせ物語るのが歴史である。</p><p>天皇退位の中継を見てつくづく思つた。</p><p>我々が生活している中で何気なく見落としている出来事も後で意味付け、歴史物語とする事もある。</p><p>今回の退位は多くの人が後々語り継ぐ大歴史物語であり、意味を持たせるのに十分な演出がなされた。</p><p>&nbsp;</p><p>我々は自分をも歴史化する。</p><p>自分の人生に意味を持たせるべく、自分史を書く人も多い。</p><p>誰でも人生を無意味ではないと思いたい。</p><p>自分の人生を必然化したい。</p><p>その都度しつかりとした目的を持ち生きることを願う。</p><p>ただ自分史において起こることは単なる偶然的、無ー意味な出来事でしかない。</p><p>それに意味付けしたいのが人間の性である。</p><p>別に目的を必然化して生きることを否定するわけではないが、その都度自分に起こる一回性の出来事を無になつて引き受けるという生きかたも一方にはある。</p><p>&nbsp;</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/minayoi-4696/entry-12458195063.html</link>
<pubDate>Wed, 01 May 2019 16:12:31 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>歌い続ける吉野千代乃という歌手の存在</title>
<description>
<![CDATA[ <p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20190427/15/minayoi-4696/1d/f5/j/o3500350014398548815.jpg"><img alt="" height="220" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20190427/15/minayoi-4696/1d/f5/j/o3500350014398548815.jpg" width="220"></a></p><p>俗に「継続は力なり」という。</p><p>でも継続したつて力にならないことなど山ほどある。</p><p>別に継続することに意味を持たせる必要などない</p><p>&nbsp;</p><p>吉野千代乃という歌手がいる。</p><p>もう３０年以上も歌い続けている。</p><p>アルバムも何枚も出している。</p><p>彼女が２４歳の時インタビューして「おばあさんになつても歌つてる？」と聞いたら、「はい」としつかりと答えた。</p><p>デビュー当時は立て続けにアルバムを出し、大ホールでのコンサートを仕掛けたりと吉野千代乃という歌手の意味づけに皆奔走していた。</p><p>そして３０数年経つた今も歌い続けている彼女のライブに足を運んだ。</p><p>もう意味なんか見い出す人はいなくなつた。</p><p>意味づけする必要が無くなつた時、吉野千代乃という歌手の奇跡にも似たありのままの姿が浮かび上がつてくる。</p><p>&nbsp;</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/minayoi-4696/entry-12457223100.html</link>
<pubDate>Sat, 27 Apr 2019 16:11:12 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>多数決の怖さ</title>
<description>
<![CDATA[ <p>人の命と利便性どちらを取るのと言われたら、利便性を取るのが日本人である。</p><p>多数決でそうなのである。</p><p>多数決は怖いのである。</p><p>少数の健全な意見が闇に葬られる。</p><p>今の日本は衆愚にだんだん近づきつつある。</p><p>&nbsp;</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/minayoi-4696/entry-12456570747.html</link>
<pubDate>Wed, 24 Apr 2019 18:11:43 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>始めに感覚言語ありき</title>
<description>
