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<title>miraiwoikiruのブログ</title>
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<description>日々思ったことを書き綴っています。</description>
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<title>信じるということ。</title>
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<![CDATA[ よく「信じていたのに裏切られた」なんて話をよく聞きます。<br><br>私もそういう経験があります。<br>若い頃には「裏切られた」という言葉をよく使いました。<br><br>ですが今は使いません。<br><br><br>理由はいくつかあります。<br>そのうちの一つですが、まず「裏切られた」の前提として、<br>「信じた」があります。<br><br>信じるとはどういうことでしょう。<br>私は、<br>『相手がきっと私の思った通りの行動をしてくれる。』<br>『良い人だからきっと悪い事はしないはずだ』<br>など、相手が自分の都合に合わせてくれる、そういった結果を見せてくれることを自分が勝手に望むことかなと思います。<br><br>確かに自分としてそう思いたいところですが、そんな都合の良い話はありません。<br>あくまで人を信じるということは、『裏切られても構わない』という前提での、ある意味では賭け事のようなものではないでしょうか。<br><br>信じるのはこちらの勝手で、裏切られたら相手を責める。<br>それはおかしいですよね。<br><br><br>『この人になら裏切られてもいい』と思えるぐらいでないと、こちらも信じたと言えないんじゃないでしょうか。<br><br><br>人の心は見えません。<br>わからなくて当然のものです。<br>自分の知らないうちに変わってしまうこともあります。<br>その結果取り残されたような気持ちになることもあります。<br><br>でも人はそういうものです。<br><br><br>長い人生の中の一瞬を裏切られたと嘆くより、相手を責めるより、その時期待していた自分を褒めてあげましょう。<br>信じることは素晴らしいことですから。<br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/miraiwoikiru/entry-12359555423.html</link>
<pubDate>Mon, 12 Mar 2018 04:38:31 +0900</pubDate>
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<title>宗教観</title>
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<![CDATA[ 私は無宗教です。<br><br>しかしながら、友人や知人が亡くなった時には手を合わせて、これから送り出す人の幸せを祈ります。<br><br>もう一度言いますが、私は無宗教です。<br><br>ですが、神や仏を信じています。<br><br><br>都合の良い話だと思われるかもしれません。<br><br>しかし今私がこうして生きていられること、それを今までの過去を辿ってゆけば、きっと目に見えない誰かの助けは借りているのだと思いますし、守ってくださる「神」や「仏」がおられたのでは？と思うことがあります。<br><br><br>私の幼少期は、それはそれは酷い虐待を実の親から受けていました。<br>表情が気に入らないと、火傷するほど艾（もぐさ）を背中に乗せられ、火をつけられたり。<br>タンスに向かって投げ飛ばされ、頭をぶつけてフラフラになったところをロープで縛られて逆さに吊るされたり。<br><br>そのような両親でしたから、私を捨てて二人とも出て行きました。<br><br>その後、食事もなく空腹に耐える一週間。<br>幼い妹と寄り添いながら、意識が遠のいていく。<br><br>そんな時に偶然にも、母方の祖母と叔母が私と妹を助けてくれました。<br><br><br>それと同じように今までに何度も、これ以上は死んでしまうというような状況から、奇跡的に助かってきました。<br><br>そんな自分からすれば、たとえば祖母と叔母が現れた時も、後から考えればタイミングが良すぎると思ったこともあります。<br>出て行った両親が連絡を入れたわけでもないのに。<br><br><br>言っておきますが、私はこれを見ている人に宗教を勧めているわけではありません。<br><br>何度も言いますが、私自身が無宗教ですから。<br><br><br>しかし、今まで書いた出来事は目に見えない何か（だれか）の力が働いたのでは？と私は考えています。<br><br>というか、そう考えることで不思議な体験を納得できるように飲み込もうとしているに過ぎませんが。<br><br><br>それと、神や仏の存在を有るとするほうが苦しまずに済む場面に遭遇することもあります。<br><br>自分が窮地に立った時、私は心の中で祈ることもあります。