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<title>ときどき、目を背けたくなる現実</title>
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<description>いろいろと考えたことを、言うだけ言ってみようと思う</description>
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<title>日本の伝統的な家族</title>
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<![CDATA[ <p>渋谷区で同性カップル条例が可決されたそうです。同性のカップルに、結婚に相当する関係と認める証明書を出すという話し。</p><br><p>結婚に相当する関係と認めて、アパートを借りられるようにする、入院時の面会を拒まれないようにする、というような権利を守るということらしい。それはそれで重要だけど、他にも、遺族年金の受給とか相続とか、踏み込んだ内容でもない、ごくささやかな権利だと思うけど、反対する人っているのねえ。</p><br><p>少し前には、「選択的夫婦別姓」「女性の離婚後の再婚禁止期間」について、最高裁の大法廷で結審されるって話しもあった。</p><br><p>「選択的夫婦別姓」は、別にみんなが強制されるわけじゃない。そうしたい人はしてもいいよ、ってだけなのに、反対する人がいる。</p><br><p>「女性の離婚後の再婚禁止期間」だって、それで届け出を出してもらえなくて無国籍になる子供がいるというのに、すんなり廃止なり短縮なり、されない。</p><br><p>こういう、少数者に他の人と同様の権利を認める、っていう話になると、必ず反対する人がいるのですね。その人に何かをしろ、するな、というわけではないのに、他の人の自由や権利を認めることができない理由というのは、いったいどういうものなのかと、不思議に思います。</p><br><br><p>反対者というのは、他にもいるでしょうが、決定に力を持つ反対勢力としては、自民党ですね。</p><br><p>自由に反対し、多様性を認めない政党が　リベラル・デモクラティック　と名乗ってるなんて、英語圏の人が聞いたら、え？冗談？って感じでしょう。はっきりと、コンサーバティブ　保守党　と名乗ればわかりやすいのに。</p><br><p>その少数者の自由と権利を認めることへの反対理由として自民党のお方たちが言うのが、</p><br><p><strong>「日本の伝統的な家族をこわすから」</strong></p><br><br><p>これきくたびに、あのお方たちが言う「日本の伝統的な家族」ってなんだろうと考えています。</p><br><p>国会で、誰か、野党の人、きいてくれないかな。きいてるのかな、もう。私が知らないだけで。</p><br><p>それで、どんな家族さんが「日本の伝統的な家族」なのかなあと思ってたんですが。</p><br><p>この間、某国営放送の大河ドラマを見ましたら、幕末・長州藩の吉田松陰さん（の妹）を主人公とするお話なのですが、そこに松陰一家が描かれています。</p><br><p>とってもいい家族ですよ。超優秀で進歩的な考えを持ち、それゆえに当時の幕藩制度のしきたりからはみ出す行為をして罪人になってしまった松陰を支える、温かい家族たちです。でも、女はおさんどん。妹が松陰や塾生（夫も含まれる）が熱心に検討する国のあり方に興味を持つと、首を突っ込むな。</p><br><p>松陰や塾生たちにしても、おイエ（藩主）に、おカミ（幕府？天皇？）の意に反することはするな、意見もするな。武士以外がそんなことに興味をもってどうする、という扱いです。</p><br><p>もしかして、「日本の伝統的な家族」ってこれのこと？つまり、おカミ（国）に黙って従え、女は男のすることに口出しせず、温かく、笑顔でおさんどんしてろっていう。</p><p><br>だって、もし守るべき「日本の伝統的家族」が、夫婦が愛し合い、支え合って子供を育て、親をたいせつにする、というものなら、</p><br><p>別に同性同士でも、別姓でも、離婚後まもなく再婚したって、「伝統」を守れますよね。一方、異性夫婦で同姓の夫婦でも、子供を虐待したり、親を見捨てたり、愛し合ってない支え合ってない家族はいっぱいいます。</p><br><p>あんな、幕末の、長州藩の、武士の家族のあり方を、現在の国民全員に、強制しないでください。</p><br><p>一人ひとりの多様性を認められない国というのは、美しい国ではなく、おそろしい国です。</p>
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<link>https://ameblo.jp/mio-aa/entry-12009148044.html</link>
<pubDate>Thu, 02 Apr 2015 04:51:28 +0900</pubDate>
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<title>韓国の反日、日本の嫌韓</title>
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<![CDATA[ <p>アレヨアレヨという間に、日本と韓国は、すごく仲悪い国みたいになっています。一昔前まで、そんなことなかったと思うんですがね。</p><br><p>もともと、島国日本にとって最も近い外国。世界に誇る長い歴史をもつ日本のほんとに初期の頃、西暦でいったら600年代とか700年代から、文化は朝鮮半島から流入し、人は行き来し、言語もとても似ています。関わりの深い隣国というのは、よい歴史もある一方、軋轢のもともたくさんため込んでいるので、問題は抱えているものですが、1980～90年代、経済のピークを迎えていた日本にとって、北東アジアで唯一、日本と同じ資本主義・民主主義の政体をもつ韓国は、親しみを感じる国だったように思えます。</p><br><p>同時に、経済大国となった奢りも混じって、経済発展半ばだった韓国に対して、悪いなって気持ちも持ってたと思います。戦争当時は日本国として戦争に巻き込み、負けて半世紀が過ぎてみれば、日本は自由な国として経済発展を遂げられたのに、世界各地で分断国の統一が進む中、朝鮮半島は国を分断されたままだと。</p><br><p>一部の日本人は『自虐史観』といい、実感としてはたいして教えられていない現代史を学んだ程度の歴史観をもつ私の、日本と韓国の現代史はこんな感じ。