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<title>misojitsurezureのブログ</title>
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<title>存在前肯定！</title>
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<![CDATA[ <div><p>&nbsp;</p></div><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20260831/11/misojitsurezure/02/ee/j/o1063108015817460329.jpg"><img alt="" height="1080" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20260831/11/misojitsurezure/02/ee/j/o1063108015817460329.jpg" width="1063"></a></p><div><p>保育園から高校まで同じ学校に通い、同じ時期に地元へ戻ってきた友人と、久しぶりに散歩をしました。</p><p>歩きながら、友人が会社の同期が退職したという話をしてくれました。</p><p>その人とは部署も違い、普段から頻繁に話すような間柄でもなかったそうです。それでも、同じ会社で同期として働いているというだけで、「自分と同じように、どこかで頑張っている人がいる」と思えた。それが、友人にとって心の支えになっていたのだそうです。</p><p>&nbsp;</p><p>その話を聞いて、私は少し驚きました。</p><p>人は、何かをしてあげなくても、何かを成し遂げなくても、ただ存在しているだけで、誰かの心の支えになれるんだ。</p><p>そんなことを思いました。</p><p>私は時々、「これができなければ認めてもらえない」「何者かにならなければ、自分には価値がない」と思ってしまいます。</p><p>何かを成し遂げることや、社会の中でちゃんとした場所を持つことに、自分の価値を結びつけてしまう。</p><p>そうすると、何もできていない自分が、急に空っぽに思えてくる。</p><p>特に今は、三十路、住所不定、無職。</p><p>自分でも笑ってしまうような肩書きですが、笑っていられないくらい、焦る瞬間もあります。</p><p>周りの人たちはそれぞれの場所で人生を進めているのに、自分だけが立ち止まっているような気がする。</p><p>そんなときに聞いた友人の話は、なんだか私を全肯定してくれるようでした。</p><p>「何者かにならなくても、あなたがそこにいること自体に意味がある」</p><p>そう言われたような気がして、少しだけ心が軽くなりました。</p><p>&nbsp;</p><p>考えてみれば、私にとって大切な人たちも、何か特別なことをしてくれるから大切なのではありません。</p><p>元気でいてくれる。<br>どこかで生きていてくれる。<br>たまに思い出してくれる。</p><p>それだけで、充分だったりする。</p><p>だったらきっと、私も誰かにとって、そんな存在なのかもしれない。</p><p>何かを成し遂げたからではなく、<br>役に立ったからでもなく、<br>ただそこにいるから。</p><p>自分の価値を証明することに疲れたときは、そのことを思い出したいと思います。</p></div>
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<link>https://ameblo.jp/misojitsurezure/entry-12977314771.html</link>
<pubDate>Mon, 31 Aug 2026 11:23:41 +0900</pubDate>
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<title>ASDの母</title>
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<![CDATA[ <div><p>大人になってから、母はASDとADHDを併せ持っているのだと気づきました。</p><p>異常なまでのこだわり、家事が苦手、物が捨てられない、感情を読み取ることが苦手、一般常識が欠けているなどなど。</p><p>幼いころから違和感があったのですが、大人になって母を一人の人間として見るようになると、「この人は障害を抱えているんだな」と分かるようになりました。</p><p>違和感の正体に名前がついたからといって、母の障害に起因する幼少期の苦労が消えるわけではありません。</p><p>それでも、一歩離れて母を「母」という役割を持った人ではなく、一人の年を取りゆく人間として見ることが、少しずつできるようになりました。</p></div><div>&nbsp;</div><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20260830/09/misojitsurezure/8d/c2/j/o1080105315817092065.jpg"><img alt="" height="1053" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20260830/09/misojitsurezure/8d/c2/j/o1080105315817092065.jpg" width="1080"></a></p><div><p>夕方は「シンドラーのリスト」を見ました。</p><p>何年か前にも一度見ているのですが、先月アウシュヴィッツに実際に行ってきたので、改めて見直すことにしました。</p><p>クラクフではシンドラーの工場にも行ったので、ホロコーストを題材にした映画の中でも、今見ておきたい作品でした。</p><p>鑑賞し終わって思い出したのが、フランクルの言葉です。</p><p>「運命は変えられないが、人生に対する態度は決めることができる」</p><p>確か、このような意味のことを言っていたと思います。</p><p>ナチスとユダヤ人という、大きなくくりで言ってしまえば、加害者と被害者がいます。