<br>そしてうまく物事が進まないこともあります。<br><br>ですが、うまくいかないからといって「ほら、神も仏もいないじゃないか！」とは思いません。<br>たまたま私に気付いてくださらなかったんだ、そう思うようにしています。<br>あくまで私はですよ。<br><br><br><br>人間には平等に死が訪れます。<br><br>先程書いた母方の祖母も、去年他界しました。<br><br><br>どんなお金持ちでも、どんな善人でも、やがては死が訪れます。<br><br>当然私も。<br><br>そしてこれを読むあなたにもです。<br><br><br>以前は考えると怖かった。<br>どんな立派で賢い人に問うても、たくさんの文献を読み漁っても、私に死を理解させてくれるものはありませんでした。<br><br>宗教についても調べました。<br>それでも納得のいく答えは得られませんでした。<br><br><br>前回のブログにも書きましたが、人間は答えや結果を欲しがります。<br><br>手に入らなければ踠いて不安になります。<br><br>それが人間です。<br><br><br><br>そういえば昔、テレビでとある芸人さんがこうおっしゃってました。<br><br><br>A「金縛りって怖いですね！」<br>B「何も怖いことないじゃないか。」<br>A「だって、寝てる時に動けなくなるんですよ！」<br>B「いや、だから寝てたんでしょう？なら動かずにそのまま寝てたらいいんじゃない？動こうとするから怖いんでしょう？」<br>A「あ、そうか（笑）」<br><br>確かそんなやり取りでした。<br>私はこのお二人のお話が好きで、よくテレビで拝見しておりました。<br><br>話を戻しますが、解明出来ないことを解明しようとするから怖くなるんです。<br><br>目の前の扉は絶対に開かれます。<br>それなのに向こうに誰かが潜んでると考えていれば不安しかありません。<br><br>そういうことです。<br><br><br>かといって、命は粗末にするべからず。<br>自らが死のうとすることは皆に平等に訪れる死とは違いますから。<br>一生懸命生きてこそ、輝くこともあるんじゃないでしょうか。<br><br>あなたが何かに苦しんだ時、このブログが生きるヒントにでもなれば幸いです。<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/miraiwoikiru/entry-12359010389.html</link>
<pubDate>Sat, 10 Mar 2018 01:55:51 +0900</pubDate>
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<title>自分と周りの関係。</title>
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<![CDATA[ 人間関係に悩んだことはありますか？<br><br>私も若い頃はよく悩みました。<br>切っても切れない間柄、しかし付き合いを続けることが苦痛で仕方がないという状況。<br>似たような経験、ありませんか？<br><br>当時、私の心は疲弊しきっていました。<br><br>この世に自分の味方などいないのではないか、<br>そう考えてしまうぐらいに思いつめていました。<br><br><br>しかし、そんなある日のことでした。<br><br>私と同じように悩んでいるという人がたまたま相談に来られたのです。<br>いえ、正確に言えばたわいも無い世間話をしに来られた会話の中で、成り行き上相談を聞いただけです。<br><br>彼の悩みはこうでした。<br><br>職場の人間関係がうまくいかない。<br>YESと返事をしなければ自分の話も聞いてもらえない。<br>常に一部の人が中心にいて、その人のために世界が回っているようだ。<br><br>そういった話でした。<br><br>私も同じように周りを見渡して、同じように感じていました。<br><br>誰か一人の損得であったり、その人の感情に流されていないとうまくいかない。<br>かといって、そこから抜け出すことを考えたなら、さらなる苦痛がやってくるのだろうと。<br><br><br>しかし、私は彼の話を聞くうちになんとなくですが解決の糸口が見えてきました。<br><br><br>人とのご縁というものは、本来切る切らないの話ではなく、成るべくしてなるものだと考えています。<br><br>必要だから出会い、そして繋がっていく。<br>その時の一時的な感情や損得勘定で無理に繋がろうとすれば、すぐに破綻を迎える。<br>そういうものだと考えています。<br><br>その考えは今も変わりません。<br><br><br>しかしです。<br><br>よく周りを見渡してみましょう。<br><br>たとえば自分の隣に立つ人を見てみます。<br>人の陰口を並べては自慢話ばかりする人がいるとしましょう。<br><br>またその隣には他人の考えを否定し、自分こそが正しいと主張を繰り返す人がいるとしましょう。<br><br><br>実はこれらは全て自分を写した鏡なんです。<br><br>きっとこれを読まれてらっしゃる方の中には、<br>「自分はそんな人間ではない！」と思われる方もおられるでしょう。