</p><br><p>●1900年代初頭、西欧列強によるアジア植民地支配が強まる中で、いち早く西欧的近代化を取り入れ、富国強兵策を進めた日本が、韓国を植民地化した。</p><br><p>●1945年、第二次世界大戦に敗北した日本は、韓国を含む海外の領土を放棄し、アメリカの支配・保護下で国内復興と国際社会復帰に注力した。</p><br><p>●一方日本の支配を離れた朝鮮半島は、東西冷戦の世界情勢の中、代理戦争としての内戦を経て、韓国と北朝鮮に分断された。</p><br><p>●1965年、日韓請求権の解決と、日本から韓国への経済援助を取り決め、それに基づく日韓基本条約締結。竹島（独島）問題は棚上げ。</p><br><p>●1990年代以降、従軍慰安婦問題について、韓国側が元慰安婦個人への謝罪と日本の国家賠償を要求。日本側では事実について見解が分かれるも、河野談話（閣議決定なし）で謝罪。民間の女性基金として慰安婦に賠償金を提案。</p><br><p>●1995年、村山談話で、日本は植民地支配を反省し、アジア諸国に対する反省とお詫びを表明。</p><br><p>●2001年、小泉総理の靖国神社公式参拝。韓国（中国も）反発非難</p><br><p>●2002年、日韓共催ワールドカップ開催。　2004年、韓国ドラマ「冬のソナタ」日本で大ヒット。その後日本では韓流ブーム</p><br><p>●2012年、韓国の李明博大統領が竹島（独島）上陸</p><br><p>●2012年12月、日本で安倍政権（2回目）発足</p><br><p>●2013年2月、韓国で朴クネ大統領就任、１２月、日本の安倍首相、靖国神社参拝</p><br><p>こういう流れの中で、日韓の友好ムードはいっきに沈滞し、現在は、韓国の『反日』、日本の『嫌韓』が声高に叫ばれる雰囲気。</p><br><p>上記のような、ごく一般的な歴史観を持つ一般日本国民の中でさえ、韓国への親しみや信頼感が急低下した理由は、</p><br><p>韓国から投げつけられた、あまりの反日感情　です。</p><br><p>え、韓国ってそんなに日本嫌いだったの？と最初は驚き、</p><br><p>やがて、就任以来、あちこち外国に行くたびに所かまわず繰り広げられる朴クネ大統領の一方的な日本非難、呼応するように続く韓国民間人・民間企業による、従軍慰安婦像の設置や反日広告の報道に、</p><br><p>心底、うんざりしてしまった。</p><br><p>70年前の戦争のことを、その後条約の約束通り経済援助を行い、反省も謝罪もして、仲良くしようとしてきたのに、というのが本音です。同じような被害を与えてしまい、同じような謝罪と援助をして友好の努力を積み重ねてきた東南アジアの国々とはそんな問題が起こらないのに、なぜ韓国だけこうなるの？</p><br><p>一方、日本で一部の人たちが繰り広げる、『嫌韓』的なヘイトスピーチ、それもずっと日本に暮らしている在日韓国人・朝鮮人を標的とした侮蔑や攻撃は腹立たしく、意味不明で、日本の恥だと思ってます。</p><br><p>同じ頃に就任した安倍首相と朴クネ大統領は、一度も会談していません。それぞれの信念と、それを支持してくれるような国内世論にのっかって、トップ自らが相互の反感を煽るような行動、、、朴クネ大統領の悪口外交と安倍首相の靖国公式参拝とかです、、、をとっています。</p><br><p>正直、すごく、くだらない。両国の歴史を思い返してみると、改めてくだらなくて泣けてくる。</p><br><p>竹島（独島）問題も、従軍慰安婦問題も、地域の漁業関係者や、数十人の従軍慰安婦のおばあさんたちという当事者にとっては、誇りと生活がかかる重要なことではありましょう。それはそれで対処すべき問題です。しかし、</p><br><p>国の外交をストップさせ、地域平和の協力さえ乱すほどの問題でしょうか？</p><br><p>日韓双方が国の防衛上頼りにしているアメリカは、どちらに対してもサポート的でもあり、冷淡でもあります。アメリカの外交政策は自国の利権を考えた強国の身勝手さが溢れているとは思いますが、この日韓の問題に対する態度には共感します。アメリカの大勢としては、きっと、そんな小さなことで内輪もめするな、いい加減にしろ、それくらい自分たちで解決しろ、と叫びたいでしょう。</p><br><p>全世界的に見れば、中東では国家内乱とテロが深刻化し、ヨーロッパではロシアのウクライナ問題をめぐって戦々恐々、アジアでは中国の台頭と国境線での侵略的な振る舞いという、世界規模の大問題が起こっています。</p><br><p>アジアでは、１３億という人口を持ち、核兵器を持ち、経済力を飛躍させた独裁政権が、国内には民族問題や貧富差や汚職など内部的崩壊のリスクを孕みながら、尖閣諸島のある東シナ海、南シナ海など各地で国境の侵犯を繰り返しているのです。</p><br><p>中国の暴走に備え、日本や韓国を含む、西側的な民主主義・資本主義の原則に（程度の差はあれ）則った周辺諸国が、手を携えて地域の安定を守っていかなければならない。</p><br><p>そんな世界情勢の観点から日本と韓国の諍いを見れば、</p><br><p>まるで、一瞬にして火山灰であたりを埋め尽くすほどの火山が噴煙を上げ始めているふもとで、もとは親族みたいなお隣さん同士が・・・</p><br><p>お互いの敷地の真ん中に生えた一本の木が「うちの木だ」「こっちのだ」「１００年前にうちの木だったぞ、勝手に登るな」「いや、１０１年前にはうちの木だった」とか、</p><br><p>「あんたんちの子が７０年前にうちの子を殴った、謝れ」、「何度も謝ったじゃないか」「謝り方がなってない」「だいたい、うちの子がなぐったって証拠あんのか？おまえんちの子が言ってるだけじゃないか」「あたしんちの子には世界中が同情してくれるわよ、きいてきいて」「世界中にうそを吹聴してまわるな」「うそなんかじゃない。もう絶交よ！」</p><br><p>みたいな・・・。</p><br><p>勝手にどちらも火山灰に埋もれてしまえと言いたくなるくらいのくだらなさですが、そのうちの一軒の裏庭で落ち穂拾いして細々と暮らしている身としては、</p><br><p>「いい加減にしてください」</p><br><p>竹島（独島）は、日比谷公園くらいの面積しかない島で、住民はおらず、韓国の軍が常駐しているだけ。２国間で話しあい、領海の海洋資源の共同漁業権、共同開発の相談をすればよいだけじゃないでしょうか？あるいはつつくとケンカになるなら今まで通り棚上げにしておけば？</p><br><p>従軍慰安婦の問題についてはもう少し複雑です。女性に対する性的な強制・暴行は許し難い犯罪ですが、個人の申し出だけをもとに国家賠償に応じれば、個人に対する戦争の賠償が、これに留まらず出てきて影響を与える可能性があるからです。