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<title>英語コンサルタントのブログ</title>
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<title>トルコ紅茶</title>
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<![CDATA[ <p>今回はトルコの現地に住むトルコ人の方からある紅茶を頂きました。</p><br><p>名前は</p><br><p>caykur rize turist cayi　（チャイクール・リゼ・ツーリスト・チャイ）</p><br><p>です。</p><br><p>まず、その方によると、caykurはトルコでは大手のお茶メーカーだそうです。（サッカーチームがあるほどなので、大きいのでしょうね。）</p><br><p>そして、rize（リゼ）というのは、地域の名前でトルコ紅茶の生産量の一番多い地域の名前だそうです。日本でいえば、静岡県という感じなのではないでしょうか。</p><br><p>そういったトレビアのもつ、トルコ紅茶なのですが、実際のところ、どのように淹れればいいのかというのは日本語のウェブサイトで調べてみてもあまりいい結果が得られなかったので、直接その方に聞いてみました。</p><br><p>結果、やはり、二段のやかんらしきものを使うのが主流だそうで、その他の淹れ方は知らないの一点張りでした。</p><br><br><p>しかし、根気よく聞くと、　なななんと！！！！！！！！！！！</p><br><br><br><br><p>一番大切なのは、茶葉を如何に踊らせ、茶葉の最大限を引き出すかということに尽きると言われました。</p><br><br><p>そこで、私はこのように淹れました。</p><br><br><br><br><p>ミルクパン（ミルクをいたためる小さな鍋）に紅茶の葉を入れ、</p><br><br><br><br><p>そして、水を淹れ、沸かしました。</p><br><br><br><br><p>正直、多く沸騰させては渋みが出てきてしまうのではないかと思うぐらい沸騰させました。</p><br><br><br><br><p>すると、茶葉は鍋の中央により、沸騰する泡が鍋の淵から攻め込んできていました。</p><br><br><br><br><br><p>（正直、今回の物は渋みがきつく出ているに違いないと思っていました。）</p><br><br><br><br><br><p>そして、それをカップに入れ、お湯で割り、頂きました。</p><br><br><br><br><p>匂いはインドの紅茶のようにきつくありません。初めの一口目は渋みを感じたのですが、さらにお湯で割ると、その渋みはなくなり、スムーズに口を通り抜ける実にすばらしい紅茶でした。</p><br><br><p>今まで紅茶を口にいれた際の味が紅茶の味だと捉えていた方には少し、ご不満が出るかもしれません。</p><br><br><p>しかし、反対に紅茶の持つ渋みがお気に召さない方は、この紅茶はお勧めいたします。</p><br><br><p>つかえることなく飲める紅茶のため、日常使いに飲まれていると言われる所以がよく理解できるかとおもいます。</p><br><p>本来ならば、このような場を使い、紹介するに満たないのですが、何故今回この紅茶を紹介するのかといいますと、</p><br><br><br><br><br><br><p>その後味に上げられると思います。</p><br><p>今回頂いた紅茶は後味にりんごの香りがし、そして、その控え目ながらさりげなく芳醇に香るりんごの香りはスムーズに口の中に入っていった印象とは全く異なるものになるかと思います。</p><br><p>そして、唯のお茶ではないと後に感じることだと思います。</p><br><p>ですので、このような繊細で控え目ながらやさしく包み込むりんごの香りに心がいやされるような紅茶は私の経験上、ありません。</p><br><p>いつか、トルコに行かれた際はこの紅茶を飲み、心から癒されるのも一つかと思います。</p><br><br><p>ＰＳ：紅茶だから、ミルクでしょと思われている方には、是非、ストレートに少し砂糖を淹れて飲んでください。紅茶の独特の素晴らしい後味に心がいやされ、未来への希望がわくことだと思います。</p><br><p>お茶と聞いたとき、抹茶のように胃に負担がかかるのではないかと考えている方にもこのトルコ紅茶はお勧めいたします。</p><br><br><br><p>私自身、胃が強いわけではありませんので、このような私でも飲めて楽しめる紅茶ですので、皆様にも楽しんで頂けることだと思っております。</p><br><br><p>今日はお読みださりありがとうございます。</p>
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<link>https://ameblo.jp/miru-eigo/entry-11436790196.html</link>
<pubDate>Fri, 28 Dec 2012 17:03:19 +0900</pubDate>
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<title>英語は暗闇</title>