<br><br>いや、大半がそうではないでしょうか。<br><br><br>では、もっと噛み砕いてみましょう。<br><br>あなたが普段仲良くする人の中にタバコを吸う方がおられるとします。<br>そのタバコを吸う方が目の前で吸っていたタバコをポイ捨てした。<br><br>もし、あなたがそこで注意したならば、相手は行動を改めるかもしれません。<br>改めるまでいかずとも、人間関係を良くしたいと思う方ならば、きっとあなたの前では出来る限りそんな行動を取らないようになるでしょう。<br>もしくは、あなたから離れていくでしょうね。<br><br>しかし、そこで注意しなければ、そういった人が周りに増えていきます。<br><br>ポイ捨てをする人を許容出来るのは、同じようにポイ捨てをする人たちです。<br><br>見て見ぬふりをして黙っていれば、相手はポイ捨てをする感覚をあなたと共有出来てると認識します。<br><br>人間とはそういうものです。<br><br>そしてだんだんとポイ捨てを許せる人とポイ捨てをする人が周りに集まってきます。<br><br><br>先ほど書いた「鏡」というのは、こういう意味でもあります。<br><br>また他の意味でも「鏡」として映し出されることがあります。<br><br>たとえばあなたが体調を崩している時。<br>朝から気分が乗らず、食欲もなく。<br><br>人はそんな時には自分勝手になったり、周りが良く見えずに悪いところばかりが見えたりするものです。<br><br>相手が正論を言っても、うまく飲み込めずに抗ってみたり。<br>謝る事をせず、自分は体調が悪いのだからと関係のないところに正当性を求めたり。<br><br>今のは体調が悪い時を例に挙げましたが、他にも他人の言動や動作が自分にとって「悪」に見えることがあります。<br><br><br>これも人だからです。<br><br>人というものは、その時その時の自身の勝手な都合で、曲がった解釈をしたり、人を攻撃するような行動に出たり。<br>特に現代ではそういった傾向が顕著に出てるのではないでしょうか。<br><br><br>私が今回書いているこの文章。<br>これだけであなたの悩みがスッキリはしないでしょう。<br>全てが「鏡の話」に当てはまるわけではありませんから。<br><br>しかし、時には心に余裕を持ち、こういった考え方もあるのだと心の中に置いておくのも良いかもしれません。<br><br><br>ちなみに私の場合ですが、先ほど書いた彼のお陰で心が少し救われました。<br>自分を取り巻く環境、それは少なからず自分が作り出しているのかもしれない、そう思えたからです。<br><br><br>そんな私は少しずつですが、自分の周りの人間関係を整理しました。<br>それは縁を切るわけでもなく、顔を合わせたらしっかりと挨拶し、出来る限り自分の考えを言葉で伝え、相手の話を聞くようにしました。<br><br>そして関わらない時間をしっかりと設けました。<br><br>つまりは1日の中にメリハリをつけたのです。<br><br><br>こうする事によって、自分の心を休める時間を作りました。<br>そして別のことを考えたり、それらと関係のない趣味に励んだり、戦いから逃げるのではなく、休戦時間を作ったわけです。<br><br>こうする事でお互いの色とでもいいましょうか、今までは混じり合わなかった、お互いを消そう消そうとしていた何かが、お互いにしっかり主張し合い、混ざり合わなくとも人間関係は構築出来るのだと証明できました。<br><br><br>現在も時々ではありますが、近況報告が出来る関係にあります。<br><br>当時は心の中に抑え込んでいた憎しみも今はありません。<br><br><br>どんな人であれ、みんな戦っています。<br>苦しんでいます。<br><br>そしてそれぞれが考えて行動しています。<br><br><br>長い人生を生きていたら、理解に苦しむ行動をする人と出会うことがあります。<br><br>しかし、そのほとんどはその人の中で理由のあることです。<br><br>それをまずは理解する。<br>飲み込めないことばかりです。<br><br>しかし、理解するというのは頷くという意味でなく、<br>「そういう考え方もあるんだな」とか、<br>「立場が違うとこういう考えになるのだな」という飲み込み方をします。<br><br>人間はすぐに答えを欲しがります。<br>結果を知りたくなります。<br><br>あの人は赤色だ、自分は青色だ、それなら自分は赤色にはなれないから相手を否定しよう。<br>そういう考えに陥りやすいものです。<br><br>もちろん、そう考えるしかない場面もあります。<br><br><br>しかし、思いつめて苦しいのなら、こういった解決手段や考え方もあるのだと心の中に置いておいてください。<br><br>ほんの少しかもしれませんが、あなたの幸せに近づけると私は思います。<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/miraiwoikiru/entry-12359007384.html</link>
<pubDate>Sat, 10 Mar 2018 00:57:40 +0900</pubDate>
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