もう高齢の元慰安婦だというおばあさんたちには、すべての問題が解決して安らかに晩年を送ってもらいたいのですが。韓国側も、ほんとうにこのおばあさんたちの幸せを考えているなら、女性平和基金の受け取りを拒むことはなかったでしょう。しかし、この問題があるからと言って、他の外交面で協力ができないことはないと思います。</p><br><p>首相の靖国参拝については、少なくとも公式なものは控えればよい。日本人として実際に靖国に行けば、記念館に並ぶ、若くして散った特攻隊員の遺書に涙するばかりですが、A級戦犯も祀られている神社に首相が参拝するのを、被害国民が耐えがたいというなら、その心境には配慮すべきです。開戦に至るそれなりの事情があり、戦勝国による東京裁判が個々にみれば必ずしも公正でなかったかもしれないことは理解している一日本国民としても、当時の支配層として日本中を戦争に巻き込み、時期を得た負け戦の撤退もできずに犠牲者を増やしたA級戦犯に、参拝してほしいとは思いません。</p><br><p>犠牲を悼み、戦後の平和と繁栄を報告したいなら、多くの国民が命を落としたヒロシマ、ナガサキ、（地上戦の行われた）沖縄に行って祈りを捧げてほしい。徴兵され兵士として戦死した人と、後方で支えて亡くなった人と、どちらも日本国の名のもとに命を捧げ、その後の繁栄の礎となられたのです。どうしても兵士の霊を悼みたく、靖国のA級戦犯分祀もできないなら、他の記念碑をつくればよい。首相の靖国参拝は、反日感情を盛り上げ、中国や韓国の進出企業に被害を与えるだけで、自民党に遺族会の票が集まる以外の何のメリットがあるというのでしょう。あえていえば、中韓の非難に屈しない強いリーダー像を歓迎する向きに受けるのかもしれませんが、そもそも参拝しなければ、それについての非難は発生しないわけです。</p><br><p>いずれにしても、ニ国間で首脳が相談もできないような外交関係は、今の東アジア情勢の中で非常に不幸なことです。</p><br><p>名実ともに大国の立場を回復した中国が、独裁政権のもとで戦略的あるいは突発的に引き起こすかもしれない地域の混乱について、韓国はどうしたいのでしょうか？</p><br><p>長い歴史の中でそうしてきたように、事実上中国の属国となりたいのでしょうか？属国とみなされれば、その先の運命は、天安門事件や香港の現状にあらわれています。中国巨大市場の経済的な恩恵は受けられるが、政治的・表現的な自由は奪われ、反抗すれば弾圧されるということです。</p><br><p>あるいは、第二次大戦前に、西欧・日本の列強からの圧迫を逃れるために模索したように、ロシアの助けを得たいのでしょうか？</p><br><p>あるいは、この際同じ民族の北朝鮮に融和して、その核による保護を受け、将軍様の意に従いたいのでしょうか？中国が暴走した折に、将軍様の意がどの程度通るものなのかわかりませんが。</p><br><p>それとも、アメリカに安全保障を頼る東南アジア諸国や日本と協力して、中国の暴走を封じ、地域の安定を守りたいのでしょうか？あるいは、その枠内から、日本を追い出したいのでしょうか？</p><br><p>日本には、上記のような韓国ほどの選択肢はありません。日米安保条約に基づいて、アメリカの核の保護を受け、中国の暴走を防ぐしかないです。紛争が勃発してしまった時には当然自衛権で対抗するでしょうが、それを防ごうとする段階では、憲法の平和条項の改正か解釈変更で加わるか、なんらかの後方支援の道を探ることになるでしょう。その際に、韓国が安保側につくかどうかは非常に重要な問題です。韓国は北東アジアで唯一、この件について意思をともにできる可能性のある国なのです。</p><br><p>『大同小異』という言葉がありますが、今の日韓関係は、小異をあげつらって大局を見ない状態です。小異を見捨てるのでなく、大同と別の切り口で解決してゆくことにして、大問題に取り組んでほしい。</p><br><br><p>ここまで考えて、さらに考えるべきだと思ったのは、『中国の脅威』をどうみるかということです。この点について、日本と韓国はとらえ方が違うかもしれません。というより、違っていて当然ですね。これはまた別に考えてみます。</p><br>
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<pubDate>Fri, 27 Feb 2015 01:12:50 +0900</pubDate>
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<title>120年ぶり、民法改正へ</title>
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<![CDATA[ <p>民法改正の要綱を、法制審議会が法務大臣に答申しました。主にお金の貸し借りや契約についての条項の変更だそうです。</p><br><p>120年ぶりって、、</p><br><p>120年前の明治時代といえば、少し前まで江戸時代の武家社会で、士農工商身分差別とか、おイエ（藩主）のために仇打ち、切腹とか、さらし首とか、引きまわしとか、ISIL（いわゆるイスラム国）並みのお国だった頃ですよね。まあ、黒船が来て開国させられて、不平等条約結ばされて、なんとか西欧列強にキャッチアップしようとそれらの国を参考につくった法律だから、それなりに当時の日本としては斬新な内容だったのでしょうけど。</p><br><p>第二次大戦前も、鬼畜米英とか憲兵とか今の北朝鮮並みな言論統制、人権意識（というか、表現の自由とか人権とかいう概念自体がなかったのか）だったわけで、それまでに見直しがなかったのはしかたないとしても、第二次大戦後７０年の社会の変化に対処してこなかったというのは、</p><br><p>立法の怠慢</p><br><p>としか言いようがないです。</p><br><p>民法は市民生活の契約を定める法だから、私たち、１２０年前の法律にのっとって、世界３位（一時は２位）までに発展した経済大国が動いていたのかと思うと、むしろすごいことと思えてきました。</p><br><p>答申された改正の対象が２００項目もあるということで、何がどうかわるのかよくわからないのですが、債務における連帯保証について変更があればいいと思います。</p><br><p>債務の連帯保証をしてしまったばかりに経済破綻して自殺に追い込まれるとか、それがあるばかりに起業しづらい、起業で失敗した人（債務が返済できなかった人）の再起が難しい原因になっていますからね。失敗した人こそ、失敗を活かして次はうまくできるかもしれないわけですから。