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<title>一緒に生きる活力＝生活力を☺️</title>
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<description>初めまして。看護師かけだし３年目。母子のサポーターになりたくて、保育士、幼稚園教諭、誕生学アドバイザー持アロマテラピスト、ヘルパー取得。現在、ターミナルケア、認知症ケア勉強中“その人”の日々の生活を支えるお手伝いがしたいと考える今日この頃</description>
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<title>母の入院</title>
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<![CDATA[ <a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20210121/18/mio30956418/26/ac/j/o1477110814884817563.jpg"><img width="400" border="0" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20210121/18/mio30956418/26/ac/j/o1477110814884817563.jpg"></a><br>母が胆嚢炎で入院しました。<br><br>母にとって、人生初の手術。<br>救急外来で、医師が<br>「明日、仕事、調整して朝から付き添って下さい」<br><br>その言葉があったから、<br>不安な母に添うことができた。<br><br>仕事まっしぐら、看護病の私は、午前１件の訪問終わってから来ようかな～と思っていた。<br><br>コロナウイルスで、面会制限。<br>病院内は、ピリピリムードの中、ひとりだったら、<br>余計に不安であっただろう。<br><br>救急からの入院。夜からの受け入れ。<br>入院後の受け入れで、<br>看護師「今、お腹痛みますか？１０の内、どれくらいですか？」<br>母「３」と。<br><br>へ？３？痛そうにしてるのに？<br>痛みのスケールをこれまで使っていた自分にも、考えるきっかけとなった。<br>疼痛スケール。。。<br>痛みの程度って、ひとりひとり違う。<br>我慢強い母にとって、判断難しいな。<br><br>翌日の朝、<br>あるひとりの男性看護師が、一旦、仮に受け入れてもらっていた病棟からの転床の際、<br>「手術頑張ってください」と。手を握ってくれたと。母は、涙した。<br><br>ツイテイル母は、ラッキーな人。<br>こんなご時世の中で、入院することができ、<br>手術することが、タイミングよく行うことができた。<br><br>私も、家族としての立場で看護を観ることができた。<br><br>入院手続き書類を１０枚以上は、書いた。<br><br>これ、独居の方とか、身よりがいない方とかの場合、書類対応どうなるんだろう？と、考えさせられた。<br><br>いよいよ、手術。<br>２時間と聴いたのに、なかなか終わらない。<br>ひたすら、テレビと携帯。朝からの待ち疲れと不安の交互の心境。<br>４時間後。。帰ってきた。<br>主治医「炎症がひどくて、苦戦しましたね～」<br>帰ってきて、一言。<br><br>ビックリ！！<br>アボカドの種の大きさの胆石。<br>腹腔境でできたんだ。<br>感謝しかない。<br><br>こんなものが、人間の中に入るんだ。<br>勲章で持ち帰ろう。<br><br>翌日からは、面会制限。<br><br>スッキリとした、日常が待っている。<br>まず、ダイエットだな。<br>母ちゃん。<br>どう、アプローチしようか？<br>好御期待。(笑)<br><br>
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<pubDate>Thu, 21 Jan 2021 18:13:27 +0900</pubDate>
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<title>好きなもの・こと</title>
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<![CDATA[ コロナウイルスの感染対策の影響で、<br><br>家族と面会できない。<br>もしくは、面会が、１０分。<br><br>人生の最期。<br>最終段階に、家族に会えない。<br>触れる機会が少ない。<br><br>そんな中で、<br>病院から、在宅へと、選択した方がいた。<br><br>病院の夜中「おか～おか～(妻)」を呼ぶ本人。<br>妻は、その時、夫が呼んだ気がした。と。<br><br>そこから、“お家に帰る”と妻は、決意。<br><br>高齢である中、吸引やオムツ指導を。<br>不安な中でも、妻の思いは強かった。<br><br>レベル低下していた本人が、家に帰った瞬間、<br>これまでの時間を取り戻すように妻へ、しゃべりだした。<br><br>妻の思い。。<br><br>夫が好きな物を食べさせたい。お風呂も好き。<br><br>誤嚥。発熱。<br><br>身体と思いが現実と夢の行ったり、きたりの中。。<br>夫も、“食べたい”に応えて、頷く。<br><br>病院では、食事停止になっていたであろう。<br><br>前日、発熱を気にされ、訪問入浴は、なしの意向。最期の時、お風呂が好きな夫を家族で入浴。<br><br>好きな洋服を着けて、旅立たれた。<br><br>妻も、最期まで「父ちゃん、これ好きだからね～」<br><br>「父ちゃんは、いつも◯◯だよね～」<br><br>そんな話しが旅立たれるまで、話された。<br><br>その人らしさ。<br><br>その人の好きなもの、こと。。<br><br>人生、選択の連続。<br><br>なにが良くて、なにが悪いわけでもないが、<br><br>夫婦のありかた、<br>好きなもの、ことを改めて考えさせられた。<br><br>そして、今も、好きな人と好きな場所で、<br>好きなもの、ことをしているか？<br>と、思わされた“ひと”に出逢いました。<br><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20201011/08/mio30956418/19/55/j/o1478110814833016604.jpg"><img width="400" border="0" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20201011/08/mio30956418/19/55/j/o1478110814833016604.jpg"></a><br><br>
