<?xml version="1.0" encoding="utf-8" ?>
<rss version="2.0" xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom">
<channel>
<title>思考整理と等身大の自分</title>
<link>https://ameblo.jp/mix-lapins/</link>
<atom:link href="https://rssblog.ameba.jp/mix-lapins/rss20.xml" rel="self" type="application/rss+xml" />
<atom:link rel="hub" href="http://pubsubhubbub.appspot.com" />
<description>日々の思考を整理。見苦しい面もあると思うが、あしからず。</description>
<language>ja</language>
<item>
<title>自己肯定感</title>
<description>
<![CDATA[ <p>結論から言おう。ブログに書くような出来事があろうと、自己肯定感が高いと、満たされているとブログを書こうという気が起きないのだ。そういうもんだ。<br>というのも、心の中で処理できる不満や意見がないなら、心のキャパに余裕があるならここに書くようなことは全て心の中だけで収まってしまう。不満やイラつき、不安などで考えや意見が心の中じゃ収まりきらなくなった時に(Twitterで吐くよりは、！)と始めたブログなのだから。だが、たまーに「書きたい」ではなく、「書いとくかー」くらいの感じで書きたくなる時がある。それは自己肯定感に関係なくだ。ちなみに今がそう。自己肯定感が高いからといって思考整理が全て上手くいくという訳では無いので。<br>今はすごく自己肯定感が高い。なのでブログにはなかなか気が向かないだろう。ダラダラしようと思う。まあ、せっかく誰も見ていないのだから。</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/mix-lapins/entry-12853952488.html</link>
<pubDate>Tue, 28 May 2024 18:13:41 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>恩返し</title>
<description>
<![CDATA[ <p>受けた恩は、授けた恩はどこに返せばよいものなのだろうか。<br>私なりの答えは「自分が授ける側にたった時、受けた恩を返す。」だ。<br>無論授けてくれた者に返すことも大事だろうし、疎かにしていいものでは無い。自分が受けた恩は石に刻み、授けた恩は水に流せの精神だ。<br>ではなぜ、本人よりも次に繋げるべきなのか。それは自分と同じ気持ちになって欲しいからである。恩を授ける者は大概自分より上の立場のひとであり、受けた側は嬉しい。そして、それは自分が上に立った時も変わらないだろう。だったら、あの時受けた気持ちを繋いで行きたいと、そうは思わないだろうか。受けるのは受け取るだけだが、授けるには「手へん」がつく。上から下に、手を繋いで行かなければならないのである。逆に仇はその人で止めるべきだろう。同じ気持ちになって欲しくはないだろうから。<br>自分が授けてくれた人の同じ立場に再び立つとは限らない。しかし、形は変われど気持ちだけは先へ受け継いでいきたいものである。そして、もちろん授けてくれた人にしっかりと言葉でお礼を返すことも忘れずに。</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/mix-lapins/entry-12853234084.html</link>
<pubDate>Wed, 22 May 2024 23:36:19 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>三日坊主</title>
<description>
<![CDATA[ <p>不定期とは言ったものの、2日3日と空けるとやはりこの言葉が頭に浮かぶ。<br><br>三日坊主<br><br>言語の成り立ちとしては、お坊さんを目指す人がその修行のあまりのキツさから3日で挫折し逃げてしまったということから来ている。故事成語という訳だ。<br>なにかに挑戦している分何もしないよりはマシなのだろうが、やはり何か劣等感を感じるものである。<br><br>そういえば、成り立ちは厳しいことに挑戦し続けて、挫折したというものだが、実際の例はどうだろうか。例えばこの私。3日続けたかと言えばそうではない。なんなら、3日ほど開けている。きっと当てはまらないのだろうが、この場合にも三日坊主とうう言葉を使う人は少なくはないだろう。さらに、3日続けていようと「飽きて辞める」という選択を取った場合はそれも三日坊主といえるのだろうか。<br>まあ、「3日と続けられない怠惰な人」という意味なのだから怠惰な人であればまあ大概当てはまるのだろうが。。<br>長くなったが、現代では言語においてこういった「適当さ」が必要となってくる。言葉をその意味だけで捉えず、何となく雰囲気で捉える。世の中、そんなもんばっかりだ。<br>生きやすい世の中なのだと思う。適当に生きても生きていける世の中なのだから。しかし、世の中を真面目に生きようとする人には生きにくい世の中になっているのだろうと感じる。<br>私もこのような息抜きを交えながら適当に生きていきたい。<br>三日坊主だろうと、再開して、満足まで達すればそれで良いものなのだ。</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/mix-lapins/entry-12852675055.html</link>
<pubDate>Sat, 18 May 2024 16:47:05 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>思考整理</title>
<description>
<![CDATA[ <p>今日から、日々思ったことを書き出していこうと思う。せっかくこういう場があるのだ。興味があるなら飛び込んでみるべきだろう。<br><br>まず、自分はなぜブログを書こうと思ったのだろうか。承認欲求ではないと思っているが、公開している以上少なからずあるということなのだろう。でも、それが一番ではない。多分、何となく広大なネットの海に何者でもない身分を偽って自分の考えを放り投げてみたかったのだろう。自分の内側だけで考え、まとめるだけでは満足がいかなかったから。誰に見せるわけでもなく、でも人目のつくようなところでこういったことをしてみたかった。これが一番しっくりくる動機だろう。<br>ブログに拘った理由も特に事故満足度が高いからだ。フォロワーがいないのも気楽でいいし、何より書くだけ書いて、他の情報を取り入れたりしなくて済む。TwitterやInstagramだと悪目立ちするだろうし、より他人と繋がっている感がある。それに、読んでいて眠くなるようなこんな文章をより人目の付きやすいところなぞに放り込んでみたら、つまらない人間認定は目の前だろう。だから、この場を選んだのだ。<br><br>じゃあ、見つかって欲しいわけではないかと思えば、必ずしもそうとは感じない自分もいる。信用のおけるたった数人にはこのことを話してみてもいいかもしれない。偶然見つけられるくらいなら、全然いいだろう。しかし、やっぱり自分からこのブログを広めることはしないだろう。<br>何せ、ここに書き連ねてあるのは、普段外で見せる自分の姿ではなく、飾り気のない等身大の自分なのだから。<br>あと、こういうクサい表現をしてるのも見られたくないし。<br><br>誰に話している訳でもないが、更新は不定期、気が向いた時や、モヤモヤする時にでもまた顔を出そうと思う。</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/mix-lapins/entry-12852173226.html</link>
<pubDate>Tue, 14 May 2024 15:34:21 +0900</pubDate>
</item>
</channel>
</rss>