</p><br><p>金融機関は、ちゃんと事業のリスクを計算して金貸すのが本業でしょう？金利と担保取った上に、他の人（連帯保証人）に返済義務を押し付けるなら、金融機関の存在意義ってなんですかと思います。国民から利息払わずお金預かって国債買うのが仕事？</p><br><p>しかし、やっと民法見直しに動くかと思ったら、改正どころか、改悪な方向にいくみたいなこともあって、びっくり。</p><br><p>少し前に、最高裁が、非嫡出子の相続分が嫡出子に比べて差別されるのを違憲としたことを受けて、やっとこさ婚外子の相続分について民法改正されたのに対応して、法相が（法律上の）配偶者の利益を強める方向での民法見直しを審議会に要請したそうです。</p><br><p>理由は、「伝統的な家族像が壊れる」から。</p><br><p>同じ理由で、夫婦別姓の自由化（選択的夫婦別姓を容認するか）や、女性の再婚禁止期間の撤廃も、なかなか進みません。この２つは最高裁の大法廷で結審されることになりましたが、どうなるでしょう？</p><br><p>最高裁が「憲法に定められる人権、平等」などの理念に基づいた審判をくだしても、自民党は「伝統的な家族像」を理由に反対します。</p><br><p>そういえば、家族像は関係ないけど、選挙の１票の重さもかなり前に違憲判決が出ているにもかかわらず、ほぼどんな法案も可決できる与党は無視しているようです。都市部の人の人権は０．５人前なわけですね。</p><br><p>話を戻して、自民党がこだわる「伝統的な家族像」ってなんでしょう？両性（同性でもよいです）がお互いに同意して愛情を持って築く家族ではないですね。たとえ双方の愛情・合意が崩れた破たんした夫婦でも、他所に子供がいても、夫婦の一方、または両方が無理な我慢を重ねるとしても、「家という形」を維持しろということのようです。</p><br><p>ざっくり言って、形式的な「家」の形を維持するためには、何の罪もない子供を生まれた時から法のもとで差別するのも、家事すべてと仕事という過大な負担を女に押し付けるのも（その結果が少子化）、名前をかえたくない女性にむりやり改姓を強要するのも、離婚した女の人が新しい人生を始めるのを足止めするのも、当然だ、それが伝統的な家族だ、という意見の方が、自民党にはいっぱいいるということです。</p><br><p>ああ、目を背けたくなった、、、</p><br><p>私は平和で安全で、食べ物が美味しくて、生ぬるい日本が大好きですが、ときどき、「日本国憲法」だけじゃなく、いっそ民法も、アメリカが押し付けてくれたらよかったのにと思わずにはいられません。当時の（今も）アメリカがそれを実行できてるわけじゃなくて、理想論的なものだったわけですが。</p><br><p>経済は発展したのに、なんか幸せじゃない気がするのは、それに見合った自由や平等や人権が認められないからじゃないかという気がする。自由も平等も人権も、責任が伴うわけで、その責任を背負う覚悟が国民にないからと言えばたしかにそう言う面はありますが。自分たちで努力して得た権利じゃないからね。</p><br><p>理念を置き去りに、経済一点張りで利権を争うのは、卑しいです。そして危険です。目先の経済だけに目を向けているうちに、どんどんおかしな方向に物事が進んでいくかもしれません。気がついたら自由にものが言えない時代になってるかも。考えても、発言しても、何も変わらないかもしれないけど、長いものにまかれてるだけじゃなくて、どんなふうに暮らしたいか、どうしたら幸せと感じられるか、どうしたらより多くの人が幸せを実感できるのか、せめて自分で考えてみましょう。</p><br><p>２世代前が戦争で犠牲を払い、その次の世代がひたすら築き上げた経済大国を、ただ恩恵を享受しただけで、こんな、なんか不幸な社会のまま若者に引き継いでゆくのかと思うと忸怩たる思いがする。</p>
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<link>https://ameblo.jp/mio-aa/entry-11994570840.html</link>
<pubDate>Thu, 26 Feb 2015 00:09:13 +0900</pubDate>
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<title>戦後70年談話</title>
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<![CDATA[ <p>戦後70年の談話について、安倍総理は50年の村山談話、60年の小泉談話にあった、「侵略と植民地支配」や「反省とおわび」の文言を踏襲したくないと言っているそうである。さっそく中国が歴史の歪曲と非難のコメントを発表した。</p><br><p>第二次世界大戦終結から70年間、世界は概ね大戦後の秩序（国境線）に基づいて動いてきた。大戦後の秩序というのは、だいたい第二次大戦の事実上の戦勝国、アメリカ、ヨーロッパ勝ち組のイギリス、フランス、戦争最後に入って来たロシア（旧ソ連）の思惑にしたがったものである。</p><br><p>戦争は当事者間の意思や利害の調整がうまくいかなくて起こるものであり、その意味でどちらにも言い分はあるからどちらが正しいかは立場によるが、結果として勝ったものの意思や利害が尊重されることになる。『勝てば官軍、負ければ反乱軍』ということ。反乱軍とされた側に納得のいかないものが残るのは当然な面もあるが、意思を持って開戦に関与し、その国の国民、戦争相手の国、巻き込まれた国々に多大な被害が発生しているのだから、反省は当然だし、賠償もやむを得ない。</p><br><p>今、当事者でなかった国が不満を表明して、戦後秩序の変更を迫る動きがある。当事者でなかった国とは、戦勝国の連合軍側に名前は連ねたとはいえ当時発言力がなかった国や、敗戦国の植民地、事実上の支配地だった地域である。</p><br><p>ISIL(いわゆるイスラム国）は第一次大戦にさかのぼって国境線に異議を唱えている。彼らの残忍卑怯な手段は許容できるものではないが、自分たちの住む地域のあり方を他国が勝手に決めたことに対する心理的な反発を共有する人たちはいても不思議はない。中国は、現在の共産党国家は第二次大戦終結時になかったわけだから戦中のことを責める筋合いはないともいえるが、東シナ海、南シナ海領域や地続きの国境線でも口実をつけて侵犯を繰り返している。韓国はいろいろと騒ぎたてるので気に障ることはあるが、竹島と慰安婦問題というのは、戦後秩序への異議という面ではたいした問題ではない。