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<pubDate>Sun, 11 Oct 2020 08:20:00 +0900</pubDate>
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<title>その人の背中(背景)➡️足跡。。歴史</title>
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<![CDATA[ 皆さんは、今の生活に満足してますか？<br><br>生き方は？人生は。。。<br><br>私は、生まれてから、自分自身に満足した生き方が<br>できませんでした。<br><br>母が妊婦の時に「あなたの子どもは、障がいをもっています」と告げられたそうです。<br>しかし、誕生した私は、健常児でした。<br><br>３歳に交通事故。切断寸前だったそうです。<br>加害者は、車の中で夫婦喧嘩中だったと。<br><br>小学校４年生、大好きだった祖母が亡くなりました。シングルマザーで育った私にとって、祖母の“いのち”は、偉大でした。<br><br>母と、妹、祖母が観ていた統合失調症の伯父との生活。波乱万丈でした。<br>貧困、障がいの偏見、理解に苦しむ出来事、母子家庭。。。<br>自己肯定感が低い生活。生きるのが精一杯でした。<br>母も、生活を整えるのに、いっぱいいっぱい。<br><br>小学校～高校。。<br>不登校、ひきこもり。。<br><br>１８歳、法律上、家からでないといけなくなりました。バイト、３つ掛け持ち。<br>人間関係➡️不安表出できない。<br>今の気持ちが言えない。<br>バランスがとれなくて、仕事のどれかに行けない日がでて、次の日から、行けない。。ことがありました。<br><br>幼い頃から、祖母との約束で<br>「看護師になるのが夢」<br><br>２１歳、小児科の看護助手として、働きました。<br>そこで、障がいを告げられた母が<br>扉から、バーンと号泣してでてきて、掃除をしていた私に「私の子ども、あなたにあげる」と。<br><br>その光景が、頭に残り<br>“親子の心理を学んでから看護師になろう”と。<br>保育の学校へ。<br><br>夜間の専門学校。<br>昼はヘルパーとして、働いていました。<br>３年生の頃、夫との間に第１子ができました。<br>自宅出産を希望しました。<br>微弱陣痛。２日がかりかかったお産でした。<br>冬休みに誕生。<br>休学せず、なんとかかんとか、乗り切りました。<br>第１子の時は、こだわりたいづくしで、布オムツ、母乳育児。。こなしました。<br>本土に、研修授業の時も。。<br>助産師さんに、２泊３日の母乳分を計算してストック。さらに、当日も、クール宅急便でホテルから送付。子育てにも、執念でした。<br><br><br>第２子も、自宅出産。<br>１子と違い、スピード出産。<br>調子に乗り、産後のことも考えず、親子で直ぐに仕事へ。２子に負担。身体に症状がでてしまい、手術、入院。いのちを失いかけました。<br><br>伯父が、肺癌。在宅看取り希望。<br>体制をつくりました。<br>私の第２子が最期は、いきがいで、最期まで写真が手元にありました。<br><br>発達障がい(児童デイ)、高校の支援員、ヘルパー看護助手として、働いた後、<br><br>３０歳。看護学校を受験➡️社会人推薦合格。<br>(小論文、からだゆらしの師匠、勉学後に)<br><br>合格後、３子妊娠。<br>推薦した病院、激怒。「謝ってきなさい」と。<br>看護学校へ連絡。面談。<br>「いるわよ。学校行きながらも頑張っている人」<br>勇気づけられ、<br>「だけど、入学式に参加して校長から許可をださないと入学できない」と。<br><br>身体づくり、頑張りました。<br>入学式の前々日、破水。促進剤。<br>看護学校の入学式前日にＬDR室、３子誕生。<br>翌日、参加しました。入学式。<br><br>２日間、休んだ後に、ぶっ通しの３年間。<br>産後の身体で往復80キロの距離を通いました。<br>産後は、思考回路がフリーズが盛りだくさん。<br>家に帰ると、授乳と家事と課題の盛りだくさんと。<br>赤点も、沢山(笑)<br>授乳して、朝なんて日々(泣)<br><br>そのおかげで、工夫も、友達から習いました。<br>家事では、時短で炊飯器料理。<br>今度、時短術も書きますね🎵<br><br>看護学校卒業後、元の病院へ戻りました。<br>が、私は、在宅看護。小児、ターミナル、認知症に興味があって、看護師２年目。<br>訪問看護師の道へ。今、立っています。💪💕<br><br>出始めなので、まだまだわからないことだらけ。<br><br>病院と在宅、畑が違う。。<br><br>やりがい、いきがい、語り愛ができる<br>訪問看護に魅力を感じている今日この頃です。　<br><br>今は、これまでがあったから、これからがあると<br>思えるようになってきました。<br><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20201001/22/mio30956418/36/fb/j/o1478110814828313281.jpg"><img width="400" border="0" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20201001/22/mio30956418/36/fb/j/o1478110814828313281.jpg"></a><br><br>まだまだ、未熟者ですが、これまで、社会に助けてもらった私なので、恩返ししていくことが少しでもできたらと思っています。<br><br>宜しくお願いします🙇⤵️<br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br>
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<pubDate>Thu, 01 Oct 2020 22:40:00 +0900</pubDate>
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