</p><p>これは、大きな時代のうねりの中で決められた運命です。</p><p>しかし、その運命という枠の中でどう振る舞うかは、最後まで個人に委ねられます。</p><p>ドイツ人の中にもユダヤ人を助けようとした人はいたし、ユダヤ人の中にも同胞を虐げた人がいました。</p><p>ただ、運命によって「選択できる幅」はかなり変わってくるのだと思います。</p><p>善も悪も選ぶことのできる環境にいる人と、たとえ普段は善良な人であっても、自分の信じる「善」を選択することが許されない環境に置かれた人とでは、そもそも与えられている選択肢が違います。</p><p>「やらなければ、やられる」といった環境の中で、普段なら決してしないような選択をし、手を汚した人もいたでしょう。</p><p>その人は、もともと悪人だったのではなく、悪人にならざるを得なかったのかもしれません。</p><p>もし私が当時のナチス・ドイツに生まれ、大量虐殺のシステムの一員として組み込まれていたら、私は戦犯になっていたかもしれません。</p><p>ごく少数の、聖人と呼ばれるような、自分の命を投げ出してでも自分の信じる「善」を貫く人を除けば、人間は運命の前では、思っている以上に無力なのではないでしょうか。</p><p>今、私が人を傷つけずに済んでいることは、ある意味ではとても幸運なことなのだと思います。</p><p>「シンドラーのリスト」そのものの物語からは、少し離れた感想になってしまいました。</p><p>最後に、月並みなことを言いますが、</p><p>スピルバーグ監督は天才ですね。</p></div>
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<link>https://ameblo.jp/misojitsurezure/entry-12977206158.html</link>
<pubDate>Sun, 30 Aug 2026 09:59:22 +0900</pubDate>
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<title>三十路住所不定無職</title>
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<![CDATA[ <div>こんにちは。</div><div>三十路、住所不定無職です。</div><div>&nbsp;</div><div><p>元々は旧帝大から公務員という王道ルートを歩んでいましたが、ずっと「何かが違う」という思いがありました。</p><p>22歳の時、清水の舞台から飛び降りるような気持ちで公務員を辞め、人生のレールから外れました。</p><p>学生の頃に考えるべきだった、将来のことを三十路になった今、改めて考え直します。</p><p>&nbsp;</p><p>本当は、今すぐにでも働き始めて、結婚相手を見つけ、社会に溶け込み、つかの間の安寧を手に入れたいという衝動にかられます。</p><p>でも、今その選択をしたら、今までと何ら変わりがないように思うのです。</p><p>私は、三十路住所不定無職をポジティブに楽しむ精神性の強さは持ち合わせていません。</p><p>むしろ、今まで世間体や周囲に従うことで、無視し続けてきた自分の内面と向き合うための修行期間と捉えています。</p><p>この期間に、人生の方向性を決めたい。</p><p>内省の一環として、このブログを書きます。</p><p>思ったこと、感じたこと、経験など、つれづれなるままに書いていきます。</p></div><div>&nbsp;</div><div>&nbsp;</div><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20260829/10/misojitsurezure/b5/47/j/o1044108015816774887.jpg"><img alt="" height="1080" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20260829/10/misojitsurezure/b5/47/j/o1044108015816774887.jpg" width="1044"></a></p><div><p>&nbsp;</p><p>この日は、初めての陶芸教室に行きました。</p><p>手先の器用さには自信があったのですが、想像以上に難しいです。</p><p>何事も、蓋を開けてみると、底がないように思います。</p><p>これを面白いと捉える人もいると思いますが、私には果てしがないようにも感じます。</p><p>&nbsp;</p><p>すぐに大きな結果や完璧を求めてしまうことは、私の悪い癖です。</p><p>今は、続けること。そして、油とり紙一枚分の進歩があれば十分、くらいの気持ちでやっていきたいと思います。</p><p>たとえ進歩がなくても、続けることそれ自体で十分と思うべきなのかもしれません。</p><p>&nbsp;</p><p>夜は、母とお蕎麦を食べに行きました。</p><p>目の前でもりもりと食べる母でしたが、昔と比べると、ずいぶん小さく、しぼんだように感じます。</p><p>母の老いを感じて、喉が詰まるような悲しさを覚えました。</p><p>どんどん老いて、小さく小さくなって、最後にはこの世から消えてしまう。</p><p>仲の良い親子ではありませんでしたが、三十路にもなると、母への感情に少しずつ変化がありました。</p><p>&nbsp;</p><p>愛おしい。<br>悲しい。<br>喜ばせたい。<br>守ってあげたい。</p><p>&nbsp;</p><p>私は子供がいないので想像になりますが、親が子供に抱く感情に似ているのでしょうか。</p><p>「悲しい」は、ないのかもしれませんが。</p></div><div>&nbsp;</div><div>&nbsp;</div>
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<link>https://ameblo.jp/misojitsurezure/entry-12977111815.html</link>
<pubDate>Sat, 29 Aug 2026 10:33:52 +0900</pubDate>
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