</p><br><p>戦後秩序が大きく変わり、それが国際的に認められたことといえば、旧ユーゴスラビアの分裂と、東欧、バルト地域の旧ソ連領の解放だが、これに対してロシアは解放後も緩やかな維持を望み、かなわないところでは侵略の意図を持っている。</p><br><p>二度の大戦における戦勝国のアメリカ、イギリス、フランスは、特に後者ニ国は、彼らの処理が中東地域の不安定を招く一因となっていることには口をつぐみ、現秩序で得た権益を守る方針を貫いているようにみえる。</p><br><p>このような状況を鑑みる時、日本は、敗戦国ながら戦後秩序の中でもっとも恩恵を受けてきたと言える。本来の領地以外を放棄し、賠償金を払いながら、戦争放棄の憲法もと、国力を経済に注いで繁栄を達成することができた。</p><br><p>だから、日本の立場としては、いろいろと不満や火種はあるにしても、それはできるだけ棚上げにして、今の世界秩序を守る努力をするべきではないか。</p><br><p>降りかかる火の粉には冷静に対処して、燃え広がらないようにするのが一番よいと思う。</p><br><p>一国平和主義が叶わない現実ではあるが、「侵略と植民地支配」を反省し、発生した被害を「お詫び」し、その反省と謝罪のうえに、平和憲法にのっとった平和に貢献するという基本スタンスを堅持して、具体的な問題にあたってゆけばよい。</p><br><p>なぜあえて、中国や韓国を刺激するようなことをしなければいけないのか？声はあげないが植民地支配や戦争中に被害を受けた台湾、東南アジア諸国だって、日本の言動に複雑な思いを持たないとは限らない。</p><br><p>あえて日本サイドから、今まで積み重ねてきた歴史をかえて、周囲の国の反発を強めさせることのメリットが全然わからない。強そうに見せるパフォーマンスなど、迷惑なだけである。かかってきた火の粉には、具体的な史実を検証できる範囲で冷静に示し、延焼を食い止めてゆくことが、国際的な支持を得られる唯一の方法である。</p>
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<link>https://ameblo.jp/mio-aa/entry-11993951932.html</link>
<pubDate>Tue, 24 Feb 2015 10:59:35 +0900</pubDate>
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<title>ISIL日本人拘束事件/政府の対応</title>
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<![CDATA[ <p>●ISIL日本人拘束事件に対する政府の対応</p><br><p>今回の日本人拘束事件における政府の対応については、相手方が無茶苦茶なのと、日本政府側が有効なカードを持たなかったことから、最悪の結果となってしまったけれど、全体としては難しい状況の中で政府はできるだけの努力はしたように思う。特に、皆がこの事件を知ることになったISILの恫喝動画の公表以降は、誰が対応してもこのような結末は避けられなかったのではないかと思わずにはいられない。</p><br><p>とはいえ、今後も日本人が同じような犯罪に巻き込まれる恐れはある。すでに起こってしまったことへの批判ではなく、今後似たようなことが起こる場合に備えるためという建設的な観点から、政府の対応について気になったことを考えてみたいと思う。</p><br><p>重大事件について検証するのは必要なことなのだが、わざわざ前段落のようなことを書く気になったのは、国会討論でのこの件に関する野党からの質問について（安倍総理の中東訪問でのスピーチにかかわること）、頭ごなしに安倍政権批判するな、イスラム国よりだという記事や多数のコメントを見て、うんざりしたからである。</p><br><p>国民の命にかかわるような重要な問題については、異なる意見も考慮したうえで、こういう理由で自分はこう判断する、というように、自分で考えて判断してほしい。強気な意見をいう頼もしげなリーダーはなんとなく好感が持てるから、そうだそうだと自分も強くなったようないい気分でいるうちに、気が付いたら思いがけない結果が自分にふりかかるということもある。要は、自分でも考えてみよう、ということです。</p><br><p>政府の対応について考えたこと</p><br><p>１）　ISILが最初の脅迫動画で、安倍総理がISILと闘う国々に2億ドルの人道支援を行うと表明したことを取り上げて、日本は敵だ、支援と同じ2億ドルを払えと要求したことについて</p><br><p>国会でも共産党の小池議員が、1月17日に安倍総理がカイロで行ったスピーチで、イスラム国対策として2億ドルの人道支援をすると言ったことが、拘束された日本人に危険を与える可能性があったのではないかという内容の質問をしました。安倍総理の答えは、「テロリストに過度の気配りをする必要はまったくない」というものでした。民主党の細野議員からは、安倍総理の中東訪問がテロリストに口実を与えてしまったのではないかという質問がありました。</p><br><p>この点については、議員の質問を待つまでもなく、気になっていました。というのも、安倍総理の中東歴訪は知っていたけれど、行った先でどんな話をしているかは知らなかったので、その話しの内容を初めてきいたのが、あの脅迫動画だったのです。加えられた説明として、安倍総理が訪問先のエジプトで、ISILと闘う周辺国に総額で2億ドルの支援を約束すると表明したことを受けて、ISILが人質1人1億ドル、あわせて支援と同じ２億ドルを払えと要求したという報道でした。しかも日本人がISILに拘束されているのは、政府は前から知っていたと。</p><br><p>そのニュースをみて反射的に感じたのは、日本人が拘束されてるのに、拘束してる相手と闘っている国に支援するって言ったのか、ケンカ売り返してるみたいだな、というものでした。人質の身の安全に関わってこないと考えたのか、あるいは、考えた上でスピーチ内容を優先したのかと。</p>　<br><p>その後の経緯を考えると、ISIL側は、安倍総理の中東訪問というタイミングを待っていただけで、安倍総理のスピーチの内容がどうだったにせよ、そのタイミングにぶつけて動画を公表するつもりだったのかもしれません。また、安倍総理のスピーチ内容の全文を見てみましたが、支援策も含め、友好的なたいへんよいものです。</p><br><p>ただ、実際に人質をとられているこの時点において、スピーチに「ISILと闘う周辺国」という、ISILに上げ足をとられかねない言葉を入れる必要があったのかという疑問は残ります。