<![CDATA[ <p>「始めに言葉ありき」と言う。</p><p>新約聖書にあり、世界のあらゆるものは全て言葉からなるということだ。</p><p>話言葉に書き言葉、言葉はそれを発すると同時に客観、対称世界に入る。</p><p>書き言葉に至つてはその現実感は薄れより客観、対称世界を意識するようになる。</p><p>ともに対称との意味の一致を求めることにはかわりない。</p><p>対象物が認識を共有できるものならいいが、感覚言語は対称とのズレが生じる。</p><p>感覚言語はその人の感じ方であるから他者が違うと言つたらもはやどうしようもない。</p><p>では意味の一致の確実性はどこに見出せばいいのだろう。</p><p>感覚言語は今の私の感覚を表す言葉である。</p><p>それに対しては人間の反省意識は働かない。</p><p>非常に自由な言葉と言つてもいい。</p><p>これがあるから多くの言葉が生まれる。</p><p>感覚言語が出発点となつて客観、対称世界が開ける。</p><p>&nbsp;</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/minayoi-4696/entry-12454948901.html</link>
<pubDate>Wed, 17 Apr 2019 15:54:56 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>存在感とは</title>
<description>
<![CDATA[ <p>私の知人で７５歳になつてもサツクスを吹き、最近は歌も唄い、ライブ活動をしている人がいる。</p><p>その人のライブに初めて足を運んだ。</p><p>彼は私のいたレコード会社の上司で、名プロデューサーであつた人だ。</p><p>サツクスは長年やつているだけあつてさすがにうまい。</p><p>うまさに味も出てきた。</p><p>歌はというと世間的には下手の部類に入るかも知れない。</p><p>だがまつたくその下手さが気にならない。</p><p>むしろ私には上手に聴こえた。</p><p>存在感があるというのだろうか。</p><p>存在感というのは曖昧な表現である。</p><p>その人独自の個性があるとかなんとか言うのか。</p><p>でもその人独自の個性というのは全ての私に言えることである。</p><p>その人が原点となつて独自の世界を開いているか、すでに開けた世界の中にその人個性があるかの違いで存在感の違いが出てくるように思う。</p><p>存在感を言葉で表すのは不可能である。</p><p>何故か。存在というのは概念ではないからだ。</p><p>彼の歌は一口に「・・・である」などとは表現できない。ただそこに「ある」だけだ。</p><p>ただそこに「ある」だけの歌。他には何処にもない。</p><p>何も纏わない「ある」だけの歌。</p><p>言葉の洪水の中言葉にできない存在に出会つた時、言い知れぬ感銘を受ける。</p><p>いいライブでした。感謝。</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/minayoi-4696/entry-12454480983.html</link>
<pubDate>Mon, 15 Apr 2019 15:40:41 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>ユーチューブに見る無道徳</title>
<description>
<![CDATA[ <p>町田で起きた殺人を匂わせる動画、渋谷の交差点の真ん中でベツドを置き寝る動画、両方とも注目を浴びるために起こした事件だ。</p><p>ユーチューブを利用すれば、自分たちの主張が自由に、しかも一瞬にして広めることができる。</p><p>再生回数を増やすためにますますエスカレートしていく。</p><p>インターネット時代に入り何事も便利になつたが便利さの代わりに犠牲になつたものも少なくない。</p><p>ここでは道徳が犠牲になつた。</p><p>道徳という社会的なヴェールは今や剥がされつつある。</p><p>事件を起こした連中は自分たちの欲動しか求めていない。</p><p>善いことと悪いことなどまつたく眼中にない。</p><p>そもそも人間の真理は自利への欲動である。</p><p>道徳で言う善悪はその上に築かれたいわば砂上の楼閣でしかない。</p><p>便利さを追求すればするほど人間の欲動は煽られ、人間の真理が露呈する。</p><p>それを防ぐには道徳を法律へランクアップするしかない。</p><p>法律が多くなれば多くなるほど人間はそれに縛られる。</p><p>生きにくい世の中になることを少しは想像してほしい。</p><p>&nbsp;</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/minayoi-4696/entry-12453335058.html</link>
<pubDate>Wed, 10 Apr 2019 16:13:57 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>男と女の共生</title>