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<![CDATA[ 多くの人は英語を学ぶ。。留学する。ヤッホーってな感じで面白そうですけど、実際のところどうかというと、うむむなんですよね。<br><br>多くの教育会社は英語を楽しく学ぼうというテーマを持っています。しかし、本当は英語というのは実に難しくややこしい物なのです。今回はその事について書かせてもらえれば有り難いです。まず、英語をマンツーマンで学んだ際、英語の面白さにはまる事でしょう。自分自身の隠れた才能が開花する様に思うかもしれません。しかし、ネイティブと話しても、その後が実は大切で、あなたは帰宅の途に就く道すがらあなたは今日の授業はどうだったかを考えますか？<br><br>自分で英語の評価を常にする事はとても大切な事で、この帰る道すがらの自らの評価がお金を払った本当の価値なのです。多くの人は授業料というのを外国人とのインターアクションにあるのだと思います。しかし、本当の価値はインターアクションで多くの事を学び、その学んだ事を帰る道すがら、反芻しながら、自身に振り返る時間を与える事が本当の価値なのです。言い換えれば、これは自らの置かれている位置、立場を考慮する時間なのです。例えるならば、四番バッターは花形バッターだと思われますが、それを単なる四番目のバッターだと捉えるかどうかという事なのです。そう捉えるだけで、あなたの力とお変えれている位置が明確になるのです。<br><br>その明確にあるからこそ、苦しい事を了解して、その差を埋めようと努力するのです。<br><br>学校へ通える人は実に幸せ者だと思います。より厳しい立場にいる人は個人で英語を学んでいる人なのです。私も一人なのですが、まず、人と話す機会を持たなければならないという状態に出くわし、さらに、その場をうまく解決していかなくては行けないのです。言い換えれば、上辺の英語では無理だと言えるのです。個人で英語を学ばれている人の唯一の利点は、自らの力を認めざるを得ないという事なのです。<br><br>一瞬見たところリスクにしかない様に思います。しかし、それはリスクであり、チャンスなのです。自らの位置が素直に現実に現れている以上脚色や演出を付け足す事は出来ません。しかし、一方で自ら裸一貫で行なう事が出来るという自由性が産まれます。問題はそのどちらを選ぶかという事なのです。一人で英語を学ぶ為には多くの覚悟と忍耐が必要になります。それは学校などが与えてくれない以上、自らで目標を決め突き進んでいかなくてはいけません。<br><br>もしも、あなたがそんな人ならば、私はこうアドバイスをしたい。リスクを気にしなくても良い。良いや悪いは今の自分の立場とこれから向かう立場に対する比較にしか過ぎない。しかも、どちらの道に進むかはあなた次第であるという事も言える。それよりも大きな夢に向かいなさい。未来に現れるリスクよりも、未来に現れる希望を掴みにいきなさいと言いたい。この言葉に全てつきると思う。<br><br>あなたが自身で何かを行ないたいとき、あなたは多くのリスクを負う。しかし、リスクを起こし、突き進まなくては希望を掴む事はできないのだ。希望を追うなら、リスクを犯さないと行けない。リスクをとりたくないなら、希望は無いのだ。しかし、これだけは知っていて欲しい。希望が見えるまでは闇雲の中を進まなくては行けないという事を。希望の一筋が見えるまでは闇雲で暗雲が立ちこめるいばらの道を突き進んでいかなくては行けない。それは、心の折れる行為だ。そんな心の折れそうにもなる行為を毎日続け、そして、今行なっている事の行動に自らのあり方が見えてくると、少しだけ、あなたの中に微笑みが産まれてくる。その微笑みがあなたを勇気づける。なぜならば、その笑みはあなたの経験が物語る自分自身であるからだ。そして、その経験を何度も繰り返し、微笑みを持ち、自身を勇気づけることで、いつかあなたは希望の光と出会う。そのとき、希望の光を追い求める事があなたの人生にこれまで見えなかった光が降り落ちる。その光はどのような光なのか分からない。しかし、光はいつか照る。その光を大切にするか、そっぽを向き、再び暗闇の中を模索するかはあなた次第だと思う。<br><br>それが、英語の世界である。苦しいが楽しいその両方を知るからこそ、人生なのかもしれない。
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<link>https://ameblo.jp/miru-eigo/entry-11429764389.html</link>
<pubDate>Tue, 18 Dec 2012 17:11:55 +0900</pubDate>
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<title>しんどいから英語</title>
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<![CDATA[ ある人はこういいます。<br><br>「痛みの無い人生は人生ではない。」<br><br>実はその言葉はランニング、サッカー、ビジネスに限らず、英語にも言えます。<br>英語を学び始めると楽しく突き進む事が出来ればそれにこした事はありません。しかし、現状、楽しさばかりが英語ではないのです。少し例を使いましょう。あなたは体を動かす際、適当なところで止めますか？楽しい範囲で終わりますか？その記憶は輝いていますか？<br><br>答えは、適当なところで止めてしまうと体は発達しません。さらには楽しい範囲で終えてしまうと反対に面白くなくなります。そして、五年後にそのときの記憶はほぼ残っていないでしょう。<br><br>反対に、適当なところで止めず、苦しいところまで少し行ない、そして、楽しいから苦しいへ少し入ると、そのときは非常に苦しく、痛みがある事だと思います。自らの力の無さに怒りさえも覚える事でしょう。しかし、その反面、その自らの力の無さを知る事は自らと真っ正面に向き合っているからなのです。辛い、苦しい時こそ、本当のあなたと真っ正面に向き合っているのです。そのときに初めて今行なっている事の価値に出会うのです。「苦しいが楽しい。辛いが今の自分が輝いている。」そういった自分と出会えるのは何よりも厳しいときであり、辛いときなのです。<br><br>英語の世界に答えはありません。人個人個人で自らの世界を決めていかなくてはいけません。実に難しく辛いです。しかし、あなたが本当の意味で大人として輝く事が出来るのです。<br><br>私は多くの事を英語から学ばせてもらっています。<br><br>共に英語を介して多くの事を学んでみませんか？<br>
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<link>https://ameblo.jp/miru-eigo/entry-11429742279.html</link>
<pubDate>Tue, 18 Dec 2012 16:56:45 +0900</pubDate>
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