安倍総理は国会答弁で、「テロリストに過度の気配りをする必要はまったくない」とおっしゃり、それはその通りですが、複雑な事情で紛争の絶えない中東に「積極的平和主義」を掲げて積極的に関わっていくなら、「日本国民の安全には十分な気配りを」してほしいです。</p><br><p>スピーチの文言からISILの名差しをのぞいて、地域の安定を助け避難民やインフラなどに支援するという言い回しでもよかったのではないかと考えます。それでISILの態度がかわったかというとわかりませんが、リスクを低められる可能性があることならしてみてもよいのではないかと。</p><br><p>一方、このタイミングであえてこの文言を入れるメリットは何だったのかというと、私にはくわかりません。対ISIL有志同盟への非戦闘支援はどちらにしても行うわけですし、日本が戦闘には加わらなくともそちら側の陣営に属していることは米英は知っているでしょう。</p><br><p>中東のテロリストはISILだけではないし、テロ以外にも複雑な事情がうずまく中東地域に積極的に関わっていく限り（それ自体は賛成です）、充分に情報を集め、分析し、リスクを最小に抑える細心の注意を払う必要があると思います。</p><br><p>実は、事件とその後の国会審議などを含めた推移の中で一番驚いたのは、岸田外務大臣の「改めて中東地域の専門家の育成の重要性を痛感した」という発言です。</p><br><p>え、今さら？というか、中東の安定に積極的にかかわっていくと今までの方針から転換するなら、それなりにその地域の政治の難しさに対処しうる情報・判断力のベースを備えておいてほしかった。存在感を高めるには、それに相応する危機管理能力が必要な地域だと思います。</p><br><p>日本の中東政策はまた別途考えたいですが、基本的には安倍総理が打ち出した、積極的平和主義には賛成です。</p><p><br></p><p>２）脅迫動画公表後に何かできたか</p><br><p>動画公表時に直感的に感じ、その後の経緯と共にますますその感じは強まったのですが、動画が公開された時点で、人質無事解放の可能性は非常に少なかったもではないかということです。公表するということはISILが自分たちの優位を誇示したいわけですから、要求を下げていくことは考えにくいのに、２億ドルという途方もない身代金をわずかな期限を切って提示しました。次の要求は、日本に対して、ヨルダンに捕えられている囚人の解放です。身代金は受け入れがたい金額だし、囚人の解放は日本政府に当事者能力はありませんでした。囚人の解放についてすでにヨルダン人パイロットとの交換でヨルダンとの交渉をしていたことを考えれば（しかもパイロットはすでに殺されていたもよう）、ISIL側は、ほぼ無理とわかったうえで、あわよくばヨルダン国内に混乱が起こって弱体化したところに勢力を伸ばすくらいの考えだったのかと思われます。</p><br><p>もともと人質事件というのは卑怯きわまりない犯罪ですが、犯人が自爆覚悟のテロリストの場合、相手に何も失うものがないわけで、ほんとに手の打ちようがない。犯人のやり方は狡猾で、人質の命を失ったのにくわえ、日本の中東での新しい顔にも水をかけられる結果になりました。一矢報いたといえるとすれば、悲しみと恐怖を与えられても、日本ではいたずらに政府や政策を非難する声が高まらず、むしろ反テロの姿勢が固まったということでしょう。</p><br><p>もしISIL側に、中東政策についての日本国内の動揺を誘う、という意図があったとしたら、それには逆効果でした。好戦的にみえる安倍総理を警戒している人も、多くは、ISIL側の残虐さをみれば国内がわれている場合ではないと考えるでしょう。</p><br><p>動画公開後に他の道があったとすれば、対策本部をヨルダンではなくトルコに置いたらどうだったかというくらいです。トルコも親日的な国ですし、人質解放の実績もあるので可能性としては考えられるという程度です。むしろ、囚人解放というカードがない分、悪い結末が早まる結果になっただけかもしれませんが。ただ、シリア大使館がシリアからヨルダンに避難してきていたから、というだけの理由で対策本部をヨルダンに置いたのであれば、期限を切られて日もなかったので仕方ない面はありますが、検討の余地はあったかもしれません。</p><br><p>３）動画公開前にできることはあったか</p><br><p>となると、何か出来たとすれば、動画の公開前だったことになりますが、実際、対策室を開き、後藤健二さんのISIL入りを引きとめる努力はなされていたと発表されています。後藤さんのご家族あてに来ていた身代金要求の交渉に政府がどうかかわっていたかとか、何か交渉ルートはなかったのかとか、知りたい気はしますが、すべて出せる話しでもないのでしょう。</p><br><p>表に出てきた話としては、宗教家とジャーナリストの2人、ISILと話せる、交渉ルートがある、交渉してもよいとご本人たちは言っていたのに、ISIL渡航希望の北大生の話に絡んで公安から調べられたりでできなくなったという話があります。</p><br><p>ISILと話せるってどういう人たちなのと怪しく感じてしまう面はありますが、宗教に疎い者には想像もつかないくらい宗教のネットワークは国を超えてつながっているようなので（これはたまたま熱心なカトリック教徒の知人が、どこの国に行っても教会を通じて厚遇してもらえると言うのを聞いた経験によるもの）、波乱のきっかけに利用されるおそれのある総理の中東訪問を控えて、他に手がなければ、検討の余地はなかったのかと思います。</p><br><p>４）政府の基本方針</p><br><p>日本人拘束事件について、政府の基本方針は、「テロには屈しない、人命を第一に考える」でした。どちらも正しいですが、両立は難しい。テロに屈しない＝テロリストと交渉しないのであれば人命が犠牲になる危険が大きい。人質の命を第一に考えるのであれば、ダッカ事件のときのように、一人の命は地球より重いということで、多額の身代金を払い、囚人のテロリストを解放することになります。</p><br><p>今回の事件をあてはめれば、2億ドルの身代金を払って人質を解放してもらうことになる。しかし、その2億ドルがテロリストの資金となり、さらなる弾圧やテロにつながれば、人質２人以上の人命が失われることになります。人命を数でかぞえれば、「テロには屈しない」「（失われる）人命（の数）を第一に考える」は矛盾しません。しかし、人質が犠牲になる危険は高まります。</p><br><p>テロリストに屈しない＝身代金は払わず、人質交換（テロリストの解放、日本にこのカードはありませんが）にも応じない姿勢を貫くとすれば、人質を救出するためには、軍事的な救出作戦しかありません。