<description>
<![CDATA[ <p>ある呑み屋に入つたら、平貝を開けたら生きているエビが入つていたので飼つていると言う。</p><p>食べられたエビが生きていて、食べた平貝が人間に食べられる。</p><p>ふと食物連鎖という言葉が浮かんだ。</p><p>人間がその頂点だろうと思つた。</p><p>しかしこのピラミッドの頂点は個体数が少ないので人間では多すぎる。</p><p>そもそも食物連鎖というのは自然界のことで、人間は自然界を破壊しているののだからこのピラミッドから除外されている。</p><p>閑話休題</p><p>数週間後に再びその店を訪れたら、エビが３匹に増えていた。</p><p>調べたら平貝がエビを食べたのではなく、貝はエビを中に住まわせているとのこと。</p><p>このエビはカクレエビという名が付いているらしい。</p><p>普通は雌雄一対で住まわせてもらつている。</p><p>いわゆる共生というやつだ。</p><p>平貝はメリツトがないのでこれを片利という。</p><p>ともにメリツトがあるのを相利、片方が損をする場合を寄生という。</p><p>&nbsp;</p><p>ところでこれを人間の男と女に置き換えてみる。</p><p>女に寄生して食べさせてもらつている男をヒモと言う、男が女を食わせるのは当然（？）だから片利は普通の状態、相利は割れ鍋に綴じ蓋と言つたところか。</p><p>共生というのは自然界の個体数維持のためだから人間界には向いてないかもしれない。</p><p>しかし人間の男と女は共生し続けていかなくてはならない</p><p>個体数を増やし続けた人間は単に自然の摂理に意味付けをするようになる。</p><p>しかも自分に有利な意味付けを。</p><p>それが長く続くと共生が離生になる。</p><p>離婚、出会い系、婚活と大流行りだ。</p><p>まあ人間にしか持ち得ない理性のなせる業だから致し方ないが。</p><p>こと女と男の関係に限つてはそろそろ直感（観）というものを働かせてはいかがか。</p><p>&nbsp;</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/minayoi-4696/entry-12452891041.html</link>
<pubDate>Mon, 08 Apr 2019 18:11:06 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>死は存在の消滅である</title>
<description>
<![CDATA[ <p>５年間母の介護をし、３年前に亡くなつたのであるが、今になつて母の死がいかなるものだつたのか分かるようになつてきた。</p><p>思えばこれまで知人の死に何回も遭遇したが、今までいた人がいなくなる程度にしか思わなかつた。</p><p>その死が自分にとつてどういう意味をもたらすかなど考えなかつた。</p><p>&nbsp;</p><p>５年間毎日のように摂していると日々衰えていく姿のことも忘れ、日常の生が当たり前のようになる。</p><p>やがて入院し認知症になつてもこのまま変わらず生き続けることしか考えない。</p><p>別に死に目を背けているわけではないが、その日その日のことしか考えられなくなる。</p><p>私の生と母の生はシンクロしていた。</p><p>私の存在は母の存在によつて確認されていた。</p><p>死に顔を見ても眠つているようにしか見えなかつた。</p><p>しばらくの間は母は私の中で生きていた。</p><p>それが少しずつ変化していく。</p><p>日々移り変わる世の中、季節の風景、もう母は見ることもできない、それを告げることもできない。</p><p>母の存在（世界）の消滅を考えるようになつた。</p><p>こうした思いが何回か訪れ、それがなくなつたとき、死を受け入れられるのかもしれない。</p><p>&nbsp;</p><p>母の存在（世界）の消滅が私の存在（世界）の消滅をも喚起させる。</p><p>私は自分の死を経験することができない。</p><p>私にとつて死は不在であるどころか完全な無である。</p><p>私の死、存在（世界）の消滅を少しでも触れるには、自分より先に死んでいく人と日々を過ごし、一緒に生きることではないか。</p><p>その人ともに多くの生を感じ、死の重みを知ることではないか。</p><p>他人の死が自分の死に及び、死が存在（世界）の消滅であることを知ることではないか。</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/minayoi-4696/entry-12452145934.html</link>