しかしアメリカやイギリスはそうしていますが、なかなか難しく、交渉成立まぎわだった他の国の人質まで巻き添えで亡くなったこともありました。これも人命第一と人質を救うために、他の命が失われたり、新たな捕虜が出る可能性を覚悟しなければならない方法です。それ以外には平和を説いてテロリスト（の一部でも）を説得するという方法もありますが、盲心的でグループ内でも恐怖支配が徹底しているテロリスト相手では限りなく非現実的です。</p><br><p>今回の事件では、「テロに屈せず、人命第一」をかかげた日本政府の実際の行動は、身代金要求には応じず、（たぶん交渉ルートの）情報収集をするということでした。困難な状況の中で、人質の命を救うことはかないませんでした。</p><br><p>拘束されてしまえば解放の手段が事実上ないに近いという状況で、できることとしては、まずは拘束されない努力をするということしかありません。一時的にISILの勢力圏内への渡航禁止もやむをえないと思います。法的な問題が解決されればですが。一人ひとりも、海外邦人は特に、そして国内でも、自分はテロのターゲットにされるかもしれないという自覚を持たなければいけないのでしょう。安全な国、日本を誇りに思っていた者としてはとても残念。</p><br><br><p>まとめてみれば、事件が起こる前に事件発生の危険をふまえてもう少し用心できなかったか、というくらいで、政府の対応としては（他の誰がやっても）このようにしかできなかったと思います。ただ、それで終わりにするのではなく、今回の痛ましい結末を教訓に、よりいっそうの危機管理、事前のケース検討の上に政策を行っていってほしいと思います。<br><br><br></p>
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<link>https://ameblo.jp/mio-aa/entry-11985845181.html</link>
<pubDate>Wed, 04 Feb 2015 23:46:25 +0900</pubDate>
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<title>ISIL日本人拘束事件/ジャーナリストが紛争地に行くこと</title>
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<![CDATA[ <p>●ジャーナリストが紛争地に行くこと</p><br><p>ISILに拘束されたうちの1人、後藤健二さんは、フリージャーナリストだった。今回の渡航目的は、ジャーナリストとしての取材にくわえて、知人の湯川さんの救出を目的とされていたようだ。後藤さんは紛争地における生活者、弱者、特に子供の寄り添った取材をされる方だったそうだ。</p><br><p>日本人拘束事件が明らかになるとともに巻き起こった「退避勧告が出ている危ないところに行ったのだから自己責任だ」という声に対して、一部ジャーナリストから「危険だということがわかるのも、その場に行って伝える人がいるからだ」という反論が上がり、それに対してはさらに「ジャーナリストを特別視している」「ジャーナリストだからといって勝手に行った先で巻き込まれて政府に多大な迷惑をかけてよいわけではない」という意見があった。</p><br><p>ISILでもイラクでも、他の過去の例でも、日本人でも外国人でも、紛争地で拘束される事件の被害者になるのは、たいてい、ジャーナリスト（多くはフリー）かボランティアを含む人道支援関係者である。</p><br><p>そういう人たちは特別なのか、他の人と同様、危険な場所は行くべきじゃない、という意見もあるが、そういう人たちは、特別なのである。</p><br><p>なぜなら、あえてそこに行かなくてもいい人たちと違って、彼ら/彼女らは、その場でなければならないから。</p><br><p>紛争に巻き込まれた人を助けたいと思えばそこに行くしかない.。紛争地の人たちの現状や声を伝えたいと思ったら、逃れてきた人への取材という手段もあるが、その場に行くのはインパクトのある方法であろう。言葉を並べるよりも、1枚の写真、数分の動画がより多くの真実を伝え、より多くの人の胸を打つこともある。</p><br><p>危険は承知の上でのこととなる。それでも、紛争地の被害者を、自分とは関係ないと思えない人、ないものとして見過ごせない人たちが、そこに行く。そして私たちに伝えてくれるのだ。</p><br><p>ジャーナリストであれば、大手の報道機関は社員を危険地に送らない傾向があるから、フリージャーナリストが行くことが多い。大手メディアは彼らから情報を買う。もし日本人は危険地に行ってはいけないと言って行かないとしても、私たちが紛争地の実情を知ることがあるならば、それはどこかの誰かがリスクを負ってその地に行っているのである。</p><br><p>紛争地ではないけれど、福島の原発事故の時、果たしてそこで何が起こっているのかと、知りたくはなかったろうか？そこの住人の方たちがどうなっているかと心配で、一刻も早く現状を知りたくはなかったろうか？実情を知ってこそ、正しい判断も、必要な支援もできるものだ。</p><br><p>危険だからと、紛争地にジャーナリストがまったく立ち入らなければ、私たちが知るのは、紛争当事者が発信することだけになってしまう。当事者は往々にして、自分たちに都合のよいこと、都合よくねじ曲げたことだけを公表する。当然、そこで罪もなく殺された人、嘆き悲しむ人、打ちひしがれて途方にくれる人たちの声は届かない。</p><br><p>人がすることである以上、完全に中立的な真実はありえないけれど、紛争を起こしている人たち以外の立場から現状を伝える人をなくしてはならない。</p><br><p>リスクを負ってその役割を担ってくれる人には敬意を払いたい。</p><br><p>日本の世論をみていると、紛争地でトラブルにあったジャーナリストには非難がましい声が多いし、日本は難民の受け入れに非常に厳しい国だ。遠いヨソの国の人など、どうでもいいのだろうか？自分と自分の家族さえよければ、自己責任の範囲で人に迷惑をかけず暮らしていれば、どこかで親を殺された子供が泣いていようが、少年が強制されて殺人者になろうが、家も家族も失い逃れてきた人が生きる希望を見いでせなくても、どこかのなんとか族の女が奴隷に売り飛ばされても、関係ないのだろうか？</p><br><p>そんなことはないだろう。東北の震災には、日本中の人がその辛さを思い、なんとか手を差し伸べたいと思ったはず。多くの人が、人の痛みをわかり、助けたい、癒したいと願う心を持っている。</p><br><p>誰かの惨状を知ったからといって何ができるわけでもないことも多く、無力感に打ちのめされるだけかもしれない。世界中の人を救えるわけではないと目を背けたくなることもある。</p><br><p>けれど、知れば、何かがかわることもあるかもしれない。知らなければ、ないことになってしまう何かを伝えるためにリスクを引き受ける人を、私は尊敬するし、敬意を払える社会であってほしいと思う。</p><br><p>もちろん、すべてのジャーナリストが使命感を持って命をかけて取材すべきだというつもりは全くない。家族や、身近な愛する人であれば、命などかけてほしくないのが本音である。そして、だからこそ、その使命感や熱意、犠牲を貴いものだと思う。</p><br><p>後藤健二さんは紛争地の弱者に寄り添う活動をされ、不幸にして帰らぬ人となった。恐怖で人々を支配しようとするプロパガンダに使われた映像ではなくて、彼の伝えたかったことを心に残したいという動きに賛同する。</p><br><p>「目を閉じて、じっと我慢。怒ったら、怒鳴ったら、終わり。それは祈りに近い。憎むは人の業にあらず、裁きは神の領域。―そう教えてくれたのはアラブの兄弟たちだった」</p><br><p>Rest in peace.</p><br>
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<link>https://ameblo.jp/mio-aa/entry-11985262470.html</link>
<pubDate>Tue, 03 Feb 2015 19:30:33 +0900</pubDate>
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<title>ISIL日本人拘束事件に思うこと</title>
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<![CDATA[ <p>衝撃的な身代金要求の動画公開以来、日本中の注目を集めていたISIL日本人拘束事件は、人質２人の殺害という最悪の結末で終わった。</p><br><p>この事件で、あまり目を向けられることのなかった中東情勢を身近に感じた日本人も多いと思う。私もその一人だ。今後は、人質の身の安全のために伏せられていたことも含めて様々な検証がなされるだろうけれど、私もあれこれと考えたことを綴っておきたいと思う。</p><p><br></p><p>●自己責任論</p><p><br>事件が明らかになると、ネット上では「退避勧告が出ている危険な地域に行って捕まった、自己責任だ」とい声がたくさん見受けられた。一方一部ジャーナリストからは、「危険だということがわかるのも、その地に行き伝える人がいるからだ」という擁護がなされた。</p><br><p>この「自己責任論」というのは、2004年にイラクで起こった３人（NGOボランティア、フリーカメラマンなど）が拘束された事件のときに巻き起こった声だ。犯行グループからは、自衛隊のイラク派遣を撤退させろという声明があった。この時は、家族や解放後の人質たちが、自衛隊を撤退させるべきだなどと発言したため、自己責任なのにとバッシングと言えるほど非難され、政府までその世論に乗って、救出にかかった費用の金額まで出された。</p><br><p>続いて起こった2人のフリージャーナリスト人質事件（解放）、1人の学生（殺害）の際も、自己責任論は優勢で、亡くなった学生の家族が自ら息子は自己責任でイラクに行ったと言い、とても痛々しかったのを覚えている。</p><br><p>そして今回。ご家族の発言は非常に抑制されたものだった。湯川遥菜さんのお父様は、助かってほしいとは言ったけど、あとは謝ってばかりだった印象だし、後藤健二さんの奥様は犯行グループに強制されるまでいっさいコメントしなかった。後藤さんのお母様も最初の会見は？だったけれど、それもお義父様から心痛のあまりだとあとでフォローが入った。</p><br><p>これって、なんだろうと思う。家族を人質にとられ、要求が自分たちでなんとかなるものでなかったら、なんとか助けてほしいって思うのが当然じゃないか？助けてもらえるかどうかはともかく、その当然の心情を吐露することさえできず、他の人たちにまずあやまれと圧力がかかるのは酷過ぎる。</p><br><p>そもそも、犯罪の被害者に自己責任なんてない。非はすべて、加害者にある。被害にあった人を、迷惑をかけたなどと非難するのは、加害者に加勢することである。今回のように、身代金ビジネスまたはテロのプロパガンダのために誘拐するという卑劣な犯罪に、加勢する理由なんてまったくない。</p><br><p>犯罪被害者を救出し、海外邦人を守るのは、政府の仕事だ。今回は少なくとも知る限りは、公けに政府が被害者の自己責任だなとと放言することはなかった。結果として何もできなかったけど、できるだけの尽力はしたように思える。</p><br><p>被害者にあるのは、リスクを判断して行動を決める自由と責任である。どの程度までリスクをとるかは本人に任される。運不運はあれ、行動の結果は自分にかえってくる。今回はお２人とも、命をなくすかもしれないほどに高いリスクだと認識していたと思う。わずかな可能性であっても、命をかけても何かを成そうと行動した人に対して、結果を嘆くことはあっても、非難する言葉はない。</p><br><p>今回はとても悲しい残念な結果になった。湯川遥菜さんについては、語学力も経験も不足していたようなので、もう少しリスクの低い選択はできなかったかと思うけれど、たぶん行ってみたその地に、なにか人生を切り開く可能性を感じてのことだったんだと思う。これは２００４年の香田さんの事件のときに強く思ったことだけど、たしかに無謀さや甘さはあっても、運よく最悪の結果を逃れることができれば、そのぎりぎりに追い詰められた場での経験、みたもの、感じたことは、視野を広げ、後の人生の大きな支えになったことだろうと気の毒でならない。ご冥福をお祈りします。</p><br><p>今後考えたいこと：</p><p>●ジャーナリストが紛争地に行くこと</p><p>●日本人拘束事件に対する政府の対応</p><p>●日本の中東政策、外交政策</p>
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<link>https://ameblo.jp/mio-aa/entry-11984645834.html</link>
<pubDate>Mon, 02 Feb 2015 11:31:55 +0900</pubDate>
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