<pubDate>Fri, 05 Apr 2019 16:32:53 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>改元に見る徒労</title>
<description>
<![CDATA[ <p>人間は意味付け動物である。</p><p>出来事と出来事の前と後ろに意味を付与し、それで時間を確認する。</p><p>&nbsp;</p><p>野原に一本の大きな木が立つている。</p><p>それを永遠に撮つた映像があつた。</p><p>たまに風が吹き木がそよぐ。</p><p>ただそれだけである。</p><p>そこには時間というものが生まれない。</p><p>ずつと同じだから前も後ろも意味付けられない。</p><p>意味とそこから生まれる時間に追われる人間の心に癒しをもたらす。</p><p>&nbsp;</p><p>平成が去り令和がくる。</p><p>新しい時間が生まれる。</p><p>新しい時が来るということで世間は大騒ぎだ。</p><p>何をそんなに騒いでいるのだろう。</p><p>別に意味付けする必要もないことに意味をつけお祭り騒ぎをしている。</p><p>日本人は何と忙しさが好きな人種なのだろう。</p><p>&nbsp;</p><p>まあそれは人間の性だから仕様がないとして、そこに安倍さんが出てきて、わざわざ名の由来を説明しなければいけないのだ。</p><p>何か胡散臭さを感じる。</p><p>改元によつて国民の目先を変える政治的な策略の匂いがしてならない。</p><p>&nbsp;</p><p>国民の皆さんこんなことに踊らされないで、淡々と流れる無為な時間に身をまかせることをお勧めする。</p><p>&nbsp;</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/minayoi-4696/entry-12451387430.html</link>
<pubDate>Tue, 02 Apr 2019 12:41:36 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>ショーケンのリアリテイー</title>
<description>
<![CDATA[ <p>私はレコード会社で始め演歌班に配属された。</p><p>しばらく腐つていたが、たまたま柳ジョージという人の「weeping in the rain」という曲がヒツトした。</p><p>それによつてめでたくロツク・ポツプス班が独立、私もそこに潜り込んだ。</p><p>「weeping in the rain」という曲はショーケンこと萩原健一主演のドラマの主題曲であつた。</p><p>そしてショーケンは柳ジョージとそのバンド、レイニーウツドを従えてコンサートを行つた。</p><p>ショーケンの人気とブレイク直後の柳ジョージというこもあつてコンサートは盛り上がつた。</p><p>そして完成したのがショーケンの二枚組ライブレコード「熱狂雷舞」である。</p><p>ライブの良さを表現したアルバムとしては後にも先にもこのアルバムに勝るものはないと思つている。</p><p>ライブ盤の良さはアーチィストの生き様（ライブ感）がリアルに伝わつてくることである。</p><p>ショーケンは決して歌はうまくない。うまくないが彼の生き様がひしひしと伝わつてくる。</p><p>ショーケンはリアリテイーを追求する役者でもあつた。</p><p>時代劇に入ればちょんまげを結い日常を過ごした。役を内側から創つていく。これが役にリアリテイーを与えた。</p><p>思えばその当時、映画も芝居もテレビに至つてもリアリテイーを追求していたように思う。</p><p>しかしだんだん薄れて行き、「所詮嘘の事を何故本当らしく見せなければならないのか。嘘は嘘として楽しめばいいではないか。」とその頃上り調子の若い演出家は叫んでいた。</p><p>またある人気小説家などは「虚飾の街にも感動はある」と当時渋谷の街を開発、変えていくパルコの提灯持ちのような発言をしていた。</p><p>ショーケンはリアリテイーを追求するあまり何度も世間とぶつかつた。</p><p>自分に正直でいたいという気持ちは世間とはぶつかるのが定めだ。</p><p>別に彼を擁護するわけではないが、全てが虚飾という衣をまとい、一重になつた世の中で、お利口さんを装う人々を目にするたびに彼の希少価値が光つてくる。</p><p>私にとつて昭和という時代を浮かび上がらせる象徴的な人であつた。　　　　　　　合掌。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/minayoi-4696/entry-12450671969.html</link>
<pubDate>Sat, 30 Mar 2019 16:42:51 +0900</pubDate>
</item>
</channel>
</rss>
